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真理子の聖書日記


このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
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[433] 出エジプト記29-32章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/30(月) 08:26:18 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=exo&chapter=29&mode=0
 昨年度の記事は[0:630]
 29章。神様はアロンの子孫を祭司に任命します。以後、祭司はレビ族でありかつアロンの家系から出るようになります。特に最高の地位である大祭司は、原則としてアロンの子のエレアザル(エルアザル)の家系に限定されます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%A5%AD%E5%8F%B8
に歴代の大祭司がまとまっているので見てください(うちでもそのうちまとめようかしら)。たまに例外があるものの原則としてずっとアロン・エレアザルの家系で行くんですが、この重大な例外がマカバイ記の時代、ハスモン朝でのこと。それから新約時代のヘロデの王朝の時代です。なお、ヘブライ人への手紙は、イエスを大祭司としたいために、創世記の時代はメルキゼデクという人が大祭司でうんぬんかんぬんと、異邦人であるわれわれにはどーでもいい話を延々としていますが、アロン・エレアザルの家系以外から大祭司が出るというのは、どこかの馬の骨が天皇になるとか、市川団十郎を襲名するとかいうような感じで、猛烈に違和感があることなのです。
 30章は祭壇の話。31章は安息日の話。
 で、32章がいよいよ、金の牛の像を作っちゃった話になります。民がじれったくなってアロンに迫って作らせちゃうんですね。怒り狂ったモーセは牛の像ばかりかせっかく神様からいただいた律法の板を投げて砕いてしまいます。この不祥事で民は三千人死にますが、アロンはなぜかお咎めなし。
 ちなみに、実際のところは、金の牛の像は後の時代、北王国の初代の王ヤラベアム(ヤロブアム)1世が作っておがませたものです( 王上12:28)。エルサレムの神殿は南王国がとっちゃいましたから北王国はそれにかわるものとして金の牛の像を作ったわけですね。後に北王国のほうが早く滅んじゃいますが、後の時代の歴史家は、北が滅んだ理由を金の牛の像をつくったことだとしています。この話を出エジプト記にもいれちゃったのが32章なんですね。だからヤラベアムの時代の人たちは出エジプト記を知りません。少なくともこういう神話を知りません。もし知ってたら、わざわざそんなまがまがしい像を作ったりするはずがありません。あくまで32章は、後の時代、たぶんバビロン捕囚後に作られた神話なんです。このことは間違えないようにしっかり覚えておきましょう。

[432] モーサヤ書28章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/29(日) 05:24:49 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=28&mode=0
 通読計画では異教コースとしてモルモン経とクルアーンを読んでいます。私は別にモルモン教徒でもイスラム教徒でもありませんが、聖書を発展させた宗教書を読むことで、クリスチャンとしての自分の立場を相対化し客観視する訓練になると思っています。聖書にこんな変な物語を付け加えやがってと憤慨する人は、新約聖書だってユダヤ教徒から見ればそう見えるっていうことに気づきましょう。だからといって私たちはやっぱり新約聖書を大事にしますけど、それはそれとして、自分たちを相対化、客観視する訓練も必要だってことです。

 さて、モルモン経になじみのない人のために、日曜日はいままでのあらすじから入ります。
 紀元前600年ユダ王国滅亡直前、王国の滅亡を予言したリーハイは迫害されてエルサレムを脱出、一族もろとも新大陸アメリカに移ります。リーハイの死後、それまでもちょくちょく対立してきた長男レーマン(悪玉)と四男ニーファイ(善玉)の対立が激化。ニーファイらは別の地に住みます。ところがニーファイの子孫も堕落、モーサヤが脱出してゼラヘムラに逃れます。ベニヤミン王の治世を経て、息子モーサヤ(おじいさんと同名)はかつてのニーファイを探検すべく、アンモンらを遣わします。ニーファイ人のリムハイ王に謁見したアンモンは、ニーファイ人がレーマン人の奴隷になっている事実を知らされます。
 リムハイ王のおじいさんゼニフはレーマン人と戦い、ニーファイの支配権を得ますが、次のノア王が悪い王様。そこで預言者アビナダイがノア王をいさめますがノア王は彼を火あぶりにしてしまいます。このとき祭司アルマはノア王に反対して逃亡、辺境地帯で独自の宗教社会を作りますが、ノア王の追跡のためみんなで荒野に逃げてそれっきり行方知れずになります。
 一方ノア王は民の反乱とレーマン人の侵入により失脚、民によって処刑されます。
 で、リムハイ王の治世になって彼等はレーマン人の奴隷になった。ここにアンモン探検隊が来たわけです。
 リムハイ王は民と一緒にこの町を捨て、アンモンについてゼラヘムラに行き、ここで一緒に住むようになります。一方アルマ一行もゼラヘムラに行き、ここにめでたく、ニーファイ人のうちの宗教的に正しい人々のグループがすべてゼラヘムラに集まるようになります。
 ところが次の世代になると早くも堕落。モーサヤ王の息子たちも、アルマの息子アルマJrも神を信じません。ところが天使がやってきてアルマJrは改心し、人々に神の道を説くようになります。
 ここまでが今までのあらすじ。

 さて、改心したモーサヤの息子たちは、悪玉レーマン人のところに行って宣教したいと思うようになります。これが許可されて彼等はレーマン人のところに宣教に行きます。
 一方、リムハイ王の人々が荒野で発見していたけど解読できなかった金版が、ついに例の翻訳機(なにしろモルモン経自体が、この翻訳機の力で英訳されて世に出たんですから)の力で翻訳されました。その内容は後に書かれるらしいです。

[431] 3イミ20章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/29(日) 05:12:07 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=3ic&chapter=20&mode=0
 3イミというのはイミタチオ(キリストにならいて)の第3巻。この本は聖書じゃありませんけど、昔から聖書と並んでよく読まれた本で、この通読では外典と一緒に読んでいます。
 今回は自分の徹底的な弱さを神に告白しています。こういう気持ちになると自然と祈りの心が生まれます。自分にたよらず、へりくだり、すべてを神により頼むことです。

[430] 2コリ9-10章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/29(日) 05:08:48 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2co&chapter=9&mode=0
 昨年度の記事は[0:629]。また2コリの5つの手紙の区分については[388]もご覧ください。
 今日のところは、9章が単独のE。10章からBの開始、これが最後までです。
 9章。カネを出せカネを!少ししか出さないと恵みも少し、多く出せば恵みもいっぱいだ、と献金に発破をかけるパウロ。いつの時代も変わらないのね。
 10章。 二コリ2:4で「多くの涙をもってあなたがたに書きおくった」という手紙がこのBだといわれています。私たちは肉にあって歩いてはいる、というのは、物質的なことだと思えばいいでしょう。たとえば9章にあるようにカネ出せカネ出せっていうことです。神のための戦いもかすみを食って戦うわけにはいかず、さまざまな物質的なことが必要になります。そういうことを言うパウロはいろいろ批判されるのですが、あなただって私だってみんなキリストに属するものだ、自分を誇るな、主を誇れ、と言い返しているのです。

[429] クルアーン40回 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/28(土) 22:40:14 コメントする ここから閲覧

 クル-40回。9章64-92節。ここも疲れたわ。ずっとワンパターンなんだもの。ごめん、今日は気が乗らない。

[428] 1イミ20章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/28(土) 22:38:13 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ic&chapter=20&mode=0
 やたらに長かったんですけど、長さ以上に翻訳の気が乗りませんでした。
 孤独と沈黙を愛せっていう話は、修道士にとってはいいのかもしれませんけど、一般人にはつらいわ。宗教って、人とのつながりが大事だっていうところがありますからね。

[427] ルカ3-4章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/28(土) 22:33:47 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=luk&chapter=3&mode=0
 昨年度の記事は[0:627]
 今日は寝坊したりいろんな雑事があったりして聖書日記を書くのが夜になってしまいました。もうツィッターへのツィートはナシにしますが一応書くだけ書きます。
 それからさきほど、このCGIを書き換えて、各記事のヘッダー右に「ここから閲覧」をつけました。検索をしたときに、その記事だけでなく、その前後の記事を読みたいときに活用してください。前後といっても、圧倒的に「この記事以後」が読みたいと思いますので、クリックするとこの記事を一番下にして、PCでは30発言、携帯では2発言が表示されます。あとは適宜「より新しい投稿」「より古い投稿」でスクロールしてください。

 さて、昨年も系図の話をちらっと書きました。マタイとルカで系図が違うっていう話ですね。私は聖書なんかちっとも信じてないんで、どうせ捏造くらいにしか思わないんですけど、聖書無謬説にとっては重大問題で、よく言われるのは、ルカはイエスの母方の系図だっていう強弁ですね。
 ところがこの系統に属する説明で、回復訳聖書のマタイのところにつけられた説明が、なんとも人をうならせる説明なんで、紹介しておきます。ネットでも読めます。
http://recoveryversion.jp/read_List.php?f_BookNo=40&f_ChapterNo=1
の、「A.王の系図と職務」のそれぞれのフットノートを読んでください。ポイントとなるところだけマタイとルカの系図を引用すると……

[マタイ]ダビデ→ソロモン→…→エコニヤ(エコンヤ)→…→ヤコブ→ヨセフ→イエス
[ルカ]ダビデ→ナタン→…→ヘリ→ヨセフ→イエス

 まず、ヘリの実際の子はマリヤなのです。じゃなんでルカがヘリ→ヨセフと記したか。ヘリには娘マリヤしかいなかったんでこのままじゃ跡継ぎがなくなる。こんなときは 民27:1-8民36:1-12の規定によって嗣業(家の土地や財産)を娘に嗣がせるんですが、同時に同じ部族の男子と結婚させて、部族の嗣業を分散させないようにするわけです。
 このことがあったので、ルカはヘリ→ヨセフと記したっていうんですね。
 それからマタイの系図の中のエコニヤ(エコンヤ)が大問題。
 この人、王様なんですが、聖書ではいろんな名前で出てきます。めんどくさいので以下はマタイのエコニヤでいきますね。
 まず正式な名はエホヤキン(ヨヤキン)。ユダ王国の最後から2番目の王で、3ヶ月間だけ王位について、カルデヤ(新バビロニア)の王ネブカデネザルによって捕囚されます。第一次バビロン捕囚です。
 で、エコニヤはエレミヤ書ではコニヤ(コンヤ)と呼ばれているんですが エレ22:30によれば、「この人を、子なき人として、またその一生のうち、栄えることのない人として記録せよ。その子孫のうち、ひとりも栄えて、ダビデの位にすわり、ユダを治めるものが再び起らないからである」、つまりこいつの家系に生まれた人は王位につけないっていう神様の呪いがかけられているんですね! これ自体は、捕囚されちゃって代がとだえちゃうっていうだけの話だと思うんですが、ここからの回復訳さんの解釈がスゴい!
 つまり、ヨセフはエコニヤの呪われた家系なんで、イエス様が普通に生まれちゃったらイエス様はメシアになれないわけです。そこでイエス様は、ダビデのもう一方の家系であるマリヤの子孫でなければいけない。ヨセフはマリヤと結婚することによってキリストとの関係が持てるっていうことなんですね。
 ダビデから発する二つの系統がイエス様において一つになる。
 いやあ、まいりました。マタイを読んでて、長々と系図があるのに、イエス様はヨセフの子じゃないなんて、じゃその系図はいったい何だったのかって思っちゃうわけなんですが、そういう深い話があるとは思いませんでした。
 ところで、 マタ1:17に「アブラハム~ダビデが14代、ダビデ~バビロン捕囚が14代、バビロン捕囚~イエスが14代」と書いてますが、実際に数えてみると、14(先頭含む)、14(先頭除く)、13(先頭除く)となります。同一人を重複してもいいっていうなら、14、15、14ですね。これもどうも、まんなかをバビロン捕囚されたエコニヤを除けば14、14、14になる!と強弁するみたいです。

[426] クルアーン39回 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/27(金) 10:37:21 コメントする ここから閲覧

 クル-39回。9章34-63節。
 このあたり延々と、イスラム誕生期に起こった実際の戦いの話で、さぼった人への呪いが書かれていて、単調ですね。
 イスラム暦では1、7、11、12月を聖月(神聖月)と言って一切の戦闘を禁止しています。
http://www2.dokidoki.ne.jp/racket/isuramu_reki.html
ここにもあるように、この規定が今日読む クル9:36なんですね。

[425] バルク書1章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/27(金) 10:32:58 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=bar&chapter=1&mode=0
 昨年度の記事は[0:900]
 金曜日の外典は今日からバルク書。バルクとはエレ32などに出てくるエレミヤの秘書。
 時代は今日エレミヤ書で読んだエルサレム陥落の5年目。「あの月の七日」とはたぶんエルサレムが陥落した5月(ユダヤ暦のアブ月。以下同。王下25:8)。ただし エレ52:12によれば5月10日です。ちなみにその後のAD70のユダヤ戦争でエルサレムが陥落したのは5月9日。つくづく似たようなときに陥落するものですね。現在では神殿破壊記念日は5月9日ということになり、哀歌が読まれます([0:672])。
 エコニヤというのはエレミヤ書ではコニヤ、列王記ではエホヤキンと呼ばれている、第一次バビロン捕囚で連れていかれた先代の王、彼をはじめとした民の前でバルクは以下の本を読みます。みんなで金を集めて、エルサレムに残っている人に、このお金でささげものをして祈ってくれという手紙です。われわれは罪を犯したのでこういう捕囚の身になってしまったと、罪を悔いています。

[424] エレミヤ書37-41章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/27(金) 10:13:54 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jer&chapter=37&mode=0
 昨年度の記事は[0:626]
 前回([403])とばした32-33章も含めて読みましょう。ただしできるだけ出来事の順に並べ替えます。
 37章。ユダ王国はゼデキヤが即位。エホヤキムの子コニヤとありますが、 王下24列王記などではエホヤキン。18.エホヤキム→19.エホヤキン→20.ゼデキヤなんですね。
http://www.babelbible.net/mariko/bib.cgi?doc=kings&course=bib
エホヤキムはカネデヤ(新バビロニア)のネブカデネザルに隷属していたんですが無謀にも叛旗をひるがえします。ところが王は急死、そのあと立ったエホヤキンは三ヶ月で鎮圧され王と民はバビロンに連れて行かれます(第一次バビロン捕囚)、ユダ王国はからくも独立を許され、ネブカデネザルによってゼデキヤが擁立されたのです。これがBC597年。ゼデキヤの治世はちょうど10年、最初の年を含めて11年です。
 いわばゼデキヤ政権はカルデヤの傀儡政権みたいなものでして、その下で「カルデヤはそのうち本当にユダ王国を滅ぼすぞ」と預言するエレミヤはとっても危ない存在。そこで彼は投獄されてしまいます。でもゼデキヤ自身は気になって人を遣わし、エレミヤの意見を求めます。エレミヤも、釈放されるとかえって命が危ないので、獄中にとどまります。
 38章。王の家臣たちはエレミヤの言葉を聞いて、エレミヤを殺せと進言、ゼデキヤは拒みますが、より劣悪な環境、泥いっぱいの井戸の中に投げ込みます。その後エチオピア人の宦官エベデメレクの進言でエレミヤは救われ、ふたたび王宮の庭に閉じ込められます。
 39章。王の9年10月、ついにエルサレムの一角が破れます。実際のエルサレムの陥落は2節にあように11年4月ですから、1年以上持ちこたえたわけですね。39章はまだまだ続きますがここで話をいったん終えまして32章に戻ります。
 32章。王の10年。監禁中のエレミヤはベニヤミンの地アナトテにあるいとこの畑を買い取ります。つまり王国の滅亡と民の捕囚は一時的なもので、やがてはこの地に戻れるってことですね。ちなみにここでエレミヤの子分バルクが登場。今日から読む外典コースのバルク書のバルクです。
 33章も監禁下で預言されたもの。やっぱりやがてはユダとエルサレムは回復すると言ってます。この2章は「慰めの書」と呼ばれます。
 で、39章2節に戻ります。エルサレムはついに陥落、王は目をつぶされ、大部分の民と一緒にエルサレムに連行されます。これが第二次バビロン捕囚ですね。貧しい民だけエルサレムに残ります。侍衛の長ネブザラダンというのがいわばマッカーサー役で戦後処理をしてるんですね。王の命令もあってエレミヤは釈放されます。
 40章。当初エレミヤはバビロンに連行されるはずでしたが、マッカーサー役のネブザラダンによって釈放されます。ユダ王国は滅亡しましたが総督としてゲダリヤが立てられます。ゲダリヤはカルデヤの支配化で平和を求めようとします。王家のイシマエルらはゲダリヤのところに来ます。彼はアンモン王の密命によってゲダリヤ暗殺を企てているとの情報もありますが、ゲダリヤは信用せず彼を生かします。
 41章。イシマエルはついにミヅバで反乱を企て、ゲダリヤを殺し、一緒にいたユダヤ人やカルデヤ人兵士なども殺し、たまたまやってきた巡礼者も殺します。そして王家の娘たちなどを捕虜にしてアンモンに逃れようとします。彼はやっぱりアンモンの後ろ盾があったんですね。
 ところがヨハナンがイシマエルに戦いを挑みます。イシマエルは捕虜を捨てて8人の者だけ連れてアンモンに逃げます。捕虜はヨハナンの側につきます。ヨハナンはエジプトを頼ろうとします。イシマエルがゲダリヤ総督を殺しちゃったので、カルデヤ人の報復がこっちに向けられるかもしれませんから。
 さて、この続きはどうなるか、来週のお楽しみ。

 ところで41章3節に「ユダヤ人」という言葉が出てきますね。普通はユダヤ人というのは エズ4:12で初めて使われるとされてますが、ここに相当する 王下25:25にも使われています。もっとも翻訳によっては「ユダ(族)の人々」みたいにも書かれたりします。後になるとイスラエルの民は実質ユダ族だけになっちゃうんで、ユダ族=ユダヤ人ってことになるわけなんですが、 エレ41:3王下25:25は、微妙ですが「ユダヤ人」という言葉の最初の例としてもいいかもしれません。

[423] モーサヤ書27章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/26(木) 11:21:10 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=27&mode=0
 子供たちの世代が神を信じなくなり、教会員をひどく迫害するようになったので、政教分離をきめこんでいたモーサヤ王もついに重い腰を上げ、教会員を迫害するのを禁じます。
 ところがなんと、モーサヤ王の息子も、そして祭司アルマの息子(同じくアルマなので以後はアルマJrと書きます)も、神を信じなくなっちゃうんですね。
 ここで神様の使いが現れて、アルマJrをさとします。アルマJrはすっかり改心して神を信じない人たちに神の道を宣教するようになります。

[422] ユディト記6章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/26(木) 11:15:37 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jdt&chapter=6&mode=0
 昨年度の記事は[0:451]
 ユダヤ人おそるべしという警告の報告をしたアンモン人アキオルはみんなからブーイングの嵐。オロペルネス(ホロフェルネス)も激怒しますが、からくも死刑を免れ、ベトゥリアに追放されます。ベトゥリアに陣取っていたユダヤ人にアキオルは会議の様子を通報します。
 ところでユダヤ人と書きましたが、一応時代設定としてはアッスリヤ(アッシリア)時代で、オロペルネスも2節ではアキオルに「エフライム族の回し者よ」なんて言ってます。ベトゥリアに陣取っていた人たちもシメオン族。つまりみんな北の部族なんですよね。前にも書いたようにユディト記は時代設定をぐちゃぐちゃにしています。オロペルネスの親分ネブカデネザルは新バビロニア(カルデヤ)の王で、攻めたのは南のユダ王国。このときは北はとっくに滅んでいて、南王国のユダ、ベニヤミン族(それから祭司担当のレビ族)以外は北の部族で消滅しちゃってるはずなんですが、それをわざわざ、アッスリヤが北王国を攻めた時代に強引に持ってっています。北の代表部族はエフライムなんで、もし南北の滅ぶ順番が逆だったら、いまごろユダヤ人は(ユダ族に由来する)ユダヤ人ではなく、エフライム族に由来してエフライム人と呼ばれていたことでしょう。「エフライム族の回し者よ」っていうのは、単にエフライム族っていうだけではなく、イスラエルの民全体を表わす言い方として使われています。

[421] ヨブ記39-40章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/26(木) 11:00:17 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=job&chapter=39&mode=0
 昨年度の記事は[0:623]
 オレは偉いんだぞという神様の演説は続きます。ヨブ40:1-5で一度ヨブは「まいりました」と降参してるんですが、その後も神様の演説が続く。このあたり編集がよくないですね。神様の演説をひとところにまとめちゃうか、40章1-5節ではヨブに愚痴らせればよかったのに。今までもいろいろヨブ記の編集のおかしなところがありました([274]参照)。けっこうヨブ記はよみにくいです。
 神様の演説がおもしろくないので、今日はヨブ記を下敷きにした映画を2つ紹介します。どれも昨年公開された映画。
 一つは『シリアスマン』。これは露骨にヨブ記をコメディーじたてにしたもので、主人公は大学の物理学者。やっぱり次々と不幸に襲われる。主人公はユダヤ人でしかも熱心なユダヤ教徒で、ラビに相談したりするんだけど要領を得ない。これ以上はネタバレになりますので書きませんが、随所にヨブ記に相当するアイテムが出てきます。ネタバレがかまわなければ、ナドレックさんの解説が鋭いのでお読みください。
公式サイト http://ddp-movie.jp/seriousman/index.html
ナドレックさんの解説 http://movieandtv.blog85.fc2.com/blog-entry-258.html
 もう一つは『ツリー・オブ・ライフ』。こちらは昨年のカンヌ映画祭のパルムドールを獲得した映画。ストーリーはヨブ記とは関係ないですが、途中にかなり長く挿入されている大自然と生命のつながりのシーンがとても宗教的で謎に満ちています。
公式サイト http://disney-studio.jp/movies/tree-life/
ナドレックさんの解説 http://movieandtv.blog85.fc2.com/blog-entry-264.html
 『シリアスマン』は神様登場より前、『ツリー・オブ・ライフ』は神様登場以後を下敷きにしているので、両方見ると現代の『ヨブ記』を見ることができます。

[420] モーサヤ書26章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/25(水) 12:05:14 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=26&mode=0
 ゼラヘムラの新生ニーファイ人たちにもやっぱりこの問題が起こりました。そう、若者が信仰をしないんですよね。
 この問題はどこでも起こりますね。そもそも私たち夫婦は二人とも親の信仰・創価学会を捨ててしまいましたわ。
 今私たちの行ってる教会も、牧師先生は娘をクリスチャンにできてないし、女性会で集まるとみんな「息子娘が信仰をしてくれない」って愚痴ですからね。みんなそうなんですよ。
 新生ニーファイ人たちの話に戻ります。若者たちは信仰をしないばかりか、教会で紛争を起こしたり、人々に悪事をそそのかしたり、もう大変。宗教指導者アルマも、この問題にはてこずって王のところに悪者たちを連れていきますが、モーサヤ王はわれ関せず。政教一致国家のくせにこういうときだけ政教分離しちゃうのね。
 困ったアルマは神様に祈りますと、神様からのお告げ。長いので結論だけ言うと、「どんどん裁け」です。そのみことばのとおりアルマはどんどん裁き、どうしても悔い改めない奴は除名。教会はおだやかになりますが、教会に属さない人からは迫害を受けるなど、さらにひと波乱ありそうな予感です。

[419] 2マカ4章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/25(水) 11:48:53 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ma&chapter=4&mode=0
 昨年度の記事は[0:612]
 前章で大祭司オニヤと対立していたベニヤミン族のシモンは、またもオニヤを落としいれようとして人々の前で悪口を言います。民はまんまと乗せられてオニヤを殺そうとまでするので、オニヤは事態を打開しようとしてセレウコス朝シリアの王との関係を強化します。
 王が交替、アンテオコス・エピパネスの時代になります。1マカのときに言いましたけどエピパネスって現人神って意味です。この王様がユダヤの生活をギリシャ化しようとしてマカビー(マカバイ)戦争が起こったわけですよね。
 では大祭司はというとオニヤの兄弟ヤソンになっていますが、王にカネを払って大祭司の地位を手に入れたほどですので、王のギリシャ化政策に抵抗するどころか手を貸してしまいます。
 ところがヤソンの天下も長く続きません。シモンの兄弟メネラオが金で大祭司職を手にし、ヤソンを追放。ところがメネラオは王へのカネを払わないばかりか、兄弟のルシマコスと一緒に神殿の宝を持ち出して売り払うなど悪事を繰り返します。これを非難した先代大祭司オニヤを邪魔に思ったメネラオは、王の代理のアンデロニコをそそのかしてオニヤを殺させてしまいます。このアンデロニコはすぐに処刑されてしまいますが、メネラオの悪事はやまず、大祭司職にとどまり、兄弟のルシマコスに民を弾圧させ、暴虐の限りを尽くしています。

[418] 詩編57-59編 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/25(水) 11:30:20 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=psa&chapter=57&mode=0
 昨年度の記事は[0:620]
 今回は3つとも苦難のときの祈り。しかもうち2編は、ダビデがサウルに追われているときに詠んだということになってます。しかしサムエル記を見てもぴったりした話はありません。もともと詩編の詩というのは、ダビデと無関係に作られたものが、後からダビデ作ということになったわけで、ダビデの最大のピンチといえばサウルに追われたとき、次がアブサロムとの戦いなので、苦難の詩はそのどっちかのときに詠まれたってことにされることが多いのです。

●57編
 苦難の中にありながら、8節(7節)の「わたしの心は定まりました。わたしの心は定まりました」という繰り返しが光ります。ピンチのときには気持ちをしっかりしてひたすら神により頼むことです。
 9節(8節)は口語訳では「しののめを呼びさまします」とあります。しののめは東雲と書いて暁、曙。つまり夜明けの光のことですね。他の訳では黎明とか暁とか曙とかになっています。口語訳が一番わかりにくいですね。きれいな言葉ではありますけど。東京だと江東区にりんかい線の駅で東雲というのがあるからちょっとは馴染みがあります。もともと日本では古代に篠竹を編んで明かりとりの窓を作っていたので、「篠の目」から朝の光がもれるということで、朝とか明けるとかいう語の枕言葉になって、そこから朝という意味にも使われるようになった言葉です。
 さて、Youtubeのほうではいくつか面白いのがありました。
 アングリカンつまり聖公会の合唱

(http://www.youtube.com/watch?v=g2_dMmu5PzI)
 それからこれは詳細がまったくわからないんですけどヒンディー語で歌ってます。列車内から撮ったという景色もたぶんインドの大地でしょう。

(http://www.youtube.com/watch?v=WEErbR9KwuA)

●58編
 不正なことをしてくる権力者と戦うような感じの詩です。後半の呪いが生々しいですけど、詩編ではよくあることですよね。怒りを強調したと思えばいいんです。

●59編
 悪事をたくらむ敵から私を守ってくださいという祈りですが、後半はやっぱり呪いになります。しかも12節(11節)では「彼らを殺さないでください」とあって、あれれ敵を愛しているのかしらと思ったら、14節(13節)では「滅ぼしてください」ですよね。つまり敵は思い切り高ぶらせて傲慢が頂点に達したところで一網打尽に滅ぼすっていうのが一番効果的だってことなんです。
 Youtubeではヘビーメタルバージョンというのを見つけました。生意気そうな男の子がかわいい。

(http://www.youtube.com/watch?v=ripdeDq666M)

[417] モーサヤ書25章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/24(火) 12:16:48 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=25&mode=0
 冒頭、ゼラヘムラにやってきた人たちがミュレクの子孫だとありますが、そんな話はここで始めて出てきます。ゼラヘムラを人々が発見した話は 1。モーサヤが見つけたとあります。ここらへん、JスミスJrさん(教祖様)、ちょっとつじつまが合いませんよ。
 ともあれ堕落したニーファイの子孫のうち、ゼラヘムラ移住組、リムハイ王たち、アルマたちがゼラヘムラに集合して、みんなまとめてニーファイ人ってことになりました。
 JスミスJrさんは固有名詞を考えるのがめんどくさいのか、だいたい民族の始祖名、町名、歴代王名がみんな同じになることが多いです。そのほうが私たちもわかりやすいですけどね。悪玉はレーマン、善玉はニーファイ、これがシンプルでいいですわ。
 さて、新装出発したニーファイ人たちはアルマを祭司にして宗教都市国家を作り、みんなでバプテスマを受け、教会を7つも立ててみんな教会に入りました。その後どうなるかは次章以降です。

[416] シラ書20章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/24(火) 12:08:58 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=20&mode=0
 昨年度の記事は[0:814]
 言葉に関することわざがいっぱい載ってます。昨年も書きましたが、1節「叱るより黙っていたほうがよい」2節「はっきり叱ったほうがいい」と逆の関係になっているものもあり、状況に応じていろいろ活用できます。5節-11節は「~もあれば…もある」と、ちょうど反対の関係になるものを並べてますものね。
 4節「暴力に訴えて正義をおこなおうとする者は、処女を奪おうとする宦官のようなものである」。宦官は去勢されているのでセックスできないので「不可能」ってことなんでしょうが、なんでも中国の宦官はけっこう性欲が残っている人が多くて女を囲っていたりする例もあったそうな。女体の神秘という言葉がありますが、男体も神秘よね。

[415] サムエル記下15-19章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/24(火) 12:01:55 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2sa&chapter=15&mode=0
 昨年度の記事は[0:619]
 15章。裁判のために王宮を訪問する人一人ひとりをアブサロムは王宮の門のところでつかまえて、私ならもっとうまく裁くと宣伝し、イスラエル各部族の心を得ます。こうして4年たち、アブサロムはヘブロンで叛旗をひるがえします。形勢不利と見たダビデは側女たちを残して都落ちします。ほとんどの部族がアブサロムにつく中、ガテのイッタイはダビデとともに逃げます。しかし大人数で逃げるのは不利。ダビデは祭司ザドク、アビヤタルをエルサレムに残します。またダビデに従おうとする親友ホシャイをわざとアブサロム側につかせます。アブサロムには頭のいいアヒトベルがついているので、信頼できる人をアブサロム側につかせてスパイになってもらおうというわけです。
 16章。ダビデの逃避行の途中。メピボセテというのはサウル王の足の不自由な孫でした。そのしもべのヂバはダビデに食料を持ってきます。一方サウル家のシメイはダビデを呪ってぼこぼこ石を投げつけます。ダビデの部下アビシャイは怒りますが、ダビデは屈辱に耐えながら逃げていきます。
 エルサレムを手にしたアブサロムは、ホシャイが自分のほうにつくのを不審がりますが受け入れます。アブサロムの腹心アヒトベルは、ダビデの側女たちをみんなの見ている前でセックスしてしまいます。あ、セックスの行為自体は見えないところでやったかもしれませんけどね。これでアブサロムの天下になったことを示すわけですね。なんというか、逆親子丼といいますか……。
 17章。アブサロムは今後の戦いについてアヒトベルとホシャイの意見を聞きます。アヒトベルは積極策、ホシャイは消極策を進言、アブサロムはホシャイのほうを聞いちゃうんですね。ところがホシャイはダビデに通じているのです。祭司ザドク、アビヤタルを経由してダビデに情報を流します。2人の祭司→下女→ヨナタンとアヒマアズというルートで情報は流れますが、密告があって下女がヨナタンとアヒマアズを井戸に隠すなんてこともおきます。一方、自分の策が受け入れられなかったアヒトベルは実家に戻って自殺します。
 18章。ダビデの反撃が始まりますが、なんとアブサロムはろばに乗っているとき、ろばがかしの木の下を通ったため頭がひっかかって宙ぶらりん。ダビデ側のヨアブに討ち取られます。戦いながらもダビデが実はアブサロムを深く愛していることを知っているヨアブは伝令を遅らせようとします。その意をくんだ伝令アヒマアズは、先につかわしたクシ人を追い越してダビデのところに到着、アブサロムがどうなったかわからないとわざとウソを報告して時間かせぎをします。
 19章。それでもクシ人が来てアブサロムの死を報告。王があまりに嘆き悲しむので、見かねたヨアブが苦言を呈します。いろいろ戦後処理をし、16章でダビデを辱めたシメイも許すなどして国が治まります。

[414] モーサヤ書24章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/23(月) 14:54:25 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=24&mode=0
 アルマって覚えてますよね。ノア王の暴政を逃れた祭司アルマとその民です。いろんな経緯があって、悪玉レーマン人に支配されています。一方ノア王の祭司たちはアミュロンと呼ばれ(本来は町の名ですが彼等のグループもそう呼びます)、レーマン人に加担してアルマを支配しています。支配するというより苦しめてます。神に祈ってると殺すとか。
 そこで神様はアルマに脱出を指示、レーマン人をぐっすり眠らせて、その隙に逃げ、ゼラエムラ(善玉ニーファイ人の正しい後継者たちの住む町)に移ります。
 かくて、リムハイ王もゼラヘムラに、アルマたちもゼラヘムラに集合しました。
 善玉ニーファイ人の子孫も堕落していったんですが、正しい人たちがモーサヤの系統、リムハイの系統、アルマの系統でした。ここへ来て正しい人たちがみんな集合したことになります。

[413] ソロモンの詩篇6篇 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/23(月) 14:45:07 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=pss&chapter=6&mode=0
 今日のは短くて読むのがラク。私も訳すのがラクだったわ。
 いつも神を呼び求めましょう。そういう人が救われるのです。
 さしあたりはここにもあるように朝目覚めてすぐに祈るのがいいんでしょうけど、朝はばたばたしてるから大変なのよね。ついつい忘れちゃう。
 だから夜寝る前がいいかしら。いや、夜は酒飲んじゃうから祈れなくなっちゃう。
 祈りの時を持つっていうのは実はけっこう難しかったりする。

[412] 出エジプト記25-28章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/23(月) 14:36:57 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=exo&chapter=25&mode=0
 昨年度の記事は[0:618]
 契約の箱(25章)、幕屋(26章)、祭壇(27章)、祭服(28章)の作り方が延々と書いてあります。このあたりから聖書は人を選ぶようになるのよ。聖書をいのちのことば、信仰の源泉、魂の救済みたいにしかとらえてない人は、このあたりから読むのをやめてしまう。
 以前ご紹介した榎本保郎『ちいろば牧師の一日一章』
http://shop-kyobunkwan.com/4264029376.html
旧約聖書を一章一章、一切省略せずに説教ネタにしているというほとんど苦行のような労作。この本で今日みたいなところをどう料理してるかってものすごく興味があります。たとえば25章は「箱が純金で覆われたように私たちの信仰も純金で覆われねばならない」とか、かなり悪あがきしています。いや、これ茶化しじゃなくほめ言葉です。私もこうやって毎日毎日、通読計画にしたがって聖書の内容をまとめてるけど、本当に気が乗らない内容のところがいくつもありますからね。
 こういうところは、絵を描いてみることをおすすめします。聖書を読みながら絵を描いていく。ネットで検索するとか、フラ訳、バルバロ新訳、岩波みたいに絵のいっぱい入った翻訳だとその答えが載ってることがありますから、そういうのと照らし合わせてみると楽しいと思います。
 それはそれとして、もともとのユダヤ教が幕屋の宗教、つまり聖所が移動式であって、一つのところにでんとでっかい建物を建てるなんて発想とは無縁だってことは強調しておきましょう。後の時代になると、エルサレムに神殿が建てられて、毎年一回はエルサレムに詣でなきゃいけないなんて無茶なこと言ったりする(でもイスラム教徒だって一生に一回はマッカに行かなきゃいけないらしいから、似たような発想ね)。でもそれは後の時代の発想であり、エルサレムを拠点にしてそこに神殿を立てて宗教を利用して王権の強化につとめたダビデ・ソロモン王朝のイデオロギーに過ぎないってことです。
 イエス様の暴れん坊将軍事件(ふつうは「宮清め」という。 マコ11:15-18など)は、さすがのイエス様も狂ったかと思うほど、解釈の困難な事件ですけど、神殿っていうのが本来のユダヤ教のあり方とは違うんだっていう主張だったかもしれないって思うようになりました。
 エルサレムに詣でないときのユダヤ人は会堂をたてて安息日なんかにお祈りするようになったし、ユダヤ人が国外に出るようになってからはそれが常態になったわけですけど、これがわたしたちキリスト教会の形にも受け継がれているわけです。祈りの場所とその形は、時代とともに変化する部分と、昔のものを受け継いでる部分とがあるんです。

[411] モーサヤ書23章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/22(日) 07:05:57 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=23&mode=0
 紀元前600年ユダ王国滅亡直前、王国の滅亡を予言したリーハイは迫害されてエルサレムを脱出、一族もろとも新大陸アメリカに移ります。リーハイの死後、それまでもちょくちょく対立してきた長男レーマン(悪玉)と四男ニーファイ(善玉)の対立が激化。ニーファイらは別の地に住みます。ところがニーファイの子孫も堕落、モーサヤが脱出してゼラヘムラに逃れます。ベニヤミン王の治世を経て、息子モーサヤ(おじいさんと同名)はかつてのニーファイを探検すべく、アンモンらを遣わします。ニーファイ人のリムハイ王に謁見したアンモンは、ニーファイ人がレーマン人の奴隷になっている事実を知らされます。
 リムハイ王のおじいさんゼニフはレーマン人と戦い、ニーファイの支配権を得ますが、次のノア王が悪い王様。そこで預言者アビナダイがノア王をいさめますがノア王は彼を火あぶりにしてしまいます。このとき祭司アルマはノア王に反対して逃亡、辺境地帯で独自の宗教社会を作りますが、ノア王の追跡のためみんなで荒野に逃げてそれっきり行方知れずになります。
 一方ノア王は民の反乱とレーマン人の侵入により失脚、民によって処刑されます。
 で、リムハイ王の治世になって彼等はレーマン人の奴隷になった。ここにアンモン探検隊が来たわけです。
 リムハイ王は民と一緒にこの町を捨て、アンモンについてゼラヘムラに行き、ここで一緒に住むようになります。ここまでが今までのあらすじ。

 さて、アルマ一行は荒野の中のオアシスに定住、ヒーラムと名づけます。ここにもレーマン人が攻めて来ますが和睦を結んで事なきを得ます。
 一方、ノア王が逃亡したときに一緒に逃亡した祭司たちがいました。彼等がレーマン人の娘をかどわかすものだから誤解したレーマン人がリムハイ王を攻めたなんてこともありました。この祭司たちも行方知れずだったんですが、やはり荒野の別の町アミュロンというところに住んでいました。彼等もレーマン人に見つかりますが、レーマンの娘たちはすっかりこの祭司たちの奥さんになっていましたから、許されてレーマン人に加わります。
 そのレーマン人+アミュロンの祭司たちが、アルマ一行の住むヒーラムを見つけちゃうんですね。かくてヒーラムはレーマン人とアミュロンに支配されるようになってしまいます。

[410] 3イミ19章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/22(日) 07:03:19 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=3ic&chapter=19&mode=0
 信仰生活をしていると、いや、普通の生活をしていても、いろんな人からいろんなことをされたり言われたりするものです。いやなことも多いでしょう。それらすべてを神の試練だと思って忍耐せよと言ってます。立派な人からこちらの欠点を指摘されたというなら、こちらも反省する気になりますが、変なやつから不当なことを言われたときは怒りが爆発しそうです。でもどちらも同じ。耐えれば耐えるほど神様からのポイントがもらえ、最終的にはこちらのトクになるんです。そう思ってがまんしましょう。

[409] 2コリ6-8章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/22(日) 07:01:15 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2co&chapter=6&mode=0
 昨年度の記事は[0:617]。また2コリの5つの手紙の区分については[388]もご覧ください。
 今日のところは、7章4節までがA、7章残りがC、8章がDです。
 Aは、われわれは旧約の律法つまり文字に仕えるのではなく新しい契約つまり霊に仕えるものであり、そういうわれわれは新しく造られた者であり、そういう新しいわれわれの姿を見せることが宣教であると言っていました。
 冒頭 二コリ6:1は口語訳聖書だと誤解しそうですが、「恵みを無駄に受けるな」というのは「恵みを受けてはダメ」なのではなく「受けた恵みを無駄にするな」ということです。伝統的にこういう誤解を招きやすい訳文なんですが(新改訳なんかもそう)、塚本先生は「あなた達は神のこの恩恵を受け取って(実を結ばせ)、むだにしないようにせよ。」とわかりやすく訳しています。
 そんなわけで神の恵みをしっかり受けて、どんな迫害や苦難にも負けずに自分の立派な姿を見せろと言っているんです。
 そして異端や異教を避けて清く生きろといってAを結びます。
 C。 マケドニヤ到着というのは使20:2に対応しますので、それ以前に起こった災難というのは 使19に書いているエペソでの迫害のことなんでしょう。
http://www.asahi-net.or.jp/~zm4m-ootk/pauronenpyou.html
もご覧ください。ほうほうの体でマケドニヤに到着したとき、忠実な弟子テトスがやってきてほっとしたという話です。
 Dは、そのマケドニヤでは献金が行われている、感心感心。コリントの人たちもやりなさいと言ってます。こんなことをパウロはほかのところで言っておらず、異質な感じを与えるのが、8章を独立した手紙と考える根拠になっています。

[408] クルアーン38回 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/21(土) 18:01:07 コメントする ここから閲覧

 クル-38回。9章1-33節。
 クルアーン各章は「みんなを愛してくださる恵み深いおかた、主なる神の名によって」で始まります。アラビア語では「びすみっらーひ、らふまーに、らひーむ」といい、冒頭の子音だけBSMLをとって、バスマラなんて言ったりしますが、実はこの章だけはそれがないんです。
 え、そんなことないって? 実は日本ムスリム協会の三田訳とか、岩波の井筒訳では、単に抜けているんだろうというので補っちゃってるんです。ばべるばいぶるでアラビア語を表示してくれれば、この章だけないのがわかるでしょう。もっともイスラム諸国で出版されているアラビア語のクルアーンでは補っている場合があります。
 なんでこの章だけないのかというのは、たぶん本来は前章の続きだったんじゃないでしょうか。内容的にも異教徒との戦いの話が続いてますし。

 ちなみにバスマラは、井筒訳では「慈悲深く慈愛あまねきアッラーの御名において」と訳されているので、一般にはその形で有名ですけど、これは意図的な誤訳です。本当は「慈愛あまねく慈悲深き」なんです。井筒先生自身が『コーランを読む』(岩波書店)の中で白状してます。そっちのほうが語呂がいいから変えたと。
 井筒訳はとっても口調がいいので読んでて面白いんですが、あれは全部井筒マジックです。最近は『ふしぎなキリスト教』という間違いだらけの本がベストセラーになってて困るんですが、キリスト教はまだ詳しい人がいるんであれが間違いだらけだとわかる。でもクルアーンのほうは実質的に一般人が入手できる訳は井筒訳しかないし、畑違いの学者がクルアーンを引用するときは井筒訳なんで、間違いが蔓延したままになっています。実に困ったことです。クルアーンはできる限り三田訳で読みましょう。「真理子のおまけ」も通読計画にしたがって順次作っていきますが、井筒訳の害を取り除くことになればと思っています。

[407] 1イミ19章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/21(土) 17:44:44 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ic&chapter=19&mode=0
 修道士たちのつとめをいろいろ書いていますが、3節にあるように、毎日毎日日課としてやっていることをずっと続けるのが大事であり、人を助ける(兄弟というのはキリスト教業界用語で信徒仲間のことです)とかやむをえないことのためならともかく、怠慢でサボるのは大変な罪悪だと言ってます。このあたりは私は耳が痛いです。私にとっての日課はこの「真理子の聖書日記」を書くこと。今日もサボって夕方5時になってしまい、もうやめようとかという誘惑にかられています。いや、誰も読んでいなくても、続けることが大事なんです。

[406] ルカ1-2章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/21(土) 17:39:38 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=luk&chapter=1&mode=0
 昨年度の記事は[0:616]
 今日からルカ福音書が始まります。4つの福音書では一番美しいと人気のある本です。ちゃんとイエス様の誕生の伝説も載っていますからクリスマスをするにも都合がいいです。福音書で最初に読むといいんじゃないでしょうか。もっとも人によっては、ヨハネ福音書のほうがスキだなんていう人もいますけど、好き嫌いを別にして、一番わかりやすく地雷の少ないのがルカだと思います。マタイなんか最初の系図がすでに地雷ですから。
 それと、ルカを最初に読むのがいいのは、ルカには使徒言行録という続編があって、パウロの話まで一気に読めるからです。聖書はルカ→使徒と読んで、適当なパウロの書簡、私は一番最初に書かれたとされる1テサがいいと思いますが、それを読んでから、いろいろ広げていくのがよさそうです。
 ルカの最初は有名な話がてんこもりで、何を書いていいか迷いますが、2章25-35章のシメオンの話をしましょう。
 シメオン老人が嬰児イエスを抱いて言った祈り、29-32節は、Nunc dimittisといって、カトリックの礼拝で唱えられますし、私の属するルター派でも唱えます。
 で、そのあとマリヤに言うことばがちょっと読みにくいのですが、
  1 イエスは多くの人を倒れさせる
  2 イエスは多くの人を立ち上がらせる
  3 イエスは人々から反対される
  4 マリヤも悲しむ
  5 多くの人の心の思いが現れるため
というわけです。つまり、イエスを救いとして信仰に入る人もいれば、つまずく人もいるというわけです。そして3は十字架の死を意味し、それによってお母さんも悲しむだろうという話が入ります。イエス様は鏡のように、人の心を映すのです。よい人のよい心、悪い人の悪い心が現れてくるのです。この言葉は後の受難の伏線になるわけですけど、必ずしもイエスは万人の救いになるわけではなく、反対する人も多いというわけですから、少々意外な言葉に聞こえます。

[405] クルアーン37回 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/20(金) 11:25:26 コメントする ここから閲覧

 クル-37回。8章41-75節(最後まで)。
 この章全体が、ムハンマドの生きていた時代に実際に起こった戦いの話をふまえているので、今の私たちにはぴんと来ないところがあります。戦争の話は生活上のさまざまな困難に置き換えて読みましょう。
 65節と66節は、最初は1人で敵10人と対戦しなければならなかったのが、神様がもっと簡単に、1人で敵2人と対戦するくらいにしてくれたのです。けんめいに神に祈れば、たぶん神様は私たちの苦労を軽くしてくれることでしょう。

[404] 知恵の書19章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/20(金) 11:05:57 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=wis&chapter=19&mode=0
 昨年度の記事は[0:729]
 知恵の書は今日でおしまいです。
 このところずっと出エジプトの話をしていました。出エジプトは旧約聖書における神の救いの最大の事件です。知恵というのはイスラエルの民が神様に対してもっていたさまざまなイメージのうち、女性的なイメージがギリシャの知恵の女神などと混交したもので、実質的に神と同義語です。
 知恵の書は11章あたりまでは「知恵」が主語になっていて、まるで知恵の女神がいるようでしたが、だんだん神様が主語になってきて、19章最後では「主よ」というふつうの聖書で見慣れた形になっています。あれ、知恵の話はどこへ行ってしまったんだろうという感じです。でも知恵の書は最後まで知恵が人々を救済するととってもいいし、神が救済するととってもいい、どっちにしろ同じなのです。