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真理子の聖書日記


このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
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[148] イザヤ書34-39章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/27(金) 11:50:15 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=isa&chapter=34&mode=0
 昨年度の記事は[0:466]。なお、平行箇所である列王記について書いた[0:768]もごらんください。
 今日で第一イザヤはおしまいです。
 ずっとわけのわからない預言が続くと思いきや、36章からは突然歴史の話になります。
 ヒゼキヤ王14年とはBC701年。南北の王名を覚える歌
http://www.babelbible.net/mariko/bib.cgi?doc=kings&course=bib
をご参照ください。
 アッスリヤ(アッシリア)の王セナケリブ(センナケリブ)というのは北王国を滅ぼしたシャルマネセル(5世)の次の次。今日の話のようにエルサレムを包囲、しかし陥落させることができずに撤退します。聖書では主の使いが兵士185000人!を撃ち殺したからということになっていますが真相は不明です。なお、聖書ではこの戦いのあとすぐに暗殺されたように書いていますが、実際には20年も後のBC681年の出来事です。
 さて、イザヤ書のこの部分は、実は38章→39章→36章→37章の順に読むべきなんです。つまりヒゼキヤ王が瀕死の重病になって神様から助けてもらった話があり、その病気見舞いにバビロニアから使者がやってきて、バビロニアと手をくめばアッシリアと戦えると勇気づけられたヒゼキヤ王が無謀な戦争を始めて、それでエルサレムは包囲され、陥落寸前に神様に助けてもらったというわけです。
 預言書が読みにくい理由は、わけのわからない象徴的な表現が多いということもあるのですが、こんなふうに時間の順序がぐちゃぐちゃだというのもあります。
 どなたかイザヤ書を、いやすべての預言書を全部バラバラにして時間順に並べ替えて、簡単な時代背景を付したたものを作っていただけないかしら。そしたらとっても便利だと思います。え、お前が作れって? 将来の課題にしておきます。

[147] 2ニフ6章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/26(木) 11:23:27 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ne&chapter=6&mode=0
 ここからストーリーは再び足踏み。ニーファイの民たちへのヤコブの教えです。
 ヤコブは5章でニーファイによって祭司に任命されたんですよね。さっそくイザヤ書( イザ49:22-23)を引用して、ユダヤ人はいったんは苦難の日々を迎えるが、主は異邦人に手をあげて(つまり撃退して)、ふたたびユダヤ人をもとに戻してくれる、と教え始めます。

[146] トビト記7章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/26(木) 11:14:15 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=tob&chapter=7&mode=0
 昨年度の記事は[0:400]。それにしても無内容ですね。だって話が全然進展しないんですもの。
 ですから今まで言い忘れた話を書きます。
 トビトの息子がトビヤ、トビトの父はトビエルでしたね。
 すごく名前が似てますね。
 実は、実質的に同じ名前なんですよ。トビトというのはトビヤの省略形で、「主は私によくしてくださる」という意味になります。もちろんトビエルのエルは「神」ですからおんなじ意味です。
 その証拠にWikipediaで「トビト」をあけて、左側にあるヘブライ語ページのリンクをたどってごらんなさい。ספר טוביהとなってます!トビヤ記というわけです。
 ラテン語訳であるヴルガタではトビトもトビヤも(トビエルは訳してない!)どっちもTobiasとなってますが、決して誤訳とはいいきれません。同じ名前だと解釈してるんですね。どっちも登場する文ではたとえば トビ5:1は「トビヤは父に」みたいな感じにしてまぎらわしくないように工夫しています。
 父と子が同じ名前っていうのはヨハン・シュトラウスとかモルモン教の教祖ジョゼフ・スミスみたいによくあることで、彼らもそうなんですね。

[145] ヨブ記13-14章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/26(木) 10:59:52 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=job&chapter=13&mode=0
 昨年度の記事は[0:464]
リビングバイブルのヨブ記もあわせてお読みください。
http://www.biblica.com/uploads/pdf-files/bibles/japanese/ot/job.pdf
 3人目の友ゾバルへの反論の続き。つまりここで第一ラウンドが終了です。
 ヨブ記は翻訳の性格さよりも劇的な感じが重要です。この場面だったらヨブのいらいら感をどれだけうまく訳しているかです。でないと気の抜けたビールみたいで読むに堪えません。
 ヨブ13:1-3を比べてみると(長いので全部の訳を掲げられませんけど)、

口語:見よ、わたしの目は、これをことごとく見た。わたしの耳はこれを聞いて悟った。あなたがたの知っている事は、わたしも知っている。わたしはあなたがたに劣らない。しかしわたしは全能者に物を言おう、わたしは神と論ずることを望む。
新改訳:見よ。私の目はこれをことごとく見た。私の耳はこれを聞いて悟った。あなたがたの知っていることは私も知っている。私はあなたがたに劣っていない。だが、私は全能者に語りかけ、神と論じ合ってみたい。
新共同:そんなことはみな、わたしもこの目で見この耳で聞いて、よく分かっている。あなたたちの知っていることぐらいはわたしも知っている。あなたたちに劣ってはいない。わたしが話しかけたいのは全能者なのだ。わたしは神に向かって申し立てたい。
リビング:あんたが引き合いに出したような例は、山ほど見てきたさ。 言いたいことはよくわかる。わしはばかじゃない。 あんたと同じくらい道理はわきまえているつもりだ。ああ、全能者とじかに話してみたい。 この問題を直接、話し合ってみたい。

 こうしてみると、やっぱり口語訳は失格だなって思います。リビングバイブルみたいに訳してくれなきゃ、ヨブがどれだけいらいらしているかがわからない。
 でも、新共同訳もいいせん行ってますね。けっこういらいら感が出ています。

 昨年の震災では、ヨブ記のテーマ「なぜ罪もない人が苦しまなきゃいけないのか」が問われたわけですが、「なぜ罪もない人が苦しまなきゃいけないのか」というのは、もっと突き詰めれば、「正しいと思っていた神が信じられなくなったらどうするか」ということです。原発事故で明らかになったことは、この社会がいかに原発推進の方向で動いており、産業界ばかりか立法も司法も行政も原発推進であり、反原発の意見はあらゆる点で抑圧されているということです。誰にも訴えることができない。裁判所だって絶対に反原発の判決を出してくれないわけで、これではどうしようもない絶望を抱かざるを得ません。
 それと同じで、困ったことがあったら神様が助けてくれるはずなのに、ヨブ記ではなんとその神様がサタンと共犯だったというわけですからね。
 さあ、第二ラウンドではどうなるんでしょうか。まあどうにもならないんですけどね。

[144] 2ニフ5章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/25(水) 09:36:57 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ne&chapter=5&mode=0
 ついに不信仰な兄たちはニーファイを殺そうと反乱を起こすので、ニーファイは自分の妻子たちを伴って荒野に逃げ、ある場所にニーファイという名をつけてそこに定住します。
 このあたりから、ニーファイ人、レーマン人という言い方が出てきます。つまり、ニーファイの一族および彼に賛同する人が一つの民族となり、また兄レーマンの一族と賛同者が一つの民族となったわけです。
 ニーファイ人の構成は、ニーファイの一族のみならず、一つ上の兄サームの一族、それからゾーラムの一族です。ゾーラムって覚えてますか? 真鍮版を手に入れるためにエルサレムのレーバンと交渉したけど断られたので、レーバンを殺して剣を手に入れたんですよね。そのときについてきたレーバンの召使です。
 それからお父さんリーハイが荒野で作ったヤコブとヨセフ。この二人は祭司になります。そう、ニーファイ人は荒野を豊かな実りの地にかえ、ソロモンの神殿のような神殿まで作っちゃったんですね。
 一方レーマン人のほうは主の呪いで肌が黒くなります。このあたりがモルモン教に対して人種差別だという非難が浴びせられるところですね。

[143] 1マカ7章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/25(水) 09:27:35 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ma&chapter=7&mode=0
 昨年度の記事は[0:567]
 昨年度も書きましたが、プリムの祭の本当の起源はたぶんこれ。新しい王デメトリオスに対する苦しい戦いに勝利した記念です。今回は裏切り者がいっぱい出る中の苦しい戦いでした。
 引用されている詩編は79編。バビロン捕囚のときのエルサレムの荒廃を嘆き、主よ、いつまでなのですかと叫ぶ詩です。

 マカバイ記は毎週水曜日に1章ずつ読んでますけど、人名辞典がないとつらいですよね。これから1年間かけて読みながら、出てきたことがらをまとめて、人名辞典を作ろうかしら。

[142] 詩編18-20編 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/25(水) 09:18:37 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=psa&chapter=18&mode=0
 昨年度の記事は[0:462]
 今日も音楽の時間です。今年は全150編これでいきます。「詩編音楽選」っていう専用ページ作ろうかしら。

●18編
  サム下22:2-51に全文掲載されている詩。ダビデがあらゆる敵に勝利してイスラエルの王権をしっかり確立して詠んだもの。勝利の喜びと神への確信に満ちあふれた詩です。人間は苦しい時にも神頼みしますが、こうやって成功したあかつきにも信仰心がくすぐられるものなんですね。
 音楽はまずゴスペル歌手Clint Brownの歌。

(http://www.youtube.com/watch?v=7JJ68RMH4-Y)
 kinotoriさんのプレゼンは2つにわかれてます。

(http://www.youtube.com/watch?v=VajXeLlqI1g)

(http://www.youtube.com/watch?v=tQlpT18vBq4)

●19編
 背景は不明ですが、やっぱり18編同様に勝利、確信の祈りです。
 日本語で歌ってるのを見つけました。

(http://www.youtube.com/watch?v=hoVQhupNzIs)
 次にVineyard Music。これけっこう有名なのか、複数件アップされてます。Youtubeのほうにいくと歌詞も見られるので、画像下のリンクからどうぞ。

(http://www.youtube.com/watch?v=OHQa4t7pSuI)
 kinotoriさんのプレゼン

(http://www.youtube.com/watch?v=ENxWSdxOd-4)

●20編
 自分のことを祈るのではなく「あなたが守られますように」という、いわば牧師の立場の祈りです。でもクリスチャンってあいさつのように、あなたのために祈りますっていうおせっかいなことをよく言いますからね。
 これはオランダの某教会の素人合奏&合唱というもので、一部お聞き苦しい箇所がありますけどお聞きください。

(http://www.youtube.com/watch?v=0MdI_WAZ-3w)
 次のBantus Reggaeというのはよくわかりませんが、変り種でレゲエを。

(http://www.youtube.com/watch?v=H1aR7GBCcro)
 kinotoriさんのプレゼン

(http://www.youtube.com/watch?v=MogiuAPE7zA)

[141] 2ニフ4章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/24(火) 10:38:14 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ne&chapter=4&mode=0
 長々と訓戒をしたあと、お父さんリーハイは死にます。まるで創世記のヤコブの死をほうふつとさせます。
 さて、リーハイの息子のうちレーマンら上の二人は悪役でしたね。お父さんが死ぬと、自分たちのお嫁さんの家であるイシマエル家の息子たちと一緒に反乱をくわだてますが、具体的な話は次の章へ。

[140] シラ書7章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/24(火) 10:31:34 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=7&mode=0
 昨年度の記事は[0:757]
 善悪関係のことわざが並んでいますが、4節の「主に王の地位を求めるな。王に名誉ある地位を求めるな」っていうのが面白い。神様は王様じゃないんですね。王様は政治をするわけですけど、政治ってどうしてもダーティな面がありますから、王様って汚れ役なんですね。いまなら総理大臣です。総理大臣はみんなからいろいろ言われる汚れ役を甘受しなきゃいけません。韓国だと大統領ですね。韓国の大統領も最後が悲惨な人が多いですからね。ピストルで撃たれたり、自殺したり。
 で、神様は王様じゃないっていうのは、具体的な政策を神様にお願いしてもしょうがないってことです。神様にお祈りするのは「私を強めてください」ってことだけ。自分でやらなきゃダメなのね。

[139] 士師記7-11章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/24(火) 10:23:43 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jdg&chapter=7&mode=0
 昨年度の記事は[0:460]
 この範囲ではどうしてもエフタの娘の話を書かざるを得ないわ。「処女であることを嘆かせてください」 士11:37なんて泣けてくる。この娘はそんなにセックスしたかったのね。聖書がここまで女性が性欲をむき出しにしてる発言を書くっていうのはよっぽどのことよ。だって、性は生。性欲は生きるあかしですもの。
 と、この話をすると非常に長くなるので、今年はここまで出てきた士師について簡単にまとめていきましょうか。
 士師を覚える歌はもう覚えていただけましたか。とりあえず専用ページも作りました。
http://www.babelbible.net/mariko/bib.cgi?doc=judges&course=bib
オテニエル、エホデ、シャムガル、
デボラ、ギデオン、トラ、ヤイル、
エフタ、イブザン、エロ(ン)、アブドン、
サムソン加えて十二人

 ページがつまらないので、以下の「士師のまとめ」が全部完成したあかつきにはこのページに転載しますわ。

オテニエル。オトニエルとも。 士1:13初登場。ここはユダ族の話なのでたぶんユダ族。主な業績は士3:9-11。イスラエルを支配していたメソポタミヤの王クシャン・リシャタイムと戦って勝つ。

エホデ。エフドとも。 士3:15-30。ベニヤミン族。イスラエルと対立していたモアブの王エグロンを暗殺。左利きなので左手につるぎを隠し持ったというワザ。

シャムガル。 士3:31のみ。部族不明。牛のむちでペリシテ人を六百人殺す。

デボラ。 士4および 士5。ラビドテ(ラビドト)の妻で女預言者。ナフタリ族のバラクと共闘しているのでたぶんナフタリ族。ナフタリ族とゼブルン族から一万人を率いて、イスラエルを支配していたカナン王ヤビンと戦う。その軍の長シセラは敗走中、ケニ人(ミデアン人と近い遊牧民らしい)ヘベルの天幕で休息中、妻のシセラに殺される。5章のデボラの歌は旧約聖書最古の歌。

ギデオン。 士6士7士8。マナセ族。イスラエルを苦しめていた遊牧民ミデアン人、アマレク人と戦う。バアルの祭壇やアシラ像を破壊、エルバアルとも呼ばれる。子供をたくさん生むが、子のひとりアビメレクに全部殺されてしまう。アビメレクは士師のうちに入れない。

トラ。 士10:1-2。イッサカル族。

ヤイル。 士10:3-5。ギレアテ人(マナセ族)。

エフタ。 士11。ギレアテ人(マナセ族)。遊女の子なので家を追放されやくざな生活。武勇をみこまれてアンモン人と戦うが、勝たせてくれたら帰宅したときに最初に私を迎えた者を燔祭にささげるというバカな誓いをしてしまったために娘を真っ黒こげにしてしまうはめに。

[138] 2ニフ3章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/23(月) 11:22:47 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ne&chapter=3&mode=0
 リーハイは最後に荒野の中で新たに生まれた末子ヨセフをさとします。ヨセフといえば、創世記に出てくるエジプトで活躍した人物ですが、ここでは創世記のヨセフはモーセの出現を予言したとされ、さらに子孫から自分と同じ名前を持つ人物が聖見者として登場すると予言したとされています。それが今いるヨセフというわけです。そんなことを言った後、リーハイは、兄のニーファイの言うことを聞いて自分が説いたように聖見者になれとさとします。

[137] 詩歌7章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/23(月) 11:16:22 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=ode&chapter=7&mode=0
 アザリヤの祈り。昨年度の[0:932]もご参照ください。
 もともとはダニエル書で燃えさかる炉に投げ込まれる寸前にアベデネゴことアザリヤが祈った祈りです。律法を守ろうとしなかったイスラエルの民を、神は邪悪な王、カルデヤ(新バビロニヤ)の王ネブカデネザルにわたすという非常に厳しい罰を与えましたが、どうかあわれみをもって助けてくださいと祈っています。

[136] 創世記24-27章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/23(月) 11:09:05 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=gen&chapter=24&mode=0
 昨年度の記事は[0:459]
 昨年もちらっと書きましたが、イサクの祝福の話。
 祝福というのは、それ自体は単なる挨拶です。いまの教会では、聖餐式のときに未受洗者は聖体(パンとワイン)を受けられない教会がほとんどですが、そのかわりに神父/牧師は祝福をしてくれます。未受洗者の頭の上に手をかざして何やらつぶやく形式です。
 ですから祝福だけだったら何回でもできるはずなんですが、ここは 創27:37「わたしは彼をあなたの主人とし、兄弟たちを皆しもべとして彼に与え、また穀物とぶどう酒を彼に授けた」というのがポイント、つまり神様の前で、ヤコブに一族の支配権と収穫をすべて与えると誓ったというのが祝福の内容なのであって、いったん神様の前で誓ったものを反故にできないという意味があります。
 エサウはエドム人、イスラエルの民の地より南に住む民で、エドム人はイスラエルの民と何かにつけて争いますが、その原因を説いた神話です。突っ込みどころがいろいろありますけど(たとえば、長子の権利が奪われた以上もう実質的に祝福もヤコブのものだとか)、神話ですからそういうものだと受け入れておきましょう。

 それから前回[115]創22:14のところですけど、アブラハムがイサクをささげようとしたところの地名は、יְהוָ֣ה יִרְאֶ֑הと言います。ヤハウェという神様の名前が入っています。ユダヤ人はこれをアドナイと読みかえますし、キリスト教の聖書のほうでも「主(the LORD)」と読みかえたり、あるいはエホバ、ヤハウェなどと読んだり、さまざまです。ではこのように、他の固有名詞の中に入ったものはというと、さすがに「主」には変えられないので、新共同訳やフラではヤーウェ・イルエですが、口語はアドナイ・エレ、新改訳はアドナイ・イルエと、アドナイに変えているのが面白いです。普通にヱホバを使っている文語はヱホバエレ、新世界はエホバ・イルエです。

[135] 2ニフ2章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/22(日) 09:19:36 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ne&chapter=2&mode=0
 ここまでのあらすじ。紀元前600年、ユダ王国滅亡を予言して迫害されたリーハイは荒野に逃れます。苦難の旅に息子たちはぶつくさ言い、時に激しい対立も起こりますが、四男ニーファイの強い信仰に支えられて、一行は荒野から船を作って約束の地へと渡りました。

 さて、リーハイが息子たちに順々にさとす場面の続きです。
 リーハイの息子たちの名を復習すると、レーマン、レミュエル、サーム、ニーファイ。そして荒野の旅の途中でもヤコブ、ヨセフという子をもうけます。苦しい旅の途中でもやることはやるのね。
 で、1章はレーマン、レミュエル、サームに。そして2章はヤコブに語っています。ちなみに次の3章はヨセフに語ります。
 で、ヤコブへの話ですが、まるでモルモン経版の陰陽説という感じで、すべてのことには反対のものがある。善があれば悪がある。救いのためには罪がなきゃいけない。あれれ、これって今日読んだロマ書の話に似てますね。[133]をごらんください。ひょっとしてこれってユダヤ教→キリスト教→イスラム教・モルモン教を流れる根本的な発想なのかしら?
 そしてアダムとイブの堕落についても、伝統的なキリスト教では、アダムの堕落によって人間は死ぬようになった(でも、まだ生命の木の実を食べてないからどのみち死ぬはずなんですけど)と否定的にとらえてますけど、「罪からの救済」というシナリオには不可欠のことだったのであり、むしろ人間の自由意志という積極的なとらえ方をしているのが面白い。そして、救済を選ぶか滅びを選ぶかも自由意志なんです。救済されるためには自由意志がなきゃいけないわけですね。

[134] 3イミ6章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/22(日) 08:52:02 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=3ic&chapter=6&mode=0
 イミタチオ3巻は、キリストと信者の対話になっている章が多く、ここもそうです。(キリスト)とか(信者)というのは原文にはありません。よく読めばそのことがわかるのでこうやって補う必要もないのですが、多くの訳本で補っているので私も補いました。
 修行をしていると、悪魔はさまざまな試練をしてきます。祈りなんかやめよう、聖書なんか読みたくない、信仰告白なんかテキトーに、ミサなんかばかばかしい…… そういう試練に立ち向かい戦いなさいと言っています。
 その一方で3節にあるように、信仰的な興奮・歓喜も実は幻想なので、こういうのにもしっかり抵抗しなきゃいけないんです。実はこれも試練なんですね。
 多くの教派では洗礼を受けたいといってもなかなか受けさせてもらえず、いろいろ勉強させたり、長い間教会に通わせたりしますけど、一時の興奮で信仰を始めた人は棄教してしまうことが多いということのようです。信仰をしているといいことも悪いことも起きますけど、そういうことを一通り経験してからでないとダメというわけですね。

[133] ロマ書11-12章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/22(日) 08:43:54 コメントする ここから閲覧

 昨年度の記事は[0:458]
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=rom&chapter=11&mode=0
 ロマ11:32「神はすべての人をあわれむために、すべての人を不従順のなかに閉じ込めたのである。」
 信ずるものは救われる。正しいものは救われるといいますけど、実はそれだけじゃなく、いったん不信仰、不従順な状態にならなくちゃいけない、いったん罪ある状態にならなくちゃいけないんですね。
 福音書では人の罪を許すことの象徴として、病気のいやしの話が出てきます。目の見えない人を見えるようにするとか。でも、考えてみれば、いくら神様イエス様だって、目の見える人の目を見えるようにすることはできません。目を見えるようにするためには、いったん目が見えなくなってくれなきゃ困るわけです。
 だから、人はいったん不信仰にならなきゃいけないんですね。
 特にそのために選ばれたのがユダヤ人であって、ユダヤ人が不信仰なのは、「いったん不信仰になる」役割を積極的に演じさせられている、というわけです。
 まあそんなわけで、世の人が不信仰なのも、神様の偉大なご計画。信ずる者は救われるから、愛を実践し、祈りなさい……というわけです。
 愛が大事よ、復讐なんかしちゃダメよというので、例の「復讐するは我にあり」 ロマ12:19という言葉も出てきます。
 これは、愛が大事という話もあるんですけど、パウロは終末がいますぐにでも来ると大まじめに信じていますので、そのときに神様がみーんな審いてくれるから、人間は何もやらなくていい、神様にまかせておけという発想でもあります。終末終末とさわいでいる人は、この世のことには無頓着になっちゃうんです。

[132] クルアーン12回 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/21(土) 11:39:28 コメントする ここから閲覧

 クル-12回。3章54-92節。
 「経典の民」(他の翻訳では「啓典の民」とも)とは、ユダヤ教徒やキリスト教徒のこと。
 イスラム教はユダヤ教やキリスト教を改良したものなので、イスラム教からはユダヤ教やキリスト教に親近感があるのですが、逆にユダヤ教やキリスト教の側からは「何だ?あいつらは!」とけむたがられます。
 それはちょうど、キリスト教とモルモン教の関係も同じです。モルモン教は自分たちをキリスト教の一派とみなしていますが、キリスト教のほうは絶対にこれを認めないでしょう。新たなものをつけくわえてできた宗教では、新しい宗教は「おれたちは古い宗教を改良した(つまり古いものを必ずしも否定しない)」のに、古い宗教のほうは頑強に新しい宗教を否定する。それはユダヤ教とキリスト教の関係だって同じです。
 私がこのサイトで、クルアーンやモルモン経を読んでいるのは、ユダヤ人の気持ちを味わう訓練なんです。われわれがイスラム教やモルモン教に感じているうさんくささを、たぶんユダヤ教はキリスト教に対して感じているんです。

 今日のところで言ってる議論は、ユダヤ教やキリスト教がイスラムに対してぐちゃぐちゃ言っていることへの反論ですが、67節にあるように「アブラハムはユダヤ教徒ではないしキリスト教徒ではない」というところが面白い。
 ではアブラハムは何かというと「服従者」なんです。そこのルビを見ればわかるように、服従者とはムスリム、つまりイスラム教徒なんですね。この場合のムスリム=イスラム教徒とは、イスラム教成立以後のイスラム教徒という意味ではなく、もっと広い意味で用いられています。イスラムの教えを聞いたことのない人でもイスラム教徒である可能性があるような、「神を信じるもの」みたいな意味で用いているのです。

[131] 1イミ6章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/21(土) 11:29:20 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ic&chapter=6&mode=0
 短いですが味読すべき文章です。
 「情愛にふける」とタイトルにありますが、実際には「欲望のままに生きる」ことです。人に対する愛でもモノに対する愛でもカネに対する愛でも、愛=執着が欲望を生むわけですから。
 たとえ欲望が満たされたとしても、心の平和には少しも役に立ちません。というのは、新たな欲望が必ず生まれるからです。その意味では「欲望は決して満たされることがない」と読み変えてもいいでしょう。
 だからこそ欲望に従うのではなく欲望をおさえることこそ、真の平和を得る道だというのです。

[130] マタイ14-16章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/21(土) 11:24:48 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mat&chapter=15&mode=0
 昨年度の記事は[0:455]
 いろいろ書きたいことがあるのですが、とりあえず16章を中心に書きます。
 イエスは病人の癒やしを中心としたさまざまな奇跡を行いますがそんなものは余技でしかありません。イエスにとってしるしとは「ヨナのしるし」つまり自分が死んで三日後によみがえることによって人々の罪を救うということです。
 しかし、人々はイエスの癒やしを見て、彼はヨハネの再来(14章でヨハネは死んでいます)とかエリヤとか預言者だとか評しています。それは当の弟子たち、ペテロもそうだったのです。
 ペテロが「あなた(=イエス)はキリストだ」と告白したのでイエスは喜び、天国のかぎを授けようとか、教会を建て(てその長にし)ようとか言うのですが、イエスが「私は迫害されて死んで三日後によみがえる」と説くと、ペテロはそれに反対します。つまりペテロにとっては、イエスは単に病人の癒やしをするからキリストであったのに過ぎず、なぜイエスがキリストなのかを全然理解していなかった。そこでイエスは「サタンよ下がれ」と一喝し、オレの弟子になるなら迫害を恐れてはならないと教えるのです。
 でも、イエスの死と復活によって世の人すべての罪が許されたんなら、弟子までが十字架を背負う(迫害・殉教を覚悟する)必要なんかないじゃんと思うのですが、マタイ福音書が書かれた当時の教会は、ユダヤ教側のみならずローマ帝国からの迫害も始まっていましたから、それでこんなセリフをイエスに言わせているんです。
 福音書というのはイエスの言行を忠実に記録したものではなく、イエスの言行という体裁で当時の教会が信徒に言いたいことを表明しているものだということを絶えず念頭に置いて読むことです。

[129] クルアーン11回 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/20(金) 12:10:46 コメントする ここから閲覧

 クル-11回。第3章15-53節。
 第3章のタイトル「イムラーン家」がここで出てきます。イムラーンというのはマリヤ(聖母マリヤですよ)の父親の名です。マリヤはマリアとも表記され、むしろ現代ではマリアのほうが一般的だと思います(カトリックは昔からそうです)が、ここでは口語訳聖書のマリヤでいきます。

 ところで、新共同訳になってカトリックは従来のイエズスを放棄してイエスという名を受け入れたという大譲歩をしたとよく言われますが、よーく見てみると、マリヤはカトリック式のマリアになりました。譲歩ばかりをしてるわけじゃないんですね。

 マリヤの父親も母親も聖書には全然出てきませんが、母親はキリスト教圏ではアンナという人だったと言われています。主人のお父様がずっと入院していた聖マリアンナ医科大学病院、マリアンナというのはマリヤ+アンナですが、まるで一人の名であるかのようにして女性名に使われたりします。
 で、父親はキリスト教圏ではヨアキムということらしいですが、イスラム教のほうではイムラーンということになっています。
 ところで、洗礼者ヨハネの父親ザカリヤも登場してきますが、マリヤの育ての親ということになってますね。

[128] 知恵の書6章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/20(金) 11:51:02 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=wis&chapter=6&mode=0
 昨年度の記事は[0:681]
 一言で要約すれば「王たちよ、知恵を学べ」。王権は神から与えられたものであり、知恵を学べば神に近づけるからです。
 本来、聖書の考え方は王の支配に消極的です。神様の前にはみんな平等、王は神様だけなんです。ところがイスラエルに王朝が生まれると、ダビデやソロモンは王権を強化するためにヤハウェ神を利用することを考え、もともと移動式の幕屋にしか住まわれないヤハウェ神のために神殿を作りました。以後は王権は神から授けられたものということになります。知恵の書の王権神授説も基本的にこの考え方に基づいています。

[127] イザヤ書29-33章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/20(金) 11:35:05 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=isa&chapter=29&mode=0
 昨年度の記事は[0:454]
 29章のアリエルというのはエルサレムです。P&Gから出ている洗剤の名前じゃありません。ちなみに英語ではまるきり同じスペルですが、ここから命名されたのかどうかは不明です。イザヤがなんでこんな呼び方をするのかはよくわかりません。何かの隠語なのでしょうか。
 あ、この話は昨年しましたね。うーん、昨年しなかった話は何かしら?
 イザ30:6の「ネゲブの獣」はユダ王国のことを言っているようです。ネゲブというのはイスラエル南部の砂漠地帯ですね。そもそもネゲブ(נֶגֶב‎)って「南」って意味ですよ。覚えておきましょう。
 ここはユダ王国がエジプトと同盟しようとすることを批判しているのですが、エジプトに行く使節はネゲブを通るからなんだそうです。
 ちなみに先日1/12ウジテレビ(フジテレビの間違いじゃないわよ。私にとってあの放送局はウジテレビなんです)放送された「池上彰スペシャル~宗教がわかればニュースのナゾが解ける~」で言ってましたが、第二次大戦後のパレスチナ分割案でイスラエルが人のほとんど住めないネゲブ砂漠を確保したのは、ここからウランが産出されるという情報を握ってたからなんだそうです。

[126] 2ニフ1章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/19(木) 10:46:26 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ne&chapter=1&mode=0
 ニーファイ第二書はニーファイ第一書の話の続きです。
 第一書の最後でニーファイは真鍮版を兄たちに読み聞かせ、主を信じて正しい道を歩めとさとしますが、兄たちは快くありません。
 そこでお父さんのリーハイが再びさとします。
 この約束の地は、正しい人には祝福されるが、服人には呪いの地である。今まで何度もニーファイに助けられたことを思い出して、正しい道に歩めと言っています。

[125] トビト記6章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/19(木) 10:43:22 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=tob&chapter=6&mode=0
 昨年度の記事は[0:398]
 トビヤは悲しむ母を置いて出発します。テグリス(チグリス)川でつかまえた魚の心臓・肝臓・胆汁を取り出して保存、これがあとで悪魔退治に役立ったり眼病の薬になったりするのです。
 そして同行している天使ラファエルはトビヤに、同族のラグエルの家のサラと結婚するよう勧めます。
 ところで親戚というのはどのくらいの親戚かわかりませんが、一応「父の家系」ですよね。そういう近い親戚だとトビヤとサラはいとこ同士ぐらいの近い関係になるはずです。近親婚はダメなんじゃないの?
 その一方で、血族を守るのに一番いい方法は近親婚です。外部の血を入れるとどんどん薄くなって血族の意味がなくなります。
 彼らはナフタリ族、ナフタリ族は北王国滅亡後に他民族と同化してなくなってしまうのですが、それは他民族との結婚をしたからです。
 エズラ記やネヘミヤ記にあるように、ユダヤ人はバビロン捕囚後に異民族との結婚を禁止してしまいますが、そうでもしなけりゃ民族が保てないわけですね。
 トビト記が近親婚を奨励しているのは、部族を守り血族を守るにはそれが一番だという発想なのでしょう。

[124] ヨブ記11-12章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/19(木) 10:34:47 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=job&chapter=12&mode=0
 昨年度の記事は[0:451]
リビングバイブルのヨブ記もあわせてお読みください。
http://www.biblica.com/uploads/pdf-files/bibles/japanese/ot/job.pdf
 ここはナアマびとゾバルの意見とヨブの反論。
 ナアマというのはユダの中央丘陵地帯にあった町の名なので、この人は真正のユダヤ人ですね。
 そもそもヨブ記はイスラエルの民の住む地からちょいと離れたところの出来事ということになっています。ヨブの住むウヅは所在がよくわかりませんが、 ヨブ1:3に「東の人々」とあるようにカナンの地よりは東で、 ヨブ1:17ではカルデヤびと(バビロニア人)が突然襲ってくるのですからやっぱり東です。
 最初の友人エリパズはテマンびと。これはエドムですからカナンの地の南。二番目のビルダデのシュヒびと(シェア人)はまるきりわかりません。
 このようにヨブ記の主人公と舞台がきわめて国際的なのは、もともとヨブ記が別の言語からの翻訳や翻案ではないかという説まで生んでいます。実際、ヨブ記の言葉は非常にわかりにくく、だから今までいろいろ書いたような翻訳上の問題が出てくるのです。
 内容的にいえば、ヨブ記が国際的だということで、ヨブ記の提示する問題がユダヤにとどまらずきわめて普遍的だということが強調されています。創世記も、アブラハム登場以前は「人類の誕生・堕落」などきわめて普遍的な問題で、それだけにとても読みやすく共感しやすく人気があります。ヨブ記もそういう意味で人気があるのでしょう。

[123] 1ニフ22章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/18(水) 09:52:32 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ne&chapter=22&mode=0
 ニーファイ第一書はこれでおしまいです。
 2章ぶん費やして真鍮版に刻まれたイザヤ書をニーファイは兄たちに読み聞かせた後、これの解釈を始めます。
 イスラエルが世界各地に散らされた後、約束の地には異邦人がイスラエルの子孫を伴ってやってきて強大な国家を作り、自分たちの子孫がこの異邦人国家に支配されてしまいます。この終わりの日には悪はすべて滅ぼされる、ということのようです。

[122] 1マカ6章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/18(水) 09:38:43 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ma&chapter=6&mode=0
 昨年度の記事は[0:565]
 ユダヤ人に改宗を強制しエルサレムにゼウス神殿を建ててこの戦争の発端となった王、アンテオコス・エピパネスが死に、子のアンテオコス・エウパトルが即位します。同じアンテオコスなので注意してください。歴史書では前者をアンテオコス4世、後者を5世という言い方もします。
 父王のエピパネスのほうはあちこち遠征をしており、死んだときもペルシヤに遠征中でした。そこで同行していた側近のピリポに後継を依頼しました。ところがこの国の政治は王族のルシアにまかせており、エウパトルを即位させたのはルシアでした。いずれにせよエウパトルが王になったんだから問題ないと思いきや、ピリポが軍を率いてペルシヤから戻り、ルシアと内戦になってしまうのです。
 ルシアはユダと激しい戦いをしていたのですが、それどころではなくなってしまい、ユダと和議を結びます。もっとも城壁を築くかどうかでトラブルがあったようですが、一応和議が成立します。

[121] 詩編15-17編 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/18(水) 09:22:22 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=psa&chapter=17&mode=0
 昨年度の記事は[0:449]
 今日もYoutubeにアップされた動画を見ましょう。
 今日はすべてダビデの歌・祈りです。

●15編。神の国に行ける人の条件です。
 まずは讃美歌になっているものから。

(http://www.youtube.com/watch?v=X4KcOX6hKlU)
 次はギターの弾き語り

(http://www.youtube.com/watch?v=4ZyxZ4xloKs)
 例によってkinotoriさんのプレゼン。歌が誰だか書いてませんけど北京語ですね。

(http://www.youtube.com/watch?v=ZiQKr7rGgm4)

●16編。神様への信頼を詠んだダビデの歌。
 ユダヤ教の歌を見つけました。

(http://www.youtube.com/watch?v=4_STmAInMXM)
 それからこれは、アイルランドの教会の、Harbor Of My Heartという歌。3:35あたりから始まります。きれいな曲。

(http://www.youtube.com/watch?v=enHQKDKhLxA)
 kinotoriさんのプレゼン。こんどは韓国語ですが、소지섭(ソ・ジソプ)さんの「カインとアベル 愚かな愛」という歌らしいです。

(http://www.youtube.com/watch?v=HhE37IhguR8)

●17編。悪い人々に苦しめられている正しい人が自分の潔白を神様に訴えて祈ります。
 ピアノ伴奏で男女が歌ってます。これはきれいな曲。

(http://www.youtube.com/watch?v=wb4j_roHR3E)
kinotori

(http://www.youtube.com/watch?v=R6M_0OA6hQI)
 歌っているのは胡美芳さんという和歌山県生まれの中国人歌手なんだそうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%A1%E7%BE%8E%E8%8A%B3

[120] 1ニフ21章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/17(火) 12:26:54 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ne&chapter=21&mode=0
 もう直しましたけど、昨日の[117]のタイトルは21章じゃなく20章でしたね。
 20章に引き続き、イザヤ書ほとんどそのまんまの引用です。細かく点検してないけど、今回は固有名詞も含めてどんぴしゃじゃないかしら。たとえば12章のサイニム(Sinim)というのは、翻訳の関係でイザヤ書と違う場合があります(口語訳聖書だとスエネ。RSVはsyene)が、KJVではどちらもSinimですからどんぴしゃです。
 なんでこんなふうに2章ぶんもイザヤ書をまるまる引用したのかというのは、次の22章=1ニフ最終章をお楽しみに。

[119] シラ書6章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/17(火) 12:18:06 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=6&mode=0
 昨年度の記事は[0:751]
 前半は友人関係のことわざがいっぱい並び、後半は知恵・教訓の大切さ。その関係は必ずしも明確ではありませんが、36節に「悟った人を見かけたらひんぱんに訪問せよ。彼の玄関の敷居をお前の足ですり減らすほどに」とあります。知恵に身につけて自分を高める最良の方法は、知恵を持った人と付き合って彼の意見に耳を傾けること。ひとりよがりはダメよというわけです。