[ばべるばいぶる]

真理子の聖書日記


このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
真理子修道会の修道女/修道士の方のみ書き込むことができます。

掲示板運営方針(必読)


twilog
お名前 :
メールアドレス :
題名 :
内容 :
修道会ID :
修道会パスワード :
    再表示  初期表示(最新投稿から30件ずつ)


検索語 :
検索語[] ヒット数476

[310] ソ詩1編 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/19(月) 03:32:27 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=pss&chapter=1&mode=0
 ソ詩というのはソロモンの詩篇。え、そんなの知らないぞって? これは新共同訳の続編には入ってません。LXX(七十人訳聖書=ギリシア語訳旧約聖書)に入ってます。
 ところで、「ソロモンの詩篇」というライトノヴェルがあるんですね。「ソロモンの詩篇」でぐぐると本家のほうはあまりヒットせず、このラノヴェのほうががんがんヒットします。が、本家とは全然関係ありません、たぶん。
---------------------------------------------------------------------------------
ソロモンの詩篇-魔法学院と悪魔の寝室- (KCG文庫) HALO http://www.amazon.co.jp/dp/4047275956/ref=cm_sw_r_tw_dp_5AIzpb1A3Q2YT
---------------------------------------------------------------------------------
 本家のほうは18の詩篇からなっていますが、ソロモンが書いたというのはうそっぱち。たぶん紀元前1世紀ごろにパリサイ派の立場から書かれたものということのようです。
 とりあえず今のところ第1編しか訳してません。クルアーンやイミタチオ同様、通読と同時進行、やっつけ仕事でやっていきます。

[309] 出エジプト記5-8章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/19(月) 03:23:00 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=exo&chapter=5&mode=0
 昨年度の記事は[0:562]
 モーセとアロンはパロ(ファラオ)に荒野で祭をしたいと言いますがパロは許可せず、逆にイスラエルの民の仕事を厳しくします。民はモーセに不平を言うので困ったモーセは神様に訴えます(5章)。神様は、いいからパロのところへ行って説得しろといいます(6章)。モーセは、つえを蛇に変えたり、ナイル川の水を血に変えたり、かえる、ぶよ、あぶなどを大量発生させたりしますが、パロは許可しません(7-8章)。
 おとといはサイババの話をして、奇跡なんかしなかったほうがよかったといいましたけど、ここもそうですね。どんなに奇跡をやっても、そんなのは所詮は手品なんで、信用されないんです。この点エジプト人は、現代人に似ていますね。あ、この話は昨年書いたんだった。でも何度でも書きますわ。このあたりのやりとり、イスラエルのほうがいかがわしく、エジプトのほうが健全です。
  出5:3で「ヘブルびと」という言い方が出てきますが、ヘブルというのはこういうふうに他称として使うのが本来のようです。

[308] ジェロム書(全) 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/18(日) 07:19:49 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jar&chapter=1&mode=0
 今週はどんどん話が進んじゃいますので、今までの話をごく簡単にまとめておきましょう。
 紀元前600年、ユダ王国の滅亡を予言したため人々から迫害されたリーハイは、一族を連れてエルサレムを脱出、荒野の苦しい旅を経て神の約束された新天地アメリカ大陸にわたります。
 リーハイには6人の子がいますが、長男レーマンと次男は悪役で何かにつけて4男ニーファイらに反抗します。新天地でリーハイが死ぬと、レーマンはニーファイらと激しく戦うようになり、ニーファイらは別の地に移って一族が栄えます。以後、レーマンの一族はレーマン人、ニーファイらの一族はニーファイ人と呼ばれるようになります。
 ニーファイの後継は弟のヤコブ、そしてヤコブの子イノス、イノスの子ジェロムに受け継がれて今日のジェロム書。
 時は経過して、ジェロム書で書かれている年代は紀元前399年から361年までです。
 レーマン人は野蛮な生活をしてたびたびニーファイ人と戦いましたが、ニーファイ人も栄えて防戦しています。話としてはこれだけです。
 ただ、興味深いのは8節で「金、銀、貴重な物、木細工、建物、機械、鉄、銅、真鍮、鋼」といった産物をニーファイ人が持っているというわけなんですが、これ技術史的にどうなんでしょう? 一番ひっかかってるのが鉄で、たしかアメリカ・インディアンは18世紀まで鉄なんか持ってなかったはずなんですけどね。今は鉄なんて珍しくありませんけど、古代では鉄はいまの核兵器なみの力をもった金属だったんですけどね。イスラエルだって鉄を持つのが遅れたからペリシテに圧迫されたんです。エジプトだって鉄を持ってたヒッタイトに降ったんです。南米のインカ帝国は金は持ってたけど鉄を持ってなかったからピサロにやられちゃったんです。
 こういう技術史的な話を突っ込むと、文書の真偽を判定することが容易になります。私たちは宗教書というと神様の話ばっかり目が行きますが、ちゃんと技術に目を向けることです。

[307] 3イミ14章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/18(日) 06:03:55 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=3ic&chapter=14&mode=0
 昨日同様にすばらしい話です。
 わたしたちはついつい自分のしたよいことを誇ったりする。人に宣伝せずとも心の中では、これだけいいことをしているんだから私は偉いみたいに思ってたりする。だけどそんなことはない。イミタチオの著者が何度も言ってるように、自分を低くいやしいものと考え、謙遜しなければなりません。神様のおさばきの前ではそんなのふっとんでしまうと思って、自分のよい行いに頼ることなく、神様にすっかり頼ることです。

[306] 1コリ11-12章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/18(日) 05:58:14 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1co&chapter=11&mode=0
 昨年度の記事は[0:561]
 11章、男はこう女はああと言っているの、昨年は憤慨しましたけど、こんなので憤慨していたらパウロの手紙は読めません。またかと思って読み飛ばします。むしろ、旧約聖書はもちろん新約聖書も書かれていることをそのまま守るべきものではない、という例として使えます。たとえば誰かが「聖書は同性愛を禁じている」なんて言ってきたらここを開けて「じゃあんたの教会の女はみんな帽子をかぶってるのか」と言えばいいんです。まあ、8-9節では「男から女が作られた」といっておきながら、すぐ後の12節では「男も女から生まれた」と言うような人です、パウロっていう人は。
 11章の後半は聖餐の話。ここを根拠に、洗礼を受けてないと聖餐にはあずかれないってことになっているんでしょうね。ただ、よーく読むと、「ふさわしくないままで」と言ってるだけで、洗礼うんぬんとは一言も言ってませんので、未受洗者も聖餐にあずかれるという立場だってその余地はあるのです。
 12章は、人にはそれぞれの役割があるということ。みんな違ってみんないい、すばらしいお話です。

[305] クルアーン28回 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/17(土) 11:50:29 コメントする ここから閲覧

 クル-28回。6章73-110節。
 クル6:74ではアブラハムの父の名前をアーザルとしていますが、創世記ではテラです。こんな感じで時々違うことがありますね。そして内容的にもこんな話は創世記に出て来ない。旧約聖書そのものをネタにしたんじゃなくて、旧約聖書の物語がアラブ世界で伝承された形をネタにしているようです。

[304] 1イミ14章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/17(土) 11:34:01 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ic&chapter=14&mode=0
 「人をさばくな」というのはマタ7:1-2にもある言葉です。もっともキリスト教業界ではこの言葉は、自分が人から批判されたときに水戸黄門の印籠のようにかざして批判を封ずるような使われかたをしている気がしますけど、実際私は人を批判するときに、不正確な伝聞情報をうのみにしてしまうような間違いを起こしやすく、あとで「しまった」って自責の念にさいなまれることが多いものです。そういうときに、イミタチオの著者のこの言葉は砂漠にしみこむ水のように私の心にしみいります。
 こうやって聖書正典、外典、クルアーン、モルモン経、イミタチオ(キリストにならいて)を通読していて、文がそろってないところは同時進行(別名やっつけ)で文を打ち込みながらやってるわけなんですけど、私はイミタチオが一番楽しいです。聖書本文よりもはるかにしみこんできますもの。

[303] マルコ7-8章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/17(土) 11:22:27 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mar&chapter=7&mode=0
 昨年の記事は[0:559]
 今年は「四千人に食べ物を与える マコ8:1」の話をしようかしら。
 前回([280])「イエス様私生児説」ばかり書いちゃいましたが、前回のマコ6:30に出てきた話の繰り返しのようなエピソードです。
 この奇跡がほかと違うのは、実際にパンが増えたからくりが何も書かれていないので、いろいろ解釈の余地があるということです。マナみたいに天から降ってきたとも書いてないし、サイババみたいに空中から出現させたとも書いてない。だから映像化が不可能ですね。映像化するためには映画監督さんが解釈をしなきゃいけないけど、それは一つの解釈を押し付ける結果になっちゃいます。
 今から書くのは私の解釈。これも私の解釈を押し付けちゃうことになるわけですけどね。
 たぶん、群衆の中には、パンを持ってた人がけっこういたんです。だけどそれは、自分が食べるお弁当として持ってきたのであり、人にあげることなんて考えもしなかった。隣の人が空腹だというのに。今だってそんなもんでしょ? でもイエス様の弟子たちが、どうしようどうしようとおろおろしているのを見て、人々に愛の心が芽生えて、自分のパンを飢えている隣人に分かち合うようになった。気がついてみたらみんな満腹になった、ということです。
 なんと感動的だと思いませんか。私は、サイババみたいに空中からパンを出現させるよりもはるかに意味のある奇跡だと思いますけど。 マコ8:12「なぜ、今の時代はしるしを求めるのだろう。よく言い聞かせておくが、しるしは今の時代には決して与えられない」。というより、今の時代のわたしたちは、たとえ空中からパンが生じてもそれを手品としか思えないんです。昔の人がごく普通にやっていたであろう、ごく普通の分かち合いが、とても感動的な奇跡に見えちゃう、そういう時代なんでしょう。
 ところで、サイババって去年死んだんですね。インドでは国葬までされたらしい。国葬をされた民間人はマザー・テレサとサイババだけらしい。すごい聖者だったようですね。日本では奇跡のトリックばかりが報道され、女流棋士の林葉直子さんが入れ込んじゃったので、いま話題のオセロの中島知子さんを洗脳した怪しげな占い師みたいな感じで、林葉直子さんを洗脳した怪しげな聖者って感じの報道されてましたけど、実はすごい人だったんですね。なまじヘンな奇跡をやっちゃったから誤解されちゃったんでしょう。
 イエス様も現代に現れたら、なまじ奇跡なんかやらないほうがいいんです。遠藤周作の小説に出てくる、何もできないダメなイエス様っていうほうがありがたい。そのほうが「ダメだこの人。こりゃ自分が立ち上がってなんとかしなきゃ」って、人々を立ち上がらせるんです。

[302] クルアーン-27回 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/16(金) 03:29:53 コメントする ここから閲覧

クル-27回。第6章36-72節
  クル6:60「夜の間にあなたがたの魂を取る者は彼である。」というのは、人間には魂が二種類あって、生命の魂は生きている間じゅうずっとあるのですが、もう一つ「分別の魂」のほうは、寝ているときは肉体を離れているということらしいです。

[301] 知恵の書14章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/16(金) 03:14:50 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=wis&chapter=14&mode=0
 昨年度の記事は[0:713]
 偶像がいかにむなしいかという話ですが、昨年も書いたとおり、この議論のほうがむなしい。偶像を拝んでいる人々は、それがただの人形であることなど知ってます。知ったうえで、目に見えないものをイメージするための手段として拝んでいるんです。
 6節の巨人の話は 創6:4に出てきます。口語訳聖書では「ネピリム」、新共同訳聖書では「ネフィリム」とあるだけで巨人じゃなさそうですが、LXXでは巨人と訳されたのです。

[300] エレミヤ書7-11章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/16(金) 03:02:33 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jer&chapter=7&mode=0
 昨年度の記事は[0:557]
 エレミヤ書は長いわりに、言ってること自体は単純です。
 悪いことばかりしてると滅びるぞってことだけ。
 平成のエレミヤ(と私が勝手に呼んでる)上杉隆さんも、著書はいっぱいありますが、言ってることは同じことの繰り返しです。原発と記者クラブ問題ばっかり。でもそれは、何度も何度も同じことを言い続けているのに事態が改善されないからなんで、仕方ありません。
 同じようにエレミヤも、事態が改善されないから何度も何度も同じことを言うのです。
 で、時々実際の事件の話になる。上杉さんだったら、自由報道協会を作ったとか、震災直後に何度も何度も官邸に電話をかけ続けたとか、災害報道一色だった中、ラジオ番組で初めて音楽をかけて人々の心をいやしたとか、デマ男呼ばわりされたとか。
 同じようにエレミヤも、論争をしただの投獄されただの、時々事件が出てきます。が、今日のところにはありませんね。

 いくつか解説しますと、
 シロ( エレ7:12など)は、最初に契約の箱が置かれた都市。
http://www.babelbible.net/map/3.png
のB-3の、エフライムと大きく赤い字で書いてあるあたりにあります。今でこそエルサレムがイスラエルの中心のようですけど、それはダビデ王以降の話。当初はシロだったんですね。
 ちなみにエフライムというのは北王国10部族のうちの代表的部族。南=ユダ、北=エフライムなんです。だから エレ7:15で「エフライムを捨てた」というのは、北王国が滅んだことを言ってます。
  エレ10:9「銀ぱくはタルシシから渡来し、」は昨日ヨブ記で見ました。

[299] イノス書(全) 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/15(木) 10:44:54 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=eno&chapter=1&mode=0
 イノス書はたった1章しかなく今日でおしまい。しばらくこういう短い書が続きます。
 時代設定は25節にあるように、エルサレム脱出(BC600)から179年たったとあるのでBC421年。イノス(Enos)というのは昨日まで読んでた祭司ヤコブの息子です。
 モルモン経ヤコブ書ではニーファイ人が堕落し、まだレーマン人のほうがましだという話が出てきましたが、いろいろ教化しようとしてもやっぱりレーマン人はダメだったようで、イノス書ではニーファイ人とひどく対立しているようで、野蛮で流血が好きで他の神を信仰して…とさんざん書かれてますね。将来は戦争になるぞと予言してイノスはあっけなく死に、イノス書もあっけなく終わります。

[298] トビト記14章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/15(木) 10:39:19 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=tob&chapter=14&mode=0
 昨年の記事は[0:428]
 トビト記は今日でおしまいです。
 おさらいをすると、トビトたちはナフタリ族で、北王国が滅んでアッスリヤ(アッシリア)によってニネベに捕囚されていたのでした。アッシリヤはその後、新バビロニア(聖書ではカルデヤ)やメデアによって滅ぼされます。そして新バビロニアによって南のユダ王国も滅ぼされエルサレムも破壊されるというのが今後の話で、最後のトビトの話にはこれらのことが出てきます。トビト記は実際にははるかに後、紀元前2世紀に出来たと思われるので、そういう話が出てくるのです。

[297] ヨブ記27-28章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/15(木) 10:30:52 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=job&chapter=27&mode=0
 昨年の記事は[0:556]
 いやあ、見事に書くことが何もないわ。
 ヨブ記なんてまともに料理したっておいしくも何ともない。結論は見えてるもの。「神様はえらい、正直者がバカを見ることがある」だけでしょ? 3ラウンド半議論した結果がこれよ。
 ちょっと別の楽しみ方を考えなきゃ。
 博物誌、百科事典として読むっていうのはどうかしら?
 ヨブ記には当時のいろんなものがいっぱい出てくるので、動物学、植物学、鉱物学、科学史、技術史的資料として読んじゃう。
 今日は ヨブ28:1-2の銀、金、鉄、銅の話をするわ。
 関根訳によれば、これら金属の話は知恵の出所を考察してるらしく、 ヨブ28:12にある「しかし知恵はどこで見出され。悟りのある場所はどこなのか」を、28章冒頭や7節にコピペしています。金属はそのまま土に埋もれてるわけではないので、精錬したりしなきゃ取り出せない。知恵の獲得は簡単じゃないよということらしいです。で、この話はヨブ記のストーリーとはちっとも関係ない。困ったものです。だから今日はヨブ記のストーリーを無視してこの話だけします。
 口語訳聖書によれば、銀は「穴から掘り出す」、金は「精錬する」、鉄は「土から取る」、銅は「石から溶かして取る」らしい。
 銀は エレ10:9 エゼ27:12によれば、当時はタルシシュつまりスペインから輸入してたらしい。ヨナが神様の仕事を嫌って逃げようとした世界の果てです。なお、穴と訳されている語は精錬所ないし産地。単に掘り出してとれるものじゃなく、やっぱり精錬しなきゃダメみたい。
 金は 王上10:11 イザ13:12によればオフル、 王上10:1 詩72:15によればシバから輸入したようです。どちらもアラビア半島の南西端です。
 鉄と銅は 申8:9によると、神様が約束した土地は石が鉄であり山からは青銅を掘り出せるらしいので自国生産できると思いきや、いまいちはずしてます。鉄の鉱脈はヨルダン川の東の谷にあるんだそうです。銅はエドムやシナイ半島あたりから出るそうな。そのあたりまで神様は征服する腹だったのかしらね?
 鉄は岩波・並木訳では「塵から取り出され」とあり、砕かれた鉄鉱石を想定しているようです。銅は鉱石をホントに火で溶かすんだそうです。
 いずれにせよ金属は精錬しなきゃダメってことで知恵の話に結びついているようです。

[296] ヤコ・モ7章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/14(水) 09:18:39 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jac&chapter=7&mode=0
 モルモン経ヤコブ書は今日で最後。
 最後にちょっと劇的な話。悪役シェレムが出てきて神様を否定する説教をして、罰があたって死んでしまいます。でももうちょっとひと波乱ふた波乱あったほうが面白かったのに、なんかあっけなさすぎてばかばかしい。
 で、ヤコブは死に、息子イノスにバトンタッチ。明日はイノス書です。

[295] 1マカ14章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/14(水) 09:13:41 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ma&chapter=14&mode=0
 昨年度の記事は[0:589]。悪いけど今回も昨年そのまま。

 最初の3節で、デメトリオ王がメデヤに捕らえられちゃう話がありますが、この話は次章には続くものの、この章ではとりあえずここで終わってしまい、次に続きません(A)。
 前章でヨナタンが死んでシモンがあとをついだ話がありましたが、そのシモンをたたえる詩が載ったあと(B)、スパルタから友好条約の更新の手紙がきます(C)。
 シモンはまたローマとも同盟を結びます(D)。
 民はシモンをたたえる碑を作ります(E)。
 なんだかごちゃごちゃしてますよね。編集がなってませんね。私だったら、C-D-E-B-Aみたいな順序にしますのに。みなさんもそういう順番で読んでください。

[294] 詩編39-41編 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/14(水) 09:11:05 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=psa&chapter=39&mode=0
 昨年度の記事は[0:555]
 いやあ、今回のはYoutube不作だわ。これはというのが全然ない。例のkinotoriさんの作品、いつもとりあげては趣味が悪いとくさしてますけど、それすらないんだわ。仕方ないんで、外国語の朗読系もとりあげて1編1つ。

●39編
 おそらく死の床にある人の祈り。自分の寿命はあと何日なんだろう、と。先日お亡くなりになった、私の主人のお父様も、最後にはこんな感じの心境だったのかしら? 昔と違って今はがん告知なんてごく当たり前にやりますからね。私の高校生時代のときに死んだ母も、大学生時代のときに死んだおじさんも……、なんでうちの家系も主人の家系もみんながんで死ぬのかしら?

(http://www.youtube.com/watch?v=KPM-DH-nMhQ)

●40編
絶体絶命のピンチから脱出したときの祈り。教団讃美歌の交読文にも入っています。面白いのは、7節で「あなたはいけにえと供え物とを喜ばれない」なんて言ってること。にもかかわらずダビデ→ソロモンの時代にいけにえを捧げる恒常的施設である神殿建設が行われたんですからね。
sons of korah

(http://www.youtube.com/watch?v=-ZTYE1MAo68)

●41編
 これも39編同様に病床での祈りだと思うんだけど、病床以外でも苦難にあったときに使える祈りです。
Lord Heal My Soul - Psalm 41

(http://www.youtube.com/watch?v=U6MPjLlEcqg)

なお、前回の38編で書き忘れましたが、ストラヴィンスキーが『詩編交響曲』という全三楽章のカンタータ的交響曲の第一楽章と第二楽章で38編を用いています。ヴルガタなんで39編と書いてある資料も多いですが第一楽章詩38:13-14と、第二楽章詩38:2-4です。
第一楽章

(http://www.youtube.com/watch?v=JN__SpkeFEU)
第二楽章

(http://www.youtube.com/watch?v=NbZXTdl6OSM)
第三楽章は150編で、昨年の[0:978]

[293] ヤコ・モ6章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/13(火) 10:27:21 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jac&chapter=6&mode=0
 前章の長々とした樹木園のたとえ話に出てきた木はイスラエルのことで、すべて焼き払われる時つまり終末がやってくることを警告、悔い改めを人々に説きます。

[292] シラ書14章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/13(火) 10:25:07 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=14&mode=0
 昨年の記事は[0:796]
 シラ書は連想でことわざを並べていますが、章の区切りが内容の区切りと必ずしも一致しません。最初の2節の罪の意識の話は、前の章末と内容のつながりがあります。
 3節からはおカネの話。ケチケチするなという話が15節まで続きます。そして、死後にカネを持って行けない。おカネをためても他人のためになってしまうという結論で、そこから命が有限だという話になり、知恵(神の別名)を求めよという話へと移ります。

[291] サム上16-20章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/13(火) 10:20:23 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1sa&chapter=16&mode=0
 昨年の記事は[0:553]。「午後からうちの地域が計画停電」なんて書いてますね。あのころはそうだったわ。停電におびえる毎日だった。

 サウルを見捨てた神様はサムエルに命じ、ベツレヘムにあるエッサイの家に行かせます。サムエルは8人の息子を見、末のダビデこそが次の王にふさわしいと直感(もちろん神様がそう判断したってことですけど)、彼に油をそそぎます。一方サウルは精神を病んでおり、竪琴の名手としてダビデを召抱えます(16章)。
 ペリシテ人の戦いが続き、イスラエルはペリシテの勇士ゴリアテの挑発を受けています。兵役についている兄たちのところに荷物を届けにきたダビデは戦いを志願、石を石投げ器で投げて命中させてゴリアテを倒します。ちなみにこの章、もうダビデはサウルに顔を知られているはずなのに、章末では「あれは誰か」みたいに聞いてたり、へたくそな編集のせいでいろいろ矛盾があります(17章)。
 この快挙にサウルの息子ヨナタンはダビデを愛するようになります。ダビデはサウルに仕官し連戦連勝、人々の評判を得ますが、これでサウルは嫉妬をするようになり、発作的にダビデを殺そうとしたほどでした。サウルは次女のミカルをダビデの妻にし、そのかわりペリシテ人のちんこの皮を百枚持ってこいと言います。ちんこなんて聖書に書いてないぞっていうあなた、陽の皮ってそういうことですよ。ちんこのことを陽物(ようもつ)っていうでしょ? こういうもって回った訳し方しといて、どうして新共同訳聖書注解も新聖書注解も注をつけないかしらね? ともあれサウルとしては無謀な条件をつきつけてダビデを戦死させようという意図なんですが、ノルマを倍も果たしてダビデは帰還します(18章)。
 ダビデに父サウルが殺意を抱いていることを知ったヨナタンは父をいさめますが、またも発作がおこってサウルはダビデを槍で殺そうとします。間一髪で逃げたダビデは妻ミカルの助けでサムエルのところに逃亡。ミカルはダミーでベッドに人形を寝かせて時間稼ぎをします。サウルはサムエルのいるラマのナヨテに行きます。ラマというのはいろんなところにある地名ですがこの場合はエフライムで、
http://www.babelbible.net/map/8.png
のB-2の左下です。ナヨテはどこにあるかよくわからないようです。いずれにせよサウルが行くと、かつて10章で即位前のサウルがそうなったように、予言をする状態になります。実際には狂人のさまを人々の前に露呈してしまったってことでしょう(19章)。
 ナヨテからダビデは逃げてヨナタンと会います。ダビデは明日は王の前で食事をしなければならないが、ベツレヘムの実家の祭りがあるという口実で欠席する腹です。ヨナタンに会食に出席してもらいサウルが殺意を抱いているかどうか探らせ、それを伝えるために矢と子供を使った暗号を定めます。ヨナタンはサウルが殺意を抱いていることを確認、ダビデにその暗号で伝えます(20章)。

[290] ヤコ・モ5章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/12(月) 11:42:49 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jac&chapter=5&mode=0
 怒涛の77節。モルモン経ヤコブ書の半分くらいは5章なんじゃないかというくらい長いです。そのくせあんまりたいしたことは書いてない。樹木園のたとえ話なんですけど、これもっと短くまとめられなかったのかしら。
 このたとえ話は昔予言者ゼノスが語ったものをヤコブが語っているということらしい。 ゼノスというのはモルモン経にしか出て来ない、(彼等から見ても)古代の予言者です。1ニフ19:10を見ると、ゼノク、ニーアム、ゼノスなんていう独自予言者がいろいろ出てきます。
 言いたいことは、イスラエル=樹木園のかんらんの木ってことで、木が腐ったので枝を刈り込み根元にこやしを入れた、また腐ったので野生の木の枝をついだらよくなった、・刈りこんだ枝も成長してよくなった……と、けっこうだらたらと、木の手入れの話が続きます。神様がせっかくイスラエルに目をかけていろいろしてあげるのにって話ですね。

[289] 詩歌14章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/12(月) 11:29:56 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=ode&chapter=14&mode=0
 LXXにしか存在しない「詩歌」は今日でおしまい。
 「詩歌」は旧約や新約の祈りの箇所をそのまま抜き出したものなので、それで教文館の『聖書外典偽典』にも翻訳がないんですけど、今日の14章は旧約にも新約にも該当箇所がありません。だからここの翻訳は本邦初です。当ばべるばいぶるでなければここを日本語で読めませんのよ、えへん。
 まあ、でもたいしたことは言ってないですね。朝のお祈りです。
 こうやってみると「詩歌」って、初期のキリスト教会の祈祷書だったんですね。

[288] 出エジプト記1-4章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/12(月) 11:24:05 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=exo&chapter=1&mode=0
 昨年の記事は[0:550]
 律法は今日から出エジプト記。旧約聖書は実はここからが本番というか、出エジプトの神の救いこそが旧約聖書に説かれた神の救済の最大のヤマ場です。いままで読んでた創世記はいわば前史。それまではノアだのアブラハムだのヤコブだのに個別に恣意的に現れてきた神様が、いよいよ民族全体を救う神に「昇格・出世」したのです。
 出エジプト記の冒頭は、モーセの出生と召命が記されていますが、3-4章にあるようにモーセはけっこう抵抗します。今後の苦難を考えれば当然ですね。政治家っていうのはどんなにいい仕事をしても、民からは不平を言われ、大変な仕事です。お隣の韓国なんか、歴代の大統領のほとんどが悲惨な末路をたどってますよね。亡命だの暗殺だの投獄だの自殺だの。モーセの末路も悲惨です。結局約束の地に入れない。フロイトによれば実は民に殺されちゃったんじゃないかってほどですから。
 ところで、 出4:24-26で、せっかくモーセを召命した神様が、モーセを殺そうとしたっていうちょっと不気味なことが書いてあります。あまりに不気味なのでここの解釈は定説がありません。たぶん、異国ミデアン(*)の地で生まれたモーセの子は割礼を受けてなかったので、割礼を受けてはじめてエジプト行きが許されたってことなんでしょう。そう、割礼ってもともとエジプトの習俗なんですよね。

(*) http://www.babelbible.net/map/2.png のF3

 「行きはよいよい帰りはこわい」という言葉もありますが、行きはすんなり突っ切ることができたシナイ半島に、帰りは40年もかかるとは!

[287] Re:#270 イェシュア 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/11(日) 07:10:08 コメントする ここから閲覧

そういえばそうでしたね。新約のほうじゃ ה が抜けてましたね。まさにケセン語聖書の山浦玄嗣先生いうところの「ガリラヤのイェシュー」でした。

[286] ヤコ・モ4章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/11(日) 01:41:22 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jac&chapter=4&mode=0
 ニーファイ人の祭司ヤコブの説教の続き。将来キリストが出現するが、ユダヤ人がキリストを拒むということを予言しています。
 もちろん実際にはこの文は19世紀に書かれており、だからそのへんのことは全部わかった上で書いているわけです。17節にある「隅の首石」は文語訳に基づく表現で、口語訳では「隅のかしら石」、新共同訳では「隅の親石」になっていますが、たとえばマコ12:10なんかにある、ぶどう園の農夫たちのたとえ話に出てくる表現で、捨てた石が隅の首石になったということで、捨てたイエス様の象徴です。そういったものをふまえて書いているんですが、それをあくまでBC500年ごろの文という体裁にしているので、違和感を覚えます。

[285] 3イミ13章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/11(日) 01:25:37 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=3ic&chapter=13&mode=0
 人には従順に、謙遜にってことで、当然ながら上の人にも逆らうなってわけですね。そういえばパウロもロマ書では、権威に従えって言ってましたね。( ロマ13:1)
 パウロの場合は、終末がいまにも迫っているので、はっきりいって現世の問題には興味がないってことなんでしょうけど、イミタチオの著者にとっては違います。
 それは一言でいえば、自己解体。3節にあるように、みんなに踏みつけられろっていうこと。こういう自己否定、自己解体っていうのは度を越すと困ったことになりますけど、でも信仰心を持つためには何らかの形で経験しておく必要があることです。自分はつまらない人間だと徹底的に自己否定することで、神だのなんだのにしたがって生きる気持ちになるわけですから。
 イエス様も神様でありながら、すべての人より低くいやしいものとされ苦しみを受けた。それを考えたら、人にへりくだるくらいどうってことないし、それが自分を鍛えていくのです。

[284] #270 イェシュア 投稿者=HKJ 掲示日=2012/03/11(日) 01:24:31 コメントする ここから閲覧

>>イエス様の名前も実はヘブライ語ではヨシュア。だからヘブライ語版の新約聖書はヨシュアって書いてますし、、、

これは訂正ガ必要です。ヘブライ語訳の新約聖書では、yeshua' ha-mashiach です。
yoshua' / yehoshua' ではありません。
Franz Delitzsch訳, Isaak Salkinson訳, イスラエル聖書協会の現代ヘブライ語訳、リビングバイブルヘブライ語版でも、「イエス」の名前は、Yeshua' です。

yeshua' というのは、バビロン捕囚後にイスラエルへ戻った民の人名表に出てきます。
ネヘミヤ11:26。
日本語訳は、「ヨシュア」と変えてしまっていますが、原文どおりに音訳すると、「イェシュア」です。

ナザレの訛りでは、語末の「アイン」が消えるので、
yeshua' >>> yeshu になり、これが、ギリシャ語の Iesous / ユダヤ人の文献の yeshu です。

[283] 1コリ9-10章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/11(日) 01:15:02 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1co&chapter=9&mode=0
 昨年度の記事は[0:548]
 10章は、あれれ、先週読んだ話じゃんっていうくらい強烈なデジャヴ感がありますね。8章の話をむしかえしています。逆にいえば、それほど切実な問題だったんでしょう。
 先週([262])も言ったように、食べ物の話ではぴんとこなくても、仏教の葬式に出ていいかどうか、焼香していいかどうかなんて話だとけっこうぴんとくるんじゃないでしょうか。
 私自身は、たとえ洗礼を受けた後でも、仏教の葬式は出ますし、お経も唱えることでしょう。そうそう、主人の死んだお父様の納骨がゴールデンウィーク後にありますが、そしらぬ顔で南無妙法蓮華経を唱えてきますわ。キリスト教の信仰がしっかりしていれば、他宗教のしきたりも単なる社交辞令でしかありませんもの。ただし、「やっぱりお経を唱えるのは気持ちがわるいからできない」って人の気持ちもわかるので(なにしろ私が熱烈な創価学会員だった小学生のころは、アーメンなんて唱えたら舌がぬけちゃうって本気で思ってましたもの)、強要はしません。
 とまあ、やっぱり先週も同じこと言ったなっていう話にはさまれた9章は、宣教のためなら何でもやるぞ、相手にあわせるぞっていうことです。よっぽどこの点について人から批判されていたんでしょう。

[282] クルアーン26回 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/10(土) 11:57:07 コメントする ここから閲覧

 クル-26回。第6章1-35節。
 クルアーンは何度も何度も同じような話を繰り返すのに特徴があります。その中にぽつぽつと独特な話も出てくるのでそういうのを書いていましたが、ここは見事にそういうのがないですね。
 クル6:7で「紙に書いた経典を下し、彼らが自分の手で触ったとしても」とあるのは、この時点ではクルアーンは文字に書かれていなかったということです。ムハンマドが口述していたものが、後に文書化されたわけですね。

[281] 1イミ13章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/10(土) 11:41:51 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ic&chapter=13&mode=0
 イミタチオ1巻の各章は短いものが多いのですが、今日のは長いですね。
 「誘惑に抵抗しなさい」というんですけど、単にはねのけろと言ってないのがミソ。それで長くなっているんです。
 抵抗しろといっておきながら、役に立つと言ってます。矛盾しているようですけど、誘惑は絶対にあるものだし、苦難や試練だと思えというのです。人は苦難や試練によって進歩をするのだし、そのことによって著者が何度もくりかえしている謙遜さが身につくのです。
 そして、誘惑に勝つコツは、最初に元を断っておくこと。最初が肝心です。後になればなるほど負けてしまいます。これって飲酒、喫煙、暴食、借金、パチンコ、ギャンブル……なんにでもあてはまる真理ですよね。ちょっとした好奇心で始めた結果やめられなくなるんです。気をつけましょう。