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2024年4月19日(金) 通読(本日=エレ42-46,バル2,クル-41回 明日=ルカ5-6,1イミ21,クル-42回)

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節表示・修正口語訳(日本語R)+真理子のおまけ 解題
〔57年モルモン経〕ニーファイ第一書 第22章
第二十二章
ニーファイ、イザヤの予言を解き明す。約束の地における強大な異邦人国家の予言。リーハイの子孫、その異邦人に養われること。シオンに逆らって戦う者の運命。

私ニーファイが真鍮版に刻んであるこれらのことを読んだ後、私の兄弟たちがやってきて「お前が読んだことは何を指して言うのか。見よ、これらのことは忍耐によらず「みたま」によって起る霊に関することで解釈すべきであるか」と私に言った。
そこで私ニーファイは兄弟たちに答えて「ごらん、これらのことは「みたま」の声で予言者に示されたものである。およそ「みたま」によってすべてのことは予言者たちに知らされ現世の中で人間に起るのである。
それで、私が読んだことは肉体にも霊にも関係のあることである。それはイスラエルの家はおそかれはやかれ全地の面に散り、また万国の民と入り交るであろうと思われるからである。
ごらん、もうすでにエルサレムにいる人たちにとってゆくえ知れずの者が多くある。まことに全支族の大半はすでによそへつれて行かれ、そして海の島々にここかしこと散り乱れている。私たちはかれらがつれて行ってしまわれたことだけは知っているがそれがどこにいるかはだれも知らない。
これらのことはかれらがすでによそへつれて行かれて以来かれらについて予言せられ、またこれからイスラエルの聖者のために散り乱れるはずのすべての者についても予言されている。それはこれらの人たちがイスラエルの聖者に対してその心をかたくなにするであろうし、またそれがために万国の民の中に散らされ、すべての人々に憎まれるからである。
さりながら、これらの者が異邦人に養われてから、主は異邦人の上に御手をあげたまい、これらの者を旗として立てたもう。そしてこれらの異邦人たちは、イスラエルの子供らを手に抱いて来、娘らを肩に乗せて来る。ごらん、今私が言ったことは主が私たちの先祖と結びたもうた誓約がこのようなものであるからである。これはこの世にかかわることであって未来の私たちのことも指し、またイスラエルの家に属するすべて私たちの兄弟らのことも指しているのである。
またこれはイスラエルの家の者がことごとく散り乱れてから、主なる神がこの土地において異邦人の中に一つの強大な国民を起したまい、この国民のために私たちの子孫が追い散らされる時がくるのを指している。
そして私たちの子孫が追い散らされてから、主なる神は私たちの子孫にとって大そう価値のある驚嘆すべき業を異邦人の中で始めたもう。それであるから、これは私たちの子孫が異邦人に養われ、その手に抱かれ、その肩に乗せてつれて来られるのにたとえてある。
またこの驚嘆すべき業は、異邦人にとっても、価値のあることである。これは異邦人のみならずまたイスラエルの家のすべてにとっても、価値のあることであって『汝の子孫により世界の眷続ことごとく祝福を受くべし』と天の御父がアブラハムと結びたもうた誓約がこれではっきりと人に知られるのである。
それで天の御父が万国の民の目の前にその能力を現わしたまわなければ、世界の眷族のことごとくが救われないことを私は私の兄弟たちに知ってほしいと思うのである。
それであるから、主なる神はイスラエルの家に属する者たちに誓約を果しその福音を伝えたまい、かようにしてやがて万国の民の目の前にその能力を現わしたもうのである。
それであるから、主がイスラエルの家の者たちを束縛の身の上からつれ出したもうから、かれらはその受け嗣ぎの土地に寄り集まって人の知らぬ暗黒の生涯からつれ出され、こうしてかれらは主がかれらの救い主かれらの贖い主イスラエルの全能者であることを悟るのである。
そして全地の浮れ女であるあの憎むべき大教会の人々の流した血の責任はそれらの人々の頭に帰する。それはかれらが互いに戦争をして自分の手に持つ剣を自分の頭に落し、自身の血を飲んで酔うからである。
イスラエルの家よ、汝と戦うすべての国民は互いに刃向い合い、主の民を陥し入れようとして掘った陥し穴に自分が落ちる。そしてシオンに向って戦う者はことごとく亡び、主の正しい道を曲げたあの大きな浮れ女、あの憎むべき大教会は塵の中にころび倒れてその亡びが甚だしい。
見よ、予言者は言う。サタンがもはや人の心を司どることのできない日が速かにくる。すべてたかぶる者と悪を行う者がわらのようになって焼かれる日がじきにくるからである。
神は悪人が義人を亡ぼすのを許したまわないから、あらゆる人が神のはげしい怒りを蒙る日がじきにくる。
それであるから、神がそのはげしい怒りを下したまい義人たちを守るために火をもってその敵を亡ぼさねばならなくとも神はその能力で必ず義人たちを守りたもう。故に義人はおそれるに及ばない、予言者の言葉に『たとえ火の力を以てするに至るともかれらは救わるべし』とあるからである。
ごらん私の兄弟たちよ。これらのことは間もなく必ず起る。真に血も火も煙の霧も必ずくる。しかもこれらのことはこの世界の上で起るに相違なく、すべての人間がイスラエルの聖者に対してその心をかたくなにするならば、肉体をもつこの世の人間にくるのである。
ごらん、義人たちは亡びない。シオンに敵対して戦う者たちがすべて断ち亡ぼされる時が確かにくるに相違ないからである。
そして主は確かにその民のために道を設けてモーセの言葉を成就したもう。モーセは『汝らの神なる主は、われの如き予言者を一人汝らのために起したもう。かれの汝らに語るところは何ごとでもこれを聞け。この予言者の言葉を聞かぬ者は、すべて民の中から絶ち切られる』と言っている。
さて私ニーファイはあなたたちに断言する。モーセの言ったこの予言者とはイスラエルの聖者のことであるから、この方は義によって裁きをなさるのである。
そして義人は散り乱れない者たちであるから怖れるには及ばないが、怖れるのは悪魔の王国であってこれは人の中に立てられる王国、すなわち肉体のあるこの世の人間の中に設けられる王国である。
すべて利を得るために立つ教会も、人を支配する権力を得るために立つ教会も、世の人々の人気を得るために立つ教会も、肉欲を追い求めこの世の者を貪りあらゆる悪事をなす教会も、要するにすべて悪魔の王国に属する教会がおそれてふるえあがる日が速かにくる。すなわちかような教会は塵の中に引き倒されねばならぬものであり、わらのように焼きつくされねばならぬものである。これは予言者の言ったことばの通りである。
また義人たちは必ずおりの小牛のように導いて行かれ、イスラエルの聖者が主権と威勢と能力と大きな栄光とをもって治めたもう日が速かにくる。
そして聖者は世界の四方からその子らを集め、その羊を数えたもうから羊は聖者を知るのである。それから羊はただ一つの群となり、羊飼いはただ一人となって、聖者はその羊を養いたまい、羊は牧草を聖者から受けるのである。
また聖者の民が正しいためにサタンは全く無力であり、聖者の民が正しい生活をしイスラエルの聖者が治めたもうから、サタンは民の心を支配する力がなく長年の間解放されることができない。
さてごらん、私ニーファイは今あなたがたによく言っておく。これらのことは必ず現世の中に起るにちがいない。
しかしごらん、あらゆる国民、あらゆる血族、あらゆる国語の民、およびあらゆる人々がもしも悔い改めをするならば、イスラエルの聖者によって安全である。
さて私ニーファイは、今はまだこれらのことについてもっと言うことをはばかるからこれで終りにする。
それであるから私の兄弟たちよ。ねがわくは真鍮版に記してあることが真理であると信ぜよ。そうすれば、これらのことは人が神の命令に従わねばならないことを証明する。
それであるから、あなたがたは私と私の父だけが神の命令を教えまた証をしたのだと考えるには及ばない。従って、もしもあなたがたが神の命令に従い終りまで堪え忍ぶならば、終りの日に救われることができるのである」と言った。正に以上の通りである。アーメン。

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