[ばべるばいぶる] |
このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
真理子修道会の修道女/修道士の方のみ書き込むことができます。
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[335] モーサヤ書5章 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=5&mode=0 ベニヤミン王の玉音放送の結果、人々はキリストを信ずるようになりました。 イエス様の出現前120年ほどという時代設定なのに、キリストの話なんかするのはおかしいんですけど、キリストは一応普通名詞ですから、前章みたいに「イエス」という固有名詞をあげてないぶん、まだましなのかもしれないわね。 |
[334] シラ書16章 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=16&mode=0 昨年度の記事は[0:801]。 昨年は家族ネタを書いたんですが、そのうちの「主人のお父様」はその後亡くなりました。そして主人も私も創価学会を棄ててクリスチャンになろうとしております。 私のほうは創価の両親を憎みながら育ったのでクリスチャンになるのは平気ですが、主人のほうは親を裏切るようでうじうじ言ってる。でも牧師先生が 使16:31「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」を根拠に、家族の誰か一人でもクリスチャンになれば家族は救われる、と説きまして、それでいたく勇気付けられ、クリスチャンになることこそ親孝行だというので受洗を決意しました。これで シラ16:1「ろくでなしの子をいっぱい作ろうと思うな。神を敬わない子をかわいがるな。」の教えが成就したのです。主人がご両親を裏切って創価を棄教して神を敬う子になったおかげで、ご両親も救われるのですから。 |
[333] サム上26-31章 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1sa&chapter=26&mode=0 昨年度の記事は[0:571]。 地図は http://www.babelbible.net/map/9.png だけなのでこれを見てください。 ダビデはジフ(地図C-2上ぎりぎりと下ぎりぎりの2箇所ありますがどっちかよくわかりません)の荒野のハキラ山(所在不明)に隠れており、サウルが捜索に来ます。ダビデはアビシャイとともにサウルの陣に乗り込み、無防備で寝ているサウルの隣から槍と瓶を盗み出し、後日サウルに会って「殺そうと思えば殺せたけど殺さなかった。私は敵意を持っていない」といいます。これって24章同様の話ですね。ここまで26章。 ダビデはペリシテ人の地ガテ(地図B-1)に亡命。勇敢に戦ってアキシ王からよい評価を得ます。ここまで27章。 ペリシテとイスラエルの戦いが始まり、ダビデはペリシテ側につきます。サウルはかつて自分が禁止して追放したはずの霊媒に頼ってサムエルの霊を呼び出しますが、霊は「神はサウルを見捨てた」と告げます。しかし死んでからも登場する人物というのは、イエス様を除けばサムエルだけでしょうね。ここまで28章。 ペリシテの他の王たちはダビデを信用せず、ダビデは戦列を離れます。29章。 アマレク人がチクラグを襲い、ダビデの二人の妻たちも捕らえられます。場所は不明ですが、アマレク人とはエドム人の系列なので地図C-2のエドム(イドマヤ)と書いてあるあたりでしょう。ダビデは追撃、アマレク人の奴隷となっていたエジプト人の誘導を得てアマレク人の宴会を襲い、ぶんどり品を得、またダビデの妻も助かります。ダビデについてきた人たちのうち、このとき従軍しなかった人たちにもダビデはぶんどり品を分け与え、それがイスラエルの習慣になりました。30章。 ペリシテ人はサウルを撃ち、サウルは自害します。31章。これでサムエル記上はおしまい。 |
[332] モーサヤ書4章 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=4&mode=0 ベニヤミン王の玉音放送は一応おわり、人々はイエス・キリストを信じるようになりました。……って、まだイエス様は生まれてないじゃん! イエスという固有名詞出すのまずくないですか。せめてキリストだけにしとかないと時代が合いませんわ。 ベニヤミン王はふたたび人々を教え始めますが、物を惜しむなとか、借りたものは返せとか、なんかずいぶん世俗的な教えになっちゃいましたね。 |
[331] ソロモンの詩篇2篇 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=pss&chapter=2&mode=0 イスラエルの民が悪いことばかりしたので神様はエルサレムを滅ぼされましたが、もうこれで十分でしょう。異邦人にエルサレムが蹂躙されてもいいのですか、という祈り。 後半では神様は異邦人をやっつけてくれるのですが、 ソ詩2:26の「エジプトの山の上でしとめられた男」というのは聖書に出てくる話ではなく、プルタルコス英雄伝に出てくるポンペイウス(BC106-48)のことらしいです。ですからソロモンの詩篇というのは実際にはずいぶん後に作られたのです。 |
[330] 出エジプト記9-12章 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=exo&chapter=9&mode=0 昨年度の記事は[0:570]。 11章からは過越祭、別名除酵祭のいわれです。 もともと過越祭とは初子を神にささげる牧畜民の祭、除酵祭は大麦の刈り入れのための農耕民の祭で別物だったのでしょうが、イスラエルの民は両方を一緒に行うので実質的に同じ祭になっています。Wikipediaで除酵祭と入れると「過越」にリダイレクトされてしまいます。 出エジプト記はここまで、モーセがいろいろな奇跡をやってもパロ(ファラオ)は民を去らせなかったという話の連続で、少々退屈ですね。 |
[329] モーサヤ書3章 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=3&mode=0 ここまでのあらすじ。 紀元前600年、ユダ王国の滅亡を予言したため人々から迫害されたリーハイは、一族を連れてエルサレムを脱出、荒野の苦しい旅を経て神の約束された新天地アメリカ大陸にわたります。 リーハイには6人の子がいますが、長男レーマンと次男は悪役で何かにつけて4男ニーファイらに反抗します。新天地でリーハイが死ぬと、レーマンはニーファイらと激しく戦うようになり、ニーファイらは別の地に移って一族が栄えます。以後、レーマンの一族はレーマン人、ニーファイらの一族はニーファイ人と呼ばれるようになります。 ニーファイの後継は弟のヤコブ、そしてヤコブの子イノス、イノスの子ジェロム、ジェロムの子オムナイ…と続きます。そのうちにニーファイ人も堕落、レーマン人とニーファイ人の戦いも続くなか、ニーファイ人のモーサヤがニーファイの地を脱出、ゼラヘムラに逃れます。なんとこの地の人はバビロン捕囚のときにエルサレムを脱出した人々なんだそうな。モーサヤはこの地で王位につき、人々を教化した後に死去、子のベニヤミンがあとをついでいます。 そしてベニヤミンは死期がせまっているのを自覚、退位を決意し、民を集めて塔の上から「玉音放送」をしている最中でした。 ちょっと先回りをして、ベニヤミンの次はモーサヤ。これがモーサヤ書のモーサヤです。ベニヤミンの父もモーサヤですからご注意ください。 いま時代はBC124、120年ほど後のキリストの出現をベニヤミンは予言して、玉音放送を終えます。 |
[328] 3イミ15章 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=3ic&chapter=15&mode=0 要するに自分の希望を祈ってるんじゃないのよってことです。祈って悪いわけじゃないけど、たぶんそれはかなわない。すべては神様のみこころのままにということです。神様のみこころが成就すれば、それは自分にとって最適のもののはずですから、あとはそれを受け入れるだけなのです。 「病者の祈り」という有名な祈りがあります。 http://members.jcom.home.ne.jp/delaila/kokoro-kotoba/byosha.html まあこんなふうに、キリスト教の神様は、自分の希望を祈ってもたいていかなえてくれません。しばしば、いえ、しょっちゅう、祈ったことと反対のものをかなえてくれる。でもそれは、神様の考えてくださった、わたしにとっての最適のことなのです。 |
[327] 1コリ13-14章 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1co&chapter=14&mode=0 昨年度の記事は[0:569]。 よほどむしゃくしゃしていたのか、昨年はずいぶんつんつんしてますね。 まあ 一コリ14:34「女は教会では黙ってろ」は最近私の愛用する箇所になりましたわ。「聖書は同性愛を禁止している」「聖書は女装を禁止している」「聖書はオナニーを禁止している」…と言ってくる手合いを退治するときに使うんです。「あんたらの教会では女は一言もしゃべってないでしょうね?」と言ってやるんです。オールマイティに使えるので便利です。 異言についてはパウロの書いてることがこの章内であちこち矛盾してて、お前はいったいどっちなんだといらいらするので無視します。パウロがなんと言おうと、異言は気持ち悪いので禁止! ただ、福音派にしろ聖霊派にしろ、一般信徒はいい。それで救いが得られてるんだったら私は何もいいません。牧師はペテン師だと思いますけどね。聖書に誤りが多いの知ってて聖書無謬説を教え、異言がまやかしだというの知ってて異言をさせるわけですから。 ともあれ13章に立ち返るべきです。愛こそすべてです。預言も異言も知識もむなしいんです。 |
[326] クルアーン30回 投稿者=真理子![]() ![]() |
クル-30回。第6章136-165節。6章はこれでおしまいです。 6章のタイトルは「家畜」。やっと家畜の話が出てきました。要するにいろいろな食物禁忌は神が命じたものではなく根拠がないという話です。 イスラム教はあれを食べるなこれを食べるなとうるさいようでいて、実はクル6:145にあるとおり、死体、血、豚、別の神の名によって屠殺されたもの以外はOKだし、知らなかったとか仕方なかったとかはOKだというので、ユダヤ教にくらべればずいぶんゆるいんだということのようです。でも私はやっぱり豚を食べたいわ。 ところで、何でユダヤ教やイスラム教で豚がダメなのかについては、豚のえさが人間の食料とかぶっているので、降水量が少なく植物が育ちにくいところで豚を飼うと人間の食べるものがなくなってしまうからだという話があります。そういえばルカ15:16で放蕩息子は、豚の食べるいなご豆でいいから食べたいなんて言ってますよね。ホントかどうかは知りませんけど。 |
[325] 1イミ15章 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ic&chapter=15&mode=0 1イミというのはイミタチオ(キリストにならいて)の第一巻。15世紀に書かれたキリスト教修養書で聖書についで広く読まれた本と言われています。 さて、今日は「愛の心から出る行為」。単に自分の考えだけでよいことだと思うのではなく、貧しい人を助けるとか、公共のために尽くすとかいう観点で、何をするかを考えなさいと言ってます。それがたとえ、大きなことが小さいことになってしまう、たとえば多くの人を助けるために大きな仕事に出かける途中で、いま目の前で困っている人を見かけて、その人を助けるために大きな仕事を犠牲にしてしまったなんていうこともある、というわけです。神様は、仕事の大小ではなく、動機を見ているからです。 |
[324] マルコ9-10章 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mar&chapter=9&mode=0 昨年度の記事は[0:568]。 マコ9:1の「神の国が来るまで死なない人がいる」のように、マルコが書かれた当時はまだまだ「生きているうちに終末が来る」と思っていた人が多いようです。 私は、いつ終末が来るかというのをハッキリいう宗教はそれだけでカルトだと思っていますが、この当時のキリスト教は文句なくカルトですね。 ただ、神の国というのはどこか別のところにあってそこへ「行く」ものではなく、「来る」ものなのだ、つまり神の国はこの世なのだということは強調しておきましょう。私がかねがね主張している「神の国=この世」説です。 もっとも、「神の国が来る」のとりようによっては、イエス様の言葉はちゃんと成就したとも考えられます。たとえば紀元70年の神殿崩壊が救済の新たなステージの始動でありこれこそ「神の国が来る」ことなのだというなら、たしかに死なない人も多かったろうし、そもそも十字架の死と復活がそれなのだというなら、ほとんど全員が死ななかったでしょう。ものは言いようです。 ついでながらこの解釈、 The Jewish Annotated New Testament: New Revised Standard Version Bible Translation http://www.amazon.co.jp/dp/0195297709/ref=cm_sw_r_tw_dp_hblzpb1MFQY9J を参考にして書いてます。NRSVの本文を全部掲載して脚注の形でユダヤ教の観点からユニークな見解が書かれていて面白いです。 たとえば前回の マコ8:33でイエス様がペテロに「サタンよ、引きさがれ」と言ってるのは、 ゼカ3:2で神様が大祭司ヨシュアの右に立っているサタンを叱ったのと相似形なので、ペテロの隣にいるサタンを叱ったととれるし、 箴3:12「主は、愛する者を、戒められる」ってことかもしれないと書いてます。これらの引照は新共同訳、新改訳、新世界訳、回復訳のどれにも書いてないので目からうろこでした。アマゾンですぐに届けてくれるのでご購入をお勧めします。 |
[323] クルアーン29回 投稿者=真理子![]() ![]() |
クル-29回。6章111-135節。 それにしてもクルアーンは偉大なるワンパターン。今日出てくる話はすべて、もう聞いたよっていうことばっかりですね。でもこれがクルアーンのいいとこかもしれない。どのページを開けても同じ話が出てくる。何度でも何度でも繰り返す。これで「聞いてなかった」「知らなかった」とは言わせないというわけです。 当サイトの聖書通読では全120回としていますが、ホントは全30回。1ヶ月で読めるようになっています。ラマダンの月に読むようですね。毎日毎日同じ話を読んで自分の頭と心と体にすりこんでしまえというのです。 |
[322] 知恵の書15章 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=wis&chapter=15&mode=0 昨年度の記事は[0:716]。なげやりですね。執筆放棄をしてしまいました。 だって偶像の悪口なんて当たり前すぎてつまんないんだもの。 でも、ここでいう偶像を他宗教ととらえるのではなく、もっと広く「人のこころをとらえているもの」としてみましょう。するとわたしたちは、お金を偶像としたり、好きな異性を偶像としたり、世俗の権威を偶像としたり、地位を偶像としたり、さまざまなものを偶像としてとらわれています。そういうときに、これらはみんなむなしいのだととらえることは、執着を捨てる仏教の考えかたと同じであることがわかります。ついついたくさん買い物をしてしまいそうになるときに、これはみんな偶像だと思えば、お金の浪費をしなくてすむかしら。 |
[321] エレミヤ書12-16章 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jer&chapter=12&mode=0 昨年度の記事は[0:567]。ふむふむ、このころから私は上杉隆先生を平成のエレミヤと思い始めていたのね。でもまだ「経歴が経歴」とか「話半分程度」とか疑ってますね。だって昨年の今頃は、原発の真実を知るのがこわかったんですもの。みんなが上杉先生の悪口を言ってデマ男呼ばわりしていたんですもの。エレ12:1-4にあるとおり、神様はときどき(しょっちゅう?)悪人を栄えさせるんですものね。ウソをつく政府や新聞やテレビをわざと栄えさせて、そしてあるときに思い切り叩き落すのね。この一年でもうみんな政府や新聞やテレビを信用しなくなりましたからね。 政府とマスコミはお互いなあなあで結託しているうち、ユフラテ(ユーフラテス)川の岩に隠しておいた帯のようにすっかりダメになってしまったのです。酒に酔いしれているうちにダメになっちゃったんです(13章)。 ところで現実の上杉さんは独身で、テレビでは童貞だとおっしゃってますが、エレミヤもずっと独身。しかも神様から「結婚するな、子作りするな」(エレ16:2)とまで言われています。常に命をねらわれる危険な仕事のためには、結婚なんかしてはいられないということなのですね。 |
[320] モーサヤ書2章 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=2&mode=0 ベニヤミン王、なんと玉音放送をします。もちろんこの時代にはラジオもレコードもありませんので、わざわざ塔まで建設させて、その上から民に呼びかけます。でもさすがに全員には聞こえなかったみたいで、速記させて後日この言葉を伝えたらしい。なら最初からそうすればいいのに。塔まで建設するなんて税金の無駄遣いだわ。 そこまでして伝えたかった内容とは、29節にあるように、政治的にも宗教的祭司としても、王はもう君臨できないということです。メインの話は次章になり、まだここでは前置きです。 信仰心の深い王様は、人間はみんなちりからできたむなしいものであり、私も例外ではないとし、謙虚に神に従えと言います。 |
[319] ユディト記1章 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jdt&chapter=1&mode=0 昨年度の記事は[0:432]。付け加えることがないので転載しちゃいます。 ユディトという勇敢な女性が、その美貌と勇気によって、イスラエルの民の危機を救うという話です。 第1章は導入(実は主人公ユディトは8章にならないと出てこないので、そこまで延々と導入なんですけど)ですけど、ちょっと注意。 ユディト記の特徴は、時代考証イイカゲン、地理考証イイカゲンってことです。 「アッシリア王ネブカデネザル」っていうのがまるきりデタラメ。 ネブカデネザルって、世界史で習ったと思います。私は「眠いけど寝ない」なんて覚えましたけど、この王様は旧バビロニアと新バビロニアの王様なんで、アッシリアにはこんな王様いないんです。いわば「鎌倉幕府4代目征夷大将軍・足利家光」みたいなイイカゲンさ。だから「治世の12年」なんていわれても、何年のことかはちっともわかりません。実際にはアッシリアの王センナケリブ(この人はトビト記に出てきましたね。BC706-681)の時代に、アッシリアは大々的に周辺地域への進攻を行ったので、そのあたりだと思えばいいんじゃないかしら。また、出てくる地名を地図で忠実にたどっていくと、実にイイカゲンなんで、そこらへんは適当に読んでください。 |
[318] ヨブ記29-30章 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=job&chapter=30&mode=0 昨年度の記事は[0:566]。 内容的な話はこの昨年度の記事を読んでいただくとして、今年は1点だけ。 ヨブ30:27 わたしのはらわたは沸きかえって、静まらない。悩みの日がわたしに近づいた。(口語訳) この「はらわたは沸きかえって」というところ、いちいち列挙するのは避けますが、すべての訳で共通しているようでいて、唯一違うのがなんと新共同訳。 わたしの胸は沸き返り、静まろうとしない。苦しみの日々がわたしに襲いかかっている。 「胸は沸き返り」なんですよね。 ついでながら、新共同訳の前身の幻の「共同訳」、新約聖書しかないかと思ったら実はヨブ記だけ単独に出たんですけど、そこでは わたしのはらわたは煮えたぎり、静まろうとしない。苦しみの日々がわたしに襲いかかっている。 また、新共同訳に影響を与えたフラ訳でも、 わたしの腸(はらわた)は煮えくりかえって休むいとまもない。悩みの日々がわたしに立ち向かっている。 なんですね。わざわざ変更しているんです。 原文は http://interlinearbible.org/job/30-27.htm で、冒頭のメアイというのがそれ。このインターリニアではwithinとしか書いてませんが、やっぱり腹とか腸とか子宮とか、いずれにせよ胸よりは下です。KJVではbowel、他の英訳ではbowelかbellyなんで、どうして新共同訳が胸にしたのかちっともわかりません。 胸が沸くというと、字は違いますが、湧き上がるつまり精神が高揚する感じに聞こえて誤解を招くはずなんですけどね。これは改悪。原因不明。 |
[317] モーサヤ書1章 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=1&mode=0 このところ1章しかない書がちょこちょこ続きましたが、こんどのモーサヤ書は大作、29章もあります。 モーサヤって誰でしたっけ? 新天地に移住した民族は悪いのがレーマン人で、よいのがニーファイ人でしたよね。そのニーファイ人も堕落するなか、ニーファイ人のモーサヤがニーファイの地を脱出、ゼラヘムラに逃れます。そこにはバビロン捕囚のときにエルサレムを脱出した人々が住んでいました。モーサヤはこの地で王位につき、人々を教化した後に死去、子のベニヤミンがあとをついでいます。 ベニヤミンは57年版モルモン経ではベンジャミンですが、「真理子のおまけ」のほうでは現行のベニヤミンに直してあります。「真理子のおまけ」はほとんど57年版モルモン経と同じなんですが、表記をちょこちょこ改めていますので、57年版そのものを読みたい場合は聖書を「口語」や「新共同」にしないで、「Mr:口語57」を選んでください。 さて、ベニヤミンには三人の息子がおりますが、上のモーサヤと下のヒラマンだけ覚えておきましょう。ベニヤミンは死に、子のモーサヤが即位します。おじいさんと名前が同じなので注意しましょう。 |
[316] 1マカ15章 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ma&chapter=15&mode=0 昨年度の記事は[0:593]。 前章ではメデアにつかまっちゃったセレウコス朝シリアの王デメトリオの子のアンテオコスが即位、ユダヤはヨナタンが死んでシモンが祭司であり政治的指導者となっており、ローマとのつながりも強化します。 アンテオコスはトルポンとの内戦を有利にすすめるため、ユダヤと和睦し、大幅な自治権を認めます。が、形勢が有利になってくるとてのひらを返したようにユダヤを攻め始めます。 |
[315] 詩編42-44編 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=psa&chapter=42&mode=0 昨年度の記事は[0:565]。 新共同訳聖書ではなぜか(紙媒体の本でも)書かれていないのですが、詩編はここから第二巻になります。詩編が全五巻であることも頭の片隅にとどめておきましょう。 ●42-43編 どの聖書でも一応分けてますけど、42編と43編は連続しています。 コラの子というのは聖歌隊の別名です。コラは 民16あたりに出てくるモーセのいとこで、反逆したために地に飲み込まれて死んでしまった( 民26:10)不名誉な人ですが、その子孫は神殿の門番( 代上26:1)とか聖歌隊( 代下20:19)とかについたのです。 鹿さんが出てくる美しい詩。のどの渇いた鹿が谷川の水を求めるように私は主を求めます。でもこの川の水はちょろちょろとしか流れていないようで、神様の声はそうしょっちゅう聞けるようではなさそうです。 まずはなんといってもパレストリーナの名曲Sicut cervus desiderat。 (http://www.youtube.com/watch?v=6H8H3bf0dLo) メンデルスゾーンの曲も美しい。 (http://www.youtube.com/watch?v=I0YjuWzmkqg) kinotoriさんの作品もご紹介します。 (http://www.youtube.com/watch?v=n7IR4eJpoJ4) ●44編 祖先たちを救ってくれた神様の偉大なみわざをたたえ、み顔を隠さず私たちを救えと言っております。ヘブライ語の歌を聴きましょう。 (http://www.youtube.com/watch?v=EoQY1Vn0RH0) |
[314] モルモン言(全) 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=wmo&chapter=1&mode=0 95年版の新しいモルモン書では「モルモンの言葉」となっていますが、当サイトでは57年版の「モルモン言」でいきます。 これも1章しかなく、前のオムナイ書のような間奏曲的というか、今後の方向を示すような書になっています。時代はAD385年、ずっとずっと後の時代のモルモンが過去を回想して、今まで書かれてきた予言はみんな成就したんだ、正しいんだよと太鼓判をおし、あらためてベニヤミン王の時代、BC130年ごろの時代に戻って、次のモーサヤ書を導きます。 |
[313] シラ書15章 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=15&mode=0 昨年度の記事は[0:798]。 知恵というのはシラ書や知恵の書では神の別名のように使われています。 イスラエルの神様ヤハウェくんは父つまり男性のイメージでとらえられていますが、本来神様は男でも女でもないはずです。実際、聖書にはヤハウェくんだけでなくエロヒームとかエル・シャッダイとかいう形でさまざまな神のイメージが描かれています。フェミニズム神学者たちは、そういうさまざまな神のイメージがしだいにヤハウェという荒っぽい男神に純化されていく一方で、女神のイメージがギリシアの神々とも混交して知恵という形になったと説明しています。福音派のような原理主義のかたがたは、女神というと異教のイメージだというのでこういう説明を嫌うようですが、本来神様が持っていた生命をはぐくむ女神のイメージは、もっと大切にされるべきでしょう。 |
[312] サム上21-25章 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1sa&chapter=21&mode=0 昨年度の記事は[0:564]。 サウルに追われる身となったダビデは逃亡中にアヒメレクのところで食べ物を乞います。このときの話が マタ12:1-8 マコ2:25-27 ルカ6:1-5でイエス様によって引き合いに出されていますが、マルコでは名前をアビヤタル(それは彼の息子)なんて言ってるし、別に安息日の話だったわけじゃないし…という話は昨年書きました。なお、紛らわしい名前にアビメレクというのがあります。 創20 創21 創26、また同名異人が 士9に出てきますので注意してください。ビじゃなくヒです。 それはそれとして、アヒメレクはお供え用のパンだけじゃなく、ゴリアテの持っていたつるぎまで与えてしまいます。このことがあとで問題になります。 そこをたってダビデはガテの王アキシのところへ行きますが、警戒されたために狂人のさまを装って逃げます。詩34はこのときの話らしいのですが、名前をアビメレク(ヒじゃない!)と間違えています(21章)。 エドム人ドエグはアヒメレクがダビデの逃亡を援助したことをサウルに密告、アヒメレクの一家は殺されてしまいます。ダビデはアドラムのほら穴を経由してミヅバにいるモアブの王のところにかくまわれます(22章)。 ケイラ( http://www.babelbible.net/map/9.png のC-1、東経35度の縦線をたどって真ん中よりちょっと南 )を攻めたペリシテ人をダビデは撃ちます。アヒメレクの子アビヤタルは殺害を逃れてケイラのダビデを訪問、それがきっかけでサウルに居場所を知られたダビデはジフ(同図C-2)に逃亡、ここでサウルの子ヨナタンと会います。ダビデを支持するヨナタンは神様の前でダビデを王と認めます。ペリシテ人との戦いが厳しくなってきたのでサウルはダビデ捜索を中断します(23章)。 ダビデはエンゲデ(同図C-2の死海沿岸)に逃げます。捜索に来たサウルがトイレに入った洞穴(口語訳聖書だとサム上24:4の「足をおおう」というのがその隠語)は実はダビデが隠れていたところでしたが、ダビデはサウル殺害の好機を放棄、上着のすそを切ったうえでサウルに挨拶、殺そうと思えばできたのに殺さなかったことを示してサウルに恭順の意を示します(24章)。 死因が不明ながら突然サムエルが死にます。 マオン(同図C-2)にナバルという粗暴な男がいて、ダビデは使者を遣わして援助を求めますが拒絶されます。ダビデはナバル一族を殺そうとしますがナバルの妻アビガイルのとりなしでとどめます。ナバルはかわりに神様が撃ってくれました(!)。アビガイルはダビデの妻になります。一方、ダビデの妻だったサウルの子ミカルは、サウルによって別の男に与えられてしまいます(25章)。 |
[311] オムナイ書(全) 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=omn&chapter=1&mode=0 たった1章しかない文書ですが、やたらと時が流れます。間奏曲的な文書ですね。 文中、×××年たったという表現がやたらと出てきますが、これらはすべて、リーハイがエルサレムを脱出したBC600からの計算です。計算すると本書の最終ではBC361になってます。 オムナイ書とありますが、オムナイ(ジェロムの子)自身は最初の3節のみ。以下、この書の書き手は、アマーロン(オムナイの子)、ケミシ(アマーロンの弟)、アビナドム(ケミシの子)、アマレカイ(アビナドムの子)と世代交替します。 よかったはずのニーファイ人も堕落、レーマン人とニーファイ人の戦いも続くなか、ニーファイ人のモーサヤがニーファイの地を脱出、ゼラヘムラに逃れます。なんとこの地の人はバビロン捕囚のときにエルサレムを脱出した人々なんだそうな。モーサヤはこの地で王位につき、人々を教化した後に死去、子のベニヤミンがあとをついでいます。 なお、ベニヤミンは57年版モルモン経ではベンジャミンという英語名になっているのですが、さすがに英語名はおかしかろうというのか、95年版ではベニヤミンになりました。そこで、「真理子のおまけ」(口語訳聖書や新共同訳聖書で表示されるモルモン経)は、ベニヤミンに直してあります。こんなふうに、真理子のおまけは57年版モルモン経をちょこちょこ訂正しています。57年版モルモン経そのものを読みたい場合は、「Mr:口語57」を指定してください。 |
[310] ソ詩1編 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=pss&chapter=1&mode=0 ソ詩というのはソロモンの詩篇。え、そんなの知らないぞって? これは新共同訳の続編には入ってません。LXX(七十人訳聖書=ギリシア語訳旧約聖書)に入ってます。 ところで、「ソロモンの詩篇」というライトノヴェルがあるんですね。「ソロモンの詩篇」でぐぐると本家のほうはあまりヒットせず、このラノヴェのほうががんがんヒットします。が、本家とは全然関係ありません、たぶん。 --------------------------------------------------------------------------------- ソロモンの詩篇-魔法学院と悪魔の寝室- (KCG文庫) HALO http://www.amazon.co.jp/dp/4047275956/ref=cm_sw_r_tw_dp_5AIzpb1A3Q2YT --------------------------------------------------------------------------------- 本家のほうは18の詩篇からなっていますが、ソロモンが書いたというのはうそっぱち。たぶん紀元前1世紀ごろにパリサイ派の立場から書かれたものということのようです。 とりあえず今のところ第1編しか訳してません。クルアーンやイミタチオ同様、通読と同時進行、やっつけ仕事でやっていきます。 |
[309] 出エジプト記5-8章 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=exo&chapter=5&mode=0 昨年度の記事は[0:562]。 モーセとアロンはパロ(ファラオ)に荒野で祭をしたいと言いますがパロは許可せず、逆にイスラエルの民の仕事を厳しくします。民はモーセに不平を言うので困ったモーセは神様に訴えます(5章)。神様は、いいからパロのところへ行って説得しろといいます(6章)。モーセは、つえを蛇に変えたり、ナイル川の水を血に変えたり、かえる、ぶよ、あぶなどを大量発生させたりしますが、パロは許可しません(7-8章)。 おとといはサイババの話をして、奇跡なんかしなかったほうがよかったといいましたけど、ここもそうですね。どんなに奇跡をやっても、そんなのは所詮は手品なんで、信用されないんです。この点エジプト人は、現代人に似ていますね。あ、この話は昨年書いたんだった。でも何度でも書きますわ。このあたりのやりとり、イスラエルのほうがいかがわしく、エジプトのほうが健全です。 出5:3で「ヘブルびと」という言い方が出てきますが、ヘブルというのはこういうふうに他称として使うのが本来のようです。 |
[308] ジェロム書(全) 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jar&chapter=1&mode=0 今週はどんどん話が進んじゃいますので、今までの話をごく簡単にまとめておきましょう。 紀元前600年、ユダ王国の滅亡を予言したため人々から迫害されたリーハイは、一族を連れてエルサレムを脱出、荒野の苦しい旅を経て神の約束された新天地アメリカ大陸にわたります。 リーハイには6人の子がいますが、長男レーマンと次男は悪役で何かにつけて4男ニーファイらに反抗します。新天地でリーハイが死ぬと、レーマンはニーファイらと激しく戦うようになり、ニーファイらは別の地に移って一族が栄えます。以後、レーマンの一族はレーマン人、ニーファイらの一族はニーファイ人と呼ばれるようになります。 ニーファイの後継は弟のヤコブ、そしてヤコブの子イノス、イノスの子ジェロムに受け継がれて今日のジェロム書。 時は経過して、ジェロム書で書かれている年代は紀元前399年から361年までです。 レーマン人は野蛮な生活をしてたびたびニーファイ人と戦いましたが、ニーファイ人も栄えて防戦しています。話としてはこれだけです。 ただ、興味深いのは8節で「金、銀、貴重な物、木細工、建物、機械、鉄、銅、真鍮、鋼」といった産物をニーファイ人が持っているというわけなんですが、これ技術史的にどうなんでしょう? 一番ひっかかってるのが鉄で、たしかアメリカ・インディアンは18世紀まで鉄なんか持ってなかったはずなんですけどね。今は鉄なんて珍しくありませんけど、古代では鉄はいまの核兵器なみの力をもった金属だったんですけどね。イスラエルだって鉄を持つのが遅れたからペリシテに圧迫されたんです。エジプトだって鉄を持ってたヒッタイトに降ったんです。南米のインカ帝国は金は持ってたけど鉄を持ってなかったからピサロにやられちゃったんです。 こういう技術史的な話を突っ込むと、文書の真偽を判定することが容易になります。私たちは宗教書というと神様の話ばっかり目が行きますが、ちゃんと技術に目を向けることです。 |
[307] 3イミ14章 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=3ic&chapter=14&mode=0 昨日同様にすばらしい話です。 わたしたちはついつい自分のしたよいことを誇ったりする。人に宣伝せずとも心の中では、これだけいいことをしているんだから私は偉いみたいに思ってたりする。だけどそんなことはない。イミタチオの著者が何度も言ってるように、自分を低くいやしいものと考え、謙遜しなければなりません。神様のおさばきの前ではそんなのふっとんでしまうと思って、自分のよい行いに頼ることなく、神様にすっかり頼ることです。 |
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