[ばべるばいぶる]

真理子の聖書日記


このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
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[372] サムエル記下5-9章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/10(火) 10:43:44 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2sa&chapter=5&mode=0
 昨年度の記事は[0:597]
 全イスラエルの王となったダビデは、エブス人の町であったエルサレムを落とし、ここを都とします。そう、このときまでエルサレムは都でなかったばかりか、イスラエルの実効支配が及んでいなかったのです。後の時代から見ると、エルサレムは昔からイスラエルの都だった気がしますが、意外に新しいんですね。
 そしてペリシテ人が攻めてきますがダビデは打ち破ります。サウルと敵対していたときは一時期ペリシテ人のお世話になったというのに、ダビデもダビデ、ペリシテ人もペリシテ人です。以上5章。
 ダビデはバアレ・ユダにあった神の契約の箱を移動しようとしますが、事故がおこってウザが死んでしまいます。これでダビデは怖気づき、ガテ(ガト)のオベデエドム(オベドエドム)に一時的に安置、大丈夫そうだと見てエルサレムに運びます。ところがダビデのたくさんいる妻のうち、サウルの娘ミカルがダビデのはしゃぎっぷりを見てダビデをバカにします。ミカルというのは、あの、ペリシテ人のちんこの皮百枚を集めた功績でサウルから賜り、サウルと敵対していたときは別の人に与えられていた(サム上25:44)女です。以前はダビデを逃がすトリックをしてくれた( サム上19:12-17)というのに、愛情が冷え切った形で死を迎えます。以上6章。
 旧約ではダビデ自身も預言者として扱うことがありますが(なにしろ詩編の数多くの詩の作者ってことになってますから)、ダビデ時代に活躍した預言者は別にいて、ナタンといいます。来週ちょっと活躍しますので覚えておきましょう。ナタンが「王国は安泰です」と預言、ダビデも王国の平和を神に祈ります。以上7章。
 ダビデはペリシテ人を討ち、モアブを討ち、またゾバ(ツォバ)およびスリヤ(アラム)を討ち、王国は栄えます。以上8章。このあたりまではめでたしめでたしですが、来週はちょっと雲行きが怪しくなります。

[371] モーサヤ書13-14章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/09(月) 12:17:55 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=skd&book=mos&chapter=13&mode=0
 昨日13章をさぼったので昨日と今日の2日ぶんです。

 紀元前600年ユダ王国滅亡直前、王国の滅亡を予言したリーハイは迫害されてエルサレムを脱出、一族もろとも新大陸アメリカに移ります。リーハイの死後、それまでもちょくちょく対立してきた長男レーマン(悪玉)と四男ニーファイ(善玉)の対立が激化。ニーファイらは別の地に住みます。ところがニーファイの子孫も堕落、モーサヤが脱出してゼラヘムラに逃れます。ベニヤミン王の治世を経て、息子モーサヤ(おじいさんと同名)はかつてのニーファイを探検すべく、アンモンらを遣わします。ニーファイ人のリムハイ王に謁見したアンモンは、ニーファイ人がレーマン人の奴隷になっている事実を知らされます。
 リムハイ王のおじいさんゼニフはレーマン人と戦い、ニーファイの支配権を得ますが、次のノア王が悪い王様。そこで預言者アビナダイがノア王をいさめます。
 で、昨日の13章ではアビナダイは十戒を読み上げて、お前らこれを守ってないじゃないかといいます。そして今日の14章は、またまたJスミスJr(教祖様)の悪いクセが出てますね。イザヤ書53章そのまんまです。例の「苦難のしもべ」のところですけどね。

[370] ソロモンの詩篇4篇 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/09(月) 12:07:40 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=skd&book=pss&chapter=4&mode=0
 人におもねり律法を破る悪い奴らへの呪いの詩。
 11節の 、「誰も見ていない、誰も裁かない」という言葉で自らをあざむいた っていうのが面白い。悪いことする人って、まずは自己暗示をかけるのよね。おいらのやることは正しいんだって。

[369] 出エジプト記17-20章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/09(月) 12:03:44 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=skd&book=exo&chapter=17&mode=0
 昨年度の記事は[0:594]
 えーと、昨日私たち夫婦は日本福音ルーテル教会の洗礼を受けました。いままでも自称クリスチャンだったんですが、これで誰からも後ろ指を指されることのないクリスチャンになりました。
 そんなんで昨日はいろいろお祝いやらなにやらで、聖書日記をさぼってしまいましたので、正典コースと外典コースについては来週、異教コースについては今日まとめてうめあわせをします。
 十戒をさずかる20章。昨年は、カトリックとルター派だけ切り方が違うという話をしました。私は素直に考えればカルヴァン派などの区切り方のほう(1=神はおいらだけ。2=偶像ダメよ。3=安息日)が正しいと思います。ルター派になったからといって私はルター派の教義には従いません。おかしなものはおかしいと主張します。

 今年は十戒の話を迂回して、それ以外の話をまとめておきましょう。
 いや、その前に、今日の範囲の最後 出20:26「あなたは、階段を用いて祭壇に登ってはならない。あなたの隠し所があらわにならないためである。」、爆笑ものですね。今ふうにいえば「階段を使わないでエレベータにしなさい。そんなにスカート短かったらパンチラしちゃうよ」でしょうけど、いきなり隠し所ですか。この時代の人はパンツはいてなかったのね。でも階段がなくてどうやって昇るのかしら。スロープにしときゃいいのかしらね。

 あとはそれ以外の話をまとめときます。
 17章。水がないといって民がモーセに不平をいいます。不平というよりほとんどこれは暴動ですね。杖で水を出して事なきを得ますが、かなり生々しい。
 あとはアマレク人との戦い。アマレクは地名としては出てきませんがシナイ半島北部の遊牧民。戦いといえばヨシュアの登場です。もっとも 民13:16によればヨシュアはそれ以前はホセアという名前だったはずなんで、律法編集者がぼろを出してますね。アマレク人は以後もイスラエルとは仲が悪く、[354]では、サウルの死を知らせたアマレク人をダビデが「自殺幇助じゃ」と言って殺してますね。
 18章。モーセのしゅうと、祭司エトロがやってきて、なんでもかんでもモーセに相談というのは効率が悪いから組織を作れと提案します。
 19章。シナイの荒野につき、ここでいよいよモーセが山に登って神様から律法をさずかります。それが20章以降。

[368] クルアーン34回 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/07(土) 20:24:17 コメントする ここから閲覧

 クル-34回。7章129-170節。クルアーン版出エジプトの話が続きます。

[367] 1イミ17章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/07(土) 20:17:47 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ic&chapter=17&mode=0
 修道院生活だって他人とのつきあいがあるので自分を殺さなきゃいけないってことですけど、そもそも信仰って自己を砕くことが必要なんです。徹底して自己が砕かれないと、神にすがる気持ちになりませんもの。

[366] マルコ13-14章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/07(土) 20:14:17 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mar&chapter=13&mode=0
 昨年度の記事は[0:590]
 今日は寝坊しちゃって生活が乱れてる。明日受洗なのに。そんなわけで短くまとめます。Twitterにもツィートしないわ。
 くしくも受苦日と復活祭の谷間の土曜日にあたりましたけど、イエス様の受難のシーンです。
 ペテロの否認で、にわとりが二度鳴いたって書いてるのは、このマルコだけ。マタイとルカは二度なんて書いてません。じゃマルコの「一度目のにわとり」はどこに出てくるのかと思ったら、これがないんですね。これじゃ「二度」の意味がない。だからたぶんマルコ14章は、昔は「一度目のにわとり」がどっかに出てたのかもしれません。それとも二度っていうのは、コケコッコーコケコッコーって鳴いたってことなの?

[365] クルアーン33回 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/06(金) 10:16:32 コメントする ここから閲覧

 クル-33回。7章88-128節。
 あらまあ、今日は出エジプトの話が続きますわ。知恵の書が知恵版でエジプトだったら、こっちはクルアーン版出エジプト。基本的には出エジプト記の話と同じですが、魔術師たちが負けたときにパロ(ファラオ)が怒って死刑にしてやると言った話とか、いろいろ尾ひれがついてるようですね。

[364] 知恵の書17章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/06(金) 10:12:01 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=wis&chapter=17&mode=0
 昨年度の記事は[0:724]
 引き続き「知恵版出エジプト記」です。出エジプト記を知らずにここだけ読むと何のことだかわかりませんが、不法な者たちっていうのはエジプト人なんです。火柱っていうのはイスラエルの民を導いた神様。出エジプト記では火柱のような形で現われましたよね。 出13:21とか 出14:24とか。

[363] エレミヤ書22-26章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/06(金) 10:05:57 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jer&chapter=22&mode=0
 昨年度の記事は[0:589]
 昨年も書いたように、同じような名前で実は別人とか、微妙に違う名前だから別人だろうと思ったら実は同一人物とか、面倒な問題がいろいろあるので注意してください。
 今年は何を書こうかしら。めんどくさいのでとっても短い24章でいきます。
 バビロン捕囚はBC587。「だから言(5)わ(8)ない(7)こっちゃない」と覚えます。エレミヤをはじめいろんな預言者があれだけ警告したのに悪いことばっかりやってるから、言わないこっちゃない、国が滅んじゃったじゃないかというわけです。
 でも正確にはバビロン捕囚は2回あるんです。第1回は「だから言わないこっちゃない」の10年前。それを知ってないとここはわかりません。つまり「カルデヤびとの地に追いやったユダの捕われ人」とは、第1回目のバビロン捕囚で連れていかれた人々のことです。世界史ではユダ王国を滅ぼした国は新バビロニアといいますが聖書ではカルデヤといいます。
 今は1回目の捕囚のあと、2回目はこれからです。もちろんこの時代の人は、2回目があるなんて思ってません。
 1回目の人たちは不幸なのかと思ったら「よいいちじく」、残ったほうはラッキーなのかと思ったら「悪いいちじく」なんですね。どう違うんでしょう。昨日紹介した「ちいろば牧師」こと榎本保郎さんは、初穂をささげよととって、月の初めのものを献金としてささげよ、一日のはじめに神とのまじわりの時間を持てなんていってますが、そんなことじゃないでしょう。つまり残ったほうは、1回目の人たちの不幸を教訓にして立ち直るべきだったのに、性懲りもなく悪いことばかりして、エレミヤの警告を聞かなかったってことに問題があるんです。
 原発事故は確かに不幸なことでしたが、それに学んで脱原発の道を歩み始めるべきなんですよ。でないともっとひどい事故が起きる。2回目のバビロン捕囚では国が滅んじゃったじゃありませんか。
 いちじくは福音書でもよく出てきます。マタイ21章やマルコ11章じゃ、イエス様があまりの空腹にたえかねて、いちじくを呪っちゃいました。そんなふうに文字通りにとるのは私くらいかしら。でもケセン語聖書の山浦玄嗣先生も文字通りにとってますね。普通はこのエレミヤ書24章なんかを根拠にイスラエルの民の比喩ととるんですけど、それにしたってイエス様が呪うというのは尋常じゃありません。まあ私は、福音書のほうのいちじくの呪いは、そのままとったほうがいいと思ってます。

[362] モーサヤ書12章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/05(木) 10:42:55 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=12&mode=0
 二年後にアビナダイは変装をしてまた預言をします。ノア王の悪事がひどいのでさまざまな災いがおそってくるというので、民は怒ってアビナダイを捕らえ、王にひきわたします。王の御前でアビナダイは祭司たちと論争をします。祭司たちはモーセの律法を教えていながらちっとも守っていないじゃないかというわけです。

[361] ユディト記3章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/05(木) 10:34:44 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jdt&chapter=3&mode=0
 昨年度の記事は[0:440]
 オロペルネス(ホロフェルネス)の進軍は続きます。投降した町も許しません。領土を滅ぼし、神々をみんな滅ぼしてしまいます。こわいですね。短いのでまとめもいい加減。

[360] ヨブ記33-34章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/05(木) 10:30:00 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=job&chapter=33&mode=0
 昨年度の記事は[0:585]。なんか神義論を書いてますね。
 今年は何を書こうかしら?
 榎本保郎『ちいろば牧師の一日一章 旧約聖書編』(いのちのことば社 マナブックス)
http://shop-kyobunkwan.com/4264029376.html
という本がありまして、もとは主婦の友社から、今はいのちのことば社から出ています。Amazonだと取り扱いできないって書いてますね。教文館には在庫あるみたいですよ。
 旧約聖書のすべての章について説教を書くというすごい力作です。だって、この真理子の聖書日記みたいなのやってみればわかりますけど、ホントに何も書くことがなくて困ること多いですもの。今だってあがいてる。
 今日の箇所では ヨブ34:9「人は神と親しんでも、なんの益もない」(口語訳)「神に喜ばれようとしても何の益もない」について書いてらっしゃいますね。念のためいうとこの言葉は、否定的に取り扱われているんですよ。
 どういう話かというと、以前は教会にちゃんと来ていたのにぱたっと来なくなった人がいて、どうしてなのかと思ったら、会社の上司から「君はこれからキリスト教でめしを食っていくのか、会社でめしを食っていくのか。もし会社でめしを食っていくなら、日曜日は上司にゴルフ接待をして点数を稼がなきゃダメじゃないか」と言われたという話を紹介してます。
 で、ちいろば先生は、なんと、これに対して有効な解答を書いてないんですね。 フィリ3:20には「わたしたちの国籍は天にある」とあるけど、この世でも生活してるのは確かなんで、私たちは天と現世との二重国籍だとかいいながら、結局、こういうときにどうすればいいか、答えを書いてない。
 答えは一人ひとりがその時々の状況で出せばいいってことなんでしょう。
 会社の仕事が忙しいときは、会社を優先するという選択があってもいい。仕事がひまになったら教会へ行けばいい、という考えも成り立つ。
 逆に、会社なんていつまでもないんだから(辛酸をなめた私は実感してます)適当に距離をおいてより永遠の交わりである教会を優先するという選択があってもいい。
 この問題も、ヨブ記全体のテーマと同様、答えは出ないんですね。
 いや、私は、礼拝を日曜日とこだわらないで、土曜日の夜にもやればいいんじゃないかと思う。土曜日の日没以後は日曜日なんだと強弁しちゃえばいいじゃん。でっかい教会だと礼拝を何度もわけてやってるけど、そんな感じで別の曜日にもやればいいんです。でも、小さな教会だと人が分散して各回がさびしくなるかしら?

[359] モーサヤ書11章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/04(水) 11:30:30 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=11&mode=0
 ゼニフ王の次のノア王は、名前とはうらはらに悪い王様。なんと五分の一の税金を課します。それでぜいたくの限りを尽くし、多くの女を囲います。さらにぶどう園を作って酒を造り、王も民もみんな酒飲みになってしまいます。それでレーマン人もちょくちょく民を襲うようになりました。
 このように神様の目に悪とされる政治を行ったので、アビナダイという予言者(57年のモルモン経では預言者と書かない。今のモルモン教は預言者。当サイトは予言と預言の区別を認めませんのでどっちでもいいことにします)が現れて王の政治を批判します。王はアビナダイに殺意を抱きます。

[358] 2マカ1章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/04(水) 11:19:26 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ma&chapter=1&mode=0
 昨年度の記事は[0:599]。また昨年のをそのまま使っちゃいます。
 今日から始まる2マカこと第二マカバイ記(マカビー記、マカベア記)は、今まで読んできた第一の続きではありません。この時代のユダヤ人の戦いに関する別の人(不明)の本です。ただし、第一のほうはもともとヘブライ語だったろうとされています(残ってない)が、第二は最初からギリシア語だったようで、それは本日読む部分からわかります。いきなり手紙で始まるんでびっくりしますが、エジプト在住のユダヤ人に「宮潔めの祭」の由来を説明し、このお祭りは大事なんだからちゃんとやりなさいと言ってます。
 メインの話は3章から始まりますけど、歴史の事件について、「これは神様がこう考えたからこうなったんだよ」「民が悪いことをしたからこうなったんだよ」と、倫理的な原因をくどいほどにしっかり説明してるのが特徴です。そういう点でも「国外ユダヤ人」向けなんでしょうか。

[357] 詩編48-50編 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/04(水) 10:32:07 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=psa&chapter=48&mode=0
 昨年度の記事は[0:584]
 まずは今回の範囲の48-50編からちょこちょこ歌詞をとったヘブライ語の歌。歌詞はYoutubeのほうに書いてあります。
http://www.youtube.com/watch?v=_T9atdmHsm4

●48編
 シオンの山、エルサレムの都に詣でるときの歌は詩編にいろいろありますがこれも(そういうタイトルはありませんが)その一つなんでしょう。Great is the Lord. 主は偉大なりと歌いながらエルサレムを詣でます。
Jack Multiという人のギター弾き語り
http://www.youtube.com/watch?v=6f3QXJOKIhY
Schönebergなんてあるからシェーンベルクかと思ったらeが余計でしたね。ドイツ語による交唱
http://www.youtube.com/watch?v=yGsF-sqI_rY
レゲエがありました
http://www.youtube.com/watch?v=ssKcT9prZOc

●49編
 「わが口は知恵を語り」というので知恵の詩編と呼ばれますが、その知恵とは結局13節と21節にあるリフレイン「人は栄華のうちに長くとどまることはできない、滅びうせる獣にひとしい。」ということ。「いつまでもあると思うなわが命」ってわけね。
オランダ語の讃美歌
http://www.youtube.com/watch?v=sGV0a8IHceA
(The New American Street Version) by Jason Millerなんてあるけど、どうしてこれ、背景が渋谷なんだろう?
http://www.youtube.com/watch?v=YzdmLNXViQU

●50編
 交読文にとられてるほどの詩なんだけど、Youtubeにはなぜかいいのがない。正教会関係でPsalm 50とか書いてるのがいっぱいありますけどそれは次の51です。来週のお楽しみ。
 さばきの日に神様が全地から人々を召集するという話だけど、さばきの日ばかりか毎週日曜日にも呼んでいるんでしょう。だから教会で交読するのにふさわしいのかしら。ここに書いてるように、神様はあなたの献金額ではなく、あなたが行いを慎んでいるかどうかを見てるのよ。

[356] モーサヤ書10章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/03(火) 10:53:53 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=10&mode=0
 レーマン王から支配権を認められたはずのニーファイ人ゼニフ王。しかし実際にはたびたびレーマン人から侵略を受けます。神様を信じて勇敢に戦ったゼニフ王はレーマン人をやぶり、国を平和に治めます。年老いたレーマン王は王位を次のノアに譲ります。

[355] シラ書17章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/03(火) 10:50:28 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=17&mode=0
 昨年度の記事は[0:806]
 やたらに〔 〕つまり写本によってあったりなかったりする部分がありますが、全部あるものとして読みましょう。
 土くれにすぎない人間に神はさまざまな能力をさずけたとありますが、5つの能力つまり五感に加え、6番目が治世で7番目が理性だっていうのが面白い考え方です。
 そして神様は他の生物に人間への恐怖心を与え、人間にすべての動植物を支配することを許されました。さらに、神をおそれる気持ち、知識、律法を与えました。
 こうして人は神に似たものとしてさまざまな能力を発揮できるようになりましたが、命だけは有限です。死んでしまえば神をたたえることもできません。生きている間は神にたより神に従って生きましょう。

[354] サムエル記下1-4章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/03(火) 10:34:33 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2sa&chapter=1&mode=0
 昨年度の記事は[0:583]
 サムエルはとっくに死んでいるのにサムエル記はまだまだ続き、今日から下になります。
 ダビデのところに一人のアマレク人がやってきて、サウル王と息子ヨナタンの死を知らせます。ところが彼がサウルのとどめをさしたというのでダビデは彼を殺してしまいます。これはちょっとひどい話。自殺幇助は何が何でもダメってことなのでしょうか。そして「弓の歌」を歌います(1章)。
 ダビデはユダのヘブロンへ行き、ここで即位します。当時はエルサレムは都市になっていません。ヘブロンが都なんですね。一方サウルの子イシボセテ(イシュ・ボシェト)がアブネル将軍に擁立されてマハナイムで即位。つまりここから南北朝時代になるんです。ソロモンのあとイスラエル王国が南北に分かれた話は有名ですが、実はダビデ即位時もそうなんですね。昨年も書いたように、イスラエルは南北に分裂しやすいんです。フロイトの説によれば、北が地元派、南がエジプト渡来派で、後の南北朝時代を経て北が滅亡したためユダヤ教は南のイデオロギーを中心に組み立てられた。だからエルサレムが中心で、出エジプトの奇跡が強調されて、ダビデが神格化されて……ということになるんです。ソロモン後の南北朝時代は南がユダとベニヤミンでしたが、ダビデ即位当時の南北朝時代は南はユダだけ。ダビデはまだユダ族しか制圧しておりません。南北両国はけつこう激しく戦います(2章)。
 北のアブネル将軍はイシポセテ王から、父サウル王の側女と寝たのではないかと嫌疑をかけられます。これに嫌気がさしたアブネルはダビデ王と通じ、かつてダビデ王の妻であったサウル王の娘ミカル(今は別の男に嫁がされている)をダビデに差し出すことを条件に投降する約束をします。ところがダビデ王側のヨアブ将軍が暴走して独断でアブネルを暗殺してしまいます(3章)。
 北のイシボセテ王の略奪隊隊長バアナとレカブはイシボセテ王を暗殺、首をもってダビデのところに来ます。しかしダビデは怒ってこの二人を殺します(4章)。

[353] モーサヤ書9章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/02(月) 14:02:23 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=9&mode=0
 ここからしばらく(22章まで)は、ゼニフの話です。ゼニフというのはリムハイ王の祖父にあたります。今までいったい何が起こったのか、回想シーンというわけです。
 実はゼニフはニーファイ人なんですが、ずっとニーファイの地にいたわけではなく、ゼラヘムラから分かれたんです。
 復習すると、善玉ニーファイ人が堕落したあと、モーサヤという人がニーファイの地を脱出してゼラヘムラに移住しました。ところがゼニフは、先祖の土地つまりニーファイに住みたいという思いが強すぎたのでゼラヘムラからニーファイに戻ったのですね。そしてこんどは間者としてレーマン人につかわされたのです。
 レーマン人は悪玉ですが、このときはニーファイもかなり堕落していたので、ゼニフの目には、レーマン人のほうがいい政治をしてるじゃないかと見えました。だからニーファイとレーマンと仲良く条約を結んで共存しようとはかったんですね。
 ところがニーファイの王はこれを承知せず、戦争になります。ニーファイは壊滅的に敗れます。ゼニフたちは荒野をさまよったあげく、レーマン王(レーマン人の王は必ず名前がレーマンになるらしい)と交渉、ニーファイの地の支配権を得ます。
 ところがレーマン王はゼニフらニーファイ人を奴隷にしようと思っているので、その後もちよくちょく戦いが起こります。ゼニフらは善戦しますが、犠牲者もけっこう出ます。

[352] ソロモンの詩篇3篇 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/02(月) 13:34:57 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=pss&chapter=3&mode=0
 義人とはどういう人かを詠んだ詩。どんなことがあっても神を信頼し、常に自分から罪を取り除こうと修養するのが義人だというわけです。

[351] 出エジプト13-16章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/02(月) 13:31:21 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=exo&chapter=13&mode=0
 昨年度の記事は[0:582]。そうだったわ。昨年の今頃はいろいろ品薄なものがあって買いだめするなとかうるさかったわね。
 旧約聖書中の最大のヤマ場である、海が割れるシーン。偉大な奇跡を見て人々は神とモーセを信じたんですが、旅があまりにつらいもので、民はすぐにぶつくさ不平を言います。むしろここからの話は、すばらしい奇跡の話というより、民の不平をいかにモーセがなだめたかという話のような気がします。奇跡による信仰なんてしょせんは長続きしないんです。むしろ、奇跡が何も起こらず苦しいときにどういう行動をするかで、その人の信仰がわかるんだろうと思います。

[350] モーサヤ書8章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/01(日) 16:52:50 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=8&mode=0
 ここからは新たな話がいっぱい出てきます。といっても回想なんですけどね。ここまでのあらすじを復習しておきましょう。
 紀元前600年ユダ王国滅亡直前、王国の滅亡を予言したリーハイは迫害されてエルサレムを脱出、一族もろとも新大陸アメリカに移ります。リーハイの死後、それまでもちょくちょく対立してきた長男レーマン(悪玉)と四男ニーファイ(善玉)の対立が激化。ニーファイらは別の地に住みます。ところがニーファイの子孫も堕落、モーサヤが脱出してゼラヘムラに逃れます。ベニヤミン王の治世を経て、息子モーサヤ(おじいさんと同名)はかつてのニーファイを探検すべく、アンモンらを遣わします。ニーファイ人のリムハイ王に謁見したアンモンは、ニーファイ人がレーマン人の奴隷になっている事実を知らされます。

 そんなわけで8章。実はリムハイ王も、かつて脱出したモーサヤの末裔の町を探して探検隊を出すのですが、結局見つからずじまい。そのかわり24枚の金版を見つけてきます。文字が読めないので何が書かれているかわかりません。そこでアンモンは、当代モーサヤ王なら翻訳機を使って翻訳できるぞと言います。

 さて、ニーファイとゼラヘムラというのは40日の行程らしいんですが、そんなに迷子になるんですかね?
 アメリカ大陸の砂漠は半端ないみたいですよ。
 コナン・ドイルの『緋色の研究』にもモルモン教徒の死の旅の様子が描かれていますが、もう一つ例をあげましょう。
 昨年2011年のアメリカ映画、Meek's Cutoff
http://www.junglecity.com/event/moviereviews/meekscutoff.htm
 モルモン経ができたのが1827年ですが、1845年に実際にあった話を映画化。開拓者がインディアンの襲撃を避けて移動。近道を知っているという白人ミークにだまされて迷ってしまう。そんな中、道を知ってそうなインディアンの男に出会う。さてこの男を信用してよいか…みたいな話らしいですね。これもアメリカ大陸の砂漠を行く話。やっぱり大変みたいですね。

[349] 3イミ16章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/01(日) 16:33:37 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=3ic&chapter=16&mode=0
 「真の慰めはただ神にのみ求めなさい」。つまり、この世の楽しみとか幸福というのはどうせ長続きしない一時的なものなので、神すなわち永遠なるものに慰めを求めよ、つまりちゃんと天国に行けるよう、この世ではへりくだっていなさい。楽しいことがあったら楽しんでもかまわないけど、それは一時的なものだと思いなさい、というわけです。 フィリ3:20の「国籍は天」っていうの、面白い表現ですね。この世は仮住まいなんです。
 イスラム教徒が酒を飲まないのも、来世ではいくらでも飲めるんだからいまはがまんしておこうってことらしいです。

[348] 1コリ15-16章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/01(日) 16:24:32 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1co&chapter=15&mode=0
 昨年度の記事は[0:580]
 昨年度は死者の復活の話を書きました。私が今までキリスト教に興味を持ちながら、なんで受洗しなかったかというと、牧師と意見が合わずに喧嘩になるという話もあるんですが、キリスト教の死生観になじめなかったというところが大きいです。私はやっぱり輪廻説、つまり死んだら天国じゃなくこの世でまた生活したいのよ。その後、キリスト教や聖書の枠内でも、そういう輪廻説を構築できる見通しがついたので、こんど4/8に受洗するんです。それについては
http://twilog.org/marikobabel/date-120329/asc
を見てください。
 今年はそんなことより重大な話が。ずばり 一コリ15:29
そうでないとすれば、死者のためにバプテスマを受ける人々は、なぜそれをするのだろうか。もし死者が全くよみがえらないとすれば、なぜ人々が死者のためにバプテスマを受けるのか。(口語訳)

 なに、「死者のためのバプテスマ」ってそんなのあり?
 まず原文をかかげておくと、
http://interlinearbible.org/1_corinthians/15-29.htm
 このイペル(ὑπὲρ。私はギリシャ語を現代語ふうに読む)つまり英語でいうforにあたる前置詞がいろいろ解釈でき、その次の「死者」も、be動詞を補って「死者である。死者となる」ととれるので、いろんな解釈が成立します。しかも各訳を見ると、学問的というより護教的。つまり自分とこの教派に都合のよいように解釈してますね。そりゃそうです。いま死者に洗礼を授けてるのはモルモン教くらいなもんですからね(まさにここを根拠にしてる)。
http://www.scriptures.lds.org/jpn/dc/128 (教義と聖約。128章15-16節)
 このへん、フラは代表的な解釈を4つ掲げています。
1.当時、洗礼を受ける機会なく死んだ人のために洗礼をさずけてた。
2.死んだ仲間(家族)のことを思って自分が洗礼を受ける。
3.いずれ死に行くこの私が洗礼を受ける。
4.洗礼を受けるのは復活することのない死者の列に加わるためってか?いや違う。(つまり反語ととる)
というわけで、ずいぶん苦労しています。
 1.は異端的なんで人気がないですけど、一番素直な気がするんですけどね。
 私は両親を憎みながら育ったので、両親の信じていた創価を棄教するのに何の抵抗もありませんが、主人は両親の愛をたっぷり受けて育ったので、少々わだかまりがある。そこで2.にとるみたいです。 使16:31には、イエスを信じたら家族も救われるってありますからね。自分が洗礼を受けることで、死んだ両親が救われるから、これは親孝行だって。

[347] クルアーン32回 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/31(土) 19:03:54 コメントする ここから閲覧

 クル-32回。7章44-87節。
 7章のタイトルの「高い壁」の由来になった箇所。地獄と天国の間の高い壁というわけです。アラブ・イスラーム学院のクルアーンの解説によれば
http://www.aii-t.org/j/frame/q_exegesis.htm

『高壁(al-’a‘rāf)』とは、ムジャーヒドによれば、楽園と獄火の間の仕切りである。アル=スッディーによれば、それはそこの者が人々を見分ける(‘ arafa)ことからそう名付けられた。イブン・アッバースによれば、「al-’a‘ rāf」とは、高いもののことである。また、彼によれば、雄鶏の鶏冠(‘urf)のような壁である。また、彼によれば、それは楽園と獄火の間の山で、そこに楽園と獄火の間の罪を負った人々が閉じ込められる。アル=ザフラーウィー(‘Umar bn ‘Abd Allāh, 454/1062年没)によると、アッラーの御使いは言われた、「ウフドの山はわれらを愛し、われらもそれを愛する。復活の日、それは楽園と獄火の間に立ち、両者をその印で見分ける民がそこに閉じ込められる。彼らはアッラーがお望みならば楽園の民である」。

というので、人々を見分けて最終的にふりわけるところみたいです。
 なお、井筒訳(岩波文庫)では「胸壁」(きょうへき)と訳し、「いわば煉獄である」と説明していますが、ずれてるような気がします。

[346] 1イミ16章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/31(土) 18:48:07 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ic&chapter=16&mode=0
 イミタチオ(キリストにならいて)は、本当に人の心をすんなり打つ言葉です。
 今日は「他人の過失を許しなさい」。自分にだっていっぱい欠点があるんだから、他人の欠点には寛容であれというわけですね。私なんか口が悪いですからすぐ人の欠点をあげつらう。これは一番改めなきゃいけないことですね。
 ただ一つ言わせていただければ、この論理を政治に使っちゃダメです。原発事故なんかに使っちゃダメです。神様がなんとかしてくれるまで原発事故は耐え忍べなんてダメです。それだけはきっぱり言っておきます。

[345] マルコ11-12章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/31(土) 18:38:51 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mar&chapter=11&mode=0
 昨年度の記事は[0:578]
 昨年は「いちじくの木の呪い」「イエス様暴れん坊将軍事件(いわゆる宮潔め)」「カイザルのものはカイザルに」「メシヤがダビデの子ではありえない」を書いたんですね。うーんと、あと残ってるエピソードといえば、「いったい何の権威で」(マコ11:27)、「ぶどう園と農夫たち」(マコ12:1)、「復活したら誰の妻に」(マコ12:18)、「一番大切な律法とは」(マコ12:28)、「律法学者に気をつけろ」(マコ12:38)、「やもめの献金」(マコ12:41)ってところかしら。何にしよう。
 [324]でご紹介した、例の
The Jewish Annotated New Testament: New Revised Standard Version Bible Translation
http://www.amazon.co.jp/dp/0195297709/ref=cm_sw_r_tw_dp_hblzpb1MFQY9J
は、上の「律法学者に気をつけろ」と「やもめの献金」をひとつながりにしています。
 つまり、私たちは、やもめが自分の生活費を全部献金したなんていう話をついつい美談としてとってしまいますけど、実はその直前の、律法学者が自分たちのよい行為をみせびらかすというのと、相似形なんですよね。実際、やもめの献金はやりすぎであると否定的にとる見解もあるようです。まあ、この本はそこまで言ってません。マルコにはそこまでの意図はなく、神殿というのは金持ちも貧乏人も献金できるところだというにとどめてます。
 まあでも私としては、こういうところで牧師は、生活費全部を献金するなんていうばかなまねはやめろという説教をすべきだろうと思います。
 信徒の友2012-3「献金の喜び」が、低所得者への配慮をまったくせず、献金しろ献金しろと書いてることに私は腹をたてています。よく、十分の一の献金をしろなんていいます。そのレートが高いかどうか。なんでも日本共産党の党費は実質の収入(ってことは必要経費を控除した所得かしら)の二十分の一と定められているみたいですね。でも、たとえ十分の一献金が二十分の一献金になったとしても、人が生きていくのに最低限必要な額というのは金持ちも貧乏人もかわりない。貧乏人だからといって節約できるわけじゃない。だからたとえ二十分の一だろうと三十分の一だろうと、その額はその人が生きていくのに最低限必要な額をおびやかす可能性がある。その意味で、献金額を収入の何分の一と決めるのは、実質的に逆進課税なんです。
 だから、献金の指導は「無理するな」を強調してあげたい。やもめの行為は否定しなきゃいけないんです。口をすっぱくして「無理のない範囲で」を言わなきゃいけない。実は貧しい人ほど、牧師の教えをまじめに守ろうとする。でなきゃ、十分の一献金をしたいのにできないことに対して罪の意識を持つんです。それをせずに献金しろ献金しろと信徒の友2012-3でいう日本基督教団を私は社会に有害なカルト教団と断定しているんです。

[344] クルアーン31回 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/30(金) 11:56:58 コメントする ここから閲覧

 クル-31回。7章1-43節。
 11節からはアダムの堕落の話が書かれています。神様は天使たちに、ご自分の作ったアダムを拝めと言いますが、悪魔イブリースは拒否します。それで悪魔は神様にここから出て行けと言われるのですが許され、人々のうちから悪人を判別する役を演ずるようになります。さっそくアダムはひっかかって堕落してしまうのですね。
 ところで、アダムとエバが食べた木の実は、この箇所には書かれていませんが、善悪を知る木の実でした(創3:5)。なんで善悪を知るのがいけないのかは難問で(だって、何がよくて何が悪いかを知ることは、普通はいいことだと思われてますからね)、いろいろな答えが出て来そうです。クルアーンでは単純に、性の羞恥心ととらえているようですが、『旧約聖書と新約聖書』(新教出版社)の上村静先生は、善悪というのは一つの基準があってはじめて言えることであり、本来多様であるはずの善悪を一つの基準で定めることにより、その基準で善とされたものが悪とされたものを差別するようになる。それはもはや人間と自然の本来のかかわり方ではなくなってしまう、みたいなことを言ってます。すぐに答えは出て来ないでしょうから、今後も考え続けることにしましょう。

[343] 知恵の書16章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/30(金) 11:42:32 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=wis&chapter=16&mode=0
 昨年度の記事は[0:722]
 出エジプト記のエピソードが書かれています。ですから主人公はイスラエルの民であり、敵とはエジプト人のことです。原文はそれが不明確で、新共同訳にあるとおり「御自分の民」「あの敵ども」(知16:2-3)としか書かれていませんが、「真理子のおまけ」(上のリンク)では補っておきました。