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真理子の聖書日記


このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
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[617] 2コリ6-8章、2マカ6章 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/24(日) 12:35:55 ここから閲覧

 復活祭おめでとうございます。移動祝日ですので日本ではちっともなじみがないですが、キリスト教国ではクリスマスとならぶ一大イベント。教会暦はこの復活祭を基準にして組み立てられていますからね。一年のはじまりみたいなものです。そう、お正月ですからね。うっかりこの時期にキリスト教国を旅行などしようものならどこもお店が営業していなかったなんていうのが普通です。


●2コリ6-8章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2co&chapter=6&mode=0
 今回の範囲はややこしいです。
 2章14節以降7章4節までがA。
 どんなに苦しくてもがんばろう。イエス様だって命がけだったんだから、ぼくたちも命がけで宣教しようという話でしたよね。
 今回はその続きで、神様のめぐみをいたずらに受けることなく、苦しいときもみんなのためにがんばろうという話です。
 ところが二コリ6:14-18、ひょっとしたらその次の二コリ7:1までは、突然に不信仰なやつらとは付き合うなとか、偶像とかベリアル(悪魔信仰みたいなものらしいです)とかを寄せつけるなとか、まるで一昔前の創価学会のようなことを言ってますね。ここはひょっとしたらFなのかもしれないという話もあります。とりあえず墨を塗っておいてください(笑)。そうすると、二コリ6:13の「心を開いてくれ」というのと、二コリ7:2の「心を開いてくれ」というのが、すんなりつながるでしょ?
 まあそんなわけで、コリントの人たちに、つらいことがあっても心を開いて私たちと一緒にがんばろうと訴えてAはおしまいです。

 7章5節以降は、2コリ冒頭1章から2章13節までと続けて読んでC。Cは7章でおしまいです。
 パウロさんたちはたいへんな迫害を受ける中でマケドニヤへの旅行を企画していたんでしたよね。
 マケドニヤというのはギリシアの北部。コリントの属するアカイヤ州の北隣になります。
 で、マケドニヤに着いたら、テトスがやってきて助かったとか、テトスがあなたがたの気持ちを伝えてくれたので慰められたなんてことを言っております。
 二コリ7:8の「手紙」というのはBです。10章以後ですのでまだ読んでません。

 8章はD。Dは8章だけです。マケドニヤの諸教会の募金活動を高く評価し、コリントでもやってくれと言っております。

●2マカ6章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ma&chapter=6&mode=0
 6-7章はギリシアの生活習慣のおしつけに抵抗した人の話。6章はエレアザルという律法学者が、豚肉を食べようとせずに殺されたという話です。
 老人なんだから食べるふりをして生きながらえてもしょうがない。むしろそのことで若者たちに悪影響を与えることを恐れる。その気丈さは感動ものです。

[616] ルカ1-2章 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/23(土) 10:13:00 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=luk&chapter=1&mode=0
 今日から福音書はルカに入ります。
 マルコによって、イエス様の言行録をまとめるという福音書というジャンルが生まれたのですが、マルコはリアリストすぎてあんまり救いが感じられない、出生の伝説もなければ復活もハッキリ書かれておらず、しかもイエスの弟子を批判している、一種の危険文書だったので、より穏当な形で書かれたのがマタイとルカです。マタイのほうは主にユダヤ人を読者に想定しており、旧約聖書の引用がいっぱいあったり、冒頭から系図を長々と書いたりというところがありましたが、ルカは異邦人を読者に想定しています。
 なにしろ冒頭のテオピロ(テオフィロ)様というのがローマ人らしいですし(もっとも、テオ=神、フィロ=愛ですから、神野愛夫といったいかにも作り物めいたあざとい名前ですけどね)、ルカ自身がシリア人の医者ということになってます(コロ4:14)。たしか、イザヤ・ベンダサンこと山本七平さんが『日本人とユダヤ人』の中で、「フランス人マルクス主義者がロシア人を読者に想定して、マルクス主義に都合がいい材料だけを組み立てて書いた日本史の本」みたいな比喩をしていました。そういう本が日本人にはちっとも関係がないようなもので、ルカはユダヤ教を脱皮したキリスト教の立場から書かれた福音書と言えます。
 ユダヤ人のことをよく知らないクリスチャンには一番読みやすいうえ、続編として弟子たちの活躍を書いた「使徒行伝(使徒言行録・使徒のはたらき)」という文書もあるので、「新約聖書を読むならまずルカを読んで、次に使徒に行くべし」とよく教えられます。

 1章はけっこう長く、しかも内容がもりだくさん。他の福音書と違って洗礼者ヨハネの出生伝説も扱っているのが特徴です。洗礼者ヨハネの母エリザベツとイエスの母マリヤとは親戚だったことになってます。また受胎が6ヶ月前ということなので、ヨハネの誕生日は6月25日とされています。
 ルカ1:46-55のマリヤの賛歌は、ラテン語訳聖書の冒頭の語magnificatからとって、マニフィカトと呼ばれます。プロテスタントはマリヤを特別視せず、ただの女性ということにしていますけど、一応この詩は聖書に根拠がありますので、これを用いた宗教曲はプロテスタントでも歌われます。バッハも作曲してますね。日本聖書協会の交読文にも43番として入ってます。
 ついでにそのあとのルカ1:68-79のザカリヤの預言も交読文44番として入っています。こっちはマニフィカトほど有名じゃないですけど。
 2章でイエス様が誕生しますけど、ルカ2:49のこまっしゃくれた言いぐさは困ったもんですね。たぶんこの時点(12歳)でイエス様は、自分のお父さんが本当のお父さんじゃないということを知って、ぐれて家出をしかけたんじゃないかと思ってます。

[615] エレミヤ32-36章、2マカ5章 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/22(金) 17:20:45 ここから閲覧

●エレミヤ32-36章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jer&chapter=32&mode=0
 預言書の読解が難しいのは、次から次へと出てくるメタファーが何のことだかわからない、そのくせ言ってることは、どーせたいしたことのないワンパターンな警告だろうと思うので、あんまりしっかり読む気が起こらないっていうのが最大の理由。
 そしてもう一つの理由は、記述が年代順とは限らないってことなんですね。
 今回の範囲でいえば32-34章はゼデキヤつまりユダ王国最後の王の時代ですから、王国の最後のパニック状況を思い描いて読めばいいんですが、35-36章はエホヤキム(ヨヤキム)ですからその2代前。時代が突然前に戻っちゃうんですよね。それを知らないで読むから、何のことだかわからなくなっちゃうわけです。
 山本七平キラー、統一教会キラーの浅見定雄さんが『旧約聖書に強くなる本』っていう本を出してます。長らく絶版だったんで修道会にPDFをアップしてますけど、固有名詞表記を口語訳から新共同訳に変えて、最近復刊されたんですよね。
 この本の中に、ユダ王国とイスラエル王国の王様の名前を覚える語呂合わせが載ってます。こういうのを覚えれば、列王記や歴代誌など歴史モノを読むときに役立つばかりか、預言書を読むのにも役立ちますね。
 でも、はっきりいって、浅見先生には悪いけど、これ使えないです。王名の一部だけを取り出して並べて猛烈に無理な語呂合わせを作ってて、それを覚えても元を復元できない。たとえば最後から3番目と2番目の王はエホヤキム、エホヤキンと猛烈に紛らわしいのに、それをうまく覚えられない。
 やっぱりこれは、私が以前に作った「イスラエル12部族を覚える歌」(決定版は[472]ね)みたいに、長くなっても、名前を省略せずフルに読み込んで、簡単なエピソードをまじえるような歌がいいわ。
 そんなわけで今いろいろ考えてるんですけど、まだできてないです。

 ところで今回から出てきたバルクっていうのがエレミヤの子分ですね。旧約続編にバルク書なんていうのもあります。バルクって英語読みだとバラク。オバマ大統領の名前ですよね。
 バルクはエレミヤの言葉を書きとったり、エレミヤが捕らえられてるときはかわりに登場したり、子分というか弟子というか執事というか秘書というか、そういう役割で活躍します。
 そういえば現代のエレミヤ、上杉隆さん、最近テレビやラジオから続々と締め出されて、
http://uesugitakashi.com/?p=658
によれば、今年いっぱいでジャーナリストを辞めるらしいんですけど、顔が見えなくてさびしいわ。だって、エレミヤ読んでると、本当に上杉さんみたいなんですもの。来週の金曜日の「5時に夢中!」に出てくるらしいので楽しみですわ。

●2マカ5章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ma&chapter=5&mode=0
 やっと5章まで来て、主人公のユダ・マカビオ(マカバイ)が出てきました。
 え、ユダが主人公なんですよね。だってマカバイ記っていうくらいですから。
 でも、ここでちょっと出てきたユダが、次に出てくるのは10章なんですよ。2マカって、マカバイ記っていう名前にもかかわらず、マカバイ(ユダ)が出てくるのは半分くらいなんです。

[614] スーちゃんが死んだ 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/22(金) 03:33:53 ここから閲覧

 さきほどタクシー乗務から帰ってきた主人が、帰るなり浴びるほど酒を飲んで、深夜だというのにキャンディーズの曲をがんがんかけながら、スーちゃんが死んだ、スーちゃんが死んだと荒れています。手がつけられません。みなさん何とか言ってやってください。
 今の若い方にとってはキャンディーズというと南海キャンディーズなのかもしれませんが、その昔70年代に一世を風靡したアイドルグループ。私は幼稚園のころなのでよく覚えてません。ピンクレディーなら振り付けの真似をしたんですけどね。そう言うと「ピンクレディーなんかと一緒にするな」と怒るんです。困ったわ。
 キャンディーズの解散コンサートの広告に「ベータマックスはキャンディーズにさよならを言わせません」なんていうのがあったんだそうで、ちょうどそのころがベータだのVHSだのビデオデッキが出始めたころ。そしていまやビデオテープなんて使命を終えたメディアですからね。まあ一つの時代が終わったってことね。昭和は遠くなりにけり、よ。

 私はなんだかよくわかりませんけど、いずれにせよ、ご冥福をお祈り申し上げます。

[613] ヨブ記37-38章(今週は西も東も聖週間) 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/21(木) 11:21:22 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=libj&book=job&chapter=37&mode=0
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=libj&book=job&chapter=38&mode=0

 エリフの非常に不毛な議論が終わった後、いよいよ本当の真打の登場、なんと御大ヤハウェさんがじきじきに登場してきます。
 しかし、不当にヨブをいじめた張本人いえいえ張本神でありながら、この開き直った言いざまはなんでしょうね。猛烈に腹が立ちますが、まだまだ話は続くみたいですから、怒るのは来週まで待ちましょう。

 なんたって、今週は聖週間ですからね。明日が聖金曜日、すなわちイエス様のご命日です。そして日曜日が復活祭です。悲しみと喜びがたてつづけにやってくる一週間、クリスチャンのテンションが一年中で一番ハイになる一週間ですから、この程度のことで怒っちゃダメなんてす。まーたヤハウェさんがバカなことを言ってると思って聞き流しましょう。
 ちなみに、東方教会はユリウス暦を使ってるせいで、復活祭の日取りが違うのが普通なんですが、去年と今年は偶然に同じです。全世界的に明日はイエス様のご命日であり、24日は復活祭ですよ。
 今年は復活祭が異様に遅いと思っていたら、理論的に4月25日が西方の復活祭の下限なんだそうですね。これよりまだ1日遅い場合があるみたいです。東方ではもっと遅い場合もあります。

[612] 詩編54-56編、2マカ4章 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/20(水) 13:36:47 ここから閲覧

●詩編54-56編
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=psa&chapter=54&mode=0
 ダビデ逃避行中の詩が2つありますね。
 54編はジブ人がチクられちゃった話ですが、引照つき聖書によればサム上23:19ないしサム上26:1に基づいているそうです。でもこの二つは明らかに別の場面。いったいどっちなのかわかりません。まあどっちでもいいんでしょう。ピンチになったときに読んでみると共感できることでしょう。8節(昔でいえば6節)の「いけにえをささげます」は「お賽銭をささげます」ないし「感謝のお祈りをします」と読み変えましょう。
 56編はサム上21:11-16。ペリシテ人に捕らえられたというのは、サウルから逃れてガテの王アキシ(ガトの王アキシュ)を頼っていったら、そこでも警戒されちゃって、狂人のふりをしてごまかして、やっとの思いで逃げたという話です。その後はどこにも逃げられず、ほら穴に逃げることになってしまいます。これもあんまり背景の話を気にせず、ピンチのときに読んでください。

●2マカ4章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ma&chapter=4&mode=0
 1マカの1章冒頭あたりで大ざっぱに書かれていた、この時代のイスラエルのギリシア化のようすがより詳しく書かれています。
 この章の悪役はシモン、ヤソン、メネラオ。シモンというのは前章に出てきた、大祭司オニヤと対立していたベニヤミン族の人物。ヤソンはオニヤの兄弟。メネラオはシモンの兄弟。イスラエルのギリシア化はギリシア人からの強制だけではなく、このような身内の裏切りによって推進されていったのだということがよくわかります。

[611] サム下10-14章 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/19(火) 11:01:47 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2sa&chapter=10&mode=0
 今回の内容はてんこもりですね。
 まずはダビデのセックススキャンダル。ヘテびと(ヒッタイト人)の軍人ウリヤの妻バテシバ(バトシェバ・ベトシェバ)の入浴シーンを見てむらむらし、呼びつけてエッチをします。妊娠したとわかるとウリヤを帰還させて偽装工作をします。ところがウリヤは、戦いの最中に女房とエッチなんかできないと言います。そこでダビデは一番危険な前線にウリヤを送って戦死させます。このとき預言者ナタンに非難されるのですが、そうしてダビデが詠んだ詩が、先週の水曜日に読んだ詩51というわけです。
 このときの子は主の怒りにふれてすぐ死んでしまいますが、再度エッチしてできたのが次の王になるソロモンです。
 それにしても、なんでセックスの直後に妊娠したってわかったのかしら。第六感が働くのかしら。私なんかいくらエッチしても子どもができないというのに、うらやましいわ。
 それから、以前[396]で書いたことですが、『聖書の人々完全ビジュアルガイド』によれば、これはバテシバが最初からたくらんでわざとダビデに見えるように入浴したってことらしいです。ホントかしら?
 で、こういう悪事をしたために神様の罰でダビデ家には争いが絶えなくなります。
 ダビデの息子アムノンは、同じくダビデの娘タマルに恋をします。えっ、近親相姦?なんて思わないでください。異母兄妹ですから(それでも近親相姦かしら)。王族って母が違うとほとんど交流もないでしょうしね。
 で、せっかくタマルとエッチができたのに、念願がかなうとアムノンはタマルを捨ててしまいます。実際にはつまらない女だったのかしら?
 これに激怒したタマルの実の兄アブサロムは、アムノンへの復讐心に燃え、2年間チャンスを待って、アムノンを殺してしまいます。
 このときダビデはアブサロムを許すのですが、やっぱりわだかまりが残るものでして、話は来週に続きます。

[610] Re[3]:絆なんてまっぴら、今こそてんでんこよ 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/18(月) 23:55:13 ここから閲覧

 日本人はさ、ただでさえ団結しようとしたがるんだから、団結だの絆だの言わなくていいの。
 むしろ、てんでんこに行動する勇気を教えなきゃ。
 それはきっと日本人が人間を信じているからなんだわ。
 この場合の人間とは、human beingの意味でもあり、中国語の人間、つまり「人の間」=世の中という意味でもあり……、人間が善なるものであり、人と人との間の和が大切であり、その上に社会を築いてきた。
 でもね、人って結局一人なのよ。死ぬのはてんでんこなんだから。
 てんでんこに神様の前で裁きを受けるのよ。
 そういう厳しい認識がないから、みんな群れたがり、みんなと同じ考えのできない人、同じ行動のできない人を排除しようとするのよ。
 みんなで団結して、みんなで間違った方向に向かってっちゃう。集団自殺するネズミみたいに。大川小学校の生徒さんたちみたいに。
 人と違うことを考えよう。人から排除された人たちが世界を変えるのよ。Think Different。私の大嫌いなAppleが言ってることばだけど、これが真実よ。

[609] Re[2]:絆なんてまっぴら、今こそてんでんこよ 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/18(月) 23:38:53 ここから閲覧

 団結が必要なのはスポーツのチームのようなきわめて少数のグループによる作業だけで、しかも精神面だけ。
 社会は、各自がてんでんこなことをしたほうがいいのよ。
 それをうまくまとめるのは、神様のお仕事。「神の見えざる手」ってアダム・スミスが言ったでしょ? 人間の能力なんて無力だから、計画経済なんてできないのよ。社会主義がダメになったのはそのせいよ。
 「買いだめするな」なんていってる人が絆なんていうのはおかしいわ。みんながいっせいに同じことをするから需要と供給のバランスが狂ってパニックになるんじゃない! ガソリンスタンド渋滞に学ばなかったの? ガソリンなんて買いだめできないのよ。車のタンクぶんしか売ってくれないんだから。一人ひとりの買う量は少なくても、みんなで買おうとしたからパニックになったのよ。
 みんながいっせいに電気を使うから計画停電しなきゃいけなくなるのよ。てんでんこに電気を使えばいいの。真夜中に仕事をするがいいわ。
 自粛なんていうのも「みんなが同じことをしようとした」弊害よね。そんなことやると経済が死ぬの。みんなが被災地のボランティアに行ったら、他の地域の経済が死ぬでしょ? ふだんどおりてんでんこなことをしてなきゃ被災地の支援だってできないでしょ?

[608] Re:絆なんてまっぴら、今こそてんでんこよ 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/18(月) 23:26:50 ここから閲覧

 [535]で書きました、TBSラジオが絆なんていうバッジを北京五輪のときに作って、中国じゃ悪い意味になるのでお蔵入りになったという話、TBSはちっともこの経験から学ばず、またぞろ「絆プロジェクト」なんてやってるようですね。
 この話、考えてみたら、中国語と日本語で意味が違う例というより、日本人が絆のもう一つの意味にあまりに無頓着ってことなんじゃないかしら。だって日本語にだって一応「馬をつないでおく綱」の意味があるみたいですから。絆っていうのは、人々を結びつけると同時に、人々の自由を奪うものなんですよ。
 「日本は一つのチームです。」「みんなでがんばりましょう」っていうACのコマーシャル、本当に気持ち悪いです。人々が団結するのって、そんなにすばらしいですか? 政治がそんなスポーツのチームのようにできるんだったら、とっくにこの世はうまく治まっているはずじゃありませんか。
 ファシズムという悪魔は、こうやって、善意の顔をして忍びよってくるのよね。

[607] 絆なんてまっぴら、今こそてんでんこよ 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/18(月) 23:04:45 ここから閲覧

 今朝、栃木県鹿沼市で、集団登校の小学生の列に大型クレーン車が突っ込んで6人も児童が死んだというニュースがありました。
 お亡くなりになった方のご冥福をお祈りいたしますが、この機会に、前々から思っていたこと、そして地震以後、考えていることを書きますわ。
 長くなるんで結論から先に言うと、表題のとおりです。最近ACのコマーシャルなどで絆だの団結だのとうるさいんでうんざりしてます。三陸のほうでは昔から「津波てんでんこ」「命てんでんこ」と言って、津波が来たらてんでんばらばらに逃げろと教えていたそうですが、津波の被害が激しかった今回の震災では、まさにこの「てんでんこ」の大切さを学ぼうではありませんか。

 そもそも、小学校の集団登校って何の意味があるんでしょう。私の小学生時代にはあんな習慣がなかったのですけど、うちの近所の学校でも集団登校ってやってるみたいですね。小学校って下校時刻は学年によってまちまちですから、少なくともうちの近所の学校では下校はてんでんこですけど、それで何か危険が増しているとはとても思えません。
 集団登校なんてしなければ、児童が6人も死んじゃうことはなかったはずです。
 これを見ると、石巻市の大川小学校の悲劇を思い出してしまいます。生徒を校庭に避難させて点呼なんていうのんびりしたことをやってたら、津波がやってきて、生徒も教師もみんなさらってっちゃった。列の後ろのほうにいた子たちは、秩序を乱しててんでんこに最短距離で高台に逃げて助かったって話です。

[606] 出エジプト記21-24章、2マカ3章 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/18(月) 12:48:29 ここから閲覧

●出エジプト記21-24章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=exo&chapter=21&mode=0
 月曜日は創世記、出エジプト記と読んできましたが、これらのジャンルって神話とかじゃなくて「律法」だったことを忘れてませんか? いよいよここからが律法らしくなります。
 と同時に、聖書を信仰の書としか思っていない方にとっては、非常につまらなくなるかもしれません。無味乾燥な法律の文章が延々と続くんですから。しかも、クリスチャンにとっては、これらの規定はもう廃止されたものであって、どーでもいいことばっかりなんですから。
 でも、イエス様を含めて、昔のユダヤ人は、このきまりにしたがって生きてきたんですよ。たとえば出22:15-16の、「処女と寝たら必ず結婚しろ。女の父親に拒否されたらカネ払え」っていうのを利用して、ルツはボアズにせまったんですよね(ルツ3)。
 そんなふうに、律法って聖書のいろんなところにかかわりがあるんで、つまらなくてもがまんしましょう。
 聖書ヲタにとってはここからが面白いのよ。律法を書き出して、こういう場合はこう、ああいう場合はああと、場合わけをした表なんか作ってみると、昔のユダヤの社会習慣がわかってとても面白いの。
 どうしてもイヤなら、律法部分を全部シカトして、たまに挿入される神話的なお話だけを読んでくっていう手もあります。今回の例でいえば、21-23章をシカトして、24章だけ読むとか。
 でも、レビ記でこれやったら、全部シカトになっちゃうでしょうけどね(笑)。

 で、今回の21-23章って、いろんな分野の律法が雑然とてんこもりになってる感じがありますけど、これは「イスラエルの民に、とりあえず一番最初に与えられた律法」という体裁になってるからです。さしあたり必要なものだけを無秩序に並べ立てたという感じです。

●2マカ3章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ma&chapter=3&mode=0
 3章から6章あたりまでは、1マカでは1章にしか相当しません。一マカ1でユダヤ人たちにふりかかった災難を、詳しく詳しく述べてるという感じです。1マカが戦記を主体とした記述とすれば、こっちはいろいろな生活上のできごとに焦点をあててるんですね。まずはエルサレムの神殿のお金が奪われそうになったのが神様の奇跡によって守られたっていう話です。

[605] 2コリ4-5章 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/17(日) 14:42:12 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2co&chapter=4&mode=0
 二コリ2:14からがA。そもそもパウロの言い回しってよくわかりにくいうえ、途中から読んでいくような形になるのでよくわかりませんでしたが、このあたりまで来るとだんだんわかってきます。
 パウロはずいぶん強い使命感で動いているようですね。旧約の律法なんかじゃなく神様の霊によって動いているんだ。目に見えるものじゃなく目に見えない神様こそが永遠なんだ。どんなに苦しくても、イエス様だって命がけでがんばったんだから、死んでもかまわない。みんなを生かすために宣教するんだってことらしいです。

[604] マルコ15-16章、2マカ2章 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/16(土) 09:33:43 ここから閲覧

●マルコ15-16章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mar&chapter=15&mode=0
 このリンクは口語訳聖書のものですけど、マコ15:2の、ピラトが「あんたはユダヤ人の王なのか」という質問へのイエス様の答え、「そのとおりである」というのは誤訳です。「(おいらは何も言ってないよ)それはあんたのセリフだよ」というのが正しい訳です。福音派御用達の新改訳も誤訳ですね。それとも福音派の教義だとそのほうが都合がいいのかしら? エホ証御用達の新世界訳「あなた自身が[そう]言っています」のほうが正しいなんて、困ったものよね。
 それはそれとして、今日でマルコはおしまいなんですが、処女懐胎説などと言う荒唐無稽な話をシカトしたリアリストのマルコは、最後までリアリストでした。16章はホントは8節まででおしまい。イエス教団婦人部のおばさんたちがイエス様の墓を見に行ったら、からっぽになってて、白い服を着た変なにいちゃんが「イエス様なら復活してガリラヤに行っちゃったって、弟子たちに伝えてくれよ」と言ったのに、おばちゃんたちは恐がって誰にも言わなかったっていう話でおしまいです。
 誰にも言わなかった話がどうして伝わってるのかという突っ込みを入れたくなりますけど、ともあれマルコは、復活したイエス様をぜんぜん描いてないんです。
 これじゃあんまりだっていうんで、後の人がいろいろ追加したのが、9節以降です。
 たぶんマルコは、本当にイエス様が復活したとは思ってなかったんでしょうね。イエス様の復活は、弟子や信者たちの心の中におこったことでしかなかった。
 でも、宗教では、実際に起こったかどうかよりも、そう信じられたかどうかが重要なんです。みんながイエス様の復活を信じて命がけで布教をはじめて短期間に新しい宗教を作っちゃったんだから、イエス様はたしかに復活したんです。

●2マカ2章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ma&chapter=2&mode=0
 ここまでが長い前置きだったというのがやっとわかるのが2章。長い前置きをしておいて「長い前置きのために物語が短くなってしまうのはつまらない」なんて、たちの悪い冗談ですわ。

[603] 真理子の世代論 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/15(金) 11:49:13 ここから閲覧

 [601]であからさまなヒントを出しましたから、もう私の言いたいことはだいたいわかりますよね?

 日清戦争って年号でいえば明治27年、日露戦争が明治37年ですから、明治20年代うまれの人たちにとっては幼年・少年時代。へたをすれば日清戦争のほうは生まれてない可能性すらありますから、これらを経験したというのは無理があります。
 で、日本人が国難に対して神業的な切り抜け方をしたのが日露戦争まで、せいぜい、朝鮮を植民地にした1910年(明治43年)ぐらいまでじゃないかしら。『坂の上の雲』なんか読むとそう思いますよね。
 このへんから考えると、明治20年代生世代(めんどくさいから三四郎世代って言いますね)vs戦後生まれ世代というウッチーの図式って、ホントにそうかしらって疑問に思うわけです。
 ウッチーは、三四郎世代は人間性の暗部を見たリアリストで、後の世代にはこういう経験をさせたくないと、虚構と知りつつ戦後民主主義を作り上げるという知恵を持った世代だなんて美化してるんですけど、三四郎世代がそんなかしこい人たちとはとても思えません。
 なにしろ、私の敬愛する大川周明先生が明治19年生まれで、ぎりぎり三四郎世代っていえると思うんですけど、もうすでに大川先生には「幕末維新を切り抜けてきた江戸時代からの地続き感」がぜんぜんありませんもの。
 もう三四郎世代はいまとあんまり変わらない。学校制度がしっかりできちゃって、大川先生も高校入試の成績があんまりよくなかったのか、第三志望の五高に行くはめになっちゃう。時代はもう「実力で修羅場をくぐりぬけてのしあがる」んじゃない「受験勉強をがんばった人が勝ち組になる受験秀才」の時代になっちゃってるんですよ。
 だいたい大川先生の文章読んでると、この時代って今とちっとも変わってなかったのねって思いますもの。
 政府と東電のやってる発表なんて大本営発表じゃない! 今ってあんまり戦前と変わらないのよ。

 私は、明治憲法を戴いた大日本帝国は、実力で修羅場をくぐりぬけてきた幕末世代の作品であって、これはそういう人たちでなきゃうまく操れない悍馬なんですよ。彼らだったらどんな難局もうまくくぐりぬけられたんです。日清・日露をくぐりぬけ朝鮮を植民地にするあたりまでが彼らのお仕事。
 そして、ウッチーの美化する三四郎世代はもう受験秀才の時代。受験秀才って、教えられたことはきちんとできるけど、前例のないこと、想定外のことには対応できないんですよ。社会制度はすでに存在するものであり、それが虚構であり崩壊してしまうかもしれないなんてことは想定できない。ウッチーの言う戦後世代の特徴って、実はウッチーの美化する三四郎世代からそうなんですよ。
 そういう受験秀才たちが、大日本帝国という悍馬をうまくあやつれず、崩壊に至ったのが、大正から昭和20年までの歴史だと思ってます。
 そして戦後民主主義も同じ。未曾有の国難だったはずの敗戦から、三四郎世代はちっとも学び取ることができず、またぞろ同じようなものを作っちゃった、もしくは成り行きでできちゃったのが戦後民主主義だと思ってます。

 そんなわけで、「リアリストの三四郎世代vsマニュアル世代の戦後生まれ」がウッチーの論なら、私の論は、「実力で修羅場をくぐりぬけた幕末世代vsマニュアル世代=その後全部の世代」なんです。
 まあ要するに、受験とか学校教育っていうのは、真の人材を育てないってことなんです。

[602] エレミヤ書27-31章 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/15(金) 11:18:57 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jer&chapter=27&mode=0
 27章最初に出てくる王様、訳によって名前が違うのでびっくりします。
 いろいろ名前が出て混乱するといけないのでユダ王国の最後の3代の王様の名前をおさらいしましょう。
  18 エホヤキム(ヨヤキム)
  19 エホヤキン(ヨヤキン)
  20 ゼデキヤ
 先週も言ったように18と19の王様の名前がとてもまぎらわしく、最後しか違わないので注意してください。
 で、結論からいうと、口語訳と新共同訳は20にしてるんですが、原文および多くの訳では18なんですね。内容的に言えば20です。たぶん前章26章の最初の王様の名前が18なんで、うっかりミスでここも18にしちゃったというのが定説です。いくら福音派(聖書には絶対誤りがないとして全部文字通り信じちゃうかたがた)でもこれは否定しません。ただ、間違いの歴史もそれはそれで重要だと思うので、勝手に訂正して知らん振りっていうのはまずいですよねぇ。

 いずれにせよ話は、20の王様です。一国の崩壊前夜の話です。
 崩壊の10年前、19の王様の時代に一回バビロンのネブカデネザルに攻められて支配者や身分の高い人々がバビロンに連れてかれちゃう「バビロン捕囚」が起こってます。バビロン捕囚って2回あるんですね。2回目で、おもだった人々がほとんど連れてかれちゃって王国が完全に滅んじゃうわけです。
 ところが29章の捕囚民に呼びかけたエレミヤの手紙、それから30-31章の預言って、第2回以降つまり王国が完全に滅びちゃってることが前提になってるみたいなんで、まぎらわしいですね。預言書ってただでさえ読みにくいのに、いろんな時代のものがうっかり(あるいは確信犯的に)ごちゃごちゃまじることがあって、本当に困ります。
 27章でエレミヤは、神様から命ぜられて、自分の首にかせをはめるというパフォーマンスをしています。単にいろいろしゃべるより自分の主張が表現できるってことでしょうか。
 28章のニセ預言者ハナンヤの対決は面白いですね。バビロン王はすぐ滅んじゃうぞというハナンヤのほうを人々は信じてしまいます。ハナンヤ自身はこの年に死んじゃいますが、だからといってみんながエレミヤを信ずるようになったわけではないという、後味の悪い結果になった対決でした。

[601] Re:内田樹さんの世代論への批判 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/14(木) 16:14:08 ここから閲覧

 ヒントを出しておきますね。

1.ウッチーのあげている「明治20年代生まれの世代」が経験したという動乱
  日清戦争、日露戦争、第一次大戦、第二次大戦、大恐慌、辛亥革命、ロシア革命
のうち、明治20年代生まれの世代が経験しているとはいいがたいものを2つあげてください。

2.1であげた2つの動乱とそれ以外の動乱とは、日本人がどう切り抜けてどういう結果になったかが、かなり違うと思います。そういうところから、私のいいたいことを推測してください。

[600] 内田樹さんの世代論への批判 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/14(木) 12:26:01 ここから閲覧

 今朝、だんなが
 「昨日お前が紹介していた内田樹の話ってなんかおかしくないか?」
って言う。私じゃないでしょ! 小島慶子さんでしょ。いくら私の声が小島さんに似てるからって。
 あんまりAMラジオを聞いてなかっただんなも、私が教えたTBSラジオ「小島慶子 キラキラ」は、声やしゃべり方や内容が私にそっくりなんだそうで、これだけは面白がって聞くようになったみたいです。私も、今までは聞いたり聞かなかったりだったんですが、地震のときの小島さんの冷静なアナウンスなど、すっかり彼女の「ますらおぶり」が好きになったので、すべて録音して保存しておくことにしました。
 昨日も日刊ゲンダイで「最近、生意気系が人気」みたいな記事で紹介してたそうですし、最近小島さんはいろんなところで話題になってますね。なお、女なのになぜ「ますらおぶり」かについては、
http://www.toshoshimbun.jp/books_newspaper/week_description.php?shinbunno=3005&syosekino=3575
なんかをごらんください。
 一時期、地域プロテクトのなかったラジコが最近また地域プロテクトをかけたみたいですけど、この番組はTBSラジオのサイトでストリーミング放送を続けるみたいなんで他の地方からも聞けますし、主要部分はMP3ファイルになってサイトに残ってるんで、他地域の方もぜひ聞いてみてください。

 で、昨日の話なんですが、オープニングで小島さんが、内田樹(うちだ・たつる。以下ウッチー)の『疲れすぎて眠れぬ夜のために』(角川文庫)の「世代論」をとりあげてました。この文章は2003年に書かれたものですけど、いまの状況にもぴたりと当てはまってるという感じで紹介なさってました。
http://podcast.tbsradio.jp/kirakira/files/20110413_op.mp3
 要旨は、戦後民主主義というのは明治20年代生まれの世代が作ったもの。夏目漱石の三四郎の世代。この世代は日清日露戦争、二つの大戦、大恐慌、辛亥革命、ロシア革命を経験し、江戸時代と地続きの幼年時代からスタートした波乱万丈の世代。貧困、苦痛、人間の尊厳の崩壊、生死の極限状況、価値観や体制の崩壊といった「人間性の暗部」を見た彼らが、後の世代にはこういう思いをさせまいと、夢・虚構であることを承知のうえでつくりあげたのが戦後民主主義なんだ。ぼくたちはこれを自然なものとして育ち、それがくつがえった経験を持たず「この社会はオレが支えなくても誰かが支えてくれる」と思ってるから、目線が近くなってしまって、決められたマニュアルだけ、自分の会社内のせまいきまりだけ守っていればいいみたいな考え方になってしまって、こんなことになっちゃったんだというわけです。
 ウッチーの書く文章って妙な説得力があるんで私も好きで、この本も持ってたんですが、こうやって紹介されてみると私もおかしいなって思いました。ときどきウッチーってヘンなことも書くのね。

 長くなるんで、これのどこがおかしいかは、宿題にしておきましょう。
 ぜひ、上でご紹介した小島さんのお話も聞いてみてください。
 今夜か明日、また続きを書きます。

[599] ヨブ記35-36章、2マカ1章 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/14(木) 11:33:37 ここから閲覧

●ヨブ記35-36章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=libj&book=job&chapter=35&mode=0
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=libj&book=job&chapter=36&mode=0
 真打登場とばかり、鳴り物入りで議論に参戦したエリフですけど、言ってることはほかの人とあんまり違いはないですよね。本当の真打は来週登場します。

●2マカ1章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ma&chapter=1&mode=0
 2マカこと第二マカバイ記(マカビー記、マカベア記)は、今まで読んできた第一の続きではありません。この時代のユダヤ人の戦いに関する別の人(不明)の本です。ただし、第一のほうはもともとヘブライ語だったろうとされています(残ってない)が、第二は最初からギリシア語だったようで、それは本日読む部分からわかります。いきなり手紙で始まるんでびっくりしますが、エジプト在住のユダヤ人に「宮潔めの祭」の由来を説明し、このお祭りは大事なんだからちゃんとやりなさいと言ってます。
 メインの話は3章から始まりますけど、歴史の事件について、「これは神様がこう考えたからこうなったんだよ」「民が悪いことをしたからこうなったんだよ」と、倫理的な原因をくどいほどにしっかり説明してるのが特徴です。そういう点でも「国外ユダヤ人」向けなんでしょうか。

[598] 詩編51-53編 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/13(水) 14:51:25 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=psa&chapter=51&mode=0
 ここからしばらくは、詩編の中でも詞書(ことばがき)がやたら長くなります。
 詞書っていうのは、私だけがそう呼んでいるんですが、歌の説明ですね。
 いま、旧約聖書のヘブライ語原典っていうと、ドイツ聖書協会から出ているBiblia Hebraica Stuttgartensia(以下BHS)を使うのが普通ですけど、BHSって、従来の聖書と節番号が違うんですよね。詩編で、詞書が長いとき、詞書を第1節として本文を第2節からはじめるんです。それから51編みたいに、詞書に第1・2節をあててしまい、本文を第3節からはじめるものもあります。そのくせ、詞書に節番号をわりあててないものもあり、このへんの扱いがまちまちでとても困ります。でも、長いものにはまかれろですよね。いまや新共同訳もBHS式ですから。
 またしばらくダビデの歌が続き、しかも詞書が長いので、ダビデのやったことをあわせて読むと理解が深まります。ちょうど今、火曜日にサムエル記下を読んでるんで、ちょうどいいですね。
 51編の、「ダビデがバテセバに通った後預言者ナタンがきた」っていうのは、サムエル記下の11章と12章を見てください。来週4/19に読みますので、ここではあえてふれないでおきます。お楽しみに。
 読むとあまりの内容にあぜんとします。ざんげすりゃいいってもんじゃないのよ、なんという鬼畜的所業>鬼畜ダビデ!
 52編の話は、サム上21:27の、ダビデがサウルに追われて逃げているときに密告されちゃった話なんですけど、あんまり本編の内容と関係ないんで、理不尽なことを言ってくる上司に雷を落とされたときに、心の中でひそかに唱える詩として読めばいいんじゃないでしょうか(笑)。
 53編って、どっかで見た気がすると思ったら、14編とほとんど同じです。それでなくても詩編の詩ってみんなワンパターンで、どっかで見た気がしますけどね。

[597] サム下5-9章、1マカ16章 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/12(火) 09:33:57 ここから閲覧

●サム下5-9章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2sa&chapter=5&mode=0
 ダビデは全イスラエルの王として即位します。
 それにしてもサウルとの並立状態だったときはペリシテ人のところに身を寄せたこともあるのに、いざ王になっちゃうと手のひらを返したようにペリシテ人と戦ってしまうなんて、ダビデもあんまりだし、必ずお前の手にペリシテ人を渡すなんていう神様も神様ですよね。
 そのくせサウルの血筋の生き残った人々にはやさしいんですよ。
 そういうのがイスラエルの民の心の琴線にふれるんでしょうか。

 ところで、6章で契約の箱を移動中にうっかりそれに触れてしまったウザを神様は即座に殺してしまうなんて、これもあんまりですよね。これ、たしか昔、ノストラダムスの大予言の五島勉さんが、契約の箱って電池だったんじゃないかという説を書いてました。
 五島勉さんって、創価学会へのおべんちゃら本も書いてますんで、アンチ創価の私はぜんぜん評価していませんけど、かつてはこの人の書いた1999年終末説って、ずいぶん信じられてたみたいですね。だんななんか当時は小学校6年生で、本気で信じてたみたいです。だんなが長らく結婚しなかったのはそのせいかもしれません。

 ついでながら、Wikipediaの「五島勉」の項で、「噂の真相」誌の記事をネタにして、創価学会が信者拡大のために終末論をひろめたうんぬんと書いている部分は、創価の内部にいた私としては信じられません。聞いたことありませんもの。
 でも、たしかに宗教団体が勢力拡大をもくろむなら、終末論を流すのが一番てっとり早いんですけどね。初期のキリスト教団もそれをやりましたし。パウロなんか本気で「生きてる間に終末が来る」なんて思ってたみたいです。
 そういえば最近は、2011年5月21日とか、2011年10月21日なんていう説が広まってるらしく、Youtubeで2011/5/21を検索するといろいろヒットしますわよ。キリスト教系のカルト教団が広めてるのかしら。真理子の主催するキリスト真理自由教会としては、公式にハッキリ否定しておきますわ。

●1マカ16章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ma&chapter=16&mode=0
 ユダヤのほうはシモンが暗殺されちゃいまして、次の世代のヨハネになります。
 なんだかずいぶん陰惨な結末、しかも尻切れトンボみたいな終わり方ですね。
 それは、ユダヤ人の戦いが終わりがなかったってことなんでしょう。
 この本の話は紀元前135年で終わってますが、ユダヤ人の王朝・ハスモン朝は、あと70年ほど続き、ローマに滅ぼされて属領になります。それからしばらくするとローマの支配のもとでヘロデ王が君臨して半独立国家となり、イエス様の時代になるわけです。

[596] 必要物資・支援要求マップ 311help.com 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/11(月) 13:23:15 ここから閲覧

 乾電池業界がせっかく被災地むけに乾電池を190万個準備しておきながら、政府の無策によって支給されてない
http://www.youtube.com/watch?v=Ah_qTMMsooA
とか、日本赤十字社経由の義援金はすぐには被災者に届かない
http://www.youtube.com/watch?v=IMEOp0WcxhI
とか、どうも私たちの支援がうまく届いていないのではという思いがあるんですが、

http://311help.com/

という、まさに「かゆいところに手が届く」サイトができたみたいです。
 各被災地が「こんなものがほしい」っていうのを書きこめるし、それを簡単に検索することができるんで、きめのこまかい支援ができそうです。
 たとえば、いま手元に鉛筆が山ほどあるんだけど、これをほしがってる地域があるのかしらと思って、ここで「鉛筆」といれると、鉛筆をほしがってる地域がグーグルマップに表示されるんで、その情報を見ながら、どうやって送ればいいかがわかるっていうしくみになってます。

[595] 選挙が終わりました 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/11(月) 12:40:47 ここから閲覧

 統一地方選挙、これから後半戦とか、被災地は延期とかあるようですが、私たち夫婦の住む地域はみんな終わりました。
 「地元横浜の話をせず東北の被災地の話ばっかりしている政党や候補者は落選してしまえ」「土曜日深夜0時ぎりぎりまで某駅前に立っていた候補者は落選してしまえ。それって違反じゃないの?」と思ってたら、見事にそういう愚か者たちが落選してくれたのでうれしいです。被災地の話も大事ですが、まずは私たちの住む地域が大事ですから。
 都知事選でNHKの当確早かったですね。8時すぎたらすぐ出しちゃうなんて。
 東京都のことは私たちの知ったことではないですし、石原さんは行動力のある人なんで、都民のみなさまの判断は尊重したいと思いますが、当選直後のパチンコ発言といい、どうもこの人はお年を召すにしたがって言動がおかしくなってますね。この方の書いた小説の内容との食い違いって何なのかしら。都民の皆様、しっかりネコの首に鈴をつけといてください。
 まあ、たとえば「花見自粛」発言をきっかけに、「自粛はやめよう」とみんな思うようになったわけだし、Youtubeじゃ「被災地岩手から「お花見」のお願い」
http://www.youtube.com/watch?v=hHucTlBohfg
http://www.youtube.com/watch?v=UY0FtSqrMBc
http://www.youtube.com/watch?v=RcKCKO8ppbA
なんていう意見をよぶ呼び水になったと思えば、石原さんの奇妙な言動も効用があるのかしら?

[594] 出エジプト記17-20章 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/11(月) 11:47:53 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=exo&chapter=20&mode=0
 20章は出エジプト記のもう一つのヤマ場。ひょっとしたら旧約聖書全体のヤマ場かもしれません。
 なにしろ、十戒をさずかったわけですから。
 ところで、十戒ってどれとどれで10なんでしょうか?
 「~ならない」という形になってるのは出20:3-17で、15節ぶんあります。節くぎりなんてどうせ後世の人が便宜的にやったことですから無視していいんですが、それだけに、区切り方がいろいろ考えられそうですね。原文には「1 2……」という番号が振られているわけではありませんし、そもそもこれが10個の「べからず集」だということさえどこにも書かれていません。
 法律の文章っていうのは、一条一文主義っていうのがありまして、一文で書かなきゃいけません。この原則を破っている重大な例として、日本国憲法第9条第2項

前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

があります。これでは、政府のある行為が9条2項違反だとして、前半に違反するのか、後半に違反するのかが不明確になります。通常であれば、「国の交戦権は」以降は、9条3項としなければいけません。
 この考え方からすると、出エジプト記20章の文章は、法律としてはまるきり失格ですよね。

 で、15節の内容を10にまとめるわけですから、このうち5節は、「そこで区切っちゃダメ」としなきゃいけません。
 内容を読むと、5、6、9、10、11節は、絶対にそこで区切れるはずがありませんよね。
 じゃ3/4-6/7/8-11/12/13/14/15/16/17で決まりじゃない!
 そう思ったら、そうではないんですね。
 カトリックとルター派は、3-6節を一気に1とし、逆に17節をむりやり「他人の妻を欲するな」と「他人のモノを欲するな」とわけるんです。
 3「おいら以外に神はない」と4-6「偶像を作るな」という話を1つにまとめちゃいたいんですね。
 この2つを1つにまとめると、「偶像はダメよ」が強調されなくなります。聖像を作るのが好きなカトリックとしてはそういう区切り方が都合がいいわけですね。逆にカルヴァン派のような厳格なプロテスタントとか、正教会なんかだと、偶像はダメっていうのを強調したいので、ここを分けるわけです。
 正教会ってイコンがいっぱいあるじゃないかって思うかもしれませんが、全部2次元でしょ? 立体はダメだけど平面は偶「像」じゃないっていうのが正教会の考えです。

 真理子の主催する「キリスト真理自由教会」は、平面画像も立体画像もOKなのに、なぜか区切り方がカルヴァン式ですね。
http://www.babelbible.net/mariko/opi.cgi?doc=tencmnd&course=church
 だって17節を2つにわけるのって不自然ですもの。
 私は「偶像=1つの見方にとらわれる」ととらえているんで、それでいいんです。

 ところで、出17の、モーセが手をあげてるときだけイスラエルが優勢になるんで、みんなでよってたかってモーセの手をささえていたっていうの、情景を想像するとマンガ的で、私いつも爆笑しちゃうんですけど。

[593] 2コリ1-3章、1マカ15章 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/10(日) 12:49:51 ここから閲覧

●2コリ1-3章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2co&chapter=1&mode=0
 日曜日に読み続けている新約聖書の手紙類。今日からは「コリント人(コリントの信徒)への第二の手紙」(以下「2コリ」)です。
 しかし、2コリは内容や文体から判断して、実は複数の書簡が複雑に編集されたものだという、きわめて説得力に満ちた学説があります。岩波から出ている新約聖書では、その説にしたがって順番が入れ替えられているほどです。それは次のとおりです。
  序=二コリ1:1-2
  A=二コリ2:14- 二コリ3 二コリ4 二コリ5 二コリ6 二コリ7:1-4
  B=二コリ10 二コリ11 二コリ12 二コリ13
  C=二コリ1:3- 二コリ2:1-13 二コリ7:5-
  D=二コリ8
  E=二コリ9
 一応ここでは、現行の順番で読んで行きますが、たえず上記のことを念頭において、いまA~Eのうちのどれか、Cみたいに分断されているものは、以前はどういう話だったか、などを明らかにしたいと思います。
 本来一つじゃなかった手紙が一つの手紙であるかのように偽装されているんで、どういうときに書かれたかなどという背景は、それぞれの部分を読んで推測するしかありません。

 まず二コリ1:1-2は、最終的に2コリを編集した人が「全体の序文」としてつけたもので、本来はそれぞれの部分にこの手の序文がついていたものと思われます。

 そして二コリ1:3- 二コリ2:1-13は「Cの前半」になります。
 パウロさんたちはずいぶんひどい迫害にあってるみたいで、そんな中でマケドニヤ行きに出発します。懸命に生きている姿がうかんできて、これはなかなか感動的です。ちょうど今みたいにたいへんな災害のあとに読むと、慰められるところです。
 なお、二コリ2:4でパウロが「多くの涙をもってあなたがたに書きおくった」という手紙が、Bであるとされています。

 それから二コリ2:14-以降、しばらくはAになります。口語訳ではいきなり「しかるに」なんていうので始まりますが無視してください。順接だか逆接だかなんだかよくわからず意味不明につかわれる「δε」(デ)をそう訳してるだけです。私なんかよく「で、」とギリシア語の発音そのままに訳したりします。
 こっちは突然にキリストを「かおり」として表現したかと思うと、「文字なんかどうでもいい。律法なんかどうでもいい。大事なのは霊なんだ」と言ってます。これだけではなんだかよくわからないので来週の分を読んで考えましょう。

●1マカ15章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ma&chapter=15&mode=0
 前章でペルシア(メデア)につかまっちゃったデモトリオの子のアンテオコスが、シモンと和睦をしつつ、勢力を回復します。するとアンテオコスはてのひらを返したようにユダヤを攻撃しはじめます。

[592] 報道管制? 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/09(土) 20:44:59 ここから閲覧

 昨日の「5時に夢中!」のゲストのフリージャーナリストの岩上安身さんが、これから官邸で重大発表があるって言ってたんですけど、どうなったのかしら?
 そういえば今日は、いままであれだけいろいろ言ってた福島第一原発の事故のようすがちっとも報道されてない気がするんですけど、ひょっとして報道管制?
 あ、こんなこと書いたら「デマを流すネットのサイト」ってことでお上から削除されちゃうかしら?

 いままでずっと私は「自粛反対」「自粛を自粛しましょう」って言ってましたけど、最近やっとマスコミもそういうようになりましたね。
 じゃ次は「無意味な節電反対」を言いましょうかしら。
 節水だったら、ともかく水を使わないことに意味があるんですけど、節電のほうは、電気の需要が下がる深夜なんかに節電してもまるっきり無意味だと思うんですけど。
 電気って風と同じ。「今日の風は強いから袋にためとこう」って袋にためて、翌朝袋をあけたらびゅうっと風が出てきて涼しいなんてことはないわけです。電気はためておけないんで、ピーク時にパンクしないように注意すれば、ふだんはそう節電しなくたっていいと思うんですけど。
 節電があまりに行き過ぎて、夜道が暗くなったりコンビニが閉店したりして深夜に女の子が安心して歩けなくなったとか、エスカレーターがとまって足の悪い方が困っていらっしゃるとか、近隣から白い目で見られていたスナックが「節電だ。夜まで営業するな」と節電を理由に営業の妨害をされるとか、いろんな話があるんですけどね。だいたいテレビが節電を呼びかけてるのがおかしいわ。テレビ局なんて絶対に節電しませんしね。深夜番組だってやってるじゃない! あ、深夜番組反対ってことじゃないですわよ。深夜は節電しなくていいんですから。

[591] 予定説は用法・用量を守って正しく服用を 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/09(土) 20:21:52 ここから閲覧

 いろいろ書きましたが、まとめると、私はマコ14:21

たしかに人の子は、自分について書いてあるとおりに去って行く。しかし、人の子を裏切るその人は、わざわいである。その人は生れなかった方が、彼のためによかったであろう。

を、次のように解釈しているのです。

 おいらが十字架にかかって死ぬのはさ、旧約聖書に書いてあるとおりなんだが、考えてみたらユダくんはかわいそうだよな。だって、おいらを裏切って、史上最大の裏切り者ってことでみんなからののしられる大悪人になることが、決まってたってわけだからさ。かわいそうに。ユダくんはこれを知ったら嘆くだろうね。「おれは最初から救われない裏切り者として創造されてたってわけか。そんな。生まれてこなけりゃよかったよ」ってさ。

 イエス様が「あいつ、おれを裏切るなんて、生まれてこなけりゃよかったぜ。ったく!」のように、自分にとってよくなかったという意味で言ったんなら、イエス様とも思えないひどいせりふってことになりますが、上のように考えれば、至極当然ですよね。
 「生まれてこなけりゃよかった」って、絶望感をあらわす定型句みたいなもんですよ。ヨブ3:3以降の「わたしの生れた日は滅びうせよ……」っていうのと同じでしょ?
 だから実は、岡野さんがこの部分を、イエス様の理不尽な言動の例として出しているのは、私は反対です。至極当然のせりふなんです。
 でも、私思いますに、ユダくんは裏切ることで自分の役目をまっとうしたわけですから、いまごろは「いやぁご苦労さま。あのときは大変だったねぇ。首つって痛かったか? まぁこっちは手にクギを打ち込まれて痛いのなんのだったんだから、かんべんしてくれよ」とかイエス様に言われながら、一緒に酒でも飲んでるんじゃないかって思うんですけど、やっぱりユダさんって救われないほうなのかしら?

 こんなふうに、すべての出来事があらかじめ神に予定されていたと考えるのを「予定説」と言います。特に、最後の審判で神様に救われる人と、救われない人とは、本人が知らないだけであらかじめ天地創造の昔にもう決まっていると考えるのが、カルヴァンの予定説です。
 神様が全知全能だとすれば、この説は至極当然、きわめて論理的に導き出せますよね。
 ところがこうなると、「じゃ、あの津波で多くの人が犠牲になったのも予定されてたのか。死んだ人はみんな罪びとだったのか」なんていう話になるので、困ってしまうわけです。

 長くなるので結論だけ書きますけど、私は、神様の救いを確信できる、希望のもてる文脈・場面だけで予定説を唱えればいいと思ってます。
 たとえば今回の災害で多くの人がお亡くなりになったのはたいへんにいたましいことですけど、つらい復興の中で人々が連帯するようになったとか、人のあたたかさを感じて希望が持てたとかいうときには「やっぱり神様っているんだわ」「これも神様の試練だったんだわ」と素直に思えるでしょう。それで希望が持てるでしょう。
 そういうふうに、希望を持つためにだけ予定説を持ち出せばいいんです。

 いま木曜日に読んでるヨブ記も、ヨブは最後の最後で救われます。ハッピーエンドで終わります。でも「じゃ第1章あたりで死んじゃったヨブの家族や召使たちはどうなるんだ。彼らには救いがないじゃないか」なんていうことを詮索しないことです。
 それと同様に、災害でおなくなりになった人がどうだったということを詮索せず、生き残った私たちが希望を持てたときに、「この災害は神様の試練だった」と思えばいいじゃないですか。

[590] マルコ13-14章 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/09(土) 10:19:56 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mar&chapter=13&mode=0
 13章は神殿崩壊の予言。14章は最後の晩餐です。
 この話自体はもうマタイで読んだので、今回は両章に共通して出てくるある言葉に着目してみましょう。その箇所をとりあえず口語訳であげておきます。

マコ13:17 その日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸である。
マコ14:21 しかし、人の子を裏切るその人は、わざわいである。その人は生れなかった方が、彼のためによかったであろう。

 上の「その日」というのは、イエス様は単に神殿崩壊のことしか想定していなかったかもしれませんが、一般には世界の終わり、最後の審判のときということになってます。体が不自由だったり誰かを介護しなければならない立場の人は、災害時には逃げ遅れちゃいますから。このご時勢、しゃれにならないわ。
 下は、最後の晩餐のときにイスカリオテのユダ(以下単にユダ)が裏切ると予言したところで、いくらなんでも「生まれなかったほうがよかった」はあんまりだ、と、[547]でご紹介した、私が強い影響を受けた本、岡野昌雄さんの『イエスはなぜわがままなのか』
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/404867188X.html
に、イエス様の理不尽な言動の例としてとりあげられています。
 これについては改めて考えますけど、そのためにはここを正確に読まねばなりませんので、今回はギリシア語を持ち出してみましょう。

 「不幸である」「わざわいである」と訳されているのは、原文では ουαι (ウーアイ。アクセントつきいギリシア語が文字化けする環境が多いのでアクセントなしでいきます)っていう語で、本来は「うーん。わーい。げげっ。げろげろ」みたいな間投詞なんですが、その直後に与格・対格・呼格の語が来ると、「~を思うと私の胸は張り裂ける」という意味になるんです。田川建三先生は『新約聖書 訳と註 1』の中で、前者を「~にとっては禍いがある、という客観的事実」、後者を「わざわいあれ、という呪い」と説明していますが、『新約聖書ギリシャ語小辞典』の織田昭先生は、わざわざ「禍あれ」ではない、と説明しています。田川ファンの私もここは織田先生の説明をとります。前者は「~はかわいそうにねぇ」、後者はそれでもいいし、「~はむかつくんだよな」でもいいし、ともかく胸が張り裂ければいいんです。

 いずれにせよイエス様は、ユダのことで胸が張り裂けそうになってます。そして「生まれなかったほうがよかった」なんて言ってます。
 ただ気をつけなきゃいけないのは、ここで「よかった」って言ってるのは、イエス様にとってではなく、ユダにとってです。イエス様にとってであれば、個人的な恨み、呪いのようにとれますので、イエス様とも思えないひどい話ってことになりますが、彼のために(アフトー。「アフトス」(彼)の与格)とありますから、ちょっと様相が変わってきます。

 長くなりそうなんでまた改めて。

[589] エレミヤ22-26章、1マカ14章 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/08(金) 12:03:52 ここから閲覧

●エレミヤ22-26章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jer&chapter=22&mode=0
 預言の部分はどうせ読んでもわからないので(笑)全部とばして、預言じゃないところだけ読んでみましょう。
 エレ24:1。バビロンの王ネブカデレザルっていうのは一般にはネブカドネザルって言われることが多いですね。ドがデになってるのは口語訳聖書や文語訳聖書のクセですけど、ネ/レっていうのはどうしたことでしょう。これ、同じ聖書の中での不統一なんですよ。検索してくれればわかりますが、レになってるのはエレミヤの21-46章だけで、他は列王記や歴代誌やエズラ記なんかでも、いや、それどころか同じエレミヤでもエレ27:6はネなんで、困ったものですわ。まあどっちもありだと思ってください。ちなみに本来のアッカド語ではナブー・クドゥリ・ウスルなんだそうで、そうするとレのほうがいいのかしらね。以下はネブちゃんと書きます(笑)。
 ネブちゃんはユダ王国をほろぼしちゃった王ですけど、一回で滅ぼしたわけじゃなく、何度も攻めてるんですね。
 今回のエホヤキム(ヨヤキム)っていうのが最後から3番目の王様で、この人はエジプトのネコという名前のファラオに擁立された人なんで親エジプト・反バビロニヤ。バビロニヤから攻められちゃっていったんは服属するんですが、反乱をおこして死んでしまいます。殺されたんだか他の理由で死んだのかはよくわかりません。そしてその子のエホヤキン(ヨヤキン)が即位したんですが、3ヶ月後にまたネブちゃんに攻められて降伏。バビロンにつれていかれます。
 これが第一回のバビロン捕囚(紀元前597年)。次は十年後、これで完全にユダ王国は滅んじゃいます。
 名前の不統一といえば、捕囚されちゃったエホヤキン(ヨヤキン)。まず、お父さんとは最後のム/ンの違いしかありません。これだけでもまぎらわしいのに、この人の名前が不統一なんですね。まず、エレ24:1では「エコニヤ(エコンヤ)」でしょ? それからエレ22:24じゃ「コニヤ(コンヤ)」でしょ? これが全部同一人物だっていうんですから、わけがわからなくなります。
 で、25-26章って、バビロンに連れていかれた最後から2番目の王エホヤキン(ヨヤキン)じゃなくて、よーく目をこらしてみると、エホヤキム(ヨヤキム)。ンじゃなくムですよ。最後から3番目の王様、つまり時代が1代前になっちゃってるんです。
 ただでさえ内容がわかりにくいのに、これじゃぜんぜんわからないわ。困ったものね。
 26章でエレミヤが預言してると祭司や他の預言者からにらまれて死刑にされかかります。なんだかイエス様の受難の情景に似てますね。ただし民衆から支持されたんで助かります。

 預言の部分はどーせ読まなくても「お前ら悪いことばかりやってるから滅びるぞ」に決まってるんですけど、考えてみれば、預言がわかりにくい理由って、そもそも私たちが警告を受け入れる耳を持たないからじゃないかしら。「原発は危ないぞ」って何度言われても、スリーマイル、チェルノブイリ、東海村……こんなに事故が起こっても、他人事だと思ってたんですものね。
 ちょっと、あまりに長くなるんで、この話は別の機会にまわしますわ。

●1マカ14章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ma&chapter=14&mode=0
 最初の3節で、デメトリオ王がメデヤに捕らえられちゃう話がありますが、この話は次章には続くものの、この章ではとりあえずここで終わってしまい、次に続きません(A)。
 前章でヨナタンが死んでシモンがあとをついだ話がありましたが、そのシモンをたたえる詩が載ったあと(B)、スパルタから友好条約の更新の手紙がきます(C)。
 シモンはまたローマとも同盟を結びます(D)。
 民はシモンをたたえる碑を作ります(E)。
 なんだかごちゃごちゃしてますよね。編集がなってませんね。私だったら、C-D-E-B-Aみたいな順序にしますのに。みなさんもそういう順番で読んでください。

[588] ケセン語の山浦先生は無事みたい 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/07(木) 22:01:07 ここから閲覧

 ふと思い立って、Yahooの安否情報で
http://japan.person-finder.appspot.com/query?role=seek
ケセン語の山浦玄嗣先生のお名前を入れてみたところ、ちゃんと生きておられるみたいですね。
 あんまり野次馬でぜんぜん関係ない方のお名前を探すのはあんまりいいことではないかもしれませんが、山浦先生のお住まいの大船渡はかなり激しく被災したようですからね。
 本当にご無事でしたらなによりです。

 ケセン語っていうのは山浦先生の造語で、大船渡の方言のことです。山浦先生がケセン語で4福音書を翻訳して、CDつきの本として出版しています。
マタイ http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4901602020.html
マルコ http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4901602047.html
ルカ http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4901602063.html
ヨハネ http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4901602071.html
 これは実は本の画像を修道会モードでアップしてありますけど、ぜひCDをお聴きになることをおすすめします。だいたいわかります。山浦先生は演劇もやってるみたいで、迫真の朗読ですから。
 目下のところ4福音書だけでおしまいなんでしょうけど、ぜひ他の新約の本や旧約もやってくれるとうれしいわ。さしあたり使徒、創世記あたりはぜひお願いしたいです。