[ばべるばいぶる]

真理子の聖書日記


このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
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[253] ヨブ記23-24章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/01(木) 12:13:58 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=job&chapter=23&mode=0
 昨年度の記事は[0:528]
 今日は ヨブ24:20だけとりあげます。
http://interlinearbible.org/job/24-20.htm
 口語訳聖書のここの訳が他と違う。

口語:町の広場は彼らを忘れ、彼らの名は覚えられることなく、不義は木の折られるように折られる』と。

 ところが他を見ると、

文語:これを宿せし腹これを忘れ 蛆これを好みて食ふ 彼は最早世におぼえらるること無く その惡は樹を折るが如くに折る
新改訳:母の胎は彼を忘れ、うじは彼を好んで食べ、彼はもう思い出されない。不正な者は木のように折られてしまう。
新共同:母の胎も彼を忘れ 蛆が彼を好んで食い 彼を思い出す者もなくなる 不正な行いは木のように折れ砕ける。
新世界:胎は彼を忘れ,うじは喜んで彼を吸い,彼はもはや思い出されることがない。そして不義は樹木のように折られる。
関根:母の胎も彼を忘れ うじ虫は喜んで彼につき 彼はもはや憶えられない。 不法な者は木のようにたち切られる。
フラ:母の胎も彼を忘れ、うじ虫は好んで彼を食べ、彼はもはや思い出されない。悪人は木のように折られてしまう。
岩波:胎も彼を忘れ、蛆虫どもが喜んで喰いつき、もはや、彼は思い起こされることなく、不義は木のように折り砕かれる。
リビング:生みの親さえ彼らを忘れ、うじが寄ってたかって彼らを食い尽くす。 二度と人の話題にのぼらない。 悪人は、もろに嵐を受けた木のようにへし折られる。
バルバロ旧:かれは、そのつくった胎からも忘れられ、かれの名は、もう思い出から消える。こうして、悪は、木のように裂かれてしまう。(27章の後にある)
バルバロ新:彼はそのつくった胎からも忘れられ、その名はもう思い出からも消える。こうして悪は木のように裂かれてしまう。(27章の後にある)
尾山:彼は生れて来なかった人のように、人々の記憶から無くなってしまう。不正な者は、木のように折られてしまう。
光明:憐憫(あわれみ)彼を忘れ去り、蛆その快楽(たのしみ)となれかし。願わくは彼が記憶に止(とど)まることなく、果(み)を結ばざる樹(き)の如くに打砕かれんことを。
回復:胎は彼を忘れ、うじは彼を甘いと感じ、彼はもはや思い出されず、悪い行ないは木のように折られる。

 こんなふうに、口語訳だけが「町の広場」で他がみんな「母の胎」。口語訳に準拠した「旧約聖書略解」には、「原文は不分明。口語訳は修正訳」とあるだけで根拠がわかりません。どうもこれは、

KJV:The womb shall forget him; the worm shall feed sweetly on him; he shall be no more remembered; and wickedness shall be broken as a tree
RSV:The squares of the town forget them; their name is no longer remembered; so wickedness is broken like a tree.'

みたいに、単にRSVに準拠したってことだけみたいですね。でもRSVはどうしてこんな変更をしたのかしら? その根拠がよくわかりません。

[252] Re:rev 22 14 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/29(水) 14:02:03 コメントする ここから閲覧

どうもありがとうございます。ネストレの欄外にちゃんと注がありましたね。あと岩隈先生の対訳本にも書いてありました。エラスムスの捏造じゃなくてそういう写本があるんですね。

[251] 2ニフ30章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/29(水) 13:39:51 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ne&chapter=30&mode=0
 ニーファイの予言の続き。
 異邦人やユダヤ人も、悔い改めた者は許される。たとえ悪役レーマンの子孫でも悔い改めれば許されるというのですが、6節ではそのことを「皮膚の色が白くて喜ばしい民になる。」と言ってるのはなんだかな。レーマン人はその罪によって皮膚の色が黒くなったという話からすれば、悔い改めて救われれば白くなるってことなんでしょうけどね。まあ、アメリカは20世紀の中ごろまで、つまりつい最近まで、ひどい人種差別のあった国なんで、19世紀のモルモン経がこういう表現をするのもさもありなんってとこでしょうけどね。
 今のアメリカならちょっとでも人種差別的なことを言ったらたちまち社会的に抹殺されちゃいますけどね。テレビ番組なんかでも白人と黒人を均等に使うとかいろいろ配慮しなきゃいけないみたいだし。以前見た『チアーズ!(Bring it on)』という映画なんか、白人の女の子が団長をつとめるチームと、黒人の女の子が団長のチームと戦って、ああ、これ絶対黒人のほうが勝つんだろうと思ったら見事にそうなっちゃいましたからね。白人のほうが勝つ話にしたら人種差別になっちゃう。

[250] 1マカ12章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/29(水) 13:29:13 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ma&chapter=12&mode=0
 昨年度の記事は[0:582]
 今回も昨年のものをそのまま転載しちゃいます。

 ヨナタンはローマとの友好条約を更新します。
 でも、ローマ帝国の全盛期を知ってる私たちは、もうこれで安泰と思っちゃいますけど、この時代のローマって成長期で、カルタゴを滅ぼしてスペインを手に入れたけど、ギリシアのほうは現在征服中ってところなんですよね。ユダヤの地から見るとまだまだ遠い国なんで、いざという時にもあてにならないんですよね。
 さて、セレウコス朝シリアのほうのおさらいをしますと、デメトリオ王とアンテオコス&トルポンの2派があったんですよね。
 ヨナタンはまずデメトリオ王の側と戦いますが、焚き火をしたまま逃げるというデメトリオ王の軍の作戦にだまされてしまいます。
 いっぽう、トルポンのほうはヨナタンと和睦を提案するんですが、これがまたワナでして、うかうかと信じて首都プトレマイスにわずかの手勢のみで入ってしまったヨナタンは、一網打尽でやられてしまいます。ついでながら、12章でヨナタンがもう死んじゃったみたいな書き方をしてますけど、ヨナタン自身はまだ生きていることが、次の13章を読むとわかります。なんだかまぎらわしいですけど、情報の混乱ぶりをそのまま表現したのかもしれません。

[249] 詩編33-35編 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/29(水) 13:09:17 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=psa&chapter=33&mode=0
 昨年度の記事は[0:527]
 なんか昨年は小島慶子を持ち上げましたね。その後は彼女の政治的立場が嫌いになっちゃって今は全然キラ☆キラ聴いてませんけど、なんでもこの3月で降板するらしいんで、最後くらいは聴いてみようかな。

●33編
 新しい歌を主にむかって歌えって、とても有名な詩、と思いきや、それはたぶん96編のほう。33編ってなんか影がうすい。いい詩だと思うんだけど、それぞれの部分部分がみんなほかの詩に出てくる、つまりは寄せ集めってことだからかしら。
 そのせいかYoutubeでもいい音楽がありません。kinotoriさんもこれは作ってないみたい。psalm 33で検索して、これはって思ったものは、実はみんな次の34編だったりする。

●34編
 アヒメレク(アビメレクじゃありません)というのは、サウルに追われているダビデをかくまった祭司。 サム上21に出てきます。聖別されたパンをダビデに与え(このネタはイエス様が マタ12:3で引き合いに出します)、さらに武器も与えます。そのせいでアヒメレクは殺されてしまいます。
 いっぽうダビデはアヒメレクのところを出た後、ガテの王アキシのところに行きますが警戒される。そこでダビデは狂人のふりをしてそこを逃げるという話です。
 ですから34編の前書きはアヒメレクとアキシがごっちゃになっているばかりか、ア「ビ」メレクなんていう間違いも書いている。さらに内容を見るとこの話とはあんまり関係ありそうにない。だから サム上21の話は関係ないということにしましょう。
 ダビデと無関係に、正しい者が苦難にあうという祈りが、正しいダビデが苦難にあった話と関連づけられただけというわけです。
 さて、Youtubeではなぜか正教会関係が多いです。33編と書いてますが34編です。
これは教会スラブ語かしら?

(http://www.youtube.com/watch?v=v_PzSHwwaMk)
ルーマニア正教会

(http://www.youtube.com/watch?v=ylshIHFirFU)
これは正教会じゃありませんが、ギリシア語のきれいな曲がありました。

(http://www.youtube.com/watch?v=jxl-x8LMnbQ)
kinotoriさんの作品

(http://www.youtube.com/watch?v=ngmoebKyvkQ)

●35編
 これも逆境にあり敵に苦しめられている人の祈り。
 たびたびご紹介してきたSons of Korah。

(http://www.youtube.com/watch?v=s-Ua-3bOqyk)
kinotoriさんの作品。韓国語だわ。

(http://www.youtube.com/watch?v=g6_uNiYjclg)

[248] rev 22 14 投稿者=HKJ 掲示日=2012/02/29(水) 08:47:37 コメントする ここから閲覧

ギリシャ語聖書の筆記・写本作りは、ユダヤ人のヘブライ語聖書の作成ほど、綿密には行なわれていなかったそうです。場合によっては、誰かが朗読したものを、複数の人間が書き取る形で写本を作ったこともあったそうです。

この箇所は、そんな例ではないでしょうか。
poiountes tas entolas /// plunontes tas stolas
たぶん、西暦2世紀以降のギリシャ語では、-nt- は -nd-に変わり、oi / u はどちらもドイツ語のウムラウトUの発音だったらしいので、「ピュウンデス」「プリュノンデス」と、似た発音になります。

となると、どちらがより原典に近いのか、古い写本(アレクサンドリア系列)に従うのか、majority text (ビザンティン系列)に従うのかってことなんでしょうね。
決め手はなんでしょうかね?

Stephanus Textus Receptus (1550, with accents)
----------
Makarioi
hoi poiountes tas entolas autou,
hina estai hH exousia autWn epi to xulon tHn zWHs
kai tois pulWsin eislthWsin eis tHn polin

Westcott/Hort with Diacritics
-------------
Makarioi
hoi plunontes tas stolas autWn,
hina estai hH exousia autWn
epi to xulon tHs zWHs kai tois pulWsin
eiselthWsin eis tHn polin.

[247] 2ニフ29章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/28(火) 10:08:44 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ne&chapter=29&mode=0
 ニーファイの予言の続き。
 今日はキリスト教徒批判でしょうかね。「すでに聖書があるんだ。これで全部足りてる」というのは大間違いで、神様のおしごとはこれでおしまいなんてことはなく、終末まで絶えず続いているので、モルモン経みたいなものも出てくるんだよというわけです。
 それはそれとして、ニーファイが異邦人(ヨーロッパ人たちのこと)に「ユダヤ人から聖書をもらったのにユダヤ人に何も礼をしていない。そればかりか憎み呪ってるじゃないか」と批判するのは、まったくそのとおりですね。キリスト教の痛いところをついております。

[246] シラ書12章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/28(火) 10:03:50 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=12&mode=0
 昨年度の記事は[0:789]
 悪人に注意。だれかれかまわず助けりゃいいってもんじゃありません。敬虔な人や謙遜な人に親切をおこなえば報いられますが、悪人に親切にしてもむだになるばかりです。
 こちらが逆境になると友まで去っていきます。人を友にするときには注意しましょう。
 こういう教えは、イエス様の「敵を愛せ」 マタ5:43-48なんかとはずいぶん違うなという気がしますが、それだけに正直な処世術という感じです。イエス様の「敵を愛せ」に至る前の段階で、こっちのイエス様(シラ書の作者もイエスでしたよね)の段階を目指すことにしましょうか。
 シラ12:13「へびに手をかまれたへびつかいや、猛獣におそわれた猛獣つかいを、誰が同情してくれるだろうか。」、これ、面白い表現ね。

[245] サム上6-10章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/28(火) 09:55:31 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1sa&chapter=6&mode=0
 昨年度の記事は[0:526]
 まずはあらすじをおさえましょう。いや、今日はあらすじだけおさえておしまいにしちゃおうかしら。

 移動式原発のようなおそるべき神の箱をペリシテ人はもてあまし、イスラエルの民に返すことになりました。ついでながら、箱を引かせた雌牛がベテシメシの方向へ行ったらこの間の災いは神がやったことであり、そうでなきゃ偶然だった、という占いをしたところ、ちゃんとベテシメシの方向へ向かったという話もあります。ところがベテシメシの人たちは、こんな怖い箱なんか管理できないと拒否、箱はキリアテ・ヤリムに移ります(6章)。
http://www.babelbible.net/map/9.png
の地図ではベテシメシはB-1。エルサレムの真西、川沿いの低地です。キリアテ・ヤリムは今のヘブロン(C-1)で山の上です。
 サムエルは人々に、他の神々を捨ててヤハウェにのみ仕えるならばペリシテに勝てるぞと言い、実際にペリシテ人の侵略を撃退します(7章)。
 とはいえイスラエルはまだまだ弱体。核兵器を持つアメリカにゲリラ戦で抵抗するようなもんです。おまけに指導者サムエルの子たちはそろいもそろって悪い奴ら。「こんなんじゃまとまれない。王が必要だ」と人々はサムエルにねだります。サムエルはしぶりますが、神様におうかがいをたてたところ、OKだということになります(8章)。
 ベニヤミン族のサウルが、いなくなったろばを探してツフまで来ます。このあたりに出てくる地名はどこなのかよくわかりません。ともあれこの町にえらい人がいるというので行くとそれがサムエル。サムエルは「あなたこそ主が使わされた王だ」というのでサウルに油をそそいで王にします(9章)。
 サウルはいったん家に戻りますが、その後サムエルがミヅパ(上図C-1)で仰々しく、くじびきで王を決める儀式をします。どういうからくりかは知りませんが、サウルが指名されます。一応みんなは「王ばんざい」と歓呼しますが、一部にぶつぶつ言うひとが現れ、後の混乱を暗示しています(10章)。

[244] 2ニフ28章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/27(月) 10:47:02 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ne&chapter=28&mode=0
 ニーファイの予言の続き。世の終わり、具体的には19世紀のアメリカを想定した光景です。
 「神様はほんの少しの罪なら許してくれるから大丈夫。みんな救ってもらえるさ」などといって人々を欺く教会が多いと言ってます。あらまあ、私もそういうことを言ってますね。汗汗。こういう人たちは死、地獄、悪魔にとらえられたものであり、硫黄の湖に永久に入らねばならなくなるので、悔い改めなさいと教えています。

[243] 詩歌12章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/27(月) 10:41:45 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=ode&chapter=12&mode=0
 いわゆる「マナセの祈り」です。新共同訳では続編に入っています。
 昨年度の[0:979]もご覧ください。
 マナセというのは部族名じゃなく王様の名前。
http://www.babelbible.net/mariko/bib.cgi?doc=kings&course=bib
を見てください。ヒゼキヤの次の王で、一時的にバビロンに連行され、そこで主に祈ったために帰還が許されたという話が代下33:11-13に出てきます。その祈りです。
 列王記が自虐史観なら歴代誌は「新しい歴史教科書」だとは、上村静先生がおっしゃってること。ひたすら先人の罪を糾弾する列王記にくらべ、こんないいこともやったんだよというのが歴代誌。悪い悪いとされるマナセ王にもこんなすばらしい祈りの心があったのだというのです。

[242] 創世記44-47章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/27(月) 10:35:39 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=gen&chapter=44&mode=0
 昨年度の記事は[0:525]
 ヨセフはついに兄弟たちに正体を明かし、劇的な兄弟の再会と和解が達成します。そしてききんがまだまだ続く中、ヨセフはお父さんヤコブを含めて一家をエジプトに呼び寄せます。
 具体的にどのあたりに呼び寄せたのかというのは、
http://www.babelbible.net/map/2.png
のB-Cの2を見てください(ゴセン地方)。
 ヨセフ物語では私はどうも後半のねちねちイジメぶりが嫌いなのですが、せっかくですから、この話をどう解釈すればありがたい話になるのかを考えてみましょう。
 ヨセフが正体を明かしたきっかけは何でしょう? ベニヤミンに盗みの嫌疑がかけられ、それを兄弟たち、特にユダがかばったからです。
 もともとヨセフ物語の発端は、兄弟たちがヨセフを憎んで殺そうとしたことに始まります。兄弟は他人の始まり。激しく憎み合うこともあります。まして異母兄弟ですからね。
 が、時が経ち状況が変わり、こんどはベニヤミンが窮地に陥る。ヨセフとベニヤミンは同じラケルから生まれた子だというのにも注意しましょう。かつてヨセフを殺そうとした兄弟たちが、こんどは同じ母から生まれたベニヤミンをかばうまでに成長した、これこそがヨセフが兄弟と和解するトリガーになったのだと思います。

 ところでヨセフの政策は必ずしも仁政ではありません。ききんをうまく利用して人々から土地を収奪し、奴隷状態におき、王権を中央集権的に強化しています。こんなところも見逃さないようにしないと、人気者の仮面をかぶった独裁者をのさばらせてしまいますよ。大阪みたいに。

[241] パウロが断罪しているもの 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/27(月) 10:19:02 コメントする ここから閲覧

 [238]で、一コリ6:9-10

  不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、(1)男娼となる者、(2)男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者は、いずれも神の国をつぐことはないのである。

のようにパウロが断罪しているのは、実は同性愛ではない、ということを山口里子さんが論証していると書きました。
 では何なのかというのが、実はかなり微妙でして、これはぜひ『虹は私たちの間に』をお読みになって考えていただきたいと思いまして、それで[238]では答えを書きませんでした。が、これじゃちょっと不親切かなとも考え直し、私の理解するところを書くことにします。

 (1)は、自律心、自制心の欠如した女々しい奴。この言葉はさまざまに解釈されており、12世紀以後は「オナニーしてる奴」(男性です)と解釈されてきたほどですが、女性はともかく男性のオナニーなんて当たり前になる一方で、同性愛に対する偏見が強まり、さらに聖書が広く頒布されるようになると「女々しい」という女性蔑視の訳語が女性信者に反発されるのではと嫌われて、同性愛と解釈されるようになったのだということです。
 (2)は、経済的に搾取する形で男の奴隷を性欲の対象としている奴。ギリシア文化圏では男の同性愛、特に少年愛はごく当たり前だったのであり、暴力的に、カネで奴隷を支配する形で同性愛をする者を断罪しているのです。同性愛がポイントなのではなく、暴力的、経済的支配が問題なのです。

 そして、(1)と(2)をこのように解釈すると、パウロが1コリで強調している「共同体の一致」のために「不道徳な者を排除せよ(黙認するな)」という趣旨にかなうとしています。つまり、自制心の欠落した根性ナシや、性暴力をするような奴は、共同体を破壊してしまうのだというのです。

[240] 2ニフ27章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/26(日) 09:19:07 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ne&chapter=27&mode=0
 ここまでのあらすじ。
 ユダ王国末期、王国の滅亡を予言して迫害されたリーハイは一家もろとも荒野に逃れます。4人の息子のうち、長男レーマンは悪役、末のニーファイは善玉。度重なる対立や争いも経ながら、一行は海を越えて新天地アメリカに着きます。ここでニーファイはレーマンと決定的に対立、ニーファイたちは独自の町を作り、リーハイが荒野でもうけた息子ヤコブとヨセフを祭司にして生活します。
 ここでニーファイはイザヤ書を延々と引用したりしながら、自分たちの末裔の運命を予言します。私たちの子孫も滅んでしまい、アメリカは異邦人、つまり旧大陸からやってきたヨーロッパ人たちに支配されてしまうというのです。

 そして今日の話、ニーファイの予言が続きます。
 神様はある書物を作ったのですが封じられており、一般には見せられない。でもある男に授け、その男が別の男に授け、されにこれが神様からの本だという証人を3人立てられたというのです。もうおわかりですね。いま私たちが読んでいるモルモン経の話です。

[239] 3イミ11章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/26(日) 04:04:19 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=3ic&chapter=11&mode=0
 例によって最初は信者とキリストとの対話形式になっていますが、ほとんどはキリストの教えです。
 願望というのは一種の欲望ですから、イミタチオの著者にとっては当然避けるべきところでしょうけど、よいと思った努力や願望も含まれることに注意しなければなりません。正義の行動なんていうのも本当に神様とのかかわりで生じたのかどうか、神様の意思なのかどうかを省察しなければなりません。でも、そういうことはなかなかわかりにくいことですから、自分のやっていることが本当に正しいのか、自己満足に陥っていないか、また、やりたくないいやなことでも、それはひょっとしたら神様の意思なのではないかと、絶えず問いかけることだと思います。そして、何事もやりすぎない、何事も頭から避けない、ということなのでしょう。

[238] 1コリ5-6章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/26(日) 03:45:00 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1co&chapter=5&mode=0
昨年度の記事は[0:523]
 4章までは派閥争い対策でしたが、ここからは悪い信者をパージしようというわけです。
 悪い信者はまるでパンの酵母のように、パン全体を膨らませて悪いパンを作ってしまう。だからそんなものは取り除け。
 非信者で不道徳なことをしている奴はまあ当然、どうせ神様が罰してくれるので、ほどほどにつきあっておけばいいんですが、信者で不道徳なことをしている奴は大変有害なので交際するな、それどころか摘み取ってしまえ。
 そして、信者の間にトラブルがあったら、それは自分たちの力で解決しなきゃいけない。非信者の裁判官がとりおこなう裁判なんかにまかせちゃダメ。
 不道徳なことをしたら神の国に入れません。「そんな、何をやろうとおいらの自由じゃないか」というかもしれませんが、信者というのはキリストに買い取られた、身請けされた体なのであって、自分の体はすでに自分のものではありません。何でも自由じゃないんだよ。
 こういったところが、パウロ様の教えというわけです。何だかなあ。

 ところで一コリ6:9-10「不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者は、いずれも神の国をつぐことはないのである。」を根拠に、聖書は同性愛を禁じている、と主張するクリスチャンが非常に多く、キリスト教による性的マイノリティへの差別を生んでいます。
 私などはそういう手合いには「あんたら旧約聖書に書いてあること全部守ってるの? 幕屋でいけにえをほふってるの? 新約聖書に書いてあること全部守ってるの? 馬鹿パウロが『女は教会では黙ってろ』って言ってるの、守ってるの?」と一喝しておしまいなんで、馬鹿パウロが同性愛について何を言おうと、そんなのは時代によって変化するんだから守んなくてかまわない、と思っているのですが、それでも一応聖書にこんなことが書かれていると、やっぱり気になっちゃいますよね。
 ところが最近、山口里子さんの『虹は私たちの間に』(新教出版社)を読んで感心したんですが、山口さんは聖書の原文を精密に読むことによって、パウロが禁じているのは同性愛そのものではないんだということを論証しています。詳しく紹介する余裕がありませんが、この箇所が気になっている方はぜひお読みください。

[237] クルアーン22回 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/25(土) 11:08:09 コメントする ここから閲覧

 クル-22回。5章1-26節。
 5章は「食卓」と名づけられています。最初のほうに食物禁止規定があるからでしょう。
 イスラム教というと「豚を食べちゃいけない」とか、やたら食物禁止規定が厳しいようなイメージがありますが、実はユダヤ教よりはましなのです。律法だと豚はおろかさまざまなものが禁止されていて、特に水産物は日本人やギリシア人の好きなタコなんかがダメになります。それよりははるかに緩和されたんですね。じゃ豚もOKにすりゃよかったのに。豚はおいしいもの。

[236] 1イミ11章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/25(土) 11:03:45 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ic&chapter=11&mode=0
 イミタチオ(=キリストにならいて)1巻11章。いままで1巻の各章はとても短かったのですが、今日はちょっと長いです。
 心の安らぎを求めようと欲えば、情欲や邪念を捨て、心にわだかまりをなくし、神を思うこと。
 そのためにはまずは情欲を捨てよ、しかも最初が肝心だというのです。少しずつ情欲を捨てることができればいいのですが、実際には修道生活の最初に比べて時間が経つにつれて心が不純になって行くからです。一番最初に、悪い性癖を捨てるのが大事です。
 ……ああ、私なんか全然ダメだわ。

[235] マルコ1-2章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/25(土) 10:57:28 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mar&chapter=1&mode=0
 昨年度の記事は[0:519]
 マルコ福音書は2番目に置かれていますが、実はマタイより先にできています。マタイとルカは、マルコの記事を参考に、別の本も参考にしてできあがっています。
 ですからマルコとマタイ/ルカとで共通した話があるときは、マルコのほうが元の形であったと考えるべきです。今日のところなら、 マコ1:11では、天からの声が(イエス様には)「聞こえた」とあるのに、 マタ3:17では「天から声があって言った」となっているのは、マルコのほうが元。マルコはリアリストなのて、客観的には声がしていない含みを持たせている(声がしておらず、たとえイエス様の幻聴であってもこの記述は正しくなる)のに、それだと有難いと思えなかったのか、マタイはハッキリ「声があった」としちゃっています。
 マタイやルカにあるようなイエス様の系図も、処女懐胎伝説も、マルコにはありません。
 それは、マルコの段階ではそういう伝説がなかったのかもしれませんが、たぶん、マルコにとってはどうでもいいことだったんでしょう。
 マタイやルカにとっては、イエス様が救い主だというのはダビデの家系であるがゆえであり、だからこそ系図を載せねばならなかった。またイエス様が「神の子」だというのは、文字通り「神の」子であり「ヨセフの子」ではないので、処女懐胎伝説を載せねばならなかった。それに対してマルコにとっては、ヨハネの洗礼とそのときに天から聖霊と声が降ってきたことこそが、イエス様が神の子であり救い主であることの証明だったということなのでしょう。
 そして、マタイは最初と最後が対応していました。最初にイザヤ書のインマヌエル預言をかかげ、あれれれ、じゃなんでインマヌエルという名じゃなくイエス(ヨシュア)という名前だったの?と思うと、一番最後に「わたしは~あなたがたと共にいる(=インマヌエル)」とイエス様にしゃべらせて落ちをつけてるわけです。
 同様に、実はマルコも、最初と最後が対応しているんです。最終章を読むときに書きますので、とりあえずはマコ1:10-11で起こった出来事をしっかり覚えておきましょう。

[234] クルアーン21回 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/24(金) 12:14:21 コメントする ここから閲覧

 クル-21回。4章148-176節。4章はこれでおわりです。
 ここはイスラム教の見るイエス様とキリスト教徒。イエス様はイスラム教でも重要人物ですが、あくまで預言者であり、神の子ではありません。171節にあるとおり、「三位一体」なんて言っちゃダメというわけです。
 面白いのは、イエス様の十字架上の死をも否定していること。人々の目にそういうふうに見えただけというのですね。十字架で死んだのは身代わりだということらしいです。

 176節でなぜか、4章の最初にあったような遺産分割法の補足が出てきます。こんなの前とまとめちゃえばよかったのにと思うのですが、こんなふうにごちゃごちゃしていると、かえってクルアーンがホントに神から啓示されたものっぽく見えます。あまりに整ってるとウソっぽいですから。

[233] 知恵の書11章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/24(金) 12:07:20 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=wis&chapter=11&mode=0
 昨年度の記事は[0:705]
 「知恵」を主人公としたイスラエルの歴史。今日はモーセの話です。
 砂漠を進んだとか、天幕を張ったとか、敵と戦ったとか、出エジプトの話が語られています。が、18節にあるような、未知の新しい獣を送ったなんていう話は聖書にありませんので、まるきり出エジプト記をなぞっているわけではありません。
 5節の「彼らの敵を滅ぼした水が、こんどは苦しむ彼らに恵みをもたらした」という表現は面白い。水っていうのは人を殺しもし、人を生かしもしますからね。まるで神様です。

[232] イザヤ書56-61章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/24(金) 11:58:50 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=isa&chapter=56&mode=0
 昨年度の記事は[0:518]
 「新しい世(4)は(0)来い(5)来い(5)」([169]参照)というわけで、40-55章が第二イザヤだったので、ここから最後までは第三イザヤということになります。
 昨年もちらっと書きましたが、やっぱり56章に出てくる宦官の話をしましょうか。
 もともと律法では、申23:2にあるとおり、「すべて去勢した男子は主の会衆に加わってはならない」んですけど、バビロン捕囚を経てそういうことも言ってられなくなりました。外国の宮廷に宦官として仕えるユダヤ人も出てきてしまったからです。
 同様に、異邦人と接するにつれ、異邦人の中にもユダヤ人の神様に関心を持って、イザ56:6にあるような「主に仕え、主の名を愛し、そのしもべとなり、すべて安息日を守って、これを汚さず、わが契約を堅く守る」ような物好きな人たちも現れた。こういう人たちのことも考えてあげなくちゃならない時代をユダヤ教は迎えたのです。
 そんなわけで第三イザヤは、宦官もOKよ、外国人もOKよと高らかにうたうんです。
 私たち夫婦にはマリナちゃん(仮名)というMtF、つまり「体は男、心は女」という親友がいて、彼(女)もキリスト教に関心を持っているので、以前あちこちの教会に連れてってあげたことがあるんですが、行く先々ではっきり断られたり、 申22:5にあるとおり教会には女装してくるなといわれたり、性転換するんだったら 申23:2にあるとおり……、と言われたりで、すっかり教会恐怖症になっています。こんど私たちが受洗する教会の牧師に相談してみようと言っても、「牧師はOKでもみんなが白い目で見る」って。最近は女装タレントもテレビによく出てくるようになったんで状況はよくなったと思うんですけどね。
 「聖書はこれこれを禁じてる」っていう人は、ふだん開けもしないレビ記とか申命記なんかを開けてこういうことを言ってくるんですが、聖書の中にだってこういう思想の変化はあるんです。「禁じてるのは聖書がではない、あなたがなのだ!」とはっきり言いましょう。
 宦官はともかく、異邦人のほうは、こういう思想の変化がなければ、私たち非ユダヤ人はキリスト者になれないんだよということに気づかないんでしょうか。私たち異邦人にとってはイザヤ書56章は救いです。

 その一方でバビロン捕囚後は、エズラ記やネヘミヤ記にあるような、異民族との結婚禁止みたいな偏狭な政策も行われていて、まあそういうふうに新旧の考え方が混在して混乱していたってことなんでしょうね。異民族との結婚をどんどんしちゃうと、ユダヤ人そのものが消えてしまう(そうやって旧北王国十部族は消えて行ったわけだから)んで、わからないではないですけど、でも結婚禁止までして民族を守んなきゃいけないなら、民族なんてみんな消えてしまえと思います。

[231] 2二フ26章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/23(木) 10:54:30 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ne&chapter=26&mode=0
 前回からニーファイの予言が始まりました。前回はイエス様がこの世に出現する話でした。
 ところがイエス様の出現と死と復活で人々は救われるかというと、そうとも限らないようです。しかもなんとお膝元、ご自分の子孫が救われないらしい。というのは、ニーファイ人の子孫も無信仰に陥ってしまうというんですね。
 アメリカに渡ったこの一族のうち、悪役である長男レーマンの子孫はレーマン人。こちらが無信仰だというのはわかるんですが、ニーファイの子孫のほうもそうなっちゃうようですね。しかもレーマン人のほうは残るのにニーファイ人のほうは完全に滅びちゃうようです。どういういきさつがあるんでしょうか。たぶん今後いろんな本を読んでいくうちに出てくるんでしょう。
 実際のアメリカはヨーロッパから人がわたってきて先住民(かれら言うところのレーマン人)を支配して国を作るんですが、この章でいう「異邦人」とはヨーロッパから渡ってきた人たちのことをさします。

[230] トビト記11章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/23(木) 10:44:48 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=tob&chapter=11&mode=0
 昨年度の記事は[0:416]
 トビヤは父トビトのもとへ帰還。例の魚の胆嚢で、目を治します。
 私・真理子の訳では胆汁と訳しておきました。8節で「目に塗りなさい」となってるので、胆嚢そのものは目に濡れませんからね。でも11節では「~を手に取り」だから、こっちは胆嚢にしといたほうがいいかしら。胆汁そのものは手に取れませんからね。もう少し考えてみます。
 いずれにせよ、胆汁が収縮して、それで目をおおっていたまくをはがすってことらしいですね。

[229] ヨブ記21-22章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/23(木) 10:39:44 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=job&chapter=21&mode=0
昨年度の記事は[0:515]
 21章のヨブの反論で第二ラウンドが終了。22章のエリパズ(エリファズ)の議論から第三ラウンドに入ります。
 今日は ヨブ21:19をとりあげます。
原文: http://interlinearbible.org/job/21-19.htm
口語訳:
あなたがたは言う、『神は彼らの罪を積みたくわえて、その子らに報いられるのだ』と。どうかそれを彼ら自身に報いて、彼らにその罪を知らせられるように。
新共同訳:
神は彼への罰を/その子らの代にまで延ばしておかれるのか。彼自身を罰して/思い知らせてくださればよいのに。
新改訳:
神はそのような者の子らのために、彼のわざわいをたくわえておられるのか。彼自身が報いを受けて思い知らなければならない。
回復訳:
あなたがたは言う。『神は彼の子たちに対する罪科の懲らしめを蓄えておられる』。/わたしは言う『神が彼に報いられるのを、彼が知るように』
新世界:
神は,人の有害なことをその人の子らのために蓄えて置かれる。/[神]は人に報いて,その人が[これを]知るようにさせる。
関根:
神は彼の子らのために災いを用意されるというのか。/彼自身に報いを下し、思い知らせてくださればよいに。
フラ:
『神は悪人の罰を子孫の代まで延ばそうとする』と言うのか/神が悪人自身を罰して思い知らせてくださればよいのに。

 原文がたった7語(一応分かち書きの個数で機械的に数えた場合)なのに訳がずいぶん長くなるものですね。これは、かなり言葉を補って意訳しないとわけがわからなくなる文だからです。
 しかも、口語訳や回復訳ではまるで友人との問答のようになってます。あれ、でも友人たちの話にこんなのありましたっけ?
 フラの解説を見ると、実はこれはヨブが世間一般の考えを引用しているだけであり、
   出34:7 申5:9
に見られるように、罪が子孫三代、四代と受け継がれるという考え方です。
 ところがそれに対して、父の罪が子に受け継がれるわけではないというのが、
   申24:16 エレ31:29 エゼ18:1-32
にあります。たぶんエレミヤの時代にできた新しい考え方なのでしょう。申命記にはどちらの考えも入っているのが面白いですね。
 このように、昔は親の罪が子に受け継がれると考えられたのが、だんだんそうじゃなくなっていったので、それでイエス様も ヨハ9:1-3 では、生まれつき盲目の娘は親の罪でそうなったんじゃない、と言っております。

[228] 2ニフ25章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/22(水) 09:52:59 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ne&chapter=25&mode=0
 13章ぶんまるまるイザヤ書を引用しておいて、今日の章の冒頭を見てあぜん。な、なにこれ? イザヤの言葉はわかりにくい。「ユダヤ人は悪いやつらなんでユダヤ流の表現の仕方を私の民に教えなかったからだ」って、そりゃないでしょう。ニーファイさん、じゃイザヤ書なんかまるまる引用せず、最初からあなたの言葉で言えばよかったのに。どうせ旧約聖書もモルモン教会の聖典の一つなんだから、そのほうが節約になったのに。
 そんなわけで、いままで長々と引用したイザヤ書は、どういう話をしてたのかというのがここから始まります。要するに約600年後にイエス様が出現することの予言だっていうわけなんですけどね。
 ところで10節、ユダヤ人がバビロンに捕囚されて滅びちゃったとありますが、そのニュースをニーファイさんはどこで知ったのでしょう。だってその直前に脱出して、アメリカに渡っちゃったのに。

[227] 1マカ11章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/22(水) 09:35:03 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ma&chapter=11&mode=0
 昨年度の記事は[0:578]
 今回も横着をして昨年度のまとめをそのまま転載しちゃいます。
 マカバイ記は人物がいっぱい出てきて読みにくい。今のうちに「マカバイ記読解用人名辞典」の準備に入らなきゃ。毎週読み進めたぶんをまとめて1年間まわして完成させましょう。

 セレウコス朝シリアのアレキサンドルとデメトリオの内戦はまだ続いてます。前章ではいったんアレキサンドルが勝ちましたが、エジプト王がシリアをも手中におさめたくて、こんどは死んだデメトリオの子のデメトリオ(!)と組みます。そしてデメトリオが即位してアレキサンドルは死ぬ。デメトリオはヨナタンとも和睦して、しばらくは平和が続きます。
 しかし、デメトリオは軍隊を解散しちゃったんで、失業した軍人は不満たらたら。そういう軍人たちをアレキサンドルの部下のトルポンがうまくまとめ、アレキサンドルの息子のアンテオコスをかつぎだして、こんどはデメトリオを打ち負かしてしまいます。これ以来トルポンはユダヤの敵役として、ヨナタンらと戦いが続きます。

[226] 詩編30-32編 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/22(水) 09:30:59 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=psa&chapter=30&mode=0
昨年度の記事は[0:513]

●30編
 昨年も書きましたが、瀕死の重病とか絶体絶命のピンチから助け出されたときの感謝の祈り。
 それにしても10節(旧9節)の、神様、私が死んだら誰もあなたをほめたたえる人がなくなっちゃうよ、という言い方って面白い。
 音楽のほうは、以前([100])にも紹介したロックバンドSons of Korahの歌う美しいバラード

(http://www.youtube.com/watch?v=1ZLXduAtd5c)
 そして毎度おなじみkinotoriさんの作品

(http://www.youtube.com/watch?v=D585r3TcZf4)

●31編
 神を信頼し、救いを求める祈り。6節(旧5節)の「わたしは、わが魂をみ手にゆだねます。主、まことの神よ、あなたはわたしをあがなわれました」が、この編全体を凝縮しています。「あがなう」というのは「買い取る」ということですが「救う」意味に使います。「身請けする」というのがわかりやすいんじゃないでょうか。借金を払って遊女を買い取って自由にしてあげるような感覚です。
 音楽は面白いのがなかったので、kinotoriさんの作品をごらんください。

(http://www.youtube.com/watch?v=URBL1gVe8kE)

●32編
 教団讃美歌の交読文10番になっています。
 マスキールというのは「教訓」なのではないかという話がありますが定説がありません。
 悪いことをしてそれを隠していると、たとえそれが露見せず罰を免れたとしても、苦しいものです。人間には告白しなくても、神様には告白しましょう。そして楽になりましょう。
 Maranatha! SIngers というゴスペル合唱団の Freely Forgiven(Psalm 32:1-6)という曲。とてもきれいです。

(http://www.youtube.com/watch?v=7fcuwtH0DsU)
 社会鍋でおなじみの救世軍の礼拝でこれの交読文を読む光景。

(http://www.youtube.com/watch?v=bqLZQwVoiv4)
 kinotoriさんの作品

(http://www.youtube.com/watch?v=-aOm6Myvqvk)

[225] 2ニフ24章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/21(火) 11:09:54 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ne&chapter=24&mode=0
 12章以来延々と続いてきたイザヤ書の引用もいよいよこれでおしまい。今日は14章です。
 なんでこんなにイザヤ書が続くのか、これだけ長いと忘れちゃいますけど、2ニフ11にあるとおり、これはこの本の著者ニーファイが、約600年後にキリストが降臨することをイザヤ書を引用して説明していたんです。2ニフ11:2「さて私ニーファイは心にイザヤの言葉を喜び楽しむから、もっとその言葉を書き誌そう。」というわけですね。でも「喜び楽しむ」にしては明日読む次章ではおどろきの展開になるんですけど、まあそれは明日にしましょうか。

[224] シラ書11章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/21(火) 11:04:11 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=dsr&chapter=11&mode=0
 昨年度の記事は[0:784]
 今日のところはすぐにでも使えることわざに満ち溢れてますね。3節の「蜂は羽根のあるものの中で一番小さいが、作る蜜は最高に甘い」。7-8節「よく調べないうちに非難するな。まずはじっくりと考えて、それからとがめよ。最後まで聞かないうちに答えるな。人の話に割り込むな。」、23-24節「自分なんか何の役にも立たない。この先どんな幸運もめぐってこない、と言うな。/自分は一人で何でもできる。この先どんな不運もめぐってこない、と言うな。」など、いろいろ気に入ったものがあるんですけど、結局は、
  14節「わざわいも幸福も、生も死も、貧しさも豊かさも、主が与えてくださるもの」
につきるんですね。だから幸運も必ずめぐってくるし、不運も必ずめぐってくるんです。永遠の幸運もないし、永遠の不運もない。克服できない試練はないんです。