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第三章 ベニヤミン王の言葉のつづき。キリストに関する今一つの予言。キリストの身代りの贖罪について更にくわしく語る。 「私の兄弟たちよ。私はもっとお前たちに話すことがあるから、再びお前たちが注意をするように望む。それは、将来起ることについて話すことがあるからである。
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これから話すことは、神のつかわしたもうた一人の天使が私に知らせたもうたことである。その天使が私に目をさませと仰せになったから、私が目をさますと私の前に立って言いたもうた。
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『見よ、われは大きな喜びの訪れを聞かせようとしてきたから、目をさましてわれの言う言葉を聞け。
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主は汝の祈りを聞きとどけて汝の正しさを審判したもうた。そして、汝を喜ばせるためにわれをつかわして言葉を告げさせ、また汝が自分の民に伝えて民もまた喜びに満たされるようにわれをつかわしたもうた。
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現在この世を治めたまい、また無限の過去から無限の将来にわたってまします全能の主が権能をもって天から人間に降臨して土から成る身体に宿りたまい、人々の間をめぐって病人たちをいやし、死んだ者たちを生かし、あしなえを歩かせ、めくらを見えるようにし、つんぼが聞こえるようにし、あらゆる病いをなおし、
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また人の心につく悪鬼すなわち悪魔を追いはらうなどの大きな奇跡を行いたもう時が遠からず来る。
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そしてこのお方は誘惑を受け、肉体上の苦痛と飢えと渇きと疲労とを経験したもうが、これは死ななければ人間に堪え難いほどひどいものである。なぜならば、見よ、このお方は全身の毛穴から血を流したもうほどに、その民の罪悪と憎むべき行いのために苦痛を感じたもうからである。
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このお方は神の御子、天地の父、創世の時から万物を造りたもうている造り主イエス・キリストと呼ばれ、その母はマリヤと呼ばれる。
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見よ、キリストは世の人に、その御名を信ずる信仰によってさえも救いを与えるためにその民の所に来りたもう。以上のようであるにもかかわらず、その民はキリストをあたりまえの人間と思い悪魔につかれていると言って訴え、とうとう鞭うって十字架にかける。
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しかし、キリストは三日目に死者の中からよみがえりたもう。見よ、その後キリストは立って世の人を裁判したもう。見よ、これらのことはみな世の人が正しく裁判を受けるために行われるのである。
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また見よ、キリストの血は、アダムの咎のために堕落した者たちの中で、自分たちに関する神のみこころを知らないまま死んだ一切の者と知らずに罪を犯した一切の者との罪を贖う。
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しかし、自分が神に背いていることを自分から認める者は禍である。まことに禍である。このような者は悔い改めて主イエス・キリストを信ずるのでなければ、どのようにしても救いを受けることができない。
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主なる神はこれらのことをあらゆる血族、あらゆる国民、あらゆる国語の民に宣べ伝えさせるために、その聖い予言者たちをよろずの民の中につかわしたまい、これによってキリストの降臨を信ずる者に罪の赦しを受けさせ、ちょうどキリストがもはや来りたもうて自分たちの間にましますように非常な喜びを以て楽しませようとなしたもうた。
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しかし、主なる神はその民がかたくなであることを知って、民にモーセの律法を守ることを命じたもうた。
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神はまたキリストの降臨に関する多くの前兆と不思議とひながたとを民に示したもうた。聖い予言者たちもまたキリストの降臨について民に宣べ伝えたが、民はその心をかたくなにして、キリストが自らの血を流して身代りの贖罪をなしたまわなかったなら、モーセの律法は何の役にも立たないことが解らなかった。
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また仮に幼児でさえも罪を犯すことができたとしても、キリストの身代りの贖罪がなければかれらは救われないことが解らなかった。しかし汝に告げる。幼児は祝福を受けている。見よ、幼児はアダムのためにすなわち生れながらの性によって堕落をしていても、キリストの血は幼児の罪を身代りとなって贖うのである。
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更に汝によく言っておく。全能の主キリストの御名によるほかには世の人に救いを与えることのできる名も道も方法も一切ない。
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見よ、キリストは裁判をなしたまい、その裁判は正義にかなっている。それであるから、まだ年の行かない中に死ぬ幼児は亡びないけれども、もしもおとながへりくだって幼児のようになり、過去現在未来を通じて、救いは身代りの贖罪をなしたもう全能の主なるキリストの血に由って与えられることを信じなかったならば、その人は身も霊も救いを受けることができない。
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肉欲に従う人は神の敵であって、アダムの堕落してこの方そうである。しかし、人がもし聖霊の導きに従い肉欲に従うことをすてて主キリストの身代りの贖罪に由って聖徒となり、幼児のように従順で柔和で謙遜で忍耐で愛情に富み、幼児がその父に従うように、主が負わせたもうすべてのことに喜んで服従しないならば、とこしえに神の敵となるであろう。
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更にわれは汝に告げる。あらゆる国民、あらゆる血族、あらゆる国語の民およびあらゆる人々がひろく救い主のことを知る時がくる。
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見よ、その時になると悔い改めて主なる全能の神の御名を信ずるのでなければ幼児のほかにだれ一人も神の御前に罪の無い者とされない。
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今でさえも、汝が汝の神である主に命ぜられた事をその民に教える時、わが汝に話したこの道に従って行わないなら、かれらはもはや神の目には罪の無いものとされない。
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さて、われはもはや主なる神に言えと命ぜられたことを言ってしまった。
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また主は仰せになる「この言葉は裁判の日にこの民に対して明らかなる証しとなりこの証しによりて民のあらゆる者はその行いの善し悪しに従い裁判を受くべし。
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もしも民の行い悪しくば民は自分に罪あることと憎むべき行いあることとを覚りて苦しみを感ずる状態に置かる。この状態はかれらを主の前より退かしめ、二度と脱け出で難き永遠の責苦と悩みの有様に陥らしむ。故にこの有様に陥りし者は、すでにその身も霊も救われざるなり。
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故に、かれらはまたすでに神の怒りの杯を飲みぬ。正義はこの怒りのかれらに下るを止むることを得ず。そは、アダムが禁断の実を食いしため堕落するのを止むを得ざりしが如し。それ故に、憐みの力はいつまでもかれらの上に及ばず。
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かれらの受くる責苦はあたかも焔を消すことを得ずとこしえに煙のあがる燃ゆる硫黄の湖の苦しみにひとし」と。主はこのように言えとわれに宣もうた。アーメン。』」
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