[ばべるばいぶる]

真理子の聖書日記


このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
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[169] イザヤ書40-44章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/03(金) 10:59:25 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=isa&chapter=40&mode=0
 昨年度の記事は[0:478]
 ここから55章までは第二イザヤ。昨年も書きましたが、40-55という数字を覚えておくと、この前つまり1-39が第一イザヤ、この後つまり56-66が第三イザヤだってわかるので便利です。え、66っていうのはどうやって覚えるかって? 「イザヤ書は旧新約聖書66書の中で一番章数が多い」と覚えるのです。え、詩編のほうが150編だから多いって? あれは「編」でしょ? と強弁してしまう私。
 40-55はどうやって覚えましょうか。新しい世(4)は(0)来い(5)来い(5)、でいきましょうか。
 第二イザヤは40-48章が捕囚解放前、49-55章が解放後という大きな二部構成になっています。
 なお、福音派さんはイザヤ複数説を認めないので、福音派御用達の『新聖書注解』もイザヤ1人説になっていますが、ちゃんと40章のところを読むと、複数説も紹介しています。こういうところが『新聖書注解』のいいところ。福音派嫌いの真理子も一目置いているんです。ちゃんと一般の説も紹介しているので、お立場上で聖書無謬説を書いているところをシカトすれば、立派に使える注解書になるんですね。

 昨年は最初(40章)をとりあげたので、今年は43章。
 ヤコブというのはイスラエルと同じ。この点は創世記でもうおなじみですね。ヤコブが神と戦ったのでイスラエル(神と戦う者)という名前にしろと神様から言われたんです。
 だから何回か出てくる「ヤコブよ~、イスラエルよ~」っていうのは、同じ語の繰り返しを避けて変化をつける文学的技巧です。
 そんなわけでここはイスラエルの民に呼びかけているんですけど、前章までイスラエルの民のかたくなさを非難していたのがうってかわって、神様はイスラエルの民をあがなった(罪を帳消しにして救った)と言っています。神様はイスラエルの民を選び出し、エジプトから導き出したんですが、そういう昔のことはもう忘れて、第二の出エジプト、つまり捕囚からの解放があるぞ、と言っています。

[168] 2ニフ11章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/02(木) 10:18:34 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ne&chapter=11&mode=0
 次章からまたまたイザヤ書の引用が続くんですが、これは語り手のニーファイの趣向のようです。つまり弟ヤコブの見た神様の啓示や、自分の見た啓示だけでなく、イザヤ書を引用することによって、「われは三人の証言をもってわが言葉を確かめん」という神様の言葉にかなうというのでしょう。序文にも「三人の見証者の証言」({ibm:3)というのがありましたし、2ニフ27:13-14イテ5:2にあるように、「三人の証言」というのが大事みたいです。

[167] トビト記8章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/02(木) 10:11:59 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=tob&chapter=8&mode=0
 昨年度の記事は[0:403]
 いよいよ新婚初夜。トビヤはラファエルに教えられたとおりに魚の肝臓と心臓を使って悪魔を退治します。
 ところでこの悪魔は上エジプトのほうに逃げたとあるので(新共同訳ではただのエジプト。真理子は土岐健治先生の解釈にしたがってΑἰγύπτοςを上エジプトとしましたが、別に下エジプトと対比されているわけではありません)、エジプトを悪魔の住み家のようにとらえているわけです。後にユダヤ人はエジプトのアレクサンドリアにいっぱい住んでコミュニティを作り、七十人訳もそういう中で訳されるんですが、エジプトに住んでいる人がエジプトを悪くいうのはおかしいので、この話自体はヘレニズム時代より前に出来たのではと推測される根拠になっています。
 さて、二人はエッチの前にお祈りをします。それが トビ8:5-8です。数日前にTwitterで、「クリスチャンは食事の前に祈るけどエッチの前に祈るのかしら」とツィートしたのはここをふまえています。まあ人それぞれでしょうし、普通は祈らないと思うんですけど、昨日主人とのエッチのときにふざけてこの祈りをやってみたら、けっこう萌えました。むらむらしました。セックスのときに大まじめに祈るとかえってエロさを強調させるようです。今後もときどきやってみます。

[166] ヨブ記15-16章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/02(木) 09:56:56 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=job&chapter=15&mode=0
 昨年度の記事は[0:477]
 第二ラウンドの開始です。
 テマン人エリパズ(エリファズ)の弁論(15章)とヨブの反論(16章)。反論は次章に続きます。
 前にも言いましたがテマンというのはどこかよくわかりません。
 昨日ふと思い立って、Wikisourceにアップされている日本聖書協会の1956年版聖書地図を、索引を電子化してひけるようにしてみました。以後は地名が出てきたらこれを見てください。
http://www.babelbible.net/map/map.cgi
 でも、テマンは載ってません。韓国語だとテマンは台湾(대만)になりますが微妙に発音が違います(本当のテマンは데만)。

 さて、エリパズはヨブを、神を恐れることを識らない罪人であると決めつけて、第一ラウンドと同じような主張を繰り返します。たとえばヨブ15:14-15「人はいかなる者か、どうしてこれは清くありえよう。女から生れた者は、どうして正しくありえよう。見よ、神はその聖なる者にすら信を置かれない、もろもろの天も彼の目には清くない。」は、ヨブ4:17-18「人は神の前に正しくありえようか。人はその造り主の前に清くありえようか。見よ、彼はそのしもべをさえ頼みとせず、その天使をも誤れる者とみなされる。」とほとんど同じです。同じような主張を繰り返されたのでは、ヨブのいらいらはつのるばかりでしょう。
 ちなみに、ヨブ15:33の「ぶどうの木」「オリーブの木」というのは、実を隔年ごとに成らせるために、成らせない年には農夫がわざと実(花)を落とすんだそうです。落とされる実(花)にとってはたまったものではありませんが、農夫の計画によって落とされる。そんなふうに、義人が不幸になるのも神の秘められた計画なのだと言いたいのでしょう。

[165] 2ニフ10章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/01(水) 10:55:24 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ne&chapter=10&mode=0
 翌朝になってヤコブは説教を続けます。
 ヤコブは将来(現在はBC559です)キリストが罪深いユダヤ人の中に生まれると予言します。そしてユダヤ人はキリストを十字架にかけ、その罪によってユダヤ人は万国に散らされます。しかしさらに将来、彼らがキリストを信ずるようになると、異邦人の王たちが彼らを助けて故国にもどり、そのときには故国シオンに対して戦う者がみな滅びる、と予言します。
 モルモン経が書かれた19世紀にはまだイスラエルが存在せず、ユダヤ人は世界各国に散らされて住んでいたことを頭にいれて読むと、これはJスミスJr自身にとっての未来を予言していることになります。この予言が当たったかどうかは解釈のわかれるところで、イスラエルが建国された点では当たっているにせよ、別にユダヤ人がキリスト教徒になったわけではないし、???というところです。
 が、モルモンに限らずキリスト教徒、特にアメリカ人がユダヤ人のことを論ずるとき、聖書の主人公としてユダヤ人をとらえるので、どこか「全人類の代表」として話すところがあります。つまり、単にユダヤ人が故国に戻るというのではなく、キリストを信ずる者は誰も救われて神の国に行き、キリストを信ずる者に対して攻撃する者はみな滅ぶ、という意味で、ユダヤ人うんぬんと言っているのでしょう。

[164] 1マカ8章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/01(水) 10:33:53 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ma&chapter=8&mode=0
 昨年度の記事は[0:569]
 新興勢力であるローマがのびてきて、スペインの金銀の鉱山をも手に入れて力をつけてきました。この時代はスキピオとハンニバルの活躍した第二次ポエニ戦争の50年ほど後、カルタゴが完全に滅ぶ第三次ポエニ戦争よりはちょっと前です。
 ローマは共和制。もともと共和制だったギリシアもいまは王制で、しかもひどい王様が多いですから、ユダは新鮮さを感じたのか、ローマと同盟をして戦おうとします。

[163] 詩編21-23編 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/01(水) 10:21:02 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=psa&chapter=21&mode=0
 昨年度の記事は[0:475]

●21編
 神様は王を助け、王は神様を信頼し、敵は滅んで国は治まるという詩。こういう神が王を助ける詩も詩編には少なからずあります。ダビデの詩って必ずしもダビデが作ったわけではありませんが、たぶんダビデ王の時代にダビデ王を賛美する意図で作られたんでしょう。二言目には首領様将軍様と歌う北朝鮮のポップスと同じです。
 もともとヤハウェの宗教は反権力的というか、神の前にはみんな平等なので祭司職は作っても王を作らないという伝統がありましたが、ダビデ王の時代になって王権に正統性を与えて強化するのにこの宗教を利用したので、以後は王権を正当化する形でユダヤ教が形成されていきました。王は神の子とされ、よって王国が滅んでも来るべき救い主「神の子」がダビデ王の血統から出ると言われるほどになったのです。
 さて、スウェーデンで2009年に『詩編21』というホラー映画ができたらしく、Youtubeにはその関係の動画がいっぱいあるのですが、ホンモノの詩編21の音楽は面白いのがありません。そこでここではまず広東語の朗読、

(http://www.youtube.com/watch?v=ZzVsk3XFm8M)
 次にいつものkinotoriさんの作品

(http://www.youtube.com/watch?v=G9boI23yKgg)

●22編
 イエス様も十字架上でつぶやいたという有名な詩。冒頭のみならず主人公の苦しみのさまが十字架のイエス様の苦しみに似てますし、着物をくじびきにする話なんかも出てくるなど、クリスチャンにはなじみ深い詩です。
 しっとりした次の曲を聴きましょう。

(http://www.youtube.com/watch?v=TPi9eobNgug)
 次にラテン語の朗読。21とありますが22です。

(http://www.youtube.com/watch?v=W55CMgRW0Ug)
 kinotoriさんは『さとうきび畑』で来ましたか。

(http://www.youtube.com/watch?v=sA8yLKhQUUs)

●23編
 主はわが牧者。交読文
http://onlinechurch.blog64.fc2.com/blog-entry-8.html
にも入っている有名な詩。こういう短くてびしっときまったのはいいですね。

 子どもを使うのは邪道かもしれませんが、かわいいのでどうぞ。

(http://www.youtube.com/watch?v=3buLQoCN6KY)
 kinotoriさんの作品が見つからないのでかわりにドイツ語のこれ。映像が美しいので。

(http://www.youtube.com/watch?v=f8KLLSFSuGY)

[162] 2ニフ9章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/31(火) 08:39:37 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ne&chapter=9&mode=0
 怒涛の54節。1節が長いものが多く、とても長く感じます。
 でも今までのようなイザヤ書そのまんまより面白いですね。
 後半はまさにモルモン経版「山上の垂訓」という感じで、さまざまな悪徳をあげてそういうことに陥るなと警告しています。
 祭司ヤコブの今日の説教はおしまい。明日の説教は次章以降。

[161] シラ書8章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/31(火) 08:32:36 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=8&mode=0
 昨年度の記事は[0:768]
 シラ書はみんな処世術といえば処世術ですけど、今日のは特に日常的、世俗的な処世術がいっぱいです。権力者と争うな、金持ちと争うな、口のうまい者と争うな……。確かにすぐに役立つ話ばっかりですけど、役立ちすぎてあんまり聖書的な香りがしませんね。
 今日のはみんな、「~するな、でないと…になる」という体裁ですけど、一番最後の19節だけそうじゃありませんね。新共同訳聖書注解によればここの後半はヘブライ語写本では「お前の幸福が消えうせないためである」となってるんだそうです。でもシラ書はギリシャ語が原典ですからね。

[160] 士師記12-16章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/31(火) 08:21:43 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jdg&chapter=12&mode=0
 昨年度の記事は[0:473]
 前回の[139]に続き、士師をまとめておきましょう。

イブザン。 士12:8-10。ベツレヘム出身なのでたぶんユダ族。
エロン。 士12:11-12。ゼブルン族。
アブドン。 士12:13-15。出身地ピラトンはエフライムの地なのでたぶんエフライム族。
サムソン。 士13- 士16。ダン族。長らく子のなかったマノアに主の使いがあらわれて授かる。生まれたときからナジルびと(修験者というか求道者というか)として育ち、髪の毛を切らないことで怪力を持つ。ペリシテ人の娘と結婚、その婚宴の席で出した賭けナゾナゾの答えを妻に懇願されてばらしたため敗れ、30人を殺して奪った着物を差し出す。恐れた娘の父は娘を婚宴の客人に渡してしまい、これをきっかけにペリシテ人との戦いを始め多数のペリシテ人を殺す。その後ガザの遊女と関係、さらにソレクの谷のデリラを愛する。サムソンに復讐したいペリシテ人はデリラを買収、彼女を通してサムソンの力の源泉が髪の毛にあることを知り、髪の毛をそり落とされて捕らえられる。ペリシテ人が多数集まる神殿での祝いの席に引き立てられたサムソンは、髪の毛が伸びはじめたので力を回復、神殿を破壊して自分とともに多数のペリシテ人を殺す。

 ところで12章ではエフタの話がまだ続いており、エフライム族が「なぜオレたちを戦いに連れていかなかった?」と抗議、このためエフライム族と戦って多数を殺した話があります。ちなみにシーン(ש)をサメフ(ס)のように発音した者をエフライム族と認定して殺すっていうのは、関東大震災のときに「十五円五十銭」の発音をうまくできなかった者を朝鮮人と認定して殺した話が思い出されて陰惨ですね。それはそれとして、同じ話がギデオンのときにもありました(士8:1-3)。この話はたぶん、後の時代のエフライム族との対立を投影させているんでしょう。エフライム族といえば北王国十部族の中心部族で、南のユダ族とは激しく対立しました。聖書の歴史書はみんな、バビロン捕囚を経験した南のユダ族の立場から書かれていますから。

[159] 2ニフ8章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/30(月) 10:02:44 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ne&chapter=8&mode=0
 イザヤ書51章と同じ。ただし例によって、新たに祭司になったヤコブ(もちろん創世記のヤコブじゃなくリーハイが荒れ野で作った子)が真鍮版に刻まれたイザヤの教えを読むという体裁になっています。

[158] 詩歌8章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/30(月) 10:00:32 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=ode&chapter=8&mode=0
 昨年度の記事は[0:472]
 三人の若者の祈り。昨年度の[0:932]、および前回[137]もご参照ください。
 前回のアザリヤの祈りに続いて、炉の中で三人が祈る祈りです。前回は「燃えさかる炉に投げ込まれる寸前」と書きましたが、前回の時点でもう投げ込まれてますね。失礼しました。
 前回がアザリヤ一人の独唱で、今回は三人の合唱というわけで、非常にオペラ的ですね。
 「主をほめよ。とこしえに主をさんびし、あがめよ。」というしつこいくらいのリフレインもオペラ的です。
 ただこういうのは実際の状況としては(実際に火の中で神様に祈れるかどうかは別として)、一心不乱に神様に祈っているんでしょう。でもそれじゃオペラにならないので、くどいリフレインとして表現するのです。ヴァーグナーの『トリスタンとイゾルデ』第二幕とか『ジークフリート』第三幕とか、男女の愛のシーン、実際にあんな感じで男女がべらべらしゃべっていたらセックスになりません。実際には黙って睦み合っているんでしょうけど、歌ではそのときの二人の気持ちを全部声に出さなきゃいけないんです。

[157] 創世記28-31章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/30(月) 09:52:00 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=gen&chapter=28&mode=0
 昨年度の記事は[0:472]
 昨年作った「十二部族を覚える歌」は、改良を経て今は専用ページ
http://www.babelbible.net/mariko/bib.cgi?doc=twelve&course=bib
に書いてあります。
 さて、話の舞台になったバタンアラムというのは今のイラク、ユーフラテス川流域。いわゆる「肥沃な三日月地帯」です。で、バタンアラムというのは広い地域名で、そのうちのハランが、夢に天使が上り下りするはしごが現れ、神様がヤコブの将来を保証するという事件のあったところ。ちなみにおじいさんのアブラハムが初めて神様に出会ったのもこのハランです(生まれたのはウル)。そしてラバンの住む土地は不明ながらそこよりちょっと東ということになっています。
 地名が出てきたら必ず地図で調べましょう。口語訳聖書の聖書地図がWikisourceに載っていますが、これだと第1図のD2からE2にかけてが舞台というわけです。
http://ja.wikisource.org/wiki/%E8%81%96%E6%9B%B8%E5%9C%B0%E5%9B%B3_(JBS1956)
 著作権フリーなんでそのうち当サイトに転載して、口語訳聖書に載ってる聖書地図索引を電子化してひけるようにします。
 昨日やってたNHKスペシャル・ヒューマンによれば、人類の故郷はアフリカということらしいですが、聖書ではアブラハムの一族は肥沃な三日月地帯が故郷。いずれにせよ聖書の主人公たちは、もとからカナンの地、パレスチナにいたわけじゃないんです。

 ちなみにラバンはヤコブの母方のおじ、ですから二人の妻レアとラケルは母方のいとこにあたります。

[156] 2ニフ7章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/29(日) 09:44:41 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ne&chapter=7&mode=0
 約束の地についた一行。父のリーハイが死んだ後、兄のレーバンはとうとう離反。ニーファイたちは別れて別の地に定住しそこで栄えます。そして父が荒れ野でもうけたヤコブとヨセフを祭司にして神殿まで作っちゃう。そこでヤコブが長々と説教をしてるんですが、その続きです。
 今日のところはイザヤ書50章とほとんど同じ。神様はイスラエルをまったく見捨てたのではなく、必ず助けてくれるという希望をうたっています。

[155] 3イミ7章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/29(日) 09:39:59 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=3ic&chapter=7&mode=0
 昨日も言ったように謙遜が大事。カネ、モノ、人などに執着しない。自分のもつよいものに執着しない。自分は何も持たないものだという謙遜の心で頼るのが大事なんです。
 そして、執着しないということでいえば、信仰による恵みも同様。それは緒戦感情であり、感情とは一瞬のものであり、すぐに反対のものになってしまうかもしれない。
 あまりに神の恵みを求め、安全を求めると、そうでないときに落胆してダメになってしまう。
 むしろ、思い通りにならないとき、困ったとき、試練にあったときに謙遜の心をもって神に頼ることが大事なので、その意味では試練こそチャンスと言っているのです。

[154] ロマ書13-14章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/29(日) 09:35:11 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=rom&chapter=13&mode=0
 昨年度の記事は[0:469]
 食べ物に関する禁忌をどうするか、上に立つ権威にしたがうべきかどうかなど、日常生活や世俗に関するきまりについてパウロがどう考えているか、よくまとまっているところです。
 で、思い切ってずばり一言でいえば……
 「どーでもいい」なんですよ。
 つまりパウロにとっては、キリストを信じて最後の審判で救われることのみが重大関心事。しかもその最後の審判は、自分が生きているうちにもやってくると大まじめで信じています。
 とすれば、この世でどんな矛盾があったとしてもどうせすぐに行ける天国では解決されるんだから、いま無理して解決する必要はない。だからとりあえずお上にはさからわないようにしなさい。せっかく「死なずに天国にいける」かもしれない今、ヘンにさからって処刑されちゃったら痛いでしょ?
 食べ物を食べていいかどうか心配なら、とりあえずは今までどおりの生活をしときなさい。迷ったらやめときなさい。そんなことよりキリストを信じて天国に行くことが大事。
 こんなふうに、終末が近いと信じている人にとって、現世の生活はどうでもよくなっちゃう。だから禁欲に走るし、現世の矛盾をいっこうに解決しようとしない。今のカルト教団だってそうでしょ?
 でもね、たとえ終末が明日来るとしても、人間にとっては今日どう生きるかが大事なんですよ。明日来るはずの終末を今日に前倒ししちゃダメなんです。
 だから「終末が近い」って唱える教団は邪悪なんです。終末がいつ来るかはだれにもわからない。そんなことより、今この一瞬一瞬をよりよく生きることを教えなきゃダメなんです。

[153] クルアーン14回 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/28(土) 09:33:09 コメントする ここから閲覧

 クル-14回。3章132-170節。
 昨日から話題になっているバドルの戦い。詳しくは
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%89%E3%83%AB%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
http://www.geocities.jp/ahulal_bayt/yogenshanokyoudai-ali/imam.ali-f8.html
などを見てください。イスラム暦3年(624年)、初期のイスラム教徒が経験した天下わけめの戦いで、これに勝利したことでイスラム教は生き残ったわけです。
 ただ、こういう戦争の話で、裏切り者があーだこーだいうと、イスラム教が大変キナくさい宗教だと思われてしまうんじゃないかしら。
 実はキリスト教だって人のこと言えません。詩編なんか戦争の詩がやたら多くて「敵をやっつけてくれ」みたいなのが多いじゃないですか。
 詩編を読むコツでもあるんですが、現代人としては戦争の話が出てきたら、日常生活で遭遇する苦難や試練と読み変えればいいんです。傾きかけた会社で社員が苦しい戦いをしているときとかに、人の本性がよく見えてくるものです。そういう話として読みましょう。

[152] 1イミ7章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/28(土) 09:26:19 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ic&chapter=7&mode=0
 モノに執着するな、カネに執着するな、人に執着するな(たとえば恋人の愛を得ようとか)。カネ、モノ、人は経済の三要素ですね。どれも執着しちゃいけないんです。そんなものはすぐなくなっちゃうわけですから。イミタチオ(キリストにならいて)ってけっこう仏教的、東洋的ですよね。
 そして執着しちゃいけないのは、健康、美貌、才能、技術など、自分のもっているよい徳目。こういうのもすぐなくなくってしまう。
 さらにいえば自分の善行。いいことをしたから救ってもらえるなんて思っちゃダメ。神様は意外に、人が善行だと思うことを喜ばないかもしれません。
 こうなると人は謙遜にならざるを得ません。自分は何一つ誇るものはないからです。イミタチオの著者があらゆるところで口をすっぱくして言ってる「謙遜になれ」が、ここでも強調されています。

[151] マタイ17-19章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/28(土) 09:19:16 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mat&chapter=17&mode=0
 昨年度の記事は[0:467]
 昨年は天国の話を書きました。
  ・天国と地獄は実は同じところであって、天国の生活に満足できない人にとってはそこは地獄。
  ・天国には階級がないのでそれに不満な人にとってはそこは地獄。
という話でした。
 で、今年付け加えるとすれば19章の、「金持ちが天国に行くのは難しい」でしょうか。
 天国にはお金は持って行けませんから、貧しい人に施しちゃいなさいということ。

 昨年は主人のお父様がなくなって、いま喪中なんですけど、けっこうコツコツと小金をためていたし、生命保険にも入っていたので、おかげで私たち夫婦もちょっと生活に余裕ができました。でも、主人も私も普通のサラリーマンと違って退職金がありませんから、年金生活に入るまでの資金としてためておかなきゃね。
 でもこのお金は、本来はもっと貧しい人に施さなきゃいけないのかしら?
 念のためいうと、イエス様は「貧しい人に施せ」って言ってるんですよ。「教会に献金しろ」なんて言ってませんから、悪徳教会に献金しないよう十分に注意してください。
 目下判明している悪徳教会は、福音派諸教会と、日本基督教団です。いまTwitterのほうで私はしつこく糾弾していますが、「信徒の友」2012-2の特集「献金の喜び」では、「無理をせずに」など貧しい人への暖かい配慮の言葉が一言もなく、「十分の一献金をしろ」という銭ゲバ体質をむきだしにしてますからね。日本基督教団なんか万博闘争のときに滅んでしまえばよかったんだわ。

 私はキリスト教に輪廻説を取り入れてますから、天国=地獄=現世と考えており、「救われる(天国に入る)」というのは「死んでもまた新たにこの地球のどこかで人間としての生をスタートできる」ことだと考えています。ちなみに救われないというのは地獄に行くことではなく(だって天国と地獄は同じところですから)、死後に新たな生をスタートできず、それっきり(あるいは動物などに生まれ変わる)ということだと思っています。
 主人のお父様は生前はけっこうお金にうるさくケチケチと暮らしてましたけど、亡くなる直前はまるで人が変わったようにお金に執着がなくなりました。たぶん普通の人は、死の直前にはそういう心になるものなんでしょう。すると天国に入るのはそう難しいことではなさそうです。
 たいていの人は、死ぬ直前にはお金への執着がなくなって、すんなり新たな生をスタートできるんじゃないかしら。

[150] クルアーン13回 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/27(金) 12:31:23 コメントする ここから閲覧

 クル-13回。3章93-131節。
 今日の前半は経典の民批判。経典の民(他の訳では啓典の民)とはユダヤ教徒やキリスト教徒。イスラム教はユダヤ教やキリスト教をアレンジしたものなので、アレンジされたほうは激しく反発してくるのです。モルモン教は自分たちをキリスト教の一派とみなすけどキリスト教のほうは異端として排撃する。それと同じです。逆にわたしたちキリスト教も、ユダヤ教に対しては一種の親近感がありますけど、ユダヤ教のほうからみればとんでもないのでしょう。そういうことを感じる訓練として、当ばべるばいぶるでは、クルアーンやモルモン経を読んでいるのです。
 後半は初期イスラム教徒が経験した最大の戦い、バドルの戦いの話ですが、メインは次の14回なので明日また書きます。

[149] 知恵の書7章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/27(金) 12:22:44 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=wis&chapter=7&mode=0
 昨年度の記事は[0:686]
  知7:2「楽しい性交により、男性の精子によって作られ、十ヵ月かかって血で固められた者」なんて何ごとだ! こんなことが外典とはいえ聖書に書いてあるはずがない。これはエロオバサンの真理子がねじまげた誤訳なんじゃないかとお思いの皆様、そんなことはありませんわ。新共同訳では「十か月、血の中で形を整えた。男性の種と夫婦の楽しみによってである」です。各国語訳もごらんあれ。RSVならwithin the period of ten months, compacted with blood, from the seed of a man and the pleasure of marriage. です。
 さて、今日の7章からの「わたし」は実はソロモンです。え、そんなの最初から知ってました? そうですね。新共同訳および当ばべるばいぶるではこの本の名前を「知恵の書」としてますけど、別の訳では「ソロモンの知恵(の書)」なんて書いていたりもしますからね。でも6章までの「わたし」というのはあんまりソロモンっぽくなく、祭司なり教師なり長老なりの言葉という感じでした。が、ここからはがぜんソロモンらしくなるのです。でも本文にはどこにもソロモンという名は出てきません。8節の「わたしは王のしゃくや王座より知恵を求めた」とか、9章の祈りの内容から考えて、「ああ、これってソロモンかな」って感じにとれるのです。
 ばべるばいぶるではカットしちゃいましたが、新共同訳聖書には小見出しがついてます。それを見ると「ソロモンの出生は皆と同じ」とあるので、ソロモンであることが一目瞭然。でもこれは映画のネタバレみたいなもので、本来は本文をじっくり読みながら「ひょっとしたらソロモンかしら」と想像して楽しむものなのです。こういう楽しみがそこなわれるので、ばべるばいぶるでは小見出しを全部カットしちゃったんですが、忙しい読者には小見出しは便利なので、ばべるばいぶるでも小見出しを表示する機能を現在作ってる最中です。ただしオンオフできるようにします。小見出しが邪魔になることは多いので。
 ソロモンは賢者の代名詞ですけど、その一方でエロ詩・雅歌の作者ともされてますし、異教徒の女たちをいっぱい妻にしちゃった人でもありますし、西洋では絶倫男のイメージもあるようです。

[148] イザヤ書34-39章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/27(金) 11:50:15 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=isa&chapter=34&mode=0
 昨年度の記事は[0:466]。なお、平行箇所である列王記について書いた[0:768]もごらんください。
 今日で第一イザヤはおしまいです。
 ずっとわけのわからない預言が続くと思いきや、36章からは突然歴史の話になります。
 ヒゼキヤ王14年とはBC701年。南北の王名を覚える歌
http://www.babelbible.net/mariko/bib.cgi?doc=kings&course=bib
をご参照ください。
 アッスリヤ(アッシリア)の王セナケリブ(センナケリブ)というのは北王国を滅ぼしたシャルマネセル(5世)の次の次。今日の話のようにエルサレムを包囲、しかし陥落させることができずに撤退します。聖書では主の使いが兵士185000人!を撃ち殺したからということになっていますが真相は不明です。なお、聖書ではこの戦いのあとすぐに暗殺されたように書いていますが、実際には20年も後のBC681年の出来事です。
 さて、イザヤ書のこの部分は、実は38章→39章→36章→37章の順に読むべきなんです。つまりヒゼキヤ王が瀕死の重病になって神様から助けてもらった話があり、その病気見舞いにバビロニアから使者がやってきて、バビロニアと手をくめばアッシリアと戦えると勇気づけられたヒゼキヤ王が無謀な戦争を始めて、それでエルサレムは包囲され、陥落寸前に神様に助けてもらったというわけです。
 預言書が読みにくい理由は、わけのわからない象徴的な表現が多いということもあるのですが、こんなふうに時間の順序がぐちゃぐちゃだというのもあります。
 どなたかイザヤ書を、いやすべての預言書を全部バラバラにして時間順に並べ替えて、簡単な時代背景を付したたものを作っていただけないかしら。そしたらとっても便利だと思います。え、お前が作れって? 将来の課題にしておきます。

[147] 2ニフ6章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/26(木) 11:23:27 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ne&chapter=6&mode=0
 ここからストーリーは再び足踏み。ニーファイの民たちへのヤコブの教えです。
 ヤコブは5章でニーファイによって祭司に任命されたんですよね。さっそくイザヤ書( イザ49:22-23)を引用して、ユダヤ人はいったんは苦難の日々を迎えるが、主は異邦人に手をあげて(つまり撃退して)、ふたたびユダヤ人をもとに戻してくれる、と教え始めます。

[146] トビト記7章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/26(木) 11:14:15 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=tob&chapter=7&mode=0
 昨年度の記事は[0:400]。それにしても無内容ですね。だって話が全然進展しないんですもの。
 ですから今まで言い忘れた話を書きます。
 トビトの息子がトビヤ、トビトの父はトビエルでしたね。
 すごく名前が似てますね。
 実は、実質的に同じ名前なんですよ。トビトというのはトビヤの省略形で、「主は私によくしてくださる」という意味になります。もちろんトビエルのエルは「神」ですからおんなじ意味です。
 その証拠にWikipediaで「トビト」をあけて、左側にあるヘブライ語ページのリンクをたどってごらんなさい。ספר טוביהとなってます!トビヤ記というわけです。
 ラテン語訳であるヴルガタではトビトもトビヤも(トビエルは訳してない!)どっちもTobiasとなってますが、決して誤訳とはいいきれません。同じ名前だと解釈してるんですね。どっちも登場する文ではたとえば トビ5:1は「トビヤは父に」みたいな感じにしてまぎらわしくないように工夫しています。
 父と子が同じ名前っていうのはヨハン・シュトラウスとかモルモン教の教祖ジョゼフ・スミスみたいによくあることで、彼らもそうなんですね。

[145] ヨブ記13-14章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/26(木) 10:59:52 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=job&chapter=13&mode=0
 昨年度の記事は[0:464]
リビングバイブルのヨブ記もあわせてお読みください。
http://www.biblica.com/uploads/pdf-files/bibles/japanese/ot/job.pdf
 3人目の友ゾバルへの反論の続き。つまりここで第一ラウンドが終了です。
 ヨブ記は翻訳の性格さよりも劇的な感じが重要です。この場面だったらヨブのいらいら感をどれだけうまく訳しているかです。でないと気の抜けたビールみたいで読むに堪えません。
 ヨブ13:1-3を比べてみると(長いので全部の訳を掲げられませんけど)、

口語:見よ、わたしの目は、これをことごとく見た。わたしの耳はこれを聞いて悟った。あなたがたの知っている事は、わたしも知っている。わたしはあなたがたに劣らない。しかしわたしは全能者に物を言おう、わたしは神と論ずることを望む。
新改訳:見よ。私の目はこれをことごとく見た。私の耳はこれを聞いて悟った。あなたがたの知っていることは私も知っている。私はあなたがたに劣っていない。だが、私は全能者に語りかけ、神と論じ合ってみたい。
新共同:そんなことはみな、わたしもこの目で見この耳で聞いて、よく分かっている。あなたたちの知っていることぐらいはわたしも知っている。あなたたちに劣ってはいない。わたしが話しかけたいのは全能者なのだ。わたしは神に向かって申し立てたい。
リビング:あんたが引き合いに出したような例は、山ほど見てきたさ。 言いたいことはよくわかる。わしはばかじゃない。 あんたと同じくらい道理はわきまえているつもりだ。ああ、全能者とじかに話してみたい。 この問題を直接、話し合ってみたい。

 こうしてみると、やっぱり口語訳は失格だなって思います。リビングバイブルみたいに訳してくれなきゃ、ヨブがどれだけいらいらしているかがわからない。
 でも、新共同訳もいいせん行ってますね。けっこういらいら感が出ています。

 昨年の震災では、ヨブ記のテーマ「なぜ罪もない人が苦しまなきゃいけないのか」が問われたわけですが、「なぜ罪もない人が苦しまなきゃいけないのか」というのは、もっと突き詰めれば、「正しいと思っていた神が信じられなくなったらどうするか」ということです。原発事故で明らかになったことは、この社会がいかに原発推進の方向で動いており、産業界ばかりか立法も司法も行政も原発推進であり、反原発の意見はあらゆる点で抑圧されているということです。誰にも訴えることができない。裁判所だって絶対に反原発の判決を出してくれないわけで、これではどうしようもない絶望を抱かざるを得ません。
 それと同じで、困ったことがあったら神様が助けてくれるはずなのに、ヨブ記ではなんとその神様がサタンと共犯だったというわけですからね。
 さあ、第二ラウンドではどうなるんでしょうか。まあどうにもならないんですけどね。

[144] 2ニフ5章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/25(水) 09:36:57 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ne&chapter=5&mode=0
 ついに不信仰な兄たちはニーファイを殺そうと反乱を起こすので、ニーファイは自分の妻子たちを伴って荒野に逃げ、ある場所にニーファイという名をつけてそこに定住します。
 このあたりから、ニーファイ人、レーマン人という言い方が出てきます。つまり、ニーファイの一族および彼に賛同する人が一つの民族となり、また兄レーマンの一族と賛同者が一つの民族となったわけです。
 ニーファイ人の構成は、ニーファイの一族のみならず、一つ上の兄サームの一族、それからゾーラムの一族です。ゾーラムって覚えてますか? 真鍮版を手に入れるためにエルサレムのレーバンと交渉したけど断られたので、レーバンを殺して剣を手に入れたんですよね。そのときについてきたレーバンの召使です。
 それからお父さんリーハイが荒野で作ったヤコブとヨセフ。この二人は祭司になります。そう、ニーファイ人は荒野を豊かな実りの地にかえ、ソロモンの神殿のような神殿まで作っちゃったんですね。
 一方レーマン人のほうは主の呪いで肌が黒くなります。このあたりがモルモン教に対して人種差別だという非難が浴びせられるところですね。

[143] 1マカ7章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/25(水) 09:27:35 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ma&chapter=7&mode=0
 昨年度の記事は[0:567]
 昨年度も書きましたが、プリムの祭の本当の起源はたぶんこれ。新しい王デメトリオスに対する苦しい戦いに勝利した記念です。今回は裏切り者がいっぱい出る中の苦しい戦いでした。
 引用されている詩編は79編。バビロン捕囚のときのエルサレムの荒廃を嘆き、主よ、いつまでなのですかと叫ぶ詩です。

 マカバイ記は毎週水曜日に1章ずつ読んでますけど、人名辞典がないとつらいですよね。これから1年間かけて読みながら、出てきたことがらをまとめて、人名辞典を作ろうかしら。

[142] 詩編18-20編 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/25(水) 09:18:37 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=psa&chapter=18&mode=0
 昨年度の記事は[0:462]
 今日も音楽の時間です。今年は全150編これでいきます。「詩編音楽選」っていう専用ページ作ろうかしら。

●18編
  サム下22:2-51に全文掲載されている詩。ダビデがあらゆる敵に勝利してイスラエルの王権をしっかり確立して詠んだもの。勝利の喜びと神への確信に満ちあふれた詩です。人間は苦しい時にも神頼みしますが、こうやって成功したあかつきにも信仰心がくすぐられるものなんですね。
 音楽はまずゴスペル歌手Clint Brownの歌。

(http://www.youtube.com/watch?v=7JJ68RMH4-Y)
 kinotoriさんのプレゼンは2つにわかれてます。

(http://www.youtube.com/watch?v=VajXeLlqI1g)

(http://www.youtube.com/watch?v=tQlpT18vBq4)

●19編
 背景は不明ですが、やっぱり18編同様に勝利、確信の祈りです。
 日本語で歌ってるのを見つけました。

(http://www.youtube.com/watch?v=hoVQhupNzIs)
 次にVineyard Music。これけっこう有名なのか、複数件アップされてます。Youtubeのほうにいくと歌詞も見られるので、画像下のリンクからどうぞ。

(http://www.youtube.com/watch?v=OHQa4t7pSuI)
 kinotoriさんのプレゼン

(http://www.youtube.com/watch?v=ENxWSdxOd-4)

●20編
 自分のことを祈るのではなく「あなたが守られますように」という、いわば牧師の立場の祈りです。でもクリスチャンってあいさつのように、あなたのために祈りますっていうおせっかいなことをよく言いますからね。
 これはオランダの某教会の素人合奏&合唱というもので、一部お聞き苦しい箇所がありますけどお聞きください。

(http://www.youtube.com/watch?v=0MdI_WAZ-3w)
 次のBantus Reggaeというのはよくわかりませんが、変り種でレゲエを。

(http://www.youtube.com/watch?v=H1aR7GBCcro)
 kinotoriさんのプレゼン

(http://www.youtube.com/watch?v=MogiuAPE7zA)

[141] 2ニフ4章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/24(火) 10:38:14 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ne&chapter=4&mode=0
 長々と訓戒をしたあと、お父さんリーハイは死にます。まるで創世記のヤコブの死をほうふつとさせます。
 さて、リーハイの息子のうちレーマンら上の二人は悪役でしたね。お父さんが死ぬと、自分たちのお嫁さんの家であるイシマエル家の息子たちと一緒に反乱をくわだてますが、具体的な話は次の章へ。

[140] シラ書7章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/24(火) 10:31:34 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=7&mode=0
 昨年度の記事は[0:757]
 善悪関係のことわざが並んでいますが、4節の「主に王の地位を求めるな。王に名誉ある地位を求めるな」っていうのが面白い。神様は王様じゃないんですね。王様は政治をするわけですけど、政治ってどうしてもダーティな面がありますから、王様って汚れ役なんですね。いまなら総理大臣です。総理大臣はみんなからいろいろ言われる汚れ役を甘受しなきゃいけません。韓国だと大統領ですね。韓国の大統領も最後が悲惨な人が多いですからね。ピストルで撃たれたり、自殺したり。
 で、神様は王様じゃないっていうのは、具体的な政策を神様にお願いしてもしょうがないってことです。神様にお祈りするのは「私を強めてください」ってことだけ。自分でやらなきゃダメなのね。