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2024年4月19日(金) 通読(本日=エレ42-46,バル2,クル-41回 明日=ルカ5-6,1イミ21,クル-42回)

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節表示・修正口語訳(日本語R)+真理子のおまけ 解題
〔57年モルモン経〕ニーファイ第一書 第11章
第十一章
ニーファイと主の「みたま」。リーハイの見た予言の夢の解き明し。ニーファイの見た処女と神の御子の示現。キリストが福音を伝えたもうことを予め表す。

私は父の見たことを知りたいと思い、主は私にもまたそれを知らせたもうことができると信じて思いに耽りながら腰をかけていたが、私は主の「みたま」にとらえられて、まだ見たこともないし一度も足を踏み入れたこともない非常に高い山へやってきた。
「みたま」が私に「汝何をねがうか」と仰せになったから、
私は、父の見たものを見たいと思うと言った。
すると「みたま」は「汝は汝の父が語りし木を父が見たりと信ずるや」と聞きたもうたので、
私は、はい、私が父の言うことを何でも信ずるのは汝も知って居りたもうと答えた。
私がこれらの言葉を言うと「みたま」は声高らかに叫んで「いと高き神にまします主にホザナ。主は全世界の神にいましてすべての上にまします。ニーファイよ、汝はいと高き神の御子を信ずるによりさいわいなり。されば汝には望みのものを見すべし。
汝は父の食したる実を結ぶ木を見てより、また一人の男の方が天より降りたもうを見るべければ、このお方をよく仰ぎ見奉りそれよりそれが神の御子であると証をせよ。これ汝にとりてしるしとなるべし」と仰せになった。
そして「みたま」が「見よ」と仰せになるから見ると、私は一本の木が見えた。その木はちょうど私の父が見た木のようであって、美しいことはたとえようもなくどんな美しさもかなわぬほとであって、またその白さといえばまことに白妙の雪にもまさっていた。
私はその木を見てから「みたま」に私は汝があらゆるものに勝って貴い木を見せたもうたことがわかっていると言った。
すると「みたま」が「今何を願うや」と仰せになったから、
私は「みたま」に、今見たことの解き明しが知りたいことを人が人に物を言うように話した。それは「みたま」が人の形をして居たもうのを眼のあたり見たからである。しかしそれでも私はそれが主の「みたま」であることを知っていた。そして「みたま」も私に人が人に物を言うように話したもうた。
さて「みたま」が私に「見よ」と仰せになったから、仰ぎ見るように眺めると、早くも私の前を去りたもうていたからその姿は私に見えなかった。
私がまた眺めると、大きな都のエルサレムを始めそのほかの都市が見えナザレの町もまた見えた。そして私はナザレの町の中に一人の処女を見たが、それはまことに色が白く美しい処女であった。
この時私は天の開くのを見たが、一人の天使が天降ってきて私の前に立ち「ニーファイよ、汝は何が見えるか」と仰せになったから
私は一人の処女が私に見える、それはどんな処女にも勝って美しくまた麗しい処女であると言った。
すると天使はまた「汝は神のいつくしみ深いことを知っているか」とおたずねになったから、
私は神がその子供たちを愛したもうことを知っているがよろずのことの意味を知っているわけではないと答えた。
すると天使は「見よ、今汝が見る処女は肉体に宿りたもう神の子の母である」と教えて下さった。
私はそれからその処女が「みたま」につれて行かれるのを見た。その処女が「みたま」につれて行かれてからしばらくして天使が私に「見よ」と仰せになったから、
私が眺めると、その処女がまた見えてこのたびは一人の幼児おさなご*}を{*抱いていた。
天使が私に「神の小羊、まことに永遠の父なる神の御子を見よ、汝は父の見た木の意味を知っているか」と仰せになるから、
私はさよう、その木は神の愛であって人の心をあまねくうるおすものであるから、どんなものよりも好いものであると答えると、
天使は「そうであるそれは心にとって最も喜ばしいものである」、
と言ってからまた「見よ」と仰せになったから、私が眺めると神の御子が人々の中へ進んで行きたもうて多くの者がその足もとにひれ伏して拝むのが見えた。
私はまた父の見た鉄の棒は、生命のある水の源、または生命の木へ行く神の言葉であるのを覚り、また生命の水は神の愛を象り生命の木もまた神の愛を象るのを知った。
天使はまた私に「神のいつくしみ深いことを眺めて見よ」と仰せになったから、
眺めると、父の話した世の贖い主が見え、また贖い主の先に立ってその道の備えをするはずの予言者も見えた。また神の小羊が進み出でたもうて、予言者からバプテスマを受けたまい、バプテスマを受けたもうと天が開けて聖霊が天降り、鳩の下るように降って神の小羊の上に留りたもうのが見えた。
ついで私は小羊が出で行きたまい、能力と大きな栄光とを以て民に恵みを施したもうのが見えた。そしてその言葉を聞こうと多くの人々が集まり合ったがついにその中からかれらが小羊を追い出すのが見えた。
また私はほかに十二人の者がみあとについて行くのが見えたが、この十二人の者は「みたま」に連れられて私の前を去りその姿が見えなくなった。
すると天使がまた「見よ」と仰せになるから眺めると、私は天がまた開けて天使たちが人間に降りこれに恵みを施すのが見えた。
天使がまた私に「見よ」と仰せになるので眺めると、神の小羊が人々の中に出て行きたもうのが見え、また病気で多くの病に悩み悪鬼や汚らわしい霊につかれて多くの人々が見えた。天使はこれらのことを一々私に見せまた話をして下さったが、これらの人々は神の小羊の能力によっていやされ、また悪鬼や汚らわしい霊は追い出された。
天使がもう一度「見よ」と仰せになるから眺めると、人々に捕われたもう神の小羊が見えた。まことに永遠の神の御子は世の人に裁かれたもうのである。私はたしかにこれを見てその証をする。
私はまた神の小羊が十字架にかけられ、世の罪を贖うために殺されたもうのを見たが、
殺されたもうてから、世の多くの人々が寄り集まって主の使から「小羊の使徒」と呼ばれるあの十二人の者たちに向って戦をしようとするのが見えた。
かように世の多くの人々が寄り集まっていたが、かれらは私の父の見た建物のような大きな広々とした建物の中にいるのが見えた。この時主の使がまた「世の人々とその知恵とを見よ。まことにイスラエルの家の者たちが小羊の十二使徒に向って戦うために寄り集まっているのを見よ」と仰せになったが、
私はあの大きな広々とした建物は世の人々の高慢であることを見てその証をする。その建物やがて崩れてその崩れはことのほか甚だしかった。主の使は再び私に向って仰せになった「小羊の十二使徒に向って戦うあらゆる国民、あらゆる血族、あらゆる国語の民およびあらゆる人々の滅亡はまさにかくの如くであろう」と。

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