[ばべるばいぶる]

真理子の聖書日記


このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
真理子修道会の修道女/修道士の方のみ書き込むことができます。

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[387] イザヤ書1-6章、トビト記3章 投稿者=真理子 掲示日=2010/12/17(金) 10:31:41 ここから閲覧

●イザヤ書1-6章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=isa&chapter=1&ruby=1&mode=0
通読表
http://www.babelbible.net/bible/dspcalen.cgi
では、金曜日は旧約聖書の「預言」。ただし新約聖書の「ヨハネの黙示録」も含みます。
 「預言」は「予言」じゃありません。「予言」といったら未来のことを予想して言うわけですが、「預言」は、神様から「預」かった「言」葉というわけです。内容的には未来のことも含むかもしれませんけど。
 この通読表でいちばんしんどいのが金曜日かもしれません。一日の範囲が広いうえ、内容が難解。トランス状態で書かれた(またはそのように装った)わけのわからない神様の言葉ですから。それを生半可に理解して、何か天変地異があると、「あっ、これは××書のここに書かれている」みたいなオカルト解釈をしたりする人も多いし、それを鵜呑みにしてヘンな行動にかりたてられたりもする、かなりヤバい本ですよね。
 だから聖書になじみのない人は、金曜日の内容は飛ばしてもかまいません。むしろ土曜日の内容を2日間じっくりやったほうがいいんじゃないでしょうか。
 イザヤ書は、40章以降は別人が書いたとされています。そういうことが言われ始めたのは宗教改革以降。それまでだって神学者は聖書を暗記するほど読んだ(昔は本なんかなかなか手に入らないから、書物を暗記しないと学問は始まらないんで、聖書を全部暗記するなんて珍しくありませんでした)はずで、それだったら、よく読めばそういうことがわかるはずなのに、わからなかったってことは、みんなあんまり預言って真剣に読んでなかったのね。
 内容的な話は来週金曜日に書きますね。トライする人はまず先入観なく読んでみてください。

●トビト記3章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=tob&chapter=3&ruby=1&mode=0
 「××書」「××記」の違いは、一応、××さんが書いたと思われるものは「××書」、××さんについての話なら「××記」ってことになってます。もっとも翻訳によってはごっちゃにしていることがあります。
 さて3章は、トビト記の女主人公サラの話。今まで7回結婚したのに、初夜でみんな男が死んじゃう
 。私はこれを読むと、以前、朝鮮語を勉強したときにいろいろ見た、韓国のエロ映画とか、「ピョンガンセ(병강쇠)伝」を思い出します。一応古典芸能パンソリの演目にもなってるんですよ。巨根の持ち主ピョンガンセ、日本でいえば道鏡ですかね、そういう絶倫男が主人公なんですが、女主人公にオンニョ(옥녀)っていうのが出てきまして、セックスした相手がみんな死んじゃう絶倫カマキリ女なんです。この二人が出会ってさあどうなるかという話なんですけど、サラってまさにオンニョみたいな感じなんでしょうね。
 韓国にはこういうおおらかなエロ話があって、決していやらしくなく、むしろおかしい。まさに「艶笑譚」。昔、今村昌平監督の『赤い橋の下のぬるい水』っていう映画がありました(辺見庸の同名小説の映画化らしいです)けど、これはセックスのときにあまりに潮(それが「ぬるい水」)を大量に吹いて周囲が洪水になってしまうという女の話。でも一応設定は現代なんですよ。これもおかしい艶笑譚でした。そういう艶笑譚としても読めますね、トビト記って。

[386] ギリシア文字パッド 投稿者=真理子 掲示日=2010/12/16(木) 21:01:39 ここから閲覧

だんなのサイトに、デーヴァナーガリー文字やアラビア文字入力のためのユーティリティーを設置したのですが、それを機に、私のサイトのギリシア語入力ユーティリティーを大幅改良した、ギリシア文字パッドを作りました。
http://www.babelbible.net/lang/grpad.htm
 ポイントは、発音をカナで示せるようにしたことと、それから、全部Javascriptで書き直したこと。Javascriptって、あなたのブラウザ(IEとかFirefoxとかGoogle ChromeとかOperaとかSafariとか)に組み込まれた言語、いわば「ブラウザのマクロ」ですから、今までみたいに一文字一文字ボタンを押すたびに私のサイトにアクセスするようなことをせず、全部あなたのマシン上で動作することです。それから、コードが全部見えますので、自由に改変することもできます。
 私は著作権なんて大嫌いなので、私の作るものはみんな「どんどん持ってって、みんなあげちゃう、うふん」ということにしたいんですけど、今までみたいなCGIだと持ってってもらうわけにもいかない。Javascriptにすれば持ってってもらえます。

 でもJavascriptって大変だったわ。デバッグ環境は最悪。どこでエラーが起こったか全然わからないから、「エラーが起こったら怪しいところを削ってみる」「試したい機能だけを抜き出したサンプルページを作ってテストする」っていうのの連続。

 それからJavascriptって、いい参考書が全然ない。いや、どの参考書も工夫していてできるだけ使いやすくしようと思っているっていうのはわかるんだけど、たぶんJavascriptの性質上、絶対にいい本が作れないんだろうと思います。だってJavascriptって、言語仕様は超単純なんですけど、ブラウザの各部品その他あらゆるものをオブジェクトにして、それぞれにプロパティ(いろいろな設定値)、メソッド(その設定値を変更するための操作)、アクション(ユーザがどういう操作をしたかを検知する)がずらずらずらずらーっとある。それを覚えないと使えないわけです。
 そうすると参考書はものすごく分厚くなり、字は小さくなり、アラフォーで老眼進行中のババァな私にはとってもツライ。なにしろ索引だけでたいへんなページ数で、しかも索引の種類がいっぱいあって、どの索引をひけばいいかすら迷っちゃう。
 FORTRANみたいな昔の言語でいえば、とりあえず言語仕様を覚えれば何とかなる。たとえば行列の掛け算とか、自分でプログラムするつもりになればできるわけです。実際にはそういうのは、とっくに全部誰かがプログラムしちゃっていまして、それがライブラリーとして用意されているから、自分でプログラムする必要はない。逆に、そのライブラリーの呼び出し方を覚えなきゃいけないんだけど、それは少しずつやってきゃよかった。ところがJavascriptは、そういうライブラリーを覚えないと何もできないわけです。だから最初の敷居がとっても高い。Javascriptに限らず、最近のオブジェクト指向言語が難しいのは、実にこの点なんです。
 実は、Javascriptの一番いい参考書はネットです。迷ったら「Javascript ラジオボタン 値 取得」みたいなキーワードでぐぐっちゃうのが一番早いです。これからは何でもそういうことになっちゃうのかしらね。

[385] 青木健『ゾロアスター教』『アーリア人』 投稿者=真理子 掲示日=2010/12/16(木) 20:06:42 ここから閲覧

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4062584085.html
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4062584387.html

[374]に続いて青木健さんの本を立て続けに読んでみました。どちらもすごく面白かった。青木さんのシニカルなジョークも全開で、バスの中で読んでたら爆笑しちゃいましたわ。

 『ゾロアスター教』のほうは、この宗教にいかに私が無知だったかを思い知らされました。ゾロアスター教なんて昔のイランにあった地方宗教なんていう認識は甘いです。ザラスシュトラが説いた世界の終末がなかなか来ない(あらら、イエス様が「すぐにでも来る」と言ったはずの終末がなかなか来ない「終末遅延問題」ってキリスト教だけじゃないのね)ので、神官たちが編み出した苦肉の説「未来に終末がやってくる」というのが、ユダヤ教のメシア思想にも仏教の未来仏思想にも影響を与えていたのね。
 『アーリア人』のほうは、スキタイ人だのパルティア人だの大月氏だのエフタルだのソグド人といった、真理子にとっての「世界史の脇役」の話がいっぱい出てきて勉強になりました。
 そしてどちらも、ニーチェの説くツァラトゥストラとか(なにしろ私、『ゾロアスター教』を読むとき、リヒャルト・シュトラウスの『ツァラトゥストラはかく語りき』、あの、映画『2001年宇宙の旅』に出てきた冒頭だけがやたら有名なあの曲です、それをBGMにして読んでましたから)とか、ナチスの「アーリア人」みたいに、ヨーロッパから異様に神秘化されてしまった歴史をもしっかり書いてあります。
 あまりに新しい話がいっぱい出てきて真理子の頭は台風になっているので、しばらくは手元において何度も何度も読み返したいと思います。

[384] ヨブ記1-2章 投稿者=真理子 掲示日=2010/12/16(木) 10:24:10 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=job&chapter=1&ruby=1&mode=0
通読表
http://www.babelbible.net/bible/dspcalen.cgi
では、木曜日は旧約聖書の「文学」です。具体的にはヨブ記、箴言、コヘレト、雅歌の4つです。どれも詩ですので、詩篇同様に必ず声に出して読み、できれば暗唱してください。黙読しちゃうとちっとも面白くないです。
 さてヨブ記は、正しいことをしている人が徹底的に不幸になっちゃう話。今日の第1-2章は導入です。神様がサタンにそそのかされて、ヨブに徹底的に不幸を与えてしまいます。まったくひどい話ですが、ここまでひどくないにせよ、この世の中には正直者がバカを見ることが数多くあり、あなただって毎日1回はそういう目にあっているはずです。そういうときにどう思えばいいか、ヨブ記を読んで人生の知恵にしましょう。

[383] 詩編1-2編、トビト記2章 投稿者=真理子 掲示日=2010/12/15(水) 08:30:55 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=psa&chapter=1&ruby=1&mode=0
 旧約聖書には「詩編」という、150編の詩がおさめられている部分があります。水曜日はそれを一年間かけて読んでいきます。
 通読表
http://www.babelbible.net/bible/dspcalen.cgi
では一番のんびりした進度の日です。ここはぜひ、最低でも声を出して読みましょう。できれば暗唱にもチャレンジしてみましょう。

 旧約聖書続編、トビト記のほうは第2章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=tob&chapter=2&ruby=1&mode=0
 トビトが失明をしてしまいます。私が読んでいていたたまれないのは、失明をしてからのトビトは、すっかり猜疑心が強くなってしまって、最愛の奥さんにさえつらくあたってしまうシーンです。

[382] ヨシュア記1-5章 投稿者=真理子 掲示日=2010/12/14(火) 07:38:38 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jos&chapter=1&ruby=1&mode=0
通読表
http://www.babelbible.net/bible/dspcalen.cgi
では、火曜日は旧約聖書の「歴史」です。ユダヤ教の伝統的な分類では「預言者(の書)」に入るんですけど、キリスト教のほうでは、預言者っていったら、何だかわけのわからない詩をぶつぶつ言ってるイザヤ書~マラキ書だけにして、イスラエルの歴史の話が書かれているヨシュア記からエステル記までを「歴史」とするのが普通です。
 火曜日は分量がかなり多いので、歴史小説を読むような感じで速読をするといいです。

 さてヨシュア記は、エジプトを脱出して放浪していたイスラエルの民が約束の地に入る話、ただ「入る」ったってそこには先住民がいるわけで、当然戦争になります。全編が戦争の話で、神の力のもと、勝って勝って勝ちまくり、殺して殺して殺しまくり……です。はっきり言ってゲンナリすることも多々あるかと思いますが、「本当は恐いグリム童話」みたいに、昔のお話って残酷なものが多いですよね。現代の私たちは、桃太郎の鬼退治の話を子ども向けに語るときは「最後は桃太郎も鬼もみんなで仲良く」みたいに改作しちゃうかもしれませんけど、本来は残酷な鬼退治の話で、あんまり退治されるほうには感情移入しないで、ともかく素直に「勝った勝ったバンザイ」みたいに読んでください。
 今日のところではヨシュ1:9に「強く雄雄しくあれ」なんてあるでしょ? こういう言葉から素直に勇気をもらえばいいんですよ。意外にアメリカの黒人奴隷たちって、自分たちも抑圧された側なのに、ヨシュア記好きですよ。「ヨシュアは攻めたよジェーリコー」なんていう歌もあるでしょ?

 今日の1-5章は有名なエピソードがいっぱいあって、2章では遊女ラハブの活躍もあります。マタ1によれば、このラハブはイエス様のご先祖です。イエス様の先祖には遊女もいたんですね。

[381] トビト記1章 投稿者=真理子 掲示日=2010/12/13(月) 10:26:14 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=tob&chapter=1&ruby=1&mode=0
 通読表
http://www.babelbible.net/bible/dspcalen.cgi
には、2日に1回、もう一つの通読箇所が書いてあります。
 これは、旧約聖書続編という部分です。
 旧約聖書はもともとヘブライ語で書かれていましたが、外国に移住してヘブライ語がわからなくなったユダヤ人のため、またそもそも外国人に読ませるために、当時の国際語であるギリシア語に訳されました。「七十人訳聖書」っていうんですが、この聖書はただの翻訳ではなく、原典なみの権威をもった翻訳として尊ばれました。
 が、この翻訳には、ヘブライ語原典が存在しない文書(これが「旧約聖書続編」です)が含まれていたんですね。
 当時はまだ、聖書に含まれる本の数や種類がふらふらしていたんですが、後にユダヤ教では、続編を聖書から除いちゃって、聖書は39の書物からなるってことになりました。一方、キリスト教が受け継いだ旧約聖書には、続編がそのまま残っちゃいました。
 16世紀の宗教改革者たちは、カトリック教会の権威を否定して、聖書のみに権威を認めよう、ついては聖書ももとの形に戻そうというので、続編をカットしちゃいました。一方、カトリック、東方正教会、聖公会の聖書には続編が残りました。
 聖公会を除くプロテスタントでは、続編を読まないので、オリジナルの通読表には続編が入っていませんが、当ばべるばいぶるでは続編もちゃんと読もうというので、2日に1回、機械的に1章ずつ読んでいきます。偶然にもそれでちょうど1年ぶんになるんですね。

 今日読む部分はトビト記の冒頭。どういう話かは読んでのお楽しみ。天使ラファエルが大活躍する面白い(人によってはくだらないかも)説話風の物語です。

 なお、一番上のリンクで出てくる口語訳聖書はプロテスタント用の聖書でして、続編は入ってません。ですが、ばべるばいぶるがデフォルトとしている口語訳聖書には、一応すべての書を入れておこうということで、続編は真理子が独自に訳した「真理子のおまけ」を表示するようにしています。もともとの口語訳聖書には入ってませんのでご注意ください。

[380] 創世記1-3章 投稿者=真理子 掲示日=2010/12/13(月) 10:14:27 ここから閲覧

 そんなわけで、通読表
http://www.babelbible.net/bible/dspcalen.cgi
に従って、その日の分に関する簡単なコメントを書いていくことにします。

 今日は創世記の1-3章。
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=gen&chapter=1&ruby=1&mode=0
でお読みください。これは1955年に出た「口語訳聖書」です。その後の1987年に出た新共同訳が現在の標準ですが、著作権の関係で口語訳聖書のほうにします。修道会会員の方は新共同訳もばべるで読めますよ。

 月曜日は「律法」。これは旧約聖書の最初の5つの書で、ユダヤ人が守るべき規範が記されています。もっとも最初の創世記と、次の出エジプト記の前半は、規範というより歴史物語風になっていますが、伝統的に律法扱いされています。伝統的にはこれらはモーセが書いたことになっていますが、今ではそんなことを信じている人は福音派(聖書の一字一句を真理として信じる人たち)だけです。

 1-3章は、天地創造とアダムの堕落。ここは非常に有名なところで、言いたいことが山ほどありますが、ぐっとこらえて一つだけ。いつも思うんですけど、アダムとエバの言い訳がとってもリアルで、いっつも私ってこういう言い訳の仕方をするわね、と思わず笑っちゃいますね。

[379] 明日は通読表の新年です 投稿者=真理子 掲示日=2010/12/12(日) 05:40:11 ここから閲覧

 うちのサイトで使っている聖書通読表
http://www.babelbible.net/bible/dspcalen.cgi
は、1年間で聖書全部を読んじゃおうというものですが、今日でその1年が終わり、明日12/13(月)から新しい1年が始まります。
 ずいぶんヘンなときに始まる気がします。どうせなら1/1とか12/25から始めればいいのに、と思いますが、それはこの通読表のオリジナル
http://www.bible-reading.com/bible-plan.html
が、正確には「1年で聖書を読む」のではなく「52週で聖書を読む」ものだという事情があります。つまり1年を52週364日として、364日間で聖書を読もうというプランなので、1996年1月1日の開始以来毎年毎年1~2日ずつ開始日が早くなっており、今回の新年度は12/13から始まるわけです。
 この通読表は、月曜日=律法、火曜日=歴史、水曜日=詩篇、木曜日=文学、金曜日=預言、土曜日=福音、日曜日=使徒たちの手紙というふうに、曜日ごとにジャンルわけしているので、開始日がずれてきてでも週の単位にこだわろうということなのでしょう。
 真理子もこの通読表で1年間読んで来ました。1年間で聖書全部を読もうというのですからかなりハードですが、分量の多い火曜日や金曜日はふつうの小説を読むように早読みし、詩篇や福音はじっくり読むことができました。また、聖書の一部にはとても退屈な部分がありますが、曜日によってジャンルが違うので退屈を紛らわすことができ、無理なく読めました。
 この機会にぜひあなたも聖書通読にチャレンジしてみましょう。

[378] 炊飯器と煮豆 投稿者=真理子 掲示日=2010/12/11(土) 23:46:38 ここから閲覧

 ご飯を炊く以外の用途に炊飯器を使うというのは最初は抵抗があるかもしれませんが、一度やるとやみつきになります。とても便利ですから、ホームセンターとかアウトレット店とかで安物の炊飯器を買って煮込み料理専用にするといいです。
 本屋には炊飯器を使った料理の本もありますし、mixiには「炊飯器レシピ」というコミュもありますし、日テレで以前やってたおネエMANSでマロンさんがよくレシピを披露してましたが、実のところは2・3のレシピを見たら後は見る必要がありません。なにしろ基本的には水と食材と調味料を入れてスイッチポンだけですから。
 ついでながら、ラジオしか聴かない私もおネエMANSは見てました。料理や化粧やファッションという女のたしなみも、男性に教わるほうが勉強になりますね。考えてみれば料理人なんてプロはみんな男性だし、美容師も男性が多いですよね。まして女性的な男性っていうのは、努力しなければ女になれないぶん、研究熱心なんでしょうからね。
 炊飯器の話に戻りますが、このとき卵を入れておくとゆで卵が一緒に出来上がるので便利です。

 さて、我が家の炊飯器のもう一つは煮豆器になってると書きました。豆はよく食べます。しかもレンズ豆、ひよこ豆、キドニービーンズといったもの。近所のスーパーになかなか売ってないのでもっぱら通販ですね。
 レンズ豆以外の豆はどれも、最低6時間水につけ、それから水を取り替えて、お米を炊く要領で同量の水を入れ(つまり、豆が目盛り2のところまで入ってたら、目盛りが4になるまで水を入れる。もっと水が多くても大丈夫)てスイッチポンです。塩を入れてもいいんですが、後から味付けするときに邪魔になる場合があるので、我が家では水だけで煮ています。
 保温になったらザルにあけて水をすて、冷ましてから容器にいれて冷蔵庫にいれときます。
 あとは何に入れてもいいんですが、一番使うのはカレーかしら。豆カレーってインド料理の定番ですからね。聖書でもヤコブがエサウに食べさせて長子権を奪ったのが豆料理ですから、豆はおいしいです。
 レンズ豆だけは別。レンズ豆はインスタント感覚で使えます。インド料理屋のダールって(ダールは豆一般なので豆カレーなら何でもダールって言えるんですが)レンズ豆つかってることが多いですよね。形がレンズに似てるからレンズ豆っていうのかと思ったら、まるきり逆で、レンズってもともとこの豆の名前だったのであり、レンズが発明されたときに、豆に形が似てるからレンズって呼ぶようになったらしいです。
 レンズ豆は10分吸水させて15分ゆでれば食べられます。カレーにするなら最初に水につけ、その間にフープロでタマネギをみじんぎりにして、フライパンでニンニクと一緒にそのタマネギをオリーブ油で炒め、それから缶詰のカットトマトと一緒にレンズ豆を入れて、水を入れて(水っぽい野菜ならじっくり煮れば水が不要の場合もあります)15分ほど煮て、おしまいにカレー粉を入れればOK。全工程30分もかからないです。これで小麦粉など入れなくてもどろどろとしたカレーになりますから、うちではカレーは粉で買っていて(通販で1キロ単位で買って大きなタッパーに入れてます)、ルーは使いません。カレーのときは炊飯器もあんまり使わないんですが、炊飯器で作ったシチューをカレーで味付けすることもできますね。それだったら他の食材と一緒に最初にレンズ豆を入れれば大丈夫です。レンズ豆はあまり煮すぎず多少アルデンテ(芯が残ってる)のほうがおいしいですから。

[377] 眠っちゃった 投稿者=真理子 掲示日=2010/12/11(土) 23:04:03 ここから閲覧

 このところ疲れがたまっているのか、今日は朝から体調が悪い。
 朝6時にだんなと朝ごはんを食べて洗濯をしてパートの仕事に出かけて、帰りのバスで熟睡しちゃって終点で他の客に起こされる始末。家に帰っても体がだるくて、晩ごはんのしたくもせずに眠りこけちゃった。
 起きたら夜の9時半。夕方の休憩で家にもどっただんなには夕食を出せなかったわ。
 かわりに「お疲れ様、シチューが出来てるよ」と置手紙があって、炊飯器からいいにおいが。
 私もだんなもパン党、麺食いですし、ダイエットもかねて、うちはお米を一切食べません。2つある炊飯器は、一方はシチュー製造器、一方は煮豆器になってます。
 シチューってラクですよ。野菜を適当に大きめに切る。ダイコンもニンジンもジャガイモも皮つきで一切下ごしらえしない。皮をむくのはタマネギくらい。それを炊飯器に入れて水を入れてコンソメを入れてスイッチポンでおしまい。ここまで5分もかかりません。それで2時間後にはシチューの完成。
 ウチは草食系だし、ダイエットしてるので、あんまり肉類を入れません。肉を使う料理はたいてい豆腐、油揚げ、生揚げのどれかで代用しちゃいます。麻婆豆腐だって、ひき肉のかわりにフープロで砕いた油揚げを使っちゃいますもの。鈍感な人だったら言わなきゃひき肉だと勘違いしてくれます。シチューには肉のかわりに生揚げを大きめに切って入れて豚の角煮だと思って食べます。ホンモノの豚や牛を使うなら事前にさっと炒めてから炊飯器に入れるといいでしょう。
 基本的に材料は水の中に一緒に入れてスイッチを押すだけですが、ソーセージを入れるなら最後に保温になってからです。最初に入れるとソーセージが破壊されて原型をとどめなくなります。
 シチューはこのまま食べてもよし、さらに味付けするなら鍋に入れて調味料を入れてひと煮立ちさせます。たとえばクリームシチューにするなら生クリームと牛乳を入れてひと煮立ちさせて塩コショウで味を整えます。
 炊飯器は便利です。家を留守にしていても安全に勝手に作ってくれますから。いわば全自動圧力釜ですね。ダイコンも一切下ごしらえせずに中まで味がしみこみます。
 だんなもこのテを覚えていたようで、夕方6時に戻ってきたら私が眠りこけていたので、夕食をガマンしてセットしてくれて、2時間後、できあがったころに戻ってきて食べ、それからまた仕事に出かけ、その後に私がやっと起きたというわけね。すっかり私はぐうたら主婦になってしまったわ。
 まあ、ふだんからこうならただのぐうたら主婦でしょうが、ふだんからパートに病院にと忙しく動き回っているのを知っているので、いざというときは優しくしてくれるのね。
 おまけに、「映画のDVDを525円で売ってたから」と言ってマーヴィン・ルロイ監督、ロバート・テイラー、デボラ・カー主演の映画『クォ・ヴァディス』(1952)が置いてありました。それをだんなのパソコンにかけて見ながら私のパソコンでこれを書いてます。パウロとかペテロとか出てきて面白いですね。

[376] にわかナース 投稿者=真理子 掲示日=2010/12/09(木) 16:57:40 ここから閲覧

 だんなのお父様が年末年始に一時退院して自宅で年を越すことになったのですが、毎日血糖値とインスリン注射をしなくちゃいけないっていうんですね。お父様は糖尿病じゃないんですが、ステロイドの副作用で血糖値が猛烈に高くなってまして、普通なら空腹時は80-100[mg/dl]のところが240[mg/dl]とかありますから。
 糖尿病の人は自分で注射をしなくちゃいけないからたとえ幼児でも特訓してできるようにするって聞きましたが、お父様は少々ボケ気味なんで、家族ができるようにしろっていう。
 血糖値は指に針をさして出血させて、センサーの先ですくいとるんですね。インスリンは専用の注射器があって、誰でも失敗なくできるようにはなってますが、それでも注射には違いないですから一応おなかに針をさす。
 実の息子なんだからだんながやればいいと思うんですが、「血を見るのが苦手」「針をさすなんてできない」とかいって逃げ、この役目が私にまわってきました。これだから男はあてにならないわ。
 私はがさつものなんでナースなんて務まらないんですけど、とりあえずやり方は覚えて、ここ数日、面会時間をわざわざ昼食前にして(食事前でないとダメだから)、何回か実習しました。まあなんとかできそうです。

 この実習のためにパートのシフトを変更してもらって、昼間にひまな時間ができたので、神保町の古本屋街にある友愛書房に聖書を捜しにいきました。RVやRSVのアポクリファ(旧約続編)つきがないかなぁと思ったんですが、それはちょっと見当たらない。かわりにいろいろ英語聖書を買いあさってきました。気がついたら3万円くらい使っちゃった。仕事をしないでこんな浪費しちゃうなんて、うさぎさんになっちゃうわ。

 明治訳のルカは入力がすべて終わりました。これは最終24章。
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=mj37&book=luk&chapter=24&ruby=1&mode=0
 次はヨハネです。

[375] マニ教ふたたび 投稿者=真理子 掲示日=2010/12/08(水) 10:23:03 ここから閲覧

 「ゾロアスター・イエス・仏陀の思想を綜合」なんていうとマニ教は怪しげな淫祠邪教という気がしますが、実際にはキリスト教以上に「書物の宗教」だったようで、教祖のマーニーが事細かに教義を定めて本を書いたので、特に知識人に受け入れられた。アウグスティヌスが若いころにマニ教徒だったというのもうなずけるんだそうです。
 もっとも、あまりに細かく決めてしまったので、逆にそれ以上の教義の発展がなかったんだとか。教祖っていうのは、イエス様やお釈迦様のように、著作ナシで口で教えるだけというほうがいいみたいですね。
 そして、ユダヤ教=キリスト教からはアブラハムだのイエスだの、ゾロアスター教からはオフルマズドだのザラスシュトラだの既存の各宗教のキャラクターがいっぱい出てくるので一見親近感があり、そのくせ各キャラクターは換骨奪胎されてマーニーの考える世界を形成しているので、聞き手は知らず知らずのうちにその世界に引き込まれてしまう。
 ちょうど、クルアーンを読んでいるとユダヤ教=キリスト教のキャラクタがいっぱい出てくるのに、みんなイスラム教的に換骨奪胎されているので、知らず知らずのうちに引き込まれてしまうというのに似てます。イスラム教はマニ教の後の世代なので、マニ教がうまくやった点をうまくとりいれてるみたいですね。たとえばマーニーは、自分を「預言者の封印」つまり最後の預言者と規定して、後の世代が自分の宗教を滅ぼすことを防止したのですが、そのテをそっくりムハンマドが使ったわけですからね。
 こういう、新しい宗教が既存の宗教の要素を切ったり焼いたり炒めたり煮たり蒸したりしながらできあがっていく過程を見るのが、とても面白いです。

 それにしても、キリスト教やイスラム教以外の宗教について、高校の世界史で習ったことは、ずいぶん違うなって思います。たとえばゾロアスター教は、善悪二元論で、善神アフラ・マズダと悪神アーリマンが戦って…とか習いました。でも、どうも善悪二元論的な性格はマニ教の影響であり、当初はそうじゃなかったらしいです。それからアフラ・マズダ、アーリマンというのも、オフルマズド、アフレマンというのが正しい呼び方らしいですし。キリスト教やイスラム教は信者が多いので、間違いを訂正する人が多いんでしょうが、マニ教みたいに死んだ宗教や、ゾロアスター教みたいに信者の少ない宗教だと、間違いがいつまでも訂正されないっていうことかしら。
 青木さんは『ゾロアスター教』とか『アーリア人』という本を講談社選書メチエから出しているので、それらも読んで勉強しなおさなきゃ。

[374] 青木健『マニ教』 投稿者=真理子 掲示日=2010/12/06(月) 20:58:16 ここから閲覧

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4062584867.html
------------------
キリスト教がもっとも恐れた謎の世界宗教の全貌
世界初の包括的入門書

ゾロアスター・イエス・仏陀の思想を綜合し、古代ローマ帝国から明代中国まで東西両世界に流布しながら今や完全に消失した「第4の世界宗教」。「この世」を悪の創造とし全否定する厭世的かつ魅力的なその思想の全貌を、イラク・イラン、中央アジア、北アフリカ、ヨーロッパ、中国に亘りあまねく紹介する世界初の試み。
------------------
という帯の文章に興味を持って買ってみました。すごく面白かったです。
 マニ教の概論としては文庫クセジュから出ている『マニ教』という本があるんですけど、正直いってこの本わかりにくいです。以前読んだときポカーンって感じでした。これに限らずクセジュの本ってみんな翻訳ですから読みにくい。
 訳がうまいとかヘタとかじゃなくて、そもそも外国人の本って、発想とか論理とか表現とかが異質で、どんなにうまい訳でもダメです。やっぱり日本人が現代日本人を対象にして書いた本じゃなきゃ。
 で、青木さんの本ですけど、青木さんって文章が面白い。ほとんどブラックに近いようなユーモアがちりばめられていて、電車の中で読んでて爆笑しちゃって恥ずかしかったです。
 マニ教っていろんな意味ですごい面白そうな宗教だったんですね。これ読んで初めてそう思いました。ぜひご一読をお勧めします。

[373] RV全入力 投稿者=真理子 掲示日=2010/12/05(日) 10:10:38 ここから閲覧

 ずっとRV(Revised Version)の入力をしていました。といっても、
http://erv.scripturetext.com/
からもらって来るだけなんですが、1章ずつコピペしてこなきゃいけないので時間がかかっていました。やっと終わりましたのでご報告いたします。
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=erv&book=mat&chapter=1&mode=0

 RVは外典もあるはずですが、このサイトでは外典をサポートしてないのでそこはナシです。どっかから見つけてこなきゃ。
 それと、次の英語聖書はRSVですね。

 それから、NEB(New English Bible)の新約の著作権がこんどの除夜の鐘で切れると書きましたが、1961年発行ですから、来年いっぱいは著作権が存続します。だから次の次の除夜の鐘ですね。まあいいわ、1年間ゆっくりかけて入力しますから。

[372] 旧字体入力 投稿者=真理子 掲示日=2010/12/04(土) 11:26:45 ここから閲覧

 ところで今入力している明治訳聖書は、当然ながら全部旧字体なんで、入力するのが大変。
 以前はネット上の「まるやるま君」
http://hp.vector.co.jp/authors/VA022533/tate/komono/Maruyaruma.html#pos
というサイトで変換してたんですけど、今は自前でやってます。旧字体と新字体の対照表をネットのどこからか拾ってきて、Perlで一括置換でやってます。
 今のWindowsだとJISも第3第4水準まで使えるみたいですけど、まだまだ第2水準までという環境も多いので、できるだけ第2水準内におさまるようにしてます。たとえば「祷」の旧字体「禱」は第3水準で、Unicodeには存在するので使ってもいいんですけど、今のところは使わないようにしてます。Unicodeを使うのは関連字が第2水準までに存在しないときだけ。
 同じ旧字体と新字体の対照表を使って、新字体だけのバージョンも作り、それを携帯画面用にしています。携帯では旧字体の入力が大変で、検索に支障が出ますから。
 新字体では旧字体の複数の字を一つにまとめたものも多く、新→旧の変換のときに一律にやっちゃうとまずいこともあります。たとえば「余」は、一人称代名詞としては昔も「余」なので、一律に「餘」にしちゃうとだめ。だから「字の直前に!マークをつけたものは変換しない」とかいうふうにして、過剰な変換を抑止する装置もつけてあります。
 不思議なことに明治訳は、「豫」を使わず、絶対に「予」なんですよね。そういうものもありますから。

 「まるやるま君」っていう名前、どういう意味なのかと思ったら、Mac上で動く旧仮名旧字体入力システム「丸谷君」(丸谷才一に由来)
http://hp.vector.co.jp/authors/VA005156/
のパロディーなんですね。Mac使わないから知らなかったわ。でも旧字体はともかく、旧仮名は誤変換するみたいね。なにしろこれを使ったブログ
http://ameblo.jp/bap
の2010年1月27日の記事中で「つひ配されてしまふといふ」なんていうミスをやってますから。「つひ」じゃなく「つい」よ。旧仮名旧字擁護者がこういう間違いをしてちゃダメだわ。

[371] 萩野貞樹『舊漢字』 投稿者=真理子 掲示日=2010/12/04(土) 11:08:37 ここから閲覧

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4166605798.html

 ああ「舊」っていう字を出すのに苦労したわ。以下は悪いけど新字体で書きます。
 旧字体啓蒙の本で、旧新字体が違う字の旧字体を一字一字挙げて、見開き2ページを使って、筆順を紹介し、その字を用いた例文を掲げて解説を加える、という体裁。例文は、なぞることを想定して薄い字で書いてあります。
 でもこの本は著者の想定外のところで楽しめてしまう。この例文の選択が実に豊かで幅広く、和歌あり漢詩あり評論あり翻訳文あり、バランスもいいんですよね。ここはぜひ、なぞるんじゃなく(明朝体で級数小さいからなぞるのは無理よ)、声に出して読みたいところ。言語は音声ですもの。
 だからこの本は、旧字体練習としてでなく「声に出して読みたい名文集」として使えます。いまどき旧字体なんてバカらしいって思う人も、だまされたと思ってぜひ買ってみてください。

 漢字の字体論議でいつも思うのは、どうして漢字屋さんって、「書体」「筆記体」って発想がないのかしらねってこと。トメハネの違いとか細かい違いとか筆順とか(筆順なんてだいたい上→下、左→右に書けばいいじゃん)、実にくだらない。たとえばローマ字のQって、下のしっぽを「α」みたいにループさせたり、「2」みたいにしたり、「し」みたいに書いたり、いろいろじゃないですか。でも、形が違うから別の字だなんて誰も言わない。そんなところにこだわるのは魯迅先生くらいしかいないわ(魯迅の『阿Q正伝』の初版は、中野美代子さんによれば、しっぽが「し」タイプになってて、これはどうも中国人の弁髪頭を上から見た形ってことらしいです)。
 aとかgとか、手書きだと書きにくいから、筆記体にしろブロック体にしろ、ずいぶん字形が違うじゃないですか。活字と違うからどうこうなんて誰も言わない。
 19世紀末はヨーロッパの帝国主義が進化論とセットになって吹き荒れた時代で、中国でも日本でも、漢字を略したりローマ字を取り入れたりしないと淘汰されてしまうと、知識人は大真面目に考えていて、その流れで中国も日本も漢字を略しちゃったんですけど、パソコン時代になっちゃうと、画数が多いから大変なんてことがほとんどなくなっちゃって、逆に、「見るだけなら旧字体のほうが見やすい」「書くときだけ略字にすればいい」っていう議論が出始めてますね。
 それから文字コード屋としては、中国・台湾・韓国・日本で微妙に字体が違うのには本当に悩まされます。Unicodeのときに、そういう微妙な違いを思い切って一緒にしちゃったのは、ぶうぶう言う人が多いですけど、あれはあれで一つの見識だった気がします。微妙な違いは書体の違いってことにしちゃえばいいじゃないですか。ローマ字のQのいろんな書体に別なコードなんて誰も割り当てないでしょ? それが、みんながぶうぶう言うのに抗しきれなくて、最近はそれぞれ別コードを割り当てる方向に進んでいるのはいただけないわ。
 旧仮名旧字擁護は、こういうアジアとの関連という観点を入れると説得力が出てくると思うんですけど、なぜかこういう議論をする人がいないですわね。やっぱり国文さんはアジアの視点がないのね。

[370] 字音仮名遣いと、だんなとのなれそめ(5-終了) 投稿者=真理子 掲示日=2010/12/04(土) 10:35:34 ここから閲覧

 そろそろこのネタは終わりにしますね。

 うちのだんなは昔、韓国映画のサイトと上映会をやっていたときはハンドルネームだのペンネームだの号だのを何も使わず本名でやっていました。そのことでいろいろ苦労したらしいです。具体的にどう苦労したかを書くと、まだまだ生々しい関係者がこれを見て、「あいつは反省しとらん」ってことになるといけないので、さすがの私もそれは書けません。一般論として書きます。
 今はどうか知りませんが、昔は朝鮮半島は何かと騒動の多かったところ。朝鮮半島自体もさることながら、朝鮮半島びいきの日本人、朝鮮の場合は在日も含めてですが、そういう日本在住の人の間で争いが起こる。北朝鮮びいきの人と韓国びいきの人との間での争いっていうのもあるし、「日本は朝鮮に悪いことをしたのだから朝鮮に贖罪の気持ちを持たねばならない」みたいな偽キリストさんたちも多く、自分の価値観を押し付けて騒動を起こす。
 だから昔は、韓国語の勉強をすると、えてしてこういう騒動に巻き込まれることが多かった。昔、『朝鮮語大辞典』を作った大阪外大の塚本先生が、辞典の原稿の中に韓国専用の語彙が入っていたというので、左翼学生たちからの吊るし上げをくらい、大変な苦労をしながら辞典を出したなんてこともあった。
 1997年だったかしら、東京のある韓国語学校(そこでは「朝鮮語」って言ってますけど)で、「南京たますだれ事件」というのがあって、宴会である女子学生が南京玉すだれを披露、「さて、さて、さては南京玉すだれ」っていうやつです。あれって、すだれをいろんな形に変形させますけど、旗が二つ交差している形にして「日米国旗にさも似たり(早がわりだったかしら)」っていうのがあるじゃないですか。それを「日韓国旗に」にして演じたところ、在日の女の子が「屈辱を受けた、傷ついた」と騒ぎ出し、これを抗議するビラを学校に貼った。「こんなの全然問題ない」と発言した穏健な教師が現れると、在日の女の子の彼氏の左翼くんがどんどんあおり、教師をつるし上げ、それから1年間ほど大騒動になったことがありました。左翼くんはこのネタを、岩波の「世界」に書いているライターにたれこんで、「世界」にも書かれたことがあるんですよ。こんなことが、つい10数年前にもあったんです。
 ネット、当時はインターネットよりパソコン通信のNIFTYなんかのほうが主流でしたが、ここも韓国系は騒動が多かったですね。私もいろいろ叩かれましたわ。まあ私は、こんなもんかと思って全然気にしないけど。

 まあこんなことをいろいろ経験し、実社会でもリストラだの転職だのいろいろあって、だんなはすっかり人間不信になってしまい、それでかなり鬱屈しているところがありますね。
 私がばべるばいぶるを始めたときも、オレのことは絶対書くなとか、夫婦だといわずに友達ということにしろとか、とってもうるさかったです。この「真理子の聖書日記」の最初のほうとかで、「お友達のまんどぅーか氏」なんて私がしらじらしく書いているのはそういう理由でした。
 最初は私も猫をかぶって、パソコンのことなんか何も知らないただの聖書好き女ということで書いてましたけど、実際はだんなのサイトに、設立1年後ぐらいからかなりかかわっていました。語彙集をCGIで作ってあげたのも私でしたし。私はレイアウトの才能がないので、ページのレイアウトは逆にだんなが作ったとてもシンプルなものを継承しています。だんなのレイアウトは見栄えは悪いけど、文字情報主体のサイトだから、シンプルでいいと思ってます。でもCGIとかJavascriptとかの能力は乏しくて、そういうのはほとんど私が作ったのよ。
 昨年末のもらい事故以来そろそろ1年、この話もずっと、書くな書くなというから黙ってきましたけど、私が手伝わなきゃサイトの仕事は何もできなくなっちゃったんで、私とだんなとの覇権闘争に私が勝利したわけなんで、以後は私が協力するかわり、主導権は私が握って、私流にやるってことで行きたいと思いますわ。

[369] 字音仮名遣いと、だんなとのなれそめ(4) 投稿者=真理子 掲示日=2010/12/03(金) 20:52:59 ここから閲覧

 怪しい話の方も続けますね(汗)。

 出会ったその日にエッチなんて我ながらとんでもない女でしたが、実をいうと私の中では、だんなはよく知ってる人でした。だんなの主催していた上映会の会員で、何回か足を運んでたので、親しく話したことはありませんでしたが、だんなの顔はよく知っていましたから。だんなは当時、韓国映画関係では有名人でしたからね。
 それに、家が創価で創価の教えを強要され創価中学高校に入り結局創価を棄教したとか、語学が大好きだとか、いろいろ共通点が多いことがわかって運命的なものを感じましたから。
 その出会いの日が2004年の12月下旬、たしか23日だったかしら? ソウルはとても寒くて、最高気温が氷点下4度とかいう感じでしたから、いまさら他の宿へ行くのも面倒でしたしね。
 まあ、たとえ別の部屋があったとしても、私はだんなの部屋に入り込んで一晩中語り明かしたでしょうから、結局同じことだったと思いますけど、神様がうまく二人を結びつけてくれたのでしょう。

 だんなは韓国映画のサイトをたたんで、以前から勉強したいと思っていたサンスクリットを勉強し始め、まんどぅーかネットというサイトを作り始めていました。以前は塾の先生をやっていまして、その塾がつぶれて無職になったあと、高校の非常勤講師だのいろいろな仕事をやってましたが、自宅近くのタクシー会社に就職して、自宅近くでタクシーの仕事をしながら、サイトを作っていくというお気楽な生活をしていました。
 一方私はとある小さな会社に勤めてパソコンと格闘する日々。データ入力だけかと思ったらシステムの保守までやらされ、大変でしたけど勉強になりました。でも結局その会社は倒産。そんなわけで私は白鳥(韓国語のスラングでプータロー女のことをそう言うんです)に。それがだんなとの結婚を促すきっかけになりました。結婚すれば白鳥じゃないもの。
 だんなの家にもちょくちょく遊びにいくようになり、プログラミングが得意だったので、サイトのCGIの制作を請け負ったりするようになりました。そうするうち、だんなの両親とも仲良くなりました。両親は熱烈な創価なので「付き合う相手は創価じゃなきゃダメ」とか言ってたそうですが、一応私は形式的には創価なので満たしちゃったわけですね。
 2006年の1月にだんなのお母様がお亡くなりになり、その年の秋には結婚して、二世帯住宅ってことで結婚生活が始まりました。
 2006年の10月にはだんなは中国語のサイトも始めましたが、私はあんまりサイトを作る趣味がなかったので、最初はお手伝いに徹していました。でもだんだん面白そうになって、かねがね興味があった聖書のサイトを作り始めたのが、2008年の8月。
 そして2009年の年末にだんながもらい事故で入院。しばらく首が痛いの肩が痛いの腰が痛いのと言ってました。入院生活は2ヶ月くらいで終わり、日常生活や運転は支障がなくなったんですが、指先に後遺症が残り、キーボードがとてもつらくなり、サイトの仕事から遠ざかるようになりました。おまけに内臓疾患で入退院を繰り返しました。おまけにだんなのお父様が肝臓がんの疑いで入院。結局がんじゃなかったんですが、PSCというこれはこれで難病でして、いまだに入院しています。今年はちょっとさんざんでしたね。私もしばらくは二つの病院を回る日々でした。家計を支えるため近所のスーパーでパートを始めましたし。
 こんなところが二人の夫婦生活(っていうとエッチな話になるのかしら。では改めて)結婚生活の経歴でございます。
 実は最近、もっといい仕事を探すため履歴書をたくさん書く毎日なんですが、だんなと結婚するあたりからが忙しくて、何年に何をしたかが思い出せない。そこでこの場を借りて、二人の結婚に至るまで、そして結婚してからのことをまとめてみたわけです。

[368] 字音仮名遣いと、だんなとのなれそめ(3) 投稿者=真理子 掲示日=2010/12/03(金) 17:19:12 ここから閲覧

 話が怪しい方向へ行きそうなのでとりあえず字音仮名遣いの話をまとめようと思います。
 もし字音仮名遣いが残っていたら、韓国語とか、中国語、とくに広東語の字音を覚えるのに便利だったことでしょう。旧仮名擁護派も批判派も、こういうアジアの他の漢字文化圏の言語に関する論議を全然しないのが残念です。
 韓国語の勉強をラクにするということだけのために字音仮名遣いを残せと言ってるわけではありません。もう現代仮名遣いになってしまった今、歴史的仮名遣いの字音仮名遣いを復活しろなんて言いませんもの。
 ただ、字音仮名遣いはそんなに難しくないし、そもそも漢字で書けばいいんだからうろ覚えでも困らないし、そんなに悪者にしたてなくてもいいんじゃないの? あれを残しておけば、アジアの言語を勉強するのに便利だったということを言ってるだけです。
 今は逆に、韓国語の字音がこうだから、たぶん歴史的仮名遣いはこうだろうって推測すると、たいてい当たるので、旧仮名で書かれた聖書の入力に、韓国語の字音の知識を役立てておりますわ。

[367] 字音仮名遣いと、だんなとのなれそめ(2) 投稿者=真理子 掲示日=2010/12/03(金) 10:59:24 ここから閲覧

 ソウルの映画館でだんなとの出会ったと書きましたが、実はだんなとの出会いはそれが初めてではありません。私も実はだんなの上映会の会員で、何回か上映会に足を運んだので、私はだんなの顔を知っていた。そのだんながソウルの映画館にいたので、私から声をかけたんです。
 だんなは私を知らないと思ってたら、私が年齢不相応にいつもミニスカで出かけていて、最前列にいることが多かったので、「パンツの見えそうなミニスカのオバサン」ってことで知ってたらしいです。
 一緒に夕食を食べながら、映画の話だの韓国語の話だの聖書の話だのいろいろやっていたんですが、たまたまそのとき私が持っていたのが、河野六郎『朝鮮漢字音の研究』。今は平凡社の「河野六郎著作集」2に入ってるのを図書館で読むしかないと思います。
 ああ、やっとこれで字音仮名遣いの話に近づいてきましたわ。

 字音仮名遣いを知っていると韓国語の漢字音を覚えるのに便利なんですよ。白石さんがあげてる例でいえば、「家(か)」はカ(가)「花(くわ)」はホワ(화)のように、「くわ(kwa)」ってなるものはやっぱり韓国語でもhwaみたいにwが入る。「印(いん)」はイン(인)「院(ゐん)」ウォン(원)みたいに、「ゐ(wi)」を使うものはやっぱり韓国語でもwが入ってくるんです。「甲(かふ)」みたいに「ふ」で終わるものは、韓国語ではカプ(갑)みたいにプで終わる。
 韓国語の勉強のときにそういうことを先生に教わった私は、漢字音に興味を持ちまして、河野六郎の『朝鮮漢字音の研究』を読み始めてたんですね。
 でもこれがまるで歯が立たない。
 漢字はもちろんもともと中国のものですから、中国語のこれこれの音が朝鮮語のこれこれの音になるっていうようなことをいろいろ書いてあるんですが、「中国語のこれこれの音」っていうのが、ローマ字とか発音記号とかで書いてるだけでなく、「摂」とか「韻」とか「合口(ごうこう)」とかいうヘンな専門用語で書いてあるんですね。
 中国は、西洋の言語学が入ってくる以前に、独自に自国語の言語学を発展させてしまったんで、用語が独自なんです。しかも漢字は表音文字じゃないですから、漢字で漢字の発音を書くのに、漢字を組み合わせたり、ヘンな専門用語をこねくりまわしたりする。
 国文科だと漢字音の話が出てくるのでそういうことを勉強する授業もあり、私も遊びでそういう授業をとってはいたんですけど、なかなか理解するのが大変。

 そんな話をだんなにしたところ、だんなはたまたま大学でそういう方面を専攻していたとのことで、いろいろ教えてくれたし、夕食後には二人でソウルの大規模書店に入っていろいろ本をアドバイスしてくれた。
 で、そういう話に花をさかせているうち夜も更けた。私はまだホテルの確保をしてない。どうせ韓国は安宿が山ほどあるので、真夜中に駆け込んでも絶対大丈夫だってわかっていたからなんですけど、そんなところへだんなが、「じゃ僕の泊まってる旅館に来いよ。まだ空き部屋はあるだろうし」って言う。ところが何たることか、その宿はその夜に限って空きがなかった。だんなは本気だったのか冗談だったのか知らないけど「一緒に泊まる?」。で、ほかを探すのも面倒くさいしお金をけちろうとした私はついうかうかとOKしちゃったんですよね。
 というのが、私とだんなとの出会いでした。
 性懲りもなくまだこの話は続きます。

[366] 字音仮名遣いと、だんなとのなれそめ(1) 投稿者=真理子 掲示日=2010/12/03(金) 10:13:33 ここから閲覧

 したり顔で「字音仮名遣いは悪魔の規範」とか言う人に私が反発するのは、実は、字音仮名遣いが私とだんなとの出会いに関係しているからかもしれません。
 長くなるので少しずつわけて書きますね。

 実はだんなと出会ったのは韓国のソウルでした。
 私はそのころ(2002年)、韓国系の教会に通っていました。韓国人の多い地域だとそういうのが多いんですね。折しも韓流ブームが起こって、私も好きな俳優がいましたんで、韓国語の勉強を始めました。
 だから私は一応韓流オバサンなんですよね。31歳だったからやっぱりオバサンよね。
 でも、韓流オバサンってバカにできませんのよ。目的のためにはもう一途ですから。たとえば韓国のDVDが日本のプレーヤーで再生できない(リージョンコードが違うんです)とわかると、わざわざ免税店へ行って韓国人向けのプレーヤーを買ってきたりとか、言葉を覚えるのも、そんじょそこらの大学で韓国語を勉強している学生なんかより、はるかに早いです。
 一方だんなは、字幕のついてない韓国映画のビデオに独自に字幕を作って、パソコンのプレゼンソフト(意外なことにパワーポイントなんかより一太郎が使いやすかったらしいですけど)にビデオプロジェクターをつけて字幕をつけて自主上映会をしていました。著作権がクリアできないので会員制をしいて。そのときのノウハウが今の「まんどぅーか友の会」だの「真理子修道会」だのに結びついているんですけどね。
 そのころだんなのおじさんが、ジンギスカン屋だったかしら、ともかく事業に手を出して失敗、多額の借金を背負って、保証人になっていただんなの家族も返済を迫られるようになりました。直接的にはそういう経済的理由で、上映会を続けられなくなった。あとはいろいろ「ミーハーな韓流オバサンが増えすぎて、映画で韓国を理解するという当初の趣旨が達成できなくなった」とか「だんだん日本の配給が著作権にうるさくなってにらまれていた」とか、いろいろあって、その上映会はたたんでしまいました。
 結局だんなのおじさんの借金のほうは何とかなって、だんなも家を手放さずにすんだんですが、ともかくそういうごたごたがあって、気持ちを整理しよう、ついては、もうこれで韓国旅行は最後にしようというのでソウルに出かけたわけです。
 一方私も、ちょっとひまとお金ができると、韓国とか台湾とか香港とか中国とかタイとかベトナムとか、近場の外国によく出かけていたので、たまたまソウルに出かけて、とある映画館でだんなと出会ったんです。

 あら、全然「字音仮名遣い」と関係ありませんね。まあお待ちください。少しずつ書きますから。

[365] 明治14年と明治37年で変わる仮名遣い 投稿者=真理子 掲示日=2010/12/02(木) 20:33:06 ここから閲覧

 いま入力している明治訳は、当初の明治14年に訳されたものと、決定版としての明治39年のものとで、たまに違う部分があって、入力にあたっては、そういう部分は、〔39|14〕みたいに入力しています。たとえば〔也|なり〕とあったら、明治14年では平仮名の「なり」だったのが、明治39年では「也」になっているという具合です。実はそんなに大変じゃありません。入力のときに明治39年版を見て、校正のときに明治14年版を見れば違いがわかりますから。
 仮名遣いもちょこちょこ違ったりします。一番の違いは、〔すゐ|すい〕ですね。-uiという音の「い」を、戦前は「ゐ」って書いたんです。すべてそうじゃなく、専門用語を使えば止摂合口に属する字で、具体的には、

すい(すゐ)水推吹炊衰榱垂埀捶睡陲錘出祟彗忰悴萃粋粹瘁翆翠酔醉膵遂燧隧邃帥率隹椎誰錐騅雖夊綏揣穂穗剤劑觜髄髓
ずい(ずゐ)随隨髄髓隋蕊蘂蕋瑞惴遂隧痿遺
つい(つゐ)対對追槌縋鎚堆椎隊隧墜錘
ゆい(ゆゐ)遺由唯惟維
るい(るゐ)類塁壘累瘰縲耒誄泪涙羸

です。
 本居宣長が「すゐ、ずゐ…」と決めたのを戦前は規範としていました。が、どうも本来は「すい、ずい…」と書かれていたという説が定説になって、戦後は「すい、ずい…」になったのですが、もう一般社会は現代仮名遣いになっちゃったので、変わったのは辞典だけというわけです。
 ちょうど、「用いる」が、ホントは「用ゐる」なのに、本居宣長が「用ふ」だと思っちゃったんで、戦前は「用ひる」と書くのが規範だったというのと似ています。
 最初はこういう違いは無視して、「すゐ」なんかも全部「すい」にしようかとも思ったんですが、間違いの歴史も歴史なんで、こういう国語の資料として聖書を読む人もいるかもしれないと思い、底本の仮名遣いは間違いだと思ってもそのままにすることにしています。

[364] 字音仮名遣いは難しくない 投稿者=真理子 掲示日=2010/12/02(木) 19:52:23 ここから閲覧

 白石良夫さんの論で気に入らないのは、字音仮名遣いを「悪魔の規範」と呼んで、このような難しい規範は一般人の使用に耐えがたかったと、現代仮名遣いへの変更を正当化しているところです。白石さんの書きようを引用しますと(p.114)、

 「家」「革」の字音仮名遣は「か」「かく」であるが、「花」「獲」のそれは「くわ」「くわく」である。「印」は「いん」であるが、「院」は「ゐん」である。……その他、漢字の数だけ仮名遣はあるかと見える。

 確かに簡単じゃありません。旧仮名派の総帥・丸谷才一氏も、字音仮名遣いだけは難しいとして、したがっていないほどです。
 でも、そんなに難しいですか? この難しさは、訓読み語の書き分けの難しさと、さほど違わない気がします。
 「花」とあるのにあるときは「か」あるときは「くわ」というなら難しいですけど、およそ「か」と読む「花」は「くわ」と書けばいいんだから、そう覚えりゃいいことです。だいたい漢字は小学生のときに一字一字、字形を覚えていくじゃありませんか。その片手間に、「くわ」と書く、と覚えりゃいいだけです。
 いや、そもそも覚える必要なんかありません。だって、字音仮名遣いっていうくらいで、通常は漢字で書かれるわけですから、漢字で書けばいい話です。ふりがなをつけるときには大変かもしれませんけどね。
 字音仮名遣いの難しさっていうのは、実は「めったに使う機会がないからすぐ忘れちゃう(またはそもそも覚える気が起こらない)」ということにすぎないのです。そのことを白石さんはお気づきでない。

 旧仮名は難しかったので、戦前の辞書は、表音式の配列をとるのが主流だった(p.147)なんてことも書いています。じゃ、そう配列すればいいだけの話です。辞書は目に見える表記の字の順に配列しなきゃいけないなんて法律はありません。だって大陸の中国語辞典は、漢字の画数順じゃなく、発音順じゃありませんか?

 あと、この本に限らず仮名遣い本への不満なんですが、明治時代まで無数に存在した平仮名の変体仮名の整理の話が全然書かれていないんですよね。日々、変体仮名と格闘している私には、むしろ変体仮名の話が興味あるんですけど。

 聖書に関係する話がまだ出てきませんね。まだこの話は続きます。

[363] 白石良夫『かなづかい入門』 投稿者=真理子 掲示日=2010/12/02(木) 12:42:28 ここから閲覧

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4582854265.html
 一部納得のいかない意見がありますが(改めて書きます)、仮名遣い問題の決定版みたいな本ですね。ただ、平凡社新書の赤版って本屋の店頭からほとんど消えてますから絶版間近だと思います。今のところ品切れじゃないみたいですけど買うなら今です。
 この本の特徴は、バランスのとれた冷静な意見。
 時々、現代仮名遣いを否定して歴史的仮名遣いで書く人がいます。かつては福田恒存さん。福田さん亡き後、いまご存命の方でいえば丸谷才一さんが大物で、あとはちょこちょこというところかしら。実はうちのだんなも学生時代は歴史的仮名遣いで書いてたらしいです。
 実は、仮名遣い問題で声高に聞こえてくるのは旧仮名擁護の立場だけなんですよね。新仮名は何やかやといってもう定着しちゃってて、いまさら擁護の声をあげなくったっていいわけですから。それに、現代仮名遣いをさらに改革しようなどという立場はとりあえず存在しませんから。
 最近では、萩野貞樹さんの『旧かなづかひで書く日本語』が旧仮名擁護本ってことになるかしら。
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/9784344980471.html
 こんな中で旧仮名にも新仮名にも公平中立な立場を貫こうとすれば、どうしても「旧仮名擁護派批判」にならざるを得ないので、この本も旧仮名擁護派には辛口に読めることでしょうね。
 でも著者の立場は決して旧仮名擁護派批判ではありません。なにしろこの人も国語学、国文学の研究家なのですから。あくまで、バランスを取ろうとするとどうしてもそうなるってことですね。
 この人が主張するのは、仮名遣いなんて所詮は取り決めでしかないってこと。
 旧仮名擁護派は、旧仮名の使用こそが伝統文化擁護に役立つというけど、旧仮名なんて所詮は道具でしかない。「パソコンを使わず手書きで手紙を書けば伝統文化擁護」なんていう議論のおかしさと一緒というわけです。
 また旧仮名擁護派は、新仮名は完全に表音主義でなく、助詞の「は」「へ」「を」とか、「ぢ」「づ」みたいな旧仮名の名残があったり、「おおきい」「おうさま」みたいなオの長音の表記の不統一があるとか攻撃するけど、そういうダブルスタンダードは実は旧仮名の中にもある(実例は本書にいろいろ書いてます)し、そもそも仮名遣いは、ダブルスタンダードだろうと何だろうと、ただの取り決めなんだから「一度決めたものは貫く」ことが大事なんだと言ってます。

 歴史的仮名遣いの問題点については、実は築島裕『歴史的仮名遣い―その成立と特徴』(中公新書)
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/9784121008107.html
っていう本もあったんですが絶版。ただ、これは専門知識がないと歯が立たない。真理子も昔読んで挫折しました。でも白石さんの本を読んで、もう少し深めたいってときに役立つかもしれません。

 白石さんの意見には一部反対のところがありまして、聖書の話とも関係あるので改めて書きますね。

[362] 明治訳ってKJVとも違うのね 投稿者=真理子 掲示日=2010/12/02(木) 07:54:36 ここから閲覧

 で、気がついたことがあるので私自身が忘れないようにここに書いちゃいますが、明治訳ってKJVを忠実に訳したものかと思ったら、違う部分もあるんですね。
 それに気づいたのは、ルカ17:35-37の処理。ここは簡単にまとめると、
35:二人の女のうち片方が救われる
36:二人の男のうち片方が救われる
37:死体のあるところにハゲタカが集まる
みたいになってます。
 KJVは全部あります。明治訳のもう一つの底本であるブリッヂマン漢文訳聖書も全部あります。
 でも大正の文語訳以降は、36は後代の付加ってことで欠番にしてます。36がなくて、35の次はいきなり37にしちゃうんですね。それだと誤植だって思われちゃいけないっていうんで、口語訳は36を入れてますけど、〔 〕にくくって後代の付加だと明らかにしてる。新共同訳は本文からは36を削って、ルカの最後に「異本にはこうあるよ」って付記してます。
 ところが明治訳って、
35:二人の女のうち片方が救われる
36:死体のあるところにハゲタカが集まる
つまり36を削って、37の内容を36って付番して、知らん振りをきめこんでるんですね。明治訳ってまるきりKJVやブリッヂマンのまんまなのかと思ったら、こういう「当時最新の聖書学の反映」もやってるんだ、と意外でした。

[361] 白石良夫『古語の謎』 投稿者=真理子 掲示日=2010/12/02(木) 07:41:04 ここから閲覧

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4121020839.html
 「そんな歌、詠んだっけ? -柿本人麻呂(談)」という帯が気になって本屋で手に取ったら面白そうだったので買っちゃいました。私は帯ってすぐ捨てちゃうんですけど、帯も重要な情報よね。昔は図書館じゃ帯どころかカバーも捨ててましたけど最近はちゃんと保存する方向になってますものね。
 万葉集は全部漢字で書かれていて、しかも「月かたぶきぬ→月西渡」みたいなアクロバティックな用字をすることが多く、ホントはどう読んでたかよくわからないところも多いんですよね。これだって「月かたぶけり」みたいにも読めるわけですし。
 そういうものについて、昔から学者がいろいろ考えてきたわけですが、当然ながら学問が未熟で間違った読み方をされたところもあり、しかもその説が流布して定着し、さらには一般語彙にまでなっちゃったものまである。言語って人々が普通に使っていくうちにおこる変化だけじゃなく、こんなふうに学問によって変化しちゃうこともあるんですね。
 そういう実例がいろいろあがってて、面白かったです。
 そのくらい、昔のもの、オリジナルのものを求めるのは大変なんですけど、「じゃオリジナルって何? オリジナルってホントにあるの?」っていう話まで考えてるのがこの本の面白いところでした。
 聖書もそうですけど、昔は本を書き写すとき、間違いだと思ったらどんどん書き換えちゃって、しかもオリジナルをぽいぽい捨てたりした。今の私たちから見ればオリジナルへの冒涜みたいに思うけど、実はそれこそが自然な行為なんじゃないか。だって元の本の間違いを訂正した「決定版」が出来たんだから、元の間違った本は価値がないって思うのも自然なんじゃないか。
 たとえば、ある人が本を書いて、後に文庫版を出すときにいろいろ改訂するなんてことは、よくありますよね。そうするとより古い形が必ずしもオリジナルといえないんじゃないか。そもそも、オリジナルっていうのは虚構なんじゃないか。
 そういうことをいろいろ考えさせられる、いい本でした。

 で、それからこの著者が気になって図書館に行ったら、『かなづかい入門』(平凡社新書)
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4582854265.html
というのがあって、一部納得がいかないところがありますけど、仮名遣い問題の決定版みたいないい意見を書いているなと思いました。この話は改めて書きますね。

 いま明治訳聖書を入力してて、仮名遣い問題にはとても関心があるもので。
 上で書いた「アクロバティックな用字」ってことでいえば、いましがた入力した「沮喪す→きをおとす」ルカ18:1 なんていうのがすごかったですね。入力に使ってる国会図書館の本のPDFの文字がつぶれていて読めず、他の版本をいろいろ見てやっとつきとめました。
 明治訳もルカの18章まで行きましたわ。
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=mj37&book=luk&chapter=18&ruby=1&mode=0

[360] 『天使はなぜ堕落するのか』 投稿者=真理子 掲示日=2010/11/29(月) 11:00:39 ここから閲覧

八木雄二『天使はなぜ堕落するのか 中世哲学の興亡』(春秋社)
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4393323300.html

 本屋で見つけて、題名にびびっと来るものがあって、5000円を超える分厚い本なのでどうしようか迷ったんですが、ついつい買っちゃいました(だってほしかったんだもん←中村うさぎ節。私もどこかうさぎさんなのね)。
 最初は天使関係の図像学の本かと思ったんですが、実は中世哲学史(サブタイトルにあるわね)。哲学に興味はあるけど頭がついてかないっていう人は多いと思いますが、私なんかその典型。でもこれは面白く読めましたわ。
 以前、渡辺正雄『科学者とキリスト教』(講談社ブルーバックス。絶版。修道会に登録してあるわよ)を読んで、それまで思っていた「中世の人は無知蒙昧だったから地動説を受け入れなかった」というのが大ウソだったと気づかされた(ホントに無知だったら逆にスンナリと受け入れたはず。なまじしっかりした学問があったから新たなものを受け入れられなかった。今だってそういうことはよくあるでしょ?)んですけど、その哲学版ってかんじ。デカルトの省察なんか中世の哲学のレベルからすれば大学の卒論程度だ、なんて言葉もあって印象的でした。
 イスラムの役割もちゃんとおさえてあるし、哲学だけでなく神学や大学やその他の社会制度や文化の話もあって、中世の知の世界を簡単に概観できるいい本ですね。
 去年のクリスマスに第1刷で、今年の6月にもう6刷なのね。売れてるのね。でも、だんなによれば、春秋社ってあてにならない出版社よ。すぐ本を絶版にするんだから。買うなら今のうちよ。
 八木雄二さんってちくま新書や平凡社新書で本出してますけど、
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/%94%AA%96%D8%81%40%97%59%93%F1/list.html
このとおりどれも絶版みたいだから(いま平凡社新書の赤版って本屋でほとんど見かけない)。でもこの人の本はいろいろ読んでみようかしら。

[359] 世俗のレベルでとは? 投稿者=真理子 掲示日=2010/11/28(日) 09:21:24 ここから閲覧

 念のためいうと、カルトの批判は世俗のレベルでというのは、具体的には、私がまとめたものでいえば、
http://www.babelbible.net/mariko/opi.cgi?doc=cult&course=church
ということです。
 ここにも書きましたが、原始キリスト教団みたいな団体がいま出てきたらやっぱりカルトですよねぇ。いま、うちの採用している聖書通読表
http://www.babelbible.net/bible/dspcalen.cgi
では使徒言行録を読んでいますが、これ読むとホントにそう思います。
 あらゆる宗教は最初はカルトなのかもしれません。漬物と同じ。浅漬けの好きな人もいて新興宗教にはまる人もいるかもしれないけど、じっくり漬かってからが食べごろなのよ。

 上に書いてないことを一つ書くと、カルトの多くは既成宗教の聖典をちょこちょこ借用していろんな変わった教義を組み立てるんですけど、そういう「聖典のつまみ食い」って危ないのよね。
 宗教って麻薬なんですよ。「宗教はアヘンだ」というのは、マルクスの言った意味とは別に正しいと思います。毒になるようなものだから逆に薬にもなるんです。毒にならないものは薬にもなりません。ちゃんとした処方にしたがって服用すれば薬になるけど、そうじゃなきゃ毒なんです。
 聖典にはいろいろな毒が含まれているので、たいていのまともな宗教ならその歯止め装置があります。たとえば旧約聖書にはヘンな律法がいろいろありますけど、たいていのキリスト教会では、旧約の律法は無効ということで歯止めをかけてる。ところがそういう歯止めを使わずに、聖書をつまみ食いして、「旧約では血を食べるなと書いてるから輸血はダメ」なんてことになると、聖書は猛毒になっちゃうわけですよね。

[358] 服部さんへのご批判 投稿者=真理子 掲示日=2010/11/28(日) 07:43:57 ここから閲覧

 mixiのキリスト教関係コミュで活躍なさっていらっしゃる映画評論家・服部弘一郎さんが運営している「ふつうの日本人のための《聖書&キリスト教》ナビゲーター」というメルマガがあります。
http://archive.mag2.com/0001189995/index.html
 毎回、聖人カレンダーを掲載なさるなど、聖書だけでないキリスト教の伝統を紹介している姿勢が私は好きなのでおすすめしますが、今回の内容はちょっと問題だと思いましたので、服部さんには以下の内容をメールで送り、あわせてこの場に公開します。
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 メールでははじめまして。真理子と申します。
 以前はmixiにちょくちょく書き込んでいましたのでひょっとしたら覚えていらっしゃるかもしれませんが、最近はmixiに書き込みをしなくなりました。ですが服部さんのメルマガ「ふつうの日本人のための《聖書&キリスト教》ナビゲーター」は愛読しております。
 さて、今回2010/11/29配信のVol.9中、私の観点からすればおかしいと思う論議をなさっております。「メールでもTwitterでも質問や要望などが寄せられることがほとんどありません」とございましたので、メールでご批判申し上げます。
 なお、メルマガは公表物ですので、このご批判も公開します。これと同文の内容を私の運営する「ばべるばいぶる&真理子日曜学校」の掲示板「真理子の聖書日記」にも掲載しております。
http://www.babelbible.net/bbs/bbs.cgi
 今後ご返事をいただけるのでしたら、それは私信ですので公開しません。

 ご批判申し上げるのは「キリスト教Q&A」のエホバの証人批判のくだり全体です。
 結論の要旨をまず申し上げると、「カルトの批判は徹底して世俗の立場ですべきであり、神学を持ち込むな」ということです。
 服部さんは、カルトかどうかの検証をあとまわしにして先にエホバの証人を神学的に批判(三位一体説をとらない。新世界訳聖書で「主」でなく「エホバ」と訳している)したわけですが、これはまるっきり逆でした。先にカルトかどうかの検証を徹底して世俗のレベルでやるべきだったのであり、聖書や神学の批判はつけたりでよかったのです。

 神学的な論争は所詮は部外者にはどうでもいいことですから、「服部さんはエホバの証人を批判しているけど、それは服部さんがエホバの証人じゃないからだろう」くらいにしか受け取られず、服部さんの批判が無力なものになると思います。
 たとえば、服部さんは新世界訳が「主」でなく「エホバ」という訳語を採用していることをあげておられますが、そういう聖書はほかにいろいろあります。なにしろ文語訳聖書がそうじゃないですか? エじゃなくヱですけど。ですから服部さんのこの議論をうろ覚えにした読者は、文語訳聖書を書店でてにとったときに、「これはエホバの証人の聖書だ」と誤解する危険だってあります。
 新世界訳についてはいろいろな批判がありますが、部外者にとってはその違いはどうでもいいレベルで、たとえば口語訳や新共同訳の訳語を福音派が批判している(またその逆に新改訳聖書の訳語を福音派以外の方が批判している)のと同じようなものでしかありません。
 新世界訳を使うなというなら、「新世界訳はカルト教団であるエホバの証人の独自訳なので、これを使うとエホバの証人の信者と誤解されるから避けろ」「無料だけど、エホバの証人の王国会館に行かねばならず、いろいろしつこい勧誘をされる危険がある」ということだけを言えばよかったし、そのほうがすっきりしました。
 私のうろ覚えの記憶では、「カルトの批判は徹底して世俗のレベルで」というのは、服部さんがどこかのコミュでお書きになっていたことだと思うんですが、今回はそうではなく、部外者にはどうでもいい神学のレベルになってしまったことで、かえって批判の力が無力になってしまったと思いました。

 私のご批判は以上です。
 今後もメルマガを楽しみにしております。あわせて服部さんのますますのご活躍をお祈りしております。

 植田真理子