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2020年9月21日(月) 通読(本日=申4-6,エズ・ラ9,3ニフ25 明日=代下25-28,シラ43,3ニフ26)

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節表示・修正口語訳(日本語R)+真理子のおまけ 解題
〔57年モルモン経〕ニーファイ第二書 第25章
第二十五章
ニーファイの説明。ニーファイ、イスラエルが散らされつづいて集められることを予言する。メシヤが降臨したもう時を特に告げる。

さて私ニーファイは、イザヤが言った言葉の一部分を記したが今これについて少々話をしよう。ごらん、イザヤが言った言葉の中には、私の民の多くの者に解りにくいことが少くない。これはかれらがユダヤ人の予言のしかたを知らないからである。
ユダヤ人の行いが悪くその仕業が憎かったから、私ニーファイはその風俗について多くのことを私の民に教えなかった。
それであるから、私が今ここに書く言葉はこの後これを受けるはずのことごとくの者にこれを伝えるために書き、そして神の仰せになったように神の裁判が必ず万国の民に及ぶことを知らせようとするのである。
それであるから、イスラエルの家に縁のある私の民よ、耳を傾けて私の言うことを聞け。イザヤの言葉はあなたたちには明瞭でないが、およそ「予言のみたま」に満たされる人々には明瞭である。私の心に宿る「みたま」によってあなたたちに一つの予言を述べよう。すなわち、私の父といっしょにエルサレムを出てから私がたえずつづけてきた明瞭な言葉で予言を述べよう。まことに私が民に学ばせるために明瞭な言葉で話すのは私の心が楽しみとするところである。
そもそも、私はエルサレムから出てきた者であって、この目でユダヤ人の事を見たから私の心はまことにイザヤの言葉を喜ぶ。ユダヤ人は予言者の言うことがよく解っている。しかし、ユダヤ人に話したことがユダヤ人ほどによく解る者は、ユダヤ人の風俗を教わる者のほかに一人もない。これは私ニーファイがよく知っている。
しかしごらん、私はユダヤ人の風俗を自分の子供たちに教えなかったけれども、私自身はエルサレムに住んだことがあるので、そのまわりの国々を知っている。そして私はイザヤが予言したように、すでにユダヤ人の中に下った神の裁きについて私の子供たちに話をした。しかし、ここにはその話を書かないことにする。
しかしごらん、私は自分の明瞭な話し方でこれから私の予言を述べよう。私がこの話し方をすればだれでもよく解って間違いをしないことを知っている。たとえ間違ったとしても、イザヤの予言が事実となって現われるときには、人々は確かにその意義を知るであろう。
それであるから、イザヤの予言は人間にとってためになる。これがためにならないと思う人には私はとくべつに話をするつもりである。私はまた私の民にだけ関係のある言葉で話をする。それはこのような言葉が末の日に大そう私の民のためになることを知っているからであって、またそれは末の日に私の民がこの言葉の意味を理解するからである。それであるから、私はかれらのためにこれを書く。
ユダヤ人の中で一代の人がすでに罪悪のために亡びたように、代々のユダヤ人もその罪悪のために亡びている。しかし、ユダヤ人の中にはその亡びることを主の予言者たちに予言されずに亡びた者は一人もまだこれまでにない。
それでユダヤ人は私の父がエルサレムを去るとすぐに亡びるはずであることをかねて教えられていたが、教えられていてもユダヤ人たちはその心をかたくなにしたから、果して私が予言したように、とりこにされてバビロンへ送られた者を除いて皆亡びてしまった。
今私は私の心に宿る「みたま」によってこの話をする。さてユダヤ人はひとたびとらえてつれて行かれても、また帰って来てエルサレムの地を自分のものにする。従って、またその受け嗣ぎの地へ元通りに復るのである。
しかしごらん、かれらの中には戦いが起りまた戦いの噂が行われる。そして天地の父の生みたもう独子が肉体でかれらに現われたもう日がくると、かれらは自分たちの悪事とかたくなな心と強情なために、その独子を受け入れることを拒み、
とうとうこの独子を十字架にかける。しかし、独子は三日の間墓に横わりたもうてから、自身にある癒しの能力をもって死者の中からよみがえりたもう。それであるから、およそその御名を信ずる者は皆神の王国に救われるのである。従って、私の心はこの独子について予言をすることを楽しく思う。それは、私がこの独子の時代を先見したことがあって、心の中にその聖い御名をあがめるからである。
さてメシヤが死者の中からよみがえって、その民の中でその御名を信ずる者たちに現われたもうた後、ごらん、エルサレムはまた破壊される。これは神と神の教会の聖徒たちに逆らう者は禍であるからである。
これによって、ユダヤ人は万国の民の中に散りバビロンもまた亡びる。従って、ユダヤ人はバビロン以外の国民にも追い散らされる。
そしてユダヤ人がこのように散らされ何代かたって、主なる神は神の御子キリストとその万民のためになしたもうた限りない身代りの贖罪とを信じなくてはならぬことを、ついに得心するまでたえずユダヤ人を他国の民によって悩ましたもう。しかしユダヤ人がキリストを信じ、その御名によって汚れのない心と清い手によって天の御父を拝し、もうほかのメシヤを待ち受けないようになるならば、その時にはかれらが私の今ここに書いたことを信じなくてはならぬ日もくるであろう。
その日がくると、主は堕落して迷っている有様から、またまたその民を救い出す御業を始めたもう。従って主はめずらしい業と驚嘆すべき事を世の人の中に始めたもうのである。
それであるから、主はその言葉をその民に示したもう。これはその民にかれらがひとたび拒んだ本当のメシヤを信じさせ、またもうほかのメシヤが降臨になるのを待ち受けるに及ばないことを認めさせるために示した言葉であるから、かれらは終りの日にこの言葉によって裁きを受ける。予言者たちが言ったメシヤはただ一人であって、そのメシヤはユダヤ人が拒むはずであった。それであるから、これよりほかにもしメシヤがくるとすると、それは民をまどわす偽のメシヤにほかならない。
予言者たちの言葉によれば、真のメシヤは私の父がエルサレムを去ってから六百年でこの世に来りたもうのである。また予言者たちの言葉と神の使の言葉によれば、メシヤの名は神の子イエス・キリストと称えられる。
さて、私の兄弟たちよ、私はあなたたちが誤解をしないように明瞭に話した。主なる神はイスラエル人をエジプトから導き出したまい、またもろもろの民が毒蛇にかまれたときに、モーセがかれらの前に立てた蛇を見たならこれをすぐに癒す能力をモーセに与えたまい、また岩を打つと水を湧かせる能力をモーセに授けたもうた。以上のことと、主なる神が生きてましますことが確実なように、私が今言ったイエス・キリストのほかに、人間に救いを与えることのできる名は断じて天下にないこともまた確実である。これを私はあなたたちに明言する。
それであるから、ヨセフの子孫は大地の在るかぎり決して亡びないと言う約束をヨセフのために果そうとして、主なる神は私が今ここに記すことを、子々孫々に保存して代々相伝えることを私に約束したもうた。
それであるから、私の記すことは大地の在るかぎり神の思召のまま代々伝わるのであって、この記事を所有する国民はそれにのっている言葉によって裁きを受けるのである。
だから私たちが力をつくして書き記すのは、自分たちの子孫と兄弟たちを説得してキリストを信じさせ、神との一致を得させるためであり、それは人が最善をつくしてはじめて、神のめぐみにより救われることを知っているからである。
私たちはもとよりキリストを信ずるけれども、今はモーセの律法を守り、モーセの律法が目的を達してその効用がなくなるまでは、固く信じてキリストの降臨したもうことを待ち望んでいる。
そもそも、律法が立てられたのはキリストの降臨に先立って人に用意をさせるためである。私たちは福音を知っているからモーセの律法はすでに空文であって、私たちはキリストを信ずる信仰によって生かされている。しかしながら、神の命令があるによって今もモーセの律法を守るのである。
私たちはキリストのことを話し、キリストのことを喜び、キリストのことを説教し、キリストのことを予言し、また私たちの子孫にどこに罪の赦しを求めるかを知らせるために自分たちが予言したことも書くのである。
従ってモーセの律法について話をするわけは、私たちの子孫にモーセの律法に生命のないことを知らせ、これを知ってキリストの与えたもう生命を待ち望み、その律法が立てられた目的を知らせるためである。またこの世のキリストによって、この律法がその目的を達してすでにその効用がなくなり捨てなくてはならなくなったときに、かれらにその心をキリストに対してかたくなにさせないためである。
さてごらん、私の民よ、あなたたちはかたくなな民であるから、誤解することのできないように私ははっきりと話をした。そして私の言った言葉はだれにも正しい道を教えるのに足るものであるから、あなたたちを責める証しになる。ここに正しい道とはキリストを拒まずに受け入れてこれを信ずることを言う。キリストを拒めば、予言者らも律法も共に拒むことになる。
そもそも、正しい道とはキリストを拒まずにこれを信ずることを言うのである。キリストはイスラエルの聖者である。それであるから、あなたたちはキリストの御前にひざまずいて勢いと心と力とをつくし、全身全霊をこめてキリストを拝さなくてはならない。そうすれば決してあなたたちは追い出されない。
そしてモーセに与えられた律法がその目的を達して効用のなくなるまでは、必要なかぎりあなたたちは神の定めたもうた典礼と儀式とを守らなければならない。

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