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2024年3月29日(金) 通読(本日=エレ27-31,知18,クル-35回 明日=マコ15-16,1イミ18,クル-36回)

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節表示・修正口語訳(日本語R)+真理子のおまけ 解題
〔57年モルモン経〕ニーファイ第二書 第2章
第二章
リーハイその息子ヤコブに語る。よろずの事には、その反対のものがなければならぬ。禁断の実と生命の木。アダムの堕落は人間の在らんがためである。人類を贖うためのメシヤすなわち大いなる仲保者。

「さてヤコブよ、よく聞け。汝は私が荒野で艱難をしていた当時の最初に生れた子である。そして汝は幼い時汝の兄たちが乱暴なためにいろいろの艱難に逢い、大そう悲しい目をした。
さりながら荒野で最初に生れた私の子ヤコブよ。汝は神の広大なことを知っている。神は汝の受けた艱難を神聖なものにしてこれを汝の利益にして下さる。
それであるから、汝は祝福を受けて兄のニーファイといっしょに安全に住み、汝の神に仕えて生涯を送るのである。故に私は汝がその贖い主の義によって贖われるのを知っている。それは時が満ちると、人間を救うために贖い主が来りたもうことを汝は知っているからである。
また汝は若い時にすでに贖い主の栄光を見たから、汝は贖い主が肉体で世に出たもう時に主から親しく導きと恵みを受ける人々のように幸福である。それは、「みたま」は昨日も今日もいつまでも同じにましますからである。そして贖いは、人類の始祖が堕落した時からすでに用意せられてあってしかも救いは無料で自由である。
人は皆善悪をわきまえることを十分に教えられている。人間には律法が与えられているが、この律法によって何人も義とされる者はない。すなわちこの律法によって人間は追い出されているのである。まことに、肉体に関わる律法によって人間は追い出されてしまった。また霊に関わる律法によって人間は善なるものから断ち亡ぼされ、永久に苦しみを受ける有様となる。
それであるから贖いは聖いメシヤに在りしかも聖いメシヤによって人間に施される。それは、メシヤが恩恵と真理に満ちて居りたもうからである。
ごらん、メシヤは真にへりくだった心と悔いる精神のあるあらゆる人たちのために律法の要求する所に応じようとして、人間の罪を贖うために自分の身を犠牲となしたもうのである。メシヤは上に述べたような人々のほかにはだれにも律法の要求する所に応じたまわない。
それであるから、これらの事をこの世に住む人々に聞かせて、聖いメシヤの功徳と慈悲と恩恵とに頼らなければ、神の御前に住まえる人が一人もいないことを知らせるのは非常に大切ではないか。そしてこのメシヤは肉体の命を一度捨てたもうが、死者の復活を来らせるためにその後「みたま」の力によって再び生き返り、ほかのすべての死者に先立って復活したもう。
これを以てメシヤは神の取り入れたもう最初の実であるが故に、あらゆる人間のためにとりなしをしたもう。それであるから、メシヤを信ずる者は救われるのである。
かつまたあらゆる者にメシヤのとりなしがあるから、人間はことごとく神にくるのであって、すべての人は神の御前に立ち、神にそなわる真理と聖潔とによって神に裁かれる。それであるから聖者の定めたもうた律法の目的はこれについている刑罰の執行にあるが、これについている刑罰は、救い主の身代りの贖罪の目的にかなわせるためについている幸福とは相反している。
それは、すべての物事には必ずその反対のものがなければならぬからである。荒野に於て始めて生れた私の子よ、もしも物事にその反対のものがないならば、正義も不正も聖潔も憐むべき様も善も悪も生ずることができぬ。それであるから、すべての物事はみな合して一つとならなければならない。故に仮に万物がことごとく一体となるならば、それは生死なく滅不滅なく幸不幸なく知覚の有無もないままで一切の差別を失ってあたかも死のような有様で存続しなければならない。
こう言うわけで、万物は無用に造られたと言わなければならないし、またそれ故に創造の結果は目的のないものであったであろう。従って、これは神の知恵とその永遠の目的とまた神の能力と慈悲と正義とを亡ぼしてしまうと言わなければならない。
もしも律法がないと言うならばまた罪もないと言わずばなるまい。もしも罪がないと言うならば、また義もないと言わずばなるまい。しかして、もしも義がないならば幸福はないであろう。義も幸福もないならば、罰も不幸もないであろう。そして、もしもこれらの事がないならば神もまたないのである。従って、もし神がないならば我々もなくこの大地もない。何となれば、これでは作用するものも作用せられるものもないから万物の創造ができるはずもなく、従って万物はことごとく消えうせていたに違いないからである。
さて息子らよ、私はこれらの事をお前たちの利益と学問とになるように話す。それは現に一人の神がましまして、天も地もすべてのものを造り、天地の中の万物を作用するものと作用せられるものとに造りたもうたからである。
そして、神がわれわれの最初の両親と野の獣と空の鳥、つまりあらゆる造られるものをことごとく造りたもうてから、人間の行末にかかわる永遠のみこころを成就したもうためには、物事に必ずその反対がなくてはならなかった。すなわち、禁断の実に対しては生命の木があってこれは甘くかれは苦かった。
それであるから、主なる神は随意に行う自由を人間に許したもうた。しかし人間はもしもあれに誘われこれに誘われなければ、随意に選び行うことはできないのである。
私リーハイは、自分の読んだ所によって考えるのに、書に誌された通り一人の神の使が天から堕ちたが、彼は神の御前に悪を為そうとしたから悪魔になったと思わざるを得ない。
そして彼は天から堕ちて永久にみじめな様になったから、あらゆる人間もまたみじめな様にしようとした。それで以て、まことにかの昔の蛇、悪魔、あらゆる偽りの父である彼はエバに言った『禁断の実を食え、これを食えば死ぬことがなくて神のようになり善悪を知るであろう』と。
アダムとエバは禁断の実を食ってから、二人ともエデンの園から追い出されて地を耕すこととなった。
そしてかれらは子供をもうけ、まことに全世界の人類の両親ともなった。
そして神のみこころによって、人間の命はかれらが肉体に在る中に悔い改めをするようにと延された。それであるから、かれらの人生は試しの生涯となり、そのつづく長さは主なる神が人間に与えたもうた命令によって延された。神は全人類に、かれらはその始祖が罪を犯したために堕落したことを知らせたまい、すべての人は皆悔い改めねばならぬと命じたもうた。
さてごらん、もしもアダムが罪を犯さなかったならば、彼は堕落をせずにそのままエデンの園にいたであろう。そして創造された万物は造られた後の状態そのままに続いてあったに違いなく、また必ずそのまま永久に続いて終りがなかったであろう。
また、アダムとエバは子供をもうけることもなかったであろうし、それから不幸を知らないから喜びもなく、罪を知らないから善もなさず、そのまま罪が無い状態に留ったであろう。
しかしながらごらん、万物は万物を知る者の全智に由って成った。
アダムが堕落したのは人類を生ずるためであり、人類が現世に在るのは幸福を得んためである。
そして時が満ちると、人間の始祖の堕落の結果から人間を贖うためにメシヤが来りたもう。人間たちはその始祖の堕落の結果から贖われるから、すでに永久に自由となって善悪を弁え、ただ大いなる終りの日に、神の下したもうた命令に従って律法が定める罰を受けるほかには何事も自分の心のままに行いほかから強いられることはない。
それであるから、人はみな現世に於て自由であり、およそ人間のためになるものは何でも与えられる。そして万人に為したもうメシヤの大いなる賢い仲裁によって自由と永遠の生命とを選ぶか、または悪魔は万人が自分のようにみじめになることを求めているから、その束縛と力とに由って定まる束縛と死とを選ぶか、これは全く人間の自由である。
さてわが息子たちよ、私の願うのはお前たちがかの神と人との間を取り持つ大いなるお方にすがってその大きな賢い命令を聞き、真実その言葉を守り、その聖い「みたま」のみこころに従って永遠の生命を選ぶことである。
またお前たちが肉体の欲念と肉体に宿る邪悪に負けて永遠の死を選ばないように願う。これらのものがある時は、悪魔の霊力はお前たちを捕えて地獄におとし入れ自分の王国の中でお前たちを支配するのである。
わが息子たちよ、私は自分の試しの生涯が今や終ろうとする時にこれらのわずかな言葉をお前たち皆の者に語り聞せたが、私は予言者の言葉に従ってすでに善い道を選んだ。私が心に望むところは、お前たちが永遠の福利安泰を受けることのほかに何もない。アーメン

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