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真理子の聖書日記


このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
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[107] 知恵の書5章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/13(金) 12:39:54 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=wis&chapter=5&mode=0
 昨年度の記事は[0:677]
 さばきの日に、信心深い人が救われ、以前に彼を苦しめた人がうろたえるという話。
 アメリカ大統領選は最近共和党でモルモン教徒のロムニー氏が有力ということで話題になってますが、
http://www.bllackz.com/2012/01/blog-post_09.html
にいろいろ書いてますね。
 ただこの記事、終末思想をマンガ的、荒唐無稽としている点がちょっと問題。だってそれを言ったらモルモンだけじゃなくキリスト教はみんなそうだもの。
 終末思想というのは神義論の解決の一つにすぎません。
 神義論というのは、神様が正しいなら何でこの世には悪が横行し、正しい人が苦められているのかってことです。
 これに対して素朴に通俗的に「神様は正しいぞ」としか言わないのが知恵文学(箴言とかシラ書とか)。「正しい人がバカを見ることもあるぞ」と徹底的に神義論を否定しまくったのがヨブ記。「今はいろいろ矛盾があるが最後の最後に必ず解決する」と将来に解決を先送りしたのが終末思想。ダニエル書とかゼカリヤ書とかヨハネ黙示録とかエズラ記ラテン語みたいなものですね。
 神義論は永遠の問いなので、聖書もこんなふうに答えを一つにせず、箴言タイプ、ヨブ記タイプ、終末思想と、いろいろ答えを並べることでバランスをとっているのです。
 だから、このうちの一つだけ、終末思想だけとりあげて、聖書の教えはこうだ、みたいに言われると、ちょっと違うわよって思います。
 知恵の書は基本的には箴言タイプだと思うんですけど、ここは終末を強調することで、ちょっぴり黙示録タイプになってますね。

 ちなみに私は「最後の審判随時開催説」「キリスト教輪廻説」ですんで、バカを見て悲惨な生を送って死んじゃった正しい人は、死後すぐに「大変だったねぇ。悪かった悪かった。次は幸福な環境からスタートさせてあげるからがんばってね」と神様の審判にすんなり合格し、お金もちで、父親母親の愛情をいっぱいに受ける家庭に生まれ変われると思ってます。ただし、それはスタートだけ。そういう環境をイヤがることだってありますからね。あとはまた本人の努力です。

[106] イザヤ書23-28章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/13(金) 12:23:53 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=isa&chapter=23&mode=0
 昨年度の記事は[0:440]
 わけのわからないイザヤ書を6章ぶんも読まなきゃいけないのと憂鬱になりますが、イザヤ書はエレミヤやエゼキエルにくらべて一章の長さが短いので助かります。
 前回、諸国・諸民族・諸地方・諸都市について別の機会にまとめてみると言いましたが、[101]でエドムの話をちょっとしました。一度にやると私も大変なので、今日は23章に出てくるツロの話だけにします。
 ツロは、新共同訳ではティルス。ぜんぜん違うので注意。ヘブライ語だとצוֹר‎‎(ツォールル)ないしצֹר(ツォルル)。ギリシア語だとΤύρος(ティルロス)。私はRの音は露骨にルを重ねて書く流儀です。
 海辺の町で、今のレバノンのスールル(صور)です。Wikipediaは日本語ページもありますが現在の写真が載ってる英語ページ。日本語ページはこのページの左側リンクからどうぞ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Tyre_(Lebanon)
 もともとは陸地からちょい離れた岩の島。岩というところから命名されたんですが、アレクサンドロス大王のときに埋め立てられて地続きになりました。海上交通、交易で栄えた都市で、新約聖書でもよく「シドンとツロ」のように言われるように、本来はシドン人の都市。ヨシュアは勝手にイスラエルに編入してアシェル族の領地の北限と定めましたが、イザヤの時代にはアッシリアに服属しています。
 新約の時代になっても港町として栄え、イエス様も行ったことがありますが布教に成功しなかったらしく、イエス様はぷんすか怒ってます( マコ7 {mat:11) ルカ10。パウロの伝道旅行にも登場します。十字軍の時代に荒廃して、いまでは小さな町になってるみたいです。

[105] 1ニフ18章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/12(木) 11:46:35 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ne&chapter=18&mode=0
 昨年度の記事は[0:394]
 1ニフの一番劇的なヤマ場です。
 船が完成して人々は乗り込みますが、案の定、船の中で反乱が起こるんですね。
 退屈な船の中、悪いレーマン兄さんたちとエロい奥さんたちが、酒を飲んでエッチなことを言ったりしたりしていたのでしょう。ニーファイはいさめますが、縄でしばられてしまいます。
 するとあら不思議、羅針盤が故障するわ、大嵐になるわ、大変なことになっちゃったので、彼らはニーファイの縄目をときます。すると羅針盤も直り大嵐もやみ、船は無事に約束の地に着きました。
 ひょっとして、ノアの方舟でもこんな話があったのかしらね。
 ところで、お父さんリーハイは老いてもおさかんで、この航海の前に2人も子どもを作っちゃいます。だから今までニーファイは4人きょうだいの末っ子だったのが、6人きょうだいの4番目になったわけですね。で、その2人の子どもの名前がヤコブとヨセフ。え、レーマン、レミュエル、サーム、ニーファイっていうのとずいぶんネーミングのセンスが違うんですけど。

[104] トビト記5章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/12(木) 11:36:19 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=tob&chapter=5&mode=0
 昨年度の記事は[0:394]
 ここからトビト記のもう一人の主人公である天使ラファエルの登場です。
 ラファエルはトビト記にしか出てきませんので、トビト記を正典とするカトリック圏で人気のある守護天使です。癒やしをつかさどるので、日本で言えば薬師如来ですね。やっぱり薬師如来みたいに薬の壷を持ってたりします。なんでも人類史上初めて割礼をおこなったアブラハムの苦痛をやらわげたのがラファエルだという伝説もあります。
 トビト記は目を治す話が出てくるので、ラファエルが活躍するわけです。

[103] ヨブ記9-10章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/12(木) 11:27:04 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=job&chapter=9&mode=0
 昨年度の記事は[0:439]
リビングバイブルのヨブ記もあわせてお読みください。
http://www.biblica.com/uploads/pdf-files/bibles/japanese/ot/job.pdf

 このところ毎度毎度ヨブ記は各種翻訳チェックをしておりますが、今日もそうなんですね。
 そのくらいヨブ記って、翻訳の紛糾する難しい箇所があちこちにあるんです。
 今日はヨブ9:5です。
 ここは一つ、原文のインターリニアから見ちゃいましょうか。
http://interlinearbible.org/job/9-5.htm
ハンマティーク/ハルリーム/ワるー/ヤダアウ/アシェル/ハファはム/ベエアプォー
彼は動かす/山々/ない/彼らは知る/関係代名詞または接続詞/顛倒する/彼の怒り

 少しまとめると、「彼は山々を動かす」「彼らは知らない」「その人は怒って顛倒する」。
 「彼は山を動かす」は特に問題ありませんが、「彼らは知らない」の「彼ら」って誰でしょう。文中に出てくる複数形の名詞は山々しかありませんので、「山々は知らない」かもしれませんし、山に意識なんかないってことなら、明示されてない「人々」が知らないというふうにとるべきところです。
 上のインターリニアではおかしなことになってますが、アシェルっていうのは関係代名詞。ヘブライ語の関係代名詞は格変化などがないし、先行詞がなかったりすることもあるので、「~の人は」「~の人を」「~ということは」「~ということを」など幅広く考えます。たぶんここは、人知れずか山知れずか知らないけど山々を動かしている彼つまり神様で、主格的用法つまり「山を動かす神様は」です。
 またアシェルには接続詞的用法もあり、前から続けて「そうすれば」、また直後をまとめて「~ので」「もし~する場合」「~する時」などの意味を表わします。上のインターリニアのnot Whenのnotはゴミでしょうが、Whenはそんなふうにとっているんでしょう。Whenととるっていうのはここだけだと不自然ですけど、次に続けて「山を覆したり地震を起こしたりするとき~」とするなら十分ありえます。

 こんなふうに原文はいろいろとれるうえ、文学なのでヘンなことが書いてあってもなんか通ってしまうので、諸家は苦労しています。

 日本語訳を見る前に英語訳を見てみましょう。

KJV:Which removeth the mountains, and they know not: which overturneth them in his anger.
RV:Which removeth the mountains, and they know it not, when he overturneth them in his anger.
ASV:[Him] that removeth the mountains, and they know it not, When he overturneth them in his anger;
RSV:he who removes mountains, and they know it not, when he overturns them in his anger;
NEB:It is God who moves mountains, giving them no rest, turning them over in his wrath.
NASB:“It is God who removes the mountains, they know not how, When He overturns them in His anger;
NIV:He moves mountains without their knowing it and overturns them in his anger.
NKJV:He removes the mountains, and they do not know. When He overturns them in His anger;
GNT:Without warning he moves mountains and in anger he destroys them.
NLT:Without warning, he moves the mountains, overturning them in his anger.

 こうやって見ると英語ってずるいですね。誰が知らないのかを明示した訳が一つもない。theyっていうのが人々にも山々にも使えちゃうのがミソですね。ドイツ語もフランス語も複数では性の区別がなくなっちゃうので役に立ちません。
 ですが日本語ではこれを明示しないとおかしいので、各種の訳は苦労しています。
 「山が知らない」ととっているのが、

ブリッヂマン:其移山、而山不覚、一怒而崩之(其れ山を移して山 覚《さと》らず、一たび怒りて之を崩《くづ》す)
文語:彼《かれ》山《やま》を移《うつ》したまふに山《やま》しらず 彼《かれ》震怒《いかり》をもて之《これ》を飜倒《くつがへ》したまふ
口語:彼は、山を移されるが、山は知らない。彼は怒りをもって、これらをくつがえされる。
回復:彼が山々を移されても、山々はそれを知らない。彼は怒りの中でそれらを覆される。

 あとは、

新改訳:神が山々を移されるが、だれもこれに気づかない。神は怒ってこれをくつがえされる。
新共同:神は山をも移される。怒りによって山を覆されるのだと誰が知ろう。
新世界:[神]は山々を移しておられるが,人々は[これを]知ることさえない。[神]は怒りをもってそれを覆された方。
関根:彼は知らない間に山を移し、怒りをもってそれをくつがえされる。
バル旧:神はも山々を移されるが、だれもそれに気づかない。かれは、怒りをもって、山々をくつがえされる。
フラ:神は山々を移されるが、だれもそれを知らない。み怒りをもってそれらを覆される。
岩波:彼は人々が知らぬ間に山々を移し、それらを怒りをもって覆す。

というわけで、人々が知らないととっています。

 その他の問題点として、英語では後半をwhen~ととって次につなげるものが多かったのですが、このパターンの日本語訳は、

バル新:神は山々を移されるが、だれもそれに気づかぬ。神は怒りをもって山々をくつがえし、

しかありません。
 変り種は

光明社:彼は山をも移し給いぬ、されどその怒りて顛倒《たお》し給いし者共は之を知らざりき。

です。あれ「倒した者が知らない」のって思いますが、これは日本語の「は」のあいまいさでしょう。「検閲をしてはならない」っていえばいいのを「検閲は、これをしてはならない」って言ったりする。これは漢文訓読から来てるんでしょうね。光明社のネタであるヴルガタは、

qui transtulit montes et nescierunt hii quos subvertit in furore suo

なんで、同じような言い方がラテン語にもあるんですね。結局光明社(ヴルガタ)は、「彼は山を動かす。しかし山々は、彼が怒って倒した山々(=自分たち自身)を知らない」と言ってます。だから山が知らないの系統です。

 さて、最後に敵前逃亡型、つまりなーんも訳してない型。

リビ:神様はとつぜん怒って山を動かし、ひっくり返す。
現代:神が山を動かされても、だれもそれに気付く者はない。

この二つは毎度のことですからね。読み飛ばしにはいいけど、こういうことを研究するには不適です。

[102] 1ニフ17章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/11(水) 11:17:51 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ne&chapter=17&mode=0
 荒れ野の旅はなんと八年間も続きました。そしてやっと果実と野蜜の豊かなバウンテフルに到着、イリアントムという名の海辺の町です。
 ここでニーファイは神様の指示にしたがって船を作ります。兄のレーマンたちは例によってばかげたことだと反対するのですが、ニーファイは長々と(今日は本当に長いわね)演説をして兄たちを説き伏せます。実際に船ができるのは次章です。
 船を作るというとノアの方舟を思い出させます。創世記ってそっけないんで何も書いてませんが、たぶんノアもレーマン同様のさまざまな反対、陰口、嘲笑を受けていたんでしょうね。
 ニーファイは出エジプトの故事をひいて、神様のやることに間違いはないと言うんですけど、ノアのほうはまったく過去の実績がない状態だったわけですから、さぞやバカバカしい行為だと思われたんでしょうね。ひょっとしたら神様はノアだけじゃなく人類全員に方舟を作れと呼びかけたのかもしれません。99.99…パーセントの人がバカバカしいと言ってとりあわず、本気にしたバカなノアだけが救われたってことなんでしょう。
 神様に従うっていうのは、ときにバカげた行為に思われることを覚悟しなきゃいけないんですね。

[101] 1マカ5章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/11(水) 11:08:26 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ma&chapter=5&mode=0
 昨年度の記事は[0:562]
 今日は対ギリシア人ではなく、周辺民族との戦いです。
 ヨルダン川東岸には、ガリラヤ湖と死海の間あたりにギレアデ人、その東にアンモン人が住んでいます。その南、死海東部にはモアブ人、死海よりも南にはエドム人が住んでいます。
 3節のイズミヤっていうのは聖公会の文語訳にあわせたんですけど、口語訳聖書ではイドマヤと言ってます(マコ3:8)。これってエドムをギリシア語読みしただけです。
 こういう民族が、独自に、あるいはギリシア人王朝に使われて、ユダと戦います。
 ユダは連戦連勝、快進撃をするのですが、ユダにあとをまかせられていたヨセフやアザリアが早まって戦いを起こして敗戦するという苦い経験もします。

[100] 詩編12-14編 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/11(水) 10:50:12 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=psa&chapter=12&mode=0
 昨年度の記事は[0:438]
 さて、今日も音楽の時間です。

 第12編。ウソばかり言う悪い人ばかりの世の中にあって、こういう人たちから救ってくださいという祈り。陰口を言われたときに祈るといいんじゃないでしょうか。
 これに関してはあんまりいい音楽がありませんでした。オルガン独奏はあったんてすけど。
 変化球で広東語の朗読をお聴きください。

(http://www.youtube.com/watch?v=teCz-wmrkOA)
 それから、以前にもとりあげたkinotoriさんの日本語によるプレゼン。なんかこの人のは感動を呼ぶというより、悪趣味が鼻につき、爆笑するかイヤな気になるかどっちかですね。

(http://www.youtube.com/watch?v=iwcr2FVYqgU)

 第13編。敵がいい思いをして自分が損をして、いったい神様はいるのか!みたいなときの祈りですね。
 これはきれいな曲がありました。How longという英語の歌ですが、キャプションで流れる詩編がなぜかイタリア語。なお、12編と書いてますけど13編です。前回言ったように、カトリック圏のものは番号がズレてる可能性があるので注意してください。

(http://www.youtube.com/watch?v=gdU-U7xz6AY)
 またしてもkinotoriさんのプレゼン。

(http://www.youtube.com/watch?v=V57tfx3YnpE)

 第14編。13編で「いったい神様はいるのか!」なんていいましたが、そういうふうにいう人は愚か者であり、神は正しい者とともにあるというわけですね。「善を行う者はない、ひとりもない」って、パウロがロマ書で言った「義人はいない、ひとりもいない」( ロマ3:10)の元ネタですね。
 さて、これはロックで歌ってるのがありました。なんと、Sons of Korahなんていうバンドがあるんですね。
http://www.sonsofkorah.com/
 コラの子っていうのは聖歌隊の家系です。

(http://www.youtube.com/watch?v=EOlDaxTiFXg)
 またしてもkinotoriさんのプレゼン。

(http://www.youtube.com/watch?v=CGZPxl4j7U0)

[99] 1ニフ16章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/10(火) 13:27:27 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ne&chapter=16&mode=0
 このリンクで表示されるモルモン経は「真理子のおまけ」です。口語訳聖書はばべるばいぶるのデフォルト聖書なので、ばべるばいぶるでサポートしているすべての外典、イミタチオ、クルアーン、モルモン経を「真理子のおまけ」として追加しています。それらを表示するのにいちいち聖書を変更するのは面倒ですから。
 「真理子のおまけ」は真理子独自訳で、著作権を主張しませんので自由に使ってください。
 モルモン経は、当初はモルモン教会57年訳をそのまま載せてました。もう著作権切れてますから。でもこうやって読み進めていくうち、仮名遣いや漢字表記に気に入らない点を多々見つけたので、真理子のおまけのほうは直すことにしました。
 今日の場面でおなくなりになるイシマエルがその典型。57年訳では「イシメル」となってます。英語読みを優先したのでしょうが、そのおかげで聖書(たとえば創世記)との串刺し縦断検索ができなくなってしまいました。だから真理子のおまけはイシマエルに直しました。
 元の57年版が必要であれば、
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=morjc&book=1ne&chapter=16&mode=0
を見てください。

 さて、ニーファイたちはイシマエル一家の娘たちと結婚しますが、ふたたびお父さんのリーハイに神様からお声がかかり、さらに旅を続けることになります。
 ここで登場するのがハイテク・ギア。真鍮(それにしてもモルモン経は真鍮が好きよね)でできた玉で、二本の針があって、進むべき方向を示してくれるというすぐれもの。
 これを使いつつ、石投げ器で獣をとりながら、苦しい旅を続けます。
 その過程でイシマエルが死んでしまい、ニーファイらと結婚したイシマエルの娘たちもエルサレムに帰りたがります。そして毎度お騒がせの長男レーマンが不和をあおります。将来の騒動を予感させつつ、この続きはまた明日。

[98] シラ書5章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/10(火) 13:10:57 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=5&mode=0
 昨年度の記事は[0:744]
 5節。「罪はどうせ許されるんだからと大胆になって罪に罪を重ねてはならない」。これ、ぎくっとするわ。私がふだんやってることね。
 なんでもカトリックではいまだにコンドームを使っちゃいけないらしいけど、それに対する私の見解は「使え使え。自分の身を守るのは自分よ。教会なんか頼りにならないわ。気になるなら、日曜日の礼拝の前にゆるしの秘蹟を愛けりゃいいじゃん。『コンドームを使ってしまいました。ごめんなさい』って。毎週毎週これをやったら神父もうんざりするわ」です。
http://www.babelbible.net/mariko/opi.cgi?doc=love&course=life
 私はこの見解を撤回しないわ。神様もイエス様も、コンドームを使ったくらいでどうこう言いませんわ。罪はどうせ許されるのよ。

[97] ヨシュア記21-24章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/10(火) 13:01:02 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jos&chapter=21&mode=0
 昨年度の記事は[0:434]
 ヨシュア記の最後に大きな謎が解き明かされます。
 なぜヨシュア記が、先住民族を殺して殺して殺しまくる話だったのか。その割に、なぜその後のイスラエルは、いなくなったはずの、弱体化したはずの周辺民族に苦しめられたのか。
 実はヨシュア記って全部ウソ。ウソでなきゃ誇張。神話にすぎなかったんです。
 ヨシュア記を編集した人たちは、バビロン捕囚を経験しています。
 なぜ神様はご自分の民であるイスラエルの民を助けてくれなかったのか。
 それは民が神様との約束を守らなかったからです。ヤハウェくんを捨てて別の神様に仕えてしまったから。
 なんで別の神様に仕えてしまったかというと、別の神様を信じる民族と一緒の土地に住んでいたからです。その民族の習慣が自然と入って来ちゃったんです。
 イスラエルは今もそうですけど昔も多民族国家。聖書には随所にそのことが書かれているのに、ついつい私たちは、まわりに外国人があんまりいない(でも最近多いわよね)日本の感覚で、このことを忘れてしまいます。
 「約束を守らなかった」ってことは、最初に約束が示されていなきゃいけません。
 それがヨシュア記なんですよ。
 ヨシュア記でヨシュアは先住民族を殺せるだけ殺しまくり、最後に「主を捨てて他の神に仕えるな」と告げて死にます。
 このように最初にあるべき状態を作り、約束を示しておいて、その後のイスラエルは異民族を排除せず、ヤハウェくんを捨てて他の神々に仕えたから、国が滅んじゃったと、こういう理屈をつけたいわけです。
 ヨシュア記の殺して殺して殺しまくる話は、この歴史観から当然に要請された、神話の時代のあるべき状態だったんですね。

[96] 1ニフ15章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/09(月) 10:35:24 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ne&chapter=15&mode=0
 天使からの啓示がおわってニーファイが天幕に戻ってみると、レーマンら兄たちが言い争いをしています。お父さんリーハイが夢の話を兄たちにもしたらしく、その意味がわからんと言うのです。
 リーハイの夢の話は10-11章に書かれていますけど、ふたたびこの15章でニーファイが解き明かしてくれてます。こういうくどさがモルモン経の便利な点です。
 今まで見てきたように、イスラエルの民は散らされ、不信仰に陥り、またリーハイ一族のほうもニーファイ人が滅び暴虐なレーマン人がアメリカ・インディアンとなって残るのですが、イエス・キリストの福音が異邦人つまりヨーロッパ人に与えられ、それに従うことにって、リーハイの一族の末裔も、ユダヤ人も、元どおりイスラエルの家の者と認められ救われる、というのです。
 そして、けがれた人は神の国に入れないから、主の命令を守りなさいと説きます。

[95] 詩歌5章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/09(月) 09:54:49 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=ode&chapter=5&mode=0
 イザ26:9-20と同じです。うまい具合にこの箇所は今週金曜日に読みます。
 この箇所は「その日には」という言葉がいろいろ出てきます。詩歌のほうにはありませんけど、イザ26:1とか。世界の終末のときのさばきの日のことです。イザヤとしては、いったんユダ王国がほろぼされたあと、神様がふたたびエルサレムを栄えさせてくれるという意味で詠んだのでしょうけど、キリスト教徒である私たちとしては、世界のおわりのさばきと、その後に来る神の国ということで読んでよいでしょう。
 特に詩歌のほうの19節で、「死者は生き、彼らのなきがらは起きる」というところが、使徒信条的にいえば、「からだのよみがえり、とこしえのいのち」の予言というふうにキリスト教徒には読めるので、それでLXXもわざわざ再録したのでしょう。昔の教会ではここを交読文的に読んだのかしら? 今の交読文には入ってませんけどね。

[94] 創世記16-19章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/09(月) 09:41:24 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=gen&chapter=16&mode=0
 昨年度の記事は[0:431]
 子の産めないサラは夫アブラハム(両者とも改名後の名に統一)と側目ハガルとをエッチさせてイシマエルをもうけますが、そのことでサラとハガルの感情的対立があります。神様は再度アブラハムに子ができるという約束をし、契約のしるしとしてアブラハム一家に割礼をさせます。
 もう二度と洪水なんか起こさないと誓ったはずの神様ヤハウェくんも、ロトの住むソドムとゴモラの人々にはハラワタが煮えくり返り、アブラハムの必死のとりなしにもかかわらず、町をほろぼしてしまいます。孤独になったロト一家、娘たちは子孫をもうけるためにお父さんとエッチをして、その子孫がモアブ人とアンモン人となります。

 昨年と話題がかぶりますけど、やっぱりこの近親相姦ネタは書かずにはいられないわ。
 聖書の物語というのは、後の時代の現実を説明するために作り上げられたものなので、後の時代のイスラエルの民がさんざん悩まされたモアブ人やアンモン人を貶めるためにこういう物語を作ったと考えられます。イシマエルの件もそんな感じですけど、こちらは後にイスラム教が誕生し、アラブ人の先祖であるイシマエルの名誉を回復、クルアーンではイシマエルはヤコブと並んで立派に描かれています。モアブ人やアンモン人にも立派な宗教が出来てたら、「ユダヤ人はああいってるけど実は…」という形で対抗できたのにね。
 そういう説明とは別に、現代に生きる私たちは、聖書の神話をどう読めば現代人に役立つ話になるかという観点で、読み返す必要があるでしょう。
 近親相姦はおぞましい話かもしれませんが、タブーをやぶってエッチをするだけの切迫した事情っていうのがあるんです。昨年も書いたような「出征する若者とその母親」とか。宗教者としては、タブーはタブーだといって厳しく断罪するのではなく、その背景にあるものをしっかり見つめる必要があるのでしょう。でなきゃ救われません。
 父を憎み母を憎みながら育った私も、母が不倫をしていた27-28歳をとうに越し、中学生になった私が母を問い詰めたときの年齢を、今私が迎えています。今ごろになって、母の不倫の背景をもっと見つめてあげられたらな、と思っています。
 私も、母のことをどうこう言えないほどのエロおばさんになっちゃいましたし。不倫はしてませんけど、いろいろエッチなことはしてきたし。
 そして実は私にも、ロトの話をどうこういえないような体験があるんです。
 今までさすがに言えなかったけど、自分の人生を振り返る意味でそろそろどこかに書いておきたくなって、真理子日曜学校の「真理子の生活と意見」のとあるところにこっそり書きました。恥ずかしいのでリンクは書きません。たんねんに探してください。その体験は私の初恋であり、神様に問い詰められても決して恥とはしませんけど、人に言うのはやっぱり気後れしますから。

 念のためいうと、近親相姦っていうのは、おぞましいからタブーなのでなく、タブーだからおぞましいのです。パウロがいうように、律法があってはじめて罪が生まれるんです。近親相姦はダメよというタブーさえなかったら、たぶん平気でみんなやっちゃうんでしょう。だって近くに適当な異性がいるんですから。そう、近親相姦がなぜいけないかというと、「近場で調達しちゃダメよ」ってこと。バベルの塔の話にあったように、神様は人間に、全地に広まることを求めているんです。結婚相手は遠くで求めなさいってことです。

[93] 1ニフ14章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/08(日) 08:55:18 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ne&chapter=14&mode=0
 日曜日(異教コースで金・土のクルアーンを終えてモルモン経に戻る日)にはいままでのおさらいから始めましょう。
 ユダ王国末期、王国の滅亡を予言したリーハイは人々から迫害されて荒野に逃れます。
 リーハイには四人の子がありますが、レーマンら上の二人は反抗的、ニーファイら下の二人は従順。ユダヤ人の歴史を記した真鍮版を手に入れたり、結婚相手のイシマエル一家と会ったりなどする過程で、両者の対立がしばしば激しくなります。
 リーハイは夢で一族の将来を示されます。ニーファイはその話を聞いた後、みたまと天使に、より詳しく一族と民族の将来を示されている最中です。
 ……というわけで、「ニーファイの黙示録」の続き。今日で最後のようですね。
 実際、この黙示録の最後には、ヨハネ黙示録のヨハネが登場し、この続きはこいつが書くからお前はもうこれ以上書くなと言われたニーファイは、この本(ニーファイ第一書)でもいろいろ書きたいことをぐっとこらえて、ニーファイ黙示録をここで終えます。
 こういう、言い訳めいたことを書くのがJスミスJr(教祖様よ)の困った点ですね。こういうことを書かれると、あんたが聖典のストーリーを考えるのがメンドくなって中断する言い訳じゃないのって思っちゃいます。
 さて、ニーファイ黙示録の最後。一族は今後、約束の地であるアメリカに渡るわけですが、暴虐なレーマン人がニーファイ人を滅ぼしちゃって、アメリカ・インディアンになるわけです。で、現実のアメリカはヨーロッパからいっぱい人が渡ってきてインディアンを抑圧するわけですけど、それがここに出てくる「異邦人」。神にしたがえば異邦人はこの地で祝福されると、ヨーロッパ人たちのインディアン抑圧を肯定します。
 そして終わりの世には、神の小羊に属するよい教会もあるんですが、悪魔に属する娼婦のような悪い大教会もあり、そういうのに属しちゃならん、神様の大事業、最後の審判があるぞとおどします。

[92] 3イミ4章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/08(日) 08:53:08 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=3ic&chapter=4&mode=0
 どんな宗教でも必要なことは、自己の解体であるといわれています。自分を徹底して否定する。永遠の存在である神の前で、自分がいかに醜く悪く、とるにたりない小さなものであるかを思い知ること。そうしてこそ神を求め真理を求めることができるのです。著者はいろんなところでこれを繰り返していますが、ここでもそのことを強調しています。

[91] ロマ書7-8章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/08(日) 08:48:55 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=rom&chapter=7&mode=0
 昨年度の記事は[0:430]
 パウロはなんとしても律法を否定したいのですが、露骨に否定するのもはばかられるので、いろいろ屁理屈をこねくりまわしています。
1.律法は生きている間のみ有効。ところが私たちは律法に対しては死んでいる。
2.律法自体は悪くはないが、律法によって発生した「罪」が、その邪悪さのために私たちに入り込む。
3.心はユダヤ教の律法に従っていても、肉体はユダヤ教の律法にそむくような律法に従っている。
というわけで、律法では救われない私たちを、イエス様が十字架で死んでくれたおかげで、この罪と死の法則から解放してくれた、というわけです。
 ただし、前回も言ったように、救われるのはイエス様を信じるのが条件。だから信じなさいと言っております。

[90] クルアーン8回 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/07(土) 09:40:43 コメントする ここから閲覧

 クル-8回。2章228-252節。
 前回に引き続き女性の話。
 離婚した女性は三回の月経(ってことは四ヶ月)後には再婚できるというのは、いまの日本より少しましですね。日本だと六ヶ月ですから。しかも、その間にもし子が生まれちゃったら、前の夫の子だと推定されてしまう。その間に子なんか作らなきゃいいっていえばそれまでですけど、やっぱりいろんな事情で子はできちゃう。神様からのさずかりものですからね。科学が発達して、どっちの子かが判断しやすくなった今でも、「これは前の夫の子じゃない」ってことを裁判所で証明するのに一苦労。困ったものです。
 その点イスラムのほうは、三回月経を迎えたら再婚できるって、これとっても科学的。月経があったんだから前の夫の子をはらんでるはずない。日本みたいに月経があろうとなかろうと何が何でも六ヶ月ダメなんていうよりよっぽど理にかなってるわ。日本でも、産婦人科医のところで「生理があったぞ」証明をもらって、すぐ再婚できるようにすればいいんです。
 クルアーンのいろんな民法ふうの規定を見てると、人間の社会ってどこもあんまり変わらないんだって思います。豚を食べちゃいけないとか、酒を飲んじゃいけないとか、一ヶ月断食しなきゃいけないとか、妻を四人まで持っていいとか、イスラムの習慣の違う点ばかりが強調されますけど、よく見てみるとあんまり変わらないこと言ってます。イスラムの習慣はこれはこれで合理的だから、時代遅れと思われずに今でも生きているのよね。

[89] 1イミ4章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/07(土) 09:35:49 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ic&chapter=4&mode=0
 「行為を慎重に」とありますが、むしろ「言葉を慎重に」じゃないでしょうか。前章の精神とか判断力の話をひきずってます。
 が、いままでの話と違うのは、真理自身から、あるいは神様自身からの教えを仰げと言っているのではなく、賢い人と相談しろという結論になっていることです。冒頭が「他人の言葉も信用できない」というのと矛盾してるような気がするんですけどねぇ。
 でも、真理や神様からの教えを仰ぐったって、結局は自分の心と相談するっていうのとほとんどかわりません。私なら「まるきり同じだ」って言っちゃいますけど、さすがに無神論的発言になりそうなんで、とりあえず「凡人には、神の言葉に従うのと、自分の心に従うのと、区別はつかない」と言っておきます。
 著者のいいたかったと思われることを敷衍するなら、神様の言葉に従おうとして、往々にして独断になってしまいがちだから、神様の恵みを受けてりっぱな生活をしている人の意見を参考にしたほうがいい、というわけです。しかも、できれば複数。そうすれば確かでしょう。
 もっとも著者は、「よい知恵をもった賢い人」というところ、単数で書いてます。少なくともラテン語ではそうです。もともとの中世オランダ語ではどうか知りませんけど。

[88] マタイ8-10章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/07(土) 09:32:36 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mat&chapter=8&mode=0
 昨年度の記事は[0:428]
 昨年度は著者のマタイが取税人ということで税金の話をしましたけど、福音書の著者って全部仮託つまりウソ、みんな匿名&集団創作ですからね。その点ちょっと確認。
 今年はマタ8:21-22の、イエス様の葬式軽視発言をとりあげますわ。なんといっても主人のお父様の喪中ですから。
 まず、これはマタ10:34-37の、イエス様の家庭不和助長発言と同じで、弟子に対する厳しい倫理を示したものと考えればいいんです。
 「平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきた」とか「人をその父と、娘をその母と…仲たがいさせるため」にきたとか「家の者が、その人の敵となるであろう」とか「わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない」なんていうイエス様の言葉につまづく人が多いみたいですね。いろんな注解書や参考書がごにょごにょとわけのわからないツジツマあわせをしてますけど、私はとても納得してるんです。
 だって、イエス様の教団は当時は危ないカルト教団です。危ない先生に従ってた日にゃ、いつ何どき逮捕されて死刑になるかわかったもんじゃありません。現にペテロだって最後は逆十字架だったじゃありませんか。役者は舞台に穴をあけられないので家族の死に目にも会えないなんて言いますけど、イエス様の弟子ならなおさらじゃありませんか。
 8章だって10章だって「弟子」に言ってることに注意してください。弟子には一般信徒よりもはるかに厳しい倫理が求められるっていうのは当然じゃありませんか。オレの弟子になったら親の死に目に会えないぞ、覚悟してついてこい、という意味で言ったんです。
 プロテスタントみたいに万人祭司なんてバカなことを言って、一般信徒も弟子なみの厳しい倫理が求められて窮屈でしかたのない教派ならともかく、カトリックとか正教会とかみたいに、一般信徒はもちろん結婚可だけど司祭は独身!みたいなところなら、すんなり納得いくはずなんだけど、カトリックの堀田雄康さんの『聖書楽読楽語』でもおかしなツジツマあわせをしてるのよね。バカみたい。

 さてその上で最近の私の宗教観は「葬式をしっかりやってくれるところがいい」ってことなんです。
 以前は「宗教は頭の問題じゃなく体の問題」なんていって、礼拝がゴージャスで理屈ぬきに魂をゆさぶらせてくれる正教会みたいなところがいいかなって思ってたんですけど、最近は「葬式をしっかりやってこその宗教」って思ってます。
 だって、主人が死んだら、私がキリスト教式の葬式をしてあげられますけど、その後ひとりぼっちになってしまった私の葬式を誰がしてくれるっていうんでしょう。あ、逆に私のほうが先に死ぬかもしれないわ。
 うちの町内は典型的な「隣は何をする人ぞ」ですから、今回の、主人のお父様の葬式も、近所への回覧は出しませんでした。出したって何をしてもらえるわけじゃないもの。葬式の手伝いをしてくれたのは、創価学会の地区の人たちでした。創価学会は大嫌いだけど、こういう点は便利。
 そう、だから、死んだときにいろいろ手伝ってもらうためには、家の近所で、信者のつながりが緊密で家庭的な教会がいいなって思ってるんです。そこで今の最大有力候補は、家の近所の福音ルーテル教会。先日行ったらそんな感じだったから。プロテスタントは質素すぎてイヤだし、万人祭司はくそくらえなんですけど、ルーテルはカトリックっぽいからいいか、バッハを産んだ教会だしって感じ。

 日本の仏教は葬式仏教なんて揶揄されてますけど、葬式を握ってるってことは一番強いんです。だって病院で死んだとして(またはどっかで行き倒れて警察の死体安置所でも同じだけど)、そこから遺体を運ぶには葬儀屋のやっかいになるしかない。黙ってたらどんどん仏教式の葬式をさせられてしまいます。牧師連中も仲間うちで酒を飲むと「仏教はいいよな、葬式握ってるから」なんて言ってるらしい。本来の仏教では僧侶は葬式にかかわっちゃいけないんですけど、日本の場合は葬式にかかわって大成功。
 だいたいイエス様、あなたが死んだときに誰が後始末してくれたか考えてみなさいっていうんです。遺体をひきとったのはヨセフという有力者。そのあと墓におまいりしてたのはイエス教団婦人部です。女とパトロンがいなきゃまともな葬式をしてもらえないのよ、感謝しなさい。

[87] インターリニアへのリンク 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/06(金) 16:07:31 コメントする ここから閲覧

 ばべるばいぶる、PC版の章モードと節モードで、インターリニア・サイト Biblos.com の各ページへのリンクを表示するようにしました。もちろん旧約39、新約27書のみです。

[86] クルアーン7回 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/06(金) 10:40:47 コメントする ここから閲覧

 クル-7回。2章203-228節。
 クルアーンの通読は機械的に区切っているので内容をあんまり考慮していません。203節は前回の続きで巡礼の作法。ここで巡礼の話が終わって、あとは細かく話題が変わります。
 そして221節から女性の話。
 異教徒とは結婚するなという規定があるため、ムスリム/ムスリマと結婚するためには改宗しなければならない。最近、日本人でイスラム教に改宗する人のほとんどはこのタイプじゃないかしら。しかも、イスラム教徒の男性と結婚する女性というケースのほうが多いので、日本人の信者は女性のほうが多いんじゃないかしら。

[85] 知恵の書4章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/06(金) 10:14:14 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=wis&chapter=4&mode=0
 昨年度の記事は[0:677]
 子どもがなかなかできない私たち夫婦には、「子がなくても徳があるほうがいい」という言葉はなぐさめになりますけど、だからといって「不倫の子がさばきのときに親の悪事の証人になる」はないと思いませんか。私の「不倫の子」疑惑は前回[64]で書いたので繰り返しませんけど。

[84] イザヤ書18-22章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/06(金) 10:04:25 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=isa&chapter=18&mode=0
 昨年度の記事は[0:426]
 ここでは周辺地域に関する予言がいろいろ出て来ます。イスラエルの歴史を覚えるだけでも大変なのに、とてもとても周辺地域の歴史まで見ていられないという気がしますが、せっかくですから簡単に見ていくことにしましょう。
 今回はエジプト、アッシリア、バビロニアといった大きいところ。
 別の機会に、近隣のエドムとかも見ていくことにしましょう。

 まずはエジプト。
 世界史で習ったエジプトは万世一系、ずっと同じ地域に同じような王朝が続いてきたという感がありますが、全然そんなことありません。合計31の王朝が興亡しているんです。
 聖書にかかわりが出てくるのはまず新王国時代
 これは主に、モーセがここから脱出したというからみです。ただし、出エジプトがいったいどの時期であったのかは定説がありません。聖書にはファラオの名前など年代を特定できるものは何一つありませんし、エジプト側の記録もないからです。古代エジプト最大の王ラムセス2世の時代(BC13世紀)とも言われていますし、フロイトのモーセ・エジプト人説によれば、アメンヘテプ4世(BC14世紀)よりちょっと後ということになります。
 より大きくかかわってくるのはエジプト第三中間期(21-26王朝)
 第一イザヤ(BC8世紀後半)の時代は複数の王朝が並立、競合、興亡した時代でした。22王朝(BC935-725)が23王朝(759-715)と並立、22王朝が滅んで24王朝(725-709)が立ちました。そしてヌビア人(エチオピア人)のピアンキが創始した25王朝(747-656)が、23、24を滅ぼして全土を統一しました。
 この25王朝がイザヤ書18-19章に出てくる王朝。クシュ朝とも呼ばれます。口語訳ではエチオピヤ、新共同訳や新改訳ではクシュになってますね。
 エジプトはかつてはシリアあたりまで領土としていたのですが、第三中間期にはシリア地方の領土は失われていました。で、25王朝の創始者のピアンキはシリア地方への勢力拡大をはかって、まずは反アッシリア同盟をパレスチナの諸国に呼びかけます。ユダ王国のヒゼキヤ王もこれに乗ろうとするのですが、イザヤは徹底的に反対します。
 こういう話を頭にいれておくと、18-19章はがぜんわかりやすくなるんじゃないでしょうか。

 次にアッシリア
 メソポタミア(現イラク)の北部にあった王朝。
 アッシリアはけっこう長く続いた王朝で、最初がどこからかよくわからないのですが、おしまいはBC609。聖書にかかわりのあるところでは、シャルマネセル(5世。727-722)、サルゴン(2世。722-705)、センナケリブ(705-681)、エサルハドン(681-669)あたりを覚えておきましょう。シャルマネセルが北王国を滅ぼした王です。
 センナケリブ(口語訳ではセナケリブ)はBC701にパレスチナを大々的に攻め、諸国に貢物を納めさせました。南王国ももちろん攻められ、多額の貢物を納めることになります。ですから聖書では悪名高い王様として出てきますが、必ずしも強かったわけではなく、バビロニアやエラム(イラン南部)に敗れたりもしています。BC688にもう一度南王国を攻めたときの話がイザヤ書では36-37章に出てきます。最後には暗殺され、この話もイザヤ書37章末に出てきます。

 次にバビロニア
 メソポタミア(現イラク)の南部にあった王朝。
 バビロニアもエジプト同様に複数の王朝が興亡したのですが、イザヤの時代は第10王朝。高校生用の世界史年表だとシカトされてアッシリアに滅ぼされたように書いてありますが実は細々と存在しているのです。多くはアッシリア王が兼任したりしてるんですけどね。次の新バビロニア(BC625-539)になって強大になり、アッシリアを滅ぼして世界帝国になります。カルデア(口語訳ではカルデヤ)とも呼ばれます。

[83] 1ニフ13章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/05(木) 12:45:49 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ne&chapter=13&mode=0
 「ニーファイの黙示録」の続き。天使がニーファイに見せる将来の姿なんですが、これはどうもアメリカのことらしいです。経済的には繁栄しているのですが、悪魔が根底にいる大教会が、神の聖徒たちを苦しめています。
 そして、約束の地に住んでいる肌の黒いレーマン人(悪いお兄さんの末裔)は、神の怒りにふれて、神様の力をうけて約束の地に移住した肌の白い異邦人に追い散らされ、異邦人の天下になっていくという、将来の姿を見させられます。

[82] トビト記4章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/05(木) 12:39:21 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=tob&chapter=4&mode=0
 昨年度の記事は[0:389]
 お話としては、昨年まとめたように「トビトは昔メディア(イランのあたり)でお金を人に貸したことを思い出し、息子のトビヤにそのカネの回収の旅をさせます」ということなんですけど、ここのポイントはトビヤへの説諭です。姦淫するな、施しをせよ、同胞を愛せ……、じっくり読むといろいろ教訓が入っていますね。
 ただし私たちに違和感があるのは、12節の「父の一族に属さない異邦人の女をめとってはならない」。そんな、恋愛は自由よ、と思うところですけど、トビトはナフタリ族。ナフタリ族らイスラエル北十部族は、「父の一族に属さない異邦人の女をめとっ」ていったために、歴史から姿を消してしまったわけです。別に子孫が絶えたわけじゃないけど、民族としては消えてしまった。
 私たちは、ユダヤ人がしっかり律法を守って民族のアイデンティティを保ったことを賞賛し、消えたイスラエル十部族を軽んじていませんか? でも、本来は民族なんて消えてなくなったっていいんですよ。民族のために人があるんじゃありませんから。

[81] ヨブ記7-8章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/05(木) 11:32:24 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=job&chapter=7&mode=0
 昨年度の記事は[0:424]
 リビングバイブルのヨブ記もあわせてお読みください。
http://www.biblica.com/uploads/pdf-files/bibles/japanese/ot/job.pdf
 例によってヨブ記は、本筋や文脈とまるきり無関係に、気に入った表現、気になった表現をとりあげていくことにします。

 今日はヨブ7:1-2
 口語訳聖書では、「地上の人には、激しい労務があるではないか。またその日は雇人の日のようではないか。奴隷が夕暮を慕うように、雇人がその賃銀を望むように、」となっています。
 ところが新共同訳では、「この地上に生きる人間は兵役にあるようなもの。傭兵のように日々を送らなければならない。奴隷のように日の暮れるのを待ち焦がれ、傭兵のように報酬を待ち望む。」となっています。
 要するに「労務」「雇人」が「兵役」「傭兵」となっているんですね。
 年末は『坂の上の雲』ではじけちゃいまして、Twitterでは実況ツィートをいっぱいしてしまいました。日露戦争は日本が、いえ世界が初めて経験した近代の総力戦。兵隊たちが勝手に戦っていた昔の戦争と違って、国民が国家にどんどん兵隊にとられ、死を強要される。そんなドラマに深く感動した私は、最初に新共同訳でヨブ記7章を読んで、人生が兵役のようなものという表現に共鳴したんです。生きるためにいやおうなく兵士になり、死と隣り合わせの厳しい仕事につく。
 ところが、これが口語訳聖書だと、普通の「労務」「雇人」で、がくっときちゃったんです。
 まずは日本語諸訳を並べてみましょう。

文語:それ人《ひと》の世《よ》にあるは戰鬪《たたかひ》にあるがごとくならずや 又《また》其《その》日《ひ》は傭人《やとひびと》の日《ひ》のごとくなるにあらずや。奴僕《しもべ》の暮《くれ》を冀《こひね》がふが如《ごと》く傭人《やとひびと》のその價《あたひ》を望《のぞ》むがごとく
新改訳:地上の人には苦役があるではないか。その日々は日雇い人の日々のようではないか。日陰をあえぎ求める奴隷のように、賃金を待ち望む日雇い人のように、
新世界:「地上の死すべき人間には強制労働があるではないか。その日々は雇われた労働者の日々のようではないか。奴隷のように人は陰をあえぎ求め,雇われた労働者のようにその賃金を待つ。
関根:人の地上の生は一つの夫役ではなかろうか、その生涯は日傭人の日々の如くではなかろうか。夕陰を求める奴隷のように 賃金を待つ日傭人のように
バル旧:この世にいることは、人にとって、兵役であり、その日々は、日雇の日々のようだ。どれいは、日陰をしたい、日雇は、その賃金を待ちのぞむが、
バル新:この世にいることは人にとって兵役であり、その日々は日雇いの日々のようだ。奴隷は日陰をしたい、日雇いはその賃金を待ち望むが、
フラ:地上の人間には一つの苦役の時期があるのではなかろうか。その生涯は日雇い労働者の日々に等しいのではなかろうか。日暮れを待ち望む奴隷のように、賃金を心待ちしている日雇い労働者のように、
岩波(並木浩一):地上の人間は苦役に服していないのか、その一生は日雇い人の日々のようでないのか、奴隷のように日暮れを待ち焦がれ、日雇い人がその賃金を望むようではないのか。
リビ:人は、なんと苦しみもだえることか。 人の一生は、奴隷の日々のように長く苛酷だ。一日の終わりが、なんと待ち遠しいことか。人は賃金のもらえる月末まで汗水流して働く。
現代:地上に生きていく人には苦役があり、その毎日は、雇人のようだ。夕方の涼しい日陰を求める奴隷のように、賃金の支払いを待望する雇人のように、
回復:人には地上で苦しい労役がないだろうか? その日々は、日雇い人の日々のようではないか? 日陰を慕い求める奴隷のように、賃金を待ち望む日雇い人のように、
光明:地上における人の生涯は戰役《たたかい》にして、その日は傭われ人の日の如し。奴僕《しもべ》が日陰を望むが如く、傭われ人がその仕事を終るを待ちかぬるが如く、
KJV:Is there not an appointed time to man upon earth? are not his days also like the days of an hireling? As a servant earnestly desireth the shadow, and as an hireling looketh for the reward of his work:

 こうしてみると、戦争・傭兵と訳しているのは文語のみで、その他がおおむね苦役、雇い人。光明社が戦役、傭われ人ですからちゃんぽんになってますね。バルバロも同様です。
 なお、フラ訳の注には、

 「苦役」については ヨブ14:14イザ40:2参照。なお文字どおりには「兵役」。「日雇い労働者」には、とあり、イスラエルで徴兵制を敷いたのはサウロであり( サム上14:52)、さらにこれを強化したのはソロモンである( 王上9:19 王上10:26参照)。軍隊生活はある程度、奴隷生活のようなものなのである( ルカ7:8参照)。なお、パウロはキリスト信者はイエズスの兵士に等しい者であると述べている( 一コリ9:7 フィリ2:25 二テモ2:3-4 フィレ1:2参照)。「日雇い労働者」は、その日その日に賃金を受ける( 申24:15 マタ20:8,12参照)。なお、この語には「傭兵」の意味もある。

という解説があります。だから本当は新共同訳が正しいんでしょう。新共同訳はフラの系譜につながるものですから、フラの意見を取り入れてフラよりになったんでしょうね。

 じゃ、そろそろヘブライ語原典を出してみましょう。

הֲלֹא־צָבָא לֶאֱנֹושׁ [עַל־ כ] (עֲלֵי־אָרֶץ ק) וְכִימֵי שָׂכִיר יָמָיו׃
כְּעֶבֶד יִשְׁאַף־צֵל וּכְשָׂכִיר יְקַוֶּה פָעֳלֹו׃



 BHSのほうには
http://www.scripture4all.org/OnlineInterlinear/Hebrew_Index.htm
のインターリニアの画像をはりつけちゃいました。ただこのインターリニア、左から右に読んでください。1語の中は右から左なんですが、語は左から右に流れていきます。
 こうしてみるとポイントはצָבָא(ツァバー)。インターリニアではenlistment(兵役)と訳してます。Davidsonではwarriors、soldiers。
 それに対してשָׂכִיר(シャキール)のほうはhired-one。Davidsonではhired labourer。
 こうなると、ちゃんぽんだった光明社(ヴルガタ直訳)やバルバロが一番正しかったっていうことですね。ヴルガタは
militia est vita hominis super terram et sicut dies mercennarii dies eius
sicut servus desiderat umbram et sicut mercennarius praestolatur finem operis sui
militiaが兵役、mercennariusが日雇い人ですから。バルバロは必ずしもヴルガタ直訳ではありませんが、ここはヴルガタの影響を受けて正しかったのか、ちゃんと原典を見て正しかったのかは不明です。
 まあ、兵役で雇い人ってことは傭兵ですから、文語、新共同も合格。

[80] 1ニフ12章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/04(水) 10:58:29 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ne&chapter=12&mode=0
 10章以後、「リーハイとニーファイによる黙示録」的になっています。つまり10章の、お父さんリーハイの見た夢の話をうけ、11章からニーファイは、みたまと天使に導かれ、未来のことを見せられます。
 11章まではイエス様の話だったのですが、今回はうち続く戦争の話。
 特に19節以降、兄レーマンの子孫と、自分・ニーファイの子孫とが争い、ニーファイの子孫のほうが敗れてしまう、そしてレーマンの子孫は無信仰に陥って肌の色が黒くなることを見られます。
 レーマンの子孫がアメリカ・インディアンであるというのがモルモン教会の教えなのですけど、ここは民族差別的であるとキリスト教陣営からよく突っ込まれるところです。もっとも私は、じゃアメリカのキリスト教ってどれほど民族差別に反対してきたかって言いたいですけどね。まったく無力、むしろ差別を助長してきた。黒人にイスラム教信者が多いのは、はっきりいってキリスト教が救いにならなかったから。神様の前の平等をうたうイスラム教のほうが救いになったのです。

[79] 1マカ4章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/04(水) 10:49:00 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ma&chapter=4&mode=0
 昨年度の記事は[0:559]
 ルシア(リュシアス)の選んだ三人の実力者の一人、ゴリギヤ(ゴルギアス)は、ユダの軍に夜襲をかけますが、いちはやくそれを察したユダは軍を移動させて、逆にふい打ちをします。ユダの軍は兵士も少なく武器もろくになかったのですが、この作戦で大勝利をします。
 リュシアスは翌年に大軍を率いて再びユダを攻めますが、ユダの前に敗北します。
 勝利したイスラエルの民は神殿を再建し、その日を祝日とします。

 あらまあ、昨年度とまったく同じだわ。でも、こうまとめる以外にほかないじゃん!

[78] 詩編9-11編 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/04(水) 10:45:43 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=psa&chapter=10&mode=0
 昨年度の記事は[0:423]
 ここからは要注意。LXXやヴルガタでは9編と10編をまとめて一つの詩としているので、以後は詩編のほとんど最後(147編)まで、現行の編番号と1つずつズレるのです(現114-116では2つズレ)。カトリック系の聖歌や宗教音楽で詩編を使ってる場合、番号が違うことがありますので、しっかり確認しないと間違えます。

 9編は敵を倒す力となってくれる神様への信頼を詠んだ詩。
 これはTroubleというヘビメタ・ロックバンドがロックにしたものをお聞きください。

(http://www.youtube.com/watch?v=q7E2j-Ut6iE)

 10編は逆に、なかなか敵を倒してくれない神様に、隠れてちゃダメよ、立ち上がってちょうだいと催促しています。

(http://www.youtube.com/watch?v=NNUwJYBdJGc)

 11編の歌い手も敵に直面していますが、主を信頼して立ち向かいます。10編と同工異曲の動画ですけど、ご覧ください。

(http://www.youtube.com/watch?v=k5WKnrPT6KU)