[ばべるばいぶる]

真理子の聖書日記


このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
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[87] インターリニアへのリンク 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/06(金) 16:07:31 コメントする ここから閲覧

 ばべるばいぶる、PC版の章モードと節モードで、インターリニア・サイト Biblos.com の各ページへのリンクを表示するようにしました。もちろん旧約39、新約27書のみです。

[86] クルアーン7回 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/06(金) 10:40:47 コメントする ここから閲覧

 クル-7回。2章203-228節。
 クルアーンの通読は機械的に区切っているので内容をあんまり考慮していません。203節は前回の続きで巡礼の作法。ここで巡礼の話が終わって、あとは細かく話題が変わります。
 そして221節から女性の話。
 異教徒とは結婚するなという規定があるため、ムスリム/ムスリマと結婚するためには改宗しなければならない。最近、日本人でイスラム教に改宗する人のほとんどはこのタイプじゃないかしら。しかも、イスラム教徒の男性と結婚する女性というケースのほうが多いので、日本人の信者は女性のほうが多いんじゃないかしら。

[85] 知恵の書4章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/06(金) 10:14:14 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=wis&chapter=4&mode=0
 昨年度の記事は[0:677]
 子どもがなかなかできない私たち夫婦には、「子がなくても徳があるほうがいい」という言葉はなぐさめになりますけど、だからといって「不倫の子がさばきのときに親の悪事の証人になる」はないと思いませんか。私の「不倫の子」疑惑は前回[64]で書いたので繰り返しませんけど。

[84] イザヤ書18-22章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/06(金) 10:04:25 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=isa&chapter=18&mode=0
 昨年度の記事は[0:426]
 ここでは周辺地域に関する予言がいろいろ出て来ます。イスラエルの歴史を覚えるだけでも大変なのに、とてもとても周辺地域の歴史まで見ていられないという気がしますが、せっかくですから簡単に見ていくことにしましょう。
 今回はエジプト、アッシリア、バビロニアといった大きいところ。
 別の機会に、近隣のエドムとかも見ていくことにしましょう。

 まずはエジプト。
 世界史で習ったエジプトは万世一系、ずっと同じ地域に同じような王朝が続いてきたという感がありますが、全然そんなことありません。合計31の王朝が興亡しているんです。
 聖書にかかわりが出てくるのはまず新王国時代
 これは主に、モーセがここから脱出したというからみです。ただし、出エジプトがいったいどの時期であったのかは定説がありません。聖書にはファラオの名前など年代を特定できるものは何一つありませんし、エジプト側の記録もないからです。古代エジプト最大の王ラムセス2世の時代(BC13世紀)とも言われていますし、フロイトのモーセ・エジプト人説によれば、アメンヘテプ4世(BC14世紀)よりちょっと後ということになります。
 より大きくかかわってくるのはエジプト第三中間期(21-26王朝)
 第一イザヤ(BC8世紀後半)の時代は複数の王朝が並立、競合、興亡した時代でした。22王朝(BC935-725)が23王朝(759-715)と並立、22王朝が滅んで24王朝(725-709)が立ちました。そしてヌビア人(エチオピア人)のピアンキが創始した25王朝(747-656)が、23、24を滅ぼして全土を統一しました。
 この25王朝がイザヤ書18-19章に出てくる王朝。クシュ朝とも呼ばれます。口語訳ではエチオピヤ、新共同訳や新改訳ではクシュになってますね。
 エジプトはかつてはシリアあたりまで領土としていたのですが、第三中間期にはシリア地方の領土は失われていました。で、25王朝の創始者のピアンキはシリア地方への勢力拡大をはかって、まずは反アッシリア同盟をパレスチナの諸国に呼びかけます。ユダ王国のヒゼキヤ王もこれに乗ろうとするのですが、イザヤは徹底的に反対します。
 こういう話を頭にいれておくと、18-19章はがぜんわかりやすくなるんじゃないでしょうか。

 次にアッシリア
 メソポタミア(現イラク)の北部にあった王朝。
 アッシリアはけっこう長く続いた王朝で、最初がどこからかよくわからないのですが、おしまいはBC609。聖書にかかわりのあるところでは、シャルマネセル(5世。727-722)、サルゴン(2世。722-705)、センナケリブ(705-681)、エサルハドン(681-669)あたりを覚えておきましょう。シャルマネセルが北王国を滅ぼした王です。
 センナケリブ(口語訳ではセナケリブ)はBC701にパレスチナを大々的に攻め、諸国に貢物を納めさせました。南王国ももちろん攻められ、多額の貢物を納めることになります。ですから聖書では悪名高い王様として出てきますが、必ずしも強かったわけではなく、バビロニアやエラム(イラン南部)に敗れたりもしています。BC688にもう一度南王国を攻めたときの話がイザヤ書では36-37章に出てきます。最後には暗殺され、この話もイザヤ書37章末に出てきます。

 次にバビロニア
 メソポタミア(現イラク)の南部にあった王朝。
 バビロニアもエジプト同様に複数の王朝が興亡したのですが、イザヤの時代は第10王朝。高校生用の世界史年表だとシカトされてアッシリアに滅ぼされたように書いてありますが実は細々と存在しているのです。多くはアッシリア王が兼任したりしてるんですけどね。次の新バビロニア(BC625-539)になって強大になり、アッシリアを滅ぼして世界帝国になります。カルデア(口語訳ではカルデヤ)とも呼ばれます。

[83] 1ニフ13章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/05(木) 12:45:49 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ne&chapter=13&mode=0
 「ニーファイの黙示録」の続き。天使がニーファイに見せる将来の姿なんですが、これはどうもアメリカのことらしいです。経済的には繁栄しているのですが、悪魔が根底にいる大教会が、神の聖徒たちを苦しめています。
 そして、約束の地に住んでいる肌の黒いレーマン人(悪いお兄さんの末裔)は、神の怒りにふれて、神様の力をうけて約束の地に移住した肌の白い異邦人に追い散らされ、異邦人の天下になっていくという、将来の姿を見させられます。

[82] トビト記4章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/05(木) 12:39:21 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=tob&chapter=4&mode=0
 昨年度の記事は[0:389]
 お話としては、昨年まとめたように「トビトは昔メディア(イランのあたり)でお金を人に貸したことを思い出し、息子のトビヤにそのカネの回収の旅をさせます」ということなんですけど、ここのポイントはトビヤへの説諭です。姦淫するな、施しをせよ、同胞を愛せ……、じっくり読むといろいろ教訓が入っていますね。
 ただし私たちに違和感があるのは、12節の「父の一族に属さない異邦人の女をめとってはならない」。そんな、恋愛は自由よ、と思うところですけど、トビトはナフタリ族。ナフタリ族らイスラエル北十部族は、「父の一族に属さない異邦人の女をめとっ」ていったために、歴史から姿を消してしまったわけです。別に子孫が絶えたわけじゃないけど、民族としては消えてしまった。
 私たちは、ユダヤ人がしっかり律法を守って民族のアイデンティティを保ったことを賞賛し、消えたイスラエル十部族を軽んじていませんか? でも、本来は民族なんて消えてなくなったっていいんですよ。民族のために人があるんじゃありませんから。

[81] ヨブ記7-8章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/05(木) 11:32:24 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=job&chapter=7&mode=0
 昨年度の記事は[0:424]
 リビングバイブルのヨブ記もあわせてお読みください。
http://www.biblica.com/uploads/pdf-files/bibles/japanese/ot/job.pdf
 例によってヨブ記は、本筋や文脈とまるきり無関係に、気に入った表現、気になった表現をとりあげていくことにします。

 今日はヨブ7:1-2
 口語訳聖書では、「地上の人には、激しい労務があるではないか。またその日は雇人の日のようではないか。奴隷が夕暮を慕うように、雇人がその賃銀を望むように、」となっています。
 ところが新共同訳では、「この地上に生きる人間は兵役にあるようなもの。傭兵のように日々を送らなければならない。奴隷のように日の暮れるのを待ち焦がれ、傭兵のように報酬を待ち望む。」となっています。
 要するに「労務」「雇人」が「兵役」「傭兵」となっているんですね。
 年末は『坂の上の雲』ではじけちゃいまして、Twitterでは実況ツィートをいっぱいしてしまいました。日露戦争は日本が、いえ世界が初めて経験した近代の総力戦。兵隊たちが勝手に戦っていた昔の戦争と違って、国民が国家にどんどん兵隊にとられ、死を強要される。そんなドラマに深く感動した私は、最初に新共同訳でヨブ記7章を読んで、人生が兵役のようなものという表現に共鳴したんです。生きるためにいやおうなく兵士になり、死と隣り合わせの厳しい仕事につく。
 ところが、これが口語訳聖書だと、普通の「労務」「雇人」で、がくっときちゃったんです。
 まずは日本語諸訳を並べてみましょう。

文語:それ人《ひと》の世《よ》にあるは戰鬪《たたかひ》にあるがごとくならずや 又《また》其《その》日《ひ》は傭人《やとひびと》の日《ひ》のごとくなるにあらずや。奴僕《しもべ》の暮《くれ》を冀《こひね》がふが如《ごと》く傭人《やとひびと》のその價《あたひ》を望《のぞ》むがごとく
新改訳:地上の人には苦役があるではないか。その日々は日雇い人の日々のようではないか。日陰をあえぎ求める奴隷のように、賃金を待ち望む日雇い人のように、
新世界:「地上の死すべき人間には強制労働があるではないか。その日々は雇われた労働者の日々のようではないか。奴隷のように人は陰をあえぎ求め,雇われた労働者のようにその賃金を待つ。
関根:人の地上の生は一つの夫役ではなかろうか、その生涯は日傭人の日々の如くではなかろうか。夕陰を求める奴隷のように 賃金を待つ日傭人のように
バル旧:この世にいることは、人にとって、兵役であり、その日々は、日雇の日々のようだ。どれいは、日陰をしたい、日雇は、その賃金を待ちのぞむが、
バル新:この世にいることは人にとって兵役であり、その日々は日雇いの日々のようだ。奴隷は日陰をしたい、日雇いはその賃金を待ち望むが、
フラ:地上の人間には一つの苦役の時期があるのではなかろうか。その生涯は日雇い労働者の日々に等しいのではなかろうか。日暮れを待ち望む奴隷のように、賃金を心待ちしている日雇い労働者のように、
岩波(並木浩一):地上の人間は苦役に服していないのか、その一生は日雇い人の日々のようでないのか、奴隷のように日暮れを待ち焦がれ、日雇い人がその賃金を望むようではないのか。
リビ:人は、なんと苦しみもだえることか。 人の一生は、奴隷の日々のように長く苛酷だ。一日の終わりが、なんと待ち遠しいことか。人は賃金のもらえる月末まで汗水流して働く。
現代:地上に生きていく人には苦役があり、その毎日は、雇人のようだ。夕方の涼しい日陰を求める奴隷のように、賃金の支払いを待望する雇人のように、
回復:人には地上で苦しい労役がないだろうか? その日々は、日雇い人の日々のようではないか? 日陰を慕い求める奴隷のように、賃金を待ち望む日雇い人のように、
光明:地上における人の生涯は戰役《たたかい》にして、その日は傭われ人の日の如し。奴僕《しもべ》が日陰を望むが如く、傭われ人がその仕事を終るを待ちかぬるが如く、
KJV:Is there not an appointed time to man upon earth? are not his days also like the days of an hireling? As a servant earnestly desireth the shadow, and as an hireling looketh for the reward of his work:

 こうしてみると、戦争・傭兵と訳しているのは文語のみで、その他がおおむね苦役、雇い人。光明社が戦役、傭われ人ですからちゃんぽんになってますね。バルバロも同様です。
 なお、フラ訳の注には、

 「苦役」については ヨブ14:14イザ40:2参照。なお文字どおりには「兵役」。「日雇い労働者」には、とあり、イスラエルで徴兵制を敷いたのはサウロであり( サム上14:52)、さらにこれを強化したのはソロモンである( 王上9:19 王上10:26参照)。軍隊生活はある程度、奴隷生活のようなものなのである( ルカ7:8参照)。なお、パウロはキリスト信者はイエズスの兵士に等しい者であると述べている( 一コリ9:7 フィリ2:25 二テモ2:3-4 フィレ1:2参照)。「日雇い労働者」は、その日その日に賃金を受ける( 申24:15 マタ20:8,12参照)。なお、この語には「傭兵」の意味もある。

という解説があります。だから本当は新共同訳が正しいんでしょう。新共同訳はフラの系譜につながるものですから、フラの意見を取り入れてフラよりになったんでしょうね。

 じゃ、そろそろヘブライ語原典を出してみましょう。

הֲלֹא־צָבָא לֶאֱנֹושׁ [עַל־ כ] (עֲלֵי־אָרֶץ ק) וְכִימֵי שָׂכִיר יָמָיו׃
כְּעֶבֶד יִשְׁאַף־צֵל וּכְשָׂכִיר יְקַוֶּה פָעֳלֹו׃



 BHSのほうには
http://www.scripture4all.org/OnlineInterlinear/Hebrew_Index.htm
のインターリニアの画像をはりつけちゃいました。ただこのインターリニア、左から右に読んでください。1語の中は右から左なんですが、語は左から右に流れていきます。
 こうしてみるとポイントはצָבָא(ツァバー)。インターリニアではenlistment(兵役)と訳してます。Davidsonではwarriors、soldiers。
 それに対してשָׂכִיר(シャキール)のほうはhired-one。Davidsonではhired labourer。
 こうなると、ちゃんぽんだった光明社(ヴルガタ直訳)やバルバロが一番正しかったっていうことですね。ヴルガタは
militia est vita hominis super terram et sicut dies mercennarii dies eius
sicut servus desiderat umbram et sicut mercennarius praestolatur finem operis sui
militiaが兵役、mercennariusが日雇い人ですから。バルバロは必ずしもヴルガタ直訳ではありませんが、ここはヴルガタの影響を受けて正しかったのか、ちゃんと原典を見て正しかったのかは不明です。
 まあ、兵役で雇い人ってことは傭兵ですから、文語、新共同も合格。

[80] 1ニフ12章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/04(水) 10:58:29 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ne&chapter=12&mode=0
 10章以後、「リーハイとニーファイによる黙示録」的になっています。つまり10章の、お父さんリーハイの見た夢の話をうけ、11章からニーファイは、みたまと天使に導かれ、未来のことを見せられます。
 11章まではイエス様の話だったのですが、今回はうち続く戦争の話。
 特に19節以降、兄レーマンの子孫と、自分・ニーファイの子孫とが争い、ニーファイの子孫のほうが敗れてしまう、そしてレーマンの子孫は無信仰に陥って肌の色が黒くなることを見られます。
 レーマンの子孫がアメリカ・インディアンであるというのがモルモン教会の教えなのですけど、ここは民族差別的であるとキリスト教陣営からよく突っ込まれるところです。もっとも私は、じゃアメリカのキリスト教ってどれほど民族差別に反対してきたかって言いたいですけどね。まったく無力、むしろ差別を助長してきた。黒人にイスラム教信者が多いのは、はっきりいってキリスト教が救いにならなかったから。神様の前の平等をうたうイスラム教のほうが救いになったのです。

[79] 1マカ4章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/04(水) 10:49:00 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ma&chapter=4&mode=0
 昨年度の記事は[0:559]
 ルシア(リュシアス)の選んだ三人の実力者の一人、ゴリギヤ(ゴルギアス)は、ユダの軍に夜襲をかけますが、いちはやくそれを察したユダは軍を移動させて、逆にふい打ちをします。ユダの軍は兵士も少なく武器もろくになかったのですが、この作戦で大勝利をします。
 リュシアスは翌年に大軍を率いて再びユダを攻めますが、ユダの前に敗北します。
 勝利したイスラエルの民は神殿を再建し、その日を祝日とします。

 あらまあ、昨年度とまったく同じだわ。でも、こうまとめる以外にほかないじゃん!

[78] 詩編9-11編 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/04(水) 10:45:43 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=psa&chapter=10&mode=0
 昨年度の記事は[0:423]
 ここからは要注意。LXXやヴルガタでは9編と10編をまとめて一つの詩としているので、以後は詩編のほとんど最後(147編)まで、現行の編番号と1つずつズレるのです(現114-116では2つズレ)。カトリック系の聖歌や宗教音楽で詩編を使ってる場合、番号が違うことがありますので、しっかり確認しないと間違えます。

 9編は敵を倒す力となってくれる神様への信頼を詠んだ詩。
 これはTroubleというヘビメタ・ロックバンドがロックにしたものをお聞きください。

(http://www.youtube.com/watch?v=q7E2j-Ut6iE)

 10編は逆に、なかなか敵を倒してくれない神様に、隠れてちゃダメよ、立ち上がってちょうだいと催促しています。

(http://www.youtube.com/watch?v=NNUwJYBdJGc)

 11編の歌い手も敵に直面していますが、主を信頼して立ち向かいます。10編と同工異曲の動画ですけど、ご覧ください。

(http://www.youtube.com/watch?v=k5WKnrPT6KU)

[77] 1ニフ11章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/03(火) 11:46:40 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ne&chapter=11&mode=0
 モルモン経の「真理子のおまけ」(口語訳聖書を選んだときに出てくるモルモン経)は、モルモン教会が訳した57年版口語訳そのまんまなんですけど、一部仮名遣いや文字表記がおかしいのでそういうところは「真理子のおまけ」のほうは変更することにしました。変更する前のものは57年版口語訳は「Mr.口語57」で出てきます。

 10章から話がキリスト誕生予言になりましたが、「みたま」および天使によって示される点が黙示録的ですね。
 今日はマリア様の話と、イエス様が世の罪をあがなうために十字架にかかった話です。

[76] シラ書4章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/03(火) 11:20:15 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=4&mode=0
 あらまあ。昨年読んだはずなんですが掲示板にアップされてないわ。
 新共同訳では10節までが「貧者への施し」、11-19節が「知恵の試練」、20節以降が「正しく行動せよ」とあります。このように前中後で話題が違いますし、よく読むとその中でもいろいろ雑多なことわざがあるんですが、あえて強引にまとめれば、「謙虚に正しく」ということでしょうか。謙虚であってこそお金に強欲にならず貧者への施しができ、いいかげんなことも言わず、正しい生き方ができるということですね。
 あとは個別に気に入ったことわざを見つけることです。私は27-28節の「愚か者の尻に敷かれるな。権力者の顔色をうかがうな。死を賭してでも真理のために戦え。主なる神がお前に味方して戦ってくださるだろう」が好き。こういう部分を選んでしまうのは私はやっぱり過激なんでしょうね。

[75] ヨシュア記16-20章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/03(火) 11:11:39 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jos&chapter=16&mode=0
 昨年度の記事は[0:419]
 「名簿の楽しみ」の話は昨年度に書きましたのでご覧ください。
 聖書を普通に通読している人にとってはこういう部分は無味乾燥。すっとばしちゃうところでしょうけど、こういうところの読解に無上のよろこびを感じてこそ聖書ヲタなのです。ぜひ正月休みに、聖書地図をひっぱり出して、ここに出て来る地名をチェックしながら、部族ごとの割り当て地図を独自に作成していくことをお勧めします。
 イスラエル十二部族は覚えてますか? 昨年度は[0:434](ヨシュア記の次の範囲)のときに私が作りましたけど、いまは専用ページにアップしてあります。
http://www.babelbible.net/mariko/bib.cgi?doc=twelve&course=bib
 イスラエル十二部族は創世記29章以降に出てくるヤコブ(別名イスラエル)の十二人の子どもの名前に基づきますので、この歌は十二人の生まれたいきさつをそのままよみました。ラバンの二人の娘レアとラケル。姉はブスで妹は美人。ヤコブはこの二人およびそれぞれのそばめの計四人を妻にして、歌に出てくる順番で子をもうけました。彼らの子孫がそれぞれイスラエル十二部族になるのです。ただしレビ族は祭司専門なので「十二部族」というときには入りません。かわりにヨセフの息子マナセとエフライムを部族の始祖として十二にします。
 ちなみに「異教コース」で読んでいるモルモン経、1ニフ(ニーファイ第一書)によれば、モルモン経の主人公たちはヨセフの子孫ということになっていますが([56])、聖書ではそんな言い方しません。ヨセフの子孫はマナセ族とエフライム族の二つにわかれるので、どちらかをハッキリさせないとおかしいのです。
 で、部族ごとの割り当て地図というのは簡単なものができており、たいていの聖書地図にはのっています(でも一度自分で作って見るのがいいのよ)。口語訳聖書のものは著作権が切れているのでWikipediaにのっています。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/0c/JBS1956-B_map03.png
 「wiki 聖書地図」で検索するとたどれますけど、めんどいからうちのサイトでもアップしようかしら?
 昨年は[0:435]で部族配置の覚え方を提案しましたが、ちょっと手を加えて歌にしてみました。
   アセ、ナフ、ダーンが最北で
   湖畔はゼブ、イサ、半マナセ
   ガドとルベンは川むこう
   マナ、エフ、ベニ、ユダ、ダン、シメオン
 もう少し推敲してから十二部族を覚える歌の5番にしますね。
 ワンコーラスにおさめたかったので部族名も略しました。
 歌のとおり、最北がアセル(アシェル)、ナフタリ、ダン。なお、ダンはもともとペリシテ人の隣だったのですが、そこだけじゃ足りないので自主的に北部を攻略したのです(ヨシュ19:47)。
 湖畔というのはキンネレテ湖(ガリラヤ湖)。この湖畔の西側がゼブルンとイサカル。湖畔東側が半マナセ。
 ヨルダン川のむこうがガドとルベン(レウベン)。
 あと、川の西側をほぼ北から順に半マナセ、エフライム、ベニヤミン、ユダ、ダン(のもともとの地)、シメオンというわけです。

[74] 1ニフ10章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/02(月) 09:22:39 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ne&chapter=10&mode=0
 ユダ王国滅亡を予言してエルサレムを追われたお父さんリーハイは、こんどは別の予言をします。
 それはこの時代から六百年後、つまり西暦紀元1年ごろにメシヤがやってくるというのです。もちろんイエス様のことです。そしてそれに先だって預言者ヨハネ(そういう名前だとは言ってませんけど)が登場するということまで予言します。
 モルモン経はイエス・キリストについてのもうひとつの証(あかし)ということになっていますが、いよいよイエス様の話が出て来たというわけです。

[73] 詩歌4章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/02(月) 09:13:22 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=ode&chapter=4&mode=0
 昨年度はありませんが、ハバクク書からの抜書きですので、[0:907]もごらんください。
 バビロン捕囚の直前、絶望のどん底にあって、神様は私たちを見捨てるのかと叫ぶハバククに、神様は「義人は信仰によって生きる」と答えます。これ、パウロがロマ書で使ってますね。これがハバクク書1-2章。
 今回の祈りはそれに続くもので、ハバクク書をしめくくるものです。絶望的な状況の中にあっても神様の力を信じ、その強い力で民を救ってくれるはずだと、希望を回復して祈ります。

[72] 創世記12-15章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/02(月) 07:05:11 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=gen&chapter=12&mode=0
 昨年度の記事は[0:418]
 信仰の父アブラハムの話。まだこの時点ではアブラムという名前ですが、わずらわしいのでアブラハム、妻のサライも後の名のサラで行きます。
 彼はおいのロトとともにハランにいます。ハランというのはシリア北東部、トルコやイラクと国境を接するあたり。今ではクルド人の住む地方です。
 神様はなぜかアブラハムに声をかけ、カナン、つまり今のイスラエルに移住しろと言います。彼は移住し、ベテルの東の山に祭壇を築いて神様を拝みます。今のエルサレムよりちょっと北です。
 そこからネゲブ(イスラエル南部の砂漠地帯)に移住しますが、ききんが激しくなりエジプトに移住。ここで妻サラをいつわって妹だと言い、それがバレてエジプトを追われ、ベテルに戻ります。
 ここでロトと別れ、ロトはヨルダンの低地に、アブラハムはカナンに住みます。
 古代の世界大戦のような戦争にロトがまきこまれるとアブラハムはロトを救出します。
 神様は再びアブラハムに声をかけ、子どものないアブラハムに子が生まれ、子孫がカナンの地で繁栄することょ約束します。

 さて、アブラハムは信仰の父であり、この時代はイスラム教やキリスト教はおろかユダヤ教もありません。後の時代の信仰者なら、アブラハムが神様の言うことを聞いて行動したことをさも当然のように思い、何の疑いも持たないでしょうが、この時代の神様は実績ゼロです。ノアを救い出したとはいえ、アブラハムがノアのことを知っていたとはとても思えません。
 ノアにしろアブラハムにしろ、まるきり実績ゼロの、どこの馬の骨とも着かぬ神様の言葉を聞き、それを実行したわけです。
 これってすごいことです。
 ヤハウェだかヤッハンベーだか知らないけど、「おれはヤッハンベーの神から啓示をたまわった。いまから飛行機をつくるぞ」とか「今からインドに行くぞ」と言ったらほとんど狂気でしょう。
 たぶん神様は、ノアやアブラハム以外にも無数の人に声をかけたんでしょう。ところが99.9%の常識人は、そんな声を妄想、夢だと思ってとりあわない。0.1%のヘンな人が行動を起こした。それがノアでありアブラハムなんでしょう。
 ほとんど狂気のような先見の明なんでしょうね。
 12-15章のアブラハムの行為は、すべて神様の指示にしたがってるようで、実は神様の介入は最初と最後しかありません。途中のエジプト移住とか、妻を妹と偽った話とか、ロト救出の話なんかは神様の指示じゃありません。神様が声をかけなくてもアブラハムは行動の人なのです。そういう人が、素直なんだか狂気なんだか知らないけど、神様の声にしたがったという、そのこと自体が奇跡です。

 なお、アブラハムがキリスト教徒でもユダヤ教徒でもなかったのに神様に救われたということは、後の時代に、洗礼を受けなくても律法を守らなくても救われる、という根拠としてひきあいに出されたりします。同じように、14章の古代世界大戦に登場する祭司メルキゼデク(創14:18)は、どう考えてもレビ族でもなければましてアロンの子孫でもないので、ユダ族のダビデの家系のイエスが大祭司になりうるという根拠としてひきあいに出してるのがヘブル人への手紙です。こんなふうに、信仰が確立する以前の話というのは、信仰の形式なんかどうでもいいという話で引き合いに出されます。

[71] 1ニフ9章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/01(日) 18:23:20 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ne&chapter=9&mode=0
 ここも6章みたいにやたら短いのでイヤな予感がしたのですが、案の定、6章のような言い訳です。つまり、本当に完全なものは別にあって、私たちがいま読んでいるものは省略版だというんです。いま私たちが読んでいるものに「うーん、これちょっと、できのよくないお話しね」と突っ込む人に対して、防御をしているんです。ときどきこういうヘンなことを書くクセがあるんですね。J・スミスJr教祖さまは。

[70] 3イミ3章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/01(日) 18:20:01 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=3ic&chapter=3&mode=0
 一般に、人は神様と直接ことばを交わすことはできないとされています。ですから神様は昔は預言者を通して人々にお語りになったのです。そしてこの終末のときには御子イエス・キリストを通して人々にお語りになるのです。ということがヘブ1:1-2に語られており、今日の3イミ3:1にもこれが引用されていますね(でもなぜか、イエス・キリストを通してというほうは引用されていません)。
 だからこそお祈りの最後は「この祈りを、主イエス・キリストのみ名を通して、み前にささげたてまつります。アーメン」なんてやるんです。ダイレクトに祈ったって神は聴いてやくれない。
 でもイミタチオの著者は、神様は人々に直接語りかけることができ、今に至るまで人に語るのをやめたことはないと言っています。そして私たちも、世間の声にではなく、神様の声に心を用いて聴かねばならないと言っているのです。そういう点がユニークです。
 しかも、神様が人に語りかけるやりかたは、誘惑と慰め。誘惑や試みも、実は神様が私たちに語りかけているんです。誘惑に打ち勝つことによって、自分の気持ちが本当かどうか確かめられ、強くなっていくってこと、ありますから。

[69] ロマ書5-6章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/01(日) 15:29:29 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=rom&chapter=5&mode=0
 昨年度の記事は[0:516]
 パウロのいう「義とされる」というのは、最後の審判で合格して神の国に入れるということを意味します。パウロは「終末が近い」「最後の審判が近い」「生きてるうちに最後の審判が来るぞ」という切迫した意識を持っていたことを思い出してください。
 そして、最後の審判で不合格になると永遠の死が待っています。死は罪の結果だからです。罪びとと認定されたわけですから永遠に死ぬのです。
 もともと人間は不死でしたが(ウソつけ! 創世記ではアダムは生命の木の実を食べてないぞ! とも思うのですが…)、アダムが食べちゃいけない善悪の知識の木の実を食べてしまったために死ぬようになってしまいました。まったくアダム一人のせいでとんだことになったものです。
 でも、アダム一人のせいで全人類が死ぬ運命に見舞われたくらいですから、イエス様一人のせいで全人類に神の国での永遠の生を賜ったとしても、ちっとも不思議ではありませんね。
 これが5章でパウロの言ってることです。
 では、全人類が救われるのでしょうか?
 6章3-5節を見ると、洗礼を受けた私たちこそ、神の国での永遠の生にあずかることができるって書いてますよね。
 だからこそパウロは、死に物狂いで世界へ宣教に出かけたんです。
 最後の審判が近づいている。最後の審判に合格するための条件は、洗礼を受けることだ、っていうわけですから。

 私はこのパウロの考え方には承服しません。
 神様はNHKみたいに「公開収録への参加は受信料を払った人だけ」なんてケチくさいことを言わず、キリスト教徒じゃなくても、洗礼を受けてなくても救われる可能性は十分にあるし、逆に洗礼はまったく救いの保証とはならないと思っています。信者になったから安心なんていうのは甘い甘い。絶えず修養し、よい生活をすることだと思っています。
 ちなみに最後の審判は、私に言わせれば、各自の死後即座に、随時開催されているんです。そして合格したら次の生をスタートさせることができます。生まれる先はこの世です。この地球のどこかです。神の国はこの世なんですよ。だってこの世は神様のはからいが及んでいるんでしょ?
 不合格者は永遠の死。あるいは、人間以外の動物への転生かもしれません。

[68] クルアーン6回 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/31(土) 09:35:19 コメントする ここから閲覧

 クル-6回。第2章172-202節。
 今回の主要な話題は巡礼。Wikipediaの「ハッジ」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%83%E3%82%B8
をあわせて読むといいでしょう。
 マッカ(メッカ)への巡礼はイスラム暦8-10月に行われます。それ以外の時期にやるのは、Wikipediaでは小巡礼と書いてありますが、私は「略巡礼」と訳してみました。
 アラファートのこともWikipediaに書いてありますが、巡礼の最後に訪れる山があるのです。

[67] 1イミ3章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/31(土) 09:29:03 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ic&chapter=3&mode=0
 「真理からの教訓」とありますが、前章に引き続き、謙遜の大事さということでもあります。こんなふうにイミタチオは、章と章の間でパッと話題が変わっていることは少なく、だいたい前章の話をひきずっています。というより、イミタチオで言ってることは、たった一つ、神様にしたがって生きよ、ということであり、そのことを手を変え品を変えて言ってるだけだとも言えるので、同じような話が何度も繰り返されることになるのです。
 人間の理性には限界があり、神様によってこそ真理を得ることができるのです。理性を尊ぶことは自分を偉いもの、すぐれたものとみなすことになりますが、そんな偉さなどすぐに消えてしまいます。真に偉大な人は、自分をへりくだって、ひたすら神を求め、偉大な愛を持つ人というわけです。

[66] マタイ5-7章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/31(土) 07:50:18 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mat&chapter=5&mode=0
 昨年度の記事は[0:413]
 今年度の「真理子の聖書日記」は、昨年の話とできるだけかぶらないように書く予定なんですけど、今回はあえてかぶります。
 昨年は主に、山浦玄嗣先生のケセン語訳の話をしました。山浦先生のおすまいは、ケセンとはいっても宮城県側の気仙沼じゃなく岩手県側の大船渡。まあいずれにせよ東北の沿岸一帯がたいへんなことになってしまうとは、昨年これを書いていた時点では想像もしていませんでした。
 私は被災地にまったく親戚がいないんですが(盛岡にはいますけど盛岡はたいした被害ないですから)、しいていえば、この山浦先生の消息が、震災後しばらくつかめなかったので、心配に思っていました。ヤフーの安否情報で([0:588]参照)ご無事を確認したほどです。ご無事でなにより、それどころかケセンならぬ「セケン語」で新約聖書を新たに訳したり、文春新書から本を出したり、テレビにも出たりと、ご活躍なさっておられましたね。
 ケセン語訳の「主の祈り」の最後は、「おらぁ心ぁ闇に迷わねぇように/災難、難儀の起きねぇように」だったわけですが、たいへんな災難、難儀が起きてしまいました。祈りは聞かれなかったのかしら。でも、それをはねのけてこのように活躍なさる山浦先生のお姿を見ると、やっぱり神様っていらっしゃるのかしらね。
 祈りっていうのは、一見かなわなかったように見えるときに、それをどう解釈して生きるかが大事なんじゃないかしら。

 ともかくいろんなことのあった一年でした。
 よく言われるのは、敗戦を機に戦前、戦後と時代がわかれるように、震災を機に震災前、震災後(災前、災後なんて言葉もできたみたいですけど)とわかれる、という議論がありますね。でも、どうなのかしら? 本当に時代が震災を期に劃されるかどうかは、少なくとも十年くらいたってみないとわからないんじゃないかしら。少なくとも政府や東電、また原発を支持する経済人や保守系文化人の方々は、震災を期に生き方が変わったとはとても思えません。むしろ、今までの生活を維持しようとしているんじゃないかしら。かといって、じゃ震災を期に生き方を変えなきゃならないかというと、真理子はそっちのほうにも懐疑的です。いずれにせよ、十年たったときに私たちの生き方が本当に変わったのかどうかを振り返ってみたいと思います。

[65] クルアーン5回 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/30(金) 12:02:40 コメントする ここから閲覧

クル-5回。第2章142-171節。
 イスラム教徒の礼拝の方向は、当初はエルサレムの方向だったそうですけど、後にマッカ(メッカ)の方向に変わりました。そんな話がいろいろと書かれています。
 主人のパソコンにはIslamic Finder http://www.islamicfinder.org/ のアザーン・ソフトが入ってます。礼拝の時刻になると「アッラー・アクバル」と怒鳴ります。夏なんか朝の礼拝は午前3時台になったりするのでびっくりします。
 で、このアザーン・ソフトは、マッカの方向も表示してくれるんですけど、横浜からだと西北西なんですね。アラビアだから南西かと思ったら、地球が球体なので西北西になるんです。
 以前、黒人のイスラム教徒が宇宙飛行士になったとき、宇宙空間で彼はいったいどっちの方向を向いてお祈りするんだろうというのが話題になったことがありますが、地球近辺だったら問題は簡単に解決する気がします。イラン航空の飛行機に乗るとちゃんと方角が出てくるんだそうですしね。月まで行っちゃったらそもそも地球を向いてお祈りすれば確実よ。
 礼拝の時間だって、日の出や日没の実時刻をもとに決められてるんで、北極圏・南極圏に近いとそもそも日が出ないとか日が沈まないなんてこともあるわけですけど(宇宙空間だとなおさらだわ)、そんなときはその近辺の地域にあわせて適宜アレンジするそうですから、宇宙時代になってもイスラムは不滅よ。

 そんなことより問題なのは、日本では家を建てるとトイレはたいてい北西側に作ります。すると、マッカの方向にお尻が向いてる可能性があるわけで、日本でムスリム/ムスリマの生活をすると意外なところに問題点が浮上するわけですね。

[64] 知恵の書3章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/30(金) 11:44:24 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=wis&chapter=3&mode=0
 昨年度の記事は[0:666]
 ここは私にはつらいわ。
 子どもがたくさん生まれて家が栄えるのを主の恵みととらえているので、逆に、子どもができないこと、育たないことは主の罰ということになっちゃう。だから「姦淫をおこなう者の子らは育たず、不義の関係から生まれた者は消えうせる」(16節)だの「不義による子孫の末路は悲惨である」(19節)という発想になっちゃうのね。
 こんな昔の考えは無視しちゃってもいいんだけど、私に子どもができないのは、やっぱり私が不義の子だからかなって、ふと思ったりもします。

 私が生まれるころ、母は創価学会の地区の幹部と不倫をしていました。だから父はいつも酔うと「お前はおれの子じゃない」って私にあたってきました。真相はよくわかりません。母が不倫をしていたのはまぎれもない事実なんですが、相手は私が生まれてほどなく事故死、中学生になってこういう話をいろいろ聞いた私が母に問い詰めたところ、否定も肯定もせず「お前が大人になったら教えてあげる」と言ったきり、母は私が高校3年生のときに秘密を墓に持ってってしまいました。
 そんなわけで私はたぶん不義の子なんでしょう。いえ、たとえ父の実の子であったとしても、こんなふうに父を憎み母を憎みながら育った私には、どちらでもいいことです。こうやってひねくれて育った私の胎を主は閉じてしまわれたんでしょうかしら。これだけさんざんセックスしても子どもができません。
 でも私と違って主人のほうは、父親母親の愛をいっぱいに受けて育ったし、私と出会った45歳までセックスを2回しかしたことがないという潔癖さ(でもたった2回でも女を買ったのは不義なのかしら?)なのに、生殖能力が弱いんだから、ヤハウェくんはいったい何を考えておられることやら。
 いいわ、もう一生2人きりで生活すると決めたから。
 でも、主人か私かどちらか一方が死んだら、生き残ったほうはどうやって生きていけばいいのかしら? 死んでも誰にも知られず、まともな葬式もされずに焼かれちゃうんでしょうね。
 いま、創価学会からやっと解放された私たち夫婦は、わが家の宗教を決めるため、いろんな教会を巡礼中なんですけど、ちゃんと教会の人たちに葬式をしてもらうためには、近場の教会、そういう人のつながりが密な教会を選んだほうがいいかしらね。礼拝がゴージャスだとかいう選び方もいいけど、やっぱり宗教選びは、最後は「人」かしら?

[63] イザヤ書12-17章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/30(金) 11:22:58 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=isa&chapter=12&mode=0
 昨年度の記事は[0:411]
 イザ14:28に「アハズ王の死んだ年にこの託宣があった」とあります。アハズ王が死んだのはBC715です。こういうのをパッと見られるように、「南北の王名を覚える歌」とともに専用ページ
http://www.babelbible.net/mariko/bib.cgi?doc=kings&course=bib
を作りましたので見てください(真理子日曜学校の「聖書入門」)。
 8番にあるように、アハズ王は北が滅んだときの王なんです。これはしっかり覚えておくといいです。
 北がアッシリアに滅ぼされ、南も相当な危機感を持っていた時代。そういう時代背景がわからないと、14章なんか何言ってるのかわかりません。つまり北は滅んじゃったけど神様はまた北の地にイスラエルの民の国ができ、アッシリア(バビロンの王とも呼ばれています)も滅ぼされるという希望の預言をしているんです。
 「黎明の子、明けの明星」( イザ14:12)は、なんかロマンチックでキレイな感じですけど、実は金星っていうのは悪魔ルシファーの象徴なんです。夜明けの一時期は派手に輝くけどやがて太陽が上ると消えてしまうのですから。アッシリアもこんなふうに消えてしまうぞと言ってます。

[62] 1ニフ8章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/29(木) 12:33:25 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ne&chapter=8&mode=0
 リーハイは夢を見ます。その夢の意味するところは、どうも上の息子レーマンとレミュエルは傲慢さのために自滅するということのようです。そこでリーハイはこの二人をさとします。

[61] トビト記3章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/29(木) 12:30:17 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=tob&chapter=3&mode=0
 昨年度の記事は[0:387]
 トビト記のもう一人の主人公サラの登場。
 昨年も書きましたけど、初夜で男を殺してしまう女っていうのは、ずばり性欲絶倫のカマキリ女なのです。横で主人が「それはお前のことだ。おれはお前に食い殺されそうだ」などと言ってますが無視します。
 今年は女奴隷の話をしましょう。この女奴隷は奴隷の分際で主人になんてひどいことを言うのかと思ってよくよく読むと、この女奴隷はサラに仕えているのではなく、サラの父ラグエルに仕えているんですね。だからこういうことが言いやすいのかもしれません。
 しかし、本文には書かれてませんけど、これだけひどい言われようをするってことは、サラってけっこうキツい性格なんじゃないかと思います。ふだんからこの女奴隷につらくあたっていたんでしょう。でなきゃいくら何でもこんなに言われるはずがありません。
 性欲絶倫女ってけっこう性格キツいですからね。横で主人が「やっぱりお前のことだ」と言ってます。

[60] ヨブ記5-6章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/29(木) 11:52:51 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=job&chapter=5&mode=0
 昨年度の記事は[0:410]
 リビングバイブルのヨブ記もあわせてお読みください。
http://www.biblica.com/uploads/pdf-files/bibles/japanese/ot/job.pdf

 ヨブ記は要約してしまうとちっとも面白くありません。「教条主義的な友人たちの忠告にヨブが反論する」だけでおしまいになってしまいます。
 そこで、あらすじとはまったく関係なく、面白い表現をとりあげて味わっていくことにします。

 今日は ヨブ6:6「すべりひゆのしる」(口語訳)について。
 これ、何かと思ったら
http://www.toakasei.com/products/plant/porturaca.html
かゆみどめなどに皮膚に塗る薬じゃない。メンターム、タイガーバームのたぐいでしょうか?
 でも、メンタームって口に入れても大丈夫なのかしら? まあ、口に塗るリップスティックも売られてるくらいだから、害はないんだろうけど味はなさそうね。
 それにしても、本来口に入れるものじゃないのを例にあげるなんて、ヨブ記の作者は何を考えていたんでしょう?
 ヘブライ語ではחַלָּמוּת(ハッラムート)です。うちのヘブライ語辞典
http://www.babelbible.net/davidson/davidson.cgi
では、Davidsonで260ページ、Geseniusで262ページ(どちらもחלםの項)です。長々と説明が書いてありますね。
 要するにわかんないんですよ。岩波訳の注を引用しますと、

原語ハッラムートは旧約ではこの箇所だけで、同定は困難。古代語訳はさまざまで、ペシッタ、タルグムの一つは「卵の白身」。七十人訳は「空虚な言葉の数々」で、エリファズの弁論が食えない代物であることを示唆する。

ってことなんです。ここにしか使われてない言葉だから、何だかよくわからないってわけですね。
 ヨブ記って、舞台がエドム地方だということもあるのか、ヘブライ語がヘンなんですね。わけのわからない箇所がうじゃうじゃあるみたいです。
 さて、諸家の格闘の跡を見てみましょう。

●卵の白身系
 文語訳(旧約だから明治訳しかありません)は、蛋《たまご》の白《しろみ》。これはKJVのthe white of an eggそのまんまですね。この「卵の白身」系統はいろいろあって、たとえば、
   バルバロ(旧新とも):卵の白身
   フラ:卵の白味
   新共同(共同も):玉子の白身
   新改訳:卵のしろみ
   リビング:生卵の白身
   回復:卵の白身
 でも私は言いたい。卵の白身に味がないなんていうのは料理の仕方が悪いんです。卵の白身はメレンゲの原料じゃありませんか。
 ところで日テレの「メレンゲの気持ち」ってどういう意味なんでしょう?

 光明社:味《あじわ》わば死を来《きた》すもの。光明社訳はヴルガタの忠実な訳ということに特徴があり、ヴルガタはquod gustatum adfert mortemとなっているのをそのまま訳したのです。
 上の岩波の注にあるように、LXXは「ῥήμασιν κενοῖς」(空虚なことば)となっているので、ヴルガタはまるっきり創作しちゃってますね。
 なお、「カトリックはヴルガタを大事にするから昔のカトリック陣営の翻訳はみんなヴルガタに違いない」という思い込みは相当強いようで、田川建三さんや、最近では『旧約聖書と新約聖書』(新教出版社)の上村静先生までが、「バルバロはヴルガタが底本」なんてまちがったことを書いてますが、ここの訳を見れば、バルバロがヴルガタじゃないことは明白です。今後Twitterでこの手の妄言を見かけたら、バスター真理子は駆除に乗り出します。

●粘液系
 口語訳の「すべりひゆのしる」の系統ですね。これはRSVのthe slime of the purslaneを訳したものみたいですね。口語訳は実質的にRSVを底本にしているというウワサがありますが、ここはその証拠かしら。この系統は、
  新世界:うすべにたちあおいのねばねばした汁
  岩波:あの草の汁

●チーズ
関根:ねばねばしたチーズ。Davidsonの説明中にちらっと書いてあったように、実はチーズ説もあるんです。でも関根先生はぜんぜん料理をやらないみたいですね。「ねばねばしたチーズが食欲をそそろうか」なんて訳してるけど、カマンベールチーズのとろっとしたところは食欲をそそるじゃない!

●翻訳放棄!
現代:尾山令仁さんは6章全体を「意味も理由もない苦しみに、どうして耐えられようか」と訳してます。はっきりいってこれは翻訳じゃなく解説です。これは文学に対する冒涜です。文学というのはあらすじや解説を読めばそれでいいわけじゃありません。どういう表現が使われているかを味わうものです。

[59] 1ニフ7章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/28(水) 10:33:37 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ne&chapter=7&mode=0
 言わずもがなの言い訳(6章)のあと、話は元に戻ります。
 リーハイの息子たちはみんな独身なので、このまま約束の地へ逃げても子孫ができません。そこで結婚をしようと、イシメル一家を訪れます。
 ところが上の二人の兄、レーマンとレミュエルはまたも不平を言い、それをいさめたニーファイを縄でしばってしまいます。神様の奇跡やイシメル家の人々のとりなしもあってこの場はおさまり、一行は父の天幕に戻ります。


 なお、イシメルというのはIshmaelですから、イシマエルとしたほうが旧約聖書やクルアーンなどとの相性がいいのですが、「真理子のおまけ」(口語訳聖書でモルモン経などを表示させたときに出てくる真理子独自テキスト)のモルモン経は真理子訳ではなく、モルモン教会の作った57年版そのまんま。著作権はもうないので使わせていただいてますが、勝手に変改するのははばかられますので、イシメルのままにしてあります。
 でもどうしようかな。57年版モルモン経って「つずける」とか「仰せ(おうせ)」とか、仮名遣いがヘンなんですよね。57年版モルモン経は別に表示できるんだから、真理子のおまけのほうはいろいろ変えちゃおうかなぁ?

[58] 1マカ3章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/28(水) 10:23:53 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ma&chapter=3&mode=0
 昨年度の記事は[0:556]
 祭司マタテヤがセレウコス朝シリアのアンテオコス・エピパネスへの戦いをはじめながら、志半ばで没したところまでが先週の話。
 マカビオ(マカビー、マカバイ、マカベア)というギリシア語名を持つユダへの賛歌が最初に掲げられ、いよいよユダの戦いが始まります。
 戦力が手薄ながら指揮官セロンの軍を破った話が最初にありますが、どうやって勝ったのかが書かれていないので、あんまり面白くありません。
 アンテオコス王は怒りに燃え、王族のルシアを任命し、戦いに当たらせます。自分はというとペルシアへの遠征に行ってしまいます。
 ルシアはプトレミオ、ニカノル、ゴルギヤという三人を指揮官に任命し、ユダと戦わせます。絶体絶命のユダたち。もう勝ち目はないぞというんで、生き残った奴らを奴隷にしようと早くも商人たちが手ぐすね引いて待ってる状態。さあどうなりますことやら、というのが今日の話です。

 ところで最初の賛歌にあるように、ユダは敵に対して立ち上がっただけでなく、味方に対しても律法を守らない人を殺したりと、けっこう恐怖政治をしています。こういう面も見逃さないようにしましょう。

 49節にある「ナジルびと」というのは、そういう民族・部族があるのではなく、誓願をたてて斎戒して祈る人々のことです。いろんなところで出てくる用語ですので知っておきましょう。私は「修験者」「修行者」と訳したほうがいいような気がするんですけどね。