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2024年3月19日(火) 通読(本日=サム下1-4,シラ17,モサ10 明日=詩48-50,二マカ1,モサ11) |
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節表示・修正 | 口語訳(日本語R)+真理子のおまけ 解題 〔真理子訳(工事中)〕イミタチオ第1巻 霊の生活に益ある勧め 第21章 |
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第二十一章。心の悔い改めについて あなたがもしわずかでも魂の進歩をしたいと思うなら、絶えず神をおそれなさい。あまりに自分勝手を求めてはならず、すべての感覚を規律によって抑制し、決して愚かな楽しみに身をゆだねてはならない。 心の悔い改めに身をゆだねなさい。そうすれば信仰を得られるだろう。 悔い改めはよいことをたくさんもたらすが、心のゆるみはすぐにそれを失わせてしまう。 自分は追放された身であり、魂が数多くの危険におびやかされていることを考えるとき、それでもこの世に何か楽しみを得られる人がいるとしたら、とても不思議である。 |
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われわれは心が軽薄で、自分の欠点に目をつぶっているので、自分の魂の悲しみを感じない。本当に泣かねばならないときにむなしく笑ったりすることがよくあるのだ。 よい心で神をおそれうやまわない限り、真の自由も清らかな喜びもない。 自分の心を乱すあらゆる妨げを捨てて、いちずに聖なる悔い改めに心を集中できる人は、まことに幸いである。 どんなことでも、自分の良心をけがすものを捨て、心の重荷を捨てることのできる人は、まことに幸いである。 勇敢に戦いなさい。習慣を克服するものは習慣なのである。 あなたが他人のする事に干渉しないならば、他人もあなたのすることに干渉しないだろう。 |
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他人の事にかかわってはならない。また、目上の人の事にかかわってはならない。 いつも自分のことに目を注ぎなさい。そして親しい友人に苦言を呈する前に自分自身に苦言を呈しなさい。 人々から好かれなくても悲しむことはない。修行が足りないこと、慎み深くないこと、神のしもべとして、そして敬虔な修道者としてふさわしくないことをこそ悲しみなさい。 人はこの世では慰めを、とくに肉体的な慰めをたくさん持たないことこそが、よいことであり安心であることが多い。 だが、もし神の慰めが全くないとか、めったに感じられないならば、それは自分のせいである。心の悔い改めを求めず、むなしいこの世のことを全く捨て去らないのが原因なのである。 |
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あなたは神の慰めを受けるのにふさわしくなく、多くの苦しみを受けるのが当然だと思いなさい。 人が完全にその罪を悔い改めるとき、その人にとってはこの世はまったくつらく味気ないものとなるのである。 よい人は実にいろいろなところに、嘆いたり泣いたりしたくなることを発見する。 自分のことを考えても、隣人のことを考えても、この世では苦しみなく生きられる人はありえないと気づくからである。 そして厳しく反省すればするほど、悲しみを深くするのである。 われわれの悲しみや悔い改めの基本は、われわれ自身の罪と悪徳であり、それにとらわれているために、天のことを考えることがほとんどできないのである。 |
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あなたが長生きすることよりも、死ぬことを始終考えていれば、自分の生き方の改善に熱心になるだろう。 もし死後の地獄や煉獄の罰を思いめぐらすなら、あなたはもっと喜んで苦しみや悲しみをこらえることができ、このような場所の厳しさもちっとも怖れないことである。 しかしこういうことが心に刻みこまれず、肉体的な快楽を好んでしまうために、われわれはいつまでも冷淡でにぶいのである。 |
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魂が乏しいからこそ、われわれの哀れな肉体が、たやすく愚痴をこぼすのである。だからあなたは謙遜して「悔い改めの魂がわたしに降りますように」と主に祈りなさい。そして預言者とともに言いなさい。「ああ主よ、あなたは涙のパンをわたしに食わせ、多くの涙をわたしに飲ませられました」(詩80:5)と。 |