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真理子の聖書日記


このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
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[768] 列王記下16-20章、シラ書8章 投稿者=真理子 掲示日=2011/07/05(火) 08:58:52 ここから閲覧

●列王記下16-20章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ki&chapter=16&mode=0
 前回[739]は王様の年表だけで終わっちゃった感がありますが、今回はそうでもありません。なんかムラがありますね。
 南のアハズ(南12。BC735-715)はスリヤ(アラム)との戦争に際してアッスリヤ(アッシリア)と同盟します。王様との会見をダマスコでしたときにりっぱな祭壇を見たので、コピーを祭司ウリヤに建設させます(16章)。
 北はホセア(ホシェア)でした(北18。BC732-722)。BC722ってことはこの人が北最後ですね。えっ、そんな年代覚えてないって? ダメですね。このくらいの年号覚えましょう。前にも書いたと思いますが、
  BC922。南北分裂=国(92)は2つに分裂す。
  BC722。北滅亡=ちょうど200年続きました。
  BC587。南滅亡=だから言わな(587)いこっちゃない。
です。ついでに、ダビデの即位がちょうどBC1000年ごろ。バビロン捕囚は2回目から数えて60年つまりBC527年までと覚えると便利です。年代は異説もありますが、この覚え方が通じるこの流儀をお勧めします。なお、この覚え方は浅見定雄さんの『旧約聖書に強くなる本』の流儀。最近改訂新版が出ましたよ。
 さて、ついに北はアッスリア(アッシリア)に滅ぼされ、10部族つまりユダとベニヤミンを除く他の部族は各地に捕囚されてその民と同化して世界史から姿を消します。南はアハズにつづいてヒゼキヤ(南13。BC715-687)もアッスリアと友好関係を持ち続けて助かりますが、こっちも将来はいいことがなさそう。そんな話が17章と18章で長々と語られております。
 さて、こんなヒゼキヤを預言者イザヤは非難しますが、ヒゼキヤはけっこういい王様で、死の病について真剣にお祈りしたところ、神様はなんと助けてくれます。ちゃんと助けるぞというしるしとして、日時計の影が戻るという奇跡もおきます。しかし、列王記っていうのは、宗教的な話以外はちっとも関心がないので、ヒゼキヤのやった治水事業なんかは、代下32:30なんかを見ないとわからないというしかけになっております。列王記がちゃんといろいろ書いてくれたら、歴代誌みたいな似たような歴史書が聖書に入らず、37書ですんだんですけどね。え、それじゃ3×9=27(旧約39、新約27)って覚え方ができなかった?
 次はマナセ(南14。BC687-642)ね。あ、これは来週でした。

●シラ書8章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=8&mode=0
 権力者と争うな。金持ちと争うな。保証人になるなかれ。今でもすぐに役立つ話がいっぱいよ。

[767] だから、おめぇらが言ったんだってば 投稿者=真理子 掲示日=2011/07/04(月) 14:47:44 ここから閲覧

 ルカ22:70の「おいらが神の子だっていうのは、おめぇらが言ってるんだぞ」ですが、……
 同様の言葉は、マコ14:62マタ26:64にあります。が、ちょうどルカ=マルコ+マタイっていう関係になってます。つまり、(以下、ギリシア語はアクセント類抜きますね。そのほうが文字化けしないみたいだから)

マルコ:おいらは神の子だ。εγω ειμι(Yes. = 昔のギリシア語にはYes./No.に当たる言葉がないので「おいらは~である」という文の形で答えています)
マタイ:おめぇが言った。συ(お前) ειπας(言った=アオリスト(過去)形ね)
ルカ:おいらが神の子だって、おめぇらが言った。υμεις(お前ら) λεγετε(言う) οτι(~と) εγω ειμι(Yes. = おいら~である)

お前が単数か複数か、言うに当たる動詞や時制が違ったりしますけど、おおざっぱにはルカ=マルコ+マタイという感じです。
 ところが、田川建三先生は、マルコもホントはルカみたいに「お前らが言ってるんだ」となっていたと推定します。ネストレ・アーラントは上記のように単に「私は~である」という写本を採用してるけど、ルカみたいになってる写本があるんですね。正確にはマタイっぽいσυ(お前) ειπας(言った) οτι(~と) がついてるものがある。
 で、田川先生は、もともとシンプルな「はい、その通り」だったとすれば、そのほうが信仰的立場からすれば有難いはずのに、わざわざ「お前たちが言った」を付け加える理由がない、というのを主な根拠として、実はマルコにも「~とお前が言った」がついていただろうと推測するわけです。

 あと、οτιにはもう一つbecauseの意味があるので「おいらが神の子だからこそお前(ら)はそう言うんだ」ととる考えがあります。ラテン語訳であるヴルガタはそうですし、ルターもそうです。インド・ヨーロッパ語の多くの言語では、「~と」のときには「~」部分は接続法という形を使うのが普通ですが、ギリシア語はどっちも普通の直説法みたいですね。だからなんともわかりませんけど、直観的にbecauseよりthatのほうが自然じゃないかしら。そういう「直観的に」っていうの、大事よ。

[766] レビ記19-21章 投稿者=真理子 掲示日=2011/07/04(月) 09:30:04 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=lev&chapter=19&mode=0
 19章は「レビ記の十誡(十戒)」といえるところです。父母を敬えとか、安息日を守れとか、そういう基本的な誡律を敷衍したような感じです。
 例によって、「わたしはお前たちの神ヤハウェだ」っていうリフレインがしつこいですね。そのくらい重要なんでしょう。
 20章はまたまた近親相姦の話、21章は祭司であるアロンの子、レビ族に関する特殊規定。あらまあ、身体障害があっちゃ祭司になれないんですね。レビ族で祭司になれないんじゃ大変ですね。

 いろんなことが書いてありますけど、たとえば占い好きの女子(男もか)のみなさんは、占いはダメよ(レビ19:26)なんていうのはびっくりするかもしれません。雑誌の占いとかダメなのかしら?
 mixiじゃかつてそんなこと言ってた人たちがいましたね。あそこは頭こちこちの福音派の巣窟、っていうより、そういう人たちって声がでかいんで目立つんです。大方のクリスチャンはもっと穏健なのに、ああいう声のでかい人たちが毒電波を発するので、クリスチャン全体がヘンな目で見られるんです。
 何度も言いますが旧約聖書の律法は全部無効です。旧約聖書に書いてあるからといって無条件に守らなきゃいけないわけじゃありません。ああいう人たちは、自分の気に入らないことが聖書のどこかで禁止されてないかと探し出してくるのがうまいんです。たまたまレビ記に「占い禁止」ってあるからそれを盾にして占いを攻撃する。そういう人たちだって、神殿に羊とか牛とか山鳩とか持参するはずがないんですけどね。こういうのを「聖書のつまみ食い」というんです。
 占いといってもいろいろ。雑誌の占いのようなお遊びはOK。ただし、あなたの有り金を全部まきあげるような悪質な占い師もいますんで、そういうのにひっかからなければいいんです。
 私なんか生理中のセックス(レビ20:19)も、軽ければ平気でしちゃいます。重ければ私もつらいのでメニューを変えるとか工夫しますけどね。だいたいヤハウェって暴力的なくせに、血を食べるなとか、なんか血を嫌悪してますよね。よっぽど血を見たくないんでしょう。渡辺淳一さんによれば、女性は「これ以上出血すると死ぬ(60kgの人で1.5リットル程度)」っていう量を超えて出血しても平気で生きるけど、男はすぐ死んじゃうんだそうな。出血の致死量って、男と女の中間をとってるらしいです。女は血は平気だからね。
 で、またまた近親相姦ネタですが、旧約聖書の律法は全部無効ですし、新約聖書で「ここまでは近親婚だからダメ」っていう規定はありませんから、クリスチャンとしては、聖書に根拠を求める限り、近親婚のタブーは存在しないことになります。現実のキリスト教社会でいろいろ規定されている近親婚のタブーっていうのは、聖書に根拠をもったものではなく、それ以外の根拠、たとえばキリスト教化する以前からその民族が持っていたタブーなどを継承あるいは改変して、それをキリスト教的なものだとみなしているに過ぎないものです。
 母子、父娘、兄妹などはたいていどこでもタブーですけど、いとこあたりになってくるとまちまちです。うちはけっして近親婚を肯定するわけじゃありませんが、大事なのは、近親婚をしている民族を頭から反キリスト教的だと否定してはいけないってことです。頭こちこちの人はついついこういうことをしがちですからね。

 レビ記の読み方は、そういう表面的な「~するな」を読むのではなく、背後の精神を読むことです。たとえばレビ19:2みたいな「おいら(=神様)が聖なんだからお前たちも聖になれ」みたいなところを読むこと。レビ19:9-10みたいな「貧しい者たちのために全部収穫するな」というユニークな人道的規定を読んで「へぇ」と思うことです。

[765] Re:ルカ22:70 投稿者=真理子 掲示日=2011/07/04(月) 08:19:19 ここから閲覧

 どうも。ダブルアップの前のほうを消しておきましたわ。
 たしかにそうなんですけど、その割に、私が×をつけた訳が、becauseの訳をしているかっていうと、あんまりそんな感じでもありませんよね。
 ὅτι(オティ。すみませんが私は現代式発音です)って、どっちにしろその後の動詞が直説法ですよね。これが、becauseだと直説法、thatだと接続法とか言うんなら明確なんですけど。せっかくギリシア語には接続法っていう強い武器があるのに、どうしてこういう肝心なときに使わないんでしょうね。

 あらまあ、ヴルガタじゃ vos dicitis quia ego sum. quiaだからbecauseだわ。

[764] 詩篇の実際的な使い方 投稿者=HK. J. 掲示日=2011/07/04(月) 08:18:33 ここから閲覧

ちょっと前後します。ごめんなさい。

#744で詩篇の味わい方のことをおっしゃっていますが、思い出すことがあります。
ユダヤ教では全てのことにふさわしい祈りの言葉があるそうですが、食事の感謝の祈りを、ユダヤ教は、「食べたあと」に唱えます。これを birkat ha-mazon というのですが、通常、詩篇126篇を導入として必ず唱えます。

宗教的なユダヤ人なら、食事のたびごとに唱えるでしょうし、安息日しか礼拝しないユダヤ人なら、安息日の晩飯の後にしか唱えないでしょう。

でも、定期的にメロディをつけて詩篇を「歌って唱える」ことを繰り返すのは、頭に残りますから、いろいろと連想することができて、味わいが年月とともに深くなるのでしょうね。

[763] Re:インターリニア訳 投稿者=真理子 掲示日=2011/07/04(月) 07:52:04 ここから閲覧

どうもありがとうございます。

うちのサイトにもインターリニアの機能をつけたいなと思っておりまして、とりあえず著作権の切れたものということで、新約は
George Ricker Berry : Interlinear Greek-English New Testament (1897)
を全ページスキャンしたものをアップしようかなって思ってるんですが、旧約はなんかいいのないかしら……と思ってます。The Interlinear NIV Hebrew-English Old Testamentは著作権が切れているわけではなく、単に安いから買っただけなんですが、これはネットを利用したほうがよさそうですね。

さしあたりは、インターリニアよりレキシコンのほうが役に立つかなって気がしますんで、
Davidson : The Analytical Hebrew and Chaldee Lexicon
のスキャンをしているところです。

[762] 新漢語訳本 投稿者=HK. J. 掲示日=2011/07/04(月) 07:48:59 ここから閲覧

和合本が古くさくなっているので、それに代わる新しい中国語の訳が出ているのですが、一番新しい「新漢語訳本 Contemporary Chinese Version」は、ルカ22:70を

你們說我是

と訳してます。無理がないですね。

[761] ルカ22:70 投稿者=HK. J. 掲示日=2011/07/04(月) 07:42:41 ここから閲覧

ὑμεῖς λέγετε, ὅτι ἐγώ εἰμι.

これね、hoti に、「~ということを」と、「なぜなら」と、二つ意味があるのが原因じゃないですかね?

まぁ、ヘブライ語でも、ki が同じ現象を引き起こしますから、ギリシャ語の曖昧さのせいともいえませんが。

'attem 'omrim ki 'ani hu' <ギリシャ語から訳すと、現在形分詞の複数になります>

または

'attem 'amartem ki 'ani hu'  
<フランツ・デリッチのヘブライ語訳は、legete を過去形で訳している>

このあたりのやり取り、ちょうど「おまえ、ナザレのイエスの一味だろ?」と訊かれて、ペテロが「いや、俺はそうじゃないから。。。 ouk eimi」っていうのと、対比する意味も込められているのかもしれないですね。

[760] インターリニア訳 投稿者=HK. J. 掲示日=2011/07/04(月) 07:18:43 ここから閲覧

The Interlinear NIV Hebrew-English Old Testament

・・・使えねー代物です。自分も実は十数年前に買ってしまったのですが、「序文」のところで白々しくも、NIVの対応する訳語を引っ張ってきて原語の下に置いたと書いてます。

直訳をベースにして所々パラフレーズをしているNIVの中で、「原語」と「訳語」とが一対一で対応するわけがないのに。

構文と動詞名詞の変化が身についてないくせに、参考書・辞書を引く手間が惜しい、横着者のアンチョコです。

よっぽど、下記のサイトの「インターリニア」の情報のほうが、ましです:

★ 聖書研究総合情報「ビブロス。コム」
http://interlinearbible.org/ezekiel/23-20.htm

・・・・新約も同じフォーマットでインターリニアが表示できるし、ストロングの辞書、コンコーダンスにもつながっています。

★ 台湾の長老派教会のサイトの、中国語オンライン旧約聖書パーシングガイド(文法解析情報)
http://bible.fhl.net/new/parsing.html

・・・・インターリニア「行間訳」の体裁ではないですが、事実上、その機能があります。
こちらも、ストロングのナンバーで管理されているので、簡単に辞書へリンクします。原形がわかるので、詳しいことは書物の辞典で確認できます。

【関係代名詞】
旧約ヘブライ語に関しては、asher / she / zu の三つがありますが、聖書時代より前のヘブライ語は、まだ関係代名詞というものが確立していなかったそうです。それは、ヘブライ語だけのことではなくて、カナンの地の近隣語も同じ状態だったそうです。

だから、聖書のなかでも、古い伝承の部分、たとえば出エジプト記の15章の「紅海の歌」の部分なんかは、まだ指示代名詞っぽいニュアンスの zu が使われています。

http://interlinearbible.org/exodus/15-13.htm
nachita ve-chasdekha am-zu ga'alta

指示代名詞の男性単数 zeh, 複数女性 zo't と似てるでしょ?

詩篇にも、関係代名詞のない「関係節」が出てきたりします。ちょうど、現代英語が that/whichを省略して、"the car I bought recently"なんて言うのと同じことを、聖書ヘブライ語でもやってます。

[759] 誤訳の淵源を求めて 投稿者=真理子 掲示日=2011/07/03(日) 16:37:58 ここから閲覧

 [756]では、ルカ22:70のイエス様の答え「おめぇたちが言ってるんだぞ、おいらが神の子だって」の日本語訳を掲げて正誤判定をしましたが、いったい誤訳はどこから発生してるんですかね?
 草創期の日本語訳でルカを訳しているものとすれば、ベッテルハイム。ばべるにはカタカナ書き琉球語をアップしておりますが、琉球語は苦手なんで、日本語で読めるものとしては、
http://www.babelbible.net/pdf/bthjpluk.pdf#page=80
ですかね。「なんぢら、われなりぞといふ」と読めますんでこれは○。あとは
http://www.babelbible.net/pdf/bthcjluk.pdf#page=92
では「ナンヂラ、ワレゾト、イフ」「爾言是也」なんでこれも○。ベッテルハイムはシロですね。
 滑り込みでヘボンさんたちよりも早く新約を全訳したバプテストのネイサン・ブラウンは「しかり、なんぢらのいへるごとし」。これは確信犯的に×。
 ヘボンさんは残念ながらルカを訳してませんが、ほぼ同じマタ26:64が「汝いへるごとし」ですから、こんなふうに訳したとすれば×。

 あとは私のわかる言語でいうと、韓国語の改訳ハングルは「너희 말과 같이 내가 그니라 !」でして、「おまえたちの言葉のとおり私がそれだ」ですから×。
 中国語でいえば、モリソンの「爾言是」は短くてよくわかんないけど「あなたの言葉は正しい」なら×、「あなたがこれを言う」なら○。でもこういう目的語で「是」なんか使うかしら? ×っぽいわね。
 ブリッヂマンは「爾言我是也」で○。
 和合本は「你們所說的是。」は「あなたがたの言うのは正しい」ですから×でしょうね。
 往年の英訳はだいたいKJVのYe say that I am.を踏襲してるんだけど、明らかにダメなのがWeymouth New Testamentの"It is as you say," He answered, "I am He." こいつもブラウン姉さん同様にバプテストよね。バプテストの教義だとそうなるわけ?

[758] 神さまってホントにいるの!?-週刊女性(7/12) 投稿者=真理子 掲示日=2011/07/03(日) 10:33:36 ここから閲覧

 先週火曜日6/28発売なのでもう入手困難かしら? だいたい週刊女性っておばさん雑誌(なにしろ次号特集が「50代からのツィッター入門」ですって! 50代雑誌なのね)だからコンビニなんかじゃあんまり手に入らないと思いますが、7/12号に「3賢人に聞いた 神さまってホントにいるの!?」という記事が載ってます。
 ホーキング博士が「神や天国はおとぎ話」と言ったのに対し、ローマ教皇が「ビッグバンには神の存在があった」と反論したというふりで始まり、鏡リュウジ、苫米地英人、みよこ、の3人が答えるという企画。
 期待したわりに面白くなかったですけど、神様がいるかどうかという説教の前ふりには使えるかもしれませんね。私なりにまとめたところでは、

 鏡リュウジ=神がいるかどうかはわからないが、心は神が存在するかのようにふるまっている。ぼくたちは心でしか生きられないのだからそのことを大切にしよう。
 苫米地英人=自分のあこがれの存在を神として、こんなときあの人ならこうする、というのを行動の規範にすればよい。既成宗教や政治は恐怖を利用して人を脅してコントロールしようとする(原発がないと計画停電するしかない、とか)が、それに対抗するために、自分なりの神を自分の脳で創るべし。
 みよこ=神様が目にみえたらみんな安心して怠ける。だから神は見えないのだが、神様がそばにいてきっと助けてくれるという心が人を助けてくれる。

というところでしょうか。いろいろ言ってても結局同じようなところに帰着している気がします。

 さて、私の答えですが、

 真理子=神様がいるかどうかはわかりませんが、旧約聖書や新約聖書に描かれているような神様だったら100%いません。あんなチンケな、そのくせやけに暴力的な神様だったらいないほうがましですし、現にいませんから人類は助かっています。ただし聖書は、突っ込みどころが満載ですけど、それだけに、神様ってホントはどんな存在なんだろうという考えの手がかりとしては役に立つ本です。

[757] コロサイ3-4章、シラ7章 投稿者=真理子 掲示日=2011/07/03(日) 04:58:48 ここから閲覧

●コロサイ3-4章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=col&chapter=3&mode=0
 今日のところは新約のお手紙の中でもすばらしいところです。「地上のものなんかより天国の神様イエス様を求めろ」「貪欲は偶像崇拝だ」「ウソをつくな」「世界の人はみんな平等」「謙遜に、寛容に、そして愛」「悪いことする奴は報いを受けるぞ」……すぐにでも使えそうな金言に満ち溢れてますね。新約聖書のどこを読めばありがたい気持ちになれるかわからなかったら、迷わずコロサイを読みましょう。
 特にすばらしいのが、3章18節から4章1節まで。これ、馬鹿パウロだったら、「妻は夫に仕えろ」「子は父に仕えろ」「奴隷は主人に仕えろ」しか言わないところですけど、コロサイの著者である「なりすましパウロ」さんは、ちゃんと「夫も妻を愛せ」「父は子をいらただせるな」「主人は奴隷を大切に」を言うんですね。
 「パウロ書簡はニセモノのほうがありがたい」。これ、新約聖書の常識にしましょう。

 ところで、クリスチャンのいう偶像崇拝っていうのは、「形のある像を拝むこと」じゃないです。もっと一般的な罵倒語です。クリスチャンは、自分の気に入らない行為をすべて「偶像崇拝」という一言で片付けているのです。そういう言葉遣いの淵源が、コロ3:5の「偶像崇拝」という語の使用法にあらわれております。
 今後、クリスチャンと話をして、「何言ってるんだこいつ、バカじゃないの?」と思ったら、その人がこういうキリスト教業界用語を使っているために意味が通じてない、という可能性を考えてみましょう。
 クリスチャンの方々は(私も一応そうか)、自分の言葉がキリスト教業界用語になっていないかどうか、反省して見るといいです。そういう業界用語を使うから、キリスト教人口が増えないんです。

●シラ7章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=7&mode=0
 あ、なんか「悪いことするな」「賢い女を逃がすな」「賢いしもべを大切に」あたり、コロサイとリンクしてますね。この通読プランでは本編と続編は全然内容の関連を考えておりませんが、偶然に同じようなものが出てきました。今日はすばらしい日曜日ですね。

[756] おいら何も言ってないぞ、お前たちが言ってるんだ 投稿者=真理子 掲示日=2011/07/02(土) 15:37:50 ここから閲覧

そうそう。今日の通読箇所では、ルカ22:70

彼らは言った、「では、あなたは神の子なのか」。イエスは言われた、「あなたがたの言うとおりである」。

が問題になりますね。これは口語訳聖書なんですけど、イエス様のお答えのほうは、まるっきりの誤訳です。
ὑμεῖς(あなたがたは) λέγετε(言う) ὅτι(~と) ἐγώ(私が) εἰμι(~である).
つまり、おいらが神の子だなんて、(おいらは何も言ってないぞ)お前たちが言ってるんだぞっていうのが、正しい訳です。

では、日本語訳聖書をいろいろ比較してみましょう。○×は私の基準から見た正訳(○)、誤訳(×)判定。
明治訳(×):爾曹(なんぢら)の言(いへ)る如(ごと)く我(われ)は是(これ)なり
大正訳(×):なんぢらの言ふごとく我はそれなり
ラゲ(×):汝等の云へるが如し、我は其なり
バルバロ旧(×):あなたたちのいうとおり、私はそれだ
バルバロ新(×):そのとおり、私はそれだ
口語訳(×):あなたがたの言うとおりである
共同訳(○):わたしがそうだとは、あなたたち自身が言っています
新共同(○):わたしがそうだとは、あなたたちが言っている。
新改訳(×):あなたがたの言うとおり、わたしはそれです
正教(○):爾等(なんぢら)言ふ、我は是なり
新世界(○):あなた方自身,わたしがそうだと言っています
塚本(○):そうだと言われるなら、御意見にまかせる
フラ(○):わたしがそうだと言っているのは、あなたがたである
岩波(○):私がそうだとは、あなたたちの言うことだ
ケセン(○):其方等(そなだァど)ァ、俺(おれ)ァそうだって、語(かだ)ってっとォ
電網(○):わたしはあるとは,あなた方が言った
リビング(×):そのとおりです
エマオ(×):そのとおりだ。わたしである。
平明(○):そのとおりだと、きみたちが言っている
田川(○):それはあなた達が言っておいでのことだ
現代(尾山)(×):その通り。私は神の子です。それは、あなたがたも言っているではありませんか。
柳生(×):その通りだ。
岩隈(○):わたしがそうだと言うのは君たちだ

 こうしてみると×は、往年の委員会訳、往年のカトリック訳、福音派系に集中してます。
 それにしても、往年のKJVでさえ、 Ye say that I am. と正しく訳してるというのに、そして明治訳のネタ本とされるブリッジマン漢文訳だって「爾言我是也」(なんぢ言ふ、我は是なり)と正しく訳しているというのに、どうしてみんな、イエス様にじきじきに「おいらは神の子だ」と言わせたいの?
 「ふっふっふ、ほうらひっかかったひっかかったひっかかったよーだ。おいらが神の子だって言ってるのは、おめぇたちじゃねーか」っていうシニカルで巧みなイエス様の言語戦術を無にしちゃダメよ。

[755] Re:#746 #750 しつこくエゼキエル 投稿者=真理子 掲示日=2011/07/02(土) 14:13:47 ここから閲覧

 どうも。HK. J.さんにお墨付きをいただけば安心です。
 実を言うと、私が使ってるあんちょこ、The Interlinear NIV Hebrew-English Old Testamentでは、ここ、思い切り間違えてるんです。פִּלַגְשֵׁיהֶם (彼らのオンナたち)を、lovers-of-her なんて書いてある。これじゃ「彼女のオトコたち」ですよね。
 こういう間違いが起きてしまうのは、次の関係代名詞 אֲשֶׁר の使い方のせいかしら。אֲשֶׁרって、性や数や格にかかわりなくお気楽に使える言葉ですけど、この場合、その先行詞がפִּלַגְשֵׁיהֶם なのではなく、פִּלַגְשֵׁיהֶם の中のיהֶם のところだけっていう変なことになってるせいだと思います。
 つまり、 אֲשֶׁר 以降は、「彼ら」の説明なのに、「彼ら」に当たるものが אֲשֶׁר の前には、語としては存在せず、人称接辞としてしか存在しない。だから彼らの巨根絶倫ぶりのほうから解読していくと、先行詞פִּלַגְשֵׁיהֶם の男性女性を誤読させてしまうんでしょう。
 それでもなんとなく意味はとれてしまうので、なおさら間違いに気づきにくい。

 ヘブライ語やアラビア語の代名詞って、~の、~をっていうのは、単独の語じゃなく、名詞や動詞への接尾語の形になるわけですけど、それにさらに関係代名詞がついてしまうっていう使い方ができるんですね(実はヘブライ語もアラビア語も、こんな複雑な文、あんまり読んだことがありませんの)。ちょっと関係代名詞のところをしっかり復習しなきゃ。でも谷川政美さんの『旧約聖書ヘブライ語独習』、あんまり詳しくないわ。いっそ אֲשֶׁרを聖書本文で検索して、ひとつひとつ用例を見るほうがいいかしら。いまやってみたら4432件もヒットしたわ。大変。

 関係代名詞っていっても、世界の言語では必ずしも先行詞+関係代名詞+関係節……っていう流儀じゃなく、インド系の言語では、ずいぶん違った流儀になります。ここからは隣の主人に聞きながら書いておりますが、色即是空のサンスクリットは、yad(関係代名詞) rūpaṃ(色) sā(それは) śūnyatā(空). 関係代名詞yadは、必ず普通の指示代名詞sāとセットで使うんです。先行詞っていうの使わない。ちょうど、This is the house in which Shakespeare was born.
(これはシェークスピアが生まれた家です)っていうのを中学生(高校生かしら)に説明するとき、Shakespeare was born in a house. This is the house.みたいに分解するじゃありませんか。その分解した形をそのまま文にして、前半のa houseを関係代名詞。後半のthe houseを指示代名詞に置き換えて使う。だからどんなに関係節とメインの部分が複雑な関係になっても、かなりシンプルな形で書けるらしいです。
 そんなわけで関係代名詞って、何でもかんでも英語式だと思うと、とんだ誤解を招くことがあるのね。

[754] ルカ21-22章(あるいは礼拝入場料制度の提案) 投稿者=真理子 掲示日=2011/07/02(土) 13:04:11 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=luk&chapter=21&mode=0
 さて、ルカ福音書もいよいよヤマ場。イエス様が逮捕され死刑判決を受けるシーンです。
 でも、もうこれ3回めですからね。さすがに飽きてきたので、今日はこの話はしないのよ。

 今日とりあげるのはルカ21:1-4。貧しいやもめがレプタ(今なら50円玉かしら)を2枚入れる光景をイエス様が目撃して、あの女は生活費全部を入れたのだ、と説明するシーン。
 この場合は、この神殿をイエス様が仕切ってるわけじゃないし、もう納めちゃったのを横目で見て、弟子たちに説明してるだけだから、いいんですけどね。
 もしイエス様の教団にこの女がやってきて、レプタ2枚を差し出したとしたら、イエス様も弟子たちも、受け取りを固辞しなきゃだめよ。「おばあちゃん、こんなに出さなくていいのよ。おばあちゃんがこれ出しちゃったら、おばあちゃんは今晩何を食べればいいの?」ってね。
 今日のこの言葉、牧師さんが説教にとりあげるとしたら、ほら、真心からたくさんのお金を出せばイエス様に認めてもらえるんですよ、みたいに使いそうですよね。
 まともな牧師さんなら、今日のこの言葉は「イエス様はこういいますけどね、よい子のみなさんは真似しちゃダメですよ」って、警告しなきゃダメですよ。

 以前、FEBC聞いてたら、全盲のゴスペルシンガー、大和田広美さんが、初月給を全部教会に献金したという話を聞いてのけぞったことがあります。なんでも、初物は何でも、その一部を主に捧げねばならないという聖書のどこかに書いてある話を、全部を捧げると思っていたらしい。全部献金しちゃったら生活できない、どうしよう、と思っていたら、お父さんから思わぬお小遣いをもらったので、これで献金ができると喜んで、献金しちゃった。
 大和田さんはこういう天然ボケなところが魅力なんですけど、彼女の教会の牧師は、おおよしよしと受け取ったのかしら? 断られたという話を彼女がしてないところを見ると、たぶん受け取ったのね。だとすればまったくろくでもない牧師だわ。
 牧師なら大和田さんがどういう境遇でどういう収入状況かは知ってるはず。それに不釣合いな多額の金を持ってきたら、ちゃんと面談をして、どこからこのお金を持ってきたのか、これを出して本当に生活できるのか、ということを確認しなきゃダメ。もし彼女が誤解をしているんなら、ちゃんとその誤解を解かなきゃダメ。「悪いけどこのお金は受け取れない」って固辞しなきゃダメよ。

 かねがね私は、「殉教を美化する宗教は邪教」「多額の献金を美化する宗教は邪教」と言っております。
 いわゆるキリスト教系カルト教団は言わずもがな、キリスト教を標榜している教会だって、邪教に片足、いや両足突っ込んでるところは多いわよ。
 こういう教会に見学に行ったら、有り金全部献金しなきゃ解放してもらえそうにないから、こわいですよね。
 まあ、もちろんこれは誇張で言ってるんですけど、でも、多くの人が教会に遊びに行けない理由って、実はこれなんですよ。もちろん帰りの交通費を含めて有り金を全部献金しろって言う教会はないと思いますけど、ああ、礼拝の献金のときに、いくら払わなきゃいけないんだろうって、こわいんですよね。
 思うんですけど、教会の礼拝が入場料制度だったら、どれだけ入りやすいかわかりません。
 1回1800円(割引なしの映画料金)くらいにして、そのかわり、礼拝中もあの怖い怖い黒い袋なんか回さない。牧師への個別の相談は、弁護士への法律相談に順じて30分5000円。結婚式はいくら、葬式はいくら、はっきり決めちゃう。
 そのほうが、気軽に入れるんですよ。
 お金に困ってる信者の方は、こっそり裏口から入れてあげるとか、スタッフ扱いするとか、いろいろやり方あるじゃありませんか。

[753] 悪訳の見本「現代訳」 投稿者=HK. J. 掲示日=2011/07/02(土) 11:05:11 ここから閲覧

自分も実は、読みやすそうだと思って、もっていますが、なんだか、肩透かしを食わされたような、意味を薄めてしまったような、物足りなさを感じます。

読みやすいことは読みやすいのですけど、なんだか聖書を読んでいるのではなくて、聖書の「要約」を読まされているみたいな感じ。特に旧約部分はそう。わかりにくい、なじみにくい、ヘブライ語の文学的な雰囲気が、すっかり抜けてしまって、骨と皮だけの魚のてんぷらを食わされているような感じ。
っていうか、彼にしたら、新約聖書部分のほうはすごく敷衍しているので、旧約のほうは手を抜いているのかもしれませんね。

かといって、通読に適しているかと言うと、この訳で「イメージ」がついてしまうと、他の訳を読んでも解釈が現代訳にひきずられてしまって、尾山さんの呪縛から逃れられなくなってしまいそうです。

同じパラフレーズなら、リビングバイブルのほうがずっと健全な気がします。個人訳じゃないし。

[752] #746 #750 しつこくエゼキエル 投稿者=HK. J. 掲示日=2011/07/02(土) 10:54:57 ここから閲覧

פִּלַגְשֵׁיהֶם 

真理子さん、間違ってないと思います:「彼ら(=絶倫男たち)の妾たち」。

ותעגבה על

この部分は、「また彼女は~のゆえに恋焦がれた」とも「また彼女は~に対して欲情した」とも訳せるようなので、前置詞 עלの後は、巨根の情人を持つ妾でも、絶倫男そのものでも、いいようです。

エレミヤ4:30にも同じ動詞が、分詞形で出ていますが、こちらはほとんど名詞のように使われている感じです。

מָאֲסוּ־בָךְ עֹגְבִים

「(色恋の相手として)慕ってきていた男たちが 彼女を拒んだ」

で、この動詞 「ain-gimel-bet」ですが、この語根から現代ヘブライ語の「"agvaniyah トマト」が作られています。

[751] エゼキエル書31-36章、シラ書6章 投稿者=真理子 掲示日=2011/07/01(金) 06:08:50 ここから閲覧

●エゼキエル書31-36章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=eze&chapter=31&mode=0
 31章はBC587年6月21日、32章は1-16節がBC585年3月3日、17節からがBC586年4月27日。33章21節はBC585年1月8日になります。なんだって時間順に編集してくれなかったのかしら?
 BC587年になりますとユダ王国は完全に滅んでしまいます。バビロン捕囚というのは2回にわたって行われ、1回目のBC597年にエゼキエルは捕らえられてバビロンに来ております。その10年後に、故国が完全に滅び、エルサレムも滅んで神殿も破壊されたという話を聞くことになるわけです。
 エゼキエル書というと、このところ訳文を比較しているエゼ23:20みたいなエログロも多数あったり、1章みたいなUFOまがいの話があったり、なんだかおっかないおどろおどろしい本というイメージがありますが、33章からは一番美しいところです。
 故国が完全に滅ぶという絶望的な状況の中でも希望を失わず、こんどは神様自身が牧者すなわち支配者となった助け出してやるぞというわけです(34章)。
 バビロン捕囚っていうのはけっして遠い昔の出来事ではありません。今回の震災や原発事故で、いつなんどき私たちは住みなれた土地を逐われるかもしれないということを見せ付けられました。そして避難先で、故郷はもう二度と人の住めない状態になったと聞かされたら…… そんな中で、私たちは、かつてのユダヤ人のように希望を持つことができるでしょうか?

●シラ書6章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=6&mode=0
 最初のほうは友人関係のことわざが並んでいます。
 10節は、新共同訳の「食事のときは友であり」のほうが原文に近いとは思いますが、ごはんを食べさせてくれそうなときに近寄っていくという意味にとってしまうと、8節とほとんど同じになってしまいます。そうじゃなくて、同じ食卓で食事をするような親しい間柄でありながら、という意味だと思いますので、真理子のおまけでは「同じ釜の飯をくらいながら」としておきました。
 ユダヤ人は異邦人と一緒に食事しちゃいけなかったわけで、それを乗り越えて異邦人とともに食事をしていいかどうかというのが、使徒行伝ではキリスト教がユダヤ教から脱皮していったきっかけになったわけです。

[750] Re[3]:#726 エゼキエル23:20 投稿者=真理子 掲示日=2011/06/30(木) 19:33:12 ここから閲覧

もうちょっと訳例を追加しておきましょうか。

●バルバロ
また、ろばのような肉をもち、種馬のような精をもつその好色漢に、ふたたび、かの女は恋いこがれた。

 バルバロは旧新ありますけど、この部分は同じです。厳密にいえば、「ふたたび」のあとの「、」が新のほうはありません。肉がこの場合性器であることが不明確であること、そして、男に恋しているととっているのが難点です。

●尾山(現代訳)
たくましい男のそばめにでもなって、その男に体をもて遊んでもらいたいと願った。
●リビング
[19-20]それでもいっこうに懲りもせず、さらに淫行をほしいままにし、エジプトで売春をした若いころの愛人たちを思い出し、よりを戻して淫行を重ねた。

 ねぇ、何とかしてよ、これ。新世界訳を改ざん訳っていうんならこういう手合いなんか改ざんも改ざんじゃない。リビングバイブルは超訳をうたっているからまあこんなもんでしょうけど、尾山さんかんべんしてよ。尾山さんのいうdynamic equivalenceってこういうことなの? 困ったわ。これって超訳、しかも悪い意味の超訳なんじゃないかと思うんですけど。

[749] スパコン 投稿者=真理子 掲示日=2011/06/30(木) 10:32:31 ここから閲覧

 Youtubeを探したら、こんなコマーシャルを見つけましたわ。スパコンというのはこういう方々らしいです。先に私の文章を書きたいので動画は下のほうね。
 はー、すごいわね。1番目のはBGMがアイーダ、爆笑しちゃったわ。

 なんでも温泉地じゃ、高校を卒業した女子の就職先ってこの手のものしかなかったりするらしいです。それでも高校の先生は、就職率をあげなきゃいけないから、教え子たちがこういう仕事をするのを見て見ぬふりをして、断腸の思い(なのかしら?)であっせんしてるらしいです。
 こんな仕事ができるのも若いうちだけなんで、そのうちだんなさんを見つけて落ち着くんでしょうね。
 こういう女の子たちのサービスって必ずしも殿方にとって満足のいくものではないらしく、もう色気も何もないっていう子も多いらしいです。どのように色気がないかはさすがに私でもここに書けません。下の動画を見て想像してください。
 殿方の中にもひいてしまう人が多いらしく、たとえば
http://d.hatena.ne.jp/mu-6/20081219/p2
みたいな意見もございます。もっと割り切って遊べばいいのに、何まじめくさってるのかしら(なお、最後のほうに出てくる「魔法使い」って、30まで童貞の男のことを言うんだそうです)。
 私、こういうの見て、必ずしも男性を嫌悪しませんの。むしろ、こんなサービスで楽しいのって、かわいそうだなって思います。

 昨日の5時に夢中!で、中村うさぎさんと美保純さんが「やっぱり温泉地はストリップと秘宝館とソープランドがなきゃダメよ」って言ってました。石川県加賀市の片山津温泉で、老舗ソープランドを県が摘発したんですが、地元から営業継続の嘆願書が出たって話です。私もそう思います。こういうのは人間の本性の深いところに根ざしたものなので、なくそうとしても形をかえて必ず残るし、こういうのでメシを食ってる女の子だっているわけですしね。ヘンに昔からの風俗をなくすと、素人に毛の生えたような女の子がわれもわれもと劣悪なサービスをするようになって、もっと温泉地の雰囲気が悪くなると思うんですけどね。


(http://www.youtube.com/watch?v=Hn6ODnNiXwg)

(http://www.youtube.com/watch?v=fkTwVesUB7Q)

(http://www.youtube.com/watch?v=L5SRuN-O5SY)

[748] 箴言11-12章 投稿者=真理子 掲示日=2011/06/30(木) 09:43:38 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=skd&book=pro&chapter=11&mode=0
 みなさまおはようございます。
 さっきから主人が、ぜひここを取り上げろとうるさい箇所が箴12:4

  賢い妻はその夫の冠である、恥をこうむらせる妻は夫の骨に生じた腐れのようなものである。

 箴言ってわりと前後の脈絡が希薄にことわざを並べている感がありますが、その中でもこれは特にそうですね。
 私たちの性生活の話、いままでは「真理子の生活と意見」の中の目立たないところ http://www.babelbible.net/mariko/opi.cgi?doc=love2&course=life に書いていたんですけど、このところ私はまるっきり慎みなく、この「真理子の聖書日記」で堂々と書くばかりかTwitterで全世界に配信してますからね。すっかりうちの主人はEDで不能寸前で、そのくせ妄想だけは人一倍あるヘンタイになってしまいましたね。さぞや私は「骨に生じた腐れ」、これって骨粗しょう症? 骨肉腫?
 でもね、主人はこのことでずいぶん悩んでた。私に出会う前からそうだったらしいですから。
 私に会う直前に、非常勤講師をしてた高校の男の先生ばかりで温泉旅行に行って、スパコンを呼んでどんちゃん騒ぎをしたらしい。スパコンって、2位じゃダメなんですかのスーパーコンピュータじゃなく、スーパーコンパニオンというほとんど裸で宴会にはべってくれるお姉さんたちですよ。
 しかしなんというヘンタイな高校なんでしょうか!
 そこでみんな食事もそっちのけにさわりまくったあげく、二次会三次会と旅館の部屋でヘンタイなお遊び。
 そのときに主人はずいぶん悩んじゃったみたいです。女の子から、愛撫の仕方がヘタクソだとさんざん言われたらしい。あげくの果てに、5000円払ったら抜いて(わかりますよね)あげると言われてお金を払ったのに、しこたま酔っ払っていたために全然言う事をきかなかったらしい。そりゃそうよ、当然じゃない! 結局5000円ただ取りされちゃったらしい。5000円はいいんだけど、それ以来「オレはもうだめだ」とか、そうとう心が傷ついて、ずいぶん悩みはじめちゃったんです。
 そんな中で私と出会った。そのなれそめは[366][367][368][369][370]に書いたとおりですが、ちゃんと出来たじゃない!
 それでもやっぱり50に近づくにつれ、なかなかうまくいかなくなって悩み始めてる。そのくせ欲望は全然消えてないから、欲望と能力の差がますます離れて、それがまた悩みのたね。おれはだめだっていうのと、なんてヘンタイなんだ、というのと。それで一人でうじうじと悩む。
 悩みなんて堂々といろんな場で言えばいいのよ。言うことでふっきれるってことがあるでしょ?
 それに、たぶんそれはみんなそうなのよ。同じような悩みを抱えてる人は多いと思うから、こうやっていろいろ書いておけば、勇気付けられることだってあるだろうし、人にも勇気を与えることができるってものよ。
 だからこれからもいろいろ書きますからね。私だって恥ずかしいのよ。でも恥をしのんでいろいろ書くことが、私たち夫婦の社会的使命だと思うんです。

 しかし、こんな私たち 箴11:16「しとやかな女は、誉を得、強暴な男は富を得る」 私はぜんぜんしとやかじゃないし、主人は全然強くないし、これは名誉や富とは無縁ね。

[747] Re:#738 レビ記16-18 投稿者=真理子 掲示日=2011/06/29(水) 16:37:23 ここから閲覧

 でも、アムノン、タマルなら、異母兄妹だし、昔の王族って(ちょっと前まで日本の皇族もそうだったみたいですけど)、お母さんが違うきょうだいなんてまるきり交流なく育ったみたいですから、まあいいんじゃないかしら?
 冬ソナにもなんかあの男女は実は兄妹?疑惑が起こるくだりがあったように思いますけど、実際に一緒に暮らしてない限り、知らなきゃ恋心を持つことだってありえそうですよね。

 ついでながら、ロトの娘っていう設定をやってみたこともあるんですけど、結局はロト役の主人は寝たふりしてなきゃいけません。するとほとんどの私の一人芝居、一人エッチに近くなってしまったので、つまんなくてやめました。
 それに、酒飲んでなんて絶対ムリ。どのようにムリかは……。私の友達で風俗やってる子は、酔っ払い客を一番警戒するらしいです。なかなか終わらないから。
 昔の人って、こういうの、不自然だと思わなかったのかしら?
 あ、たぶんロトは確信犯だったのね。ホントはしらふで娘とセックスしたんだけど、それじゃあんまりだから、酒飲んで寝ていて知らなかったということにしてしまった……。
 なんかドキドキしてきましたわ。人間、心のどこかに近親相姦の欲望が何かしらあるんで、そういう話を聞くと心をくすぐられるんでしょうね。

 あ、聖書テキストのサイトの情報ありがとうございました。

[746] Re[2]:#726 エゼキエル23:20 投稿者=真理子 掲示日=2011/06/29(水) 16:25:19 ここから閲覧

 あれ、私、なんか誤解してます?

פִּלַגְשֵׁיהֶם (ピラグシェイヘム)って、
1.ピレゲシュが「そばめ」、当然女性名詞ですよね。
2.それが複数形になるのでイがついてから、
3.ヘム、すなわち「彼らの」っていう人称接辞がついてる
わけですよね。

 つまり、彼女は、女に恋してる。恋してるというよりはあこがれてる。私もあの女みたいになりたい、と。その女とは、「彼ら」のそばめである。じゃ「彼ら」はっていうと、巨根をもった絶倫男、と。私も、絶倫男の女になれたらいいなって。

 ところが、HK.J.さんがいろいろあげてらっしゃる中国語訳みると、私の中国語理解能力のせいかもしれませんが、そうとってないような気がします。
 結局はおおざっぱには同じになるんですけど、女を恋してない。直接、巨根男を恋してるように訳してませんか?

 これが日本の口語訳も「情夫」、ブリッジマンは「淫夫」。昔の中国語では「夫」で♀もあらわすのかなって思ったんですけど(ちょうど古代日本語の「つま」が♂♀両方であるように)、それもちょっと無理な気がします。

[745] Re:#726 エゼキエル23:20 投稿者=真理子 掲示日=2011/06/29(水) 10:58:21 ここから閲覧

 どうも。いらっしゃいませ。
 確かに新世界訳は後半がヘンですけど、結局ここの意味って、あんなでっかいものをお持ちの道鏡に毎晩毎晩愛されている孝謙称徳女帝がうらやましいわ、私もあの女帝みたいになりたいわってことですよね。口語訳は「道鏡さんとエッチしたい」って意味にとれるのでおかしいし、新共同訳は正しいけど「側女になりたい」のほうがわかりやすい。新改訳はOK。関根先生は悪いけどダメ。フラもダメ。岩波はOK。もちろん新世界は日本語はヘタだけどOK。
 ここまでで新共同、新改訳、岩波、新世界が残ります。
 さらに、前半が生殖器、後半が射精能力と訳しているかどうかですよね。すると新共同、新改訳、岩波は前半がダメ。新世界は後半が怪しいけど、どっちも生殖器関係に訳してるので、まあいいかなって思ったわけです。

 それにしてもヤハウェもエゼキエルも発想の貧困な男よね。大きけりゃいいってもんじゃないのよ。女体の神秘は神様にもわからないのよ。

 ここからはまるきり無関係な「絶倫男」の話。
 昔、韓国語を勉強したときは、今みたいにイケメン俳優の出てくる映画なんかなくて、『桑の葉』みたいな艶笑譚ばっかりだったので、いろいろそういう映画もみましたが、日本では絶倫男の代名詞は道鏡ですけど、韓国だと병강쇠(ピョンガンセ)。これ、パンソリにもなってる古典小説です。エッチをした女性がみんな死んじゃう。で、その反対に、エッチをした男性がみんな死んじゃうというのが옥녀(オンニョ)。さて八道(朝鮮の典型的な「全国」をあらわす表現)を旅したふたりがある峠で出会って一世一代のバトルのようなエッチをするとか、そういう映画がやたら多いんですね。昔は。
 で、私は旧約外典のトビト書を読むと、ついついこの話を思い出してしまうんです。はい。

[744] 詩編84-86編、シラ書5章 投稿者=真理子 掲示日=2011/06/29(水) 10:30:03 ここから閲覧

●詩編84-86編
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=psa&chapter=84&mode=0
 84編は、ぼけっと読んでるとわかんないですけど、「主のいらっしゃるところはすばらしい」というわけですから、逆にいうと今いるところは「主のいらっしゃるところ」じゃないわけです。エルサレムの神殿にこれから詣でるともとれますし、捕囚されてるとか外国暮らしをしているとかで、故郷を思って嘆くともとれます。7節(6節)の「バカの谷」(口語訳)は、嘆きの谷(新共同訳)/涙の谷(新改訳)と訳されることが多いです。
 続く85編はヤコブ(=イスラエル)の繁栄を回復されたというのですから、逆にいうとちょっと前までは悲惨な状態だったというわけです。新共同訳では「捕われ人を連れ帰ってくださいました」とあるので、これも捕囚がらみで解釈しています。
 詩編って、ぼけっと読んでると何だかピンときませんけど、一つ一つの語を、その反対の状況を考えて読むといいんじゃないかしら。喜びに満ち溢れているとかあったら、ちょっと前までは苦労してたんだなとか、苦しい貧しい(86編)とあったら、ちょっと前までは楽しくてリッチだったんだなとか。そういうふうに読むと、一つ一つの語の重みがわかってきます。

●シラ書5章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=5&mode=0
 11節。「聴くのはすばやく、答えるのはじっくり時間をかけよ」。ネットの書き込みの教訓ですね。いろんな人の書き込みに目を通し、自分が書きこむときは慎重に。私も気をつけなきゃ。

[743] #726 エゼキエル23:20 投稿者=HK. J. 掲示日=2011/06/29(水) 05:54:49 ここから閲覧

真理子さんが新世界訳の日本語版を挙げておられたので、新世界訳の英語版・フランス語版・中国語版をチェックしてみました。

そうしたら、新世界訳中国語版が翻訳の基準にしていると思われる和合本とかなり近い訳をしており、さらにほかの中国語訳もかなり、原文のエログロをストレートに出した訳で、驚き!ました。っていうか、新世界訳の日本語訳者は、意味がわかっていなくてこの部分を訳しているのがよくわかります---『そばめに倣って欲情を燃やしつづけた』これ、日本語になっていません。

<原文>
wat.ta[:gevah [al pilagsheihem
]asher beshar–xamorim besharam
we.zirmat susim zirmatam

<原文直訳>
and-she-lusted upon concubines/paramours-of-theirs
who flesh-of-donkeys flesh-of-theirs
and (fluid-)issue-of-horses (fluid-)issue-of-theirs
それで彼女は欲情した 彼らの側女・愛人たちに
その肉(=陽物)が、ロバの肉のような
その射出(=子種)が、馬の射出のような

20
And she kept lusting in the style of concubines
belonging to those whose fleshly member is as the fleshly member of male asses and whose genital organ is as the genital organ of male horses.

20
Et elle éprouvait du désir à la façon des concubines
appartenant à ceux dont le membre de chair est comme le membre de chair des ânes et dont l'organe génital est comme l'organe génital des chevaux.

新世界訳中国語版
她像妾婦一樣,貪戀那些下體如驢如馬的情夫。
(彼女は妾と同じだ、その下の物がロバのような馬のような情人に恋焦がれている)

新世界訳以外の中国語の訳は、四字熟語風にして、もうちょっと上品です。

和合本 (Union Bible)
貪戀情人身壯精足,如驢如馬。

思高(カトリック Studium Biblicum)
她仍戀愛體壯似驢,精足似馬的情人。

現代中文譯本 (Today's Chinese Version)
她迷戀那些體格像野驢一般雄壯、精力像野馬一樣充沛的情郎。

こうやって比べてみると、英語の新世界訳も、さくっと直訳すればいいものを、なんでまたこんな面倒くさい、まわりくどい表現にしたのでしょうか。。。。??

[742] #738 レビ記16-18 投稿者=HK. J. 掲示日=2011/06/29(水) 04:37:40 ここから閲覧

兄妹相姦

・・・・・・うーーん、ちょーっと反応してしまいました。
アムノンとタマルっていう聖書の例もあることだし。「未遂」で終わるくらいの「ドキドキ」なら、けっこういろんなところで起きていそうな気がします。

ちなみに、このサムエル第二 13:6
「どうぞわたしの妹タマルをこさせ、わたしの目の前で二つの 【 菓 子 】 を作らせて、彼女の手からわたしが食べることのできるようにしてください」。

この【菓子】っていうのが、ヘブライ語で levivah っていうのですが、これ、lev という言葉の派生語です。lev といえば「心」です。なんでまた、こういう文脈で、ハート型の菓子なんか作るかねーーー。源氏パイみたいでうまそうでは ありますが。

[741] YouVersionのアドレス 投稿者=HK. J. 掲示日=2011/06/29(水) 04:20:41 ここから閲覧

http://www.youversion.com/bible

アドレスはこちらです。

[740] 聖書テキストのサイト 投稿者=HK. J. 掲示日=2011/06/29(水) 03:59:42 ここから閲覧

なんだか、表示の奇妙なところがたくさんあるサイトですが、「中文標準訳本」とか、日本語「リビングバイブル」、現代ヘブライ語の「リビングバイブル(新約部分のみ)」とかが閲覧できるサイトがありましたので、ご報告します。

中文標準訳本というのはどうもシンガポールの華僑が中心となって、現代の普通話の語彙と文法で聖書を中国語訳しようとして出来たもののようです。自分は本で買いましたが、ネット上で見られるのだったら、買わなくてもいいくらい、そんなには特徴のない訳です。

リビングバイブル現代ヘブライ語版は、どうもデータがかけているようですが、たぶん書物としては絶版なので、貴重です。たとえ、クリックして表示されない部分があったとしても。ヨハネの黙示録で「主なる神」が Elohim Ha-Shem とか書かれていて、たしかにユダヤ人向けに訳されていることがわかります。

[739] 列王記下11-15章 投稿者=真理子 掲示日=2011/06/28(火) 11:19:22 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ki&chapter=11&mode=0
 このところ王様があんまり変わってませんでしたけど、今日は王様の移り変わりだけで終わっちゃうわ。なにしろ北が滅ぶ寸前まで行きますもの。
 まず南。[731]で書きましたように6代目アハジヤが北のクーデターに巻き込まれて死んじゃいますと、母のアタリヤが南唯一の女王として即位します(南7。在位BC842-837)。そして王族をことごとく殺そうとするんですが(だって彼女自身は王族じゃないですから)、王子ヨアシ(ヨアシュ)だけはアハジヤの妹にかくまわれて無事。彼女はずいぶん暴君だったんですが、このヨアシを擁立した大祭司エホヤダ(ヨヤダ)がクーデターを起こしてアタリヤは殺され、ヨアシが即位(南8。BC837-800)。ここまでが11章。ヨアシは祭司たちが献金の横領をしているのを許さず直接献金を管理して神殿を修理します。こんなにいい王様だったのにクーデターを起こされて死んじゃいます。まったくヤハウェって頼りない神様ね。ここまで12章。
 北はエヒウ(イエフ)の死(王下10:35)後エホヤハズ(ヨアハズ。北11。BC815-801)が即位。スリヤ(アラム)との戦いの絶えない治世。死後は息子のヨアシ(ヨアシュ。北12。BC801-786)。あれ、2年間ほど、北もヨアシ南のヨアシって時期がありますわ。死後はヤラベアム(ヤロブアム)2世。北13。BC786-746。このとき預言者エリシャが死にます。死ぬときに王様に東向きに矢を何度も放てと言ったのに王様が3回しか放たなかったので「スリヤ(アラム)に勝てるのは3度だけ」と預言したというオマレつき。まったく死ぬまでうるさいじいさんね。ここまで13章。
 一方南は、アマジア(アマツヤ)が即位。南9。BC800-783。父を殺した謀反人どもを殺したものの、その子までは殺さなかったということで評価されております(王下14:6)。この規定は申24:16にあり、エレ31:30とかエゼ10:2とかでは「父がすっぱいブドウを食べたから子の歯が浮くなんてことはないだろ!」なんて書いてます。今じゃ当たり前ですが昔は珍しい規定。いや、今だって東電の家族が肩身の狭い思いしてるとかいろんな話ありますから昔をバカにできないわ。申命記の規定って新しい律法が多いんで、たぶんこの時代に「父は父。子は子」っていうのが確立して、エレミヤやエゼキエルはそれを宣伝してるんですね。あとエゼキエルにはエゼ18:10-13もあります。
 こういう近代的な考えのいい王様なんですが、北と戦争して負けるなど、実際の治世はさっぱり。謀反が起きて殺されちゃいます。死後は息子のアザリヤ(アザルヤ)が即位(南10。BC783-742)。
 15章に入っちゃいますが先回りしてアザリヤの話をします。この王様、王下15:13,30ではウジヤと書かれてますが同一人物です。なんでこういうふうに2つ名前があるのかわかりません。一般にはウジヤのほうが通りがいいです。いい王様なんですがらい病に感染しちゃいまして、子のヨタムが政務を代行し、ウジヤの死後は即位(南11。BC742-735)。
 北はヤラベアム(ヤロブアム)2世でしたね。この時期が北の絶頂期です。悪い王様なのに絶頂期なのはこれいかにというので、王下14:25-27ではうだうだとわけのわからない弁明をしてますね。列王記はヤハウェを信ずる王がいい王様で、実際の治世がどうかなんて関係ないんですよね。ここまで14章。
 その後はゼカリヤ(ゼカルヤ。北14。BC746。六ヶ月)、謀反で殺され、謀反人シャルム(北15。BC745。一ヶ月)。また謀反で殺され、謀反人メナヘムが即位(北16。BC745-738)。このころからアッスリヤ(アッシリア)に攻められます。謀反で殺され、謀反人ペカが即位(北17。BC737-732)。アッシリアに大々的に攻められて多くの民が捕囚されちゃいます。謀反で殺され、謀反人ホセア(ホシェア)が即位(北18。BC732-722)。この人が北の最後の王です。
 南はらい病のウジア=アザリヤが死ぬと、それまでも実質的に王だった子ヨタムが即位。次は子のアハズ(南12。BC735-715)。ここまで15章。ああ疲れた。