[ばべるばいぶる]

真理子の聖書日記


このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
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[295] 1マカ14章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/14(水) 09:13:41 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ma&chapter=14&mode=0
 昨年度の記事は[0:589]。悪いけど今回も昨年そのまま。

 最初の3節で、デメトリオ王がメデヤに捕らえられちゃう話がありますが、この話は次章には続くものの、この章ではとりあえずここで終わってしまい、次に続きません(A)。
 前章でヨナタンが死んでシモンがあとをついだ話がありましたが、そのシモンをたたえる詩が載ったあと(B)、スパルタから友好条約の更新の手紙がきます(C)。
 シモンはまたローマとも同盟を結びます(D)。
 民はシモンをたたえる碑を作ります(E)。
 なんだかごちゃごちゃしてますよね。編集がなってませんね。私だったら、C-D-E-B-Aみたいな順序にしますのに。みなさんもそういう順番で読んでください。

[294] 詩編39-41編 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/14(水) 09:11:05 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=psa&chapter=39&mode=0
 昨年度の記事は[0:555]
 いやあ、今回のはYoutube不作だわ。これはというのが全然ない。例のkinotoriさんの作品、いつもとりあげては趣味が悪いとくさしてますけど、それすらないんだわ。仕方ないんで、外国語の朗読系もとりあげて1編1つ。

●39編
 おそらく死の床にある人の祈り。自分の寿命はあと何日なんだろう、と。先日お亡くなりになった、私の主人のお父様も、最後にはこんな感じの心境だったのかしら? 昔と違って今はがん告知なんてごく当たり前にやりますからね。私の高校生時代のときに死んだ母も、大学生時代のときに死んだおじさんも……、なんでうちの家系も主人の家系もみんながんで死ぬのかしら?

(http://www.youtube.com/watch?v=KPM-DH-nMhQ)

●40編
絶体絶命のピンチから脱出したときの祈り。教団讃美歌の交読文にも入っています。面白いのは、7節で「あなたはいけにえと供え物とを喜ばれない」なんて言ってること。にもかかわらずダビデ→ソロモンの時代にいけにえを捧げる恒常的施設である神殿建設が行われたんですからね。
sons of korah

(http://www.youtube.com/watch?v=-ZTYE1MAo68)

●41編
 これも39編同様に病床での祈りだと思うんだけど、病床以外でも苦難にあったときに使える祈りです。
Lord Heal My Soul - Psalm 41

(http://www.youtube.com/watch?v=U6MPjLlEcqg)

なお、前回の38編で書き忘れましたが、ストラヴィンスキーが『詩編交響曲』という全三楽章のカンタータ的交響曲の第一楽章と第二楽章で38編を用いています。ヴルガタなんで39編と書いてある資料も多いですが第一楽章詩38:13-14と、第二楽章詩38:2-4です。
第一楽章

(http://www.youtube.com/watch?v=JN__SpkeFEU)
第二楽章

(http://www.youtube.com/watch?v=NbZXTdl6OSM)
第三楽章は150編で、昨年の[0:978]

[293] ヤコ・モ6章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/13(火) 10:27:21 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jac&chapter=6&mode=0
 前章の長々とした樹木園のたとえ話に出てきた木はイスラエルのことで、すべて焼き払われる時つまり終末がやってくることを警告、悔い改めを人々に説きます。

[292] シラ書14章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/13(火) 10:25:07 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=14&mode=0
 昨年の記事は[0:796]
 シラ書は連想でことわざを並べていますが、章の区切りが内容の区切りと必ずしも一致しません。最初の2節の罪の意識の話は、前の章末と内容のつながりがあります。
 3節からはおカネの話。ケチケチするなという話が15節まで続きます。そして、死後にカネを持って行けない。おカネをためても他人のためになってしまうという結論で、そこから命が有限だという話になり、知恵(神の別名)を求めよという話へと移ります。

[291] サム上16-20章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/13(火) 10:20:23 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1sa&chapter=16&mode=0
 昨年の記事は[0:553]。「午後からうちの地域が計画停電」なんて書いてますね。あのころはそうだったわ。停電におびえる毎日だった。

 サウルを見捨てた神様はサムエルに命じ、ベツレヘムにあるエッサイの家に行かせます。サムエルは8人の息子を見、末のダビデこそが次の王にふさわしいと直感(もちろん神様がそう判断したってことですけど)、彼に油をそそぎます。一方サウルは精神を病んでおり、竪琴の名手としてダビデを召抱えます(16章)。
 ペリシテ人の戦いが続き、イスラエルはペリシテの勇士ゴリアテの挑発を受けています。兵役についている兄たちのところに荷物を届けにきたダビデは戦いを志願、石を石投げ器で投げて命中させてゴリアテを倒します。ちなみにこの章、もうダビデはサウルに顔を知られているはずなのに、章末では「あれは誰か」みたいに聞いてたり、へたくそな編集のせいでいろいろ矛盾があります(17章)。
 この快挙にサウルの息子ヨナタンはダビデを愛するようになります。ダビデはサウルに仕官し連戦連勝、人々の評判を得ますが、これでサウルは嫉妬をするようになり、発作的にダビデを殺そうとしたほどでした。サウルは次女のミカルをダビデの妻にし、そのかわりペリシテ人のちんこの皮を百枚持ってこいと言います。ちんこなんて聖書に書いてないぞっていうあなた、陽の皮ってそういうことですよ。ちんこのことを陽物(ようもつ)っていうでしょ? こういうもって回った訳し方しといて、どうして新共同訳聖書注解も新聖書注解も注をつけないかしらね? ともあれサウルとしては無謀な条件をつきつけてダビデを戦死させようという意図なんですが、ノルマを倍も果たしてダビデは帰還します(18章)。
 ダビデに父サウルが殺意を抱いていることを知ったヨナタンは父をいさめますが、またも発作がおこってサウルはダビデを槍で殺そうとします。間一髪で逃げたダビデは妻ミカルの助けでサムエルのところに逃亡。ミカルはダミーでベッドに人形を寝かせて時間稼ぎをします。サウルはサムエルのいるラマのナヨテに行きます。ラマというのはいろんなところにある地名ですがこの場合はエフライムで、
http://www.babelbible.net/map/8.png
のB-2の左下です。ナヨテはどこにあるかよくわからないようです。いずれにせよサウルが行くと、かつて10章で即位前のサウルがそうなったように、予言をする状態になります。実際には狂人のさまを人々の前に露呈してしまったってことでしょう(19章)。
 ナヨテからダビデは逃げてヨナタンと会います。ダビデは明日は王の前で食事をしなければならないが、ベツレヘムの実家の祭りがあるという口実で欠席する腹です。ヨナタンに会食に出席してもらいサウルが殺意を抱いているかどうか探らせ、それを伝えるために矢と子供を使った暗号を定めます。ヨナタンはサウルが殺意を抱いていることを確認、ダビデにその暗号で伝えます(20章)。

[290] ヤコ・モ5章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/12(月) 11:42:49 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jac&chapter=5&mode=0
 怒涛の77節。モルモン経ヤコブ書の半分くらいは5章なんじゃないかというくらい長いです。そのくせあんまりたいしたことは書いてない。樹木園のたとえ話なんですけど、これもっと短くまとめられなかったのかしら。
 このたとえ話は昔予言者ゼノスが語ったものをヤコブが語っているということらしい。 ゼノスというのはモルモン経にしか出て来ない、(彼等から見ても)古代の予言者です。1ニフ19:10を見ると、ゼノク、ニーアム、ゼノスなんていう独自予言者がいろいろ出てきます。
 言いたいことは、イスラエル=樹木園のかんらんの木ってことで、木が腐ったので枝を刈り込み根元にこやしを入れた、また腐ったので野生の木の枝をついだらよくなった、・刈りこんだ枝も成長してよくなった……と、けっこうだらたらと、木の手入れの話が続きます。神様がせっかくイスラエルに目をかけていろいろしてあげるのにって話ですね。

[289] 詩歌14章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/12(月) 11:29:56 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=ode&chapter=14&mode=0
 LXXにしか存在しない「詩歌」は今日でおしまい。
 「詩歌」は旧約や新約の祈りの箇所をそのまま抜き出したものなので、それで教文館の『聖書外典偽典』にも翻訳がないんですけど、今日の14章は旧約にも新約にも該当箇所がありません。だからここの翻訳は本邦初です。当ばべるばいぶるでなければここを日本語で読めませんのよ、えへん。
 まあ、でもたいしたことは言ってないですね。朝のお祈りです。
 こうやってみると「詩歌」って、初期のキリスト教会の祈祷書だったんですね。

[288] 出エジプト記1-4章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/12(月) 11:24:05 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=exo&chapter=1&mode=0
 昨年の記事は[0:550]
 律法は今日から出エジプト記。旧約聖書は実はここからが本番というか、出エジプトの神の救いこそが旧約聖書に説かれた神の救済の最大のヤマ場です。いままで読んでた創世記はいわば前史。それまではノアだのアブラハムだのヤコブだのに個別に恣意的に現れてきた神様が、いよいよ民族全体を救う神に「昇格・出世」したのです。
 出エジプト記の冒頭は、モーセの出生と召命が記されていますが、3-4章にあるようにモーセはけっこう抵抗します。今後の苦難を考えれば当然ですね。政治家っていうのはどんなにいい仕事をしても、民からは不平を言われ、大変な仕事です。お隣の韓国なんか、歴代の大統領のほとんどが悲惨な末路をたどってますよね。亡命だの暗殺だの投獄だの自殺だの。モーセの末路も悲惨です。結局約束の地に入れない。フロイトによれば実は民に殺されちゃったんじゃないかってほどですから。
 ところで、 出4:24-26で、せっかくモーセを召命した神様が、モーセを殺そうとしたっていうちょっと不気味なことが書いてあります。あまりに不気味なのでここの解釈は定説がありません。たぶん、異国ミデアン(*)の地で生まれたモーセの子は割礼を受けてなかったので、割礼を受けてはじめてエジプト行きが許されたってことなんでしょう。そう、割礼ってもともとエジプトの習俗なんですよね。

(*) http://www.babelbible.net/map/2.png のF3

 「行きはよいよい帰りはこわい」という言葉もありますが、行きはすんなり突っ切ることができたシナイ半島に、帰りは40年もかかるとは!

[287] Re:#270 イェシュア 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/11(日) 07:10:08 コメントする ここから閲覧

そういえばそうでしたね。新約のほうじゃ ה が抜けてましたね。まさにケセン語聖書の山浦玄嗣先生いうところの「ガリラヤのイェシュー」でした。

[286] ヤコ・モ4章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/11(日) 01:41:22 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jac&chapter=4&mode=0
 ニーファイ人の祭司ヤコブの説教の続き。将来キリストが出現するが、ユダヤ人がキリストを拒むということを予言しています。
 もちろん実際にはこの文は19世紀に書かれており、だからそのへんのことは全部わかった上で書いているわけです。17節にある「隅の首石」は文語訳に基づく表現で、口語訳では「隅のかしら石」、新共同訳では「隅の親石」になっていますが、たとえばマコ12:10なんかにある、ぶどう園の農夫たちのたとえ話に出てくる表現で、捨てた石が隅の首石になったということで、捨てたイエス様の象徴です。そういったものをふまえて書いているんですが、それをあくまでBC500年ごろの文という体裁にしているので、違和感を覚えます。

[285] 3イミ13章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/11(日) 01:25:37 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=3ic&chapter=13&mode=0
 人には従順に、謙遜にってことで、当然ながら上の人にも逆らうなってわけですね。そういえばパウロもロマ書では、権威に従えって言ってましたね。( ロマ13:1)
 パウロの場合は、終末がいまにも迫っているので、はっきりいって現世の問題には興味がないってことなんでしょうけど、イミタチオの著者にとっては違います。
 それは一言でいえば、自己解体。3節にあるように、みんなに踏みつけられろっていうこと。こういう自己否定、自己解体っていうのは度を越すと困ったことになりますけど、でも信仰心を持つためには何らかの形で経験しておく必要があることです。自分はつまらない人間だと徹底的に自己否定することで、神だのなんだのにしたがって生きる気持ちになるわけですから。
 イエス様も神様でありながら、すべての人より低くいやしいものとされ苦しみを受けた。それを考えたら、人にへりくだるくらいどうってことないし、それが自分を鍛えていくのです。

[284] #270 イェシュア 投稿者=HKJ 掲示日=2012/03/11(日) 01:24:31 コメントする ここから閲覧

>>イエス様の名前も実はヘブライ語ではヨシュア。だからヘブライ語版の新約聖書はヨシュアって書いてますし、、、

これは訂正ガ必要です。ヘブライ語訳の新約聖書では、yeshua' ha-mashiach です。
yoshua' / yehoshua' ではありません。
Franz Delitzsch訳, Isaak Salkinson訳, イスラエル聖書協会の現代ヘブライ語訳、リビングバイブルヘブライ語版でも、「イエス」の名前は、Yeshua' です。

yeshua' というのは、バビロン捕囚後にイスラエルへ戻った民の人名表に出てきます。
ネヘミヤ11:26。
日本語訳は、「ヨシュア」と変えてしまっていますが、原文どおりに音訳すると、「イェシュア」です。

ナザレの訛りでは、語末の「アイン」が消えるので、
yeshua' >>> yeshu になり、これが、ギリシャ語の Iesous / ユダヤ人の文献の yeshu です。

[283] 1コリ9-10章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/11(日) 01:15:02 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1co&chapter=9&mode=0
 昨年度の記事は[0:548]
 10章は、あれれ、先週読んだ話じゃんっていうくらい強烈なデジャヴ感がありますね。8章の話をむしかえしています。逆にいえば、それほど切実な問題だったんでしょう。
 先週([262])も言ったように、食べ物の話ではぴんとこなくても、仏教の葬式に出ていいかどうか、焼香していいかどうかなんて話だとけっこうぴんとくるんじゃないでしょうか。
 私自身は、たとえ洗礼を受けた後でも、仏教の葬式は出ますし、お経も唱えることでしょう。そうそう、主人の死んだお父様の納骨がゴールデンウィーク後にありますが、そしらぬ顔で南無妙法蓮華経を唱えてきますわ。キリスト教の信仰がしっかりしていれば、他宗教のしきたりも単なる社交辞令でしかありませんもの。ただし、「やっぱりお経を唱えるのは気持ちがわるいからできない」って人の気持ちもわかるので(なにしろ私が熱烈な創価学会員だった小学生のころは、アーメンなんて唱えたら舌がぬけちゃうって本気で思ってましたもの)、強要はしません。
 とまあ、やっぱり先週も同じこと言ったなっていう話にはさまれた9章は、宣教のためなら何でもやるぞ、相手にあわせるぞっていうことです。よっぽどこの点について人から批判されていたんでしょう。

[282] クルアーン26回 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/10(土) 11:57:07 コメントする ここから閲覧

 クル-26回。第6章1-35節。
 クルアーンは何度も何度も同じような話を繰り返すのに特徴があります。その中にぽつぽつと独特な話も出てくるのでそういうのを書いていましたが、ここは見事にそういうのがないですね。
 クル6:7で「紙に書いた経典を下し、彼らが自分の手で触ったとしても」とあるのは、この時点ではクルアーンは文字に書かれていなかったということです。ムハンマドが口述していたものが、後に文書化されたわけですね。

[281] 1イミ13章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/10(土) 11:41:51 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ic&chapter=13&mode=0
 イミタチオ1巻の各章は短いものが多いのですが、今日のは長いですね。
 「誘惑に抵抗しなさい」というんですけど、単にはねのけろと言ってないのがミソ。それで長くなっているんです。
 抵抗しろといっておきながら、役に立つと言ってます。矛盾しているようですけど、誘惑は絶対にあるものだし、苦難や試練だと思えというのです。人は苦難や試練によって進歩をするのだし、そのことによって著者が何度もくりかえしている謙遜さが身につくのです。
 そして、誘惑に勝つコツは、最初に元を断っておくこと。最初が肝心です。後になればなるほど負けてしまいます。これって飲酒、喫煙、暴食、借金、パチンコ、ギャンブル……なんにでもあてはまる真理ですよね。ちょっとした好奇心で始めた結果やめられなくなるんです。気をつけましょう。

[280] マルコ5-6章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/10(土) 11:27:42 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mar&chapter=5&mode=0
 昨年度の記事は[0:547]
 6章の「ナザレで受け入れられない」について。

 「この人は大工ではないか。マリヤのむすこで、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか」というのは、イエスの父親の名がわからないということです。ユダヤ人の名前は「ベン・なんたら」という形で父親の名前を入れます。オサマ・ビンラディンなんていうのもそうでビンラディンというのは姓じゃなく「ラディンの子」という意味、サダム・フセインのフセインも父親の名前です。そのことを知っている外国の英字紙は名前を省略して書くときには絶対にビンラディンやフセインと書かず、オサマ、サダムです。
 それはそれとして、自分の名前の一部になるくらいに重要な父親名が記されてないってことは、イエスはヨセフの子ではない、少なくとも故郷の人はそう思ってないということです。大工をやってるからにはヨセフの家にはいたものの、兄弟である「ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモン」とは母親のマリヤとの関係でしかつながっていないということです。これを根拠に私はイエス様は私生児であり、事情はよくわかりませんがたぶんマリヤの不倫の子だったのだと断言します。私以外にもフェミニスト神学の山口里子さんも『新しい聖書の学び』の中でそう言ってます。ちなみにマタイでは「大工の子」となってますが(マタ13:55)、もちろん修正です。
 イエス様を私生児だとするといろいろな謎が解けます。申23:3「私生児は主の会衆に加わってはならない」(もっとも、律法にあるからといってそれが厳密に適用されたかどうかはわかりません。幕屋時代の律法は、神殿のある時代にはもうそのままでは適用できないですから)とあるように私生児は差別され偏見で見られたので、故郷では何ひとつ奇跡をすることができなかったのです。イエス様は家族軽視発言をよくするのも、出生の事情にかかわっているのです。たぶん出生の秘密を知ったのは ルカ2:41-51のエルサレム詣でのときで、イエス様ははぐれたのではなくショックでプチ家出をしたんでしょう。そもそも大工という家業を継がずにヨハネのもとに走ったのも、家族とうまがあわなかったからです。処女懐胎説も私生児であることを逆手にとった伝説です。父親がしっかりしていればいくら何でもそんな伝説はできません。お釈迦様は王族ですから、母親のわきの下から生まれたという伝説は生まれても、処女懐胎説は生まれておりません。

[279] クルアーン25回 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/09(金) 13:48:09 コメントする ここから閲覧

 クル-25回。5章82-120節(最後まで)。
 クル5:82ではイスラムがキリスト教徒に意外な親近感を寄せていることがわかります。いまではおたがい激しく敵対しているので隔世の感があります。
 その一方でちゃんとキリスト教の批判も忘れない。クル5:116では、神、イエス、マリヤを神としていることを批判しています。やっぱりイスラム教の三位一体批判は、父と子と聖霊じゃなく、父と子と母なんですね。

[278] 知恵の書13章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/09(金) 13:35:59 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=wis&chapter=13&mode=0
 昨年度の記事は[0:711]
 自然のすばらしさは、神様の存在を体感するのによく使われますね。
 わが家にはイエス様の系図ポスターを貼ってますが、それを作った福音派系の団体ジェネシスジャパンでは、創世記探訪ツアーなんていうのをやってます。だったら中東へ行くのかと思ったら、
http://www.genesisjapan.com/event/2012/7gatu.htm
アメリカなんですね。グランド・クーリー(ヨブ記に記された自然の様子をほうふつとさせてくれるらしい)とかセント・ヘレンズ山(短期間で世界の地形が変化したことでノアの洪水もさもありなんという感じになるらしい)などの大自然を見せて、博物館を見せて、それでおしまいみたいです。こういう大自然を見れば、中東だろうとアメリカだろうと、神様の存在がわかるというのです。
 しかし、あまりに自然が美しいと、その美しさに魅せられてしまい、逆に神様の存在がわからなくなる場合がある、というのが 知13:7に書かれていますから、こういうのもよしあしかもしれません。

[277] エレミヤ1-6章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/09(金) 13:25:06 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jer&chapter=1&mode=0
 昨年度の記事は[0:541]
 昨年度の記事の日付をご覧ください。2011/03/11(金) 13:35:16。そう、あの日私はこれを書いてすぐ、地下鉄に乗って横浜の中心部にある図書館に向かったのです。新横浜をすぎたあたりで激しい揺れ。でも地下鉄のトンネルの中というのは揺れを一番恐怖ナシに感じることのできる空間で、乗客たちはみんな「おお、すごい揺れてる」と笑いながら言ってましたから、とても幸運に大震災を経験できたのでしょう。電車はバックして新横浜駅に引き返したものの、しばらく待っても動く気配はない。駅員に聞いてもわからない。スマホで見ると世の中は大変なことになってる。もう待っててもしょうがないとあきらめ、新横浜から自宅まで10キロの道をてくてく。信号はみんな消えてて、大通りをこわごわ渡って帰りました。家につくといくつかモノが落っこちてる程度で被害なし。でも停電してて、同じように帰宅した主人と、怖くてずっと抱き合っていました。[0:547]からその下あたりの投稿をご覧ください。あのころはまだツィッターやってなくて、ここにしか書いてないわ。
 そのころ私はTBSラジオで午後1時からやってる小島慶子さんのキラ☆キラという番組をよく聴いてました。ここに週1回登場する上杉隆さんというフリージャーナリストの話、震災前は、何この人?って感じ、官房機密費問題などマスコミがまったく報じてないことを言うのでなんかうさんくさかった。震災で原発事故が起こると、政府とマスコミはみんな大丈夫大丈夫を連呼する中、80キロ圏内はみんな避難させなきゃダメじゃないかという上杉さんの力説も、何この人?不安をあおるようなことを言って、怖い人って思ってました。マスコミからはデマ男扱いされ、キラ☆キラも突然に降板させられましたね。
 ところが事故の状況が明らかになるにつれ、世の中が上杉さんの言うとおりに進んで行ったことにびっくりし、ああ、政府とマスコミの言うことはみんなデタラメだったのだ、上杉さんこそが正しかったのだとわかり、以後は熱烈なファンになりました。今でも上杉さんの自由報道協会には、月に1万円ずつ献金しています。

 長くなりましたが、実は上杉さんのことを、平成のエレミヤだと思っているのです。国の滅亡を警告しながらもみんなからデマ男扱いされ、迫害される。エレミヤは牢獄につながれたりもしましたが、上杉さんにそんな危険が起きないことを祈ります。
 さてエレミヤはアナトテ(アナトト)
http://www.babelbible.net/map/10.png (聖書地図)
のC-2、エルサレムのすぐ北東の地。ベニヤミンの地ですが彼自身は祭司の家系ですからレビ族。王上2:26-27でソロモン王が祭司アビヤタルをこの地に追放しますが、その子孫ということになってます。ヨシヤ~ゼデキヤ
http://www.babelbible.net/mariko/bib.cgi?doc=kings&course=bib (南北の王名)
の時代、つまりユダ王国末期に活躍した預言者で、ユダ王国の滅亡を看取った人です。
 冒頭のエレミヤの召命。神様がむりやりにエレミヤにしゃべらせようという光景、迫力があります。

[276] ヤコ・モ3章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/08(木) 11:49:44 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jac&chapter=3&mode=0
 祭司ヤコブの説教は続きます。
 ニーファイ人はすっかり堕落してレーマン人より悪くなった。むしろレーマン人のほうが一夫一婦制を守っていていい。そんなわけでヤコブはレーマン人を持ち上げます。レーマン人は罪のために神の呪いを受けて肌が黒くなったので、最後の審判のときにはレーマン人のほうが肌が白くなっているとか、おまえたちニーファイ人はレーマン人が肌が黒いからといって差別してはならないとか、有色人種である私たちから見ればトンデモない話が続いてますね。困ったものだわ。

[275] トビト記13章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/08(木) 11:45:47 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=tob&chapter=13&mode=0
 昨年度の記事は[0:424]
 話の大筋は終了しています。ここはトビトの賛美の詩です。
 でもおかしいのは、トビトはナフタリ族つまり滅んでしまった北王国の人なのに、エルサレム、エルサレムとしつこくエルサレムを賛美していることです。北王国なんだからサマリヤをほめればいいのに。トビト記はバビロン捕囚のあと、マカビー(マカバイ)記時代のセレウコス朝シリアで書かれたと言われています。この時代はエルサレムに神殿があり、それを死守してマカビーのユダたちが戦っているので、その時代からの目で書いてますね。

[274] ヨブ記25-26章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/08(木) 11:38:09 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=job&chapter=25&mode=0
 昨年度の記事は[0:540]
 昨年もちらっと書いたように、そして前回[253]のバルバロのところでちらっと書いたとおり、ヨブ記のこのあたりはぐちゃぐちゃしていて、順番を入れ替えて読むべしという説がいくつか提唱されています。ただしどう入れ替えるかは諸説まちまちです。で、普通はこういうのは注釈のところに書いて、本文はいじらないものですけど、本文まで組み変えちゃったものもいくつかあります。とりあえず日本語訳にしぼって、今日は「本文の順番を入れ替えちゃった訳」をとりあげます。

岩波(並木浩一)訳
  ヨブ26:1-4をこの章の末尾つまり ヨブ26:14ヨブ27:1の間に移動しました。
 つまりヨブ26:5-14はヨブの言葉ということになっていますが、内容的に考えればビルダデ(ビルダド)の言葉と考えられるので、 ヨブ25ヨブ26:5-14がビルダデ、それに対するヨブの反論がヨブ26:1-4ヨブ27というわけです。 ヨブ27:1が、「ヨブは『また』言葉を『ついで』言った」とあるのが、その証拠というわけです。

バルバロ(旧新とも)訳
  ヨブ24:18-24ヨブ27ヨブ28の間に入れます。つまり24章が2回出てくるような感じになっています。なぜかというと、 ヨブ27:13-23をヨブではなくゾパル(バルバロは「ソファル」と表記)の言葉と解釈しているのです。第3ラウンドではエリパズ(ヨブ22)、ビルダデ(ヨブ25)が出てくるのにゾパルが出て来ないのはおかしいので、実はこれがそうなのだという説です。

 こうしてみると、バルバロというのはずいぶん大胆です。よく、バルバロは原典からでなくヴルガタ(ラテン語訳)からの重訳だろうとか、素人の神父が作ったいいかげんな訳だろうとか言われていますが、岩波なみに大胆に本文をいじくってるんですね。けっこうバルバロさんは学問訳を志向しているんです。考えてみれば、聖書の参考書はいっぱいあるわけですから、たんねんにそういうのにあたれば、素人でも「原典からの学問訳」が作れちゃうんですよね。

[273] ヤコ・モ2章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/07(水) 11:20:25 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jac&chapter=2&mode=0
 よかったはずのニーファイ人が堕落したとは?
 前章から書かれていますが、実は一夫多妻制度をいれて、たくさんの妻、たくさんの側女を持つようになっちゃったことだというのです。祭司ヤコブは神の言葉をとりつぎます。悪いレーマン人よりひどいじゃないか。妻は一人だけ。側女を持つな。

 というわけですが、しかしモルモン教は、当初は一夫多妻制度を認めていて、その評判が一人歩きしてしまったところがあります。モルモン教が出てくる有名な小説が、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズもの第一作『緋色の研究』。モルモン教の一夫多妻制度が事件の核心に出てきます。
 モルモン経にこんなことが書いてあるなら、どうして当初のモルモン教は、一夫多妻をやってたんでしょうか。それともここは、一夫多妻への批判から後で作られたのかしら?

[272] 1マカ13章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/07(水) 11:12:14 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ma&chapter=13&mode=0
 昨年度の記事は[0:584]。ごめんなさい、昨年のをそのまま転載します。
 前章でトルポンはヨナタンを殺しちゃったのかと思ったら、まだ生きていたみたいですね。ヨナタンの兄弟のシモンに、「助けてやるから金とヨナタンの息子を人質によこせ」と言ってきます。こんどもまたこちらをだましているのだと知りながら、仕方なくその要求に応じます。案の定トルポンは約束を守らず、ヨナタンを殺してしまいます。トルポンは、それまでいただいていたアンテオコス王を殺して自分が王位についてしまいます。
 一方、ユダヤの側はシモンが代表となり、ヨナタンの墓を作ります。そしてトルポンと対立しているデメトリオ王側、およびエルサレム要塞の者たちと和議を結び、平和が訪れます。

[271] 詩編36-38編 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/07(水) 11:08:36 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=psa&chapter=36&mode=0
 昨年度の記事は[0:539]
 どれもよい詩だと思うのに、交読文にも入ってないし、Youtubeの動画も面白いものがありません。それぞれkinotoriさんの作品だけ紹介することにします。

●36編
 冒頭は悪魔のさまを生き生きと表現しています。神を恐れるような目をしておらず、人におもねる。言う言葉はウソばかり。寝床で悪いことばかりをたくらんでいる。こんなやつから助けてください。

(http://www.youtube.com/watch?v=YMImFOJihNo)

●37編
 ではそういう悪魔にはどう対処したらいいのか。ともかく気にしないこと、ねたまないこと。彼らはどうせ滅ぶのです。神を信頼しておのが道を行くことです。

(http://www.youtube.com/watch?v=oaV66b62Vx0)

●38編
 詩人はまるでヨブのように重病にかかっています。友人もみんな見捨てて離れていきます。しかし神様だけは私を見捨てない。神様、見捨てずに助けてください。

(http://www.youtube.com/watch?v=daZSBhwZxZ0)

[270] ヤコ・モ1章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/06(火) 12:40:58 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jac&chapter=1&mode=0
 ヤコ・モというのはモルモン経ヤコブ書のことです。
 クリスチャンがヤコブ書というと、新約聖書の「ヤコブの手紙」のことになりますが、困った事にモルモン経にもヤコブ書というのがあり、しかもモルモン教徒は新約聖書のほうを「ヤコブ書・新」なんて言ったりします。
 まったく、同じ名前をつけといて、もともとあったほうに「新」も何もないだろうと思うんですが、一応たてまえとしては、モルモン経ヤコブ書のほうが古いってことですからね。
 それに、モルモン経を作ったJスミスJrには悪気はなかったのでしょう。というのは、モルモン経のヤコブ書はThe Book of Jacob、新約聖書のヤコブの手紙はThe General Epistle of James。英語だとJacob/Jamesで、名前が違うんですよね。旧約のヤコブはJacob、新約のヤコブはJamesなんです。
 イエス様の名前も実はヘブライ語ではヨシュア。だからヘブライ語版の新約聖書はヨシュアって書いてますし、ギリシア語版のヨシュアはイエス(イイスス)と書いてます。もし新約聖書に「イエス記」なんて本があったら、ヘブライ語やギリシア語では区別がつかなくなったことでしょう。
 とりあえず当サイトでは、モルモン経版ヤコブ書は「ヤコ・モ」と書きます。

 さてヤコブと言うのはリーハイが荒野でもうけた子供で、ニーファイ人の祭司になっていたのでした。ニーファイは本章で死にますが、以後はヤコブの代になるのです。というか、ニーファイは政治的にも宗教的にも指導者だったのですが、ここからは政治的指導者は本名にかかわりなくニーファイ2世、ニーファイ3世…と呼ばれ、ヤコブのほうは宗教的指導者ってことですね。
 また、新天地に来た人々も、悪いレーマン人以外は全部ニーファイ人と呼ばれるようになります。というか、ニーファイ人に敵対する人が全部レーマン人と呼ばれるようになったというべきか。
 さて、レーマン人は悪、ニーファイ人は善だったはずなのに、どうもニーファイ人も堕落して、悪いことをするようになったようです。続きは明日。

[269] シラ書13章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/06(火) 12:29:09 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=13&mode=0
 昨年度の記事は[0:792]
 昨年も書きましたけど、最後の「格言を作るのは大変だ」は爆笑ものですね。
 ここは金持ちと貧乏人が互いにつきあえないことをいろいろな格言で説明しているんですけど、爆笑格言の連続です。ゆっくり読んで大いに笑いましょう。

[268] サム上11-15章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/06(火) 12:26:07 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1sa&chapter=11&mode=0
 昨年度の記事は[0:536]
 アンモン人がヤベシ・ギレアデを包囲、
http://www.babelbible.net/map/8.png
のC-2、ヨルダン川ぞいの町ですね。アンモンはイスラエルの東側地域。今のヨルダンの首都アンマンってアンモンのなれのはてです。
 で、講和条件が「全住民の右目をえぐりとる」というとてつもないもの。このしらせを聞いたサウル王はアンモンと戦って大勝利(11章)。
 やっぱり王様がいると強いですねぇ、と思いきや、サムエルはまだぶつぶつ言ってます。イスラエルを治めるのは神なんだ。それなのに王を立てろといいやがって。ほーら神様は怒ってるぞ。その証拠に、雨や雷なんかまずありえない小麦刈の季節にほーら雷と雨! さあ主に仕えなさいと民をおどします(12章)。
 サウルは2年間イスラエルを治め、ゲバ(上の地図のB-3)にいるペリシテ人の守備隊を敗ったので緊張が高まります。さあ戦争だ、主に祈ろうというときに、サムエルがやってきません。兵士は不安になってどんどん逃げ出すしまつ。サムエルを待ちきれないサウルはついに勝手に燔祭(焼き尽くすささげもの)をやってしまい、ちんたらやってきたサムエルに呪われます(13章)。
 サウルの子ヨナタンが勝手に出陣、無謀な戦いをします。それを知ったサウルは兵士に「夕方まで何も食べるな」と誓わせて戦いますが、ヨナタンはそのことを知らず、蜜を食べてしまいます。戦いには勝利しますが、兵士たちは疲れていて、分捕りものを略奪、血抜きをしないで食べるなど、神様のおきてに反してしまいます。サウルはヨナタンを死刑にしようとしますが、兵士たちになだめられ、思いとどまります(14章)。
 サムエルはサウルに、アマレク人を皆殺しにしろ、家畜も全部殺せと命じますが、手加減をしてしまい、また家畜もよいものは残しました。これが神様およびサムエルの逆鱗にふれ、サムエルはサウルと絶交します(15章)。

 こうやってあらすじをまとめましたが、私はいまだにサウルのどこが悪かったのかちっともわかりません。悪いのはヤハウェくん(神様のことね)とサムエルくんです。どう考えてもヤハウェとサムエルのほうが非道です。昨年も書きましたが、サウルの王国が弱体で、ダビデの王国にとってかわられたことを、後の世の宗教的価値観で説明してるにすぎません。

[267] 2ニフ33章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/05(月) 13:27:23 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ne&chapter=33&mode=0
 ニーファイは説教を終わり、この世を去ります。これでニーファイ第2書は終わりです。
 なお、モルモン経にはあと二つニーファイという名を冠した書物がありますが、これは別人のニーファイです。区別するときは、いままでのニーファイがリーハイの子ニーファイ、もう一人のほうがヒラマンの子ニーファイと言います。

[266] 詩歌13章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/05(月) 13:22:27 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=ode&chapter=13&mode=0
 シメオンの祈り。ルカ2:29-32と同じです。
 ですから「詩歌」は旧約外典とは言えません。昔の教会の式文として使われたんでしょうね。
 とても短いですが非常に重要です。というのは、これはヌンク・ディミティスと言って、カトリックでは政務日課の終課つまり寝る前の祈りで読まれます。私の行ってるルーテル教会でも、日曜日の礼拝の最後に次のことばを唱えます。

いま私は主の救いを見ました。
主よあなたはみ言葉の通り、しもべを安らかに去らせてくださいます。
この救いはもろもろの民のためにお備えになられたもの、
異邦人の心を開く光、み民イスラエルの栄光です。