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真理子の聖書日記


このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
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[239] 3イミ11章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/26(日) 04:04:19 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=3ic&chapter=11&mode=0
 例によって最初は信者とキリストとの対話形式になっていますが、ほとんどはキリストの教えです。
 願望というのは一種の欲望ですから、イミタチオの著者にとっては当然避けるべきところでしょうけど、よいと思った努力や願望も含まれることに注意しなければなりません。正義の行動なんていうのも本当に神様とのかかわりで生じたのかどうか、神様の意思なのかどうかを省察しなければなりません。でも、そういうことはなかなかわかりにくいことですから、自分のやっていることが本当に正しいのか、自己満足に陥っていないか、また、やりたくないいやなことでも、それはひょっとしたら神様の意思なのではないかと、絶えず問いかけることだと思います。そして、何事もやりすぎない、何事も頭から避けない、ということなのでしょう。

[238] 1コリ5-6章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/26(日) 03:45:00 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1co&chapter=5&mode=0
昨年度の記事は[0:523]
 4章までは派閥争い対策でしたが、ここからは悪い信者をパージしようというわけです。
 悪い信者はまるでパンの酵母のように、パン全体を膨らませて悪いパンを作ってしまう。だからそんなものは取り除け。
 非信者で不道徳なことをしている奴はまあ当然、どうせ神様が罰してくれるので、ほどほどにつきあっておけばいいんですが、信者で不道徳なことをしている奴は大変有害なので交際するな、それどころか摘み取ってしまえ。
 そして、信者の間にトラブルがあったら、それは自分たちの力で解決しなきゃいけない。非信者の裁判官がとりおこなう裁判なんかにまかせちゃダメ。
 不道徳なことをしたら神の国に入れません。「そんな、何をやろうとおいらの自由じゃないか」というかもしれませんが、信者というのはキリストに買い取られた、身請けされた体なのであって、自分の体はすでに自分のものではありません。何でも自由じゃないんだよ。
 こういったところが、パウロ様の教えというわけです。何だかなあ。

 ところで一コリ6:9-10「不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者は、いずれも神の国をつぐことはないのである。」を根拠に、聖書は同性愛を禁じている、と主張するクリスチャンが非常に多く、キリスト教による性的マイノリティへの差別を生んでいます。
 私などはそういう手合いには「あんたら旧約聖書に書いてあること全部守ってるの? 幕屋でいけにえをほふってるの? 新約聖書に書いてあること全部守ってるの? 馬鹿パウロが『女は教会では黙ってろ』って言ってるの、守ってるの?」と一喝しておしまいなんで、馬鹿パウロが同性愛について何を言おうと、そんなのは時代によって変化するんだから守んなくてかまわない、と思っているのですが、それでも一応聖書にこんなことが書かれていると、やっぱり気になっちゃいますよね。
 ところが最近、山口里子さんの『虹は私たちの間に』(新教出版社)を読んで感心したんですが、山口さんは聖書の原文を精密に読むことによって、パウロが禁じているのは同性愛そのものではないんだということを論証しています。詳しく紹介する余裕がありませんが、この箇所が気になっている方はぜひお読みください。

[237] クルアーン22回 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/25(土) 11:08:09 コメントする ここから閲覧

 クル-22回。5章1-26節。
 5章は「食卓」と名づけられています。最初のほうに食物禁止規定があるからでしょう。
 イスラム教というと「豚を食べちゃいけない」とか、やたら食物禁止規定が厳しいようなイメージがありますが、実はユダヤ教よりはましなのです。律法だと豚はおろかさまざまなものが禁止されていて、特に水産物は日本人やギリシア人の好きなタコなんかがダメになります。それよりははるかに緩和されたんですね。じゃ豚もOKにすりゃよかったのに。豚はおいしいもの。

[236] 1イミ11章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/25(土) 11:03:45 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ic&chapter=11&mode=0
 イミタチオ(=キリストにならいて)1巻11章。いままで1巻の各章はとても短かったのですが、今日はちょっと長いです。
 心の安らぎを求めようと欲えば、情欲や邪念を捨て、心にわだかまりをなくし、神を思うこと。
 そのためにはまずは情欲を捨てよ、しかも最初が肝心だというのです。少しずつ情欲を捨てることができればいいのですが、実際には修道生活の最初に比べて時間が経つにつれて心が不純になって行くからです。一番最初に、悪い性癖を捨てるのが大事です。
 ……ああ、私なんか全然ダメだわ。

[235] マルコ1-2章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/25(土) 10:57:28 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mar&chapter=1&mode=0
 昨年度の記事は[0:519]
 マルコ福音書は2番目に置かれていますが、実はマタイより先にできています。マタイとルカは、マルコの記事を参考に、別の本も参考にしてできあがっています。
 ですからマルコとマタイ/ルカとで共通した話があるときは、マルコのほうが元の形であったと考えるべきです。今日のところなら、 マコ1:11では、天からの声が(イエス様には)「聞こえた」とあるのに、 マタ3:17では「天から声があって言った」となっているのは、マルコのほうが元。マルコはリアリストなのて、客観的には声がしていない含みを持たせている(声がしておらず、たとえイエス様の幻聴であってもこの記述は正しくなる)のに、それだと有難いと思えなかったのか、マタイはハッキリ「声があった」としちゃっています。
 マタイやルカにあるようなイエス様の系図も、処女懐胎伝説も、マルコにはありません。
 それは、マルコの段階ではそういう伝説がなかったのかもしれませんが、たぶん、マルコにとってはどうでもいいことだったんでしょう。
 マタイやルカにとっては、イエス様が救い主だというのはダビデの家系であるがゆえであり、だからこそ系図を載せねばならなかった。またイエス様が「神の子」だというのは、文字通り「神の」子であり「ヨセフの子」ではないので、処女懐胎伝説を載せねばならなかった。それに対してマルコにとっては、ヨハネの洗礼とそのときに天から聖霊と声が降ってきたことこそが、イエス様が神の子であり救い主であることの証明だったということなのでしょう。
 そして、マタイは最初と最後が対応していました。最初にイザヤ書のインマヌエル預言をかかげ、あれれれ、じゃなんでインマヌエルという名じゃなくイエス(ヨシュア)という名前だったの?と思うと、一番最後に「わたしは~あなたがたと共にいる(=インマヌエル)」とイエス様にしゃべらせて落ちをつけてるわけです。
 同様に、実はマルコも、最初と最後が対応しているんです。最終章を読むときに書きますので、とりあえずはマコ1:10-11で起こった出来事をしっかり覚えておきましょう。

[234] クルアーン21回 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/24(金) 12:14:21 コメントする ここから閲覧

 クル-21回。4章148-176節。4章はこれでおわりです。
 ここはイスラム教の見るイエス様とキリスト教徒。イエス様はイスラム教でも重要人物ですが、あくまで預言者であり、神の子ではありません。171節にあるとおり、「三位一体」なんて言っちゃダメというわけです。
 面白いのは、イエス様の十字架上の死をも否定していること。人々の目にそういうふうに見えただけというのですね。十字架で死んだのは身代わりだということらしいです。

 176節でなぜか、4章の最初にあったような遺産分割法の補足が出てきます。こんなの前とまとめちゃえばよかったのにと思うのですが、こんなふうにごちゃごちゃしていると、かえってクルアーンがホントに神から啓示されたものっぽく見えます。あまりに整ってるとウソっぽいですから。

[233] 知恵の書11章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/24(金) 12:07:20 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=wis&chapter=11&mode=0
 昨年度の記事は[0:705]
 「知恵」を主人公としたイスラエルの歴史。今日はモーセの話です。
 砂漠を進んだとか、天幕を張ったとか、敵と戦ったとか、出エジプトの話が語られています。が、18節にあるような、未知の新しい獣を送ったなんていう話は聖書にありませんので、まるきり出エジプト記をなぞっているわけではありません。
 5節の「彼らの敵を滅ぼした水が、こんどは苦しむ彼らに恵みをもたらした」という表現は面白い。水っていうのは人を殺しもし、人を生かしもしますからね。まるで神様です。

[232] イザヤ書56-61章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/24(金) 11:58:50 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=isa&chapter=56&mode=0
 昨年度の記事は[0:518]
 「新しい世(4)は(0)来い(5)来い(5)」([169]参照)というわけで、40-55章が第二イザヤだったので、ここから最後までは第三イザヤということになります。
 昨年もちらっと書きましたが、やっぱり56章に出てくる宦官の話をしましょうか。
 もともと律法では、申23:2にあるとおり、「すべて去勢した男子は主の会衆に加わってはならない」んですけど、バビロン捕囚を経てそういうことも言ってられなくなりました。外国の宮廷に宦官として仕えるユダヤ人も出てきてしまったからです。
 同様に、異邦人と接するにつれ、異邦人の中にもユダヤ人の神様に関心を持って、イザ56:6にあるような「主に仕え、主の名を愛し、そのしもべとなり、すべて安息日を守って、これを汚さず、わが契約を堅く守る」ような物好きな人たちも現れた。こういう人たちのことも考えてあげなくちゃならない時代をユダヤ教は迎えたのです。
 そんなわけで第三イザヤは、宦官もOKよ、外国人もOKよと高らかにうたうんです。
 私たち夫婦にはマリナちゃん(仮名)というMtF、つまり「体は男、心は女」という親友がいて、彼(女)もキリスト教に関心を持っているので、以前あちこちの教会に連れてってあげたことがあるんですが、行く先々ではっきり断られたり、 申22:5にあるとおり教会には女装してくるなといわれたり、性転換するんだったら 申23:2にあるとおり……、と言われたりで、すっかり教会恐怖症になっています。こんど私たちが受洗する教会の牧師に相談してみようと言っても、「牧師はOKでもみんなが白い目で見る」って。最近は女装タレントもテレビによく出てくるようになったんで状況はよくなったと思うんですけどね。
 「聖書はこれこれを禁じてる」っていう人は、ふだん開けもしないレビ記とか申命記なんかを開けてこういうことを言ってくるんですが、聖書の中にだってこういう思想の変化はあるんです。「禁じてるのは聖書がではない、あなたがなのだ!」とはっきり言いましょう。
 宦官はともかく、異邦人のほうは、こういう思想の変化がなければ、私たち非ユダヤ人はキリスト者になれないんだよということに気づかないんでしょうか。私たち異邦人にとってはイザヤ書56章は救いです。

 その一方でバビロン捕囚後は、エズラ記やネヘミヤ記にあるような、異民族との結婚禁止みたいな偏狭な政策も行われていて、まあそういうふうに新旧の考え方が混在して混乱していたってことなんでしょうね。異民族との結婚をどんどんしちゃうと、ユダヤ人そのものが消えてしまう(そうやって旧北王国十部族は消えて行ったわけだから)んで、わからないではないですけど、でも結婚禁止までして民族を守んなきゃいけないなら、民族なんてみんな消えてしまえと思います。

[231] 2二フ26章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/23(木) 10:54:30 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ne&chapter=26&mode=0
 前回からニーファイの予言が始まりました。前回はイエス様がこの世に出現する話でした。
 ところがイエス様の出現と死と復活で人々は救われるかというと、そうとも限らないようです。しかもなんとお膝元、ご自分の子孫が救われないらしい。というのは、ニーファイ人の子孫も無信仰に陥ってしまうというんですね。
 アメリカに渡ったこの一族のうち、悪役である長男レーマンの子孫はレーマン人。こちらが無信仰だというのはわかるんですが、ニーファイの子孫のほうもそうなっちゃうようですね。しかもレーマン人のほうは残るのにニーファイ人のほうは完全に滅びちゃうようです。どういういきさつがあるんでしょうか。たぶん今後いろんな本を読んでいくうちに出てくるんでしょう。
 実際のアメリカはヨーロッパから人がわたってきて先住民(かれら言うところのレーマン人)を支配して国を作るんですが、この章でいう「異邦人」とはヨーロッパから渡ってきた人たちのことをさします。

[230] トビト記11章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/23(木) 10:44:48 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=tob&chapter=11&mode=0
 昨年度の記事は[0:416]
 トビヤは父トビトのもとへ帰還。例の魚の胆嚢で、目を治します。
 私・真理子の訳では胆汁と訳しておきました。8節で「目に塗りなさい」となってるので、胆嚢そのものは目に濡れませんからね。でも11節では「~を手に取り」だから、こっちは胆嚢にしといたほうがいいかしら。胆汁そのものは手に取れませんからね。もう少し考えてみます。
 いずれにせよ、胆汁が収縮して、それで目をおおっていたまくをはがすってことらしいですね。

[229] ヨブ記21-22章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/23(木) 10:39:44 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=job&chapter=21&mode=0
昨年度の記事は[0:515]
 21章のヨブの反論で第二ラウンドが終了。22章のエリパズ(エリファズ)の議論から第三ラウンドに入ります。
 今日は ヨブ21:19をとりあげます。
原文: http://interlinearbible.org/job/21-19.htm
口語訳:
あなたがたは言う、『神は彼らの罪を積みたくわえて、その子らに報いられるのだ』と。どうかそれを彼ら自身に報いて、彼らにその罪を知らせられるように。
新共同訳:
神は彼への罰を/その子らの代にまで延ばしておかれるのか。彼自身を罰して/思い知らせてくださればよいのに。
新改訳:
神はそのような者の子らのために、彼のわざわいをたくわえておられるのか。彼自身が報いを受けて思い知らなければならない。
回復訳:
あなたがたは言う。『神は彼の子たちに対する罪科の懲らしめを蓄えておられる』。/わたしは言う『神が彼に報いられるのを、彼が知るように』
新世界:
神は,人の有害なことをその人の子らのために蓄えて置かれる。/[神]は人に報いて,その人が[これを]知るようにさせる。
関根:
神は彼の子らのために災いを用意されるというのか。/彼自身に報いを下し、思い知らせてくださればよいに。
フラ:
『神は悪人の罰を子孫の代まで延ばそうとする』と言うのか/神が悪人自身を罰して思い知らせてくださればよいのに。

 原文がたった7語(一応分かち書きの個数で機械的に数えた場合)なのに訳がずいぶん長くなるものですね。これは、かなり言葉を補って意訳しないとわけがわからなくなる文だからです。
 しかも、口語訳や回復訳ではまるで友人との問答のようになってます。あれ、でも友人たちの話にこんなのありましたっけ?
 フラの解説を見ると、実はこれはヨブが世間一般の考えを引用しているだけであり、
   出34:7 申5:9
に見られるように、罪が子孫三代、四代と受け継がれるという考え方です。
 ところがそれに対して、父の罪が子に受け継がれるわけではないというのが、
   申24:16 エレ31:29 エゼ18:1-32
にあります。たぶんエレミヤの時代にできた新しい考え方なのでしょう。申命記にはどちらの考えも入っているのが面白いですね。
 このように、昔は親の罪が子に受け継がれると考えられたのが、だんだんそうじゃなくなっていったので、それでイエス様も ヨハ9:1-3 では、生まれつき盲目の娘は親の罪でそうなったんじゃない、と言っております。

[228] 2ニフ25章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/22(水) 09:52:59 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ne&chapter=25&mode=0
 13章ぶんまるまるイザヤ書を引用しておいて、今日の章の冒頭を見てあぜん。な、なにこれ? イザヤの言葉はわかりにくい。「ユダヤ人は悪いやつらなんでユダヤ流の表現の仕方を私の民に教えなかったからだ」って、そりゃないでしょう。ニーファイさん、じゃイザヤ書なんかまるまる引用せず、最初からあなたの言葉で言えばよかったのに。どうせ旧約聖書もモルモン教会の聖典の一つなんだから、そのほうが節約になったのに。
 そんなわけで、いままで長々と引用したイザヤ書は、どういう話をしてたのかというのがここから始まります。要するに約600年後にイエス様が出現することの予言だっていうわけなんですけどね。
 ところで10節、ユダヤ人がバビロンに捕囚されて滅びちゃったとありますが、そのニュースをニーファイさんはどこで知ったのでしょう。だってその直前に脱出して、アメリカに渡っちゃったのに。

[227] 1マカ11章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/22(水) 09:35:03 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ma&chapter=11&mode=0
 昨年度の記事は[0:578]
 今回も横着をして昨年度のまとめをそのまま転載しちゃいます。
 マカバイ記は人物がいっぱい出てきて読みにくい。今のうちに「マカバイ記読解用人名辞典」の準備に入らなきゃ。毎週読み進めたぶんをまとめて1年間まわして完成させましょう。

 セレウコス朝シリアのアレキサンドルとデメトリオの内戦はまだ続いてます。前章ではいったんアレキサンドルが勝ちましたが、エジプト王がシリアをも手中におさめたくて、こんどは死んだデメトリオの子のデメトリオ(!)と組みます。そしてデメトリオが即位してアレキサンドルは死ぬ。デメトリオはヨナタンとも和睦して、しばらくは平和が続きます。
 しかし、デメトリオは軍隊を解散しちゃったんで、失業した軍人は不満たらたら。そういう軍人たちをアレキサンドルの部下のトルポンがうまくまとめ、アレキサンドルの息子のアンテオコスをかつぎだして、こんどはデメトリオを打ち負かしてしまいます。これ以来トルポンはユダヤの敵役として、ヨナタンらと戦いが続きます。

[226] 詩編30-32編 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/22(水) 09:30:59 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=psa&chapter=30&mode=0
昨年度の記事は[0:513]

●30編
 昨年も書きましたが、瀕死の重病とか絶体絶命のピンチから助け出されたときの感謝の祈り。
 それにしても10節(旧9節)の、神様、私が死んだら誰もあなたをほめたたえる人がなくなっちゃうよ、という言い方って面白い。
 音楽のほうは、以前([100])にも紹介したロックバンドSons of Korahの歌う美しいバラード

(http://www.youtube.com/watch?v=1ZLXduAtd5c)
 そして毎度おなじみkinotoriさんの作品

(http://www.youtube.com/watch?v=D585r3TcZf4)

●31編
 神を信頼し、救いを求める祈り。6節(旧5節)の「わたしは、わが魂をみ手にゆだねます。主、まことの神よ、あなたはわたしをあがなわれました」が、この編全体を凝縮しています。「あがなう」というのは「買い取る」ということですが「救う」意味に使います。「身請けする」というのがわかりやすいんじゃないでょうか。借金を払って遊女を買い取って自由にしてあげるような感覚です。
 音楽は面白いのがなかったので、kinotoriさんの作品をごらんください。

(http://www.youtube.com/watch?v=URBL1gVe8kE)

●32編
 教団讃美歌の交読文10番になっています。
 マスキールというのは「教訓」なのではないかという話がありますが定説がありません。
 悪いことをしてそれを隠していると、たとえそれが露見せず罰を免れたとしても、苦しいものです。人間には告白しなくても、神様には告白しましょう。そして楽になりましょう。
 Maranatha! SIngers というゴスペル合唱団の Freely Forgiven(Psalm 32:1-6)という曲。とてもきれいです。

(http://www.youtube.com/watch?v=7fcuwtH0DsU)
 社会鍋でおなじみの救世軍の礼拝でこれの交読文を読む光景。

(http://www.youtube.com/watch?v=bqLZQwVoiv4)
 kinotoriさんの作品

(http://www.youtube.com/watch?v=-aOm6Myvqvk)

[225] 2ニフ24章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/21(火) 11:09:54 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ne&chapter=24&mode=0
 12章以来延々と続いてきたイザヤ書の引用もいよいよこれでおしまい。今日は14章です。
 なんでこんなにイザヤ書が続くのか、これだけ長いと忘れちゃいますけど、2ニフ11にあるとおり、これはこの本の著者ニーファイが、約600年後にキリストが降臨することをイザヤ書を引用して説明していたんです。2ニフ11:2「さて私ニーファイは心にイザヤの言葉を喜び楽しむから、もっとその言葉を書き誌そう。」というわけですね。でも「喜び楽しむ」にしては明日読む次章ではおどろきの展開になるんですけど、まあそれは明日にしましょうか。

[224] シラ書11章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/21(火) 11:04:11 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=dsr&chapter=11&mode=0
 昨年度の記事は[0:784]
 今日のところはすぐにでも使えることわざに満ち溢れてますね。3節の「蜂は羽根のあるものの中で一番小さいが、作る蜜は最高に甘い」。7-8節「よく調べないうちに非難するな。まずはじっくりと考えて、それからとがめよ。最後まで聞かないうちに答えるな。人の話に割り込むな。」、23-24節「自分なんか何の役にも立たない。この先どんな幸運もめぐってこない、と言うな。/自分は一人で何でもできる。この先どんな不運もめぐってこない、と言うな。」など、いろいろ気に入ったものがあるんですけど、結局は、
  14節「わざわいも幸福も、生も死も、貧しさも豊かさも、主が与えてくださるもの」
につきるんですね。だから幸運も必ずめぐってくるし、不運も必ずめぐってくるんです。永遠の幸運もないし、永遠の不運もない。克服できない試練はないんです。

[223] サム上1-5章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/21(火) 10:56:20 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1sa&chapter=1&mode=0
 昨年度の記事は[0:511]
 サムエル記とありますが、サムエルは狂言回しの役しかしません。ちょうどいまNHKでやってる大河ドラマ「平清盛」は、源頼朝がナレーションをしていますが、だからというのでタイトルを「源頼朝」にするようなものです。「サウル・ダビデ記」と読み変えることにしましょう。
 昨年度と重複しますが、まずはあらすじを追って、それから自由なコメントを書くことにします。
 エフライム人エルカナの2人の妻のうちの1人ハンナには子がありませんでしたが、彼女が熱心に祈ったので子をさずかり、サムエルと名づけられます(ちなみにその後あと男児3女児2を生みます)。
 サムエルは幼いころから祭司エリのところで祭司見習いのようなことをしていました。そのサムエルに神様は話しかけます。最初は老いたエリが呼んだのかと思ったら実は神様だったというのです。神様が臨まれたというのでサムエルは預言者だという評判が全イスラエルに広まります。
 そのころイスラエルはシロでペリシテ人と戦いますが大敗し、神の契約の箱も奪われてしまいます。ペリシテ人は箱をアシドド(ちゃんと地図を見ましょうね http://www.babelbible.net/map/map.cgi を使うのよ。図3のB-3→A-4へ移ったのよ)に移りますが、神の契約の箱は、運ばれた先々(アシドドの次はエクロン。アシドドよりちょっと北)で人々にたたります。
 神の契約の箱は移動式原発だったのかしら。ちゃんと手入れをしないので核燃料がメルトダウンして放射能をまきちらしたんでしょう。
 ペリシテ人というのはクレタ島方面から移ってきた非セム族の民で、高度な文明と鉄の武器を持っていて、こういう人々に対抗するためにはよほど強い王国を築かねばなりません。部族連合みたいな体制じゃダメなんですね。これが、この時代にイスラエルが王制に移行した理由です。ちなみにパレスチナというのはもともとペリシテ人の地という意味ですが、いまのパレスチナ人はアラブつまりセム族ですから全然関係ありません。
 さて、1章にあるとおりハンナには子がなかったんですが、 サム上1:6の「また彼女を憎んでいる他の妻は、ひどく彼女を悩まして、主がその胎を閉ざされたことを恨ませようとした」っていうのはなかなか味わい深い表現ですね。「他の妻」ってペニンナしかいないじゃありませんか! なんかねちねちどろどろとした事情がありそうな表現です。まあいずれにせよ、子を作れない女っていうのはいじめられるのよ、いじめられなくても肩身が狭いのよ。源氏物語でいえば紫の上みたいなもんです。物語のヒロインなのに、拾われてきた子だし、子も作れないので、結局不幸な死に方をするんです。
 私も子を作れません。主人は「もういいよ、ずっと二人だけで生きていこう」っていうんですけどね。

[222] 2ニフ23章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/20(月) 09:38:29 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ne&chapter=23&mode=0
 まだまだ続くイザヤ書引用。今日は13章です。バビロンの滅亡寸前の苦難が予言されています。

[221] 詩歌11章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/20(月) 09:35:13 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=ode&chapter=11&mode=0
 イザ38:10-20の「ヒゼキヤの祈り」です。今年の[148]、また昨年の[0:466][0:768]もごらんください。
 ヒゼキヤ(BC715-687)は南の王の名、ただこのときはもう南しかありません。
http://www.babelbible.net/mariko/bib.cgi?doc=kings&course=bib
 彼が重病に苦しんだときに祈ったのがこれで、王下20によればこの祈りによって神様が助けてくださり、寿命を15年も伸ばしてくださったのです。もっとも、ホントに治るのかどうか疑わしかったので、ヒゼキヤは預言者イザヤに、ちゃんと証拠を見せろとせがみます。このとき日時計の影が十度戻るという奇跡が起こり、ほら、ちゃんと神様の意志があるでしょというオマケもつきます。

[220] 創世記40-43章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/20(月) 09:23:17 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=gen&chapter=40&mode=0
 昨年度の記事は[0:510]
 前回([199])からヨセフ物語が始まっています。前回と今回の分のあらすじをまとめると……
 ヨセフは夢占いの才能があるのですが、その結果(自分が兄たちを支配する)を得意げに兄たちにしゃべるというデリカシーのなさもあり、兄たちに殺されかかります。なんだかんだあって、ヨセフは殺されることなく、なんだかんだあって、ミデアンびとの隊商に売られてエジプトに行ってしまいます。この二つの「なんだかんだ」については後述します。
 エジプトでヨセフは侍従長のポテパル(ポティファル)に売られますが、この家でヨセフは才覚をあらわし、財産から何から管理をまかせられるほどになります。ところが奥方からの誘惑を拒み、逆に奥方に「こいつがエッチなことをしようとした」とウソをつかれて牢獄に入ります。
 ここからが今日の話。牢獄でヨセフは王の給仕役と料理役の夢判断をします。それから二年後、王がヘンな夢を見ますが誰もその謎を解けません。このとき給仕役がヨセフのことを王に紹介し、ヨセフは王の夢を、大ききんの前兆と解釈。そしてヨセフはエジプトの宰相になり、ききん対策として食糧の備蓄と管理を仰せつかります。
 ついでにヨセフはオンの祭司ポテペラ(ポティ・フェラ)の娘アセナテを妻にむかえ、マナセとエフライムを生みます。イスラエル十二部族はヤコブ(イスラエル)の十二人の子の名から来てますが、祭司職のレビ族は除かれます。そのかわりヨセフ族となるべきものを二分割、具体的にはヨセフの二人の子、マナセ、エフライムが部族名となっています。ということはマナセ族とエフライム族は、御先祖の段階ですでにエジプト人と混血だったということになります。まあ他の部族も純粋なイスラエルの民なんて一つもないでしょうけどね。
 さて、食糧の備蓄をしていたエジプトはききんがきても平気でしたが、周辺諸国は大変。各地の人が食糧を買いにエジプトに来ます。ヤコブ一家も例外ではありません。エジプトに食糧を買いに来てヨセフと再会。ヨセフはすぐに兄たちだとわかりますが兄たちは気づきません。そこでヨセフはすぐに名乗ることなく、ここからしばらく、ねちねちと兄たちをいじめにかかります。


 さて、前回はタマルの話をしたのでできませんでしたが、上記「なんだかんだあって」のところは話がヘンなのです。
 1.イシマエル人に売るはずが、ミデアン人が出てくる(創37:28)。いったいどっちなの?
 2.ヨセフが商人に売られたことを、提案者のユダおよび兄弟たちはみんな知っている(創37:26)はずなのに、ルベン(レウベン)は知らず、穴の中にいないといって嘆く(創37:29-30)。ルベンだけ不在で知らなかったと解釈しても、ルベンが嘆いたときに「兄さん、実はね…」と言えばいいじゃない!

 新共同訳ではこのあたりのつじつまあわせをしています。具体的には 創37:28を「ところが、その間にミディアン人の商人たちが通りかかって、ヨセフを穴から引き上げ、銀二十枚でイシュマエル人に売ったので、彼らはヨセフをエジプトに連れて行ってしまった。」のように訳して、
 2.「その間に」つまりルベンはおろかユダその他もいない間にこのことが行われてしまった。
 1.穴からひきあげたのはミデアン人。そしてミデアン人がイシマエル人に売った。
のように解決をはかっています。まあ、そうとればいいんでしょうね。たぶんここは、物語のさまざまな伝承をまとめる過程で混乱があり、それがそのまま残っちゃったのでしょう。

[219] 2ニフ22章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/19(日) 03:23:55 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ne&chapter=22&mode=0
 異教コース、日曜日から木曜日まではモルモン経を、金曜日と土曜日はクルアーンを読んでいます。日曜日にはいままでのおさらいとしてあらすじをまとめていますけど、このところニーファイ第二書はイザヤ書の引用ばっかりで話が先にすすみません。25章、つまり今週水曜日になってはじめて新たな展開になります。よって、いままでのあらすじは水曜日に書くことにします。
 そんなわけで今日もイザヤ書そのまんま。今日は12章ですね。
 非常に短いんですが、一つ気になるところ。
 2ニフ22:2、イザヤ書でいえばイザ12:2ですけど、エホバという名が出てきますね。今のモルモン教会は新しい95年版を使っていますが、そちらでもそうです。
 じゃモルモン経でエホバという語はがんがん出てくるかというと、こことあとはモロ10:34にしか出てきません。イザヤ書をばんばん引用しているニーファイ第二書も、ここだけエホバで、あとは主と訳してます。
 ではここだけなぜエホバと訳しているかというと、原文(イザヤ書のです)が、ヤハ・ヤハウェとなっているからです。ヤハというのはヤハウェの短縮形ですから、同じ名前がだぶっているわけです。聖書の翻訳ではヤハウェというところを「主」と変えるしきたりがありますが、それだとここは「主なる主」になってしまってよろしくない。「主なる神」(新共同訳や口語訳はそうします)と訳すのも、ヤハウェを神と訳してるようでヘン。そんなわけでニーファイ第二書のほうでは、「主なるエホバ」のようにしているのです。これはKJVがそうなんですね。ヤハウェをLORD(全部大文字)と訳すKJVも、ここはLOAD JEHOVAHとしています。

[218] 3イミ10章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/19(日) 03:21:04 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=3ic&chapter=10&mode=0
 「3イミってなんだ?」という人が出てくるといけないので、時々は解説しなきゃダメですね。
 外典コースはLXXやヴルガタに収録された外典を読んでいくんですが、それだと日数が余ってしまうので、土曜日と日曜日は『キリストにならいて』(イミタチオ・クリスチ)という本を読んでいます。聖書と並んでよく読まれている中世の修道書。全部で4巻ありますが、それを1イミ、2イミ、3イミ、4イミとして、1章ずつ読んでいきます。
 さて3イミことイミタチオ第3巻は、信徒とキリストとの対話という形式になっていますが、今日読む10章はすべて信徒のセリフです。神に仕える喜びを高らかにうたいあげています。とるにたりない私が神に選ばれて神に仕える生活に入ることを許され(修道士の生活なんて誰にもできることじゃありません)、しかも神はこちらがすること以上の恵みをくださるのだ、それが神に仕える喜びだというのです。

[217] 1コリ3-4章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/19(日) 03:19:00 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1co&chapter=3&mode=0
 昨年度の記事は[0:508]
 前回([196])書いたように、パウロの伝道した教会にも別の宣教師がやってきて違うことを言うので信徒が混乱し、分派対立が生じています。今日の部分もそういう分派対立へのいましめです。
 パウロだのアポロだのペテロ(ケパ)だの、人間は単に人を信仰に導くことしかしません。だから人を絶対と思うのでなく、神とキリストを大切に思えということです。これを、植物の成長の話や建築の話にたとえています。人間は種をまいたり水をやったりするだけで、成長させる働きは神のものだというのです。また、建物の土台がイエス・キリストであり、その上に人間が建物を建てるのだと言ってます。

[216] クルアーン20回 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/18(土) 10:44:22 コメントする ここから閲覧

 クル-20回。4章118-147節。
 4章冒頭クル4:3に、女は4人までめとっていいけど平等に愛せって言っときながら、クル4:129「あなたがたがどれほど努力しても、妻たちを平等に扱うことはできないだろう。」ってそりゃないじゃんって思います。こういうところがクルアーンの正直さというかなんというか、最低限「放置しちゃいけない」という歯止めをつけるのを忘れません。

[215] 1イミ10章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/18(土) 10:37:15 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ic&chapter=10&mode=0
 何も付け加えることはありません。修道生活に騒ぎは禁物。人との会話も最低限度、徳を高める話題に限りましょう。

[214] マタイ26-28章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/18(土) 10:29:06 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mat&chapter=26&mode=0
 昨年度の記事は[0:507]
 今日でマタイは最後。バッハのマタイ受難曲は、26-27章を音楽化したものです。今月末にライプツィヒ・ゲヴァントハウス(マタイの再演者メンデルスゾーンゆかりのオケ)と聖トーマス教会合唱団(マタイ初演時の合唱団)の公演があるんですが、まだ席に余裕があるみたいですね。ぜひどうぞ。
http://ja-chorus.seesaa.net/
 ところで、受難曲は聖金曜日に上演されるのでイエスの復活シーンはありません。復活シーンを音楽化したのは「復活祭オラトリオ」で、バッハも曲を書いてますけど、いまいち面白くないんですよね。それは元を見ればさもありなんという感じ。だった復活してからのイエス様の話って、四福音書ともあんまり面白くない。なーんかぼんやりして、生きてるんだか死んでるんだかゾンビなんだかわかんない形で復活して、結局40日間しか地上にいられなかったんですからね。ウルトラマンの3分よりは長いですけど、復活がこんな感じなら、あんまりありがたくないわ。
 ただ、そのつまらない話でも、マタイは一生懸命、宗教的意味のあることを書こうとしてます。
 たとえばマタ28:19の「すべての国民を弟子として」っていうのは、当たり前じゃんというので読み過ごしがちですけど、マタ10:5-6の「異邦人の道に行くな。またサマリヤ人の町にはいるな。むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところに行け。」よりは格段の進歩ですね。最初はイスラエル限定だった(なにしろ冒頭には長々とユダヤ人受けする系図まで載せてる)のが、最後にはすべての国民対象になったわけです。そういう変化がマタイ全体には見られます。
 おそらくマタイの教会は、最初はユダヤ人に布教していたのが、うまくいかないんでキレてしまい、もうユダヤ人なんかダメ、全世界の人に宣教するんだってことになったんでしょうね。上の2つの間に、マタ27:24-25「(イエスの)血の責任は、われわれ(=ユダヤ人)とわれわれの子孫の上にかかってもよい」という、ユダヤ人への憎しみを露骨に書いた文があることを忘れてはいけません。
 それから、マタ28:20の「見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」という結びは、「いつもあなたがたと共にいる」がインマヌエルです。冒頭章 マタ1:23でイザヤ書を引用して「その名はインマヌエルと呼ばれるであろう。これは、神われらと共にいますという意味である。」に対応しているのです。名前自体はインマヌエルでなくイエス(ヘブライ語だとヨシュア)になっちゃいましたけど、内容的にインマヌエルなんだと強弁しているんです。

[213] クルアーン19回 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/17(金) 11:49:35 コメントする ここから閲覧

 クル-19回。4章88-117節。
 自殺はダメよというのがクル4:97-99にあります。キリスト教が自殺を罪悪視して、ちょっと前なら葬式も出せなかったのは有名ですが、イスラム教でも自殺はダメなんですね。そりゃそうよね。でもクル4:97の書き方は具体的で勇気を与えてくれます。行き詰まったらどっかへ逃げろっていうわけですね。死ぬくらいなら、何もかも捨てて逃げればいいっていうわけです。

[212] 知恵の書10章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/17(金) 11:44:17 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=wis&chapter=10&mode=0
 昨年度の記事は[0:703]
 ここからしばらくはイスラエルの歴史が続きますが、神と書くべきところを知恵と書いているのが特徴です。前回([191])書いたように、神様が本来持っていたさまざまな特徴のうち、男性のイメージとしてとらえられた神様のイメージからこぼれ落ちてしまった特徴を「知恵」という形で結実されているんだと思います。

[211] イザヤ書51-55章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/17(金) 11:39:39 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=isa&chapter=51&mode=0
 昨年度の記事は[0:504]
 やっぱりこの部分は、「苦難の僕」を書くしかないかしら。
 53章の苦難の僕は、別にイエス様のことととる必要はなく、一般的に他人の罪を背負って犠牲になる人の姿ととっていいと昨年書きました。もちろん、一般的に他人の罪を背負って犠牲になる人だってことは、その代表であるイエス様ととってもいいんですけどね。
 じゃもともとは誰のことを想定していたんだろうと思うんですけど、その次の54章を読むと、イスラエルの民が栄えることが書かれているので、イスラエルの民全体がそうだと言ってるんじゃないでしょうか。神に選ばれたはずのイスラエルの民がなんでバビロン捕囚のような苦しみにあうのか、それは全人類の代表として、人々の罪を背負って苦しめられているのだ、と言っているようです。

[210] 2ニフ21章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/16(木) 10:02:54 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ne&chapter=21&mode=0
 まだまだ続くイザヤ書引用。今日は11章です。エッサイの幹っていうのはダビデの家系ということ。ダビデのお父さんの名前がエッサイですから。だからここも、救い主メシアがダビデの家系から出るという予言とされ、そんなわけでイエスがダビデの家系だということをマタイやルカは捏造しなきゃいけなくなったわけです。