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2019年11月22日(金) 通読(本日=黙12-17,4イミ15,クル-116回 明日=使25-26,4イミ16,クル-117回)

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節表示・修正口語訳(日本語R)+真理子のおまけ 解題
〔真理子訳(工事中)〕イミタチオ第1巻 霊の生活に益ある勧め 第15章
第十五章。愛の心から出る行為のこと
この世のどんなことのためにも、またどんな人への愛のためにも、悪は決してされるべきではない。しかし貧しい人を助けるためには、時に何かのよいことをも進んで中止したり、あるいはそれをいっそうよいことへと変えたりするべきである。
こういうとき、そのよい行為は決して失われるのではなく、いっそうよいことへと変化させられるのである。
愛なくしては、うわべだけの仕事は何の役にも立たない。しかし愛によって行われる事は、どんなに小さくいやしいことであっても、必ずすべてに結果を出すのである。
なぜなら、神が見ておられることは、その仕事の大小ではなく、どんな動機と愛によってなされているかだからである。
多く愛する者は多くのことをする。
よいことをする者は多くのことをするのである。
自分のことをさておき、公共のために尽くす者がよいことをするのである。
愛による仕事のようで実はまるきり肉体の欲望にしたがっているということがよくある。これはその人の生まれつきの傾向や、自分の私情や、報いを求めることや、利益を求めることなどがなかなかなくならないからである。
真実の完全な愛をもつ人は、どんなことにも決して自分を考えない。ただすべてにおいてひたすら神の栄光となることだけを願うのである。
そういう人はまた決してねたむことはない。自分の楽しみには何の執着もないからである。また自分のことに決して喜ぼうとしない。どんなよいことよりも、ただ神に祝福されることを願うのである。
どんなよいことも決して人に帰するのでなく神にのみ帰する。神は泉である。ここからすべてが流れ出し、聖者たちがみな最後に楽しんで憩うところである。
ああ、もし人が真の愛のほんのひらめきだけでも持つならば、この地上には空しいことばかりが満たされていることを本当に悟ることだろう。

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