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2024年3月28日(木) 通読(本日=ヨブ35-36,ユディ4,モサ17 明日=エレ27-31,知18,クル-35回)

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節表示・修正口語訳(日本語R)+真理子のおまけ 解題
〔真理子訳(工事中)〕イミタチオ第1巻 霊の生活に益ある勧め 第13章
第十三章。誘惑に抵抗しなさい。
この世に生きている限り、苦難と誘惑からは逃れられない。
だから「地上の人には、激しい労務があるではないか」(ヨブ7:1)と、ヨブ記にも書いてある。
人はみな誘惑に注意し、身を慎み、祈って警戒しなさい。悪魔は決して眠ってはおらず、絶えずだれかを食いつくそうと探し回っている。だから油断してだまされるような機会を与えてはならない(一ペト5:8)。
どんなに安全で信仰が深くても、時には誘惑を受けない人はいないし、まるきり誘惑を受けずにすむことはありえないのである。
どんなにいやでも辛くても、誘惑はかえって人に極めて役立つことがある。それによってわれわれは謙遜になり、浄化され、教えられるからである。
聖者たちはみな多くの苦難や誘惑を通り抜けて徳を積んだのである。
そして誘惑に耐えられなかった者は神に見捨ててられ、途中で挫折してしまったのである。
どんな神聖な修道院であろうと、どんなに静寂な場所であろうと、誘惑と困難がないところはないのである。
人はみな生きている限り、全く誘惑なしにいることはない。われわれはみな情欲によって生まれたので、誘惑の原因を自分のうちにもっているのである。
誘惑や困難が一つ去ったかと思うと別のがやって来るし、われわれはいつも何かに苦しめられている。われわれは創造された当初の幸福を既に失ってしまったからである。
誘惑を避けようとあがくあまり、ますます激しく陥る人が多い。
そう、逃げるだけでは勝てないのである。忍耐と真の謙遜によってのみ、われわれはあらゆる敵よりも強くされるのである。
単に外面的にのみ逃れても、根本を抜き取らないなら、その人にはほとんど役に立たない。誘惑ははさっそく戻って来るので、その人は前よりもいっそう激しく感じるだろう。
誘惑に勝つためには、決してあせって無理をしてはならない。むしろ気長に神のお助けによって忍耐によって少しずつ克服しなさい。
誘惑にあったら他人の意見を聞くようにしなさい。また、誘惑に悩む人に厳しく当たらず、あなたがそうされたいように、彼に慰めを与えなさい。
すべての悪い誘惑の第一の原因は、そもそも心が不安定であることと、神への信頼が少ないことである。
あたかもかじを失って波に漂う船のように、人はぐらつきだけでその目的を逃し、さまざま誘惑されるのである。
火は鉄を試み、誘惑は義人を試みる。
われわれは自分で自分の力を知らないことが多い。誘惑がわれわれの本性を示すことがある。
しかし、誘惑にはとりわけ最初に警戒しなさい。誘惑という敵が来て心の戸をたたく時、決してこちらに入れてはならず、すぐに追い返してしまうなら、はるかに簡単に打ち勝つことができるだろう。
古い言葉にある。「最初に抵抗しなさい。ほうっておくと薬も役に立たなくなる」(詩人オヴィディウスの句)と。
そもそも誘惑の最初は、単にある考えが心に起こるだけ。次に強い想像が起こり、その後に快楽となり、さらに邪悪な肉欲への衝動と変わり、最後は承認に終わるのである。
最初に抵抗を受けないので、邪悪な敵はこのように次第にわれわれの中に入り込んでしまう。
だから、抵抗を長らく怠っておくと、その人は日々に力を弱め、逆に敵はますます強くなるのである。
修道生活の当初から大きな誘惑に苦しめられられる人もいれば、終わりに経験する人もいるし、一生悩まされ続ける人もいるし、極めて軽く試されるだけの人もいる。これらは神の深い知恵に基づくご計画と公平な裁量によるので、人はそれぞれの状態や功績を考慮され、そのお選びになった者の魂の救いのために、すべてをあらかじめ定められているからである。
だからわれわれは試みられるときも決して失望してはならない。どんな苦難にあっても、いっそう熱心に、神が助けをわれわれにお降しになること祈りなさい。神は「試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである」(一コリ10:13)と使徒パウロが言ったとおりである。
すべての誘惑や苦難にあたっては、ただ「神の力強い御手の下に」(一ペト5:6)われわれは自分の心を謙遜にすべきである。神は心の謙遜な者を救い、高められるからである。
人は誘惑や苦難にあって、どれほど進歩したかを試されるのであり、そこにその人の大きな功績が表われ、徳が明らかになるのである。
苦難を経験したことのない人は、どんなに敬虔で熱心であっても偉いと思われない。逆境や不幸の時にそれをこらえることのできる人にこそ、大きな進歩の望みがあるのである。
大きな誘惑はこらえられたのに、毎日の小事に負けてしまうことの多い人がいるが、このように小事にもろい自分を大事にあたってはあてにすることなく謙遜な心になれということのためである。

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