[ばべるばいぶる]

真理子の聖書日記


このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
真理子修道会の修道女/修道士の方のみ書き込むことができます。

掲示板運営方針(必読)


twilog
お名前 :
メールアドレス :
題名 :
内容 :
修道会ID :
修道会パスワード :
    再表示  初期表示(最新投稿から30件ずつ)


検索語 :
検索語[] ヒット数476

[461] 2マカ6章 投稿者=真理子 掲示日=2012/05/09(水) 10:57:07 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ma&chapter=6&mode=0
 昨年度の記事は[0:617]
 アンテオコス・エピパネス王がギリシャの習慣をユダヤ人に押し付ける話。
 神殿には神殿娼婦が出入りし、禁じられたものがささげられ、割礼を息子にほどこした母親が殺され、安息日を洞穴でこっそり守っていた人たちが焼き殺され……おどろおどろしいですね。あげくの果てには、90歳のエレアザル老人が、禁じられたものを食べるくらいならと死を選ぶ。こういうおぞましい話をこれでもかこれでもかと書くのが2マカの特徴です。

[460] 詩編63-65編 投稿者=真理子 掲示日=2012/05/09(水) 10:23:26 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=psa&chapter=63&mode=0
 昨年度の記事は[0:648]

●詩編63編
 冒頭の「わたしは切にあなたをたずね求め、わが魂はあなたをかわき望む。水なき、かわき衰えた地にあるように、わが肉体はあなたを慕いこがれる」が美しい。本当に神様の助けが必要だと思ったときの気持ちってまさにこんな感じです。
 音楽のほうはアングリカン(英国国教会)の聖歌
Psalm 63 - Anglican Chant, Jones

(http://www.youtube.com/watch?v=pfXjealcw3o)

●詩編64編
 これも「苦しいときの神頼み」ですけど、敵の描写が実にいやらしく描けてますね。つるぎのようにとがれた舌で敵はおそってくる。しかし神はその舌のゆえに彼らを滅ぼす。ネットで人から攻撃を受けているときの祈りに最適です。
 音楽のほうはダンスによる祈りです。私はあんまりこういうの好きじゃないけど。
Dance Prayer

(http://www.youtube.com/watch?v=3JFK0Y_vdHg)

●詩編65編
 冒頭近く「われらのとががわれらに打ち勝つとき、あなたはこれをゆるされる」、ふつうは私たちががんばって罪を克服した結果許されるって発想になるところですが真逆ですね。私たちが罪に征服され負かされてしまうそのときにこそ神様は許してくださる、というのが、ユダヤ教・キリスト教的発想です。人間はもともと悪いんです。自分で罪を克服できるなら神様なんかいらないんです。自分では何もできない弱い存在だからこそ神様に助けてもらわなきゃならないんです。
 音楽のほうはケンブリッジ大学をバックにまたしてもアングリカンの聖歌。
King's College Cambridge Psalm 65 Thou O God art praised in Sion (Chant: Atkins)

(http://www.youtube.com/watch?v=K35KXs5gjiI)

[459] アルマ書6章 投稿者=真理子 掲示日=2012/05/08(火) 14:28:29 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=alm&chapter=6&mode=0
 あら、すごく短いわ。
 アルマはゼラヘムラの改革を終えると、ギデオン市に宣教に出かけます。

[458] シラ書22章 投稿者=真理子 掲示日=2012/05/08(火) 14:17:31 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=22&mode=0
 昨年度の記事は[0:818]
 愚か者、怠け者に関することわざの続き。10節「愚か者に語るのは、うとうとしている者に話しかけるようなもの。話し終わっても、今なんて言ったのかと聞かれるだけ。」なんていうのは面白いですね。
 ……こんなふうに、断片的なことわざ集についての感想は、やっぱり断片的にしか言えない。

[457] 列王記上1-4章 投稿者=真理子 掲示日=2012/05/08(火) 12:43:53 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=skd&book=1ki&chapter=1&mode=0
 昨年度の記事は[0:647]
 サムエル記と内容が続いていますが今日から新しく列王記に入ります。なお、「記」は「紀」とも書かれますが、どっちでもいいことにします。
 1章。いきなり色っぽい話ですが、うちはこの話、人ごとじゃなくなっちゃいました。主人の生殖能力がなくなっちゃったんです。それでもエッチはやってます。勃起だの射精だのにこだわることなく、裸でいちゃいちゃしているだけでも幸せなんです。大事な夫婦のコミュニケーションです。最近、週刊現代だのプレイボーイだの週刊大衆だの、おじさま向けの週刊誌じゃ、老夫婦のセックスの特集が多いですね。いまこれをニヤニヤしながら読んでるそこのあなた、これ人ごとじゃないと思うわよ。その日が来たときのためにちゃんと考えておきなさい。
 それはともかく、ハギテとの間にできたダビデの四男アドニヤがクーデターを起こして王を称します。将軍ヨアブ、祭司アビヤタルをはじめ、ユダ族はみんなアドニヤを支持しちゃったみたいです。大変大変。ダビデはバテシバ(ソロモンのお母さん)を呼んで相談、ここで王位をソロモンに譲って後継体制をしっかりします。アドニヤに招かれた人は、これはやばいと退散。
 2章。ダビデが死んでソロモンが即位。アドニヤは何を思ったか、上で話した老年のダビデがいちゃいちゃしていたアビシャグを妻にほしいとバテシバに相談。これを謀反ととったソロモンはアドニヤを殺し、アドニヤを支持していたヨアブも殺し、アビヤタルを追放します。後継将軍にはヨアブを殺した功績でベナヤ、祭司はザドクになります。
 また、ダビデがアブサロムから逃げていたときにダビデを侮辱したシメイは、許されてはいましたが、謀反の動きを見せたので死刑に処せられます。
 3章。ソロモンはエジプトのパロ(ファラオ)の娘をめとって同盟関係を強化します。これがソロモン流のやり方なんですが、後のユダヤ教の立場からは、このような異国人との結婚は激しく批判されることになります。
 そしてソロモン版大岡裁きの話。ソロモンは知恵あることが特徴ですが、面目躍如ですね。
 4章。ソロモン体制の名簿。なお、BHS(および新共同訳)では切り方がかわって、21章以後を次の5章とします。

[456] アルマ書5章 投稿者=真理子 掲示日=2012/05/07(月) 18:27:58 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=alm&chapter=5&mode=0
 なんかずいぶん長いですね。
 ニーファイハに判事職を譲って自分は祭司専門になったアルマが人々に説いた教えというわけですが、時代は紀元前83。イエス様の時代に近づいたとはいえ、まだイエス様は登場していないわけですから、そんな時代の説教の中にキリストはともかくイエスという固有名詞が出てくるのはおかしいと思うんですけど。

[455] ソロモンの詩篇8章 投稿者=真理子 掲示日=2012/05/07(月) 18:25:00 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=pss&chapter=8&mode=0
 内容的には、罪を犯した民が神様の怒りに触れて捕囚されたり離散させられたりしたことに対して、そのさばきは正しかった、私たちが悪かったと悔い改め、もう悪いことはしませんからあわれんでください、見捨てないでくださいと祈る詩です。前半のところでは、外国人に攻められるさまを、神様がわざわざ導いたのだととらえています。
 ところで14節に、「水で割らないぶどう酒」とありますね。ということはこれが書かれた時代(紀元前1世紀)のぶどう酒は、水で割って飲んでいたってことです。今の相場はワインが8-9度、日本酒が12度くらい。これ以上度数を増すと酵母が死んでしまうので蒸留しないと無理ですから、この時代のぶどう酒は今と大して度数はかわらないと思います。とすると本当に水代わりの飲料という感じです。そんなことが、丹下和彦『食べるギリシア人』(岩波新書)にも書いてありました。この本、基本的に古典時代の話ですけど、ワインの水割りの件に関してはローマ時代も同様だとあるので、イエスやパウロの時代のワインもそうだったというわけです。
  一テモ5:23に、「水を飲まずぶどう酒を飲め」とあるのは、食中毒の危険があるので水が飲むとやばい(今でも世界的には生水は飲めない土地のほうが普通です)からぶどう酒を飲めってことでしょうが、禁酒を説く教派はこの部分がひっかかるらしい。聖書っていうのは文字通りに読むのではなく、ぶどう酒というのが当時の人にとってどういうものであったかをとらえて解釈しないと、困った話になると思います。

[454] 出エジプト記33-36章 投稿者=真理子 掲示日=2012/05/07(月) 18:05:43 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=exo&chapter=33&mode=0
 昨年度の記事は[0:646]
 前回32章でモーセが怒り狂って契約の書かれた板をこわしちゃった話が出てきましたが、33章では神様は、「さっさと約束の地へ行け、でもオレは行かん」とだだをこねますが、人々はこれを悲しみ、モーセの懸命のとりなしによって、わかったよ、行くよといわせます。でも、「あなたがたは、かたくなな民だ」( 出33:5)なんてヤハウェくんこそ、「実にあらぶる神だ」と私は思います。ここぞというときに登場してくれれば、ふだんは一緒にいないほうがいいんじゃないかしら。
 34章ではまた契約の板を作って十戒を書きます。ただし聖書の本文はポイントをしぼって、ほかの神を拝むなっていうのと、安息日の話とお祭りの話をメインにしています。そして、ふたたび契約をもらったモーセの顔が光っているというのが、 出34:29-30にありますが、これをヒエロニムスが「角がはえている」と誤訳したのがラテン語訳ヴルガタです。
 35章では安息日の話をちらっと繰り返した後、ささげものを持ってこさせた話。
 36章は幕屋聖所の建設の話。

[453] アルマ書4章 投稿者=真理子 掲示日=2012/05/06(日) 07:31:59 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=alm&chapter=4&mode=0
 通読計画では異教コースとしてモルモン経とクルアーンを読んでいます。私は別にモルモン教徒でもイスラム教徒でもありませんが、聖書を発展させた宗教書を読むことで、クリスチャンとしての自分の立場を相対化し客観視する訓練になると思っています。聖書にこんな変な物語を付け加えやがってと憤慨する人は、新約聖書だってユダヤ教徒から見ればそう見えるっていうことに気づきましょう。だからといって私たちはやっぱり新約聖書を大事にしますけど、それはそれとして、自分たちを相対化、客観視する訓練も必要だってことです。

 さて、モルモン経になじみのない人のために、日曜日はいままでのあらすじから入ります。
 紀元前600年ユダ王国滅亡直前、王国の滅亡を予言したリーハイは迫害されてエルサレムを脱出、一族もろとも新大陸アメリカに移ります。リーハイの死後、それまでもちょくちょく対立してきた長男レーマン(悪玉)と四男ニーファイ(善玉)の対立が激化。ニーファイらは別の地に住みます。ところがニーファイの子孫も堕落、モーサヤが脱出してゼラヘムラに逃れます。ベニヤミン王の治世を経て、息子モーサヤ(おじいさんと同名)はかつてのニーファイを探検すべく、アンモンらを遣わします。ニーファイ人のリムハイ王に謁見したアンモンは、ニーファイ人がレーマン人の奴隷になっている事実を知らされます。彼らはアンモン探検隊と一緒にこの町を棄ててゼラヘムラに移住、さらにリムハイ王の先代の悪王ノアに反対して逃亡していた祭司アルマもゼラヘムラに移住、ここにめでたく、ニーファイ人のうちの宗教的に正しい人々のグループがすべてゼラヘムラに集まるようになります。
 彼らはアルマの子のアルマJr(以下単にアルマ)の時代に共和政に移行しますが、やはり堕落は世の常、堕落した人々のうちアムリサイは王を自称して悪玉レーマン人と組んでニーファイ人と戦い、多くの犠牲が出ます。
 ここまでが今までのあらすじ。

 それやこれやで時代はBC83。やはり堕落の芽があちこちで芽吹き、危機的な状況です。祭司アルマはニーファイハ(へんな名前。英語ではNephihah)を大判事に命じ、自分は判事の職をしりぞきます。

[452] 3イミ21章 投稿者=真理子 掲示日=2012/05/06(日) 05:56:34 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=3ic&chapter=21&mode=0
 イミタチオ(とは何かについては[449])の第3巻は、信者(ないし著者)とキリストとの対話になっています。訳本の中には(主)(信徒)のような形でどちらの発話であるかを明記しているものが多いのですが、そんなものは読めばわかるので、真理子のおまけ(口語訳聖書を選んだときに表示される文。上のリンクです)では割愛しました。今日のところでは、5節の「わたしはここにある」~「来させたのである」だけがキリストのせりふで、あとは信徒のせりふ。
 *真理子のおまけとは=当サイトでは、デフォルト聖書である口語訳聖書を選べば、取り扱っているすべての文書を読めるようにしたいので、口語訳聖書に入っていないクルアーンやイミタチオや外典類は、私の独自訳を「真理子のおまけ」としてぶちこんでいます。ちなみに著作権はフリーです。著作者人格権を含めて放棄します。

 この世のすべてはむなしく、神こそが慰めであるというのを延々とたたえています。言葉に言葉を重ねるリフレインが多く、祈りというより詩になっています。

[451] 2コリ11-13章 投稿者=真理子 掲示日=2012/05/06(日) 05:46:48 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2co&chapter=13&mode=0
 昨年度の記事は[0:643]
 最後までB、いわゆる「涙の手紙」です。2コリの構成については[388]を、パウロの年表については
http://www.asahi-net.or.jp/~zm4m-ootk/pauronenpyou.html
をご覧ください。
 11章の話だけ書きます。冒頭に「わたしが少しばかり愚かなことを言うのを、どうか、忍んでほしい」ですって。「愚かなこと」と前置きすればいくらでも愚かなことが書けます。「失礼ながら」といえばいくらでも失礼なことが書けます。「忍んでほしい(お許しください)」と書けばなおさらです。パウロはなんと直後で「もちろん忍んでくれるのだ」ですって。
 こんなふうに11章は突っ込みどころ多数。 二コリ11:5では、使徒たちに比べても私はひけをとらないなんて豪語するかと思うと、 二コリ11:6では「話はへただ」といっている。本当に話がへただったのかもしれません。
  二コリ11:9では、あなたがたのためにカネ集めもがんがんやったなんて書いてありますね。
 そんなことを言いながら、ニセの使徒たちに注意といい、16節以後ではパウロ自身の苦労と迫害のさまをいろいろ書いてあります。そのなかで 二コリ11:25の「一昼夜海上にただよった」って、 使27に書いてあるあれでしょうか。でもそれだと年代的につじつまが合いません。あれ、パウロの難破はこれだけじゃなかったのでしょうか。ずいぶん難破に合う人ですね。引照つき聖書でも、ここはつじつまが合わないので引照書いてないと思います。たぶんこれは、後の人の手が入ったんじゃないでしょうか。ローマ行の途中に遭難してマルタに上陸した話を知っている人がここにぶちこんじゃったんだと思います。

[450] クルアーン42回 投稿者=真理子 掲示日=2012/05/05(土) 14:41:51 コメントする ここから閲覧

 クル-42回。10章1-25節。
 10章はヨナの章。ただしヨナはまだ出てきません。
 井筒訳では、「ユーヌス(平安その上にあれ)」なんて書いてあります。これってなんだかなあ。
 ユーヌスというのはヨナのことですが、「平安その上にあれ」っていうのは、アレイヘ・アッサラームって言いまして、ヨナという名の後ろの上、アラビア語は右から左に書くので左上になります。そこに小さくアレイヘの最初の2つの子音を書くんです。こんなふうに、預言者などの名前に短いお祈りの言葉をつける習慣っていうのがあるんです。ちなみにこれ、Unicodeにもちゃんと定義されていまして、16進数表記で0611になります。お手元のIMEの文字コード表で出してみるか、
http://www.unicode.org/charts/PDF/U0600.pdf
で見てください。その0611です。このゴミのような小さい文字を左肩につけるんですね。
 こういうのは普通は無視します。が、井筒訳は他の箇所は訳してないのに、ここだけなぜか訳してるんですね。ちょっと意図が不明です。

[449] 1イミ21章 投稿者=真理子 掲示日=2012/05/05(土) 14:28:21 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ic&chapter=21&mode=0
 1イミというのは「イミタチオ第1巻」。イミタチオというのは15世紀に書かれた修養書、イミタチオ・クリスティ。『キリストにならいて』という訳で有名です。伝統的にトマス・ア・ケンピスの著とされてきましたが今ではヘーラルト・ホロートという人の作とされています。もちろんこれは聖書ではありませんし外典ですらありませんが、うちのサイトの聖書通読(外典コース)では、外典だけだと1年間ぶんに足りないので、土曜日と日曜日にこの本を読んでいっております。

 さて第1巻21節は、悔い改めについて。自分が罪深いものであると徹底的に自覚することが信仰のはじめです。罪深いからこそこの世ではさまざまな危険にあう可能性がある。するとこの世の楽しみを追うのがむなしく、神により頼む姿勢が出てくるのです。
 2節の後半「習慣を克服するのは習慣だ」というのは、悪い習慣をなくそうと思ったら、よいことをする習慣を身に着けて、悪いことをする暇をなくしてしまえということです。面白い言葉ですね。

[448] ルカ5-6章 投稿者=真理子 掲示日=2012/05/05(土) 14:17:24 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=luk&chapter=5&mode=0
 昨年度の記事は[0:641]
 今みたら、昨年はあがいて変なことを書いてますね。でも今年もあがかざるを得ないわ。だって、すべてのエピソードが、どこかでコメントしたおぼえがあるものばかりですもの。
 まあいいわ、一番最初の話を書きます。
 後にペテロ(ペトロ)と呼ばれる漁師のシモンとイエス様の出会いのシーン、イエス様が「ここに網をおろすと魚がとれるぞ」という言うので、半信半疑網をおろしたら、たしかにいっぱい魚がとれた。これでペテロはイエス様に従う。魚がとれたあとペテロは「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者です」といいました。最初に疑っちゃったのを恥じたんでしょう。
 でもペテロのこのような半信半疑の態度こそが望ましい信仰なのではないかしら。
 だって、最初からはいはいと言ってすぐに網を下ろしたらただのバカです。ペテロはプロの漁師で、イエス様は素人、しかも初対面です。「ばかいっちゃいけねぇ」と一笑に付すことこそが普通の反応だと思います。むしろ私はペテロが最初に「しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう」と言って、疑いながらも網を下ろした時点で、ペテロの信仰はただものでないと思います。ペテロをこのように動かしたのは何だったのでしょう。
 前に、『Meak's Cutoff』sという映画の話をしました([350])。開拓者たちがインディアンの襲撃を避けて移動。近道を知っているという白人ミークにだまされて迷ってしまう。そんな中、道を知ってそうなインディアンの男に出会う。さてこの男を信用してよいか…
http://www.junglecity.com/event/moviereviews/meekscutoff.htm
 もう瀕死の状態(実際死者も出てる)で、これ以上トライ&エラーをしている余裕なんかないってときに、このインディアンを信用してついていくかどうか。信仰っていうのはそういう賭けなんじゃないかしら。誰も100%の信頼感をもってから信仰をする人なんていない。90%の不信の中にも10%くらい、「この人についていけば大丈夫かも」みたいなものがあって、ついていくのが信仰じゃないかしら。そのときに「ついていきなさい」とふっと背中を押すのが、キリスト教業界用語でいう聖霊ってものなのでしょう。たぶんペテロも、聖霊にふっと背中を押されたのではないかしら。

[447] クルアーン41回 投稿者=真理子 掲示日=2012/05/04(金) 10:22:17 コメントする ここから閲覧

 クル-41回。9章93-129節。
 ここも訳すのがとてもかったるかった。だって本当にワンパターンなんだもの。
 イスラムでは、622年にムハンマドがマッカ(メッカ)での布教をあきらめます。ここはクライシュ族が支配していたんですが激しく迫害されたからです。そこでキリスト教徒の王の治めるアクスム王国のヤスリブに移住、ここをマディーナ(メディナ)と改称します。これがイスラム教の教団のスタートということでここかイスラム暦が始まります。クル9:100で、「移住した者」「援助した者」というのはこのときのことを言っているのです。

[446] バルク書2章 投稿者=真理子 掲示日=2012/05/04(金) 10:09:15 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=bar&chapter=2&mode=0
 昨年度の記事は[0:903]
 バルク書の設定は、バビロンに捕囚された人たちがカネを集めてエルサレムに残った人に送り、代理で祈ってもらおうという話でした。今私たちがここにいるのは、先祖および自分たちが神様にそむいき、バビロンの王に仕えなかったからである。今はバビロンの王に仕えているが、やがては帰れるだろうといいます。

[445] エレミヤ書42-46章 投稿者=真理子 掲示日=2012/05/04(金) 10:03:38 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jer&chapter=42&mode=0
 昨年度の記事は[0:637]
 エルサレム陥落後にも残った民はもちろんいるので、カルデヤ(新バビロニア)は総督としてゲダリヤを立てましたが、王族のイシマエルが反乱を起こしてゲダリヤを殺します。ところがヨハナンがさらに反乱を起こしてイシマエルを追放。さて、カルデヤが当然報復してくるでしょうからヨハナンはエジプトを頼ろうとします。ここまでが41章でした。
 42章。ヨハナンはじめみんなはエレミヤに神様の意向を伺いますが、エレミヤ(の口を通して神様)は、絶対にここにとどまれ、エジプトには行くなといいます。エジプトへ行ったら戦争、テロ、ききん、疫病などで死ぬぞというのです。
 43章。ところがみんなはエレミヤの言葉を信用せず、エジプト行きを強行します。神様の言葉なんか関係なく、結論は最初から出ていたんですね。エレミヤも、秘書バルクも連行され、エジプトはタパネス http://www.babelbible.net/map/2.png のC-2 に移住します。もっとも44章冒頭を見ると、他の地域にも行ったようですね。メンピス(メンフィス)は上図B-3、パテロスは http://www.babelbible.net/map/1.png のC-3 です。けっこういろんな地域に行ったんですね。みんなが神様の言葉を聞かずに強引にエジプトに行ったものだから、エジプトの王も敵の手に渡すなんて神様は言います。
 45章でなぜか時代はずいぶん前、エホヤキム(ヨヤキム)の4年ですからBC605、ざっと20年さかのぼります。それで46章以後は、当時の世界各国が今後どうなるかという預言になります。
 つまりエジプトに行ったエレミヤたちのその後は書かれていないんですね。一説には民によってリンチされちゃったという話もあります。

[444] アルマ書3章 投稿者=真理子 掲示日=2012/05/03(木) 12:30:31 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=alm&chapter=3&mode=0
 ニーファイ人は戦いには勝ったものの戦死者も多く、女子どももずいぶん殺され田畑はあらされ家畜も死に、と戦後の復興が大変です。
 裏切りアムリサイ人は悪玉レーマン人と同様、額に赤いしるしをつけていました。彼等は嬉々としてしるしをつけたのでしょうが、実はそれは神の呪いのしるしだったのです。そしてレーマン人は、以前にも書いてあったと思うのですが、神様の呪いで皮膚が黒くなりました。レーマン人とエッチをしてできた子もみんな皮膚が黒くなりました。こういう記述はモルモン経が一番非難されるところでしょうね。今アメリカで人種差別発言なんかしたら社会的に抹殺されますからね。でもほんの数十年前まではアメリカは厳しい人種差別の国。ましてモルモン経ができた19世紀前半はなおさらです。こういうのは実に自然な考えだったのでしょう。

[443] ユディト記7章 投稿者=真理子 掲示日=2012/05/03(木) 12:23:40 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jdt&chapter=7&mode=0
 昨年度の記事は[0:455]
 オロペルネス(ホロフェルネス)は騎兵隊をひきいてベトゥリアを包囲、籠城戦をはじめます。食料も水も尽きた民は降伏をしようといいますが、町の司オジアスは、あと5日待ってそれでも神が助けてくださらなったら降伏しよう、それまで待てとさとします。

[442] ヨブ記41-42章 投稿者=真理子 掲示日=2012/05/03(木) 12:10:19 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=job&chapter=41&mode=0
 昨年度の記事は[0:635]
 新共同訳になってちょっと章の切り方が変わりましたけど、どっちにしろ、偉大なる蛇足ですね。
 このままじゃ話の収拾がつかないから強引にハッピーエンディングにしたって感じですが、これがまた突っ込みどころ満載、どこがハッピーエンディングなんでしょう? 以前に死んだヨブの家族はいったい何なんでしょう?
 そんなわけでこのエンディングは無視しますが、結局神様の主張って、これもオレが造ったぞ、あれもオレが造ったぞ、でしたよね。自然のさまざまな造化の中に神を見るっていうのは、一番身近な神の感じ方です。よく、宇宙旅行をすると神を見るといいますが、宇宙まで行かずとも、山のぼりとかスキューバダイビングとか、いえ、身近な自然の中にも神はいるんです。先日はわが家の庭の草刈りをしました。冬の間は3センチくらいの背だった草があれよあれよという間に人の肩くらいの高さに。こういう植物の成長の中にも神を見ることはできるんです。
 でもですよ、これっていわゆるアニミズム、それぞれの自然物の中に神が宿るっていう考えと、そう違うものではありませんよね。一神教と多神教というのは、世に言われるほど違うものではなさそうです。

[441] アルマ書2章 投稿者=真理子 掲示日=2012/05/02(水) 11:05:32 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=alm&chapter=2&mode=0
 前回出てきた扇動者ニーホルと同じ思想を持つアムリサイは、王政復古、自分が王になろうとして選挙をやりますが破れます。ところがアムリサイは支持者だけ集めて独立、ニーファイ人と戦います。
 あれ、アムリサイだって当然ニーファイ人ですよね?
 ここがモルモン経の便利な点で、民族の始祖名がそのまま民族名になり都市名になり代々の王名にもなったりするのです。JスミスJrさん(教祖様)は名前を考えるのがめんどくさかったんでしょう。ニーファイ人といえば常に善玉。アムリサイは堕落して裏切ったんで、彼とその一味はアムリサイ人という新たな民族を形成するんです。
 両者は激しく戦い、さらにアムリサイ人は悪玉レーマン人とも手を組みます。が、神様の助けでアルマひきいるニーファイ人は善戦します。

[440] 2マカ5章 投稿者=真理子 掲示日=2012/05/02(水) 10:59:31 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ma&chapter=5&mode=0
 昨年度の記事は[0:615]
 前章でヤソンが大祭司になり、王のギリシャ化政策に力を貸すなど完全に御用大祭司になっています。その後大祭司職はメレナオに買い取られヤソンは追放されていました。
 アンテオコスがエジプト遠征に行ってる間、エルサレムに不思議な現象が起きます。そしてアンテオコスが死んだというデマが流れたので、ヤソンはここぞとばかりにエルサレムを攻めますが、失敗してアンモンに逃れます。
 この騒ぎをユダヤの反乱だと思ったアンテオコス王がエジプトから引き返してエルサレムを制圧、メレナオを手先として神殿の財宝を奪って首都アンテオケに戻ります。
 最終節にちらっと主人公の「マカビオのユダ」が出てきますが、実際に出てくるのはもっと後です。

[439] 詩編60-62編 投稿者=真理子 掲示日=2012/05/02(水) 10:49:32 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=psa&chapter=60&mode=0
 昨年度の記事は[0:633]

●60編
 2節(旧0節)にある「ダビデが、アラムナハライムおよびアラムゾバと戦ったとき、ヨアブがその帰りに、塩の谷でエドムびと一万二千人を殺したとき」というのは、 サム下8:13の話ですが、まるきり時代の違う 王下14:7(南9代目アマジア王800-783の時代の話)なんかも引照に入ってるってことは、ダビデの故事とは全然関係ないってことですね。エドムをはじめ周辺諸国をやっつけて万々歳という詩。そういう詩のせいか、Youtubeには名曲がないですね。

●61編
 「神はわがやぐら」という言葉もありますが、有名なルターの賛美歌のものじゃありません。あれは46編です。3節(旧2節)にある「地のはて」というのがバビロン捕囚のことらしいので、その時代に故国を思い、絶望の中にも神への希望を持つという、矛盾した二つの感情の緊張のある詩です。だからもちろんダビデの詩というのはまるきりウソ。後世の仮託です。
 Youtubeにはポップス系の名曲がいろいろありました。
Steve Apirana - Psalm 61

(http://www.youtube.com/watch?v=hS_My8Kim7s)
Hear my cry. Psalm 61. Matthew Ward. HD sound.

(http://www.youtube.com/watch?v=IpfVT-k9yzE)
Sister Rasheda PSALM 61

(http://www.youtube.com/watch?v=xn4MwmO2UFQ)

●62編
 2節と6節(旧1節と5節)の「わが魂はもだしてただ神をまつ。わが望みは神から来る」。「もだす」というのは「沈黙する」ということですね。苦しくて叫びをあげたいときも神の救いを信じてじっと耐えるという意味です。
Aaron Keyes - Psalm 62

(http://www.youtube.com/watch?v=mmx9p6vAL1g)
同じ歌のアニメ版です。

(http://www.youtube.com/watch?v=CSp-3kvKQZs)

[438] アルマ書1章 投稿者=真理子 掲示日=2012/05/01(火) 16:29:44 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=alm&chapter=1&mode=0
 今日からアルマ書。モルモン経のなかで一番章数が多く、怒涛の63章!
 モーサヤ王が死んだ後、ゼラヘムラは一種の共和政になります。というか士師記の時代みたいに、士師ならぬ判事が国を治めるんですね。それがアルマJr。Jrってつけたのはお父さんもアルマという名前だから。でも面倒くさいので以後はアルマだけにします。
 順風満帆スタートした体制も、だんだん堕落していくんですね。悪い教えを広める人も出てきました。その中のニーホルという人がギデオンと論争します。ギデオンってモーサヤ書19章で悪いノア王を殺した人物。そのギデオンをニーホルは殺してしまい、アルマによって死刑に処せられ、ともあえず世の中は平和になります。

[437] シラ書21章 投稿者=真理子 掲示日=2012/05/01(火) 16:21:48 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=21&mode=0
 昨年度の記事は[0:816]
 昨年は「愚か者の頭は口についている。賢い者の口は頭についている」(26節)を書きましたが、何度読んでも面白い。「愚か者の頭は穴のあいた手桶のようなもの。何を教えられても長く残らない。」(13節)なんかも面白いわね。愚か者関係のことわざは面白いわ。

[436] サムエル記下20-24章 投稿者=真理子 掲示日=2012/05/01(火) 16:16:15 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2sa&chapter=20&mode=0
 昨年度の記事は[0:631]
 前回[415]で、19章のあらすじをはしょってしまいました。19章では、アブサロムの死をダビデがあまりに悲しむので、それじゃあんまりじゃないかとヨアブが苦言を呈しました。そのせいかどうか、 サム下19:14でダビデは、ヨアブを将軍の地位からひきずりおろしてアマサを将軍にします。アマサはアブサロムによって任命された将軍( サム下17:25)です。アブサロムについたアマサをあえて将軍にすることで、アブサロムについた人々をうまくとりこむというねらいの人事でしょうか。
 20章。やっぱりまだ世の中は安定しておらず、ベニヤミン族のシバが反乱を起こし、各部族はダビデから離れます。ダビデはユダ族をエルサレムに集めようとアマサに命じますが、アマサは約束の日までに戻って来ません。口語訳聖書では単に遅れたと書いてますが、実際には裏切ったのです。ヨアブはアマサを殺し、さらにシバを追います。シバははるかに北、
http://www.babelbible.net/map/4.png
の地図のイスラエルの北限、アベルというところに逃げました。ヨアブはアベルを包囲します。ここでアベルの住民の女が、シバを引き渡すならアベルを攻めないという言質をヨアブから引き出し、アベルは無血開城、シバは殺されて事なきを得ます。
 21章。3年もききんが続いたので原因は何かと思ったら、先代王サウルがギベオン人に悪いことをしてギベオン人が恨みをもっていることらしい。そんなわけでサウルの子孫7人は処刑されます。私なんかこういう話を聞くと、ききんにかこつけて処刑したっていう陰謀だと思っちゃいますけどね。
 その後、ペリシテ人との戦いが続きます。
 22-23章とダビデの祈りの歌があった後、24章ではダビデが人口調査をしたために疫病が発生したとあります。昨年も言ったように実際には疫病の原因を人口調査にかこつけているだけです。人口を調査して何がいけないのでしょう。住基ネットじゃあるまいし。だいたい私は住基ネット賛成なのよ。もっと早くから国民総背番号制度を作っておけば、消えた年金問題なんて起きるはずがなかったのよ。私みたいに姓を2回も変えた人はちゃんとフォローされてるのかしら(いまのところ大丈夫っぽい)。

[435] モーサヤ書29章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/30(月) 08:44:36 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=29&mode=0
 モーサヤ王の子たちは宣教に行っちゃったので後継ぎがいません。王はついに共和政への移行を決意します。王政だとノア王のような悪い王が出るかもしれません。ユダヤ教以来、王には手厳しい伝統がありますね。
 具体的には判事を任命して彼等が民の間の争いを裁決するような政治です。
 祭司のアルマも死んで子のアルマの時代になります。
 ここでモーサヤ書もおしまい。次はアルマ書です。
 時代は紀元前91年。

[434] ソロモンの詩篇7篇 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/30(月) 08:39:09 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=pss&chapter=7&mode=0
 復帰というタイトルですが、エビストロフィというのは離れたものが戻ってくること。神様から離れた私たちが神様に戻ることで、回心というほうがいいかしら。使15:3で使われていますが、口語訳や新共同訳では改宗と訳されています。異教徒が神様を信ずるようになることです。
 ただしこの詩では、異教徒ではなく、神様を忘れていたイスラエルの民が神に戻ることを意味しています。
 神様が一時的にイスラエルの民に試練を与えることがあっても、神様は結局はイスラエルの民を守ってくださるから、まさか滅ぼすようなことはありませんよね、守ってください、という祈りです。

[433] 出エジプト記29-32章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/30(月) 08:26:18 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=exo&chapter=29&mode=0
 昨年度の記事は[0:630]
 29章。神様はアロンの子孫を祭司に任命します。以後、祭司はレビ族でありかつアロンの家系から出るようになります。特に最高の地位である大祭司は、原則としてアロンの子のエレアザル(エルアザル)の家系に限定されます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%A5%AD%E5%8F%B8
に歴代の大祭司がまとまっているので見てください(うちでもそのうちまとめようかしら)。たまに例外があるものの原則としてずっとアロン・エレアザルの家系で行くんですが、この重大な例外がマカバイ記の時代、ハスモン朝でのこと。それから新約時代のヘロデの王朝の時代です。なお、ヘブライ人への手紙は、イエスを大祭司としたいために、創世記の時代はメルキゼデクという人が大祭司でうんぬんかんぬんと、異邦人であるわれわれにはどーでもいい話を延々としていますが、アロン・エレアザルの家系以外から大祭司が出るというのは、どこかの馬の骨が天皇になるとか、市川団十郎を襲名するとかいうような感じで、猛烈に違和感があることなのです。
 30章は祭壇の話。31章は安息日の話。
 で、32章がいよいよ、金の牛の像を作っちゃった話になります。民がじれったくなってアロンに迫って作らせちゃうんですね。怒り狂ったモーセは牛の像ばかりかせっかく神様からいただいた律法の板を投げて砕いてしまいます。この不祥事で民は三千人死にますが、アロンはなぜかお咎めなし。
 ちなみに、実際のところは、金の牛の像は後の時代、北王国の初代の王ヤラベアム(ヤロブアム)1世が作っておがませたものです( 王上12:28)。エルサレムの神殿は南王国がとっちゃいましたから北王国はそれにかわるものとして金の牛の像を作ったわけですね。後に北王国のほうが早く滅んじゃいますが、後の時代の歴史家は、北が滅んだ理由を金の牛の像をつくったことだとしています。この話を出エジプト記にもいれちゃったのが32章なんですね。だからヤラベアムの時代の人たちは出エジプト記を知りません。少なくともこういう神話を知りません。もし知ってたら、わざわざそんなまがまがしい像を作ったりするはずがありません。あくまで32章は、後の時代、たぶんバビロン捕囚後に作られた神話なんです。このことは間違えないようにしっかり覚えておきましょう。

[432] モーサヤ書28章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/29(日) 05:24:49 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=28&mode=0
 通読計画では異教コースとしてモルモン経とクルアーンを読んでいます。私は別にモルモン教徒でもイスラム教徒でもありませんが、聖書を発展させた宗教書を読むことで、クリスチャンとしての自分の立場を相対化し客観視する訓練になると思っています。聖書にこんな変な物語を付け加えやがってと憤慨する人は、新約聖書だってユダヤ教徒から見ればそう見えるっていうことに気づきましょう。だからといって私たちはやっぱり新約聖書を大事にしますけど、それはそれとして、自分たちを相対化、客観視する訓練も必要だってことです。

 さて、モルモン経になじみのない人のために、日曜日はいままでのあらすじから入ります。
 紀元前600年ユダ王国滅亡直前、王国の滅亡を予言したリーハイは迫害されてエルサレムを脱出、一族もろとも新大陸アメリカに移ります。リーハイの死後、それまでもちょくちょく対立してきた長男レーマン(悪玉)と四男ニーファイ(善玉)の対立が激化。ニーファイらは別の地に住みます。ところがニーファイの子孫も堕落、モーサヤが脱出してゼラヘムラに逃れます。ベニヤミン王の治世を経て、息子モーサヤ(おじいさんと同名)はかつてのニーファイを探検すべく、アンモンらを遣わします。ニーファイ人のリムハイ王に謁見したアンモンは、ニーファイ人がレーマン人の奴隷になっている事実を知らされます。
 リムハイ王のおじいさんゼニフはレーマン人と戦い、ニーファイの支配権を得ますが、次のノア王が悪い王様。そこで預言者アビナダイがノア王をいさめますがノア王は彼を火あぶりにしてしまいます。このとき祭司アルマはノア王に反対して逃亡、辺境地帯で独自の宗教社会を作りますが、ノア王の追跡のためみんなで荒野に逃げてそれっきり行方知れずになります。
 一方ノア王は民の反乱とレーマン人の侵入により失脚、民によって処刑されます。
 で、リムハイ王の治世になって彼等はレーマン人の奴隷になった。ここにアンモン探検隊が来たわけです。
 リムハイ王は民と一緒にこの町を捨て、アンモンについてゼラヘムラに行き、ここで一緒に住むようになります。一方アルマ一行もゼラヘムラに行き、ここにめでたく、ニーファイ人のうちの宗教的に正しい人々のグループがすべてゼラヘムラに集まるようになります。
 ところが次の世代になると早くも堕落。モーサヤ王の息子たちも、アルマの息子アルマJrも神を信じません。ところが天使がやってきてアルマJrは改心し、人々に神の道を説くようになります。
 ここまでが今までのあらすじ。

 さて、改心したモーサヤの息子たちは、悪玉レーマン人のところに行って宣教したいと思うようになります。これが許可されて彼等はレーマン人のところに宣教に行きます。
 一方、リムハイ王の人々が荒野で発見していたけど解読できなかった金版が、ついに例の翻訳機(なにしろモルモン経自体が、この翻訳機の力で英訳されて世に出たんですから)の力で翻訳されました。その内容は後に書かれるらしいです。