[ばべるばいぶる]

真理子の聖書日記


このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
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[415] サムエル記下15-19章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/24(火) 12:01:55 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2sa&chapter=15&mode=0
 昨年度の記事は[0:619]
 15章。裁判のために王宮を訪問する人一人ひとりをアブサロムは王宮の門のところでつかまえて、私ならもっとうまく裁くと宣伝し、イスラエル各部族の心を得ます。こうして4年たち、アブサロムはヘブロンで叛旗をひるがえします。形勢不利と見たダビデは側女たちを残して都落ちします。ほとんどの部族がアブサロムにつく中、ガテのイッタイはダビデとともに逃げます。しかし大人数で逃げるのは不利。ダビデは祭司ザドク、アビヤタルをエルサレムに残します。またダビデに従おうとする親友ホシャイをわざとアブサロム側につかせます。アブサロムには頭のいいアヒトベルがついているので、信頼できる人をアブサロム側につかせてスパイになってもらおうというわけです。
 16章。ダビデの逃避行の途中。メピボセテというのはサウル王の足の不自由な孫でした。そのしもべのヂバはダビデに食料を持ってきます。一方サウル家のシメイはダビデを呪ってぼこぼこ石を投げつけます。ダビデの部下アビシャイは怒りますが、ダビデは屈辱に耐えながら逃げていきます。
 エルサレムを手にしたアブサロムは、ホシャイが自分のほうにつくのを不審がりますが受け入れます。アブサロムの腹心アヒトベルは、ダビデの側女たちをみんなの見ている前でセックスしてしまいます。あ、セックスの行為自体は見えないところでやったかもしれませんけどね。これでアブサロムの天下になったことを示すわけですね。なんというか、逆親子丼といいますか……。
 17章。アブサロムは今後の戦いについてアヒトベルとホシャイの意見を聞きます。アヒトベルは積極策、ホシャイは消極策を進言、アブサロムはホシャイのほうを聞いちゃうんですね。ところがホシャイはダビデに通じているのです。祭司ザドク、アビヤタルを経由してダビデに情報を流します。2人の祭司→下女→ヨナタンとアヒマアズというルートで情報は流れますが、密告があって下女がヨナタンとアヒマアズを井戸に隠すなんてこともおきます。一方、自分の策が受け入れられなかったアヒトベルは実家に戻って自殺します。
 18章。ダビデの反撃が始まりますが、なんとアブサロムはろばに乗っているとき、ろばがかしの木の下を通ったため頭がひっかかって宙ぶらりん。ダビデ側のヨアブに討ち取られます。戦いながらもダビデが実はアブサロムを深く愛していることを知っているヨアブは伝令を遅らせようとします。その意をくんだ伝令アヒマアズは、先につかわしたクシ人を追い越してダビデのところに到着、アブサロムがどうなったかわからないとわざとウソを報告して時間かせぎをします。
 19章。それでもクシ人が来てアブサロムの死を報告。王があまりに嘆き悲しむので、見かねたヨアブが苦言を呈します。いろいろ戦後処理をし、16章でダビデを辱めたシメイも許すなどして国が治まります。

[414] モーサヤ書24章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/23(月) 14:54:25 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=24&mode=0
 アルマって覚えてますよね。ノア王の暴政を逃れた祭司アルマとその民です。いろんな経緯があって、悪玉レーマン人に支配されています。一方ノア王の祭司たちはアミュロンと呼ばれ(本来は町の名ですが彼等のグループもそう呼びます)、レーマン人に加担してアルマを支配しています。支配するというより苦しめてます。神に祈ってると殺すとか。
 そこで神様はアルマに脱出を指示、レーマン人をぐっすり眠らせて、その隙に逃げ、ゼラエムラ(善玉ニーファイ人の正しい後継者たちの住む町)に移ります。
 かくて、リムハイ王もゼラヘムラに、アルマたちもゼラヘムラに集合しました。
 善玉ニーファイ人の子孫も堕落していったんですが、正しい人たちがモーサヤの系統、リムハイの系統、アルマの系統でした。ここへ来て正しい人たちがみんな集合したことになります。

[413] ソロモンの詩篇6篇 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/23(月) 14:45:07 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=pss&chapter=6&mode=0
 今日のは短くて読むのがラク。私も訳すのがラクだったわ。
 いつも神を呼び求めましょう。そういう人が救われるのです。
 さしあたりはここにもあるように朝目覚めてすぐに祈るのがいいんでしょうけど、朝はばたばたしてるから大変なのよね。ついつい忘れちゃう。
 だから夜寝る前がいいかしら。いや、夜は酒飲んじゃうから祈れなくなっちゃう。
 祈りの時を持つっていうのは実はけっこう難しかったりする。

[412] 出エジプト記25-28章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/23(月) 14:36:57 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=exo&chapter=25&mode=0
 昨年度の記事は[0:618]
 契約の箱(25章)、幕屋(26章)、祭壇(27章)、祭服(28章)の作り方が延々と書いてあります。このあたりから聖書は人を選ぶようになるのよ。聖書をいのちのことば、信仰の源泉、魂の救済みたいにしかとらえてない人は、このあたりから読むのをやめてしまう。
 以前ご紹介した榎本保郎『ちいろば牧師の一日一章』
http://shop-kyobunkwan.com/4264029376.html
旧約聖書を一章一章、一切省略せずに説教ネタにしているというほとんど苦行のような労作。この本で今日みたいなところをどう料理してるかってものすごく興味があります。たとえば25章は「箱が純金で覆われたように私たちの信仰も純金で覆われねばならない」とか、かなり悪あがきしています。いや、これ茶化しじゃなくほめ言葉です。私もこうやって毎日毎日、通読計画にしたがって聖書の内容をまとめてるけど、本当に気が乗らない内容のところがいくつもありますからね。
 こういうところは、絵を描いてみることをおすすめします。聖書を読みながら絵を描いていく。ネットで検索するとか、フラ訳、バルバロ新訳、岩波みたいに絵のいっぱい入った翻訳だとその答えが載ってることがありますから、そういうのと照らし合わせてみると楽しいと思います。
 それはそれとして、もともとのユダヤ教が幕屋の宗教、つまり聖所が移動式であって、一つのところにでんとでっかい建物を建てるなんて発想とは無縁だってことは強調しておきましょう。後の時代になると、エルサレムに神殿が建てられて、毎年一回はエルサレムに詣でなきゃいけないなんて無茶なこと言ったりする(でもイスラム教徒だって一生に一回はマッカに行かなきゃいけないらしいから、似たような発想ね)。でもそれは後の時代の発想であり、エルサレムを拠点にしてそこに神殿を立てて宗教を利用して王権の強化につとめたダビデ・ソロモン王朝のイデオロギーに過ぎないってことです。
 イエス様の暴れん坊将軍事件(ふつうは「宮清め」という。 マコ11:15-18など)は、さすがのイエス様も狂ったかと思うほど、解釈の困難な事件ですけど、神殿っていうのが本来のユダヤ教のあり方とは違うんだっていう主張だったかもしれないって思うようになりました。
 エルサレムに詣でないときのユダヤ人は会堂をたてて安息日なんかにお祈りするようになったし、ユダヤ人が国外に出るようになってからはそれが常態になったわけですけど、これがわたしたちキリスト教会の形にも受け継がれているわけです。祈りの場所とその形は、時代とともに変化する部分と、昔のものを受け継いでる部分とがあるんです。

[411] モーサヤ書23章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/22(日) 07:05:57 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=23&mode=0
 紀元前600年ユダ王国滅亡直前、王国の滅亡を予言したリーハイは迫害されてエルサレムを脱出、一族もろとも新大陸アメリカに移ります。リーハイの死後、それまでもちょくちょく対立してきた長男レーマン(悪玉)と四男ニーファイ(善玉)の対立が激化。ニーファイらは別の地に住みます。ところがニーファイの子孫も堕落、モーサヤが脱出してゼラヘムラに逃れます。ベニヤミン王の治世を経て、息子モーサヤ(おじいさんと同名)はかつてのニーファイを探検すべく、アンモンらを遣わします。ニーファイ人のリムハイ王に謁見したアンモンは、ニーファイ人がレーマン人の奴隷になっている事実を知らされます。
 リムハイ王のおじいさんゼニフはレーマン人と戦い、ニーファイの支配権を得ますが、次のノア王が悪い王様。そこで預言者アビナダイがノア王をいさめますがノア王は彼を火あぶりにしてしまいます。このとき祭司アルマはノア王に反対して逃亡、辺境地帯で独自の宗教社会を作りますが、ノア王の追跡のためみんなで荒野に逃げてそれっきり行方知れずになります。
 一方ノア王は民の反乱とレーマン人の侵入により失脚、民によって処刑されます。
 で、リムハイ王の治世になって彼等はレーマン人の奴隷になった。ここにアンモン探検隊が来たわけです。
 リムハイ王は民と一緒にこの町を捨て、アンモンについてゼラヘムラに行き、ここで一緒に住むようになります。ここまでが今までのあらすじ。

 さて、アルマ一行は荒野の中のオアシスに定住、ヒーラムと名づけます。ここにもレーマン人が攻めて来ますが和睦を結んで事なきを得ます。
 一方、ノア王が逃亡したときに一緒に逃亡した祭司たちがいました。彼等がレーマン人の娘をかどわかすものだから誤解したレーマン人がリムハイ王を攻めたなんてこともありました。この祭司たちも行方知れずだったんですが、やはり荒野の別の町アミュロンというところに住んでいました。彼等もレーマン人に見つかりますが、レーマンの娘たちはすっかりこの祭司たちの奥さんになっていましたから、許されてレーマン人に加わります。
 そのレーマン人+アミュロンの祭司たちが、アルマ一行の住むヒーラムを見つけちゃうんですね。かくてヒーラムはレーマン人とアミュロンに支配されるようになってしまいます。

[410] 3イミ19章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/22(日) 07:03:19 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=3ic&chapter=19&mode=0
 信仰生活をしていると、いや、普通の生活をしていても、いろんな人からいろんなことをされたり言われたりするものです。いやなことも多いでしょう。それらすべてを神の試練だと思って忍耐せよと言ってます。立派な人からこちらの欠点を指摘されたというなら、こちらも反省する気になりますが、変なやつから不当なことを言われたときは怒りが爆発しそうです。でもどちらも同じ。耐えれば耐えるほど神様からのポイントがもらえ、最終的にはこちらのトクになるんです。そう思ってがまんしましょう。

[409] 2コリ6-8章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/22(日) 07:01:15 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2co&chapter=6&mode=0
 昨年度の記事は[0:617]。また2コリの5つの手紙の区分については[388]もご覧ください。
 今日のところは、7章4節までがA、7章残りがC、8章がDです。
 Aは、われわれは旧約の律法つまり文字に仕えるのではなく新しい契約つまり霊に仕えるものであり、そういうわれわれは新しく造られた者であり、そういう新しいわれわれの姿を見せることが宣教であると言っていました。
 冒頭 二コリ6:1は口語訳聖書だと誤解しそうですが、「恵みを無駄に受けるな」というのは「恵みを受けてはダメ」なのではなく「受けた恵みを無駄にするな」ということです。伝統的にこういう誤解を招きやすい訳文なんですが(新改訳なんかもそう)、塚本先生は「あなた達は神のこの恩恵を受け取って(実を結ばせ)、むだにしないようにせよ。」とわかりやすく訳しています。
 そんなわけで神の恵みをしっかり受けて、どんな迫害や苦難にも負けずに自分の立派な姿を見せろと言っているんです。
 そして異端や異教を避けて清く生きろといってAを結びます。
 C。 マケドニヤ到着というのは使20:2に対応しますので、それ以前に起こった災難というのは 使19に書いているエペソでの迫害のことなんでしょう。
http://www.asahi-net.or.jp/~zm4m-ootk/pauronenpyou.html
もご覧ください。ほうほうの体でマケドニヤに到着したとき、忠実な弟子テトスがやってきてほっとしたという話です。
 Dは、そのマケドニヤでは献金が行われている、感心感心。コリントの人たちもやりなさいと言ってます。こんなことをパウロはほかのところで言っておらず、異質な感じを与えるのが、8章を独立した手紙と考える根拠になっています。

[408] クルアーン38回 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/21(土) 18:01:07 コメントする ここから閲覧

 クル-38回。9章1-33節。
 クルアーン各章は「みんなを愛してくださる恵み深いおかた、主なる神の名によって」で始まります。アラビア語では「びすみっらーひ、らふまーに、らひーむ」といい、冒頭の子音だけBSMLをとって、バスマラなんて言ったりしますが、実はこの章だけはそれがないんです。
 え、そんなことないって? 実は日本ムスリム協会の三田訳とか、岩波の井筒訳では、単に抜けているんだろうというので補っちゃってるんです。ばべるばいぶるでアラビア語を表示してくれれば、この章だけないのがわかるでしょう。もっともイスラム諸国で出版されているアラビア語のクルアーンでは補っている場合があります。
 なんでこの章だけないのかというのは、たぶん本来は前章の続きだったんじゃないでしょうか。内容的にも異教徒との戦いの話が続いてますし。

 ちなみにバスマラは、井筒訳では「慈悲深く慈愛あまねきアッラーの御名において」と訳されているので、一般にはその形で有名ですけど、これは意図的な誤訳です。本当は「慈愛あまねく慈悲深き」なんです。井筒先生自身が『コーランを読む』(岩波書店)の中で白状してます。そっちのほうが語呂がいいから変えたと。
 井筒訳はとっても口調がいいので読んでて面白いんですが、あれは全部井筒マジックです。最近は『ふしぎなキリスト教』という間違いだらけの本がベストセラーになってて困るんですが、キリスト教はまだ詳しい人がいるんであれが間違いだらけだとわかる。でもクルアーンのほうは実質的に一般人が入手できる訳は井筒訳しかないし、畑違いの学者がクルアーンを引用するときは井筒訳なんで、間違いが蔓延したままになっています。実に困ったことです。クルアーンはできる限り三田訳で読みましょう。「真理子のおまけ」も通読計画にしたがって順次作っていきますが、井筒訳の害を取り除くことになればと思っています。

[407] 1イミ19章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/21(土) 17:44:44 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ic&chapter=19&mode=0
 修道士たちのつとめをいろいろ書いていますが、3節にあるように、毎日毎日日課としてやっていることをずっと続けるのが大事であり、人を助ける(兄弟というのはキリスト教業界用語で信徒仲間のことです)とかやむをえないことのためならともかく、怠慢でサボるのは大変な罪悪だと言ってます。このあたりは私は耳が痛いです。私にとっての日課はこの「真理子の聖書日記」を書くこと。今日もサボって夕方5時になってしまい、もうやめようとかという誘惑にかられています。いや、誰も読んでいなくても、続けることが大事なんです。

[406] ルカ1-2章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/21(土) 17:39:38 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=luk&chapter=1&mode=0
 昨年度の記事は[0:616]
 今日からルカ福音書が始まります。4つの福音書では一番美しいと人気のある本です。ちゃんとイエス様の誕生の伝説も載っていますからクリスマスをするにも都合がいいです。福音書で最初に読むといいんじゃないでしょうか。もっとも人によっては、ヨハネ福音書のほうがスキだなんていう人もいますけど、好き嫌いを別にして、一番わかりやすく地雷の少ないのがルカだと思います。マタイなんか最初の系図がすでに地雷ですから。
 それと、ルカを最初に読むのがいいのは、ルカには使徒言行録という続編があって、パウロの話まで一気に読めるからです。聖書はルカ→使徒と読んで、適当なパウロの書簡、私は一番最初に書かれたとされる1テサがいいと思いますが、それを読んでから、いろいろ広げていくのがよさそうです。
 ルカの最初は有名な話がてんこもりで、何を書いていいか迷いますが、2章25-35章のシメオンの話をしましょう。
 シメオン老人が嬰児イエスを抱いて言った祈り、29-32節は、Nunc dimittisといって、カトリックの礼拝で唱えられますし、私の属するルター派でも唱えます。
 で、そのあとマリヤに言うことばがちょっと読みにくいのですが、
  1 イエスは多くの人を倒れさせる
  2 イエスは多くの人を立ち上がらせる
  3 イエスは人々から反対される
  4 マリヤも悲しむ
  5 多くの人の心の思いが現れるため
というわけです。つまり、イエスを救いとして信仰に入る人もいれば、つまずく人もいるというわけです。そして3は十字架の死を意味し、それによってお母さんも悲しむだろうという話が入ります。イエス様は鏡のように、人の心を映すのです。よい人のよい心、悪い人の悪い心が現れてくるのです。この言葉は後の受難の伏線になるわけですけど、必ずしもイエスは万人の救いになるわけではなく、反対する人も多いというわけですから、少々意外な言葉に聞こえます。

[405] クルアーン37回 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/20(金) 11:25:26 コメントする ここから閲覧

 クル-37回。8章41-75節(最後まで)。
 この章全体が、ムハンマドの生きていた時代に実際に起こった戦いの話をふまえているので、今の私たちにはぴんと来ないところがあります。戦争の話は生活上のさまざまな困難に置き換えて読みましょう。
 65節と66節は、最初は1人で敵10人と対戦しなければならなかったのが、神様がもっと簡単に、1人で敵2人と対戦するくらいにしてくれたのです。けんめいに神に祈れば、たぶん神様は私たちの苦労を軽くしてくれることでしょう。

[404] 知恵の書19章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/20(金) 11:05:57 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=wis&chapter=19&mode=0
 昨年度の記事は[0:729]
 知恵の書は今日でおしまいです。
 このところずっと出エジプトの話をしていました。出エジプトは旧約聖書における神の救いの最大の事件です。知恵というのはイスラエルの民が神様に対してもっていたさまざまなイメージのうち、女性的なイメージがギリシャの知恵の女神などと混交したもので、実質的に神と同義語です。
 知恵の書は11章あたりまでは「知恵」が主語になっていて、まるで知恵の女神がいるようでしたが、だんだん神様が主語になってきて、19章最後では「主よ」というふつうの聖書で見慣れた形になっています。あれ、知恵の話はどこへ行ってしまったんだろうという感じです。でも知恵の書は最後まで知恵が人々を救済するととってもいいし、神が救済するととってもいい、どっちにしろ同じなのです。

[403] エレミヤ書32-36章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/20(金) 10:46:29 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jer&chapter=32&mode=0
 昨年度の記事は[0:615]
 昨年も書きましたが、35-36章がエホヤキム(ヨヤキム)の時代、32-34章がゼデキヤの時代なので注意してください。王名については
http://www.babelbible.net/mariko/bib.cgi?doc=kings&course=bib
を参照してください。
 つまりは35-36章は第1次バビロン捕囚の後、32-34章は第2次バビロン捕囚の直前で、時代が15年ほど逆転しているんですね。35-36章を先に、32-34章を後に読んだほうがよさそうです。
 いや、実はもっと逆転しているところがあるのです。
 32章を読むと、エレミヤがなぜか投獄されています。この投獄の理由は37章に書かれているので、32-33章は37章と38章の間の適当なところに移動して読んだほうがいいのです。
 そんなわけで32-33章の話は次回まわしにし、今日は36、34章だけ読むことにします。35章をとばす理由は、レカブ人の話が聖書のここにしか出てこないのでよくわからないからです。なんか、お酒を飲まない一族がいたみたいですね。
 36章。エレミヤは神様から命ぜられて、預言者としてスタートした日からいままでの預言を全部書き記せと命ぜられます。だからエレミヤ書が書物の形で残っているという体裁ですね。預言者は必ずしも書物を書いたわけではありません。エリヤもエリシャも書物を書かなかったですからね。
 しかもエレミヤには有能な書記がいまして、名前をバルクといいます。外典ではバルク書という本もあります。彼がわわわっと書いた。
 ところがあまりに過激な内容に、王は書物をみんな焼いてしまいます。そこで神様はこの内容をそっくりそのままもう一度書くように命じます。
 34章。時代は2代後、ユダ王国最後の王ゼデキヤの、しかも最後の年、つまりエルサレムが陥落してユダ王国が滅亡、人々がバビロンに連れて行かれる年です。
 ネブカデレザル(ネブカデネザル)の軍がエルサレムをせめている最中です。
 まず、ゼデキヤ王はつるぎで殺されることなく安らかに死ぬと預言されます。実際に彼は殺されることはなかったのですが、わが子を殺され、両目をえぐられてしまいます。この話は39章に出てきます。
 それから律法によれば奴隷は7年目に解放しなければならないのにそれをしなかったので律法違反で滅ぼすぞと預言します。

[402] モーサヤ書22章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/19(木) 13:49:20 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=22&mode=0
 リムハイ王とその民は、なんとかレーマン人のくびきを脱しようと考えます。このときギデオン(以前に反乱を起こしてノア王の治世を終わらせた人物)がよいアイディアを出します。レーマン人にたくさんぶどう酒を献上、酔っ払ったすきにみんなで逃げようというのです。なんだか三流マンガ的ですが、これが見事に成功、みんなはアンモン探検隊に連れられてゼラヘムラに到着、こうしてリムハイ王のニーファイ人とゼラヘムラのニーファイ人とが合流するのです。

[401] ユディト記5章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/19(木) 13:43:36 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jdt&chapter=5&mode=0
 昨年度の記事は[0:447]
 そういえば真理子のおまけでは「ユデト記」でした。聖公会が戦前に出した旧約聖書続編の表記にあわせているからですが、ここらへんはこだわらずに行きます。
 オロペルネス(ホロフェルネス)の侵攻の前にイスラエルの民は山の頂上に城壁を築いて防戦につとめます。オロペルネスは、こいつらはどういう民なんだろうと情報収集、アンモン人のアキオルがイスラエルの民を紹介します。アンモン人といえば聖書ではイスラエルのライバルですが、ここではなぜかイスラエルの側にたっています。
 その中で6節「あの民族はカルデア人の子孫です」というのは、もともとアブラハムがカルデヤから出てきたことを言ってます。この時代のカルデア(=新バビロニア)とは違います。
 ところで口語訳の創世記ではカルデヤなのに、ここはカルデアになってますね。聖公会の旧約聖書続編にあわせてるんですが、こういうのは統一したほうがいいかしらね。考えておきます。

[400] ヨブ記37-38章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/19(木) 13:33:00 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=job&chapter=37&mode=0
 昨年度の記事は[0:613]
 38章でいよいよ神様がご登場。ただし言うことは今までの登場人物とあんまり変わらなかったりします。結局は「おれは偉いんだ。お前は小さい者じゃないか」ですからね。
 ところで ヨブ38:21

あなたは知っているだろう、あなたはかの時すでに生れており、またあなたの日数も多いのだから。(口語訳)

はわかりますよね。皮肉、いやみ、反語です。お前はおれが天地を創造したときにすでに生まれていてとても長生きだから、今まで述べてきたいろんなことを知っているだろうね? というわけです。実際にはこれらのうち何一つ知らないだろう、と言っているのです。
 ところが新改訳はここの訳がおかしいんですよね。

あなたが知っている……そのとき、あなたが生まれ、あなたの日数が多い、といって。

 「……」なんかつかったわりに、意味がとりにくい。神様が皮肉、いやみ、反語なんか言うはずがないって思ったんでしょうか。最初のほうの「が」の使い方もなんかおかしい。一応他の訳も見ておきましょう。

文語:なんぢ之を知(しる)ならん汝はかの時すでに生れをり また汝の經たる日の數も多ければなり
新共同:そのときお前は既に生まれていて人生の日数も多いと言うのならこれらのことを知っているはずだ。
新世界:そのとき,あなたは生まれていたので,知っているのか。また,数においてあなたの日が多い[から]か。
関根:君は知っている筈(はず)、その時君は生まれていたし、君の年の数は大きいから。
フラ:お前はそのときすでに生まれ、お前の日数も多いと言うのなら、お前はそれらを知っているはずだ。
リビ:おまえはこれらのものが造られる前に生まれ、人生経験をじゅうぶん積んでいるのだから、そんなことぐらい、百も承知だろうが。
尾山:あなたは、わたしの創造の時すでにいたと言うのなら、それらのことを知っているはずだ。
バルバロ〔旧|新〕:それを知っているなら、〔あなたは、|おまえは〕もうそのとき生まれていたのだ。実に、あなたの日々の数はおびただしい。
回復:あなたは知っている。その時、あなたは生まれており、あなたの日数が多いからだ。
KJV:Knowest thou it, because thou wast then born? or because the number of thy days is great?

 皮肉であることがわかりやすいものもあれば、わかりにくいものもありますが、意味はとりやすい。こうして並べてみると、新改訳の意味のとりにくさが異常です。
 ちなみにヴルガタ直訳の光明社は
  かの時に汝 己が生るべきことを知りおりしや、己の日の数を辨(わきま)えおりしや。
あらら、「生まれるべき」なら未来だから誤訳じゃんと思ってヴルガタみたら
  sciebas tunc quod nasciturus esses et numerum dierum tuorum noveras
あらら、nasciturusって未来分詞ですね。ヒエロニムスもここの皮肉にひっかかったのかしら?

[399] モーサヤ書21章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/18(水) 11:53:38 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=21&mode=0
 レーマン人とニーファイ人(リムハイの民)との平和共存も長くは続かず、たびたび戦争になります。男はどんどん死んで女のほうが多くなっちゃいます。
 こんなときにひょっこりやってきたのがアンモンだったのです。アンモン、覚えてますか? ゼラヘムラに移住したニーファイ人たちの王モーサヤが使わした探検隊のアンモンです。
 ノア王をいさめたアビナダイが火刑に処せられたときに脱出した祭司アルマも行方知れず。いまやだれも祭司がおらず、かといってアンモンもバプテスマを授ける能力がないので、リムハイ王とアンモン一行とは、さてどうしよう、どうしたらレーマン人のくびきを脱することができるだろうと悩みます。

[398] 2マカ3章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/18(水) 11:42:45 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ma&chapter=3&mode=0
 昨年度の記事は[0:606]
 3章からいよいよ話の始まりです。
 なお、以下の人名表記は新共同訳じゃなく「真理子のおまけ」でいきます。「真理子のおまけ」は聖公会が戦前に出した続編の表記です。こちらのほうが口語訳聖書や文語訳聖書の流儀に近いです。
 大祭司オニヤと対立したシモンは、エルサレムでは不正蓄財をしてるぞとチクります。チクった相手のトラセオ人アポロニオは、たぶんタルソのことなんでしょう。
http://www.babelbible.net/map/12.png のC-2
彼経由でこの話が王に伝わり、王は大臣ヘリオドロを遣わして「カネを出せ」と言います。大祭司は「これは寡婦と孤児のためのものだ」と抵抗しますが、ヘリオドロは強引に査察をします。
 すると、じゃじゃーん、天使が空からやってきました。金のよろいをつけた騎士と二人の若者。ヘリオドロをばしばしばし。ほうほうの体でヘリオドロは戻り、王に「今度派遣するなら殺してもいい悪い奴にしてください。エルサレムには神がついてます」と報告します。

 どうですか。すごい話ですよね。こういう世界が2マカです。1マカのリアリズムとは全然違います。

[397] 詩編54-56編 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/18(水) 11:27:25 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=psa&chapter=54&mode=0
 昨年度の記事は[0:612]

 54編も55編も56編も、ピンチのときの祈り。
 54編は昨年も書いたように、ジフ人がサウルにダビデの潜伏を密告する話は、 サム上23:19サム上26:1にあり、どっちの話なのかはよくわかりません。ジフというのは
http://www.babelbible.net/map/9.png
のC-2の北のへりと南のへりと両方にありますが、その北のへりのほうです。
 私はクリスチャンになっても、聖書は信じてないし、使徒信条も信じてないし、天国も信じてない。それでもいいんです。遠藤周作なんか『深い河』をはじめいろんな本で輪廻を説いてます。以前、未信者の方のキリスト教解説で、使徒信条こそクリスチャンが最低信じることだみたいなことを書いてましたけど、聖書を文字通り信じないんですから当然使徒信条なんかもまともなクリスチャンなら誰一人文字通りには信じてないでしょう。「天にのぼり」って、宇宙のどこにのぼったんですか? 「永遠の命」っていっても信じ方は人それぞれなんです。天国で永遠に生きられるととる人もいれば、また生まれ変われることをそう言ってるととる人もいるんです。クリスチャンになってみてそのことがよくわかりました。
 聖書も使徒信条も信じてないなら、じゃクリスチャンと未信者との違いって何なんでしょう。どれを欠いたらクリスチャンじゃなくなるんでしょう。私は、「ピンチにあったときに反射的に神に祈れるか」だと思います。以前の私だったら絶対に「神様助けて」じゃなく「南無妙法蓮華経」でした。今は神様です。
 昨日、うっかり台所の火をつけっぱなしにして出てしまったことに気づいてあわてて戻ったんですが、以前なら「火事になってませんように、南無妙法蓮華経」でしたけど、昨日は「火事になってませんように、神様お守りください」でした。やっと創価のマインドコントロールを脱したようです。
 ちなみにまるきり無事でした。考えてみたらいまのガステーブルは全部安全装置がついてる。

 動画のほうはひとつだけ。54編で変わったものを見つけました。詩編もこんなふうに歌うと面白い。

(http://www.youtube.com/watch?v=sNZvPrh2HM8)

[396] モーサヤ書20章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/17(火) 10:48:07 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=20&mode=0
 ノア王と同行していた祭司たちはいまさらニーファイには戻れず、荒野の中をさまよううち、レーマン人の娘をかどわかしてしまいます。レーマン人はそれをニーファイ人(リムハイの民)のしわざと思って戦争になります。リムハイの民は勇敢に戦い、レーマン王を生け捕ります。これで戦いの発端となった事件の真相が双方わかり、和解します。

[395] シラ書19章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/17(火) 10:42:46 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=19&mode=0
 昨年度の記事は[0:812]
 面白くて役に立つことわざが満載。昨年はそれらを具体的にあげたので、今年は シラ19:20「知恵とは結局のところ主を畏れることである」。これ、 箴1:7にもありますね。知恵というのはそういう信仰心、時として神と同義に使われることもあります。そして20節にあるように、律法の実践によって完成するもの。ずる賢さとは違います。24節「賢くても法を犯すよりは、無知でも主を畏れるほうがましである」。ふつうの賢さはこんなふうにずる賢さになりますが、知恵はそうではなく、主を畏れ律法を守りながら生きることというわけです。

[394] サムエル記下10-14章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/17(火) 10:26:23 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2sa&chapter=10&mode=0
 昨年度の記事は[0:611]
 ダビデはアンモン人の王ハヌンに友好の使者を派遣しますがハヌンはひげを顔の半分だけ剃ったり着物をミニスカ状態にしてしまうなど侮辱します。ついでながら、ひげは男性の威厳の象徴で、ギリシアなんか「ひげを剃る刑罰」があったほど。だからソクラテスもプラトンもアリストテレスもみんなひげ生やしてますよね。今でも中東では男性はひげのあるのが当たり前で、ひげを剃った人はおカマ扱いされかねないらしい。ところがローマ人はひげをそる。これが東西教会にそれぞれ受け継がれ、東方教会の聖職者はひげを生やし、西方は剃るという違いになっています。
 これでイスラエルとアンモンは戦争になります。ダビデはヨアブ(姉妹の子で司令官)を遣わします。当時はアンモンばかりかスリヤ(アラム)とも戦争をしていたので、悪くすると同盟される可能性もあったのですが、結局どちらも蹴散らします。(10章)
 こういう戦いの続く中、ダビデはヘテ人ウリヤの妻バテシバ(バト・シェバ)と不倫します。彼女が妊娠してしまったのでダビデはウリヤをわざと激戦地に派遣して戦死させます。(11章)
 預言者ナタンはこのダビデの行為を非難し、相似形のたとえ話をして諫めます。ダビデは罪を悔います。くだんの子は不倫の子ということで神の怒りで死んでしまいますが、後にバテシバはソロモンを生みます。これが次の王になるわけですね。
 ダビデはアンモンとの戦いに勝利します。(12章)
 ダビデの子アブサロムの実の妹タマルに、アブサロムの異母兄弟のアムノンが恋をしてしまい、強引にセックスしてしまったあげく彼女を捨ててしまいます。男性ってこういうことがあるから困ったものですね。欲望(性欲および支配欲)が達成されちゃったとたんに関心をなくす。
 2年後にアブサロムはアムノンを殺します。みずから手を下したんじゃなく臣下に殺させるんですけど、そのときの激励の文句 サム下13:28の「雄々しくしなさい。勇ましくしなさい」なんて、いろんなところで(たとえば ヨシュ1:6とか)見かけます。激励の常套文句だったのでしょう。アブサロムは三年間逃亡します。(13章)
 ヨアブは二人を仲直りさせようと、ある女に芝居をうたせ、アブサロムを殺させないようにはかります。これでアブサロムはエルサレムに戻りますが、その後二年間は王に会えません。ヨアブもなかなかアブサロムに会ってくれないので、アブサロムはヨアブの畑に放火させるという手荒な手段でヨアブを呼び、このヨアブのとりなしでアブサロムはダビデと面会します。(14章)

[393] モーサヤ書19章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/16(月) 14:07:24 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=19&mode=0
 ついに悪いノア王にも最期の日がやってきました。
 ノア王はアルマたちが不穏な信仰共同社会を作ってるときいて追手を差し向け、アルマたちはさらに荒野に逃げたのでしたね。ところがふつうの民からもギデオンという人が出て反乱をします。さらにレーマン人がなだれ込んでせめてきて、ニーファイ人を容赦なく殺します。ニーファイ人は妻子と一緒に逃げる余裕すらなくなり妻子を捨てて逃げますが、レーマン人はこのあたりであわれみを起こし、ニーファイ人の降伏を認めます。
 そして、この混乱の中でノア王は、一緒に逃げていたニーファイ人の手によって焼き殺されていたことがわかります。
 ノア王の子リムハイ(いまの王様ですね)がレーマン人の支配下に即位、国を平和に保ちます。

[392] ソロモンの詩篇5篇 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/16(月) 13:43:51 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=pss&chapter=5&mode=0
 慈悲深く、頼りになる避難所と、神をたたえる祈り。とても美しい祈りです。詩編にせよソロモン詩篇にせよ、けっこう呪いの言葉が入ってたりしますけど、これにはありません。外典にしておくにはもったいない美しい祈りです。
 特に16節「人はあまりに豊かだと道を誤るからです」17節「ほどよい豊かさで十分であり、正しいことです」というところを肝に銘じ、ほどほどの生活をしていきましょう。

[391] 出エジプト記21-24章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/16(月) 13:38:36 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=exo&chapter=21&mode=0
 昨年度の記事は[0:606]
 出エジプト記はここから雰囲気ががらっと変わって律法らしくなります。まるきり違う本みたい。岩波の出エジプト記なんか訳者が変わってる。もっとも24章までは(あと32-34章も)木幡藤子(その他の訳は山我哲雄)ですけどね。
 今年は一番最初に書かれている話だけとりあげます。
 奴隷は7年たったら自由の身にしなきゃいけないみたいですが、出21:5-6によれば、奴隷がとどまることを望んだ場合は別らしい。でも何これ? 「その主人は彼を神のもとに連れて行き、戸あるいは柱のところに連れて行って、主人は、きりで彼の耳を刺し通さなければならない」。これは痛そうね。せっかく主人に忠誠を尽くしてこの家にとどまるって言ったのにこの仕打ちは何? 戸はその家の象徴らしいんですけどね。
 あ、でも私の耳にも穴が開いてるわ。どういうきりだかしらないけど、ピアサーで耳たぶに穴を開けるのはたいして痛くないです。血もほとんど出ない。その日一日はじーんと重い痛みが来ますけど、注射のような痛みじゃないです。高校がうるさかったんで(いつも穴を開けてないかどうか耳検査された)大学に入ったらすぐ開けました。それからMtFのマリナちゃんにも開けてやりました。割礼やってる気分。
 今は簡易ピアサーがドラッグストアで売られていますから、誰でも気軽に耳に穴をあけられます。怖気づくとためらい傷みたいになって失敗するかもしれないので、思い切ってガッとやってください。
 あ、でもこの簡易ピアサーって実は違法なんですよ。だって耳に穴を開ける行為は医療行為なんで医師しかできない。でも器具は普通に売ってる。一応医者のところにこの器具を持って行って開けてもらえって建前。でもそんなことやる人は誰もいないし、医者はやる気がないので変なところに変な開け方したりすることがあります。せっかく穴をあけたのに耳たぶの中のほうに開けちゃって、それじゃ小さいリング型のピアスは届かないのよ! まあ、違法ですけど、すでに穴を開けた経験のある友達にやってもらうのが一番ね。
 そんなわけで、法律と実際って異なることも多いのです。
 律法も同じ。ここからいろいろぐちゃぐちゃ書いてる律法、実際にその通り守られたかどうかは、それぞれの時代時代で違うようですから、単に律法にこう書いてあるからユダヤ人はこうなんだみたいな議論をするのはとても危険です。たとえばヨベルの年の話(借金の徳政令)なんかは実際に行われたことはまるきりなかったらしいですからね。

[390] モーサヤ書18章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/15(日) 02:26:10 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=18&mode=0
 紀元前600年ユダ王国滅亡直前、王国の滅亡を予言したリーハイは迫害されてエルサレムを脱出、一族もろとも新大陸アメリカに移ります。リーハイの死後、それまでもちょくちょく対立してきた長男レーマン(悪玉)と四男ニーファイ(善玉)の対立が激化。ニーファイらは別の地に住みます。ところがニーファイの子孫も堕落、モーサヤが脱出してゼラヘムラに逃れます。ベニヤミン王の治世を経て、息子モーサヤ(おじいさんと同名)はかつてのニーファイを探検すべく、アンモンらを遣わします。ニーファイ人のリムハイ王に謁見したアンモンは、ニーファイ人がレーマン人の奴隷になっている事実を知らされます。
 リムハイ王のおじいさんゼニフはレーマン人と戦い、ニーファイの支配権を得ますが、次のノア王が悪い王様。そこで預言者アビナダイがノア王をいさめますがノア王は彼を火あぶりにしてしまいます。これが今までのあらすじ。

 さて、アビナダイの処刑のときに祭司の一人アルマはアビナダイを信じて逃亡します。王の追手をうまくかわしたアルマは人々にアビナダイの教えを説きます。信じた人たちは国境近くのモルモンという土地に逃げ、ここでアルマは人々にバプテスマを施し、教会を作り、正しい信仰による共同生活が続きます。しかしノア王の軍隊が迫ってきたので、みんなはさらに荒野へと立ち去ります。

[389] 3イミ17-18章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/15(日) 02:20:33 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=3ic&chapter=17&mode=0
 先週さぼったぶんも含めて読みます。

 17章。いろいろ心配しないですべて神にゆだねてしまうことを説いています。そうすれば苦難のときも貧しいときもがんばることができるのです。
 18章。こんなふうにこの世の苦難を不平を言わずに耐えることです。なぜならイエス様だって、いろんな苦労に耐えぬいたのです。そしてイエス様の犠牲と聖徒たちの歩みによって、苦労は弱い者にも耐えやすいものになっています。キリストを模範として、苦労に耐えていこうと説いています。

[388] 2コリ1-5章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/15(日) 02:15:09 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2co&chapter=1&mode=0
 昨年度の記事は[0:593]および[0:605]
 先週の日曜日は復活祭で、午前中ばかりか午後も教会でパーティがあり、その後も家で祝杯をあげていたので、聖書日記をさぼってしまいました。そこで今日は二週ぶんです。
 昨年も書いたとおり、2コリは真正のパウロ書簡ですけど、5つの手紙が組み合わされた上に全体の序文がついています。昨年も書きましたけどもう一度書きます。
  序=二コリ1:1-2
  A=二コリ2:14- 二コリ3 二コリ4 二コリ5 二コリ6 二コリ7:1-4
  B=二コリ10 二コリ11 {2co:12 二コリ13
  C=二コリ1:3- 二コリ2:1-13 {2co:7:5-
  D=二コリ8
  E=二コリ9
 逆に現行の章の順番でいえば、
  1=序(1-2節) C(3節-)
  2=C(1-13節) A(14節-)
  3・4・5・6=A
  7=A(1-4節) C(5節-)
  8=D
  9=E
  10・11・12・13=B
 ABCDEというのは岩波の命名で、どれを先にしてもいいんですけど、混乱を避けるために従っておきます。要は1-7章/8章/9章/10-13章とわかれ、さらに1-7章は2つの手紙が入れ子のようになっているというわけです。
 一応現行の順番どおり読みますが、このことを注意して読んで行く必要があります。
 [26]に新約聖書の各書の成立年代をまとめました。またパウロの生涯の年表として
http://www.asahi-net.or.jp/~zm4m-ootk/pauronenpyou.html
もご覧ください。5つの手紙はいずれも53-55年ごろに書かれたもののようです。
 なお、岩波は序をCに属するものとしていますが、序は無内容ですから、Cだけに属するものとしてもよし、全体にかぶさるものとしてもよし、私も特にこだわっていません。

 さて1-5章は、2章13節までがC。残りがAでした。
 Cを片付けますと、患難、苦難、圧迫、死の危険…と、パウロはかなりひどい迫害にあっています。8節に「アジヤで会った患難」とありますが、たぶん 使19:23以降にあるような偶像鋳造職人たちからの「お前らのせいで商売あがったりだ」という迫害だろうと言われていますが、このときのものなのかどうかはよくわからないみたいです。そして2章では、多くの涙をもって手紙をいろいろ書き送ったと書いています。その手紙の一つがBです。そしてトロアスに行ったらテモテに会えなかったのでマケドニヤに向かったという話でCはひとまず終了。
 2章14節からA。冒頭の「しかるに」(口語訳)は無視しましょう。2章でキリストをかおりとして表現したあと、3章ではわれわれは文字ではなく霊に仕える者だと言ってます。つまり(旧約)聖書として書かれた律法に仕えるのではなく、新しい契約つまり霊(魂)に仕える者だというのです。この時代はまだ新約聖書ってありませんからね。「文字は人を殺し、霊は人を生かす」(6節)は有名な言葉です。ここでいう霊とは17節にあるとおり主であり、「主の霊のあるところには、自由がある」と言ってます。
 4章では、そういう霊に仕える仕事をしているわれわれの宣教というのは「自分を推薦」つまりキリストを信ずる自分たちの姿を「どうだすごいだろう」と見せることが宣教だというのです。それは「土の器」である弱い自分の中に神の偉大な光が輝いているからです。私たちは外面的には弱く滅んでしまうようなものであっても、内面的には日ごとに新しくなっていくのです。それが 二コリ5:17「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である」ということなのでしょう。

[387] クルアーン36回 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/14(土) 12:33:07 コメントする ここから閲覧

 クル-36回。8章1-40節。
 いつもそうですけど、このリンクで表示される「真理子のおまけ」は、聖書通読スケジュールを追いかけてやっつけで作ってますので、41節以下は未完成です。
 最初のほうで、一部の信者がいやがったとか、二つの部隊のうち…とかいうのは、イスラム教が誕生した当初の戦いをふまえて言っているので、今の私たちが読んでもピンときません。でもそれは聖書の詩編だってそう、敵と戦う詩が多いじゃありませんか。こういうのは、私たちの現実生活にもたくさんある苦難に置き換えて読めばいいんです。苦難にあったときに、私たちはついつい、ラクなほうが来るといいと思いますけど、そういうときに往々にして苦しいほうが来る。それでも神様を信じて勇敢に立ち向かえ、という教えだと思えばいいんです。

[386] 1イミ18章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/14(土) 12:26:29 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ic&chapter=18&mode=0
 昔の教父たちの修行はすごかった、それに比べて今の修行者はなってない、というわけです。教父の修行に限らずどこでも聞かれる言葉ですね。昔はよかった、今はなってない。人間はついつい昔を美化してしまうものですけど、実際にそうだったかどうかは別として、現在の信仰生活のあり方を反省するには、昔を美化するのが手っ取り早いのでしょう。昔のものは実際には見えませんからね。