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真理子の聖書日記


このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
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[358] 2マカ1章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/04(水) 11:19:26 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ma&chapter=1&mode=0
 昨年度の記事は[0:599]。また昨年のをそのまま使っちゃいます。
 今日から始まる2マカこと第二マカバイ記(マカビー記、マカベア記)は、今まで読んできた第一の続きではありません。この時代のユダヤ人の戦いに関する別の人(不明)の本です。ただし、第一のほうはもともとヘブライ語だったろうとされています(残ってない)が、第二は最初からギリシア語だったようで、それは本日読む部分からわかります。いきなり手紙で始まるんでびっくりしますが、エジプト在住のユダヤ人に「宮潔めの祭」の由来を説明し、このお祭りは大事なんだからちゃんとやりなさいと言ってます。
 メインの話は3章から始まりますけど、歴史の事件について、「これは神様がこう考えたからこうなったんだよ」「民が悪いことをしたからこうなったんだよ」と、倫理的な原因をくどいほどにしっかり説明してるのが特徴です。そういう点でも「国外ユダヤ人」向けなんでしょうか。

[357] 詩編48-50編 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/04(水) 10:32:07 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=psa&chapter=48&mode=0
 昨年度の記事は[0:584]
 まずは今回の範囲の48-50編からちょこちょこ歌詞をとったヘブライ語の歌。歌詞はYoutubeのほうに書いてあります。
http://www.youtube.com/watch?v=_T9atdmHsm4

●48編
 シオンの山、エルサレムの都に詣でるときの歌は詩編にいろいろありますがこれも(そういうタイトルはありませんが)その一つなんでしょう。Great is the Lord. 主は偉大なりと歌いながらエルサレムを詣でます。
Jack Multiという人のギター弾き語り
http://www.youtube.com/watch?v=6f3QXJOKIhY
Schönebergなんてあるからシェーンベルクかと思ったらeが余計でしたね。ドイツ語による交唱
http://www.youtube.com/watch?v=yGsF-sqI_rY
レゲエがありました
http://www.youtube.com/watch?v=ssKcT9prZOc

●49編
 「わが口は知恵を語り」というので知恵の詩編と呼ばれますが、その知恵とは結局13節と21節にあるリフレイン「人は栄華のうちに長くとどまることはできない、滅びうせる獣にひとしい。」ということ。「いつまでもあると思うなわが命」ってわけね。
オランダ語の讃美歌
http://www.youtube.com/watch?v=sGV0a8IHceA
(The New American Street Version) by Jason Millerなんてあるけど、どうしてこれ、背景が渋谷なんだろう?
http://www.youtube.com/watch?v=YzdmLNXViQU

●50編
 交読文にとられてるほどの詩なんだけど、Youtubeにはなぜかいいのがない。正教会関係でPsalm 50とか書いてるのがいっぱいありますけどそれは次の51です。来週のお楽しみ。
 さばきの日に神様が全地から人々を召集するという話だけど、さばきの日ばかりか毎週日曜日にも呼んでいるんでしょう。だから教会で交読するのにふさわしいのかしら。ここに書いてるように、神様はあなたの献金額ではなく、あなたが行いを慎んでいるかどうかを見てるのよ。

[356] モーサヤ書10章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/03(火) 10:53:53 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=10&mode=0
 レーマン王から支配権を認められたはずのニーファイ人ゼニフ王。しかし実際にはたびたびレーマン人から侵略を受けます。神様を信じて勇敢に戦ったゼニフ王はレーマン人をやぶり、国を平和に治めます。年老いたレーマン王は王位を次のノアに譲ります。

[355] シラ書17章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/03(火) 10:50:28 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=17&mode=0
 昨年度の記事は[0:806]
 やたらに〔 〕つまり写本によってあったりなかったりする部分がありますが、全部あるものとして読みましょう。
 土くれにすぎない人間に神はさまざまな能力をさずけたとありますが、5つの能力つまり五感に加え、6番目が治世で7番目が理性だっていうのが面白い考え方です。
 そして神様は他の生物に人間への恐怖心を与え、人間にすべての動植物を支配することを許されました。さらに、神をおそれる気持ち、知識、律法を与えました。
 こうして人は神に似たものとしてさまざまな能力を発揮できるようになりましたが、命だけは有限です。死んでしまえば神をたたえることもできません。生きている間は神にたより神に従って生きましょう。

[354] サムエル記下1-4章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/03(火) 10:34:33 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2sa&chapter=1&mode=0
 昨年度の記事は[0:583]
 サムエルはとっくに死んでいるのにサムエル記はまだまだ続き、今日から下になります。
 ダビデのところに一人のアマレク人がやってきて、サウル王と息子ヨナタンの死を知らせます。ところが彼がサウルのとどめをさしたというのでダビデは彼を殺してしまいます。これはちょっとひどい話。自殺幇助は何が何でもダメってことなのでしょうか。そして「弓の歌」を歌います(1章)。
 ダビデはユダのヘブロンへ行き、ここで即位します。当時はエルサレムは都市になっていません。ヘブロンが都なんですね。一方サウルの子イシボセテ(イシュ・ボシェト)がアブネル将軍に擁立されてマハナイムで即位。つまりここから南北朝時代になるんです。ソロモンのあとイスラエル王国が南北に分かれた話は有名ですが、実はダビデ即位時もそうなんですね。昨年も書いたように、イスラエルは南北に分裂しやすいんです。フロイトの説によれば、北が地元派、南がエジプト渡来派で、後の南北朝時代を経て北が滅亡したためユダヤ教は南のイデオロギーを中心に組み立てられた。だからエルサレムが中心で、出エジプトの奇跡が強調されて、ダビデが神格化されて……ということになるんです。ソロモン後の南北朝時代は南がユダとベニヤミンでしたが、ダビデ即位当時の南北朝時代は南はユダだけ。ダビデはまだユダ族しか制圧しておりません。南北両国はけつこう激しく戦います(2章)。
 北のアブネル将軍はイシポセテ王から、父サウル王の側女と寝たのではないかと嫌疑をかけられます。これに嫌気がさしたアブネルはダビデ王と通じ、かつてダビデ王の妻であったサウル王の娘ミカル(今は別の男に嫁がされている)をダビデに差し出すことを条件に投降する約束をします。ところがダビデ王側のヨアブ将軍が暴走して独断でアブネルを暗殺してしまいます(3章)。
 北のイシボセテ王の略奪隊隊長バアナとレカブはイシボセテ王を暗殺、首をもってダビデのところに来ます。しかしダビデは怒ってこの二人を殺します(4章)。

[353] モーサヤ書9章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/02(月) 14:02:23 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=9&mode=0
 ここからしばらく(22章まで)は、ゼニフの話です。ゼニフというのはリムハイ王の祖父にあたります。今までいったい何が起こったのか、回想シーンというわけです。
 実はゼニフはニーファイ人なんですが、ずっとニーファイの地にいたわけではなく、ゼラヘムラから分かれたんです。
 復習すると、善玉ニーファイ人が堕落したあと、モーサヤという人がニーファイの地を脱出してゼラヘムラに移住しました。ところがゼニフは、先祖の土地つまりニーファイに住みたいという思いが強すぎたのでゼラヘムラからニーファイに戻ったのですね。そしてこんどは間者としてレーマン人につかわされたのです。
 レーマン人は悪玉ですが、このときはニーファイもかなり堕落していたので、ゼニフの目には、レーマン人のほうがいい政治をしてるじゃないかと見えました。だからニーファイとレーマンと仲良く条約を結んで共存しようとはかったんですね。
 ところがニーファイの王はこれを承知せず、戦争になります。ニーファイは壊滅的に敗れます。ゼニフたちは荒野をさまよったあげく、レーマン王(レーマン人の王は必ず名前がレーマンになるらしい)と交渉、ニーファイの地の支配権を得ます。
 ところがレーマン王はゼニフらニーファイ人を奴隷にしようと思っているので、その後もちよくちょく戦いが起こります。ゼニフらは善戦しますが、犠牲者もけっこう出ます。

[352] ソロモンの詩篇3篇 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/02(月) 13:34:57 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=pss&chapter=3&mode=0
 義人とはどういう人かを詠んだ詩。どんなことがあっても神を信頼し、常に自分から罪を取り除こうと修養するのが義人だというわけです。

[351] 出エジプト13-16章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/02(月) 13:31:21 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=exo&chapter=13&mode=0
 昨年度の記事は[0:582]。そうだったわ。昨年の今頃はいろいろ品薄なものがあって買いだめするなとかうるさかったわね。
 旧約聖書中の最大のヤマ場である、海が割れるシーン。偉大な奇跡を見て人々は神とモーセを信じたんですが、旅があまりにつらいもので、民はすぐにぶつくさ不平を言います。むしろここからの話は、すばらしい奇跡の話というより、民の不平をいかにモーセがなだめたかという話のような気がします。奇跡による信仰なんてしょせんは長続きしないんです。むしろ、奇跡が何も起こらず苦しいときにどういう行動をするかで、その人の信仰がわかるんだろうと思います。

[350] モーサヤ書8章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/01(日) 16:52:50 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=8&mode=0
 ここからは新たな話がいっぱい出てきます。といっても回想なんですけどね。ここまでのあらすじを復習しておきましょう。
 紀元前600年ユダ王国滅亡直前、王国の滅亡を予言したリーハイは迫害されてエルサレムを脱出、一族もろとも新大陸アメリカに移ります。リーハイの死後、それまでもちょくちょく対立してきた長男レーマン(悪玉)と四男ニーファイ(善玉)の対立が激化。ニーファイらは別の地に住みます。ところがニーファイの子孫も堕落、モーサヤが脱出してゼラヘムラに逃れます。ベニヤミン王の治世を経て、息子モーサヤ(おじいさんと同名)はかつてのニーファイを探検すべく、アンモンらを遣わします。ニーファイ人のリムハイ王に謁見したアンモンは、ニーファイ人がレーマン人の奴隷になっている事実を知らされます。

 そんなわけで8章。実はリムハイ王も、かつて脱出したモーサヤの末裔の町を探して探検隊を出すのですが、結局見つからずじまい。そのかわり24枚の金版を見つけてきます。文字が読めないので何が書かれているかわかりません。そこでアンモンは、当代モーサヤ王なら翻訳機を使って翻訳できるぞと言います。

 さて、ニーファイとゼラヘムラというのは40日の行程らしいんですが、そんなに迷子になるんですかね?
 アメリカ大陸の砂漠は半端ないみたいですよ。
 コナン・ドイルの『緋色の研究』にもモルモン教徒の死の旅の様子が描かれていますが、もう一つ例をあげましょう。
 昨年2011年のアメリカ映画、Meek's Cutoff
http://www.junglecity.com/event/moviereviews/meekscutoff.htm
 モルモン経ができたのが1827年ですが、1845年に実際にあった話を映画化。開拓者がインディアンの襲撃を避けて移動。近道を知っているという白人ミークにだまされて迷ってしまう。そんな中、道を知ってそうなインディアンの男に出会う。さてこの男を信用してよいか…みたいな話らしいですね。これもアメリカ大陸の砂漠を行く話。やっぱり大変みたいですね。

[349] 3イミ16章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/01(日) 16:33:37 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=3ic&chapter=16&mode=0
 「真の慰めはただ神にのみ求めなさい」。つまり、この世の楽しみとか幸福というのはどうせ長続きしない一時的なものなので、神すなわち永遠なるものに慰めを求めよ、つまりちゃんと天国に行けるよう、この世ではへりくだっていなさい。楽しいことがあったら楽しんでもかまわないけど、それは一時的なものだと思いなさい、というわけです。 フィリ3:20の「国籍は天」っていうの、面白い表現ですね。この世は仮住まいなんです。
 イスラム教徒が酒を飲まないのも、来世ではいくらでも飲めるんだからいまはがまんしておこうってことらしいです。

[348] 1コリ15-16章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/01(日) 16:24:32 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1co&chapter=15&mode=0
 昨年度の記事は[0:580]
 昨年度は死者の復活の話を書きました。私が今までキリスト教に興味を持ちながら、なんで受洗しなかったかというと、牧師と意見が合わずに喧嘩になるという話もあるんですが、キリスト教の死生観になじめなかったというところが大きいです。私はやっぱり輪廻説、つまり死んだら天国じゃなくこの世でまた生活したいのよ。その後、キリスト教や聖書の枠内でも、そういう輪廻説を構築できる見通しがついたので、こんど4/8に受洗するんです。それについては
http://twilog.org/marikobabel/date-120329/asc
を見てください。
 今年はそんなことより重大な話が。ずばり 一コリ15:29
そうでないとすれば、死者のためにバプテスマを受ける人々は、なぜそれをするのだろうか。もし死者が全くよみがえらないとすれば、なぜ人々が死者のためにバプテスマを受けるのか。(口語訳)

 なに、「死者のためのバプテスマ」ってそんなのあり?
 まず原文をかかげておくと、
http://interlinearbible.org/1_corinthians/15-29.htm
 このイペル(ὑπὲρ。私はギリシャ語を現代語ふうに読む)つまり英語でいうforにあたる前置詞がいろいろ解釈でき、その次の「死者」も、be動詞を補って「死者である。死者となる」ととれるので、いろんな解釈が成立します。しかも各訳を見ると、学問的というより護教的。つまり自分とこの教派に都合のよいように解釈してますね。そりゃそうです。いま死者に洗礼を授けてるのはモルモン教くらいなもんですからね(まさにここを根拠にしてる)。
http://www.scriptures.lds.org/jpn/dc/128 (教義と聖約。128章15-16節)
 このへん、フラは代表的な解釈を4つ掲げています。
1.当時、洗礼を受ける機会なく死んだ人のために洗礼をさずけてた。
2.死んだ仲間(家族)のことを思って自分が洗礼を受ける。
3.いずれ死に行くこの私が洗礼を受ける。
4.洗礼を受けるのは復活することのない死者の列に加わるためってか?いや違う。(つまり反語ととる)
というわけで、ずいぶん苦労しています。
 1.は異端的なんで人気がないですけど、一番素直な気がするんですけどね。
 私は両親を憎みながら育ったので、両親の信じていた創価を棄教するのに何の抵抗もありませんが、主人は両親の愛をたっぷり受けて育ったので、少々わだかまりがある。そこで2.にとるみたいです。 使16:31には、イエスを信じたら家族も救われるってありますからね。自分が洗礼を受けることで、死んだ両親が救われるから、これは親孝行だって。

[347] クルアーン32回 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/31(土) 19:03:54 コメントする ここから閲覧

 クル-32回。7章44-87節。
 7章のタイトルの「高い壁」の由来になった箇所。地獄と天国の間の高い壁というわけです。アラブ・イスラーム学院のクルアーンの解説によれば
http://www.aii-t.org/j/frame/q_exegesis.htm

『高壁(al-’a‘rāf)』とは、ムジャーヒドによれば、楽園と獄火の間の仕切りである。アル=スッディーによれば、それはそこの者が人々を見分ける(‘ arafa)ことからそう名付けられた。イブン・アッバースによれば、「al-’a‘ rāf」とは、高いもののことである。また、彼によれば、雄鶏の鶏冠(‘urf)のような壁である。また、彼によれば、それは楽園と獄火の間の山で、そこに楽園と獄火の間の罪を負った人々が閉じ込められる。アル=ザフラーウィー(‘Umar bn ‘Abd Allāh, 454/1062年没)によると、アッラーの御使いは言われた、「ウフドの山はわれらを愛し、われらもそれを愛する。復活の日、それは楽園と獄火の間に立ち、両者をその印で見分ける民がそこに閉じ込められる。彼らはアッラーがお望みならば楽園の民である」。

というので、人々を見分けて最終的にふりわけるところみたいです。
 なお、井筒訳(岩波文庫)では「胸壁」(きょうへき)と訳し、「いわば煉獄である」と説明していますが、ずれてるような気がします。

[346] 1イミ16章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/31(土) 18:48:07 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ic&chapter=16&mode=0
 イミタチオ(キリストにならいて)は、本当に人の心をすんなり打つ言葉です。
 今日は「他人の過失を許しなさい」。自分にだっていっぱい欠点があるんだから、他人の欠点には寛容であれというわけですね。私なんか口が悪いですからすぐ人の欠点をあげつらう。これは一番改めなきゃいけないことですね。
 ただ一つ言わせていただければ、この論理を政治に使っちゃダメです。原発事故なんかに使っちゃダメです。神様がなんとかしてくれるまで原発事故は耐え忍べなんてダメです。それだけはきっぱり言っておきます。

[345] マルコ11-12章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/31(土) 18:38:51 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mar&chapter=11&mode=0
 昨年度の記事は[0:578]
 昨年は「いちじくの木の呪い」「イエス様暴れん坊将軍事件(いわゆる宮潔め)」「カイザルのものはカイザルに」「メシヤがダビデの子ではありえない」を書いたんですね。うーんと、あと残ってるエピソードといえば、「いったい何の権威で」(マコ11:27)、「ぶどう園と農夫たち」(マコ12:1)、「復活したら誰の妻に」(マコ12:18)、「一番大切な律法とは」(マコ12:28)、「律法学者に気をつけろ」(マコ12:38)、「やもめの献金」(マコ12:41)ってところかしら。何にしよう。
 [324]でご紹介した、例の
The Jewish Annotated New Testament: New Revised Standard Version Bible Translation
http://www.amazon.co.jp/dp/0195297709/ref=cm_sw_r_tw_dp_hblzpb1MFQY9J
は、上の「律法学者に気をつけろ」と「やもめの献金」をひとつながりにしています。
 つまり、私たちは、やもめが自分の生活費を全部献金したなんていう話をついつい美談としてとってしまいますけど、実はその直前の、律法学者が自分たちのよい行為をみせびらかすというのと、相似形なんですよね。実際、やもめの献金はやりすぎであると否定的にとる見解もあるようです。まあ、この本はそこまで言ってません。マルコにはそこまでの意図はなく、神殿というのは金持ちも貧乏人も献金できるところだというにとどめてます。
 まあでも私としては、こういうところで牧師は、生活費全部を献金するなんていうばかなまねはやめろという説教をすべきだろうと思います。
 信徒の友2012-3「献金の喜び」が、低所得者への配慮をまったくせず、献金しろ献金しろと書いてることに私は腹をたてています。よく、十分の一の献金をしろなんていいます。そのレートが高いかどうか。なんでも日本共産党の党費は実質の収入(ってことは必要経費を控除した所得かしら)の二十分の一と定められているみたいですね。でも、たとえ十分の一献金が二十分の一献金になったとしても、人が生きていくのに最低限必要な額というのは金持ちも貧乏人もかわりない。貧乏人だからといって節約できるわけじゃない。だからたとえ二十分の一だろうと三十分の一だろうと、その額はその人が生きていくのに最低限必要な額をおびやかす可能性がある。その意味で、献金額を収入の何分の一と決めるのは、実質的に逆進課税なんです。
 だから、献金の指導は「無理するな」を強調してあげたい。やもめの行為は否定しなきゃいけないんです。口をすっぱくして「無理のない範囲で」を言わなきゃいけない。実は貧しい人ほど、牧師の教えをまじめに守ろうとする。でなきゃ、十分の一献金をしたいのにできないことに対して罪の意識を持つんです。それをせずに献金しろ献金しろと信徒の友2012-3でいう日本基督教団を私は社会に有害なカルト教団と断定しているんです。

[344] クルアーン31回 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/30(金) 11:56:58 コメントする ここから閲覧

 クル-31回。7章1-43節。
 11節からはアダムの堕落の話が書かれています。神様は天使たちに、ご自分の作ったアダムを拝めと言いますが、悪魔イブリースは拒否します。それで悪魔は神様にここから出て行けと言われるのですが許され、人々のうちから悪人を判別する役を演ずるようになります。さっそくアダムはひっかかって堕落してしまうのですね。
 ところで、アダムとエバが食べた木の実は、この箇所には書かれていませんが、善悪を知る木の実でした(創3:5)。なんで善悪を知るのがいけないのかは難問で(だって、何がよくて何が悪いかを知ることは、普通はいいことだと思われてますからね)、いろいろな答えが出て来そうです。クルアーンでは単純に、性の羞恥心ととらえているようですが、『旧約聖書と新約聖書』(新教出版社)の上村静先生は、善悪というのは一つの基準があってはじめて言えることであり、本来多様であるはずの善悪を一つの基準で定めることにより、その基準で善とされたものが悪とされたものを差別するようになる。それはもはや人間と自然の本来のかかわり方ではなくなってしまう、みたいなことを言ってます。すぐに答えは出て来ないでしょうから、今後も考え続けることにしましょう。

[343] 知恵の書16章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/30(金) 11:42:32 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=wis&chapter=16&mode=0
 昨年度の記事は[0:722]
 出エジプト記のエピソードが書かれています。ですから主人公はイスラエルの民であり、敵とはエジプト人のことです。原文はそれが不明確で、新共同訳にあるとおり「御自分の民」「あの敵ども」(知16:2-3)としか書かれていませんが、「真理子のおまけ」(上のリンク)では補っておきました。

[342] エレミヤ17-21章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/30(金) 11:28:03 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jer&chapter=20&mode=0
 昨年度の記事は[0:576]
 昨年も書きましたとおり、預言そのものでない20-21章を中心に読みましょう。
 祭司長パシュル(インメルの子)はエレミヤの預言に腹を立てて彼を拘束、ぼこぼこ打った末に神殿のベニヤミンの門の足かせにつなぎます。
 エゼ48:30-35によればエルサレムの町の城壁には東西南北それぞれに3つずつ計12の門があり、ヤコブの12人の子(レビやヨセフが含まれておりマナセとエフライムがないので、イスラエル12部族ではない)の名前がつけられています。ベニヤミンの門は東の3つのうちのたぶん真ん中。神殿もそんな感じになっていたのでしょう。
 さて翌日釈放されたエレミヤはすぐにパシュルに対してお前らみんなバビロンに捕囚されるぞと預言します。迫害されてもくじけないエレミヤです。
 しかしゼデキヤ王(ユダ王国最後の王です)はパシュル(こっちはマルキヤの子)とゼパニヤ(マアセヤの子。エレ29:25参照。ゼパニヤ書の預言者はクシの子なので別人)をエレミヤのもとにつかわします。王はどうも心配のようです。エレミヤは元気なのでなんら臆することなくゼデキヤにもエルサレムの陥落を予言します。

[341] モーサヤ書7章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/29(木) 09:53:40 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=7&mode=0
 今日はちょっと話が動きます。
 ベニヤミン王→モーサヤ王と代替わりした血はゼラヘムラというところでした。JスミスJrさん(教祖サマね)は固有名詞をたくさん考えるのがめんどくさかったのか、原則として都市名はそこに住む民族名と同じで、その始祖の名前からとっています。つまり彼等はゼラヘムラ人というわけです。
 このゼラヘムラ人とは、ニーファイ人(ユダ王国滅亡直前に新大陸に移住した民のうち善玉のほう)が堕落したのでニーファイを脱出したモーサヤが発見、彼等はなんとユダ王国滅亡後に移住してきた民の子孫です。これが混淆したのがゼラヘムラ人。やっぱりモサ7:13を見ると、ゼラヘムラという人が始祖みたいですね。
 で、モーサヤ王は先祖が脱出したニーファイを探検します。ここでは「リーハイ・ニーファイ市」なんてヘンな言い方をしてますね。リーハイというのはニーファイのお父さんで、ユダ王国滅亡直前に迫害されてエルサレムを脱出した人物、モルモン経全体の始祖ですね。めんどくさいので単にニーファイとだけ書きます。
 ニーファイとゼラヘムラとはずいぶん離れていて、ちょっとやそっとではたどり着けないようですね。アメリカ大陸の砂漠はすごいですからね。そういえばコナン・ドイルのシャーロックホームズものの第一作『緋色の研究』ではモルモン教徒の砂漠横断の地獄の旅の様子が描かれています。
 で、アンモンなる隊長が率いる探検隊はなんとかニーファイに到着、しかしスパイだと思われて投獄されてしまいます。彼等はこの地のリムハイ王に謁見を許され、誤解が解けます。
 そして王の話によれば、ニーファイ人はレーマン人(ニーファイと一緒に移住してきた民のうち悪玉のほう)の奴隷になって苦しい生活をしているんだそうな。王はとても喜びます。

[340] ユディト記2章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/29(木) 09:34:42 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jdt&chapter=2&mode=0
 昨年度の記事は[0:438]
 ユディト記の悪役オロペルネス(ホロフェルネス)がネブカデネザル王に従わない各地を侵略、乱暴狼藉の限りを尽くしています。
 口語訳聖書を選んで表示される「真理子のおまけ」(上記リンク)は、口語訳聖書流の固有名詞表記にしたがっているので、ファ、フィ、フ、フェ、フォはパピプペポとなります。これは戦前に聖公会が出した旧約聖書続篇と同じ流儀です。

[339] ヨブ記31-32章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/29(木) 09:30:09 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=job&chapter=31&mode=0
 昨年度の記事は[0:574]
 昨年書いたことですが、新共同訳の朗読MP3で31章を聞くと「~決してない、もしあるというなら…」というリフレインがとても印象的なんですが、それは新共同訳だけのことなので注意してください。原文をふくめ他の訳はみんな「もし~なら…」となってるだけです。
 ヨブと三人の友人の論争は第三ラウンドでも決着せず、32章からは新たな人物エリフが出て演説をします。この演説はけっこう長く37章まで続きます。これに対するヨブおよび他の人物からのいかなるコメントもつかずに38章からはヤハウェ御大が出てきて終わり、しかもヤハウェ御大のセリフにはエリフへのコメントがないので、32-37章は後から挿入されたという説もあります。
  ヨブ32:19の、私の口が新しいぶどう酒の皮袋のように張りさけようとしているというのは面白い表現。昔のぶどう酒はみんなスパークリングワインつまりいわゆるシャンパンなので、発酵が進むにつれて炭酸がたまるわけです。だからイエス様はマタ9:17その他で「新しいぶどう酒を古い袋に入れちゃダメ」と言ってるんです。
 スパークリングワインの栓がポンと勢いよく飛び出るように、エリフはしゃべり始めます。

[338] モーサヤ書6章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/28(水) 11:02:05 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=6&mode=0
 本文がとても短いのでこちらも短くします。ベニヤミン王が死んでモーサヤの代になります。これでおしまいです。年代はBC124ということになっています。

[337] 1マカ16章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/28(水) 10:59:56 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ma&chapter=16&mode=0
 昨年度の記事は[0:597]
 アンテオコス王の将軍ケンデビオはユダヤをせめ、シモンおよび息子のユダ、ヨハネは勇敢に戦ってケンデビオを打ち破ります。
 これでめでたしめでたしと思いきや、大祭司の婿で、国を支配したい野望を持つアブドの子プトレミオが、シモンおよび息子のマタテヤ、ユダを宴会に誘い、暗殺してしまいます。プトレミオはこれをアンテオコス王に報告して援軍をもらい、シモンの生き残った息子ヨハネを攻めようとしますが、それをヨハネに密告するものがあり、ヨハネは刺客たちを殺して事なきを得ます。
 ユダヤの地はヨハネの代になって……というところで 1マカはおしまい。
 次は2マカかと思いきや、1マカと2マカは連続の関係になっておらず、これで話がおしまいなんです。なんか尻切れトンボ、しかも後味の悪い終わり方ですね。

[336] 詩編45-47編 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/28(水) 10:19:24 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=psa&chapter=45&mode=0
 昨年度の記事は[0:572]
●45編
 愛の歌ってことで王の結婚式に歌われたものみたいです。王をたたえ、愛する女の美しさをたたえます。
ヘブライ語で聞きましょう。

(http://www.youtube.com/watch?v=2swRjcjusGQ)
Sons of Korah(バンド名)の歌。45編自体も「コラの子」の歌ですね。

(http://www.youtube.com/watch?v=xdIHeWu5MYU)
kinotoriさんの作品は、「白い色は恋人の色」。私はリアルには知りませんが、主人が懐かしがっています。でもこれ、途中にトリノの聖骸布が出てくるのはいただけませんわ。あれってキモいじゃありませんか。

(http://www.youtube.com/watch?v=TZT54p6oLCg)

●46編
 「神はわがやぐら」というルターが作曲した讃美歌で有名です。苦しいときも神は力になってくれるという内容です。
 昨年は「神はわがやぐら」の聞き比べをやりました。
讃美歌 http://www.babelbible.net/music/muse/h01267.mid
讃美歌21 http://www.babelbible.net/music/muse/h21377.mid
ルターオリジナル http://www.babelbible.net/music/muse/festburg.mid
 これを利用したメンデルスゾーンの交響曲第5番「宗教改革」の第4楽章

(http://www.youtube.com/watch?v=IxT3dbehmcc)
 こんどは朗読。昨年オバマ大統領が9.11集会で朗読したもの。NKJVです。

(http://www.youtube.com/watch?v=hMk-SoNuMWg)

●47編
 諸国民よ、全地の王である神をほめたたえよとうたいます。
Misty Edwards

(http://www.youtube.com/watch?v=4_SlnIcIQw4)
kinotoriさんの作品。

(http://www.youtube.com/watch?v=BCUN2qRir9Y)

[335] モーサヤ書5章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/27(火) 10:12:53 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=5&mode=0
 ベニヤミン王の玉音放送の結果、人々はキリストを信ずるようになりました。
 イエス様の出現前120年ほどという時代設定なのに、キリストの話なんかするのはおかしいんですけど、キリストは一応普通名詞ですから、前章みたいに「イエス」という固有名詞をあげてないぶん、まだましなのかもしれないわね。

[334] シラ書16章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/27(火) 02:59:48 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=16&mode=0
 昨年度の記事は[0:801]
 昨年は家族ネタを書いたんですが、そのうちの「主人のお父様」はその後亡くなりました。そして主人も私も創価学会を棄ててクリスチャンになろうとしております。
 私のほうは創価の両親を憎みながら育ったのでクリスチャンになるのは平気ですが、主人のほうは親を裏切るようでうじうじ言ってる。でも牧師先生が 使16:31「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」を根拠に、家族の誰か一人でもクリスチャンになれば家族は救われる、と説きまして、それでいたく勇気付けられ、クリスチャンになることこそ親孝行だというので受洗を決意しました。これで シラ16:1「ろくでなしの子をいっぱい作ろうと思うな。神を敬わない子をかわいがるな。」の教えが成就したのです。主人がご両親を裏切って創価を棄教して神を敬う子になったおかげで、ご両親も救われるのですから。

[333] サム上26-31章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/27(火) 02:50:12 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1sa&chapter=26&mode=0
 昨年度の記事は[0:571]
 地図は
http://www.babelbible.net/map/9.png
だけなのでこれを見てください。
 ダビデはジフ(地図C-2上ぎりぎりと下ぎりぎりの2箇所ありますがどっちかよくわかりません)の荒野のハキラ山(所在不明)に隠れており、サウルが捜索に来ます。ダビデはアビシャイとともにサウルの陣に乗り込み、無防備で寝ているサウルの隣から槍と瓶を盗み出し、後日サウルに会って「殺そうと思えば殺せたけど殺さなかった。私は敵意を持っていない」といいます。これって24章同様の話ですね。ここまで26章。
 ダビデはペリシテ人の地ガテ(地図B-1)に亡命。勇敢に戦ってアキシ王からよい評価を得ます。ここまで27章。
 ペリシテとイスラエルの戦いが始まり、ダビデはペリシテ側につきます。サウルはかつて自分が禁止して追放したはずの霊媒に頼ってサムエルの霊を呼び出しますが、霊は「神はサウルを見捨てた」と告げます。しかし死んでからも登場する人物というのは、イエス様を除けばサムエルだけでしょうね。ここまで28章。
 ペリシテの他の王たちはダビデを信用せず、ダビデは戦列を離れます。29章。
 アマレク人がチクラグを襲い、ダビデの二人の妻たちも捕らえられます。場所は不明ですが、アマレク人とはエドム人の系列なので地図C-2のエドム(イドマヤ)と書いてあるあたりでしょう。ダビデは追撃、アマレク人の奴隷となっていたエジプト人の誘導を得てアマレク人の宴会を襲い、ぶんどり品を得、またダビデの妻も助かります。ダビデについてきた人たちのうち、このとき従軍しなかった人たちにもダビデはぶんどり品を分け与え、それがイスラエルの習慣になりました。30章。
 ペリシテ人はサウルを撃ち、サウルは自害します。31章。これでサムエル記上はおしまい。

[332] モーサヤ書4章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/26(月) 12:25:53 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=4&mode=0
 ベニヤミン王の玉音放送は一応おわり、人々はイエス・キリストを信じるようになりました。……って、まだイエス様は生まれてないじゃん! イエスという固有名詞出すのまずくないですか。せめてキリストだけにしとかないと時代が合いませんわ。
 ベニヤミン王はふたたび人々を教え始めますが、物を惜しむなとか、借りたものは返せとか、なんかずいぶん世俗的な教えになっちゃいましたね。

[331] ソロモンの詩篇2篇 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/26(月) 12:20:39 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=pss&chapter=2&mode=0
 イスラエルの民が悪いことばかりしたので神様はエルサレムを滅ぼされましたが、もうこれで十分でしょう。異邦人にエルサレムが蹂躙されてもいいのですか、という祈り。
 後半では神様は異邦人をやっつけてくれるのですが、 ソ詩2:26の「エジプトの山の上でしとめられた男」というのは聖書に出てくる話ではなく、プルタルコス英雄伝に出てくるポンペイウス(BC106-48)のことらしいです。ですからソロモンの詩篇というのは実際にはずいぶん後に作られたのです。

[330] 出エジプト記9-12章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/26(月) 12:08:59 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=exo&chapter=9&mode=0
 昨年度の記事は[0:570]
 11章からは過越祭、別名除酵祭のいわれです。
 もともと過越祭とは初子を神にささげる牧畜民の祭、除酵祭は大麦の刈り入れのための農耕民の祭で別物だったのでしょうが、イスラエルの民は両方を一緒に行うので実質的に同じ祭になっています。Wikipediaで除酵祭と入れると「過越」にリダイレクトされてしまいます。
 出エジプト記はここまで、モーセがいろいろな奇跡をやってもパロ(ファラオ)は民を去らせなかったという話の連続で、少々退屈ですね。

[329] モーサヤ書3章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/25(日) 02:43:40 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=3&mode=0

 ここまでのあらすじ。
 紀元前600年、ユダ王国の滅亡を予言したため人々から迫害されたリーハイは、一族を連れてエルサレムを脱出、荒野の苦しい旅を経て神の約束された新天地アメリカ大陸にわたります。
 リーハイには6人の子がいますが、長男レーマンと次男は悪役で何かにつけて4男ニーファイらに反抗します。新天地でリーハイが死ぬと、レーマンはニーファイらと激しく戦うようになり、ニーファイらは別の地に移って一族が栄えます。以後、レーマンの一族はレーマン人、ニーファイらの一族はニーファイ人と呼ばれるようになります。
 ニーファイの後継は弟のヤコブ、そしてヤコブの子イノス、イノスの子ジェロム、ジェロムの子オムナイ…と続きます。そのうちにニーファイ人も堕落、レーマン人とニーファイ人の戦いも続くなか、ニーファイ人のモーサヤがニーファイの地を脱出、ゼラヘムラに逃れます。なんとこの地の人はバビロン捕囚のときにエルサレムを脱出した人々なんだそうな。モーサヤはこの地で王位につき、人々を教化した後に死去、子のベニヤミンがあとをついでいます。
 そしてベニヤミンは死期がせまっているのを自覚、退位を決意し、民を集めて塔の上から「玉音放送」をしている最中でした。
 ちょっと先回りをして、ベニヤミンの次はモーサヤ。これがモーサヤ書のモーサヤです。ベニヤミンの父もモーサヤですからご注意ください。
 いま時代はBC124、120年ほど後のキリストの出現をベニヤミンは予言して、玉音放送を終えます。