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真理子の聖書日記


このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
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[345] マルコ11-12章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/31(土) 18:38:51 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mar&chapter=11&mode=0
 昨年度の記事は[0:578]
 昨年は「いちじくの木の呪い」「イエス様暴れん坊将軍事件(いわゆる宮潔め)」「カイザルのものはカイザルに」「メシヤがダビデの子ではありえない」を書いたんですね。うーんと、あと残ってるエピソードといえば、「いったい何の権威で」(マコ11:27)、「ぶどう園と農夫たち」(マコ12:1)、「復活したら誰の妻に」(マコ12:18)、「一番大切な律法とは」(マコ12:28)、「律法学者に気をつけろ」(マコ12:38)、「やもめの献金」(マコ12:41)ってところかしら。何にしよう。
 [324]でご紹介した、例の
The Jewish Annotated New Testament: New Revised Standard Version Bible Translation
http://www.amazon.co.jp/dp/0195297709/ref=cm_sw_r_tw_dp_hblzpb1MFQY9J
は、上の「律法学者に気をつけろ」と「やもめの献金」をひとつながりにしています。
 つまり、私たちは、やもめが自分の生活費を全部献金したなんていう話をついつい美談としてとってしまいますけど、実はその直前の、律法学者が自分たちのよい行為をみせびらかすというのと、相似形なんですよね。実際、やもめの献金はやりすぎであると否定的にとる見解もあるようです。まあ、この本はそこまで言ってません。マルコにはそこまでの意図はなく、神殿というのは金持ちも貧乏人も献金できるところだというにとどめてます。
 まあでも私としては、こういうところで牧師は、生活費全部を献金するなんていうばかなまねはやめろという説教をすべきだろうと思います。
 信徒の友2012-3「献金の喜び」が、低所得者への配慮をまったくせず、献金しろ献金しろと書いてることに私は腹をたてています。よく、十分の一の献金をしろなんていいます。そのレートが高いかどうか。なんでも日本共産党の党費は実質の収入(ってことは必要経費を控除した所得かしら)の二十分の一と定められているみたいですね。でも、たとえ十分の一献金が二十分の一献金になったとしても、人が生きていくのに最低限必要な額というのは金持ちも貧乏人もかわりない。貧乏人だからといって節約できるわけじゃない。だからたとえ二十分の一だろうと三十分の一だろうと、その額はその人が生きていくのに最低限必要な額をおびやかす可能性がある。その意味で、献金額を収入の何分の一と決めるのは、実質的に逆進課税なんです。
 だから、献金の指導は「無理するな」を強調してあげたい。やもめの行為は否定しなきゃいけないんです。口をすっぱくして「無理のない範囲で」を言わなきゃいけない。実は貧しい人ほど、牧師の教えをまじめに守ろうとする。でなきゃ、十分の一献金をしたいのにできないことに対して罪の意識を持つんです。それをせずに献金しろ献金しろと信徒の友2012-3でいう日本基督教団を私は社会に有害なカルト教団と断定しているんです。

[344] クルアーン31回 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/30(金) 11:56:58 コメントする ここから閲覧

 クル-31回。7章1-43節。
 11節からはアダムの堕落の話が書かれています。神様は天使たちに、ご自分の作ったアダムを拝めと言いますが、悪魔イブリースは拒否します。それで悪魔は神様にここから出て行けと言われるのですが許され、人々のうちから悪人を判別する役を演ずるようになります。さっそくアダムはひっかかって堕落してしまうのですね。
 ところで、アダムとエバが食べた木の実は、この箇所には書かれていませんが、善悪を知る木の実でした(創3:5)。なんで善悪を知るのがいけないのかは難問で(だって、何がよくて何が悪いかを知ることは、普通はいいことだと思われてますからね)、いろいろな答えが出て来そうです。クルアーンでは単純に、性の羞恥心ととらえているようですが、『旧約聖書と新約聖書』(新教出版社)の上村静先生は、善悪というのは一つの基準があってはじめて言えることであり、本来多様であるはずの善悪を一つの基準で定めることにより、その基準で善とされたものが悪とされたものを差別するようになる。それはもはや人間と自然の本来のかかわり方ではなくなってしまう、みたいなことを言ってます。すぐに答えは出て来ないでしょうから、今後も考え続けることにしましょう。

[343] 知恵の書16章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/30(金) 11:42:32 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=wis&chapter=16&mode=0
 昨年度の記事は[0:722]
 出エジプト記のエピソードが書かれています。ですから主人公はイスラエルの民であり、敵とはエジプト人のことです。原文はそれが不明確で、新共同訳にあるとおり「御自分の民」「あの敵ども」(知16:2-3)としか書かれていませんが、「真理子のおまけ」(上のリンク)では補っておきました。

[342] エレミヤ17-21章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/30(金) 11:28:03 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jer&chapter=20&mode=0
 昨年度の記事は[0:576]
 昨年も書きましたとおり、預言そのものでない20-21章を中心に読みましょう。
 祭司長パシュル(インメルの子)はエレミヤの預言に腹を立てて彼を拘束、ぼこぼこ打った末に神殿のベニヤミンの門の足かせにつなぎます。
 エゼ48:30-35によればエルサレムの町の城壁には東西南北それぞれに3つずつ計12の門があり、ヤコブの12人の子(レビやヨセフが含まれておりマナセとエフライムがないので、イスラエル12部族ではない)の名前がつけられています。ベニヤミンの門は東の3つのうちのたぶん真ん中。神殿もそんな感じになっていたのでしょう。
 さて翌日釈放されたエレミヤはすぐにパシュルに対してお前らみんなバビロンに捕囚されるぞと預言します。迫害されてもくじけないエレミヤです。
 しかしゼデキヤ王(ユダ王国最後の王です)はパシュル(こっちはマルキヤの子)とゼパニヤ(マアセヤの子。エレ29:25参照。ゼパニヤ書の預言者はクシの子なので別人)をエレミヤのもとにつかわします。王はどうも心配のようです。エレミヤは元気なのでなんら臆することなくゼデキヤにもエルサレムの陥落を予言します。

[341] モーサヤ書7章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/29(木) 09:53:40 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=7&mode=0
 今日はちょっと話が動きます。
 ベニヤミン王→モーサヤ王と代替わりした血はゼラヘムラというところでした。JスミスJrさん(教祖サマね)は固有名詞をたくさん考えるのがめんどくさかったのか、原則として都市名はそこに住む民族名と同じで、その始祖の名前からとっています。つまり彼等はゼラヘムラ人というわけです。
 このゼラヘムラ人とは、ニーファイ人(ユダ王国滅亡直前に新大陸に移住した民のうち善玉のほう)が堕落したのでニーファイを脱出したモーサヤが発見、彼等はなんとユダ王国滅亡後に移住してきた民の子孫です。これが混淆したのがゼラヘムラ人。やっぱりモサ7:13を見ると、ゼラヘムラという人が始祖みたいですね。
 で、モーサヤ王は先祖が脱出したニーファイを探検します。ここでは「リーハイ・ニーファイ市」なんてヘンな言い方をしてますね。リーハイというのはニーファイのお父さんで、ユダ王国滅亡直前に迫害されてエルサレムを脱出した人物、モルモン経全体の始祖ですね。めんどくさいので単にニーファイとだけ書きます。
 ニーファイとゼラヘムラとはずいぶん離れていて、ちょっとやそっとではたどり着けないようですね。アメリカ大陸の砂漠はすごいですからね。そういえばコナン・ドイルのシャーロックホームズものの第一作『緋色の研究』ではモルモン教徒の砂漠横断の地獄の旅の様子が描かれています。
 で、アンモンなる隊長が率いる探検隊はなんとかニーファイに到着、しかしスパイだと思われて投獄されてしまいます。彼等はこの地のリムハイ王に謁見を許され、誤解が解けます。
 そして王の話によれば、ニーファイ人はレーマン人(ニーファイと一緒に移住してきた民のうち悪玉のほう)の奴隷になって苦しい生活をしているんだそうな。王はとても喜びます。

[340] ユディト記2章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/29(木) 09:34:42 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jdt&chapter=2&mode=0
 昨年度の記事は[0:438]
 ユディト記の悪役オロペルネス(ホロフェルネス)がネブカデネザル王に従わない各地を侵略、乱暴狼藉の限りを尽くしています。
 口語訳聖書を選んで表示される「真理子のおまけ」(上記リンク)は、口語訳聖書流の固有名詞表記にしたがっているので、ファ、フィ、フ、フェ、フォはパピプペポとなります。これは戦前に聖公会が出した旧約聖書続篇と同じ流儀です。

[339] ヨブ記31-32章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/29(木) 09:30:09 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=job&chapter=31&mode=0
 昨年度の記事は[0:574]
 昨年書いたことですが、新共同訳の朗読MP3で31章を聞くと「~決してない、もしあるというなら…」というリフレインがとても印象的なんですが、それは新共同訳だけのことなので注意してください。原文をふくめ他の訳はみんな「もし~なら…」となってるだけです。
 ヨブと三人の友人の論争は第三ラウンドでも決着せず、32章からは新たな人物エリフが出て演説をします。この演説はけっこう長く37章まで続きます。これに対するヨブおよび他の人物からのいかなるコメントもつかずに38章からはヤハウェ御大が出てきて終わり、しかもヤハウェ御大のセリフにはエリフへのコメントがないので、32-37章は後から挿入されたという説もあります。
  ヨブ32:19の、私の口が新しいぶどう酒の皮袋のように張りさけようとしているというのは面白い表現。昔のぶどう酒はみんなスパークリングワインつまりいわゆるシャンパンなので、発酵が進むにつれて炭酸がたまるわけです。だからイエス様はマタ9:17その他で「新しいぶどう酒を古い袋に入れちゃダメ」と言ってるんです。
 スパークリングワインの栓がポンと勢いよく飛び出るように、エリフはしゃべり始めます。

[338] モーサヤ書6章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/28(水) 11:02:05 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=6&mode=0
 本文がとても短いのでこちらも短くします。ベニヤミン王が死んでモーサヤの代になります。これでおしまいです。年代はBC124ということになっています。

[337] 1マカ16章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/28(水) 10:59:56 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ma&chapter=16&mode=0
 昨年度の記事は[0:597]
 アンテオコス王の将軍ケンデビオはユダヤをせめ、シモンおよび息子のユダ、ヨハネは勇敢に戦ってケンデビオを打ち破ります。
 これでめでたしめでたしと思いきや、大祭司の婿で、国を支配したい野望を持つアブドの子プトレミオが、シモンおよび息子のマタテヤ、ユダを宴会に誘い、暗殺してしまいます。プトレミオはこれをアンテオコス王に報告して援軍をもらい、シモンの生き残った息子ヨハネを攻めようとしますが、それをヨハネに密告するものがあり、ヨハネは刺客たちを殺して事なきを得ます。
 ユダヤの地はヨハネの代になって……というところで 1マカはおしまい。
 次は2マカかと思いきや、1マカと2マカは連続の関係になっておらず、これで話がおしまいなんです。なんか尻切れトンボ、しかも後味の悪い終わり方ですね。

[336] 詩編45-47編 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/28(水) 10:19:24 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=psa&chapter=45&mode=0
 昨年度の記事は[0:572]
●45編
 愛の歌ってことで王の結婚式に歌われたものみたいです。王をたたえ、愛する女の美しさをたたえます。
ヘブライ語で聞きましょう。

(http://www.youtube.com/watch?v=2swRjcjusGQ)
Sons of Korah(バンド名)の歌。45編自体も「コラの子」の歌ですね。

(http://www.youtube.com/watch?v=xdIHeWu5MYU)
kinotoriさんの作品は、「白い色は恋人の色」。私はリアルには知りませんが、主人が懐かしがっています。でもこれ、途中にトリノの聖骸布が出てくるのはいただけませんわ。あれってキモいじゃありませんか。

(http://www.youtube.com/watch?v=TZT54p6oLCg)

●46編
 「神はわがやぐら」というルターが作曲した讃美歌で有名です。苦しいときも神は力になってくれるという内容です。
 昨年は「神はわがやぐら」の聞き比べをやりました。
讃美歌 http://www.babelbible.net/music/muse/h01267.mid
讃美歌21 http://www.babelbible.net/music/muse/h21377.mid
ルターオリジナル http://www.babelbible.net/music/muse/festburg.mid
 これを利用したメンデルスゾーンの交響曲第5番「宗教改革」の第4楽章

(http://www.youtube.com/watch?v=IxT3dbehmcc)
 こんどは朗読。昨年オバマ大統領が9.11集会で朗読したもの。NKJVです。

(http://www.youtube.com/watch?v=hMk-SoNuMWg)

●47編
 諸国民よ、全地の王である神をほめたたえよとうたいます。
Misty Edwards

(http://www.youtube.com/watch?v=4_SlnIcIQw4)
kinotoriさんの作品。

(http://www.youtube.com/watch?v=BCUN2qRir9Y)

[335] モーサヤ書5章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/27(火) 10:12:53 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=5&mode=0
 ベニヤミン王の玉音放送の結果、人々はキリストを信ずるようになりました。
 イエス様の出現前120年ほどという時代設定なのに、キリストの話なんかするのはおかしいんですけど、キリストは一応普通名詞ですから、前章みたいに「イエス」という固有名詞をあげてないぶん、まだましなのかもしれないわね。

[334] シラ書16章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/27(火) 02:59:48 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=16&mode=0
 昨年度の記事は[0:801]
 昨年は家族ネタを書いたんですが、そのうちの「主人のお父様」はその後亡くなりました。そして主人も私も創価学会を棄ててクリスチャンになろうとしております。
 私のほうは創価の両親を憎みながら育ったのでクリスチャンになるのは平気ですが、主人のほうは親を裏切るようでうじうじ言ってる。でも牧師先生が 使16:31「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」を根拠に、家族の誰か一人でもクリスチャンになれば家族は救われる、と説きまして、それでいたく勇気付けられ、クリスチャンになることこそ親孝行だというので受洗を決意しました。これで シラ16:1「ろくでなしの子をいっぱい作ろうと思うな。神を敬わない子をかわいがるな。」の教えが成就したのです。主人がご両親を裏切って創価を棄教して神を敬う子になったおかげで、ご両親も救われるのですから。

[333] サム上26-31章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/27(火) 02:50:12 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1sa&chapter=26&mode=0
 昨年度の記事は[0:571]
 地図は
http://www.babelbible.net/map/9.png
だけなのでこれを見てください。
 ダビデはジフ(地図C-2上ぎりぎりと下ぎりぎりの2箇所ありますがどっちかよくわかりません)の荒野のハキラ山(所在不明)に隠れており、サウルが捜索に来ます。ダビデはアビシャイとともにサウルの陣に乗り込み、無防備で寝ているサウルの隣から槍と瓶を盗み出し、後日サウルに会って「殺そうと思えば殺せたけど殺さなかった。私は敵意を持っていない」といいます。これって24章同様の話ですね。ここまで26章。
 ダビデはペリシテ人の地ガテ(地図B-1)に亡命。勇敢に戦ってアキシ王からよい評価を得ます。ここまで27章。
 ペリシテとイスラエルの戦いが始まり、ダビデはペリシテ側につきます。サウルはかつて自分が禁止して追放したはずの霊媒に頼ってサムエルの霊を呼び出しますが、霊は「神はサウルを見捨てた」と告げます。しかし死んでからも登場する人物というのは、イエス様を除けばサムエルだけでしょうね。ここまで28章。
 ペリシテの他の王たちはダビデを信用せず、ダビデは戦列を離れます。29章。
 アマレク人がチクラグを襲い、ダビデの二人の妻たちも捕らえられます。場所は不明ですが、アマレク人とはエドム人の系列なので地図C-2のエドム(イドマヤ)と書いてあるあたりでしょう。ダビデは追撃、アマレク人の奴隷となっていたエジプト人の誘導を得てアマレク人の宴会を襲い、ぶんどり品を得、またダビデの妻も助かります。ダビデについてきた人たちのうち、このとき従軍しなかった人たちにもダビデはぶんどり品を分け与え、それがイスラエルの習慣になりました。30章。
 ペリシテ人はサウルを撃ち、サウルは自害します。31章。これでサムエル記上はおしまい。

[332] モーサヤ書4章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/26(月) 12:25:53 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=4&mode=0
 ベニヤミン王の玉音放送は一応おわり、人々はイエス・キリストを信じるようになりました。……って、まだイエス様は生まれてないじゃん! イエスという固有名詞出すのまずくないですか。せめてキリストだけにしとかないと時代が合いませんわ。
 ベニヤミン王はふたたび人々を教え始めますが、物を惜しむなとか、借りたものは返せとか、なんかずいぶん世俗的な教えになっちゃいましたね。

[331] ソロモンの詩篇2篇 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/26(月) 12:20:39 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=pss&chapter=2&mode=0
 イスラエルの民が悪いことばかりしたので神様はエルサレムを滅ぼされましたが、もうこれで十分でしょう。異邦人にエルサレムが蹂躙されてもいいのですか、という祈り。
 後半では神様は異邦人をやっつけてくれるのですが、 ソ詩2:26の「エジプトの山の上でしとめられた男」というのは聖書に出てくる話ではなく、プルタルコス英雄伝に出てくるポンペイウス(BC106-48)のことらしいです。ですからソロモンの詩篇というのは実際にはずいぶん後に作られたのです。

[330] 出エジプト記9-12章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/26(月) 12:08:59 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=exo&chapter=9&mode=0
 昨年度の記事は[0:570]
 11章からは過越祭、別名除酵祭のいわれです。
 もともと過越祭とは初子を神にささげる牧畜民の祭、除酵祭は大麦の刈り入れのための農耕民の祭で別物だったのでしょうが、イスラエルの民は両方を一緒に行うので実質的に同じ祭になっています。Wikipediaで除酵祭と入れると「過越」にリダイレクトされてしまいます。
 出エジプト記はここまで、モーセがいろいろな奇跡をやってもパロ(ファラオ)は民を去らせなかったという話の連続で、少々退屈ですね。

[329] モーサヤ書3章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/25(日) 02:43:40 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=3&mode=0

 ここまでのあらすじ。
 紀元前600年、ユダ王国の滅亡を予言したため人々から迫害されたリーハイは、一族を連れてエルサレムを脱出、荒野の苦しい旅を経て神の約束された新天地アメリカ大陸にわたります。
 リーハイには6人の子がいますが、長男レーマンと次男は悪役で何かにつけて4男ニーファイらに反抗します。新天地でリーハイが死ぬと、レーマンはニーファイらと激しく戦うようになり、ニーファイらは別の地に移って一族が栄えます。以後、レーマンの一族はレーマン人、ニーファイらの一族はニーファイ人と呼ばれるようになります。
 ニーファイの後継は弟のヤコブ、そしてヤコブの子イノス、イノスの子ジェロム、ジェロムの子オムナイ…と続きます。そのうちにニーファイ人も堕落、レーマン人とニーファイ人の戦いも続くなか、ニーファイ人のモーサヤがニーファイの地を脱出、ゼラヘムラに逃れます。なんとこの地の人はバビロン捕囚のときにエルサレムを脱出した人々なんだそうな。モーサヤはこの地で王位につき、人々を教化した後に死去、子のベニヤミンがあとをついでいます。
 そしてベニヤミンは死期がせまっているのを自覚、退位を決意し、民を集めて塔の上から「玉音放送」をしている最中でした。
 ちょっと先回りをして、ベニヤミンの次はモーサヤ。これがモーサヤ書のモーサヤです。ベニヤミンの父もモーサヤですからご注意ください。
 いま時代はBC124、120年ほど後のキリストの出現をベニヤミンは予言して、玉音放送を終えます。

[328] 3イミ15章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/25(日) 02:33:50 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=3ic&chapter=15&mode=0
 要するに自分の希望を祈ってるんじゃないのよってことです。祈って悪いわけじゃないけど、たぶんそれはかなわない。すべては神様のみこころのままにということです。神様のみこころが成就すれば、それは自分にとって最適のもののはずですから、あとはそれを受け入れるだけなのです。
 「病者の祈り」という有名な祈りがあります。
http://members.jcom.home.ne.jp/delaila/kokoro-kotoba/byosha.html
 まあこんなふうに、キリスト教の神様は、自分の希望を祈ってもたいていかなえてくれません。しばしば、いえ、しょっちゅう、祈ったことと反対のものをかなえてくれる。でもそれは、神様の考えてくださった、わたしにとっての最適のことなのです。

[327] 1コリ13-14章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/25(日) 02:25:27 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1co&chapter=14&mode=0
 昨年度の記事は[0:569]
 よほどむしゃくしゃしていたのか、昨年はずいぶんつんつんしてますね。
 まあ 一コリ14:34「女は教会では黙ってろ」は最近私の愛用する箇所になりましたわ。「聖書は同性愛を禁止している」「聖書は女装を禁止している」「聖書はオナニーを禁止している」…と言ってくる手合いを退治するときに使うんです。「あんたらの教会では女は一言もしゃべってないでしょうね?」と言ってやるんです。オールマイティに使えるので便利です。
 異言についてはパウロの書いてることがこの章内であちこち矛盾してて、お前はいったいどっちなんだといらいらするので無視します。パウロがなんと言おうと、異言は気持ち悪いので禁止!
 ただ、福音派にしろ聖霊派にしろ、一般信徒はいい。それで救いが得られてるんだったら私は何もいいません。牧師はペテン師だと思いますけどね。聖書に誤りが多いの知ってて聖書無謬説を教え、異言がまやかしだというの知ってて異言をさせるわけですから。
 ともあれ13章に立ち返るべきです。愛こそすべてです。預言も異言も知識もむなしいんです。

[326] クルアーン30回 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/24(土) 11:38:16 コメントする ここから閲覧

 クル-30回。第6章136-165節。6章はこれでおしまいです。
 6章のタイトルは「家畜」。やっと家畜の話が出てきました。要するにいろいろな食物禁忌は神が命じたものではなく根拠がないという話です。
 イスラム教はあれを食べるなこれを食べるなとうるさいようでいて、実はクル6:145にあるとおり、死体、血、豚、別の神の名によって屠殺されたもの以外はOKだし、知らなかったとか仕方なかったとかはOKだというので、ユダヤ教にくらべればずいぶんゆるいんだということのようです。でも私はやっぱり豚を食べたいわ。
 ところで、何でユダヤ教やイスラム教で豚がダメなのかについては、豚のえさが人間の食料とかぶっているので、降水量が少なく植物が育ちにくいところで豚を飼うと人間の食べるものがなくなってしまうからだという話があります。そういえばルカ15:16で放蕩息子は、豚の食べるいなご豆でいいから食べたいなんて言ってますよね。ホントかどうかは知りませんけど。

[325] 1イミ15章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/24(土) 11:25:07 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ic&chapter=15&mode=0
 1イミというのはイミタチオ(キリストにならいて)の第一巻。15世紀に書かれたキリスト教修養書で聖書についで広く読まれた本と言われています。
 さて、今日は「愛の心から出る行為」。単に自分の考えだけでよいことだと思うのではなく、貧しい人を助けるとか、公共のために尽くすとかいう観点で、何をするかを考えなさいと言ってます。それがたとえ、大きなことが小さいことになってしまう、たとえば多くの人を助けるために大きな仕事に出かける途中で、いま目の前で困っている人を見かけて、その人を助けるために大きな仕事を犠牲にしてしまったなんていうこともある、というわけです。神様は、仕事の大小ではなく、動機を見ているからです。

[324] マルコ9-10章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/24(土) 11:15:59 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mar&chapter=9&mode=0
 昨年度の記事は[0:568]
 マコ9:1の「神の国が来るまで死なない人がいる」のように、マルコが書かれた当時はまだまだ「生きているうちに終末が来る」と思っていた人が多いようです。
 私は、いつ終末が来るかというのをハッキリいう宗教はそれだけでカルトだと思っていますが、この当時のキリスト教は文句なくカルトですね。
 ただ、神の国というのはどこか別のところにあってそこへ「行く」ものではなく、「来る」ものなのだ、つまり神の国はこの世なのだということは強調しておきましょう。私がかねがね主張している「神の国=この世」説です。
 もっとも、「神の国が来る」のとりようによっては、イエス様の言葉はちゃんと成就したとも考えられます。たとえば紀元70年の神殿崩壊が救済の新たなステージの始動でありこれこそ「神の国が来る」ことなのだというなら、たしかに死なない人も多かったろうし、そもそも十字架の死と復活がそれなのだというなら、ほとんど全員が死ななかったでしょう。ものは言いようです。
 ついでながらこの解釈、
The Jewish Annotated New Testament: New Revised Standard Version Bible Translation
http://www.amazon.co.jp/dp/0195297709/ref=cm_sw_r_tw_dp_hblzpb1MFQY9J
を参考にして書いてます。NRSVの本文を全部掲載して脚注の形でユダヤ教の観点からユニークな見解が書かれていて面白いです。
 たとえば前回の マコ8:33でイエス様がペテロに「サタンよ、引きさがれ」と言ってるのは、 ゼカ3:2で神様が大祭司ヨシュアの右に立っているサタンを叱ったのと相似形なので、ペテロの隣にいるサタンを叱ったととれるし、 箴3:12「主は、愛する者を、戒められる」ってことかもしれないと書いてます。これらの引照は新共同訳、新改訳、新世界訳、回復訳のどれにも書いてないので目からうろこでした。アマゾンですぐに届けてくれるのでご購入をお勧めします。

[323] クルアーン29回 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/23(金) 11:37:12 コメントする ここから閲覧

 クル-29回。6章111-135節。
 それにしてもクルアーンは偉大なるワンパターン。今日出てくる話はすべて、もう聞いたよっていうことばっかりですね。でもこれがクルアーンのいいとこかもしれない。どのページを開けても同じ話が出てくる。何度でも何度でも繰り返す。これで「聞いてなかった」「知らなかった」とは言わせないというわけです。
 当サイトの聖書通読では全120回としていますが、ホントは全30回。1ヶ月で読めるようになっています。ラマダンの月に読むようですね。毎日毎日同じ話を読んで自分の頭と心と体にすりこんでしまえというのです。

[322] 知恵の書15章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/23(金) 11:33:06 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=wis&chapter=15&mode=0
 昨年度の記事は[0:716]。なげやりですね。執筆放棄をしてしまいました。
 だって偶像の悪口なんて当たり前すぎてつまんないんだもの。
 でも、ここでいう偶像を他宗教ととらえるのではなく、もっと広く「人のこころをとらえているもの」としてみましょう。するとわたしたちは、お金を偶像としたり、好きな異性を偶像としたり、世俗の権威を偶像としたり、地位を偶像としたり、さまざまなものを偶像としてとらわれています。そういうときに、これらはみんなむなしいのだととらえることは、執着を捨てる仏教の考えかたと同じであることがわかります。ついついたくさん買い物をしてしまいそうになるときに、これはみんな偶像だと思えば、お金の浪費をしなくてすむかしら。

[321] エレミヤ書12-16章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/23(金) 11:26:13 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jer&chapter=12&mode=0
 昨年度の記事は[0:567]。ふむふむ、このころから私は上杉隆先生を平成のエレミヤと思い始めていたのね。でもまだ「経歴が経歴」とか「話半分程度」とか疑ってますね。だって昨年の今頃は、原発の真実を知るのがこわかったんですもの。みんなが上杉先生の悪口を言ってデマ男呼ばわりしていたんですもの。エレ12:1-4にあるとおり、神様はときどき(しょっちゅう?)悪人を栄えさせるんですものね。ウソをつく政府や新聞やテレビをわざと栄えさせて、そしてあるときに思い切り叩き落すのね。この一年でもうみんな政府や新聞やテレビを信用しなくなりましたからね。
 政府とマスコミはお互いなあなあで結託しているうち、ユフラテ(ユーフラテス)川の岩に隠しておいた帯のようにすっかりダメになってしまったのです。酒に酔いしれているうちにダメになっちゃったんです(13章)。
 ところで現実の上杉さんは独身で、テレビでは童貞だとおっしゃってますが、エレミヤもずっと独身。しかも神様から「結婚するな、子作りするな」(エレ16:2)とまで言われています。常に命をねらわれる危険な仕事のためには、結婚なんかしてはいられないということなのですね。

[320] モーサヤ書2章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/22(木) 11:14:14 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=2&mode=0
 ベニヤミン王、なんと玉音放送をします。もちろんこの時代にはラジオもレコードもありませんので、わざわざ塔まで建設させて、その上から民に呼びかけます。でもさすがに全員には聞こえなかったみたいで、速記させて後日この言葉を伝えたらしい。なら最初からそうすればいいのに。塔まで建設するなんて税金の無駄遣いだわ。
 そこまでして伝えたかった内容とは、29節にあるように、政治的にも宗教的祭司としても、王はもう君臨できないということです。メインの話は次章になり、まだここでは前置きです。
 信仰心の深い王様は、人間はみんなちりからできたむなしいものであり、私も例外ではないとし、謙虚に神に従えと言います。

[319] ユディト記1章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/22(木) 11:06:42 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jdt&chapter=1&mode=0
 昨年度の記事は[0:432]。付け加えることがないので転載しちゃいます。
 ユディトという勇敢な女性が、その美貌と勇気によって、イスラエルの民の危機を救うという話です。
 第1章は導入(実は主人公ユディトは8章にならないと出てこないので、そこまで延々と導入なんですけど)ですけど、ちょっと注意。
 ユディト記の特徴は、時代考証イイカゲン、地理考証イイカゲンってことです。
 「アッシリア王ネブカデネザル」っていうのがまるきりデタラメ。
 ネブカデネザルって、世界史で習ったと思います。私は「眠いけど寝ない」なんて覚えましたけど、この王様は旧バビロニアと新バビロニアの王様なんで、アッシリアにはこんな王様いないんです。いわば「鎌倉幕府4代目征夷大将軍・足利家光」みたいなイイカゲンさ。だから「治世の12年」なんていわれても、何年のことかはちっともわかりません。実際にはアッシリアの王センナケリブ(この人はトビト記に出てきましたね。BC706-681)の時代に、アッシリアは大々的に周辺地域への進攻を行ったので、そのあたりだと思えばいいんじゃないかしら。また、出てくる地名を地図で忠実にたどっていくと、実にイイカゲンなんで、そこらへんは適当に読んでください。

[318] ヨブ記29-30章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/22(木) 11:03:30 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=job&chapter=30&mode=0
 昨年度の記事は[0:566]
 内容的な話はこの昨年度の記事を読んでいただくとして、今年は1点だけ。
 ヨブ30:27
  わたしのはらわたは沸きかえって、静まらない。悩みの日がわたしに近づいた。(口語訳)

 この「はらわたは沸きかえって」というところ、いちいち列挙するのは避けますが、すべての訳で共通しているようでいて、唯一違うのがなんと新共同訳。
  わたしの胸は沸き返り、静まろうとしない。苦しみの日々がわたしに襲いかかっている。
 「胸は沸き返り」なんですよね。
 ついでながら、新共同訳の前身の幻の「共同訳」、新約聖書しかないかと思ったら実はヨブ記だけ単独に出たんですけど、そこでは
  わたしのはらわたは煮えたぎり、静まろうとしない。苦しみの日々がわたしに襲いかかっている。
 また、新共同訳に影響を与えたフラ訳でも、
  わたしの腸(はらわた)は煮えくりかえって休むいとまもない。悩みの日々がわたしに立ち向かっている。
なんですね。わざわざ変更しているんです。
 原文は
http://interlinearbible.org/job/30-27.htm
で、冒頭のメアイというのがそれ。このインターリニアではwithinとしか書いてませんが、やっぱり腹とか腸とか子宮とか、いずれにせよ胸よりは下です。KJVではbowel、他の英訳ではbowelかbellyなんで、どうして新共同訳が胸にしたのかちっともわかりません。
 胸が沸くというと、字は違いますが、湧き上がるつまり精神が高揚する感じに聞こえて誤解を招くはずなんですけどね。これは改悪。原因不明。

[317] モーサヤ書1章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/21(水) 11:08:14 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=1&mode=0
 このところ1章しかない書がちょこちょこ続きましたが、こんどのモーサヤ書は大作、29章もあります。
 モーサヤって誰でしたっけ? 新天地に移住した民族は悪いのがレーマン人で、よいのがニーファイ人でしたよね。そのニーファイ人も堕落するなか、ニーファイ人のモーサヤがニーファイの地を脱出、ゼラヘムラに逃れます。そこにはバビロン捕囚のときにエルサレムを脱出した人々が住んでいました。モーサヤはこの地で王位につき、人々を教化した後に死去、子のベニヤミンがあとをついでいます。
 ベニヤミンは57年版モルモン経ではベンジャミンですが、「真理子のおまけ」のほうでは現行のベニヤミンに直してあります。「真理子のおまけ」はほとんど57年版モルモン経と同じなんですが、表記をちょこちょこ改めていますので、57年版そのものを読みたい場合は聖書を「口語」や「新共同」にしないで、「Mr:口語57」を選んでください。
 さて、ベニヤミンには三人の息子がおりますが、上のモーサヤと下のヒラマンだけ覚えておきましょう。ベニヤミンは死に、子のモーサヤが即位します。おじいさんと名前が同じなので注意しましょう。

[316] 1マカ15章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/21(水) 10:59:39 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ma&chapter=15&mode=0
 昨年度の記事は[0:593]
 前章ではメデアにつかまっちゃったセレウコス朝シリアの王デメトリオの子のアンテオコスが即位、ユダヤはヨナタンが死んでシモンが祭司であり政治的指導者となっており、ローマとのつながりも強化します。
 アンテオコスはトルポンとの内戦を有利にすすめるため、ユダヤと和睦し、大幅な自治権を認めます。が、形勢が有利になってくるとてのひらを返したようにユダヤを攻め始めます。