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2024年3月19日(火) 通読(本日=サム下1-4,シラ17,モサ10 明日=詩48-50,二マカ1,モサ11)

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節表示・修正口語訳(日本語R)+真理子のおまけ 解題
〔真理子訳〕シラ書〔集会の書〕 第25章
わたしが切望するものが三つある。兄弟愛、隣人愛、夫婦仲。これらは主にも人にも喜ばれるものだ。
わたしが心から嫌悪し、生きていること自体に嫌悪を催すようなやからが三種類ある。高慢な貧乏人、うそつきの金持ち、分別を失ったみだらな老人。
若いときに知恵をつけておかずに、年をとってからどうやって知恵を見出そうというのか。
白髪には賢明な判断が、年老いた人には良索をわきまえることこそがふさわしい。
老人には知恵が、名士には思慮と忠告がふつわしい。
長い間の人生経験は老人の冠であり、主への畏れは老人の誇りである。
わたしが幸せだと思う人が九種類ある。それに十番目を付け足すこともできよう。まずは子宝に恵まれた人、次に敵の滅びを見届けることができた人。
思慮深い妻を持つ人。〔まるで牛とろばを一組にして耕すようにちぐはぐな夫婦仲でない人。〕言葉の上でしくじらなかった人。尊敬できないような人に仕えずにすんだ人。こういう人たちは幸いだ。
思慮を見出した人。熱心な聴衆に語りかける講師。こういう人たちは幸いだ。
知恵を見出した人。だが、これら九つにもまして、主を畏れる人こそが幸いだ。
主への畏れはすべてにまさる。このような心をもった人を誰にたとえることができよう。
〔主への畏れは主への愛の真髄であり、信仰は主への忠誠の真髄である。〕
ほかの傷はともかくとしても、心の痛手は受けたくないものである。ほかの不幸はともかくとしても、悪妻にはめぐりあいたくないものである。
ほかの災難はともかくとしても、敵がもたらす災難にはあいたくないものである。ほかの復讐はともかくとしても、かたきによる復讐にはあいたくないものである。
蛇の頭よりもおそろしい頭はない。女のかんしゃくよりもおそろしいかんしゃくはない。
わたしは、悪妻と同居するくらいなら、獅子や大蛇と同居するほうを選ぶ。
悪妻は形相まで普通ではなく、表情は熊のようにけわしい。
悪妻の夫は隣人たちの家をまわって食事をし、悲痛なためいきをつかずにはおられない。
悪妻にくらべればほかの不幸は何ほどのものでもない。罪びとという判決のくじが悪妻にあたればよいものを。
もの静かな夫にとって、やかましい妻は、老人が素足で砂の山をのぼるようなものである。
女の美貌にまどわさないことだ。女に熱をあげないことだ。
妻に養ってもらうような男は、必ずや激しい非難と恥辱をうける。
悪妻を持つと気がめいり、顔色はさえず、胸が痛む。妻に幸福を奪われた夫は、手がだらりとし、膝はがたがたになる。
罪の根源は女にある。女のせいでわれわれはみな死ぬ運命になったのだ。
水の漏れを放置しておいてはならないように、悪妻に勝手なことを言わせておいてはならない。
一心同体に進まねばならない妻がお前と一緒に歩もうとしないのならば、さっさと別れてしまえ。

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