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第二十一章 真鍮版からの聖文、つづき。イザヤ書第十一章と比較せよ。 エッサイの幹から一つの芽が出、その根から一つの枝を生ずる。
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かれの上に主の「みたま」がとどまる。これは知恵と理解と勧告の力、勢力と知識と人に主をおそれさせる力であって、
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かれに主をおそれることを早く悟らせる。かれは目に見るだけによって判断をせず、自分の耳に聞くだけによって咎めをせず、
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義を以て貧しい者たちを裁判し、公平を以て世の柔和な者たちのために譴責をし、その口の棒を以て世を打ち、そのくちびるの息を以て悪人を殺す。
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そして義がその腰の帯となり、真実がその腹の帯となる。
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おおかみは小羊といっしょに宿り、ひょうは山羊の子といっしょに臥し、小牛と若い獅子と肥えた家畜とはいっしょに臥して小さな子供がみなこれらの先に立ってつれて行く。
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牝牛と熊とはいっしょに食物を食べ、小牛と熊の子とはいっしょに臥し、獅子は牛のようにわらを食い、
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乳のみ児は毒蛇の穴の上で遊び、乳ばなれの児はまむしの穴に手を触れる。
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その時にはわが聖い山のどこにもそこなうこともなくまた亡びることもない。それは水が海に満ちるように主を知る知識が世界に満ちるからである。
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その時に、エッサイの一つの根が立って民の前に旗となり、異邦人がこれに求めて来てその根の与える安息は広大なものである。
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この時、主はまたその手をのばしてその民の残っている子孫、すなわちアッスリヤ、エジプト、パテロス、クシ、エラム、シナル、ハマテおよび海の島々からその民の残る人々を再び集めて回復し始めたまい、
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また諸々の国民のため旗を立てて、イスラエルの中から追い出された者たちを呼び集め、ユダの中から散らされた者たちを世界の四つのはてから集めたもう。
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またエフライムのねたみは止み、ユダの敵は亡び、エフライムはユダをねたまずユダはエフライムを攻めず、
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エフライムとユダはかえっていっしょに西の方ペリシテ人の肩に襲いかかりいっしょに東の人々を打ち破り、またその手をエドムとモアブとに下しアンモンの子孫を従える。
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主はエジプトの入江をことごとくからし、大風を起して自らの手を河の上に振い、これを打って七つの小さな流れとし、乾いた靴で人を渡らせたもう。
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このようにして、その民の残された者たちのためにアッスリヤから来る一つの通路が開かれる。これはちょうどイスラエルがエジプトの地から出て来た時にかれらに通路が開かれたと同じである。
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