[ばべるばいぶる]

真理子の聖書日記


このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
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[75] ヨシュア記16-20章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/03(火) 11:11:39 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jos&chapter=16&mode=0
 昨年度の記事は[0:419]
 「名簿の楽しみ」の話は昨年度に書きましたのでご覧ください。
 聖書を普通に通読している人にとってはこういう部分は無味乾燥。すっとばしちゃうところでしょうけど、こういうところの読解に無上のよろこびを感じてこそ聖書ヲタなのです。ぜひ正月休みに、聖書地図をひっぱり出して、ここに出て来る地名をチェックしながら、部族ごとの割り当て地図を独自に作成していくことをお勧めします。
 イスラエル十二部族は覚えてますか? 昨年度は[0:434](ヨシュア記の次の範囲)のときに私が作りましたけど、いまは専用ページにアップしてあります。
http://www.babelbible.net/mariko/bib.cgi?doc=twelve&course=bib
 イスラエル十二部族は創世記29章以降に出てくるヤコブ(別名イスラエル)の十二人の子どもの名前に基づきますので、この歌は十二人の生まれたいきさつをそのままよみました。ラバンの二人の娘レアとラケル。姉はブスで妹は美人。ヤコブはこの二人およびそれぞれのそばめの計四人を妻にして、歌に出てくる順番で子をもうけました。彼らの子孫がそれぞれイスラエル十二部族になるのです。ただしレビ族は祭司専門なので「十二部族」というときには入りません。かわりにヨセフの息子マナセとエフライムを部族の始祖として十二にします。
 ちなみに「異教コース」で読んでいるモルモン経、1ニフ(ニーファイ第一書)によれば、モルモン経の主人公たちはヨセフの子孫ということになっていますが([56])、聖書ではそんな言い方しません。ヨセフの子孫はマナセ族とエフライム族の二つにわかれるので、どちらかをハッキリさせないとおかしいのです。
 で、部族ごとの割り当て地図というのは簡単なものができており、たいていの聖書地図にはのっています(でも一度自分で作って見るのがいいのよ)。口語訳聖書のものは著作権が切れているのでWikipediaにのっています。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/0c/JBS1956-B_map03.png
 「wiki 聖書地図」で検索するとたどれますけど、めんどいからうちのサイトでもアップしようかしら?
 昨年は[0:435]で部族配置の覚え方を提案しましたが、ちょっと手を加えて歌にしてみました。
   アセ、ナフ、ダーンが最北で
   湖畔はゼブ、イサ、半マナセ
   ガドとルベンは川むこう
   マナ、エフ、ベニ、ユダ、ダン、シメオン
 もう少し推敲してから十二部族を覚える歌の5番にしますね。
 ワンコーラスにおさめたかったので部族名も略しました。
 歌のとおり、最北がアセル(アシェル)、ナフタリ、ダン。なお、ダンはもともとペリシテ人の隣だったのですが、そこだけじゃ足りないので自主的に北部を攻略したのです(ヨシュ19:47)。
 湖畔というのはキンネレテ湖(ガリラヤ湖)。この湖畔の西側がゼブルンとイサカル。湖畔東側が半マナセ。
 ヨルダン川のむこうがガドとルベン(レウベン)。
 あと、川の西側をほぼ北から順に半マナセ、エフライム、ベニヤミン、ユダ、ダン(のもともとの地)、シメオンというわけです。

[74] 1ニフ10章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/02(月) 09:22:39 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ne&chapter=10&mode=0
 ユダ王国滅亡を予言してエルサレムを追われたお父さんリーハイは、こんどは別の予言をします。
 それはこの時代から六百年後、つまり西暦紀元1年ごろにメシヤがやってくるというのです。もちろんイエス様のことです。そしてそれに先だって預言者ヨハネ(そういう名前だとは言ってませんけど)が登場するということまで予言します。
 モルモン経はイエス・キリストについてのもうひとつの証(あかし)ということになっていますが、いよいよイエス様の話が出て来たというわけです。

[73] 詩歌4章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/02(月) 09:13:22 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=ode&chapter=4&mode=0
 昨年度はありませんが、ハバクク書からの抜書きですので、[0:907]もごらんください。
 バビロン捕囚の直前、絶望のどん底にあって、神様は私たちを見捨てるのかと叫ぶハバククに、神様は「義人は信仰によって生きる」と答えます。これ、パウロがロマ書で使ってますね。これがハバクク書1-2章。
 今回の祈りはそれに続くもので、ハバクク書をしめくくるものです。絶望的な状況の中にあっても神様の力を信じ、その強い力で民を救ってくれるはずだと、希望を回復して祈ります。

[72] 創世記12-15章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/02(月) 07:05:11 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=gen&chapter=12&mode=0
 昨年度の記事は[0:418]
 信仰の父アブラハムの話。まだこの時点ではアブラムという名前ですが、わずらわしいのでアブラハム、妻のサライも後の名のサラで行きます。
 彼はおいのロトとともにハランにいます。ハランというのはシリア北東部、トルコやイラクと国境を接するあたり。今ではクルド人の住む地方です。
 神様はなぜかアブラハムに声をかけ、カナン、つまり今のイスラエルに移住しろと言います。彼は移住し、ベテルの東の山に祭壇を築いて神様を拝みます。今のエルサレムよりちょっと北です。
 そこからネゲブ(イスラエル南部の砂漠地帯)に移住しますが、ききんが激しくなりエジプトに移住。ここで妻サラをいつわって妹だと言い、それがバレてエジプトを追われ、ベテルに戻ります。
 ここでロトと別れ、ロトはヨルダンの低地に、アブラハムはカナンに住みます。
 古代の世界大戦のような戦争にロトがまきこまれるとアブラハムはロトを救出します。
 神様は再びアブラハムに声をかけ、子どものないアブラハムに子が生まれ、子孫がカナンの地で繁栄することょ約束します。

 さて、アブラハムは信仰の父であり、この時代はイスラム教やキリスト教はおろかユダヤ教もありません。後の時代の信仰者なら、アブラハムが神様の言うことを聞いて行動したことをさも当然のように思い、何の疑いも持たないでしょうが、この時代の神様は実績ゼロです。ノアを救い出したとはいえ、アブラハムがノアのことを知っていたとはとても思えません。
 ノアにしろアブラハムにしろ、まるきり実績ゼロの、どこの馬の骨とも着かぬ神様の言葉を聞き、それを実行したわけです。
 これってすごいことです。
 ヤハウェだかヤッハンベーだか知らないけど、「おれはヤッハンベーの神から啓示をたまわった。いまから飛行機をつくるぞ」とか「今からインドに行くぞ」と言ったらほとんど狂気でしょう。
 たぶん神様は、ノアやアブラハム以外にも無数の人に声をかけたんでしょう。ところが99.9%の常識人は、そんな声を妄想、夢だと思ってとりあわない。0.1%のヘンな人が行動を起こした。それがノアでありアブラハムなんでしょう。
 ほとんど狂気のような先見の明なんでしょうね。
 12-15章のアブラハムの行為は、すべて神様の指示にしたがってるようで、実は神様の介入は最初と最後しかありません。途中のエジプト移住とか、妻を妹と偽った話とか、ロト救出の話なんかは神様の指示じゃありません。神様が声をかけなくてもアブラハムは行動の人なのです。そういう人が、素直なんだか狂気なんだか知らないけど、神様の声にしたがったという、そのこと自体が奇跡です。

 なお、アブラハムがキリスト教徒でもユダヤ教徒でもなかったのに神様に救われたということは、後の時代に、洗礼を受けなくても律法を守らなくても救われる、という根拠としてひきあいに出されたりします。同じように、14章の古代世界大戦に登場する祭司メルキゼデク(創14:18)は、どう考えてもレビ族でもなければましてアロンの子孫でもないので、ユダ族のダビデの家系のイエスが大祭司になりうるという根拠としてひきあいに出してるのがヘブル人への手紙です。こんなふうに、信仰が確立する以前の話というのは、信仰の形式なんかどうでもいいという話で引き合いに出されます。

[71] 1ニフ9章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/01(日) 18:23:20 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ne&chapter=9&mode=0
 ここも6章みたいにやたら短いのでイヤな予感がしたのですが、案の定、6章のような言い訳です。つまり、本当に完全なものは別にあって、私たちがいま読んでいるものは省略版だというんです。いま私たちが読んでいるものに「うーん、これちょっと、できのよくないお話しね」と突っ込む人に対して、防御をしているんです。ときどきこういうヘンなことを書くクセがあるんですね。J・スミスJr教祖さまは。

[70] 3イミ3章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/01(日) 18:20:01 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=3ic&chapter=3&mode=0
 一般に、人は神様と直接ことばを交わすことはできないとされています。ですから神様は昔は預言者を通して人々にお語りになったのです。そしてこの終末のときには御子イエス・キリストを通して人々にお語りになるのです。ということがヘブ1:1-2に語られており、今日の3イミ3:1にもこれが引用されていますね(でもなぜか、イエス・キリストを通してというほうは引用されていません)。
 だからこそお祈りの最後は「この祈りを、主イエス・キリストのみ名を通して、み前にささげたてまつります。アーメン」なんてやるんです。ダイレクトに祈ったって神は聴いてやくれない。
 でもイミタチオの著者は、神様は人々に直接語りかけることができ、今に至るまで人に語るのをやめたことはないと言っています。そして私たちも、世間の声にではなく、神様の声に心を用いて聴かねばならないと言っているのです。そういう点がユニークです。
 しかも、神様が人に語りかけるやりかたは、誘惑と慰め。誘惑や試みも、実は神様が私たちに語りかけているんです。誘惑に打ち勝つことによって、自分の気持ちが本当かどうか確かめられ、強くなっていくってこと、ありますから。

[69] ロマ書5-6章 投稿者=真理子 掲示日=2012/01/01(日) 15:29:29 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=rom&chapter=5&mode=0
 昨年度の記事は[0:516]
 パウロのいう「義とされる」というのは、最後の審判で合格して神の国に入れるということを意味します。パウロは「終末が近い」「最後の審判が近い」「生きてるうちに最後の審判が来るぞ」という切迫した意識を持っていたことを思い出してください。
 そして、最後の審判で不合格になると永遠の死が待っています。死は罪の結果だからです。罪びとと認定されたわけですから永遠に死ぬのです。
 もともと人間は不死でしたが(ウソつけ! 創世記ではアダムは生命の木の実を食べてないぞ! とも思うのですが…)、アダムが食べちゃいけない善悪の知識の木の実を食べてしまったために死ぬようになってしまいました。まったくアダム一人のせいでとんだことになったものです。
 でも、アダム一人のせいで全人類が死ぬ運命に見舞われたくらいですから、イエス様一人のせいで全人類に神の国での永遠の生を賜ったとしても、ちっとも不思議ではありませんね。
 これが5章でパウロの言ってることです。
 では、全人類が救われるのでしょうか?
 6章3-5節を見ると、洗礼を受けた私たちこそ、神の国での永遠の生にあずかることができるって書いてますよね。
 だからこそパウロは、死に物狂いで世界へ宣教に出かけたんです。
 最後の審判が近づいている。最後の審判に合格するための条件は、洗礼を受けることだ、っていうわけですから。

 私はこのパウロの考え方には承服しません。
 神様はNHKみたいに「公開収録への参加は受信料を払った人だけ」なんてケチくさいことを言わず、キリスト教徒じゃなくても、洗礼を受けてなくても救われる可能性は十分にあるし、逆に洗礼はまったく救いの保証とはならないと思っています。信者になったから安心なんていうのは甘い甘い。絶えず修養し、よい生活をすることだと思っています。
 ちなみに最後の審判は、私に言わせれば、各自の死後即座に、随時開催されているんです。そして合格したら次の生をスタートさせることができます。生まれる先はこの世です。この地球のどこかです。神の国はこの世なんですよ。だってこの世は神様のはからいが及んでいるんでしょ?
 不合格者は永遠の死。あるいは、人間以外の動物への転生かもしれません。

[68] クルアーン6回 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/31(土) 09:35:19 コメントする ここから閲覧

 クル-6回。第2章172-202節。
 今回の主要な話題は巡礼。Wikipediaの「ハッジ」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%83%E3%82%B8
をあわせて読むといいでしょう。
 マッカ(メッカ)への巡礼はイスラム暦8-10月に行われます。それ以外の時期にやるのは、Wikipediaでは小巡礼と書いてありますが、私は「略巡礼」と訳してみました。
 アラファートのこともWikipediaに書いてありますが、巡礼の最後に訪れる山があるのです。

[67] 1イミ3章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/31(土) 09:29:03 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ic&chapter=3&mode=0
 「真理からの教訓」とありますが、前章に引き続き、謙遜の大事さということでもあります。こんなふうにイミタチオは、章と章の間でパッと話題が変わっていることは少なく、だいたい前章の話をひきずっています。というより、イミタチオで言ってることは、たった一つ、神様にしたがって生きよ、ということであり、そのことを手を変え品を変えて言ってるだけだとも言えるので、同じような話が何度も繰り返されることになるのです。
 人間の理性には限界があり、神様によってこそ真理を得ることができるのです。理性を尊ぶことは自分を偉いもの、すぐれたものとみなすことになりますが、そんな偉さなどすぐに消えてしまいます。真に偉大な人は、自分をへりくだって、ひたすら神を求め、偉大な愛を持つ人というわけです。

[66] マタイ5-7章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/31(土) 07:50:18 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mat&chapter=5&mode=0
 昨年度の記事は[0:413]
 今年度の「真理子の聖書日記」は、昨年の話とできるだけかぶらないように書く予定なんですけど、今回はあえてかぶります。
 昨年は主に、山浦玄嗣先生のケセン語訳の話をしました。山浦先生のおすまいは、ケセンとはいっても宮城県側の気仙沼じゃなく岩手県側の大船渡。まあいずれにせよ東北の沿岸一帯がたいへんなことになってしまうとは、昨年これを書いていた時点では想像もしていませんでした。
 私は被災地にまったく親戚がいないんですが(盛岡にはいますけど盛岡はたいした被害ないですから)、しいていえば、この山浦先生の消息が、震災後しばらくつかめなかったので、心配に思っていました。ヤフーの安否情報で([0:588]参照)ご無事を確認したほどです。ご無事でなにより、それどころかケセンならぬ「セケン語」で新約聖書を新たに訳したり、文春新書から本を出したり、テレビにも出たりと、ご活躍なさっておられましたね。
 ケセン語訳の「主の祈り」の最後は、「おらぁ心ぁ闇に迷わねぇように/災難、難儀の起きねぇように」だったわけですが、たいへんな災難、難儀が起きてしまいました。祈りは聞かれなかったのかしら。でも、それをはねのけてこのように活躍なさる山浦先生のお姿を見ると、やっぱり神様っていらっしゃるのかしらね。
 祈りっていうのは、一見かなわなかったように見えるときに、それをどう解釈して生きるかが大事なんじゃないかしら。

 ともかくいろんなことのあった一年でした。
 よく言われるのは、敗戦を機に戦前、戦後と時代がわかれるように、震災を機に震災前、震災後(災前、災後なんて言葉もできたみたいですけど)とわかれる、という議論がありますね。でも、どうなのかしら? 本当に時代が震災を期に劃されるかどうかは、少なくとも十年くらいたってみないとわからないんじゃないかしら。少なくとも政府や東電、また原発を支持する経済人や保守系文化人の方々は、震災を期に生き方が変わったとはとても思えません。むしろ、今までの生活を維持しようとしているんじゃないかしら。かといって、じゃ震災を期に生き方を変えなきゃならないかというと、真理子はそっちのほうにも懐疑的です。いずれにせよ、十年たったときに私たちの生き方が本当に変わったのかどうかを振り返ってみたいと思います。

[65] クルアーン5回 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/30(金) 12:02:40 コメントする ここから閲覧

クル-5回。第2章142-171節。
 イスラム教徒の礼拝の方向は、当初はエルサレムの方向だったそうですけど、後にマッカ(メッカ)の方向に変わりました。そんな話がいろいろと書かれています。
 主人のパソコンにはIslamic Finder http://www.islamicfinder.org/ のアザーン・ソフトが入ってます。礼拝の時刻になると「アッラー・アクバル」と怒鳴ります。夏なんか朝の礼拝は午前3時台になったりするのでびっくりします。
 で、このアザーン・ソフトは、マッカの方向も表示してくれるんですけど、横浜からだと西北西なんですね。アラビアだから南西かと思ったら、地球が球体なので西北西になるんです。
 以前、黒人のイスラム教徒が宇宙飛行士になったとき、宇宙空間で彼はいったいどっちの方向を向いてお祈りするんだろうというのが話題になったことがありますが、地球近辺だったら問題は簡単に解決する気がします。イラン航空の飛行機に乗るとちゃんと方角が出てくるんだそうですしね。月まで行っちゃったらそもそも地球を向いてお祈りすれば確実よ。
 礼拝の時間だって、日の出や日没の実時刻をもとに決められてるんで、北極圏・南極圏に近いとそもそも日が出ないとか日が沈まないなんてこともあるわけですけど(宇宙空間だとなおさらだわ)、そんなときはその近辺の地域にあわせて適宜アレンジするそうですから、宇宙時代になってもイスラムは不滅よ。

 そんなことより問題なのは、日本では家を建てるとトイレはたいてい北西側に作ります。すると、マッカの方向にお尻が向いてる可能性があるわけで、日本でムスリム/ムスリマの生活をすると意外なところに問題点が浮上するわけですね。

[64] 知恵の書3章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/30(金) 11:44:24 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=wis&chapter=3&mode=0
 昨年度の記事は[0:666]
 ここは私にはつらいわ。
 子どもがたくさん生まれて家が栄えるのを主の恵みととらえているので、逆に、子どもができないこと、育たないことは主の罰ということになっちゃう。だから「姦淫をおこなう者の子らは育たず、不義の関係から生まれた者は消えうせる」(16節)だの「不義による子孫の末路は悲惨である」(19節)という発想になっちゃうのね。
 こんな昔の考えは無視しちゃってもいいんだけど、私に子どもができないのは、やっぱり私が不義の子だからかなって、ふと思ったりもします。

 私が生まれるころ、母は創価学会の地区の幹部と不倫をしていました。だから父はいつも酔うと「お前はおれの子じゃない」って私にあたってきました。真相はよくわかりません。母が不倫をしていたのはまぎれもない事実なんですが、相手は私が生まれてほどなく事故死、中学生になってこういう話をいろいろ聞いた私が母に問い詰めたところ、否定も肯定もせず「お前が大人になったら教えてあげる」と言ったきり、母は私が高校3年生のときに秘密を墓に持ってってしまいました。
 そんなわけで私はたぶん不義の子なんでしょう。いえ、たとえ父の実の子であったとしても、こんなふうに父を憎み母を憎みながら育った私には、どちらでもいいことです。こうやってひねくれて育った私の胎を主は閉じてしまわれたんでしょうかしら。これだけさんざんセックスしても子どもができません。
 でも私と違って主人のほうは、父親母親の愛をいっぱいに受けて育ったし、私と出会った45歳までセックスを2回しかしたことがないという潔癖さ(でもたった2回でも女を買ったのは不義なのかしら?)なのに、生殖能力が弱いんだから、ヤハウェくんはいったい何を考えておられることやら。
 いいわ、もう一生2人きりで生活すると決めたから。
 でも、主人か私かどちらか一方が死んだら、生き残ったほうはどうやって生きていけばいいのかしら? 死んでも誰にも知られず、まともな葬式もされずに焼かれちゃうんでしょうね。
 いま、創価学会からやっと解放された私たち夫婦は、わが家の宗教を決めるため、いろんな教会を巡礼中なんですけど、ちゃんと教会の人たちに葬式をしてもらうためには、近場の教会、そういう人のつながりが密な教会を選んだほうがいいかしらね。礼拝がゴージャスだとかいう選び方もいいけど、やっぱり宗教選びは、最後は「人」かしら?

[63] イザヤ書12-17章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/30(金) 11:22:58 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=isa&chapter=12&mode=0
 昨年度の記事は[0:411]
 イザ14:28に「アハズ王の死んだ年にこの託宣があった」とあります。アハズ王が死んだのはBC715です。こういうのをパッと見られるように、「南北の王名を覚える歌」とともに専用ページ
http://www.babelbible.net/mariko/bib.cgi?doc=kings&course=bib
を作りましたので見てください(真理子日曜学校の「聖書入門」)。
 8番にあるように、アハズ王は北が滅んだときの王なんです。これはしっかり覚えておくといいです。
 北がアッシリアに滅ぼされ、南も相当な危機感を持っていた時代。そういう時代背景がわからないと、14章なんか何言ってるのかわかりません。つまり北は滅んじゃったけど神様はまた北の地にイスラエルの民の国ができ、アッシリア(バビロンの王とも呼ばれています)も滅ぼされるという希望の預言をしているんです。
 「黎明の子、明けの明星」( イザ14:12)は、なんかロマンチックでキレイな感じですけど、実は金星っていうのは悪魔ルシファーの象徴なんです。夜明けの一時期は派手に輝くけどやがて太陽が上ると消えてしまうのですから。アッシリアもこんなふうに消えてしまうぞと言ってます。

[62] 1ニフ8章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/29(木) 12:33:25 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ne&chapter=8&mode=0
 リーハイは夢を見ます。その夢の意味するところは、どうも上の息子レーマンとレミュエルは傲慢さのために自滅するということのようです。そこでリーハイはこの二人をさとします。

[61] トビト記3章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/29(木) 12:30:17 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=tob&chapter=3&mode=0
 昨年度の記事は[0:387]
 トビト記のもう一人の主人公サラの登場。
 昨年も書きましたけど、初夜で男を殺してしまう女っていうのは、ずばり性欲絶倫のカマキリ女なのです。横で主人が「それはお前のことだ。おれはお前に食い殺されそうだ」などと言ってますが無視します。
 今年は女奴隷の話をしましょう。この女奴隷は奴隷の分際で主人になんてひどいことを言うのかと思ってよくよく読むと、この女奴隷はサラに仕えているのではなく、サラの父ラグエルに仕えているんですね。だからこういうことが言いやすいのかもしれません。
 しかし、本文には書かれてませんけど、これだけひどい言われようをするってことは、サラってけっこうキツい性格なんじゃないかと思います。ふだんからこの女奴隷につらくあたっていたんでしょう。でなきゃいくら何でもこんなに言われるはずがありません。
 性欲絶倫女ってけっこう性格キツいですからね。横で主人が「やっぱりお前のことだ」と言ってます。

[60] ヨブ記5-6章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/29(木) 11:52:51 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=job&chapter=5&mode=0
 昨年度の記事は[0:410]
 リビングバイブルのヨブ記もあわせてお読みください。
http://www.biblica.com/uploads/pdf-files/bibles/japanese/ot/job.pdf

 ヨブ記は要約してしまうとちっとも面白くありません。「教条主義的な友人たちの忠告にヨブが反論する」だけでおしまいになってしまいます。
 そこで、あらすじとはまったく関係なく、面白い表現をとりあげて味わっていくことにします。

 今日は ヨブ6:6「すべりひゆのしる」(口語訳)について。
 これ、何かと思ったら
http://www.toakasei.com/products/plant/porturaca.html
かゆみどめなどに皮膚に塗る薬じゃない。メンターム、タイガーバームのたぐいでしょうか?
 でも、メンタームって口に入れても大丈夫なのかしら? まあ、口に塗るリップスティックも売られてるくらいだから、害はないんだろうけど味はなさそうね。
 それにしても、本来口に入れるものじゃないのを例にあげるなんて、ヨブ記の作者は何を考えていたんでしょう?
 ヘブライ語ではחַלָּמוּת(ハッラムート)です。うちのヘブライ語辞典
http://www.babelbible.net/davidson/davidson.cgi
では、Davidsonで260ページ、Geseniusで262ページ(どちらもחלםの項)です。長々と説明が書いてありますね。
 要するにわかんないんですよ。岩波訳の注を引用しますと、

原語ハッラムートは旧約ではこの箇所だけで、同定は困難。古代語訳はさまざまで、ペシッタ、タルグムの一つは「卵の白身」。七十人訳は「空虚な言葉の数々」で、エリファズの弁論が食えない代物であることを示唆する。

ってことなんです。ここにしか使われてない言葉だから、何だかよくわからないってわけですね。
 ヨブ記って、舞台がエドム地方だということもあるのか、ヘブライ語がヘンなんですね。わけのわからない箇所がうじゃうじゃあるみたいです。
 さて、諸家の格闘の跡を見てみましょう。

●卵の白身系
 文語訳(旧約だから明治訳しかありません)は、蛋《たまご》の白《しろみ》。これはKJVのthe white of an eggそのまんまですね。この「卵の白身」系統はいろいろあって、たとえば、
   バルバロ(旧新とも):卵の白身
   フラ:卵の白味
   新共同(共同も):玉子の白身
   新改訳:卵のしろみ
   リビング:生卵の白身
   回復:卵の白身
 でも私は言いたい。卵の白身に味がないなんていうのは料理の仕方が悪いんです。卵の白身はメレンゲの原料じゃありませんか。
 ところで日テレの「メレンゲの気持ち」ってどういう意味なんでしょう?

 光明社:味《あじわ》わば死を来《きた》すもの。光明社訳はヴルガタの忠実な訳ということに特徴があり、ヴルガタはquod gustatum adfert mortemとなっているのをそのまま訳したのです。
 上の岩波の注にあるように、LXXは「ῥήμασιν κενοῖς」(空虚なことば)となっているので、ヴルガタはまるっきり創作しちゃってますね。
 なお、「カトリックはヴルガタを大事にするから昔のカトリック陣営の翻訳はみんなヴルガタに違いない」という思い込みは相当強いようで、田川建三さんや、最近では『旧約聖書と新約聖書』(新教出版社)の上村静先生までが、「バルバロはヴルガタが底本」なんてまちがったことを書いてますが、ここの訳を見れば、バルバロがヴルガタじゃないことは明白です。今後Twitterでこの手の妄言を見かけたら、バスター真理子は駆除に乗り出します。

●粘液系
 口語訳の「すべりひゆのしる」の系統ですね。これはRSVのthe slime of the purslaneを訳したものみたいですね。口語訳は実質的にRSVを底本にしているというウワサがありますが、ここはその証拠かしら。この系統は、
  新世界:うすべにたちあおいのねばねばした汁
  岩波:あの草の汁

●チーズ
関根:ねばねばしたチーズ。Davidsonの説明中にちらっと書いてあったように、実はチーズ説もあるんです。でも関根先生はぜんぜん料理をやらないみたいですね。「ねばねばしたチーズが食欲をそそろうか」なんて訳してるけど、カマンベールチーズのとろっとしたところは食欲をそそるじゃない!

●翻訳放棄!
現代:尾山令仁さんは6章全体を「意味も理由もない苦しみに、どうして耐えられようか」と訳してます。はっきりいってこれは翻訳じゃなく解説です。これは文学に対する冒涜です。文学というのはあらすじや解説を読めばそれでいいわけじゃありません。どういう表現が使われているかを味わうものです。

[59] 1ニフ7章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/28(水) 10:33:37 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ne&chapter=7&mode=0
 言わずもがなの言い訳(6章)のあと、話は元に戻ります。
 リーハイの息子たちはみんな独身なので、このまま約束の地へ逃げても子孫ができません。そこで結婚をしようと、イシメル一家を訪れます。
 ところが上の二人の兄、レーマンとレミュエルはまたも不平を言い、それをいさめたニーファイを縄でしばってしまいます。神様の奇跡やイシメル家の人々のとりなしもあってこの場はおさまり、一行は父の天幕に戻ります。


 なお、イシメルというのはIshmaelですから、イシマエルとしたほうが旧約聖書やクルアーンなどとの相性がいいのですが、「真理子のおまけ」(口語訳聖書でモルモン経などを表示させたときに出てくる真理子独自テキスト)のモルモン経は真理子訳ではなく、モルモン教会の作った57年版そのまんま。著作権はもうないので使わせていただいてますが、勝手に変改するのははばかられますので、イシメルのままにしてあります。
 でもどうしようかな。57年版モルモン経って「つずける」とか「仰せ(おうせ)」とか、仮名遣いがヘンなんですよね。57年版モルモン経は別に表示できるんだから、真理子のおまけのほうはいろいろ変えちゃおうかなぁ?

[58] 1マカ3章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/28(水) 10:23:53 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ma&chapter=3&mode=0
 昨年度の記事は[0:556]
 祭司マタテヤがセレウコス朝シリアのアンテオコス・エピパネスへの戦いをはじめながら、志半ばで没したところまでが先週の話。
 マカビオ(マカビー、マカバイ、マカベア)というギリシア語名を持つユダへの賛歌が最初に掲げられ、いよいよユダの戦いが始まります。
 戦力が手薄ながら指揮官セロンの軍を破った話が最初にありますが、どうやって勝ったのかが書かれていないので、あんまり面白くありません。
 アンテオコス王は怒りに燃え、王族のルシアを任命し、戦いに当たらせます。自分はというとペルシアへの遠征に行ってしまいます。
 ルシアはプトレミオ、ニカノル、ゴルギヤという三人を指揮官に任命し、ユダと戦わせます。絶体絶命のユダたち。もう勝ち目はないぞというんで、生き残った奴らを奴隷にしようと早くも商人たちが手ぐすね引いて待ってる状態。さあどうなりますことやら、というのが今日の話です。

 ところで最初の賛歌にあるように、ユダは敵に対して立ち上がっただけでなく、味方に対しても律法を守らない人を殺したりと、けっこう恐怖政治をしています。こういう面も見逃さないようにしましょう。

 49節にある「ナジルびと」というのは、そういう民族・部族があるのではなく、誓願をたてて斎戒して祈る人々のことです。いろんなところで出てくる用語ですので知っておきましょう。私は「修験者」「修行者」と訳したほうがいいような気がするんですけどね。

[57] 詩編6-8編 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/28(水) 10:09:55 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=psa&chapter=6&mode=0
 昨年度の記事は[0:405]。なんと無内容!
 詩編を題材にした音楽のシリーズが続いていますね。Youtubeにはこんな感じで150編全部登録されているのかしら?(未確認)
 ただし来週の9編からは、LXXやヴルガタでは編の番号が異なって来るので、ちょっと注意しなきゃね。
 まず第6編。神様に怒られるような悪いことをした人のざんげの祈り。詩6:6(旧5節)の「死においては、あなたを覚えるものはなく、陰府においては、だれがあなたをほめたたえることができましょうか」が心をうちます。死んじゃうとお祈りできませんものね。生きてるうちに祈っておかなきゃ。
 Youtubeではなぜかオランダ語の讃美歌がいっぱいアップされています。二つ掲げておきますが同じ曲です。こんなふうに讃美歌にもご当地ソングがあるのかしら?

(http://www.youtube.com/watch?v=CcsBMl5jwLs)

(http://www.youtube.com/watch?v=TQbm1_ymR0A)

 第7編。敵に攻められたときのダビデの歌という体裁ですけど、ダビデは戦争を職業とする血なまぐさい王様なので(だからダビデが神殿を建てようと思っても許されなかったということになっている)戦争の詩が多いです。私たちはそういうのを、災難にあったとか、仕事のトラブルに見舞われたとか、そういうふうに読み替えて、わが祈りとしましょう。
 まずはブルーグラス版。私も「ブルーグラス」って知りませんでしたけど、そういう音楽のジャンルがあるんですね。Wikipediaによれば「、アメリカのアパラチア南部に入植したスコッチ・アイリッシュ(現在の北アイルランド、アルスター地方にスコットランドから移住した人たち)の伝承音楽をベースにして1945年末、ビル・モンローのブルー・グラス・ボーイズにアール・スクラッグスが加わってから後に発展したアコースティック音楽のジャンル。」なんだそうな。

(http://www.youtube.com/watch?v=FD6fh2l_tyQ)
 次はベートーヴェンの第五交響曲(私は「運命」なんて言いませんのよ)をバックに流して英語と日本語で第7編を表示するんですが、合間合間の絵がもうベタでベタで、悪いけどふいちゃいましたわ。

(http://www.youtube.com/watch?v=Ueuz10a1aNA)

 第8編。神の偉大さをほめたたえ、人の小ささを詠んだ詩。
 まずはアトランタのゴスペル歌手Richard Smallwoodの歌から。

(http://www.youtube.com/watch?v=iiYxodBRu7c)
 次はオランダ語の歌。なぜか今日はオランダ語が多いわね。ポップで楽しい曲。

(http://www.youtube.com/watch?v=Xcm21qSkUT4)

[56] 1ニフ6章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/27(火) 12:50:50 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ne&chapter=6&mode=0
 いままでモルモン経にお付き合いしてきた私は、ここを読んでぶちキレましたわ。
 異様に短いから何かと思ったら、例の真鍮版に書かれていた系図をここに記録しないことの言い訳じゃない!
 旧約聖書だったら、こういうところでは、私たち読者がどんなに退屈しようとも、延々と人名を並べるわけです。歴代誌みたいに。新約聖書だってマタイやルカはイエス様の系図をでっちあげるわけです。マタイとルカの系図は全然違うんですけど、そんなことはおかまいなし、臆面もなく掲載する。
 ところがJ・スミスJrさんは、そういう系図をでっちあげるが面倒くさくなったので、こういう言い訳を書くんですね。
 こんな、言わなくてもいい言い訳を書くから、モルモン経はみんなからバカにされるのよ。ちゃんと系図をでっちあげるか、でなきゃ何も言わなければよかったのに。

 私の部屋には、米GOOD THING COMPANY社
http://www.goodthingscompany.com/index.html
の作った、聖書の系図が貼ってあります。アダムからイエス様までの系図をうまーく1枚の大きな紙にまとめてあるというすぐれものです。お茶の水のCLC
http://www.clc-shop.com/clconline/index.php
で買ったんですけど、まだ売ってるかしら。
 この系図を見ると、ヨセフの子孫であるマナセやエフライムの系図もちゃんとあって、マナセ族ではエフタ、ギデオンなんてところが有名人。エフライム族ではなんといってもヌンの子ヨシュア、それからサムエルですね。こんなところにうまく矛盾しないように系図をでっちあげればよかったのにね。

[55] シラ書3章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/27(火) 12:37:26 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=3&mode=0
 昨年度の記事は[0:736]
 父を尊べ、母を敬え、というわけですね。
 昨年度(とはいえ今年の6月25日)に「主人のお父様、ボケが進行してて、この先介護が大変になりそうですから。」なんて書いていますね。そのお父様が11月29日にお亡くなりになったのですから、お父様は私たちにたいして介護の苦労をかけることもなく、5ヶ月でお亡くなりになっちゃったのね。
 私自身は、父を憎み母を憎みながら育ったので、この章を解説する資格がないですけど、そのぶん主人のお母様とお父様の臨終前にはいろいろお世話してあげたので、それで許してください。

[54] ヨシュア記11-15章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/27(火) 12:28:38 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jos&chapter=11&mode=0
 昨年度の記事は[0:404]
 戦争の記事が長々と続いてへきえきしますが、イスラエルの願望を現した神話として読み流しましょう。実際にはこれだけ異民族を殺しまくってもその後のイスラエルの民は政治的にも文化的にも異民族に圧倒され続けたのです。
 昨年書いた、未征服の土地の図が見えにくいので、ほぼ同様のコンセプトで作られた、新共同訳聖書注解の図を見てください。これならわかるでしょう。
http://www.babelbible.net/images/josmap21.gif
 ヨシュアが征服できなかったのは、いまでも紛争地帯であるガザ地方を含むペリシテ人の地、ティルスよりも北の地方、それからキレネト湖(ガリラヤ湖)東岸というのが主なところ。その他でも、図で下線をつけられた都市がまだというわけです。死海の西側にエブスというのがありますが、これがエルサレムですから、エルサレムもまだというわけです。
 でも考えてみたら、ガザ地区は今でもイスラエルが実質的に軍事占領してはいるもののイスラエルそのものではありませんし、ティルス(現在のスール)あたりからは今はレバノンです。未征服の町がいろいろあるとはいえ、実質的に今のイスラエルとほぼ変わらない土地を制圧したっていうふうに見たほうがいいんでしょうね。

[53] 1ニフ5章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/26(月) 02:48:08 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ne&chapter=5&mode=0
 ニーファイら息子たちが真鍮版を手に無事にエルサレムから戻ってきたのを見て父リーハイも母サライアも喜びます。実はサライアもだんなさんにぶつくさ言ってたんですね。
 さて真鍮版にはモーセ五書やゼデキヤまでの歴史(つまりこの時点での現代まで)や預言者の言葉が載っていました。そして系図を見ると、リーハイ一家はヨセフの子孫だということがわかりました。

 ところで今回の内容については私は言いたいことがあります。
 ヨセフの子孫っていう設定はいただけないですね。
 イスラエル十二部族は、ヤコブの十二人の子の名前に由来するんですけど、ヨセフだけはヨセフ族っていうのがなく、ヨセフの子であるマナセとエフライムを部族名にしています。そして、イスラエルの民であるからには、自分が何族であるかはちゃんと知ってるはずですから、わざわざこんな真鍮版なんか見なくたってわかるはず。いや、そもそも南に住む「ユダヤ人」であるからにはユダの子孫のはずで、ヨセフの子孫だっていうのはおかしいんですけどね。
 念のためいうと、私はモルモン教に批判的だからモルモン経をおちょくってるわけじゃありません。おかしいことをおかしいと言ってるだけです。おかしなことを書いていれば、たとえ正典だって容赦しません。「ヤハウェくんがバカなことを言ってるわ」みたいに批判しますから。[50]のように。

 ところで、口語訳聖書や新共同訳聖書を選択してモルモン経を表示させると出てくる「真理子のおまけ」は、57年版モルモン経そのままで、私の訳じゃありません。これは信徒の方々にいただいたテキストファイルなんですが、読み返すとけっこう誤入力がありますね。気づいた誤入力は訂正しています。このテキストファイルにはルビがないので、通読計画にしたがってルビをつけながら、誤入力のチェックをしていきましょう。
 57年版モルモン経はときどき仮名遣いがおかしいところがあって「続く」を「つずく」とか「仰せ」を「おうせ」のようにふっていますが、そのままにしてあります。
 逆に気をつけなきゃいけないのは「私」の読み方。原則として「わたくし」なんですけど、いままでのところではお父さんリーハイのセリフの中では「わたし」です。「わたくし」には謙遜の語感があるので、お父さんの言葉ではふさわしくないっていうんでしょうけどね。でも天皇陛下のおことばでも「わたくし」って言ってるわよ。まあいずれにせよそういう読みわけがあるので、ルビは必須です。

[52] 詩歌3章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/26(月) 02:43:59 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=ode&chapter=3&mode=0
 サムエルの母ハンナの祈り。
 ハンナは長いこと子ができず、けんめいに神様に祈ってサムエルをさずかったのですが、この祈りが「子どもを授けてください」という祈りじゃなく、もうサムエルが授けられ三歳になって乳離れしたときの祈りだということに注意してください。もっともこの後ハンナはほかに5人の子どもを生むんですけどね。
 祈りの内容自体は、神様が万能であることの賛美であり、特に何かをしてくださいと頼んでいるわけではありません。

[51] 創世記8-11章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/26(月) 02:41:29 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=gen&chapter=8&mode=0
 昨年度の記事は[0:403]
 洪水がひいてノアたちが助かる話、ノアの堕落の話、バベルの塔の話、アブラムの登場までです。
 昨年も書きましたが、バベルの塔の話の何が罪だったかというと、塔をたてて神に挑戦をしようとかいうことじゃないです。創11:8に「こうして主が彼らをそこから全地のおもてに散らされたので、彼らは町を建てるのをやめた。」とあるように、「散らされるのを恐れたこと」がいけなかったのです。「生めよ、増えよ、地に満ちよ」で、人は全地に散らばって生きなければならないと神様は命じているんです。
 9章のノアの堕落の話はいまだによくわかりません。もちろん意図としては、カナンの代表である(10章の系図参照)ペリシテ人憎しでこういう説話を作っちゃったんでしょうけどね。モアブ人やアンモン人憎しでロトの娘の近親相姦話を作ったり、エドム人憎しでエサウをけむくじゃらのバカとして描いたり、まあそんなもんです。それにしては、ハムが悪いことをしたのに子のカナンが呪われなきゃならないっていうのが理不尽です。エレ31:29-30とかエゼ18:2では、「父がすっぱいぶどうを食べたので、子どもの歯がうく」つまり父の罪が子に及ぶことを否定したんじゃありませんの? ヤハウェくんのさばきはおかしいんじゃありませんの? ひょっとしてヤハウェくんもノアのぶどう酒で酔っ払ってたのかしら?
 いずれにせよ創世記をはじめとした聖書の読み方は、聖書に書かれているとおりに読むというだけでなく、現代の私たちに役立つ教訓を引き出すように読むというのをしなきゃいけないと思ってるんですけど、ノアの堕落の話をどうやって読めば現代の私たちに役立つっていうんでしょうか? 父が病気でふせったとき、子は父をお風呂に入れてあげちゃいけませんの? ヤハウェくん!

 何度も言いますが、私が「ヤハウェくん」という言い方をするときは、聖書の記述にかなり反発しているときです。おバカな人間たちが神様の意志に反したことを書いてるなって思うときです。聖書の記述に納得しているときは「神様」と書きます。上のバベルの塔の話のように。

[50] 1ニフ4章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/25(日) 08:03:11 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ne&chapter=4&mode=0
 ユダ王国末期、エルサレムの滅亡を預言して迫害され荒野に脱出したリーハイ。しかしレーバンが持っているユダヤ人の歴史の書かれた真鍮板を手に入れなきゃというので息子たちをレーバンに遣わします。ところがレーマンら上の2人の息子が交渉してもてんでダメ。これが今までのあらすじでした。
 さあリベンジだというので末の息子ニーファイがレーバンのところにいくと、なんとレーバンは酔っ払っていたので、聖霊の導きに助けられながらレーバンのもっていた剣で彼を殺します。そしてレーバンに化けてエルサレムを脱出、ついでにレーバンの召使ゾーラムも連れてきます。こうしてまんまと真鍮版を手にしたニーファイは、兄たちおよびゾーラムと一緒に、父リーハイの待つ荒野の天幕へと戻ります。

[49] 3イミ2章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/25(日) 07:54:18 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=3ic&chapter=2&mode=0
 人の語る言葉に精神をこめて相手に理解させ心を動かすのは神様のはたらきであると説いています。神様こそが人に語るのです。

[48] ロマ書3-4章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/25(日) 07:40:15 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=rom&chapter=3&mode=0
 昨年度の記事は[0:402]
 [47]のクルアーン4回同様、アブラハムがキーになっています。
 クル2:140では、アブラハムがユダヤ教徒でなくキリスト教徒でなく、もちろん狭義のイスラム教徒でもなかったのに救われた、だからユダヤ教徒でなくても、キリスト教徒でなくても、イスラム教徒でなくても救われる可能性がある、ということを言っていました。
 同様にパウロはロマ書4章で、アブラハムの時代には律法はなかったし、もちろん割礼という習慣もなかったのに、信仰によって義とせられたということをあげて、だから律法を守らなくても、割礼をしなくても、義とされる可能性があると説いているのです。
 ただし、パウロの場合は、誰でも彼でも救われるとは言っていません。重要な条件があります。それは、イエス・キリストを信じるということです。律法も守れないようなどうしようもない悪人であるわれわれを救うべく、神様は御子イエス様を遣わし、そのイエス様が悪人のわれわれのかわりに死んでくださり、よみがえったことによってわれわれの罪は許されたという、この一連の出来事とその意味を信じる者だけが救われるのです。
 要するにパウロは、イエス以後は、キリストを信じる者だけが救われると言っているのです。
 だからこそパウロは、各地を回って宣教に努めたのです。

 しかし私は、あえて、キリストを信じなくても救われる可能性がある、と言っておきましょう。
 救われるというのは、死後に次の生を迎えられるということです。
 私は、「最後の審判随時開催説」をとっていますので、人はそれぞれ死後にただちにさばきを受けます。そして、「神の国=この世説」をとっていますので、さばきに合格した人は再びこの地球のどこかで新たな人間としての生を迎えられると考えます。不合格の場合はそれっきり永遠の死、もしくは人間以外の動物への転生ということも考えられます。
 神様は人間を一方的に愛してくださるので、ほとんどの人は合格、新たな生を迎えることができるでしょう。
 しかし問題は、迎えることのできた新たな生に満足できるかということ。同じ生でも、それに満足できる人にとっては天国であり、満足できない人にとっては地獄だということです。
 神を信じる者だけが救われるという意味はこのことでしょう。信じる人も信じない人も新たな生を迎えたとして、神を信じない人にとっては新たな生はたとえ経済的に恵まれたとしてもつらい人生に違いありません。神を信じる人にとっては新たな生は貧困ではあっても幸福なことでしょう。

[47] クルアーン4回 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/24(土) 07:16:27 コメントする ここから閲覧

 クル-4回。第4回は第2章108-141節。
 クル2:140。「アブラハム、イシマエル、イサク、ヤコブ、および諸支族が、ユダヤ人またはキリスト教徒であったと言うのか」とあります。つまり、ユダヤ教徒でなければ救われない、キリスト教徒でなければ救われないというのは間違いだというのです。なぜなら、「アブラハム、イシマエル、イサク、ヤコブ」の時代にはユダヤ教もキリスト教もなかったのですから。
 もちろん、だからこそ、「イスラム教徒でなければ救われない」というのも間違い。
 イスラムの教えでは、ムスリムというのを狭義のイスラム教徒とみなしておらず、もっと広いものとみなしています。たとえイスラム教をまったく知らない人でも、神様のみこころにかなった人は救われる可能性があるというのです。
 神様というのは、公開収録に参加できるのは受信料を払った人だけ、なんてNHKのようなことは言わないのであり、すべての人が救われる可能性があるし、逆に、信仰を持ったからといってそれにあぐらをかいてちゃいけないと言っているのです。
 NHKということでいえば、私は、有料放送をするならちゃんとスクランブルをかけて、受信料を払った人だけ受信できるようにしろというのが持論です。そういう技術のなかった昔はいざ知らず、地デジ化はその最大のチャンスだったのに。これはもちろん、本当にそれをやったら契約者ががた減りでNHKは損をしてしまう、今までのように日本に在住する人はすべからくNHKを見るべしという税金のようなものにしてしまうほうが儲かるってことなんでしょうね。まったく困った奴らです。災害時に役立つ公共放送ということでいえばラジオだけで十分。ラジオは受信料をとってないんだから、まったく矛盾してる。
 でも、神様をNHKにたとえるなら、よい意味で、一方的にノンスクランブルの放送を撒き散らして、受信料を払うかどうかはみなさまのお気持ちしだい、ということでしょうか。神様は一方的にわたしたちを愛してくださる。それにこたえるかどうかはわたしたちしだいってことです。

[46] 1イミ2章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/24(土) 07:06:40 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ic&chapter=2&mode=0
 「自分に謙遜であるべきこと」という章題ですけど、むしろ前章で強調した「知識の無用」の続きという感じです。知識が人を傲慢にさせてしまうのであり、その知識とは実は最後の審判においてはまったく役に立たず、むしろ人を傲慢にさせてしまって最後の審判に不利にはたらくマイナスのものであると言っています。
 自分が無価値なものであるというを知ることこそ最高の知識、イミタチオの言葉は人の心を打ちます。