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2024年4月24日(水) 通読(本日=詩63-65,二マカ6,アル7 明日=箴1,ユディ8,アル8)

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節表示・修正口語訳(日本語R)+真理子のおまけ 解題
〔57年モルモン経〕ニーファイ第一書 第10章
第十章
リーハイ、バビロンのとらわれと、神の小羊の来りたもうことを予言する。イスラエルの全家を「かんらん」の木にたとえる。イスラエル人の散乱することと、その後集合することを予め表す。

さて私ニーファイは、私の行いと私の統治と私の教務とについて、この版に書き始める。それで私の記事を書き始めるには、多少私の父と兄弟たちのことを述べる必要がある。
ごらん、私の父はその夢の話を語り聞かせ、レーマンとレミュエルにあらん限り勉めはげめとすすめてから、ユダヤ人にかかわることを二人に話して聞かせた。
すなわちユダヤ人が亡び、またあの大きな都のエルサレムまでも亡びて、多くの住民がバビロンへ捕虜になってつれて行かれてから、主の定めたもうた時節になるとこれらの人々はまた帰ってくる。すなわちとらわれの身から救われて故郷へ帰るから、その後再び受け嗣ぎの地を所有する。
そして、まことに、私の父がエルサレムを去った時から六百年の後、主なる神はユダヤ人の中に一人の予言者すなわち一人のメシヤ、言葉をかえて言えば一人の世の救い主であるメシヤを起したもう、と言った。
父はまた予言者たちのことも話して、非常に多くの予言者が父の話したこのメシヤ、すなわちこの「世の贖い主」についてすでにこれらのことを証しているとも言った。
またそれ故に、すべての人類は神の御前から追い出され堕落している有様であるから、もしもこの贖い主に頼らなければいつまでもこの有様にあるであろうと言い、
また主の道を備えるためにメシヤに先立ってくる一人の予言者があることを話し、
まことにその予言者は荒野へ行って「主の道を用意してその道筋を真直ぐにせよ。汝らの知らない者が今汝らの中に立っている。それはわれよりも偉い者でわれはその者の靴の紐を解くねうちもない」と叫ぶであろうと言って、このことについてもなお多くの話をして聞かせた。
すなわち、この予言者はヨルダンのかなたのベタバラでバプテスマを施す、またバプテスマは水で施し、まことにメシヤに水でバプテスマを施す。
そしてメシヤに水でバプテスマを施してから、かれは世の人の罪を贖いきよめたもう神の小羊にバプテスマを施したことを見てその証をすると言った。
そして父はこれらの言葉を語ってから、またユダヤ人の間に宣べ伝えられる福音について、またユダヤ人が無信仰に陥ることについて私の兄たちに話をし、将来来りたもうメシヤをユダヤ人が殺すが、メシヤは殺されたもうてから死者の中からよみがえり、聖霊によって異邦人に現われたもうと言った。
まことに父は異邦人とイスラエルの家について多くの話をしたが、それはイスラエルの家はその枝が折れて全地の上に散る一本の「かんらん」の木にたとえられる。
それであるから、全地の上に散ると言う主の言葉がほんとうになるために、私たちはいっしょになって約束の地へ導かれて行くにちがいない。
そして、イスラエルの家は散ってからまた集まり合うであろう。つまり異邦人が完全な福音を受け入れてから、「かんらん」の木の元の自然の枝であるイスラエルの家の残る者たちがまた親木に接がれるであろう。すなわちかれらの贖い主であってかれらの主であるほんとうのメシヤを認めるようになると言った。
父が私の兄たちに予言をして言った言葉はこんな工合であった。そしてまた、もっと多くの話をしたけれども、そのことを私はこの書物の中に書かない。それは私のほかの書物に十分適当なだけそれを書いておいたからである。
さて、私が今までに話したことはみな私の父がレミュエルの谷に天幕を張って住んでいた時に起ったことである。
私ニーファイは、一つには父が示現の中で見たことについて、二つには父が来るべきメシヤである神の御子を信ずる信仰によって受けた聖霊の力で話したことについて父の語るすべての言葉を聞いたから、私ニーファイもまた聖霊の力によってこのようなことを見たり聞いたりまた知りたいと思った。聖霊の力とは昔の時代でもまたメシヤが世の人に現われたもう時でも、およそ神を熱心に求める者たちに神が与えたもう賜である。
神は昨日も今日もいつまでも同じにまします。すべての人が悔い改めて神にくるならば、世の始めからこれらの人に道が用意してある。
すべて熱心に求める者はその求めるものを得、神の奥義は聖霊の力によって、昔の時代のように今の時代にも、またこれから先の時代にも、昔の時代のように同じくこれらの者に開かれる。それであるから、主の履みたもう道はとこしえにかわることがない。
だから世の人々よ、汝らはみな自分のしたことに対して裁きを受けるようになることを記憶せよ。
それで、もしも汝らが自分らの試しの生涯で悪いことをしようとするならば、神が裁きをなさる座で自分たちが汚れていることが解るであろう。汚れているものは神といっしょに住むことができぬから、汝らは永久に捨てられなくてはならない。
聖霊は私にこれらのことを言う権能を下さり、これらのことを否定してはならぬと言いたもう。

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