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2024年3月19日(火) 通読(本日=サム下1-4,シラ17,モサ10 明日=詩48-50,二マカ1,モサ11)

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節表示・修正口語訳(日本語R)+真理子のおまけ 解題
〔真理子訳〕マカビー記二 第6章
その後すぐに、王は一人のアテネ人の老人を遣わし、ユダヤ人に父祖伝来の律法から離れさせ、神の律法にしたがって生活することを禁じた。
さらにエルサレムの神殿をけがしてこれをオリンピアのゼウスの宮と名づけ、ゲリジム山の神殿をその地の住民の希望どおりに異邦人のゼウスの宮と名づけさせた。
すべての人々の上にわざわいが重苦しくのしかかってきた。
神殿は異邦人たちによって、娼婦とたわむれるみだれな騒がしい場所となった。彼らは聖所の中で女と関係し、神殿の中にそこにふさわしくないものを持ち込んだ。
いけにえの祭壇は律法で禁じられている品々で満ち溢れた。
安息日はもはや守られず、父祖伝来の祭儀もとりおこなわれず、公然とユダヤ人であることを言うことすらできなかった。
王の毎月の誕生日にはいけにえの獣の内臓を食べることが固く強制された。デオニソの祭日には、つたでできた冠をかぶり、デオニソを祝う行列に加わらねばならなかった。
そのうえプトレミオの進言によって、近隣のギリシア人の町々に次のような布告がなされた。ユダヤ人はどこでも同じ扱いをすること、ユダヤ人にいけにえの獣の内臓を食べさせること、
ギリシア人の生活習慣に従わないものは殺すことであった。わざわいが襲いかかることは誰の目にも明らかであった。
子どもに割礼を受けさせたというので、二人の女が捕えられ、胸に赤ん坊をぶらさげられて町を引き回されたあげくに、城壁から突き落とされた。
また、近くの洞窟に逃げてこっそりと安息日を守っている人々がいたが、ピリポに見つかり、みんな焼き殺されてしまった。それは、聖なる栄光にみちた安息日を守ろうとして、自分たちの身を守ろうとしなかったからであった。

さて、どうかこの本の読者のみなさまは、このようなわざわいの話を読んで気を落とさないでもらいたい。このような罰はわが民を滅ぼすためではなく、むしろ教育するためのものなのだと考えてもらいたい。
なぜなら、主は大いなる恵によって、不信仰の者たちをいつまでもほうっておかず、ただちに報いを与えてくださるからである。
他の民族に対しては、彼らがその罪の頂点に達するまで、主はじっと忍耐して臨んでいらっしゃるのであるが、
われわれに対しては、罪がその頂点に達しないうちに罰してくださるのである。
だから主は決してわれわれから憐みを遠ざけていらっしゃるのではなく、わざわいを与えることで警告なさっているのであり、決してご自分の民を見捨てているわけではないのである。
このことを念のために補足しておいて、ただちに物語に戻らねばならない。

高名な律法学者の一人であるエレアザルは、もう高齢に達し、高貴な風貌であったが、口をあけられて無理やりに豚肉を突っ込まれた。
しかし彼は、人々からさげすまされて生きるよりは、名誉を守って死ぬことを選び、みずから拷問台にのぼり、豚肉を吐き出した。
これこそ生への愛着に負けることなく、律法を守って禁じられた食べ物から身を遠ざけようとする者の態度である。
ところが彼に無理に豚肉を食べさせる役目の者たちは、彼と親しい間柄だったので、こっそりと彼を連れ出し、彼自身が用意した食べることを許された肉を、王の命じたいけにえの肉を食べているふりで食べなさいと勧めた。
そうすれば彼は死を免れるし、彼らとの昔からの友情のためにエレアザルが有利な扱いを受けるだろうと思ったからである。
しかしエレアザルの決心は固く、陰府に送ってくれと即答した。それは、自分の年齢と、老人としての尊厳と、みごとな白髪と、幼いころからの立派な行いにふさわしく、そして何よりも聖なる神から与えられた律法に従ったからである。
そして言った。「われわれのような年齢になって、食べるふりをするなどということはふさわしくない。そんなことをしたら若者たちはみんな、エレアザルは九十歳にもなって外国の文化に転向してしまったのかと思うだろう。
わずかばかりの延命のためにそんな不正をしてしまえば、道を誤り、老いてからけがれと恥とを身に受けることになってしまう。
今ここで人間の刑罰を逃れたとしても、全能の神の刑罰は、この世でもあの世でも決して逃れることはできないのだ。
だからわたしは今、老人にふさわしく立派に生を終えることとしたい。
そうすれば若者たちに立派な模範を残すことができ、若者たちは恐れ多い聖なる律法のために、心から勇敢に生命をささげることになるたろう」。エレアザルはこう言って、ただちに拷問台に向かった。

今まで彼に好意を寄せてかばってきた人たちは、この言葉を聞くと、エレアザルに悪意を抱き始めた。あまりに愚かな態度だと思ったからである。
彼は鞭うたれながら、死期が近づいたことを悟ると、大きく息をして言った。「わたしは死を免れることもできたのであるが、鞭うたれて肉体には耐え難い苦痛を受けている。しかし霊にあっては主を畏れてこのことを喜んで耐えているのだ。主は聖なるお考えで、わたしの気持ちを見通しておられる」
こうしてエレアザルは自分の生命を終えることで、若者だけでなく多くの同胞に、自分の死を高貴な模範とし、徳を示す記念碑としたのである。


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