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2020年8月9日(日) 通読(本日=二テモ3-4,3イミ36,ヒラ16 明日=民17-20,エズ・ラ3,3ニフ1)

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節表示・修正口語訳(日本語R)+真理子のおまけ 解題
〔真理子訳(工事中)〕イミタチオ第1巻 霊の生活に益ある勧め 第10章
第十章。言葉が多いのを慎みなさい
できる限り、人々が集まって騒ぐのに加わってはならない。この世の俗事を語らうのは、たとえそれが純粋な意図から出たとしても、やはりあなたには大きなさまたげになるだろう。
なぜなら、われわれはたちまち空虚な妄想に汚されとらわれるからである。
今でもわたしは、もっと黙っていたほうがよかった、人の集まりの中に行かないほうがよかったと思ふことがたくさんある。
むだ話をしあって沈黙に戻った後は、われわれはいつも自分の良心に何らかの傷を感じないことはまれであるのに、どうしてわれわれはむだ話を好むのだろう。。
われわれが語り合いを好むのは、おたがいにうち解けて慰められ、種々の思索に疲れた心をいやされたいと思うからである。
そしてわれわれは好んで、自分たちの最も愛すること、願うこと、嫌うことを話題とするのである。
それなのに、これはむなしい事となってしまうことが多い。外から来る慰めは神からの内なる慰めのさまたげになるからである。
だから、われわれは時間がむなしく過ぎ去らぬように、常に警戒して祈るべきである。
もし語って差し支えがなく適当なときは、話題はおたがいの徳を高めることであるのがよい。
われわれが会話に不謹慎になるのは、主としてわれわれの悪い習慣や、精神の向上についての怠慢からである。
しかし敬虔な心で霊の事を語り合うのは、われわれの徳の進みを助けることが多い。特に、われわれの霊と心が、神において結ばれるときは、なおさらである。

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