ばべるばいぶる(多言語聖書閲読)
HELP
フォント・背景色変更
ID:
パスワード



2024年4月23日(火) 通読(本日=王上1-4,シラ22,アル6 明日=詩63-65,二マカ6,アル7)

●章表示 ●検索

聖書1:
聖書2:
ルビ: 節番号表示:
見出し表示 あり  なし


検索語:
聖書:
大小文字同一視
検索書名
同時表示聖書:
1ページに表示する候補数:
ルビ:
章モードしおり 現在の章をしおりに追加(最大20) クリア 並べ替え


節表示・修正口語訳(日本語R)+真理子のおまけ 解題
〔57年モルモン経〕ニーファイ第二書 第4章
第四章
リーハイ、レーマンとレミュエルの息子、娘たちを祝福する。イシマエルの一家およびサームとその子孫に与えた祝福。リーハイの死。先につづいて謀叛が起る。

さて私ニーファイは、エジプトへつれて行かれたヨセフにつき私の父が語った予言に関して話をする。
ごらん、そのヨセフはまことに自分のすべての子孫について予言をしたが、およそ予言の中でヨセフの誌した予言に勝るものは少い。ヨセフは私たちとこれらか先の子々孫々について予言をした。その予言は真鍮版に刻んである。
それで、私の父はヨセフの予言について話をしてしまってから、レーマンの子供である息子や娘たちを呼び寄せてかれらに言った「さて私の長男の息子や娘である私の孫たちよ。私の言う言葉をよく聞いてほしい。
それは主なる神が『汝らわが命令に従わば、地に栄ゆべし。されど汝らわが命令を守らずばわが前より追い出さるべし』と仰せになったからである。
しかしごらん、私の孫たちよ。私はお前たちに祝福を与えなかったなら安心して死ねない。私はお前たちが従うべき道に従って育てられたなら、その道から外れないことを知っているからである。
それで、もしもこれからお前たちがのろわれるならば、そののろいがお前たちから取り去られて、のろいの下った責めがお前たちの両親の頭に帰するように、私は祝福をお前たちに残しておく。
それで私が授ける祝福のために、主なる神はお前たちが亡びるままにまかせたまわず、お前たちとお前たちの子孫をいつまでも憐みたもう」と。
父はレーマンの息子や娘たちに話をしてしまってから、レミュエルの息子や娘たちを自分の前につれて来させ、
これらの者に言った「さて、私の次男の息子や娘らである私の孫たちよ。私はレーマンの息子や娘たちに残したと同じ祝福をお前たちに残す。それであるから、汝らは全く亡ぼされることなく、汝らの子孫もついに恩恵を受ける」と。
私の父はかれらに話し終ると、イシマエルの息子たちと自分の家内中の者全部にまでも語り聞せた。
そしてかれらに話し終ると、父はサームに向って「汝は弟のニーファイと同様にこの地を受け嗣ぐのであるから、汝と汝の子孫とは幸福である。汝の子孫は、ニーファイの子孫と共に数えられる。汝はニーファイ同様の者となり、汝の子孫はニーファイの子孫同様の者となる。そして汝は一生涯祝福を受ける」と言った。
私の父リーハイは、その心の思いをうち明け、その身に宿る主の「みたま」によって家内中の全部に語った後すでに年もとっていたからついに死んで葬られた。
さて父の死後日数も多くたたない中に、レーマンとレミュエルはイシマエルの息子たちと共に主の訓戒について私に腹を立てた。
それは、私ニーファイが主の言葉に従ってやむを得ずかれらに語ったからである。私はそれまでに多くの事をかれらに語り、私の父もまた亡くなる前に多くの事をかれらに語り聞せたが、その言ったことの多くは私の作ったほかの版に誌してある。それは、私の作ったほかの版にはおもに歴史に関わる部分が誌してあるからである。
そして本版には、私の心のことを誌し、また真鍮版に刻んである聖文の多くも書き誌してある。それは私の身も心も聖文を喜ぶので、私が心にそれをよくよく考えて私の子孫たちの学問と利益とになるようにこれを書き誌すのである。
ごらん、私は身も心も主に関する事を喜び、私の心は私がこれまでに見聞きしたことを絶えずよくよく思っている。
と言うものの、主がその驚嘆すべき大御業を私に示したもうときに現われる恩恵が大きいのにも関わらず、私は心の中で叫ぶのである。「ああ、私は不幸な人間である」と。まことに、私はわが肉体のために心に憂いがあり、自分の罪悪のために私の心は悲しむ。
私は非常にたやすく迫ってくる誘惑と罪悪とのために取り巻かれている。
故に私が喜ぼうとすると、自分の罪のために私の心は苦しみにうめく。さりながら、私は今までにだれを頼みにしているかを知っている。
すなわち、私がこれまでに杖柱と頼んだのはわが神である。わが神は私が荒野で艱難をした時に始終私を導き、私が深い大海の上に在った時に私を守りたもうた。
わが神は私の肉体が燃えんばかりに、私の中にその愛を満たしたまい、
私の敵をして私の前にふるいおののかせんばかりにこれを破りたもうた。
ごらん、わが神は昼は私の歎願を聞きたまい、夜は示現を以て私に知恵を授けたもうた。
私は昼は熱烈な祈りを神の御前に力強く捧げ、まことに私の声が上って天に届いたから、使たちが天降って私に導きと恵みとを施した。
私は神の「みたま」の翼の上にわが身をのせられて非常に高い山の上に運ばれて行き、まことに大いなる物事を自分の目で見た。しかしそれは人間にとってまことに高尚に過ぎるからお前はそれらのことを書き誌してはならぬと言われた。
そこで、もしも私がかほどに偉大な事を目にし、もしも主が人間に対するいつくしみ深い思し召しで、かほどに大きな憐みを人間に与えたもうたとするならば、たとえ私がいかに苦しむからと言ってもどうして私の心が嘆いてよいだろうか、私の心がいつまでも悲しみの谷に留まってよいだろうか、私の肉がやせ衰え、私の力が弱くなってよいだろうか。
またどうして私の肉体のために罪に負けてよいだろうか。どうして誘惑に負け、悪魔が私の心の中に入ってその平安を破り、私を苦しめるに任せてよいだろうか。また何故敵のために怒りを抱こうか。
目醒めよ、わが心よ、もはや罪のために溺れるな。喜べ、わが心よ。これからはもはやわが身と霊の敵を近づけるな。
再びわが敵のために怒ってはならない。わが苦しむために力を弱くしてはならない。
喜び楽しめ、わが心よ。主に叫んで言え「主よ、われはとこしえに主を讃め奉る。まことにわれは主なるわが神、わが救いの岩によりて喜ぶ。
おお主よ、われを贖いたまえ。われを敵の手より救いたまえ。罪のきざすのみを見て怖れおののくようにわれを成らせたまえ。
わが心は真にへりくだりわが精神は悔ゆれば、地獄の門を常にわが前に閉ぢたまえ。おお主よ、われに低き谷の道を歩み慎みて平らかなる道を踏ますために、わが前に義の門を閉ぢたもうなかれ。
おお主よ、主の義の衣をわれに着せたまえ。主よ、わが敵よりわれの逃るる道を設けわが前にわが道を直くしたまえ。わが行く道につまずく石を置かずわが前に道を開きたまえ。しかして、わが道を塞がず敵の道をせき止めたまえ。
おお主よ、われ今日まで主を信じて頼りしが、これより後いつまでも主を信じて頼り奉る。われは人間の腕に依り頼む者はのろわるることを知る故に、人間の腕に依り頼むことなし。まことに人に信頼を置き、人間を依り頼む腕と為す者は禍なるかな。
まことに神は願う者に惜しまず与えたもうことをわれは知る。わが求むるところよこしまならずば、わが神われに与えたまわん。されば、まことにわが神よ、わが義の岩よ、われ声高らかに神に祈らん。見よ、わが岩にしてわが永遠の神よ、わが声はいつまでも神に捧げられん。アーメン」と。

このページのURL
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ne&chapter=4&mode=0