[ばべるばいぶる]

真理子の聖書日記


このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
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[68] クルアーン6回 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/31(土) 09:35:19 コメントする ここから閲覧

 クル-6回。第2章172-202節。
 今回の主要な話題は巡礼。Wikipediaの「ハッジ」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%83%E3%82%B8
をあわせて読むといいでしょう。
 マッカ(メッカ)への巡礼はイスラム暦8-10月に行われます。それ以外の時期にやるのは、Wikipediaでは小巡礼と書いてありますが、私は「略巡礼」と訳してみました。
 アラファートのこともWikipediaに書いてありますが、巡礼の最後に訪れる山があるのです。

[67] 1イミ3章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/31(土) 09:29:03 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ic&chapter=3&mode=0
 「真理からの教訓」とありますが、前章に引き続き、謙遜の大事さということでもあります。こんなふうにイミタチオは、章と章の間でパッと話題が変わっていることは少なく、だいたい前章の話をひきずっています。というより、イミタチオで言ってることは、たった一つ、神様にしたがって生きよ、ということであり、そのことを手を変え品を変えて言ってるだけだとも言えるので、同じような話が何度も繰り返されることになるのです。
 人間の理性には限界があり、神様によってこそ真理を得ることができるのです。理性を尊ぶことは自分を偉いもの、すぐれたものとみなすことになりますが、そんな偉さなどすぐに消えてしまいます。真に偉大な人は、自分をへりくだって、ひたすら神を求め、偉大な愛を持つ人というわけです。

[66] マタイ5-7章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/31(土) 07:50:18 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mat&chapter=5&mode=0
 昨年度の記事は[0:413]
 今年度の「真理子の聖書日記」は、昨年の話とできるだけかぶらないように書く予定なんですけど、今回はあえてかぶります。
 昨年は主に、山浦玄嗣先生のケセン語訳の話をしました。山浦先生のおすまいは、ケセンとはいっても宮城県側の気仙沼じゃなく岩手県側の大船渡。まあいずれにせよ東北の沿岸一帯がたいへんなことになってしまうとは、昨年これを書いていた時点では想像もしていませんでした。
 私は被災地にまったく親戚がいないんですが(盛岡にはいますけど盛岡はたいした被害ないですから)、しいていえば、この山浦先生の消息が、震災後しばらくつかめなかったので、心配に思っていました。ヤフーの安否情報で([0:588]参照)ご無事を確認したほどです。ご無事でなにより、それどころかケセンならぬ「セケン語」で新約聖書を新たに訳したり、文春新書から本を出したり、テレビにも出たりと、ご活躍なさっておられましたね。
 ケセン語訳の「主の祈り」の最後は、「おらぁ心ぁ闇に迷わねぇように/災難、難儀の起きねぇように」だったわけですが、たいへんな災難、難儀が起きてしまいました。祈りは聞かれなかったのかしら。でも、それをはねのけてこのように活躍なさる山浦先生のお姿を見ると、やっぱり神様っていらっしゃるのかしらね。
 祈りっていうのは、一見かなわなかったように見えるときに、それをどう解釈して生きるかが大事なんじゃないかしら。

 ともかくいろんなことのあった一年でした。
 よく言われるのは、敗戦を機に戦前、戦後と時代がわかれるように、震災を機に震災前、震災後(災前、災後なんて言葉もできたみたいですけど)とわかれる、という議論がありますね。でも、どうなのかしら? 本当に時代が震災を期に劃されるかどうかは、少なくとも十年くらいたってみないとわからないんじゃないかしら。少なくとも政府や東電、また原発を支持する経済人や保守系文化人の方々は、震災を期に生き方が変わったとはとても思えません。むしろ、今までの生活を維持しようとしているんじゃないかしら。かといって、じゃ震災を期に生き方を変えなきゃならないかというと、真理子はそっちのほうにも懐疑的です。いずれにせよ、十年たったときに私たちの生き方が本当に変わったのかどうかを振り返ってみたいと思います。

[65] クルアーン5回 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/30(金) 12:02:40 コメントする ここから閲覧

クル-5回。第2章142-171節。
 イスラム教徒の礼拝の方向は、当初はエルサレムの方向だったそうですけど、後にマッカ(メッカ)の方向に変わりました。そんな話がいろいろと書かれています。
 主人のパソコンにはIslamic Finder http://www.islamicfinder.org/ のアザーン・ソフトが入ってます。礼拝の時刻になると「アッラー・アクバル」と怒鳴ります。夏なんか朝の礼拝は午前3時台になったりするのでびっくりします。
 で、このアザーン・ソフトは、マッカの方向も表示してくれるんですけど、横浜からだと西北西なんですね。アラビアだから南西かと思ったら、地球が球体なので西北西になるんです。
 以前、黒人のイスラム教徒が宇宙飛行士になったとき、宇宙空間で彼はいったいどっちの方向を向いてお祈りするんだろうというのが話題になったことがありますが、地球近辺だったら問題は簡単に解決する気がします。イラン航空の飛行機に乗るとちゃんと方角が出てくるんだそうですしね。月まで行っちゃったらそもそも地球を向いてお祈りすれば確実よ。
 礼拝の時間だって、日の出や日没の実時刻をもとに決められてるんで、北極圏・南極圏に近いとそもそも日が出ないとか日が沈まないなんてこともあるわけですけど(宇宙空間だとなおさらだわ)、そんなときはその近辺の地域にあわせて適宜アレンジするそうですから、宇宙時代になってもイスラムは不滅よ。

 そんなことより問題なのは、日本では家を建てるとトイレはたいてい北西側に作ります。すると、マッカの方向にお尻が向いてる可能性があるわけで、日本でムスリム/ムスリマの生活をすると意外なところに問題点が浮上するわけですね。

[64] 知恵の書3章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/30(金) 11:44:24 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=wis&chapter=3&mode=0
 昨年度の記事は[0:666]
 ここは私にはつらいわ。
 子どもがたくさん生まれて家が栄えるのを主の恵みととらえているので、逆に、子どもができないこと、育たないことは主の罰ということになっちゃう。だから「姦淫をおこなう者の子らは育たず、不義の関係から生まれた者は消えうせる」(16節)だの「不義による子孫の末路は悲惨である」(19節)という発想になっちゃうのね。
 こんな昔の考えは無視しちゃってもいいんだけど、私に子どもができないのは、やっぱり私が不義の子だからかなって、ふと思ったりもします。

 私が生まれるころ、母は創価学会の地区の幹部と不倫をしていました。だから父はいつも酔うと「お前はおれの子じゃない」って私にあたってきました。真相はよくわかりません。母が不倫をしていたのはまぎれもない事実なんですが、相手は私が生まれてほどなく事故死、中学生になってこういう話をいろいろ聞いた私が母に問い詰めたところ、否定も肯定もせず「お前が大人になったら教えてあげる」と言ったきり、母は私が高校3年生のときに秘密を墓に持ってってしまいました。
 そんなわけで私はたぶん不義の子なんでしょう。いえ、たとえ父の実の子であったとしても、こんなふうに父を憎み母を憎みながら育った私には、どちらでもいいことです。こうやってひねくれて育った私の胎を主は閉じてしまわれたんでしょうかしら。これだけさんざんセックスしても子どもができません。
 でも私と違って主人のほうは、父親母親の愛をいっぱいに受けて育ったし、私と出会った45歳までセックスを2回しかしたことがないという潔癖さ(でもたった2回でも女を買ったのは不義なのかしら?)なのに、生殖能力が弱いんだから、ヤハウェくんはいったい何を考えておられることやら。
 いいわ、もう一生2人きりで生活すると決めたから。
 でも、主人か私かどちらか一方が死んだら、生き残ったほうはどうやって生きていけばいいのかしら? 死んでも誰にも知られず、まともな葬式もされずに焼かれちゃうんでしょうね。
 いま、創価学会からやっと解放された私たち夫婦は、わが家の宗教を決めるため、いろんな教会を巡礼中なんですけど、ちゃんと教会の人たちに葬式をしてもらうためには、近場の教会、そういう人のつながりが密な教会を選んだほうがいいかしらね。礼拝がゴージャスだとかいう選び方もいいけど、やっぱり宗教選びは、最後は「人」かしら?

[63] イザヤ書12-17章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/30(金) 11:22:58 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=isa&chapter=12&mode=0
 昨年度の記事は[0:411]
 イザ14:28に「アハズ王の死んだ年にこの託宣があった」とあります。アハズ王が死んだのはBC715です。こういうのをパッと見られるように、「南北の王名を覚える歌」とともに専用ページ
http://www.babelbible.net/mariko/bib.cgi?doc=kings&course=bib
を作りましたので見てください(真理子日曜学校の「聖書入門」)。
 8番にあるように、アハズ王は北が滅んだときの王なんです。これはしっかり覚えておくといいです。
 北がアッシリアに滅ぼされ、南も相当な危機感を持っていた時代。そういう時代背景がわからないと、14章なんか何言ってるのかわかりません。つまり北は滅んじゃったけど神様はまた北の地にイスラエルの民の国ができ、アッシリア(バビロンの王とも呼ばれています)も滅ぼされるという希望の預言をしているんです。
 「黎明の子、明けの明星」( イザ14:12)は、なんかロマンチックでキレイな感じですけど、実は金星っていうのは悪魔ルシファーの象徴なんです。夜明けの一時期は派手に輝くけどやがて太陽が上ると消えてしまうのですから。アッシリアもこんなふうに消えてしまうぞと言ってます。

[62] 1ニフ8章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/29(木) 12:33:25 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ne&chapter=8&mode=0
 リーハイは夢を見ます。その夢の意味するところは、どうも上の息子レーマンとレミュエルは傲慢さのために自滅するということのようです。そこでリーハイはこの二人をさとします。

[61] トビト記3章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/29(木) 12:30:17 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=tob&chapter=3&mode=0
 昨年度の記事は[0:387]
 トビト記のもう一人の主人公サラの登場。
 昨年も書きましたけど、初夜で男を殺してしまう女っていうのは、ずばり性欲絶倫のカマキリ女なのです。横で主人が「それはお前のことだ。おれはお前に食い殺されそうだ」などと言ってますが無視します。
 今年は女奴隷の話をしましょう。この女奴隷は奴隷の分際で主人になんてひどいことを言うのかと思ってよくよく読むと、この女奴隷はサラに仕えているのではなく、サラの父ラグエルに仕えているんですね。だからこういうことが言いやすいのかもしれません。
 しかし、本文には書かれてませんけど、これだけひどい言われようをするってことは、サラってけっこうキツい性格なんじゃないかと思います。ふだんからこの女奴隷につらくあたっていたんでしょう。でなきゃいくら何でもこんなに言われるはずがありません。
 性欲絶倫女ってけっこう性格キツいですからね。横で主人が「やっぱりお前のことだ」と言ってます。

[60] ヨブ記5-6章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/29(木) 11:52:51 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=job&chapter=5&mode=0
 昨年度の記事は[0:410]
 リビングバイブルのヨブ記もあわせてお読みください。
http://www.biblica.com/uploads/pdf-files/bibles/japanese/ot/job.pdf

 ヨブ記は要約してしまうとちっとも面白くありません。「教条主義的な友人たちの忠告にヨブが反論する」だけでおしまいになってしまいます。
 そこで、あらすじとはまったく関係なく、面白い表現をとりあげて味わっていくことにします。

 今日は ヨブ6:6「すべりひゆのしる」(口語訳)について。
 これ、何かと思ったら
http://www.toakasei.com/products/plant/porturaca.html
かゆみどめなどに皮膚に塗る薬じゃない。メンターム、タイガーバームのたぐいでしょうか?
 でも、メンタームって口に入れても大丈夫なのかしら? まあ、口に塗るリップスティックも売られてるくらいだから、害はないんだろうけど味はなさそうね。
 それにしても、本来口に入れるものじゃないのを例にあげるなんて、ヨブ記の作者は何を考えていたんでしょう?
 ヘブライ語ではחַלָּמוּת(ハッラムート)です。うちのヘブライ語辞典
http://www.babelbible.net/davidson/davidson.cgi
では、Davidsonで260ページ、Geseniusで262ページ(どちらもחלםの項)です。長々と説明が書いてありますね。
 要するにわかんないんですよ。岩波訳の注を引用しますと、

原語ハッラムートは旧約ではこの箇所だけで、同定は困難。古代語訳はさまざまで、ペシッタ、タルグムの一つは「卵の白身」。七十人訳は「空虚な言葉の数々」で、エリファズの弁論が食えない代物であることを示唆する。

ってことなんです。ここにしか使われてない言葉だから、何だかよくわからないってわけですね。
 ヨブ記って、舞台がエドム地方だということもあるのか、ヘブライ語がヘンなんですね。わけのわからない箇所がうじゃうじゃあるみたいです。
 さて、諸家の格闘の跡を見てみましょう。

●卵の白身系
 文語訳(旧約だから明治訳しかありません)は、蛋《たまご》の白《しろみ》。これはKJVのthe white of an eggそのまんまですね。この「卵の白身」系統はいろいろあって、たとえば、
   バルバロ(旧新とも):卵の白身
   フラ:卵の白味
   新共同(共同も):玉子の白身
   新改訳:卵のしろみ
   リビング:生卵の白身
   回復:卵の白身
 でも私は言いたい。卵の白身に味がないなんていうのは料理の仕方が悪いんです。卵の白身はメレンゲの原料じゃありませんか。
 ところで日テレの「メレンゲの気持ち」ってどういう意味なんでしょう?

 光明社:味《あじわ》わば死を来《きた》すもの。光明社訳はヴルガタの忠実な訳ということに特徴があり、ヴルガタはquod gustatum adfert mortemとなっているのをそのまま訳したのです。
 上の岩波の注にあるように、LXXは「ῥήμασιν κενοῖς」(空虚なことば)となっているので、ヴルガタはまるっきり創作しちゃってますね。
 なお、「カトリックはヴルガタを大事にするから昔のカトリック陣営の翻訳はみんなヴルガタに違いない」という思い込みは相当強いようで、田川建三さんや、最近では『旧約聖書と新約聖書』(新教出版社)の上村静先生までが、「バルバロはヴルガタが底本」なんてまちがったことを書いてますが、ここの訳を見れば、バルバロがヴルガタじゃないことは明白です。今後Twitterでこの手の妄言を見かけたら、バスター真理子は駆除に乗り出します。

●粘液系
 口語訳の「すべりひゆのしる」の系統ですね。これはRSVのthe slime of the purslaneを訳したものみたいですね。口語訳は実質的にRSVを底本にしているというウワサがありますが、ここはその証拠かしら。この系統は、
  新世界:うすべにたちあおいのねばねばした汁
  岩波:あの草の汁

●チーズ
関根:ねばねばしたチーズ。Davidsonの説明中にちらっと書いてあったように、実はチーズ説もあるんです。でも関根先生はぜんぜん料理をやらないみたいですね。「ねばねばしたチーズが食欲をそそろうか」なんて訳してるけど、カマンベールチーズのとろっとしたところは食欲をそそるじゃない!

●翻訳放棄!
現代:尾山令仁さんは6章全体を「意味も理由もない苦しみに、どうして耐えられようか」と訳してます。はっきりいってこれは翻訳じゃなく解説です。これは文学に対する冒涜です。文学というのはあらすじや解説を読めばそれでいいわけじゃありません。どういう表現が使われているかを味わうものです。

[59] 1ニフ7章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/28(水) 10:33:37 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ne&chapter=7&mode=0
 言わずもがなの言い訳(6章)のあと、話は元に戻ります。
 リーハイの息子たちはみんな独身なので、このまま約束の地へ逃げても子孫ができません。そこで結婚をしようと、イシメル一家を訪れます。
 ところが上の二人の兄、レーマンとレミュエルはまたも不平を言い、それをいさめたニーファイを縄でしばってしまいます。神様の奇跡やイシメル家の人々のとりなしもあってこの場はおさまり、一行は父の天幕に戻ります。


 なお、イシメルというのはIshmaelですから、イシマエルとしたほうが旧約聖書やクルアーンなどとの相性がいいのですが、「真理子のおまけ」(口語訳聖書でモルモン経などを表示させたときに出てくる真理子独自テキスト)のモルモン経は真理子訳ではなく、モルモン教会の作った57年版そのまんま。著作権はもうないので使わせていただいてますが、勝手に変改するのははばかられますので、イシメルのままにしてあります。
 でもどうしようかな。57年版モルモン経って「つずける」とか「仰せ(おうせ)」とか、仮名遣いがヘンなんですよね。57年版モルモン経は別に表示できるんだから、真理子のおまけのほうはいろいろ変えちゃおうかなぁ?

[58] 1マカ3章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/28(水) 10:23:53 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ma&chapter=3&mode=0
 昨年度の記事は[0:556]
 祭司マタテヤがセレウコス朝シリアのアンテオコス・エピパネスへの戦いをはじめながら、志半ばで没したところまでが先週の話。
 マカビオ(マカビー、マカバイ、マカベア)というギリシア語名を持つユダへの賛歌が最初に掲げられ、いよいよユダの戦いが始まります。
 戦力が手薄ながら指揮官セロンの軍を破った話が最初にありますが、どうやって勝ったのかが書かれていないので、あんまり面白くありません。
 アンテオコス王は怒りに燃え、王族のルシアを任命し、戦いに当たらせます。自分はというとペルシアへの遠征に行ってしまいます。
 ルシアはプトレミオ、ニカノル、ゴルギヤという三人を指揮官に任命し、ユダと戦わせます。絶体絶命のユダたち。もう勝ち目はないぞというんで、生き残った奴らを奴隷にしようと早くも商人たちが手ぐすね引いて待ってる状態。さあどうなりますことやら、というのが今日の話です。

 ところで最初の賛歌にあるように、ユダは敵に対して立ち上がっただけでなく、味方に対しても律法を守らない人を殺したりと、けっこう恐怖政治をしています。こういう面も見逃さないようにしましょう。

 49節にある「ナジルびと」というのは、そういう民族・部族があるのではなく、誓願をたてて斎戒して祈る人々のことです。いろんなところで出てくる用語ですので知っておきましょう。私は「修験者」「修行者」と訳したほうがいいような気がするんですけどね。

[57] 詩編6-8編 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/28(水) 10:09:55 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=psa&chapter=6&mode=0
 昨年度の記事は[0:405]。なんと無内容!
 詩編を題材にした音楽のシリーズが続いていますね。Youtubeにはこんな感じで150編全部登録されているのかしら?(未確認)
 ただし来週の9編からは、LXXやヴルガタでは編の番号が異なって来るので、ちょっと注意しなきゃね。
 まず第6編。神様に怒られるような悪いことをした人のざんげの祈り。詩6:6(旧5節)の「死においては、あなたを覚えるものはなく、陰府においては、だれがあなたをほめたたえることができましょうか」が心をうちます。死んじゃうとお祈りできませんものね。生きてるうちに祈っておかなきゃ。
 Youtubeではなぜかオランダ語の讃美歌がいっぱいアップされています。二つ掲げておきますが同じ曲です。こんなふうに讃美歌にもご当地ソングがあるのかしら?

(http://www.youtube.com/watch?v=CcsBMl5jwLs)

(http://www.youtube.com/watch?v=TQbm1_ymR0A)

 第7編。敵に攻められたときのダビデの歌という体裁ですけど、ダビデは戦争を職業とする血なまぐさい王様なので(だからダビデが神殿を建てようと思っても許されなかったということになっている)戦争の詩が多いです。私たちはそういうのを、災難にあったとか、仕事のトラブルに見舞われたとか、そういうふうに読み替えて、わが祈りとしましょう。
 まずはブルーグラス版。私も「ブルーグラス」って知りませんでしたけど、そういう音楽のジャンルがあるんですね。Wikipediaによれば「、アメリカのアパラチア南部に入植したスコッチ・アイリッシュ(現在の北アイルランド、アルスター地方にスコットランドから移住した人たち)の伝承音楽をベースにして1945年末、ビル・モンローのブルー・グラス・ボーイズにアール・スクラッグスが加わってから後に発展したアコースティック音楽のジャンル。」なんだそうな。

(http://www.youtube.com/watch?v=FD6fh2l_tyQ)
 次はベートーヴェンの第五交響曲(私は「運命」なんて言いませんのよ)をバックに流して英語と日本語で第7編を表示するんですが、合間合間の絵がもうベタでベタで、悪いけどふいちゃいましたわ。

(http://www.youtube.com/watch?v=Ueuz10a1aNA)

 第8編。神の偉大さをほめたたえ、人の小ささを詠んだ詩。
 まずはアトランタのゴスペル歌手Richard Smallwoodの歌から。

(http://www.youtube.com/watch?v=iiYxodBRu7c)
 次はオランダ語の歌。なぜか今日はオランダ語が多いわね。ポップで楽しい曲。

(http://www.youtube.com/watch?v=Xcm21qSkUT4)

[56] 1ニフ6章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/27(火) 12:50:50 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ne&chapter=6&mode=0
 いままでモルモン経にお付き合いしてきた私は、ここを読んでぶちキレましたわ。
 異様に短いから何かと思ったら、例の真鍮版に書かれていた系図をここに記録しないことの言い訳じゃない!
 旧約聖書だったら、こういうところでは、私たち読者がどんなに退屈しようとも、延々と人名を並べるわけです。歴代誌みたいに。新約聖書だってマタイやルカはイエス様の系図をでっちあげるわけです。マタイとルカの系図は全然違うんですけど、そんなことはおかまいなし、臆面もなく掲載する。
 ところがJ・スミスJrさんは、そういう系図をでっちあげるが面倒くさくなったので、こういう言い訳を書くんですね。
 こんな、言わなくてもいい言い訳を書くから、モルモン経はみんなからバカにされるのよ。ちゃんと系図をでっちあげるか、でなきゃ何も言わなければよかったのに。

 私の部屋には、米GOOD THING COMPANY社
http://www.goodthingscompany.com/index.html
の作った、聖書の系図が貼ってあります。アダムからイエス様までの系図をうまーく1枚の大きな紙にまとめてあるというすぐれものです。お茶の水のCLC
http://www.clc-shop.com/clconline/index.php
で買ったんですけど、まだ売ってるかしら。
 この系図を見ると、ヨセフの子孫であるマナセやエフライムの系図もちゃんとあって、マナセ族ではエフタ、ギデオンなんてところが有名人。エフライム族ではなんといってもヌンの子ヨシュア、それからサムエルですね。こんなところにうまく矛盾しないように系図をでっちあげればよかったのにね。

[55] シラ書3章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/27(火) 12:37:26 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=3&mode=0
 昨年度の記事は[0:736]
 父を尊べ、母を敬え、というわけですね。
 昨年度(とはいえ今年の6月25日)に「主人のお父様、ボケが進行してて、この先介護が大変になりそうですから。」なんて書いていますね。そのお父様が11月29日にお亡くなりになったのですから、お父様は私たちにたいして介護の苦労をかけることもなく、5ヶ月でお亡くなりになっちゃったのね。
 私自身は、父を憎み母を憎みながら育ったので、この章を解説する資格がないですけど、そのぶん主人のお母様とお父様の臨終前にはいろいろお世話してあげたので、それで許してください。

[54] ヨシュア記11-15章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/27(火) 12:28:38 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jos&chapter=11&mode=0
 昨年度の記事は[0:404]
 戦争の記事が長々と続いてへきえきしますが、イスラエルの願望を現した神話として読み流しましょう。実際にはこれだけ異民族を殺しまくってもその後のイスラエルの民は政治的にも文化的にも異民族に圧倒され続けたのです。
 昨年書いた、未征服の土地の図が見えにくいので、ほぼ同様のコンセプトで作られた、新共同訳聖書注解の図を見てください。これならわかるでしょう。
http://www.babelbible.net/images/josmap21.gif
 ヨシュアが征服できなかったのは、いまでも紛争地帯であるガザ地方を含むペリシテ人の地、ティルスよりも北の地方、それからキレネト湖(ガリラヤ湖)東岸というのが主なところ。その他でも、図で下線をつけられた都市がまだというわけです。死海の西側にエブスというのがありますが、これがエルサレムですから、エルサレムもまだというわけです。
 でも考えてみたら、ガザ地区は今でもイスラエルが実質的に軍事占領してはいるもののイスラエルそのものではありませんし、ティルス(現在のスール)あたりからは今はレバノンです。未征服の町がいろいろあるとはいえ、実質的に今のイスラエルとほぼ変わらない土地を制圧したっていうふうに見たほうがいいんでしょうね。

[53] 1ニフ5章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/26(月) 02:48:08 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ne&chapter=5&mode=0
 ニーファイら息子たちが真鍮版を手に無事にエルサレムから戻ってきたのを見て父リーハイも母サライアも喜びます。実はサライアもだんなさんにぶつくさ言ってたんですね。
 さて真鍮版にはモーセ五書やゼデキヤまでの歴史(つまりこの時点での現代まで)や預言者の言葉が載っていました。そして系図を見ると、リーハイ一家はヨセフの子孫だということがわかりました。

 ところで今回の内容については私は言いたいことがあります。
 ヨセフの子孫っていう設定はいただけないですね。
 イスラエル十二部族は、ヤコブの十二人の子の名前に由来するんですけど、ヨセフだけはヨセフ族っていうのがなく、ヨセフの子であるマナセとエフライムを部族名にしています。そして、イスラエルの民であるからには、自分が何族であるかはちゃんと知ってるはずですから、わざわざこんな真鍮版なんか見なくたってわかるはず。いや、そもそも南に住む「ユダヤ人」であるからにはユダの子孫のはずで、ヨセフの子孫だっていうのはおかしいんですけどね。
 念のためいうと、私はモルモン教に批判的だからモルモン経をおちょくってるわけじゃありません。おかしいことをおかしいと言ってるだけです。おかしなことを書いていれば、たとえ正典だって容赦しません。「ヤハウェくんがバカなことを言ってるわ」みたいに批判しますから。[50]のように。

 ところで、口語訳聖書や新共同訳聖書を選択してモルモン経を表示させると出てくる「真理子のおまけ」は、57年版モルモン経そのままで、私の訳じゃありません。これは信徒の方々にいただいたテキストファイルなんですが、読み返すとけっこう誤入力がありますね。気づいた誤入力は訂正しています。このテキストファイルにはルビがないので、通読計画にしたがってルビをつけながら、誤入力のチェックをしていきましょう。
 57年版モルモン経はときどき仮名遣いがおかしいところがあって「続く」を「つずく」とか「仰せ」を「おうせ」のようにふっていますが、そのままにしてあります。
 逆に気をつけなきゃいけないのは「私」の読み方。原則として「わたくし」なんですけど、いままでのところではお父さんリーハイのセリフの中では「わたし」です。「わたくし」には謙遜の語感があるので、お父さんの言葉ではふさわしくないっていうんでしょうけどね。でも天皇陛下のおことばでも「わたくし」って言ってるわよ。まあいずれにせよそういう読みわけがあるので、ルビは必須です。

[52] 詩歌3章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/26(月) 02:43:59 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=ode&chapter=3&mode=0
 サムエルの母ハンナの祈り。
 ハンナは長いこと子ができず、けんめいに神様に祈ってサムエルをさずかったのですが、この祈りが「子どもを授けてください」という祈りじゃなく、もうサムエルが授けられ三歳になって乳離れしたときの祈りだということに注意してください。もっともこの後ハンナはほかに5人の子どもを生むんですけどね。
 祈りの内容自体は、神様が万能であることの賛美であり、特に何かをしてくださいと頼んでいるわけではありません。

[51] 創世記8-11章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/26(月) 02:41:29 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=gen&chapter=8&mode=0
 昨年度の記事は[0:403]
 洪水がひいてノアたちが助かる話、ノアの堕落の話、バベルの塔の話、アブラムの登場までです。
 昨年も書きましたが、バベルの塔の話の何が罪だったかというと、塔をたてて神に挑戦をしようとかいうことじゃないです。創11:8に「こうして主が彼らをそこから全地のおもてに散らされたので、彼らは町を建てるのをやめた。」とあるように、「散らされるのを恐れたこと」がいけなかったのです。「生めよ、増えよ、地に満ちよ」で、人は全地に散らばって生きなければならないと神様は命じているんです。
 9章のノアの堕落の話はいまだによくわかりません。もちろん意図としては、カナンの代表である(10章の系図参照)ペリシテ人憎しでこういう説話を作っちゃったんでしょうけどね。モアブ人やアンモン人憎しでロトの娘の近親相姦話を作ったり、エドム人憎しでエサウをけむくじゃらのバカとして描いたり、まあそんなもんです。それにしては、ハムが悪いことをしたのに子のカナンが呪われなきゃならないっていうのが理不尽です。エレ31:29-30とかエゼ18:2では、「父がすっぱいぶどうを食べたので、子どもの歯がうく」つまり父の罪が子に及ぶことを否定したんじゃありませんの? ヤハウェくんのさばきはおかしいんじゃありませんの? ひょっとしてヤハウェくんもノアのぶどう酒で酔っ払ってたのかしら?
 いずれにせよ創世記をはじめとした聖書の読み方は、聖書に書かれているとおりに読むというだけでなく、現代の私たちに役立つ教訓を引き出すように読むというのをしなきゃいけないと思ってるんですけど、ノアの堕落の話をどうやって読めば現代の私たちに役立つっていうんでしょうか? 父が病気でふせったとき、子は父をお風呂に入れてあげちゃいけませんの? ヤハウェくん!

 何度も言いますが、私が「ヤハウェくん」という言い方をするときは、聖書の記述にかなり反発しているときです。おバカな人間たちが神様の意志に反したことを書いてるなって思うときです。聖書の記述に納得しているときは「神様」と書きます。上のバベルの塔の話のように。

[50] 1ニフ4章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/25(日) 08:03:11 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ne&chapter=4&mode=0
 ユダ王国末期、エルサレムの滅亡を預言して迫害され荒野に脱出したリーハイ。しかしレーバンが持っているユダヤ人の歴史の書かれた真鍮板を手に入れなきゃというので息子たちをレーバンに遣わします。ところがレーマンら上の2人の息子が交渉してもてんでダメ。これが今までのあらすじでした。
 さあリベンジだというので末の息子ニーファイがレーバンのところにいくと、なんとレーバンは酔っ払っていたので、聖霊の導きに助けられながらレーバンのもっていた剣で彼を殺します。そしてレーバンに化けてエルサレムを脱出、ついでにレーバンの召使ゾーラムも連れてきます。こうしてまんまと真鍮版を手にしたニーファイは、兄たちおよびゾーラムと一緒に、父リーハイの待つ荒野の天幕へと戻ります。

[49] 3イミ2章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/25(日) 07:54:18 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=3ic&chapter=2&mode=0
 人の語る言葉に精神をこめて相手に理解させ心を動かすのは神様のはたらきであると説いています。神様こそが人に語るのです。

[48] ロマ書3-4章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/25(日) 07:40:15 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=rom&chapter=3&mode=0
 昨年度の記事は[0:402]
 [47]のクルアーン4回同様、アブラハムがキーになっています。
 クル2:140では、アブラハムがユダヤ教徒でなくキリスト教徒でなく、もちろん狭義のイスラム教徒でもなかったのに救われた、だからユダヤ教徒でなくても、キリスト教徒でなくても、イスラム教徒でなくても救われる可能性がある、ということを言っていました。
 同様にパウロはロマ書4章で、アブラハムの時代には律法はなかったし、もちろん割礼という習慣もなかったのに、信仰によって義とせられたということをあげて、だから律法を守らなくても、割礼をしなくても、義とされる可能性があると説いているのです。
 ただし、パウロの場合は、誰でも彼でも救われるとは言っていません。重要な条件があります。それは、イエス・キリストを信じるということです。律法も守れないようなどうしようもない悪人であるわれわれを救うべく、神様は御子イエス様を遣わし、そのイエス様が悪人のわれわれのかわりに死んでくださり、よみがえったことによってわれわれの罪は許されたという、この一連の出来事とその意味を信じる者だけが救われるのです。
 要するにパウロは、イエス以後は、キリストを信じる者だけが救われると言っているのです。
 だからこそパウロは、各地を回って宣教に努めたのです。

 しかし私は、あえて、キリストを信じなくても救われる可能性がある、と言っておきましょう。
 救われるというのは、死後に次の生を迎えられるということです。
 私は、「最後の審判随時開催説」をとっていますので、人はそれぞれ死後にただちにさばきを受けます。そして、「神の国=この世説」をとっていますので、さばきに合格した人は再びこの地球のどこかで新たな人間としての生を迎えられると考えます。不合格の場合はそれっきり永遠の死、もしくは人間以外の動物への転生ということも考えられます。
 神様は人間を一方的に愛してくださるので、ほとんどの人は合格、新たな生を迎えることができるでしょう。
 しかし問題は、迎えることのできた新たな生に満足できるかということ。同じ生でも、それに満足できる人にとっては天国であり、満足できない人にとっては地獄だということです。
 神を信じる者だけが救われるという意味はこのことでしょう。信じる人も信じない人も新たな生を迎えたとして、神を信じない人にとっては新たな生はたとえ経済的に恵まれたとしてもつらい人生に違いありません。神を信じる人にとっては新たな生は貧困ではあっても幸福なことでしょう。

[47] クルアーン4回 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/24(土) 07:16:27 コメントする ここから閲覧

 クル-4回。第4回は第2章108-141節。
 クル2:140。「アブラハム、イシマエル、イサク、ヤコブ、および諸支族が、ユダヤ人またはキリスト教徒であったと言うのか」とあります。つまり、ユダヤ教徒でなければ救われない、キリスト教徒でなければ救われないというのは間違いだというのです。なぜなら、「アブラハム、イシマエル、イサク、ヤコブ」の時代にはユダヤ教もキリスト教もなかったのですから。
 もちろん、だからこそ、「イスラム教徒でなければ救われない」というのも間違い。
 イスラムの教えでは、ムスリムというのを狭義のイスラム教徒とみなしておらず、もっと広いものとみなしています。たとえイスラム教をまったく知らない人でも、神様のみこころにかなった人は救われる可能性があるというのです。
 神様というのは、公開収録に参加できるのは受信料を払った人だけ、なんてNHKのようなことは言わないのであり、すべての人が救われる可能性があるし、逆に、信仰を持ったからといってそれにあぐらをかいてちゃいけないと言っているのです。
 NHKということでいえば、私は、有料放送をするならちゃんとスクランブルをかけて、受信料を払った人だけ受信できるようにしろというのが持論です。そういう技術のなかった昔はいざ知らず、地デジ化はその最大のチャンスだったのに。これはもちろん、本当にそれをやったら契約者ががた減りでNHKは損をしてしまう、今までのように日本に在住する人はすべからくNHKを見るべしという税金のようなものにしてしまうほうが儲かるってことなんでしょうね。まったく困った奴らです。災害時に役立つ公共放送ということでいえばラジオだけで十分。ラジオは受信料をとってないんだから、まったく矛盾してる。
 でも、神様をNHKにたとえるなら、よい意味で、一方的にノンスクランブルの放送を撒き散らして、受信料を払うかどうかはみなさまのお気持ちしだい、ということでしょうか。神様は一方的にわたしたちを愛してくださる。それにこたえるかどうかはわたしたちしだいってことです。

[46] 1イミ2章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/24(土) 07:06:40 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ic&chapter=2&mode=0
 「自分に謙遜であるべきこと」という章題ですけど、むしろ前章で強調した「知識の無用」の続きという感じです。知識が人を傲慢にさせてしまうのであり、その知識とは実は最後の審判においてはまったく役に立たず、むしろ人を傲慢にさせてしまって最後の審判に不利にはたらくマイナスのものであると言っています。
 自分が無価値なものであるというを知ることこそ最高の知識、イミタチオの言葉は人の心を打ちます。

[45] マタイ3-4章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/24(土) 05:52:01 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mat&chapter=3&mode=0
 昨年度の記事は[0:400]
 昨年も書きましたけど、イエス様を最初から神様だったとしてしまうと、「じゃなんでヨハネに入門しなきゃならないんだ」ってことになっちゃいます。
 もっと言えば、洗礼っていうのは罪を告白し悔い改めて洗い流し、新しい生を迎えるという儀式ですから、「イエス様も罪を犯した」ってことになっちゃうわけです。少なくともイエス様自身には罪の意識があった。だからヨハネの洗礼を受けたわけです。
 こんなふうに、ヨハネの洗礼をイエス様が受けたという意味をつきつめていくと、キリスト教の信仰上非常にまずいことになっちゃうわけなんですけど、それにもかかわらず四福音書ともヨハネのことをカットしていないってことは、それだけヨハネという人は偉大であり、ヨハネのことを書かずにはいられなかったってことなんでしょうね。もし、イエス様の宗教活動が成功しなかったら、いまごろ私たちは、ユダヤ教ヨハネ派の信徒になっていたかもしれません。

 マタ4:15-16のイザヤ書の預言は昨日じっくり読みましたね。このあとに「ひとりのみどりごが生まれた」って話になるわけなんですけど、もとはヒゼキヤ王(南13。BC715-687)の即位のときの祝賀のことばであり、すでに北王国は滅んでしまいましたが、神様はこの地域にも将来には光を照らしてくれるはずだという意味でした。これが、イエス様がガリラヤ地方で宣教を始めた話になっちゃうわけですから、新約聖書の著者たちによる旧約聖書の引用の仕方がいかに前後の文脈無視、時代背景無視のむちゃくちゃかということがわかります。まあ、預言書っていうのは「何を言ってるかよくわからないけど、部分部分ではそれらしいことを言っている」本だから、そういう引用の仕方になっちゃうんでしょうけどね。いまの私たちもそんな読み方をしちゃってるかもしれません。

[44] クルアーン3回 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/23(金) 15:04:09 コメントする ここから閲覧

 章の途中ですのでリンクはこちらから。クル-3回。2章75-107節です。
 クル2:104のラーアイナー(راعنا)は当時のあいさつことばの一つですが、
http://www.babelbible.net/wehrcown/wehrcown.cgi
のQrの59ページに書かれている(رعي)ように、ユダヤ人によって悪口に使われたので、もうこれからは使うなというのです。悪口の意味は代表的なアラビア語辞典Wehr-Cowanにも載ってないのですが、手元にあるAbdur Mannan Omar編のDictionary of the Holy Qur'an によればfoolish and swollen-headed and conceited person(バカで、頭がふくれて、生意気な奴)になるんだそうです。

[43] 知恵の書2章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/23(金) 14:12:37 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=wis&chapter=2&mode=0
 昨年度の記事は[0:658]
 最後では否定されますけど、2章のほとんどで書かれているのは、多くの人が考えている死についての間違った考え方です。
 死んだらすべておしまいだから、その場かぎりの楽しみを追求し、力のみを信じ、うるさいことをいう老人や学者を迫害してやろう、というわけですね。
 神様ご自身に形どられた人間は死ぬはずがなく、悪魔の仲間になる者が死ぬというのです。
 私は輪廻説を信じているので、この場合の「死ぬ」というのは、単に今生の死ではなく、死後に新たな生を迎えられなくなることと理解します。
 すべての人は死んだらすぐに神様とイエス様によってさばきを受けます。たいていの人は合格するのでこの地球のどこかで新たな生を迎えますが、さばきの結果によって幸福な環境に生まれるかつらい環境に生まれるかという違いはあります。万一不合格になるとそれっきり、究極の死です。

[42] イザヤ書7-11章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/23(金) 13:59:44 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=isa&chapter=7&mode=0
 昨年度の記事は[0:398]
 今日の範囲は、7章のインマヌエル、9章の「ひとりのみどりご」と、キリスト教徒にとっては重要な箇所です。もちろんこれはキリスト教徒が旧約聖書のあちこちを探しまくって「ほらここにイエス様のことが書いてあった」とこじつけたものなんで、だから昨年も「だったらイエス様の誕生を予告した天使は、その子をインマヌエルと名づけなさいって言えばよかったのに」なんて書いたんですけど、今年はじっくりと、本来これらの箇所が何を言ってるのかを読んで行きましょう。

 まずはインマヌエル預言のイザ7:14
 時代はアハズ王(南12。BC735-715)の時代、BC734年です。
 アハズ王のときに何が起こったかわかりますか? 北が滅んじゃったんですね。
 例の、南北の王名を覚える歌([0:787]。ああめんどくさい。今日じゅうに専用ページを作るわ)の7~9番です。

7.南はアマジヤ、次ウジヤ
病気でヨタムに交代す
北はヤラベアム、次ヨタム
おんなじ名前になっちゃった

8.北はゼカリヤそのあとは
シャルム、メナヘム、ペカ、ホセア
みんな謀反で即位して
国まで滅んでしまったわ

9.アハズ、ヒゼキヤ、マナセ、アモン
ヨシヤ、エホヤハズ、エホヤキム
エホヤキン、ゼデキヤと即位して
南も滅んでしまったわ

 列王記でいえば15-16章近辺([0:768])、歴代誌でいえば28章あたり[0:904]です。
 なお、今日の箇所では北王国はエフライムと呼ばれています。イスラエル十二部族のうち、南はユダとベニヤミンですがベニヤミンは少数派で圧倒的にユダ族。北が滅んじゃうと実質的にイスラエルの民=ユダ族になっちゃったので、後に「ユダヤ人」と呼ばれるようになったのです。同様に北の十部族のうち代表はエフライム族。もし南北の運命が逆だったらいまごろユダヤ人じゃなくエフライム人と呼ばれていたかもしれません。
 8節の( )囲みで、65年後にエフライムが滅ぶとあるのが北滅亡の預言ですが、まるきり計算が合いませんね。

 口語訳のスリヤというのはシリアではなくてアラムです。それが北と同盟して南を攻めて来たので、南は大パニックになったんですね。
 当時の大国アッシリアは世界帝国を建設しようとしてエジプト方面への侵攻を企図しますが、途中にあるアラム、北王国、南王国には異なる対応をします。アラムや北王国には多額の朝貢を課しますが、南王国にはそういうことをしません。分断策なのでしょう。アラムと北王国は反アッシリア同盟を結びますが、南王国は同盟に参加せずアッシリアと手を組もうとします。そんなわけでアラムと北王国は即位後間もないアハズ王を廃位させて、言うことを聞く「タビエルの子」を即位させるため、エルサレムに侵攻します。
 イザヤは、二国が攻めてきても大丈夫だからアッシリアと手を組むなんてやめろと言っています。11節の「主にしるしを求めよ」というのは、いざとなったら神様が助けてくれるってことです。それに対してアハズ王は12節で「それ(自主独立して戦う)を求めて主を試す(神様が助けてくれるかどうかを試す)ことはしない」と言います。やっぱりアッシリアと組もうとするんですね。
 そこでイザヤがアハズ王に言ったのがこのインマヌエル預言なのです。
 今インマヌエルという赤ん坊が生まれ、凝乳と蜂蜜という離乳食を食べ、悪を捨て善を選ぶ、つまり判断力がつくようになったら、つまり二~三歳ぐらいになったら、アラムも北王国もアッシリアに攻められちゃうよ、だから大丈夫ってこと。
 つまりこのインマヌエルは決してユダ王国を救うために何かをしてくれるような救い主じゃないんです。単に今生まれる赤ちゃんというだけの話で、どんな名前だっていいんですよ。

 さあて次は「ひとりのみどりご」イザ9:6。昔の区切り方では前章末23節からが9章で、そのほうが内容的にはすっきりします。
 時期は諸説あるのですが、アハズ王の次のヒゼキヤ王(南13。BC715-687)の即位のときに述べられた預言という説をとりましょう。
 すでに北王国は滅んでしまいましたが、神様はこの地域にも将来には光を照らしてくれるはずだというのです。
 つまり、「ひとりのみどりご」とはヒゼキヤ王のこと。りっぱなヒゼキヤ王が即位したので、国は平和におさまる、とヒゼキヤ王をよいしょしているんです。

 まあそんなわけで、インマヌエルも「ひとりのみどりご」も、イエス様とは何の関係もなかったわけですね。

[41] 1ニフ3章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/22(木) 10:03:23 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ne&chapter=3&mode=0
 エルサレムを脱出したリーハイ一家ですが、主のお告げがあって、エルサレムの住民レーバン(ここで初登場)が持っているユダヤ人の歴史と先祖の系図を書いた真鍮(しんちゅう)板を持っているので、それをもらって来いということになります。
 ところで、ユダヤ人という言い方は、バビロン捕囚から戻って来てから言われるようになった言い方なので、いまいち時代が正しくないような気がしますが、まあおいときましょう。
 息子たちはエルサレムに戻り、長男レーマンが交渉しますが、盗賊扱いされ、お礼の金銀だけ奪われて真鍮板は手に入らず逃げ帰ります。レーマンは嫌気がさして、腹いせにニーファイら弟をぼこぼこぶったたくので、天使がやってきて叱ります。

 ところでちょっとこの場をかりて、イスラム教徒でもモルモン教徒でもない私・真理子がなぜばべるばいぶるでクルアーンだのモルモン経だのを扱うのかということを再確認しておきましょう。
 それはずばり「ユダヤ人の気持ちになってみよう」と思うからです。
 私たちはユダヤ教の聖書を「旧約聖書」と称して、それに新約聖書を付け加えたものを聖書としており、そのことをしごく当然のこととして疑いません。そのくせ、旧約聖書や新約聖書のエピソードをどんどん再構成したクルアーンを読むとうさんくさく思ったり、ましてモルモン経にはいかがわしさを感じたりします。
 でもこれってフェアでしょうか。
 ユダヤ人からすれば、自分たちの聖書が私たちによって勝手に「旧」約聖書と呼ばれ、勝手に新約聖書なるヘンテコな文書を付け加えて聖書にしているのを、たぶん、うさんくさく、いかがわしく思っていることでしょう。それは私たちがクルアーンやモルモン経に対してもつ感情の構図と相似形なのです。
 もちろん私たちがユダヤ教の聖書を旧約としそれに新約を付け加えているのが、不当だとは言いません。それは私たちの立場なのですから。でも、私たちの立場を絶対化せず、どこかで相対化し客観視する訓練をしておかないと、私たちの信仰心はひとりよがりなものになってしまうと思うのです。
 そこで私は、「訓練」として、クルアーンやモルモン経を読んでいるのです。
 どうぞお付き合いください。

[40] トビト記2章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/22(木) 09:43:33 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=tob&chapter=2&mode=0
 昨年度の記事は[0:383]
 エサルハドン王は在位BC681-669。北のイスラエル王国が滅んだのがBC722ですから、41年後ということになります。南のユダ王国は、最悪の王とされるマナセ(南14。BC687-642)の時代です。
 アモス書がひきあいに出されていますが、アモ8:10。アモスは紀元前7世紀ごろに北で活躍した預言者で、黙示録的な最後の審判の預言に特徴があります。[0:854][0:865]もご覧ください。
 トビトは北のナフタリ族でした。北の10部族はアッシリアに捕囚された後に他民族と同化してなくなっちゃったことになってますが、こんなふうにイスラエルの習慣を守り、貧しい同胞を招いて食事するなんて人もいたのです。一緒に食事をするっていうのは絆を深め合うのに一番。だからこそユダヤ人は、異民族と一緒に食事をするのを禁じたので、キリスト教の時代になってこの件でひと悶着起こります。
 トビトはアッシリアのニネヴェに住んでいますが、カナンの地に住んで古来の習慣を守り続けた人たちが後にサマリア人と呼ばれるようになります。南のユダ族がバビロン捕囚されて戻ってきたときに神殿建設を妨害し、それ以来ユダヤ人とは犬猿の仲になります。私たちがなじんでいる旧約聖書とその律法は、バビロン捕囚後にユダ族の立場から編纂されたもので、サマリア人にとっては「あれは違う、これは違う」というものだったのでしょう。
 旧約聖書の正典は主に南の立場で書かれているので、北出身のトビトを主人公にしたトビト記なんかを、副読本としてでも読むようにしないと、いつの間にか思考が偏ってしまうことになるでしょう。

[39] ヨブ記3-4章 投稿者=真理子 掲示日=2011/12/22(木) 09:24:19 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=job&chapter=3&mode=0
 昨年度の記事は[0:398]
 リビングバイブルのヨブ記もあわせてお読みください。
http://www.biblica.com/uploads/pdf-files/bibles/japanese/ot/job.pdf

 2章までは、どんなに不幸に見舞われても愚痴一つ言わなかったヨブも、3章になると突然に恨み節を言い始めます。いったい何があったんでしょう?
 それを考えるには、前回分の2章をもう一度読み返さねばならないかもしれません。
 ヨブは妻の前では愚痴を言っていなかったのですが、三人の友人が来ると愚痴を言い始めたわけです。妻の前では強がっていたヨブも、友人たちの前ではホンネが言えたってことなんでしょうか? そういえばこの妻はヨブ2:9ではずいぶんひどいこと言ってますね。「神をのろって死になさい」ですよ。神を呪うほうはいいとしても「死になさい」はないでしょう? この奥さんはあんまりいい奥さんではなかったのかしら? ひょっとしてヨブの財産目当てで結婚したのかしら?
 あとは、2章最後に、この三人の友人が「七日七夜、彼と共に地に座していて、ひと言も彼に話しかける者がなかった」。七日間も無言の対面をしていたっていうのもすごい話ですね。この長い長い時が、ヨブに口を開かせるきっかけになったのかしら?
 ヨブ記を読むごとに、私は、2章までの優等生のヨブと、3章以後のホンネを言うヨブとがつながらないなって思うんです。ひょっとして1-2章って、後から加筆されたのかしら?
 あら、こんなことを長々と書いていたら、3-4章の話に入りませんでしたね。
 一つだけ書くと、第一の友人エリパズの「テマン人」というのは、エドムの都市です。イスラエルの民が住むカナンの地の南東にモアブという異民族がありますが、そのまた南にエドムがあります。そもそもヨブの住むウヅというのが、どこなのかよくわからないのですが、やっぱりエドムのあたりなんじゃないかと言われています。
 だからこの話は、イスラエルがオリジナルじゃなくて、こういう周辺民族の間に伝わった話、もしくは広くオリエントに伝わっていた話がネタなんじゃないかと言われています。