[ばべるばいぶる]

真理子の聖書日記


このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
真理子修道会の修道女/修道士の方のみ書き込むことができます。

掲示板運営方針(必読)


twilog
お名前 :
メールアドレス :
題名 :
内容 :
修道会ID :
修道会パスワード :
    再表示  初期表示(最新投稿から30件ずつ)


検索語 :
検索語[] ヒット数476

[191] 知恵の書9章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/10(金) 10:45:03 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=wis&chapter=9&mode=0
 昨年度の記事は[0:696]
 神殿を作れという話が出てくるので、ここでこの話の語り手がソロモンであるということがわかります。もっとも新共同訳(および当サイトの標準の言い方)では「知恵の書」と呼ぶこの本は、翻訳によっては「ソロモンの知恵(の書)」なんて言ったりしますから、最初からソロモン作ってバレバレなのかもしれませんけどね。
 知恵の書とかシラ書とか箴言とかいういわゆる知恵文学では、知恵というのを神様の与えた力とし、文脈によってはどうかすると神様そのものなんじゃないかというところさえあります。もともとヤハウェはイスラエルのローカルな神なので、神様の啓示というのは本来はイスラエルの民専用です。知恵というのは、そういうイスラエル限定の神様の働きをもっと一般化したものと思えばいいでしょう。ヘレニズムの時代になって、ユダヤ人がいろんなところに移住するようになるにつれて、ギリシア文化の知恵と習合した結果といえるでしょう。また、本来のヤハウェくんは男性的なイメージばかりか女性的なイメージもあり、それが知恵という形に結実したというところもあります。

[190] イザヤ書45-50章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/10(金) 10:18:41 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=isa&chapter=45&mode=0
 昨年度の記事は[0:490]
 48章までがクロス(キュロス。ペルシア帝国の王)の攻撃によるバビロンの陥落の予言です。もちろん実際にはバビロンの陥落以後に書かれたんでしょうけど、バビロンに捕囚されているユダヤ人たちに、ペルシアがカルデア(新バビロニア)を滅ぼして捕囚がまもなく終わるという希望を与える予言という体裁で書かれています。
 ベルとかネボ(イザ46:1)とかいうのはバビロニアの神の名前です。ベルについては外典で「ベルと竜」っていうのがありますね(ベル1)。

[189] 2ニフ16章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/09(木) 11:10:21 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ne&chapter=16&mode=0
 イザヤ書6章と同じ。イザヤが神と出会うシーンで、エゼキエル書冒頭と同じくこれもオカルトな人たちによって宇宙人だのUFOだのと言われているところですね。

[188] トビト記9章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/09(木) 11:08:17 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=tob&chapter=9&mode=0
 昨年度の記事は[0:405]
 たった6章しかありません。この旅のもう一つの目的である借金回収をラファエル(アザリヤというのはラファエルのかたった偽名です)に頼みます。

[187] ヨブ記17-18章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/09(木) 11:05:17 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=job&chapter=17&mode=0
 昨年度の記事は[0:489]
 第二ラウンドのヨブの反論の続き(17章)と、2番目の友人ビルダデの弁論(18章)。
 今年はただ一点、 ヨブ18:20「西の者は彼の日について驚き、東の者はおじ恐れる。」(口語訳)についてです。
 ほとんどの翻訳が「西/東」とする中で、

文語:之が日を見るにおいて後に來る者は駭(おど)ろき 先に出し者は怖(おぢ)おそれん
新共同:未来の人々は彼の運命に慄然とし、過去になった人々すら身の毛のよだつ思いをする。

と「未来/過去」と訳しているのが目をひきます。
 ヘブライ語の原文は
http://interlinearbible.org/job/18-20.htm
にあるとおりで、このインターリニアだとthe west/the eastとしちゃってますけど、実は未来/過去という意味もあり、うちのサイトのヘブライ語辞典
http://www.babelbible.net/davidson/davidson.cgi
では、Davidsonは西東、Geseniusは未来・過去と解釈しているのが面白いです。
 英語のほうでは
KJV:They that come after him shall be astonied at his day, as they that went before were affrighted.
RSV:They of the west are appalled at his day, and horror seizes them of the east.
のように、KJV(RVもASVも)が未来・過去なので、日本の文語訳はそれに従って「後に來る/先に出し」としたのでしょう。後にRSVから西・東になったので、口語訳聖書その他がみんなそれにならっちゃったんでしょうね。
 新共同訳はフラの影響を強く受けていますが、フラが西・東だというのが面白いです。ちなみに幻の共同訳は新約ばかりかヨブ記もあるんですが、もう未来・過去になってます。
 実は昔の訳ほど未来・過去なんですよね。たとえばLXXは、
ἐπ᾽ αὐτῷ ἐστέναξαν ἔσχατοι, πρώτους δὲ ἔσχεν θαῦμα.
でして、ἔσχατοςは「最後」ですし、πρώτοςは「最初」ですから西、東じゃないんです。
 またヴルガタは
in die eius stupebunt novissimi et primos invadet horror
でして、novissimusは「最新・最後」、primusは「最初」。だから光明社も「彼の後に来る・彼に先立つ」です。
 ちなみにバルバロは西・東ですから、バルバロがヴルガタを訳したもんだなんていう人は許しませんよ!
 20世紀になって、誰か(RSV?)が西/東としちゃうと、わわわわわわーっとみんなそれに従っちゃったんですけど、新共同訳は先祖返りをしちゃったんですかね。
 真理子は、未来・過去を支持します。西・東じゃ単に世界中という意味にしかなりませんけど、未来の人は、もう彼(=ヨブ)の悲惨な死を知ってるわけだから「驚き」、過去(っていうかヨブより先に死んじゃった人)は、たぶん悲惨な死を迎えるだろうと「恐れ」るんですよ。

 ちなみにリビングバイブルは「老人・子供」ですから未来・過去に似てますが違います。これは誤訳ですね。それから尾山さんの現代訳はまるきりシカトです。これはひどいわ。尾山さんの訳ってあらすじを書いたという感じで文学に対する畏敬の念が全然ない。

[186] 2ニフ15章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/08(水) 09:33:19 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ne&chapter=15&mode=0
 イザヤ書5章と同じです。
 有名なぶどう畑の歌。農夫は神様のたとえ、ぶどう畑はイスラエルのたとえで、神様がせっかく手をかけてイスラエルを守っているのに民はよくならないので滅ぼしてしまおうというわけです。
 民がよくならないというのは、いろいろ悪い人がいるからです。それを6種類あげて「禍である」といってます(8、11、19、20、21、22)。
 そして神様は外国に呼びかけて、イスラエルを攻めさせます。

[185] 1マカ9章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/08(水) 09:25:13 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ma&chapter=9&mode=0
 昨年度の記事は[0:571]
 デメトリオ(王です)はバッキデスとアルキモスに軍隊を指揮させてユダと戦います。ローマとの同盟も形ばかりだったようで、ユダは善戦もむなしく死んでしまいます。後継のヨナタンは果敢に戦い、戦争はこう着状態になります。エルサレムを占領しているアルキモスは神殿を破壊しようとしますが、神様の怒りにふれて難病にかかって死んでしまいます。
 ユダヤ人の側は決して一枚岩ではなく、バッキデスに内通する人がいて、バッキデスに戦いを懇願します。それに応じてバッキデスはヨナタンと戦いますが勝てません。結局バッキデスはヨナタンと和議を結んで引き上げます。

[184] 詩編24-26編 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/08(水) 09:13:58 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=psa&chapter=24&mode=0

 昨年度の記事は[0:486]

●詩編24編
 献堂式(教会が完成したとき)などに歌われる祈り。Q&A式のかけあいになっています。
 これは面白い動画がいっぱいありました。
 まずはヘブライ語の歌

(http://www.youtube.com/watch?v=3iybrZ7gU1c)
 変わったところでパンジャブ語(インド西北部とパキスタン。ロマ=ジプシー=の故郷です)。

(http://www.youtube.com/watch?v=taKfdtMEeWM)
 こんどはPrestonwood Choir & Orchestraというバプテスト派の歌。私はこういう派手派手なのは嫌いですが、バッハのカンタータなんかも当時はこんな感じに聞こえたんでしょうね。

(http://www.youtube.com/watch?v=-msrCjz5DuI)
 kinotoriさんの作品。なぜか木枯紋次郎。

(http://www.youtube.com/watch?v=EyBjsN6Y_TM)

●詩編25編
 困難にあったときの祈り。これはなぜかいいのがありませんでした。kinotoriさんの作品をごらんください。これは美空ひばりの「やわら」ですね。

(http://www.youtube.com/watch?v=yQLzQ3VoFG4)

●詩編26編
 神様を信頼して歩む祈り。
 ハイドンが曲をつけています。In Dulci Jubilo

(http://www.youtube.com/watch?v=ZTqYdm_TvtU)
 kinotoriさんの作品はなぜか韓国の伝統的な歌

(http://www.youtube.com/watch?v=lTp95XUfExw)

[183] 2ニフ14章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/07(火) 09:59:03 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ne&chapter=14&mode=0
 イザヤ書4章と同じです。
 前章の続きでエルサレムの滅亡(BC587)の話。生き残ったユダの民のことを書いてます。
 基本的にここは第一イザヤなんで、紀元前700年代に活躍した人ですから、こんなことは知らないはずなんですけど、これはイザヤが何でもお見通しの神様の言葉を預かっているからというんじゃなく、第一イザヤの中にもよく見ると後代の人の手が加えられているということなんでしょう。

[182] シラ書9章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/07(火) 09:54:07 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=9&mode=0
 昨年度の記事は[0:770]
 女に気をつけろということわざが並んでいます。何度読んでも大爆笑してしまうところです。
 でも今年はシラ9:10の「旧友を捨てるな。新しい友よりもはるかにましだ。新しい友なんて新しい酒と同じで、古くならなきゃおいしく飲めない」をとりあげましょう。たしかに友達づきあいは酒と同じで、古くなればなるほど熟成するものですからね。
 私はお酒が大好きですが、18年ものとか20年もののウィスキーなんて、自分の生きてきた20年間を回顧しながら飲みますもの。20年前といえば1992年。大学に入って、ずっと親しかったおじさんと死別して、いろいろ恋に生き、卒業と同時に結婚し、すぐ離婚し、仕事を転々としていろいろ辛酸をなめ、ちょっと小金が入るとすぐ海外旅行して使ってしまい、韓国の男優にはまって韓国映画を見るようになり、その兼ね合いで今の主人と知り合い……みたいなことを。
 そういえば私にはあんまり古くからの友達がいないです。住所や職場を転々としたものですから。

[181] 士師記17-21章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/07(火) 09:43:21 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jdg&chapter=17&mode=0
 昨年度の記事は[0:485]
 12人の士師の話は16章までで終わりで、17章からは士師は出てきません。
 そのかわり、何度も「イスラエルには王がなかった(のでめいめい自分勝手なことをやっていた)」という語句をリフレインさせながら、この時代のさまざまな陰惨なエピソードを紹介しています。
 このうち19章の、ベニヤミン族の人たちのレイプ事件は、創19に出てくるソドムの人々の行為ととても似ています。
 最近私は、山口里子さんの『虹は私たちの間に』(新教出版社)
http://www.shinkyo-pb.com/2008/07/27/post-984.php
を読んで深い感銘を受けました。聖書の中の、同性愛を断罪したとされる箇所を精密に検討した本です。よく、「聖書では同性愛を禁じている。根拠はレビ18:22…」など、聖書をふりかざして性的マイノリティーへの差別をする人がいます。私だったら「バーカ、お前は聖書男? 神殿で動物を献げてるのか? 自分の都合のいいときだけ聖書を引用する、聖書つまみ食いはやめましょう」と一喝しておしまいですし、それは正しい対処の仕方だと思っております。しかし山口さんの本のすばらしいところは、そういう聖書の箇所をヘブライ語やギリシャ語で精密に読み解き、実はそうした箇所が禁じているのは別のことなのだということを立証している点です。
 山口さんは、創世記19章でソドムの人たちがしているのは同性愛ではないんだ(その証拠にロトは娘を差し出そうとしている。同性愛者なら女には興味ないはずなのに)ということを、士師記19章と比較しながら論証しています。簡単に言ってしまえば、よそ者を征服し辱める行為なんですね。相手の妻や娘をレイプして、お前は自分の女もちゃんと守れないひ弱なつまらない奴なんだということを示すんです。

 ともあれ士師記は、おしまいに数々の陰惨なエピソードを紹介することで、イスラエルにはぜひ王が必要なんだということを強調しています。もともとヤハウェの宗教は、神の前には人間みんな平等で、王を拒否する傾向があるのですが、ダビデやソロモンの時代に王権の権威付けにヤハウェの宗教が利用されて以来、イスラエルの救い主はダビデの血統に属する強い王であるという歴史観が生まれます。イエス様をダビデの血統と強弁するのもそういう考えです。そういう王権の正当性を示す働きを士師記はしています。王がいないとこんなになっちゃうぞというわけです。

[180] 2ニフ13章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/06(月) 10:36:18 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ne&chapter=13&mode=0
 イザヤ書3章と同じ。
 エルサレムとユダの滅びを予言していますが、だからと言ってBC587年のユダ王国の滅亡を予言しているわけじゃありません(ひょっとしたらモルモン経のヤコブさん=いままさにイザヤ書を長々と引用して説教している人物=はそう解釈しているのかもしれませんが)。実際にはヨタムの治世
http://www.babelbible.net/mariko/bib.cgi?doc=kings&course=bib
を参照してください。北王国もまだ存在する時代で、アッシリアが北王国を攻撃して滅亡寸前になり、南もヤバいという状況の話です。実際にはエルサレムおよびユダ王国はあと150年ほど持ちこたえて、いままさにヤコブさんが説教しているあたりで滅んでいます。ヤコブさんたちは古代のアメリカに移住してますから確かめようがないと思いますけど。

[179] 詩歌9章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/06(月) 10:25:34 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=ode&chapter=9&mode=0
 ルカ1章に載ってるマリヤの祈り、いわゆるマニフィカトと、その直後に載ってるザカリヤの祈りの両方です。
 詩歌はLXX(七十人訳聖書。ギリシャ語訳旧約聖書)に入っているんですが、こんなふうに新約聖書から抜き出したものも入ってるんですね。ですからLXXっていうのはずいぶん後になって手が加えられているのです。

[178] 創世記32-35章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/06(月) 10:22:28 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=gen&book=rom&chapter=32&mode=0
 昨年度の記事は[0:484]
 地名がいっぱい出てきます。宣伝になりますが、Wikisourceにアップされている口語訳聖書時代の日本聖書協会の聖書地図を索引で引けるようにしました
http://www.babelbible.net/map/map.cgi
ので、ご活用ください。濁点や半濁点を無視したりしてあいまい検索につとめてますので、いい加減に入力しても検索できます。
 ヤコブが長く逗留していたパダンアラムはユーフラテス川上流、今のイラクでしたね。図1のD~E-2。そこからがどういうルートかは不明ですが、三日月状にダマスコ(ダマスカス)あたりを通って来たんでしょうか。
 32章のマハナイム-ヤボク川-ペニエル(ペヌエル)は図8のC-2にあります。ここらへん、みんな今はヨルダン領ですね。天使と会ったマハナイムは山の上、そこから山を下ってヤボク川(今のアルカー川)の渡しを越えます。神様とケンカしたペヌエルがヤボク川のほとりにありますね。その南の山の上にもペヌエルってありますけどこれは違うようです。
 そして久しぶりにエサウと再会、エサウはセイルに戻りますがこれは図8のB-3。エルサレムの西側の山。ヤコブが家を建てたスコテはヤボク川とヨルダン川にはさまれたところにあります。
 そして「妹をレイプされた。さあ復讐だ」という事件が起こるシケムはそこから真西。図8のB-2でサマリヤって書いてるあたりですね。
 そこを離れて祭壇を作ったのはルズ(ベテル)。シケムから真南に行って図8のB-3。エルサレムよりちょっと北方です。
 そこからさらにエルサレムを通り越してベツレヘム(エフラタ。図9のC-1)で12人目の息子ベニヤミンが生まれ、そして美女妻ラケルが死んで葬られました。
 長男ルベン(レウベン)が父の側女ビルハ(ラケルの侍女)と寝たミグダル・エダルは地図にありませんが、ベツレヘムからヘブロンに行く途中のどこかでしょう。ちなみにルベンはおブスなレアの子ですから、決して実母と寝たわけではないし、実母の侍女と寝たわけでもありません。おばさんの侍女だからちょっとは縁が遠いです。ちなみにこの件はここでは問題にならず創49:4で問題にされます。
 さらに南へ行ってキリアテ・アルバ、すなわちヘブロンのマムレに行きます。地図では図10のB-3なんですが図9にも当然入るはずなんで描いてくれてるとあちこち見ずにすんだのにって感じです。ヘブロンよりちょい北ですね。ここにイサクがいます。

 ちなみに現代の地図は、帝国書院から出てる「最新基本地図」というのが便利です。イスラエルがでっかく載ってますから。

[177] 2ニフ12章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/05(日) 09:47:34 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ne&chapter=12&mode=0
 ここからまたしばらくイザヤ書の引用が続きます。今日は2章で、終末の日に主が来ると、この世の人々の栄光は無になり、偶像は力を失う、そういう光景が描かれています。

[176] 3イミ8章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/05(日) 09:43:41 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=3ic&chapter=8&mode=0
 これも私が付け加えることはほとんどありません。著者が口をすっぱくして言ってる、自分を低めなさい、謙遜しなさいということです。自尊心を捨ててちりのように自分を思うことで、神の愛に抱かれるというのです。
 なお、この章全体が、ある信徒が神ないしキリストに呼びかけている形になっています。3章は信徒とキリストの対話か、でなければこういう形になっているものが多いです。

[175] ロマ書15-16章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/05(日) 09:40:54 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=rom&chapter=15&mode=0
 昨年度の記事は[0:482]
 ロマ書の最後に、この手紙の執筆事情が語られます。
 (これからエルサレムに行くという話があるので、たぶん)第三次宣教旅行の途中のコリント、ガイオの家で、テルテオ(ロマ16:23)に口述筆記させて書いています。教会内の対立によって東方ではもはや活躍の場がなくなったパウロはどんどん世界に宣教をしたい。さしあたりイスパニア(スペイン)への宣教を計画します。そしてその途中に、すでに出来ているローマの教会に立ち寄りたいと思ってこの手紙を書いているのです。でもその前に、マケドニヤとアカヤ(今のギリシア本土。アカヤはコリントを含む地方です)の人々の献金をエルサレムに届けなくちゃいけないというのでエルサレムに向かいます。このあたりの事情は使21に書いてありますが、エルサレムにはパウロに反対するユダヤ人が多数いるので行くのは非常に危険であり、実際使21:12のようにみんなからエルサレムには行くな行くなと反対されるんですが、パウロの決意は固く、エルサレムに向かいます。実際、エルサレムではユダヤ人に迫害されてローマ当局に二年間も身柄を拘束され、ローマの市民権を持っているので皇帝に上訴したいというのでローマに護送されます。その途中に船が難破するなど大変苦しい行程の果てに、パウロのローマ行きは実現。イスパニアに行くことはなく終わります。
 なお、ローマの教会というとヴァチカンのイメージからずいぶん立派なところという気がしますが、この時代のローマの教会はスラム街にある個人宅を利用した集会だったらしいです。

[174] クルアーン16回 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/04(土) 09:46:57 コメントする ここから閲覧

 クル-16回。3章196節-4章23節。
 4章は「婦人」「女人」などと訳されていますが、私はシンプルに「女」で行きます。
 冒頭のほうクル4:3は、イスラム教徒の男が4人まで妻を持てるという根拠になっていますが、ここはずっと孤児のケアの話で来ているので、一般的な結婚の規定というのとはちょっと違う気がします。つまり、男性中心の社会では孤児をかかえた女性が一人で生活することができないので、男性が妻として援助してあげなきゃいけない。戦争などで男性が少なくなったら、複数の女性を妻にしてあげないと女性が余っちゃうってことですからね。
 そういう当時の特殊な状況できまった規定が、聖典に書かれてしまったために一人歩きして、社会が変化しても残ってしまったのでしょう。
 同様に、4:11-12の女性の相続配分、男性に比べて少なくて、ちょっとひどい気がしますが、なまじ聖典に書かれちゃってるので変更できない。
 こういう具体的な決まりというのは、ヘンに聖典に書かないほうがいいですね。クルアーンはこういう具体的なことまで決めているのでわかりやすいんですけど、その後の社会の変化に対応できなくなっている気がします。

[173] 1イミ8章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/04(土) 09:40:09 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ic&chapter=8&mode=0
 短いけど(短いがゆえに)鋭い言葉で、私がつけくわえることは何もありません。
 しいていえば、「人と付き合うな」について。イミタチオの著者は修道士ですからホントに「人と付き合うな」という意味で言ったのかもしれませんが、世俗の日常生活を生きる私たちは、人と付き合わないわけにもいきません。会うなとか話をするなとかいうんじゃなくて、「人との付き合いを第一に考えるな」という理解をすればいいと思います。つまり、人との付き合いのために浪費をしてしまうとか、教会でお祈りをしなくなってしまうとか、ふしだらな生活をしてしまうとか言うんじゃなくて、神を求める生活に支障がない範囲で人と付き合えと読めばいいでしょう。

[172] マタイ20-22章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/04(土) 09:31:41 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mat&chapter=20&mode=0
 昨年度の記事は[0:480]
 いろいろ書きたいことはあるんですが、今年はマタ22:45の「このように、ダビデ自身がキリストを主と呼んでいるなら、キリストはどうしてダビデの子であろうか」をとりあげましょうか。
 4つの福音書のなかでもマタイは一番ユダヤ教的色彩の強い福音書で、なにしろ冒頭には「アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図」なんてあります。これと決定的に自己矛盾してる気がするんですけどね。
 実は、これがマタイ福音書の特徴。だんだん後半になるにつれて、ユダヤ教的だった内容が非ユダヤ教的になり、最後のほうマタ27:25ではついに、イエスの死の責任をユダヤ人とその子孫全員におっかぶせるまでに至ります。
 上村静先生は『旧約聖書と新約聖書』(新教出版社)の中で、マタイ福音書を書いた教会(福音書はみんな、それぞれの教会が自己の立場に都合のいいことを集団で編集したのです)が、ユダヤ人への宣教をめざしたのにそれに失敗したので、ユダヤ人のみならず全世界への宣教をめざすようになった。そこで、当初のユダヤ教的色彩が後半でうすれていったのだとしています。
 今日の場面のマタ22:1-10の結婚の宴会の話はまさにこのこと、来ようとしなかった人たちというのはユダヤ人であり、だれかれかまわずというのは異邦人なんです。当初はマタ10:5のように、「異邦人の道に行くな。またサマリヤ人の町にはいるな」、つまりユダヤ人のみでサマリヤ人も排除していたのが、マタ28:19「すべての国民を弟子として」に変わっちゃってますよね。
 イエスがキリスト(メシア)だというのはいろんな意味があり、ユダヤ人は「政治的救済者」でありそれゆえ「ダビデの子孫のはず」と考えたので、ガリラヤのナザレで生まれたイエスを何とかダビデゆかりのベツレヘムで生まれたことにするためヘンな神話(マタイは「ホントはベツレヘムで生まれたのだが、迫害によってエジプト経由でナザレに逃げた」、ルカは「たまたま人口調査のためベツレヘムに旅行中だった」)を捏造までしたのですが、22章あたりに来ると、ダビデの子というのはどーでもよくなっちゃったみたいですね。

[171] クルアーン15回 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/03(金) 11:35:02 コメントする ここから閲覧

 クル-15回。3章171-195節。
 前の部分に引き続き、神の道に戦った人に大きな報いがあることを述べています。例によって戦争の話は、日常生活で起こるさまざまなトラブルや苦労と読み変えましょう。
 サタンを恐れず神様を恐れよというのは、こわい敵(トラブルの相手)を恐れるなと読みましょう。
 どんな困難があっても神様を信じて突き進めば道が開けます。真に恐れねばならないのは人ではなく神様です。人を恐れるのではなく、間違ったことをせずに常に正攻法で進みましょう。それが「神を恐れよ」ということだと思います。

[170] 知恵の書8章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/03(金) 11:28:17 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=wis&chapter=8&mode=0
 昨年度の記事は[0:690]
 「知恵と結婚する」という表現の話は昨年しちゃいましたね。
 今回はあんまり本筋と関係なさそうですけど、知8:19-20でいきましょう。
「わたしは生まれがよかったので、よい魂にめぐり合えた。いや、よい魂だったから生まれがよかったというべきか。」
 ここが私にとって読み捨てならないのは、私のかねがね主張する「キリスト教輪廻説」の根拠になりそうだからです。だって、「よい魂だった」(前世)から「よい生まれになった」(来世)んでしょ?
 私の考えでは、人は死ぬと即時に審判を受け、合格するとまた人間の生をスタートできます。これが「神の国」です。神の国はこの世です。だってこの世は神の支配を受けてるんでしょ?
 そして、グレードの高い合格をした人は幸福な環境に生まれ、ぎりぎりで合格した人は苦労する環境に生まれます。ただ、それは出発点の話であって、一般的に幸福と思われる環境に生まれた人でも不幸になることは十分ありえますし、逆も真なり。

 こういう考え方が正統的なキリスト教の考え方でないことは百も承知ですが、昔の人が昔の感覚で表現した「歴史に介入する神」「神のみことばとしての聖書」「イエス・キリストの復活」などという神話をそのまま信じるのはばからしいことです。だって現代人はこれらのことをそのまま信ずることができなくなっているじゃありませんか。それなのに昔の人の言うとおりに信じようとするのは無理です。むしろ現代人のわれわれが魂の救いと希望を見出せるような形で昔の神話を解釈しなおして、それを信じるようにすればいいんです。
 昔の人の神学を研究するのもそれはそれで面白いことですが、むしろ私は、自分なりの新しい神学を作りたいです。

[169] イザヤ書40-44章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/03(金) 10:59:25 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=isa&chapter=40&mode=0
 昨年度の記事は[0:478]
 ここから55章までは第二イザヤ。昨年も書きましたが、40-55という数字を覚えておくと、この前つまり1-39が第一イザヤ、この後つまり56-66が第三イザヤだってわかるので便利です。え、66っていうのはどうやって覚えるかって? 「イザヤ書は旧新約聖書66書の中で一番章数が多い」と覚えるのです。え、詩編のほうが150編だから多いって? あれは「編」でしょ? と強弁してしまう私。
 40-55はどうやって覚えましょうか。新しい世(4)は(0)来い(5)来い(5)、でいきましょうか。
 第二イザヤは40-48章が捕囚解放前、49-55章が解放後という大きな二部構成になっています。
 なお、福音派さんはイザヤ複数説を認めないので、福音派御用達の『新聖書注解』もイザヤ1人説になっていますが、ちゃんと40章のところを読むと、複数説も紹介しています。こういうところが『新聖書注解』のいいところ。福音派嫌いの真理子も一目置いているんです。ちゃんと一般の説も紹介しているので、お立場上で聖書無謬説を書いているところをシカトすれば、立派に使える注解書になるんですね。

 昨年は最初(40章)をとりあげたので、今年は43章。
 ヤコブというのはイスラエルと同じ。この点は創世記でもうおなじみですね。ヤコブが神と戦ったのでイスラエル(神と戦う者)という名前にしろと神様から言われたんです。
 だから何回か出てくる「ヤコブよ~、イスラエルよ~」っていうのは、同じ語の繰り返しを避けて変化をつける文学的技巧です。
 そんなわけでここはイスラエルの民に呼びかけているんですけど、前章までイスラエルの民のかたくなさを非難していたのがうってかわって、神様はイスラエルの民をあがなった(罪を帳消しにして救った)と言っています。神様はイスラエルの民を選び出し、エジプトから導き出したんですが、そういう昔のことはもう忘れて、第二の出エジプト、つまり捕囚からの解放があるぞ、と言っています。

[168] 2ニフ11章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/02(木) 10:18:34 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ne&chapter=11&mode=0
 次章からまたまたイザヤ書の引用が続くんですが、これは語り手のニーファイの趣向のようです。つまり弟ヤコブの見た神様の啓示や、自分の見た啓示だけでなく、イザヤ書を引用することによって、「われは三人の証言をもってわが言葉を確かめん」という神様の言葉にかなうというのでしょう。序文にも「三人の見証者の証言」({ibm:3)というのがありましたし、2ニフ27:13-14イテ5:2にあるように、「三人の証言」というのが大事みたいです。

[167] トビト記8章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/02(木) 10:11:59 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=tob&chapter=8&mode=0
 昨年度の記事は[0:403]
 いよいよ新婚初夜。トビヤはラファエルに教えられたとおりに魚の肝臓と心臓を使って悪魔を退治します。
 ところでこの悪魔は上エジプトのほうに逃げたとあるので(新共同訳ではただのエジプト。真理子は土岐健治先生の解釈にしたがってΑἰγύπτοςを上エジプトとしましたが、別に下エジプトと対比されているわけではありません)、エジプトを悪魔の住み家のようにとらえているわけです。後にユダヤ人はエジプトのアレクサンドリアにいっぱい住んでコミュニティを作り、七十人訳もそういう中で訳されるんですが、エジプトに住んでいる人がエジプトを悪くいうのはおかしいので、この話自体はヘレニズム時代より前に出来たのではと推測される根拠になっています。
 さて、二人はエッチの前にお祈りをします。それが トビ8:5-8です。数日前にTwitterで、「クリスチャンは食事の前に祈るけどエッチの前に祈るのかしら」とツィートしたのはここをふまえています。まあ人それぞれでしょうし、普通は祈らないと思うんですけど、昨日主人とのエッチのときにふざけてこの祈りをやってみたら、けっこう萌えました。むらむらしました。セックスのときに大まじめに祈るとかえってエロさを強調させるようです。今後もときどきやってみます。

[166] ヨブ記15-16章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/02(木) 09:56:56 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=job&chapter=15&mode=0
 昨年度の記事は[0:477]
 第二ラウンドの開始です。
 テマン人エリパズ(エリファズ)の弁論(15章)とヨブの反論(16章)。反論は次章に続きます。
 前にも言いましたがテマンというのはどこかよくわかりません。
 昨日ふと思い立って、Wikisourceにアップされている日本聖書協会の1956年版聖書地図を、索引を電子化してひけるようにしてみました。以後は地名が出てきたらこれを見てください。
http://www.babelbible.net/map/map.cgi
 でも、テマンは載ってません。韓国語だとテマンは台湾(대만)になりますが微妙に発音が違います(本当のテマンは데만)。

 さて、エリパズはヨブを、神を恐れることを識らない罪人であると決めつけて、第一ラウンドと同じような主張を繰り返します。たとえばヨブ15:14-15「人はいかなる者か、どうしてこれは清くありえよう。女から生れた者は、どうして正しくありえよう。見よ、神はその聖なる者にすら信を置かれない、もろもろの天も彼の目には清くない。」は、ヨブ4:17-18「人は神の前に正しくありえようか。人はその造り主の前に清くありえようか。見よ、彼はそのしもべをさえ頼みとせず、その天使をも誤れる者とみなされる。」とほとんど同じです。同じような主張を繰り返されたのでは、ヨブのいらいらはつのるばかりでしょう。
 ちなみに、ヨブ15:33の「ぶどうの木」「オリーブの木」というのは、実を隔年ごとに成らせるために、成らせない年には農夫がわざと実(花)を落とすんだそうです。落とされる実(花)にとってはたまったものではありませんが、農夫の計画によって落とされる。そんなふうに、義人が不幸になるのも神の秘められた計画なのだと言いたいのでしょう。

[165] 2ニフ10章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/01(水) 10:55:24 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ne&chapter=10&mode=0
 翌朝になってヤコブは説教を続けます。
 ヤコブは将来(現在はBC559です)キリストが罪深いユダヤ人の中に生まれると予言します。そしてユダヤ人はキリストを十字架にかけ、その罪によってユダヤ人は万国に散らされます。しかしさらに将来、彼らがキリストを信ずるようになると、異邦人の王たちが彼らを助けて故国にもどり、そのときには故国シオンに対して戦う者がみな滅びる、と予言します。
 モルモン経が書かれた19世紀にはまだイスラエルが存在せず、ユダヤ人は世界各国に散らされて住んでいたことを頭にいれて読むと、これはJスミスJr自身にとっての未来を予言していることになります。この予言が当たったかどうかは解釈のわかれるところで、イスラエルが建国された点では当たっているにせよ、別にユダヤ人がキリスト教徒になったわけではないし、???というところです。
 が、モルモンに限らずキリスト教徒、特にアメリカ人がユダヤ人のことを論ずるとき、聖書の主人公としてユダヤ人をとらえるので、どこか「全人類の代表」として話すところがあります。つまり、単にユダヤ人が故国に戻るというのではなく、キリストを信ずる者は誰も救われて神の国に行き、キリストを信ずる者に対して攻撃する者はみな滅ぶ、という意味で、ユダヤ人うんぬんと言っているのでしょう。

[164] 1マカ8章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/01(水) 10:33:53 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ma&chapter=8&mode=0
 昨年度の記事は[0:569]
 新興勢力であるローマがのびてきて、スペインの金銀の鉱山をも手に入れて力をつけてきました。この時代はスキピオとハンニバルの活躍した第二次ポエニ戦争の50年ほど後、カルタゴが完全に滅ぶ第三次ポエニ戦争よりはちょっと前です。
 ローマは共和制。もともと共和制だったギリシアもいまは王制で、しかもひどい王様が多いですから、ユダは新鮮さを感じたのか、ローマと同盟をして戦おうとします。

[163] 詩編21-23編 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/01(水) 10:21:02 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=psa&chapter=21&mode=0
 昨年度の記事は[0:475]

●21編
 神様は王を助け、王は神様を信頼し、敵は滅んで国は治まるという詩。こういう神が王を助ける詩も詩編には少なからずあります。ダビデの詩って必ずしもダビデが作ったわけではありませんが、たぶんダビデ王の時代にダビデ王を賛美する意図で作られたんでしょう。二言目には首領様将軍様と歌う北朝鮮のポップスと同じです。
 もともとヤハウェの宗教は反権力的というか、神の前にはみんな平等なので祭司職は作っても王を作らないという伝統がありましたが、ダビデ王の時代になって王権に正統性を与えて強化するのにこの宗教を利用したので、以後は王権を正当化する形でユダヤ教が形成されていきました。王は神の子とされ、よって王国が滅んでも来るべき救い主「神の子」がダビデ王の血統から出ると言われるほどになったのです。
 さて、スウェーデンで2009年に『詩編21』というホラー映画ができたらしく、Youtubeにはその関係の動画がいっぱいあるのですが、ホンモノの詩編21の音楽は面白いのがありません。そこでここではまず広東語の朗読、

(http://www.youtube.com/watch?v=ZzVsk3XFm8M)
 次にいつものkinotoriさんの作品

(http://www.youtube.com/watch?v=G9boI23yKgg)

●22編
 イエス様も十字架上でつぶやいたという有名な詩。冒頭のみならず主人公の苦しみのさまが十字架のイエス様の苦しみに似てますし、着物をくじびきにする話なんかも出てくるなど、クリスチャンにはなじみ深い詩です。
 しっとりした次の曲を聴きましょう。

(http://www.youtube.com/watch?v=TPi9eobNgug)
 次にラテン語の朗読。21とありますが22です。

(http://www.youtube.com/watch?v=W55CMgRW0Ug)
 kinotoriさんは『さとうきび畑』で来ましたか。

(http://www.youtube.com/watch?v=sA8yLKhQUUs)

●23編
 主はわが牧者。交読文
http://onlinechurch.blog64.fc2.com/blog-entry-8.html
にも入っている有名な詩。こういう短くてびしっときまったのはいいですね。

 子どもを使うのは邪道かもしれませんが、かわいいのでどうぞ。

(http://www.youtube.com/watch?v=3buLQoCN6KY)
 kinotoriさんの作品が見つからないのでかわりにドイツ語のこれ。映像が美しいので。

(http://www.youtube.com/watch?v=f8KLLSFSuGY)

[162] 2ニフ9章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/31(火) 08:39:37 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ne&chapter=9&mode=0
 怒涛の54節。1節が長いものが多く、とても長く感じます。
 でも今までのようなイザヤ書そのまんまより面白いですね。
 後半はまさにモルモン経版「山上の垂訓」という感じで、さまざまな悪徳をあげてそういうことに陥るなと警告しています。
 祭司ヤコブの今日の説教はおしまい。明日の説教は次章以降。