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第十五章 ニーファイ、リーハイの教えを説明する。「かんらん」の木。生命の木。神の御言葉。 私ニーファイは「みたま」につれられて行って以上のことを皆見てしまってから、私の父の天幕に帰ってきた。
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さて私が私の兄弟たちに逢うと、兄弟たちは私の父が前に自分たちに語ったことについてその時互いに言い争っていた。
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父はまことに偉大なことを多く兄弟たちに語ったが、それは人が主に尋ねなければ解りにくいことであった。ところが兄弟たちは心がかたくなであったから、当然なすべきことであるが主に頼らなかったのである。
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それで私ニーファイは兄弟たちの心がかたくなであるので、また私が今までいろいろなことを見て世の人々が犯す大きな罪悪のためにこれらのことが必ず起ることを知っていたので悲しく思い、
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また前に私の民の亡びるのを見たので、そのために私の悩みがたとえようもなく大きく思えて、私は悩みのためにうち負けてしまった。
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さて私は力がもとに戻ってから兄弟たちに向い、その言い争いのもとが何であるか聞かせてほしいと言った。
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すると兄弟たちは「見よ、われらの父は「かんらん」の木の元の自然の枝と異邦人のことについて話をしたが、その言葉は何のことだか解らない」と言った。
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それで私はあなたがたは主に尋ねたかと言ったら、
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兄弟たちは「主に尋ねてはいない。主はこんなことをわれわれに知らせないからである」と言った。
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そこで私は言った「あなたがたが主の言いつけを守らないのは何故であるか。あなたたちの心をかたくなにして亡びを招くのは何故であるか。
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主がこれまでに仰せになったことを憶えていないのか。主は『もし汝らその心をかたくなにせず、答えを受くと信じ、固き信仰を持ち、わが戒めを勤勉に守りてわれに願わば必ずこれらのことを汝らに示さるべし』と仰せになった。
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ごらん、私たちの先祖は胸に宿った主の『みたま』によって、イスラエルの家を『かんらん』の木にたとえた。ごらん、私たちはイスラエルの家から折り取られた者ではないか。だから、私たちはイスラエルの家の一枝ではないか」と。
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さて私たちの父は、異邦人が完全な福音を受けるによって元の自然の枝に接がれることについて言ったが、その意味はメシヤが世の人々に肉体で現われたもうてから私たちの子孫は無信仰に陥り、まことに長年の間しかも多くの世を経てそれをあらためずついに末日となってメシヤの福音は完全なままで異邦人に与えられ、ついで異邦人から私たちの子孫の残りの者に伝えられる。
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すなわちその日がくると私たちの子孫の残りの者は、自分たちがイスラエルの家に属している者であって主の誓約を受けた民であることを知り、そこで心に悟って自分たちの先祖のことを知り、また自分たちの贖い主が親しく先祖に与えたもうた福音をも知る。かようにして、残りの者はその贖い主と贖い主の教えの最も重要な点を知るようになって、贖い主のところへ立ち帰って救いの道を悟るのである。
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その日には、私たちの子孫の残りの者はどうしてその岩その救いである永遠の神をよろこび讃美しないであろうか。まことにその日にどうして真のぶどうの蔓から力と養いとを受けないであろうか。また神の持ちたもう真の羊の群に入らないであろうか。
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見よ、まことにかれらは再びイスラエルの家の者と認められ、また「かんらん」の木の元の自然の枝であるから真の「かんらん」の木に接がれる、と言うのであった。
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そしてこれが私たちの父が言ったことの意味であるが、また父の意味は、このことはイスラエルの家が異邦人のために散らされてから始めて起こると言うのであり、このことが異邦人によって起るのは主がユダヤ人によって、すなわちイスラエルの家に属している者によって拒まれたもうから、主の権能を異邦人に示したもうために起るのであると言うのである。
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それで私たちの父はひとり私たちの子孫のことを話したばかりでなく、またイスラエルの家の全部についても話をして、末の日に成就されるはずの誓約を教えたのである。その誓約とは主が私たちの先祖アブラハムに「汝の子孫により世界の眷族ことごとく祝福を受くべし」と言って結びたもうた誓約のことである。
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私ニーファイは、これらのことについて兄弟たちに多くの話をした。まことに私は末の日にユダヤ人がもとの状態に帰ることについて話をした。
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そしてユダヤ人、すなわちイスラエルの家がもとの状態に帰ることについて語ったイザヤの言葉を兄弟たちに言って聞かせたが、その言葉はイスラエルの家がもとの状態に帰ってからは、もうあわてふためくこともなければまた散らされることもないと言うのであった。かように私は兄弟たちに多くの言葉を話して聞かせたから、兄弟たちは心が解けて主の御前にへりくだった。
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そして私にまた「父が夢の中で見たことは何の意味であるか。父の見た木は何を意味するのか」と問うから、
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私はその木は生命の木を象ると言うと、
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兄弟たちはまた「父の見た木のところに達する鉄の棒は何の意味か」とたずねるから、
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私は兄弟たちに、それは神の言葉である、だれでも神の言葉を聞いてこれを固く守る者はけっして亡びることなく、また悪魔の誘惑やその火矢もかれらをうち破って盲目となし、亡びに導くこれもできないと言った。
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そこで私ニーファイは、まことに主の言葉に心を留めるように兄弟たちをすすめ、また真に兄弟たちが神の言葉に心を留めてこれを憶え、たえず何事においても神の命令を守るように、私の精神の力をつくし、私の持っている全能力をかたむけて兄弟たちをすすめた。
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そうすると、兄弟たちは「父の見た川の流れは何の意味か」と言うから、
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私は、父の見た川の水はけがれである。しかし、父は川の水のけがれを見ないほどその心をほかの物事にとられていた。
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この川は、悪人を生命の木と神の聖徒とからへだてているおそろしい淵である。
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また、あの天使が私に悪人を入れるために用意してあると言ったおそろしい地獄を表している。
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また父は神の正義もまことに悪人を正しい人からへだて、神の正義の輝きがとこしえにつきることなく神の御座に燃え上る焔の輝きのようであるのを見たと言った。
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すると兄弟たちは「今言ったことは肉体がこのこころみの現世で受ける苦痛を指すのか、または肉体が死んでから後の人間の最も終りの有様を指すのか、それともまた現世のことを言うのであるか」と聞くから、
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私は「それは現世のことにも霊のことにも二つながらにかかわることを象るのである。と言うのは、こころみの世で肉体によってした行いによって世の人々が裁かれねばならない日が必ずくるからである。
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したがって、もしも人が罪悪を行ったまま死ぬならば、その人たちは神霊について正しさに関係のあることからも棄てられなければならない。それであるから、これらの者はその行いについて裁きを受けるために、神の御前に引き出されなければならない。そしてもしもこれらの者の行いがけがれているならば、これらの者は必ずけがれているにちがいない。もしもこれらの者がけがれているならば、これらの者は必ず神の王国に住むことができないにちがいない。もしもこれらの者が住めるならば、神の王国もまたけがれているにちがいないのである。
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しかしごらん、またよく聞け。神の王国はけがれているものでないから、どんな不潔なものも神の王国に入ることができないのである。それであるから、けがれたものを入れるためには、けがれた所の用意が必ずあるにちがいない。
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実際、用意された場所が一つあるのであって、これが私のすでに話したあのおそろしい地獄と言うもので悪魔がその基となっている。それであるから、人間の最後の状態と言うものは、神の王国に住むか、さもなければ私が前に話した正義によって追い出されるかのどちらかである。
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それであるから、悪人は正しい者たちからしりぞけられ、また生命の木の実からもうち捨てられるのであるが、生命の木の実は非常に貴いものであって、あらゆるほかの木の実よりもさらに好く、神のすべての賜のなかで最も大きな賜であると、私はかように私の兄弟たちに話をした。アーメン。
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