[ばべるばいぶる]

真理子の聖書日記


このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
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[274] ヨブ記25-26章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/08(木) 11:38:09 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=job&chapter=25&mode=0
 昨年度の記事は[0:540]
 昨年もちらっと書いたように、そして前回[253]のバルバロのところでちらっと書いたとおり、ヨブ記のこのあたりはぐちゃぐちゃしていて、順番を入れ替えて読むべしという説がいくつか提唱されています。ただしどう入れ替えるかは諸説まちまちです。で、普通はこういうのは注釈のところに書いて、本文はいじらないものですけど、本文まで組み変えちゃったものもいくつかあります。とりあえず日本語訳にしぼって、今日は「本文の順番を入れ替えちゃった訳」をとりあげます。

岩波(並木浩一)訳
  ヨブ26:1-4をこの章の末尾つまり ヨブ26:14ヨブ27:1の間に移動しました。
 つまりヨブ26:5-14はヨブの言葉ということになっていますが、内容的に考えればビルダデ(ビルダド)の言葉と考えられるので、 ヨブ25ヨブ26:5-14がビルダデ、それに対するヨブの反論がヨブ26:1-4ヨブ27というわけです。 ヨブ27:1が、「ヨブは『また』言葉を『ついで』言った」とあるのが、その証拠というわけです。

バルバロ(旧新とも)訳
  ヨブ24:18-24ヨブ27ヨブ28の間に入れます。つまり24章が2回出てくるような感じになっています。なぜかというと、 ヨブ27:13-23をヨブではなくゾパル(バルバロは「ソファル」と表記)の言葉と解釈しているのです。第3ラウンドではエリパズ(ヨブ22)、ビルダデ(ヨブ25)が出てくるのにゾパルが出て来ないのはおかしいので、実はこれがそうなのだという説です。

 こうしてみると、バルバロというのはずいぶん大胆です。よく、バルバロは原典からでなくヴルガタ(ラテン語訳)からの重訳だろうとか、素人の神父が作ったいいかげんな訳だろうとか言われていますが、岩波なみに大胆に本文をいじくってるんですね。けっこうバルバロさんは学問訳を志向しているんです。考えてみれば、聖書の参考書はいっぱいあるわけですから、たんねんにそういうのにあたれば、素人でも「原典からの学問訳」が作れちゃうんですよね。

[273] ヤコ・モ2章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/07(水) 11:20:25 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jac&chapter=2&mode=0
 よかったはずのニーファイ人が堕落したとは?
 前章から書かれていますが、実は一夫多妻制度をいれて、たくさんの妻、たくさんの側女を持つようになっちゃったことだというのです。祭司ヤコブは神の言葉をとりつぎます。悪いレーマン人よりひどいじゃないか。妻は一人だけ。側女を持つな。

 というわけですが、しかしモルモン教は、当初は一夫多妻制度を認めていて、その評判が一人歩きしてしまったところがあります。モルモン教が出てくる有名な小説が、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズもの第一作『緋色の研究』。モルモン教の一夫多妻制度が事件の核心に出てきます。
 モルモン経にこんなことが書いてあるなら、どうして当初のモルモン教は、一夫多妻をやってたんでしょうか。それともここは、一夫多妻への批判から後で作られたのかしら?

[272] 1マカ13章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/07(水) 11:12:14 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ma&chapter=13&mode=0
 昨年度の記事は[0:584]。ごめんなさい、昨年のをそのまま転載します。
 前章でトルポンはヨナタンを殺しちゃったのかと思ったら、まだ生きていたみたいですね。ヨナタンの兄弟のシモンに、「助けてやるから金とヨナタンの息子を人質によこせ」と言ってきます。こんどもまたこちらをだましているのだと知りながら、仕方なくその要求に応じます。案の定トルポンは約束を守らず、ヨナタンを殺してしまいます。トルポンは、それまでいただいていたアンテオコス王を殺して自分が王位についてしまいます。
 一方、ユダヤの側はシモンが代表となり、ヨナタンの墓を作ります。そしてトルポンと対立しているデメトリオ王側、およびエルサレム要塞の者たちと和議を結び、平和が訪れます。

[271] 詩編36-38編 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/07(水) 11:08:36 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=psa&chapter=36&mode=0
 昨年度の記事は[0:539]
 どれもよい詩だと思うのに、交読文にも入ってないし、Youtubeの動画も面白いものがありません。それぞれkinotoriさんの作品だけ紹介することにします。

●36編
 冒頭は悪魔のさまを生き生きと表現しています。神を恐れるような目をしておらず、人におもねる。言う言葉はウソばかり。寝床で悪いことばかりをたくらんでいる。こんなやつから助けてください。

(http://www.youtube.com/watch?v=YMImFOJihNo)

●37編
 ではそういう悪魔にはどう対処したらいいのか。ともかく気にしないこと、ねたまないこと。彼らはどうせ滅ぶのです。神を信頼しておのが道を行くことです。

(http://www.youtube.com/watch?v=oaV66b62Vx0)

●38編
 詩人はまるでヨブのように重病にかかっています。友人もみんな見捨てて離れていきます。しかし神様だけは私を見捨てない。神様、見捨てずに助けてください。

(http://www.youtube.com/watch?v=daZSBhwZxZ0)

[270] ヤコ・モ1章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/06(火) 12:40:58 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jac&chapter=1&mode=0
 ヤコ・モというのはモルモン経ヤコブ書のことです。
 クリスチャンがヤコブ書というと、新約聖書の「ヤコブの手紙」のことになりますが、困った事にモルモン経にもヤコブ書というのがあり、しかもモルモン教徒は新約聖書のほうを「ヤコブ書・新」なんて言ったりします。
 まったく、同じ名前をつけといて、もともとあったほうに「新」も何もないだろうと思うんですが、一応たてまえとしては、モルモン経ヤコブ書のほうが古いってことですからね。
 それに、モルモン経を作ったJスミスJrには悪気はなかったのでしょう。というのは、モルモン経のヤコブ書はThe Book of Jacob、新約聖書のヤコブの手紙はThe General Epistle of James。英語だとJacob/Jamesで、名前が違うんですよね。旧約のヤコブはJacob、新約のヤコブはJamesなんです。
 イエス様の名前も実はヘブライ語ではヨシュア。だからヘブライ語版の新約聖書はヨシュアって書いてますし、ギリシア語版のヨシュアはイエス(イイスス)と書いてます。もし新約聖書に「イエス記」なんて本があったら、ヘブライ語やギリシア語では区別がつかなくなったことでしょう。
 とりあえず当サイトでは、モルモン経版ヤコブ書は「ヤコ・モ」と書きます。

 さてヤコブと言うのはリーハイが荒野でもうけた子供で、ニーファイ人の祭司になっていたのでした。ニーファイは本章で死にますが、以後はヤコブの代になるのです。というか、ニーファイは政治的にも宗教的にも指導者だったのですが、ここからは政治的指導者は本名にかかわりなくニーファイ2世、ニーファイ3世…と呼ばれ、ヤコブのほうは宗教的指導者ってことですね。
 また、新天地に来た人々も、悪いレーマン人以外は全部ニーファイ人と呼ばれるようになります。というか、ニーファイ人に敵対する人が全部レーマン人と呼ばれるようになったというべきか。
 さて、レーマン人は悪、ニーファイ人は善だったはずなのに、どうもニーファイ人も堕落して、悪いことをするようになったようです。続きは明日。

[269] シラ書13章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/06(火) 12:29:09 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=13&mode=0
 昨年度の記事は[0:792]
 昨年も書きましたけど、最後の「格言を作るのは大変だ」は爆笑ものですね。
 ここは金持ちと貧乏人が互いにつきあえないことをいろいろな格言で説明しているんですけど、爆笑格言の連続です。ゆっくり読んで大いに笑いましょう。

[268] サム上11-15章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/06(火) 12:26:07 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1sa&chapter=11&mode=0
 昨年度の記事は[0:536]
 アンモン人がヤベシ・ギレアデを包囲、
http://www.babelbible.net/map/8.png
のC-2、ヨルダン川ぞいの町ですね。アンモンはイスラエルの東側地域。今のヨルダンの首都アンマンってアンモンのなれのはてです。
 で、講和条件が「全住民の右目をえぐりとる」というとてつもないもの。このしらせを聞いたサウル王はアンモンと戦って大勝利(11章)。
 やっぱり王様がいると強いですねぇ、と思いきや、サムエルはまだぶつぶつ言ってます。イスラエルを治めるのは神なんだ。それなのに王を立てろといいやがって。ほーら神様は怒ってるぞ。その証拠に、雨や雷なんかまずありえない小麦刈の季節にほーら雷と雨! さあ主に仕えなさいと民をおどします(12章)。
 サウルは2年間イスラエルを治め、ゲバ(上の地図のB-3)にいるペリシテ人の守備隊を敗ったので緊張が高まります。さあ戦争だ、主に祈ろうというときに、サムエルがやってきません。兵士は不安になってどんどん逃げ出すしまつ。サムエルを待ちきれないサウルはついに勝手に燔祭(焼き尽くすささげもの)をやってしまい、ちんたらやってきたサムエルに呪われます(13章)。
 サウルの子ヨナタンが勝手に出陣、無謀な戦いをします。それを知ったサウルは兵士に「夕方まで何も食べるな」と誓わせて戦いますが、ヨナタンはそのことを知らず、蜜を食べてしまいます。戦いには勝利しますが、兵士たちは疲れていて、分捕りものを略奪、血抜きをしないで食べるなど、神様のおきてに反してしまいます。サウルはヨナタンを死刑にしようとしますが、兵士たちになだめられ、思いとどまります(14章)。
 サムエルはサウルに、アマレク人を皆殺しにしろ、家畜も全部殺せと命じますが、手加減をしてしまい、また家畜もよいものは残しました。これが神様およびサムエルの逆鱗にふれ、サムエルはサウルと絶交します(15章)。

 こうやってあらすじをまとめましたが、私はいまだにサウルのどこが悪かったのかちっともわかりません。悪いのはヤハウェくん(神様のことね)とサムエルくんです。どう考えてもヤハウェとサムエルのほうが非道です。昨年も書きましたが、サウルの王国が弱体で、ダビデの王国にとってかわられたことを、後の世の宗教的価値観で説明してるにすぎません。

[267] 2ニフ33章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/05(月) 13:27:23 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ne&chapter=33&mode=0
 ニーファイは説教を終わり、この世を去ります。これでニーファイ第2書は終わりです。
 なお、モルモン経にはあと二つニーファイという名を冠した書物がありますが、これは別人のニーファイです。区別するときは、いままでのニーファイがリーハイの子ニーファイ、もう一人のほうがヒラマンの子ニーファイと言います。

[266] 詩歌13章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/05(月) 13:22:27 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=ode&chapter=13&mode=0
 シメオンの祈り。ルカ2:29-32と同じです。
 ですから「詩歌」は旧約外典とは言えません。昔の教会の式文として使われたんでしょうね。
 とても短いですが非常に重要です。というのは、これはヌンク・ディミティスと言って、カトリックでは政務日課の終課つまり寝る前の祈りで読まれます。私の行ってるルーテル教会でも、日曜日の礼拝の最後に次のことばを唱えます。

いま私は主の救いを見ました。
主よあなたはみ言葉の通り、しもべを安らかに去らせてくださいます。
この救いはもろもろの民のためにお備えになられたもの、
異邦人の心を開く光、み民イスラエルの栄光です。

[265] 創世記48-50章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/05(月) 13:12:42 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=gen&chapter=48&mode=0
 昨年度の記事は[0:534]
 ヤコブは死の直前にヨセフの2人の子を祝福、またヤコブの12人の子を祝福して死にます。ヤコブはマムレ、
http://www.babelbible.net/map/10.png
のB-3の東にあるマクベラの畑の洞穴に葬られます。やがてヨセフも死に、エジプトに葬られます。
 さて、イスラエル十二部族の名の由来になったヤコブの12人の子の名前はもう覚えていただけましたでしょうか?
http://www.babelbible.net/mariko/bib.cgi?doc=twelve&course=bib
の歌で覚えてください。
 4番まである長い歌なんてとても覚えられないというのでしたら、こういうのはどうでしょう?

  シリアル長いぜ、ユダを呼べ、お前!

「シリアル番号が長すぎて覚えられないのでお前ユダを呼んで来い、彼が覚えているだろうから」というのです。順番が変わってしまうのですが、シメオン、レビ(リに変わっちゃいました)、アシェル、ルベン(レウベンとも)、ナフタリ、ガド、イサカル、ゼブルン、ユダ、ダン、(「を」をぬかして)ヨセフ、ベニヤミン。ここまでが12人の息子。そして(「お」をぬかして)マナセ、エフライム。これがヨセフの2人の子の名前です。この頭文字をつなげて覚えます。
 イスラエル12部族というときは、レビとヨセフを除き、ヨセフの2人の子のマナセ、エフライムを入れます。
 48章でヤコブがなぜか、エフライムのほうを祝福してしまうのは、後にエフライム族が北王国の代表的部族になったことをふまえているんでしょう。
 そして49章の息子たちへの祝福も、よく読むと、本当に祝福されているのはヨセフだけ。しいていえば、ユダも長くいろいろ言われているかなというところです。ヨセフ物語の最初にあった、ヨセフが他の兄弟を支配するという話がここで最終的に成就されたということ、そして後にユダ族が南王国の代表的な部族になったことをふまえているんでしょう。

[264] 2ニフ32章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/04(日) 09:10:31 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ne&chapter=32&mode=0
 ここまでのあらすじ。
 ユダ王国末期、王国の滅亡を予言して迫害されたリーハイは一家もろとも荒野に逃れます。4人の息子のうち、長男レーマンは悪役、末のニーファイは善玉。度重なる対立や争いも経ながら、一行は海を越えて新天地アメリカに着きます。ここでニーファイはレーマンと決定的に対立、ニーファイたちは独自の町を作り、リーハイが荒野でもうけた息子ヤコブとヨセフを祭司にして生活します。
 そして、ニーファイは死に際して、自分たちの末裔の運命を予言します。私たちの子孫も滅んでしまい、アメリカは異邦人、つまり旧大陸からやってきたヨーロッパ人たちに支配されてしまうというのです。悪い教会も多くでき、人々を惑わします。聖書だけしか権威を認めないなんていいますが、神様の働きには終わりはないので、モルモン経みたいな新たなものを授けたりもするのです。そういうものを信じて悔い改めれば、自分たちの末裔も、レーマン人も、異邦人も救われるといいます。

 そう、そんなわけで、ニーファイには死がせまっているのです。明日でこの本もおしまいです。
 今日は聖霊の働きを説明しています。天使は聖霊の力で神の言葉を語るので、聖霊を受けることが神からのメッセージを受ける道です。そのためにはしっかり悔い改めて正しい教えを信ずることだと言ってます。

[263] 3イミ12章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/04(日) 09:00:55 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=3ic&chapter=12&mode=0
 昨日[260]の「困難、苦労が人をきたえる」という話と似ています。
 まず、現世の苦労より、死んでからの煉獄の苦労のほうが大変なんだから、それに耐える練習として現在の苦労に耐えなさいといっています。
 カトリックでは煉獄ってことを言いまして、完全に清められない状態で死んだ人は、そのままでは天国に入れないので、煉獄で浄化の苦労をしてもらおうというのです。そして、その浄化の苦労を軽減するのに、お金を払って贖宥状(免罪符のことです)を買うという発想になったわけですね。 二マカ12:43-45に、戦死者の罪のゆるしを銀二千ドラクマずつ集めてエルサレムに送って祈ってもらったマカビー(マカバイ)のユダの故事があります。死者が死んだっきりならそんなの無駄金になりますが、死者が復活して神の国に入るという信仰あってこそこれが意味を持つのです。贖宥状はこの部分を根拠にカトリックが販売していたのですが、ルターはこれが書かれている2マカを聖書から排除したくて、聖書から外典を取り去ったという裏話もあります。
 それはそれとして、現世の話。どんな金持ちだって苦労や悩みはあるんです。いや、お金に執着すればこそそういう苦労があるんです。だから苦労に耐えるためには、この世の楽しみ、この世のあらゆることを軽んじて、この世のものへの執着の根源である欲望から離れることです。
 そして最後にへび(創世記に出てくるあのへびです)にからんで労働の話が出てきます。へびに象徴される誘惑、欲望から離れるためには、仕事をしろ、仕事に打ち込めば欲望を忘れられると言ってます。

[262] 1コリ7-8章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/04(日) 08:41:01 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1co&chapter=7&mode=0
 昨年度の記事は[0:533]
 7章は結婚に関するパウロ先生の生活指導ですけど、読んでてくらくらしてきますね。現在結婚/独身、信者/非信者、男/女、結婚/離婚といった座標軸でマトリックスを作って場合わけしないと整理できない、という気がしますが、実はそうではありません。とても単純です。
 ずばり、禁欲(独身)推奨、現状維持ってことです。
 パウロは、終末が今すぐにでも来ると信じ込んでいます。イエス様の復活は終末のプロセスが始動したということなんです。ほんのちょっとの辛抱で、永遠の安らぎが得られるのですから、わざわざ最後の審判に不合格になるようなことはしないほうがいい。
 だから禁欲(独身)推奨なんです。現在独身の人はわざわざ結婚してエッチなことばっかりしてポイントを下げちゃダメなんです。
 でも、性欲の強い人は、独身を守ることでかえってむらむらしてしまい、女を買うとか襲うとか悪事に走るかもしれない。大幅にポイントダウンするかもしれない。だったら結婚したほうがポイントダウンが少ない。そういう発想です。
 そして、終末はどうせすぐに来るんだから、今何かを新たにやる必要はない。だから結婚してるにせよ独身にせよ、今の状態を変更する必要はないし、奴隷は奴隷でいていいんです。いまちょっと辛抱すれば、どのみち私たちは主に身請けされた身、神の国に入ったあかつきには奴隷じゃなくなるんですからね。
 強烈な終末意識にとらわれた人の説教ですから、今の私たちは従う必要なんかないんですけど、それでも信者と非信者の結婚を認めているあたり、イスラム教よりはましかもしれません。

 8章の食べ物談義は、一応何でも食べている私たちには理解しかねるところがあります。
 もっとも私たちもも、犬や猫や猿や蛇は食べませんよね。私たちだって、明文化されてないだけで、食物禁忌規定に従って生きているんです。それを自覚してないだけです。韓国では犬鍋なんてあります。私も大好きです。新宿職安通りには犬鍋を出す店もあるので食べに行ったりします。だから、うちの教会では犬もOKよって言いたいとこですが、犬を食べつけてない人は、うぇって思うかもしれません。そのくらい食物禁忌の習慣って強固なんです。犬を食べなきゃ信仰できないっていうなら、信仰やめちゃう人が多いかもしれませんね。
 食べ物以外の例も出してみようかしら。仏教の葬式に出て焼香をするかどうかという話なら、切実な問題だと思う人もいるかもしれません。
 私などは、クリスチャンであろうと仏教の葬式に行ったら焼香していい、いや焼香すべきだと思っていますが、けっこう抵抗がある人が多いらしいですね。mixiなんかでは「献花はするけど焼香はしない」なんて言ってる人がうじゃうじゃいます。そうなんですか?
 そうすると、私などは平気で焼香しても、焼香に抵抗のある人には「焼香しなくていいんだよ」と言ってあげるほうが親切、というのがパウロの考え方というわけです。どんなもんかしらね。
 焼香はおろか、じゃみんなで南無阿弥陀仏と唱えてるときにお付き合いしなけりゃいけないかってなったらどうですか? 私はそんなの、しっかりした信仰を持ってればただの社交辞令だと思いますので平気で念仏でも題目でも唱えます。だってこの逆、キリスト教式の葬式では、牧師は平気で讃美歌を強要し、主の祈りを唱えることを強要するんですよ。お互いさまじゃないですか。私たちは、念仏は唱えたくないといいながら、平気で人に「主の祈り」を他宗教の人に強要している傲慢さを自覚しなければなりませんよ。だから私は唱えます。でも、イヤだという人にまでは強要しません。そういうことです。

[261] クルアーン24回 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/03(土) 11:40:21 コメントする ここから閲覧

 クル-24回。5章54-81節。
 アラブ・イスラーム学院の
http://www.aii-t.org/j/audio/q_exegesis/61.htm
http://www.aii-t.org/j/audio/q_exegesis/62.htm
http://www.aii-t.org/j/audio/q_exegesis/63.htm
もごらんください。
 例によってユダヤ教徒とキリスト教徒への批判です。69節のサビア教徒というのはよくわかりません。ユダヤ教やキリスト教の一派らしいです。
 73節の「主なる神は三位の一つである」というのは、私は「父と子と聖霊」のうちの父ということだと思うんですけど、上の、アラブ・イスラーム学院の解説(63.htm)だと「神とイエスとマリヤ」ってことになってますね。そうなのかしら? まあ、たしかに見かけ上は、三位一体の一つとはいえ、聖霊にお祈りする人って多くない。逆にカトリックも正教会もマリヤ信仰がさかんですから、イスラム側にはそう見えるんでしょうか。

[260] 1イミ12章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/03(土) 11:30:49 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ic&chapter=12&mode=0
 1イミというのは、イミタチオ(キリストにならいて)1巻ということ。
http://www.babelbible.net/bible/help.cgi?imode=0&kaiin=1&helptext=ich
もごらんください。

 イミタチオの言葉は本当に心にしみるものが多く、私ごときが何もつけくわえることはないのですが、今日のは例外。
 困難が人を育てるという趣旨はいいんですけど、2節の後半に、「そしてもうこれ以上生きたくないと思い、この世を去ってキリストと共にいるために自分に死が来ることを望むのである」というところがまったく承服できません。
 たしかに、この世には完全な安らぎや平和はないし、正直者がバカを見ることはいっぱいあるし、そのために嘆き祈るのもいい。でも、その結果、もう死にたいって思うか? たとえ思ったとしても、それを勧めるか?
 私が大嫌いなのは、現世を否定するあまり死を美化する考え方。死を賛美する宗教は、献金持ってこいという宗教と同様、それだけでカルトと認定します。これがキリスト教の考え方というなら、キリスト教はカルトです。邪教です。
 宗教って、生きて生きて生き抜くためのものじゃないんですか?
 仏教では浄土系がともするとあの世を美化し死の賛美に走っちゃうことがあります。キリスト教は浄土宗に似てますからね。時々暴走するとこういう考え方になっちゃうんでしょう。

 私は、「神の国はこの世」説をとっています。死んで、最後の審判(実は死後すぐに各自個別に行われます)に合格して行く先は、ふたたびこの世です。さ、もう一回がんばって、この世でさまざまな試練を受けて強くなれ、と神様に送り出されることでしょう。

[259] マルコ3-4章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/03(土) 11:19:36 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mar&chapter=3&mode=0
 昨年度の記事は[0:532]
 福音書はエピソードが羅列されている形なのであらすじという形でまとめるのは困難です。そこでこちらもエピソードを羅列して、ポイントを簡単に書いておくことにしましょう。新共同訳の小見出しを釈借用します。

●手の萎えた人をいやす マコ3:1
 安息日にやっちゃったのでパリサイ人たちから目をつけられるんですが、5節でイエス様が怒っているのがポイント。イエス様って怒りっぽいんです。だいたい、 マコ1:41の「イエスは深くあわれみ」も、別写本だと「イエスは怒って」になってたりします。だって直前の「みこころでしたら、きよめていただけるのですが」って、聞きようによっては「あんたに私のらい病を治すことなんてできるのかいな?」ととれちゃいますもの。

●湖の岸辺の群衆 マコ3:7 この舟は次の4章で活躍します。

●十二人を選ぶ マコ3:13 はい、選ばれました。

●ベルゼブル論争 マコ3:20
 27節のたとえ、よりによって強盗の仕方をイエス様が説くというのが面白いです。
 28-29節で、どんな罪も、たとえ神をけがす言葉を言っても許されるのに、聖霊をけがすのだけはダメっていうのは、たぶん人の罪を許すはたらきを聖霊が担っているので、それを否定しちゃ許されるものも許されないってことだと思います。
 そんなことより、21節で、身内のものが取り押さえに来たっていうのがすごいですね。身内というのを友人ととる人もいるようですけど、ホントに身内なんでしょう。この話は次と関連します。

●イエスの母、兄弟 マコ3:31
 つまり、私生児であり、出生の秘密を知ったせいか早くに家を飛び出して洗礼者ヨハネのところに行っちゃったイエス様は、家族と仲が悪いのです。家族はイエスを気違いだとしか思ってないんですね。そんなわけでイエス様は、ホントの家族をさしおいて、信仰を持つものがみんな家族なんだと言っているのです。
 ペ・ヨンジュンでしたっけ、ファンのことを家族って言ってるのは。そんな感じかしら。

●「種を蒔く人」のたとえ マコ4:1
●たとえを用いて話す理由 マコ4:10
●「種を蒔く人」のたとえの説明 マコ4:13
●「ともし火」と「秤」のたとえ マコ4:21
●「成長する種」のたとえ マコ4:26
●「からし種」のたとえ マコ4:30
●たとえを用いて語る マコ4:33
●突風を静める マコ4:35
 こんなふうにいちいち書いてると、来年書くネタがなくなるので、4章は来年にとっておきます。
 ちなみにからし種については、
http://www.sinsei.org/bokusi/karasi.htm
のページが面白いのでごらんください。

[258] クルアーン23回 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/02(金) 11:41:07 コメントする ここから閲覧

 クル-23回。5章27-53節。
 どろぼうをしたら手を切断だぞというこわーいイスラム法の根拠になっているのがクル5:38。アラブ イスラーム学院の解説
http://www.aii-t.org/j/audio/q_exegesis/60.htm
もごらんください。4デナリ(ディナール)以上ってことは2万円かしら。
 ケセン語聖書の山浦玄嗣先生は1デナリ5000円と計算して訳してますので、私も聖書でデナリが出てきたらそうしてます。1デナリが労働者の日給ですね。もっともいま神奈川県の最低時給は836円だから、もっと高くしなきゃいけないかしら。昔のことだから12時間くらい働かせると1万円になりますけどね。すると4万円。
 そして切るのは右手で、次にやったら左足、次は左手、次は右足ってことらしいです。
 しかも、次節に「悔い改めたら許す」というのがあるから、実際には切らなかったのかしらと思ったら、許すのは神様が許すのであり、人間には許す権利がないからちゃんと法定刑を処すんだそうな。ふーん。
 アラブ イスラーム学院の注釈は10章までできてますね。以後も随時参考にします。

[257] 知恵の書12章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/02(金) 11:24:19 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=wis&chapter=12&mode=0
 昨年度の記事は[0:708]
 神様を「知恵」と置き変えた、知恵版イスラエル史の続き。今日はカナン征服の話です。ただしヨシュア記に相当するかというと、くまばちうんぬんというのが 出23:28 申7:20のことなので、実際に起こったことではなく(ヨシュア記が実際に起こったことかどうかは別として)、カナン征服のあかつきにはそういうことをしてあげようという予定の話だけのようです。
 いずれにせよ、先住民は偶像崇拝のかどで征服されるのであり、しかもあわれみをもって、悔い改めの機会を与えるべく、徐々に征服していったのだという理屈を言ってます。

[256] イザヤ書62-66章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/02(金) 11:02:35 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=isa&chapter=62&mode=0
 昨年度の記事は[0:531]
 なんか昨年は体調が悪いとかいってさぼってますね。実は今年も体調が悪いのよ。この時期になると体調が悪くなるのかしら。お酒の飲みすぎかしら?
 イザヤ書の最後は、希望にあふれた美しい言葉が続きます。特に62章はそうですね。捕囚が終わって故郷に帰り、祖国の再建をする人々に希望を与えているようです。
 もっとも、捕囚が終わって故郷に帰ったのは少数派で、多数はバビロンにとどまったみたいです。70年も住んでいればここに生活の手段ができてしまう。在日コリアンだって日本が朝鮮を植民地にしてたのはたかだか35年間です(よく日帝36年といいますが数え年風の計算で、満でやると35年マイナス2週間)。そのくらいでも日本に生活手段が出来てしまってとどまる人が多かったわけですから、70年もいたらなおさらです。いまさらまたあの荒野を横切って、父祖の(もう世代交替しちゃってます)故郷とはいえちゃんと生活ができるかどうかわからないところに「帰る」なんて。帰るとは名ばかりですよね。ですからほとんどモーセの出エジプトみたいな感覚です。そういえば63章ではモーセも引き合いに出されてますよね。
 ともあれ帰還組はエルサレムに着くと、町の再建より先に神殿の再建をします。城壁なんかの修復は神殿より後なんですよね。そのくらい神殿っていうのはユダヤ人の「国民統合の象徴」だったんでしょうか。
 ところがその一方で、実はヤハウェの宗教ってもともと神殿なんかなかったんです。律法には幕屋の作り方は書いてあっても神殿の作り方なんか書いてません。移動式の聖所っていうのがもともとのあり方なんですよね。神殿っていうのはソロモンの時代にヤハウェの宗教を王権の強化に利用しようとして、異教の神殿を参考に作ったわけです。実は神殿って異教的なんですよね。
 だからイザ66:1-4では、そういう神殿や祭儀に対する批判が書かれています。牛をほふる者は殺人者だ、供え物をささげる者は豚(=けがれた動物)をささげる者だ、みたいに。
 こんなふうに、神殿についてはユダヤ人みんなが賛成していたわけではなく、神殿への批判っていうのも底流に流れ続けている。イエス様が神殿で暴れん坊将軍になったのも、そういう考えにのっとったものだと考えると、わかってくるんじゃないでしょうか。

[255] 2ニフ31章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/01(木) 12:35:35 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ne&chapter=31&mode=0
 ニーファイの予言の続き。
 今日のところでは、なぜイエス様が洗礼を受けたのかという話が書かれていますが、これは実は大問題。だってイエス様が神様なら、罪を洗い流して生まれ変わる必要はないからです。
 いま土曜日に読んでいるマルコは、そういう問題意識はない。イエス様が神の子なのは、洗礼を受けたときに天から聖霊が下って、天から「あなたは私の愛する子」という声があったから、ととらえているからです。
 ところがマタイは、系図上ダビデの血統であり、しかも処女懐胎という奇跡で生まれたことからイエス様が神の子であるととらえているので、ヨハネの洗礼の話は具合が悪い。そこでマタ3:14でヨハネに「あなたは洗礼必要ないでしょ」と言わせているんです。
 ルカはまるっきりほおかむり。そもそもイエス様がヨハネから洗礼を受けたのではないかのように、イエス様の洗礼の前にヨハネの逮捕を書いています。
 ヨハネ伝に出てくる洗礼者ヨハネは、よーく読むと、イエス様のことをほめたたえているだけで、イエス様に洗礼を授けてません。このあたり、イエス様に洗礼を授けているかのような錯覚を起こさせるので、なかなか巧妙ですね。
 そんなわけでマルコを除く各福音書はけっこう苦労をしているのです。
 さてニーファイは、清いイエス様でもさらにもっともっと清くなるためには洗礼を受けなければならないのだから、まして私たちはなおさら洗礼を受けなければならないという話をしています。

[254] トビト記12章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/01(木) 12:21:59 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=tob&chapter=12&mode=0
 昨年度の記事は[0:419]
 ラファエルが素性を明かして二人のところから去っていきます。
 そうとしかまとめようがないんですけど、7節の「王の秘密は隠さねばなりませんが、神の業は畏敬の念をもってあらわにし声高に言い表わさねばなりません。」というのが面白い。私なんか、神様神様と声高にいうのは宗教宣伝っぽくてイヤなのですが、そうじゃないみたいです。

[253] ヨブ記23-24章 投稿者=真理子 掲示日=2012/03/01(木) 12:13:58 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=job&chapter=23&mode=0
 昨年度の記事は[0:528]
 今日は ヨブ24:20だけとりあげます。
http://interlinearbible.org/job/24-20.htm
 口語訳聖書のここの訳が他と違う。

口語:町の広場は彼らを忘れ、彼らの名は覚えられることなく、不義は木の折られるように折られる』と。

 ところが他を見ると、

文語:これを宿せし腹これを忘れ 蛆これを好みて食ふ 彼は最早世におぼえらるること無く その惡は樹を折るが如くに折る
新改訳:母の胎は彼を忘れ、うじは彼を好んで食べ、彼はもう思い出されない。不正な者は木のように折られてしまう。
新共同:母の胎も彼を忘れ 蛆が彼を好んで食い 彼を思い出す者もなくなる 不正な行いは木のように折れ砕ける。
新世界:胎は彼を忘れ,うじは喜んで彼を吸い,彼はもはや思い出されることがない。そして不義は樹木のように折られる。
関根:母の胎も彼を忘れ うじ虫は喜んで彼につき 彼はもはや憶えられない。 不法な者は木のようにたち切られる。
フラ:母の胎も彼を忘れ、うじ虫は好んで彼を食べ、彼はもはや思い出されない。悪人は木のように折られてしまう。
岩波:胎も彼を忘れ、蛆虫どもが喜んで喰いつき、もはや、彼は思い起こされることなく、不義は木のように折り砕かれる。
リビング:生みの親さえ彼らを忘れ、うじが寄ってたかって彼らを食い尽くす。 二度と人の話題にのぼらない。 悪人は、もろに嵐を受けた木のようにへし折られる。
バルバロ旧:かれは、そのつくった胎からも忘れられ、かれの名は、もう思い出から消える。こうして、悪は、木のように裂かれてしまう。(27章の後にある)
バルバロ新:彼はそのつくった胎からも忘れられ、その名はもう思い出からも消える。こうして悪は木のように裂かれてしまう。(27章の後にある)
尾山:彼は生れて来なかった人のように、人々の記憶から無くなってしまう。不正な者は、木のように折られてしまう。
光明:憐憫(あわれみ)彼を忘れ去り、蛆その快楽(たのしみ)となれかし。願わくは彼が記憶に止(とど)まることなく、果(み)を結ばざる樹(き)の如くに打砕かれんことを。
回復:胎は彼を忘れ、うじは彼を甘いと感じ、彼はもはや思い出されず、悪い行ないは木のように折られる。

 こんなふうに、口語訳だけが「町の広場」で他がみんな「母の胎」。口語訳に準拠した「旧約聖書略解」には、「原文は不分明。口語訳は修正訳」とあるだけで根拠がわかりません。どうもこれは、

KJV:The womb shall forget him; the worm shall feed sweetly on him; he shall be no more remembered; and wickedness shall be broken as a tree
RSV:The squares of the town forget them; their name is no longer remembered; so wickedness is broken like a tree.'

みたいに、単にRSVに準拠したってことだけみたいですね。でもRSVはどうしてこんな変更をしたのかしら? その根拠がよくわかりません。

[252] Re:rev 22 14 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/29(水) 14:02:03 コメントする ここから閲覧

どうもありがとうございます。ネストレの欄外にちゃんと注がありましたね。あと岩隈先生の対訳本にも書いてありました。エラスムスの捏造じゃなくてそういう写本があるんですね。

[251] 2ニフ30章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/29(水) 13:39:51 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ne&chapter=30&mode=0
 ニーファイの予言の続き。
 異邦人やユダヤ人も、悔い改めた者は許される。たとえ悪役レーマンの子孫でも悔い改めれば許されるというのですが、6節ではそのことを「皮膚の色が白くて喜ばしい民になる。」と言ってるのはなんだかな。レーマン人はその罪によって皮膚の色が黒くなったという話からすれば、悔い改めて救われれば白くなるってことなんでしょうけどね。まあ、アメリカは20世紀の中ごろまで、つまりつい最近まで、ひどい人種差別のあった国なんで、19世紀のモルモン経がこういう表現をするのもさもありなんってとこでしょうけどね。
 今のアメリカならちょっとでも人種差別的なことを言ったらたちまち社会的に抹殺されちゃいますけどね。テレビ番組なんかでも白人と黒人を均等に使うとかいろいろ配慮しなきゃいけないみたいだし。以前見た『チアーズ!(Bring it on)』という映画なんか、白人の女の子が団長をつとめるチームと、黒人の女の子が団長のチームと戦って、ああ、これ絶対黒人のほうが勝つんだろうと思ったら見事にそうなっちゃいましたからね。白人のほうが勝つ話にしたら人種差別になっちゃう。

[250] 1マカ12章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/29(水) 13:29:13 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ma&chapter=12&mode=0
 昨年度の記事は[0:582]
 今回も昨年のものをそのまま転載しちゃいます。

 ヨナタンはローマとの友好条約を更新します。
 でも、ローマ帝国の全盛期を知ってる私たちは、もうこれで安泰と思っちゃいますけど、この時代のローマって成長期で、カルタゴを滅ぼしてスペインを手に入れたけど、ギリシアのほうは現在征服中ってところなんですよね。ユダヤの地から見るとまだまだ遠い国なんで、いざという時にもあてにならないんですよね。
 さて、セレウコス朝シリアのほうのおさらいをしますと、デメトリオ王とアンテオコス&トルポンの2派があったんですよね。
 ヨナタンはまずデメトリオ王の側と戦いますが、焚き火をしたまま逃げるというデメトリオ王の軍の作戦にだまされてしまいます。
 いっぽう、トルポンのほうはヨナタンと和睦を提案するんですが、これがまたワナでして、うかうかと信じて首都プトレマイスにわずかの手勢のみで入ってしまったヨナタンは、一網打尽でやられてしまいます。ついでながら、12章でヨナタンがもう死んじゃったみたいな書き方をしてますけど、ヨナタン自身はまだ生きていることが、次の13章を読むとわかります。なんだかまぎらわしいですけど、情報の混乱ぶりをそのまま表現したのかもしれません。

[249] 詩編33-35編 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/29(水) 13:09:17 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=psa&chapter=33&mode=0
 昨年度の記事は[0:527]
 なんか昨年は小島慶子を持ち上げましたね。その後は彼女の政治的立場が嫌いになっちゃって今は全然キラ☆キラ聴いてませんけど、なんでもこの3月で降板するらしいんで、最後くらいは聴いてみようかな。

●33編
 新しい歌を主にむかって歌えって、とても有名な詩、と思いきや、それはたぶん96編のほう。33編ってなんか影がうすい。いい詩だと思うんだけど、それぞれの部分部分がみんなほかの詩に出てくる、つまりは寄せ集めってことだからかしら。
 そのせいかYoutubeでもいい音楽がありません。kinotoriさんもこれは作ってないみたい。psalm 33で検索して、これはって思ったものは、実はみんな次の34編だったりする。

●34編
 アヒメレク(アビメレクじゃありません)というのは、サウルに追われているダビデをかくまった祭司。 サム上21に出てきます。聖別されたパンをダビデに与え(このネタはイエス様が マタ12:3で引き合いに出します)、さらに武器も与えます。そのせいでアヒメレクは殺されてしまいます。
 いっぽうダビデはアヒメレクのところを出た後、ガテの王アキシのところに行きますが警戒される。そこでダビデは狂人のふりをしてそこを逃げるという話です。
 ですから34編の前書きはアヒメレクとアキシがごっちゃになっているばかりか、ア「ビ」メレクなんていう間違いも書いている。さらに内容を見るとこの話とはあんまり関係ありそうにない。だから サム上21の話は関係ないということにしましょう。
 ダビデと無関係に、正しい者が苦難にあうという祈りが、正しいダビデが苦難にあった話と関連づけられただけというわけです。
 さて、Youtubeではなぜか正教会関係が多いです。33編と書いてますが34編です。
これは教会スラブ語かしら?

(http://www.youtube.com/watch?v=v_PzSHwwaMk)
ルーマニア正教会

(http://www.youtube.com/watch?v=ylshIHFirFU)
これは正教会じゃありませんが、ギリシア語のきれいな曲がありました。

(http://www.youtube.com/watch?v=jxl-x8LMnbQ)
kinotoriさんの作品

(http://www.youtube.com/watch?v=ngmoebKyvkQ)

●35編
 これも逆境にあり敵に苦しめられている人の祈り。
 たびたびご紹介してきたSons of Korah。

(http://www.youtube.com/watch?v=s-Ua-3bOqyk)
kinotoriさんの作品。韓国語だわ。

(http://www.youtube.com/watch?v=g6_uNiYjclg)

[248] rev 22 14 投稿者=HKJ 掲示日=2012/02/29(水) 08:47:37 コメントする ここから閲覧

ギリシャ語聖書の筆記・写本作りは、ユダヤ人のヘブライ語聖書の作成ほど、綿密には行なわれていなかったそうです。場合によっては、誰かが朗読したものを、複数の人間が書き取る形で写本を作ったこともあったそうです。

この箇所は、そんな例ではないでしょうか。
poiountes tas entolas /// plunontes tas stolas
たぶん、西暦2世紀以降のギリシャ語では、-nt- は -nd-に変わり、oi / u はどちらもドイツ語のウムラウトUの発音だったらしいので、「ピュウンデス」「プリュノンデス」と、似た発音になります。

となると、どちらがより原典に近いのか、古い写本(アレクサンドリア系列)に従うのか、majority text (ビザンティン系列)に従うのかってことなんでしょうね。
決め手はなんでしょうかね?

Stephanus Textus Receptus (1550, with accents)
----------
Makarioi
hoi poiountes tas entolas autou,
hina estai hH exousia autWn epi to xulon tHn zWHs
kai tois pulWsin eislthWsin eis tHn polin

Westcott/Hort with Diacritics
-------------
Makarioi
hoi plunontes tas stolas autWn,
hina estai hH exousia autWn
epi to xulon tHs zWHs kai tois pulWsin
eiselthWsin eis tHn polin.

[247] 2ニフ29章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/28(火) 10:08:44 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ne&chapter=29&mode=0
 ニーファイの予言の続き。
 今日はキリスト教徒批判でしょうかね。「すでに聖書があるんだ。これで全部足りてる」というのは大間違いで、神様のおしごとはこれでおしまいなんてことはなく、終末まで絶えず続いているので、モルモン経みたいなものも出てくるんだよというわけです。
 それはそれとして、ニーファイが異邦人(ヨーロッパ人たちのこと)に「ユダヤ人から聖書をもらったのにユダヤ人に何も礼をしていない。そればかりか憎み呪ってるじゃないか」と批判するのは、まったくそのとおりですね。キリスト教の痛いところをついております。

[246] シラ書12章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/28(火) 10:03:50 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=12&mode=0
 昨年度の記事は[0:789]
 悪人に注意。だれかれかまわず助けりゃいいってもんじゃありません。敬虔な人や謙遜な人に親切をおこなえば報いられますが、悪人に親切にしてもむだになるばかりです。
 こちらが逆境になると友まで去っていきます。人を友にするときには注意しましょう。
 こういう教えは、イエス様の「敵を愛せ」 マタ5:43-48なんかとはずいぶん違うなという気がしますが、それだけに正直な処世術という感じです。イエス様の「敵を愛せ」に至る前の段階で、こっちのイエス様(シラ書の作者もイエスでしたよね)の段階を目指すことにしましょうか。
 シラ12:13「へびに手をかまれたへびつかいや、猛獣におそわれた猛獣つかいを、誰が同情してくれるだろうか。」、これ、面白い表現ね。

[245] サム上6-10章 投稿者=真理子 掲示日=2012/02/28(火) 09:55:31 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1sa&chapter=6&mode=0
 昨年度の記事は[0:526]
 まずはあらすじをおさえましょう。いや、今日はあらすじだけおさえておしまいにしちゃおうかしら。

 移動式原発のようなおそるべき神の箱をペリシテ人はもてあまし、イスラエルの民に返すことになりました。ついでながら、箱を引かせた雌牛がベテシメシの方向へ行ったらこの間の災いは神がやったことであり、そうでなきゃ偶然だった、という占いをしたところ、ちゃんとベテシメシの方向へ向かったという話もあります。ところがベテシメシの人たちは、こんな怖い箱なんか管理できないと拒否、箱はキリアテ・ヤリムに移ります(6章)。
http://www.babelbible.net/map/9.png
の地図ではベテシメシはB-1。エルサレムの真西、川沿いの低地です。キリアテ・ヤリムは今のヘブロン(C-1)で山の上です。
 サムエルは人々に、他の神々を捨ててヤハウェにのみ仕えるならばペリシテに勝てるぞと言い、実際にペリシテ人の侵略を撃退します(7章)。
 とはいえイスラエルはまだまだ弱体。核兵器を持つアメリカにゲリラ戦で抵抗するようなもんです。おまけに指導者サムエルの子たちはそろいもそろって悪い奴ら。「こんなんじゃまとまれない。王が必要だ」と人々はサムエルにねだります。サムエルはしぶりますが、神様におうかがいをたてたところ、OKだということになります(8章)。
 ベニヤミン族のサウルが、いなくなったろばを探してツフまで来ます。このあたりに出てくる地名はどこなのかよくわかりません。ともあれこの町にえらい人がいるというので行くとそれがサムエル。サムエルは「あなたこそ主が使わされた王だ」というのでサウルに油をそそいで王にします(9章)。
 サウルはいったん家に戻りますが、その後サムエルがミヅパ(上図C-1)で仰々しく、くじびきで王を決める儀式をします。どういうからくりかは知りませんが、サウルが指名されます。一応みんなは「王ばんざい」と歓呼しますが、一部にぶつぶつ言うひとが現れ、後の混乱を暗示しています(10章)。