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2024年4月20日(土) 通読(本日=ルカ5-6,1イミ21,クル-42回 明日=二コリ11-13,3イミ21,アル4)

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節表示・修正口語訳(日本語R)+真理子のおまけ 解題
〔57年モルモン経〕イノス書 第1章
イノス書
ニーファイ人の記録が、レーマン人に伝えられることに関する主の約束。この二つの民の性格と状態ともろもろの戦争。

私イノスは、私の父が父の言葉で教え、また主の愛と戒めとを私に教えたから、父が正しい人であることを知っている。かように父に教えを受けたから、私は私の神の御名を讃美する。
さて、私は自分の罪を赦されようとして、一心不乱に神の御前に祈ったことについてあなたたちに話をしよう。
ごらん、私は獣を狩ろうとして森へ行ったが、私の父が永遠の生命と聖徒の幸福について教えた言葉を度々聞いたのが私の心に深くしみこんだ。
そこで私は自分の心が飢えるのを覚えて、私の造り主の御前にひざまずき、自分の身と霊のために一心こめて祈りかつ願った。私は本当に一日中神に祈り、夜になってもまだ私の声が天にとどくほど大きな声で祈った。
すると一つの声が聞こえて「イノスよ、汝の罪はすでに許されたれば汝は祝福を受くべし」と仰せになった。
私イノスは神が必ずうそを仰せにならないことを知っていたから、私の罪はすでにこれで取り消されたのである。
しかし私が主よこれはどうしてそうなりまするかとたずねたところ、
主は「それは汝がこれまでに見しことも聞きしこともなきキリストを信ずるに由る。このキリストは多くの年月を経てはじめて肉体にて現わる。されば、汝努めよ。汝は己が信仰によりて無罪となれり」と仰せになった。
私はこの言葉を聞くと、私の兄弟であるニーファイ人の幸福を望む思いが心の中に生じたから、かれらのために全身全霊を傾けて神に祈った。
私がこのように精神こめて祈っている中に、ごらん、また主の御声が私の心に聞こえて仰せになった「汝の兄弟らがわが命令を守る熱心の多少に従い、われはこれに報いを与うべし。われはすでにこの地をかれらに与えしが、これは聖き地にして罪悪のある故にあらずばわれこれをのろわず。されどすでに言いし如く、われは汝の兄弟らに報いを与え、かれらにその罪の責任をとらせて悲しき目に逢わすべし」と。
この言葉を聞いて私イノスは主を信ずる信仰がいよいよ固くなり、私の兄弟レーマン人のためにたびたび長い間一心不乱に主に祈った。
私がこのように祈って心の力を尽したから、主は私に「汝の信仰のために、われは汝の願うところを聞きとどくべし」と仰せになった。
さてごらん、私が主に願ったことは、私の民ニーファイ人が罪に陥り何かして亡びてしまい、またレーマン人が亡びないで生きのこるようなことがあるならば、主なる神がその聖い御手の力で私の民のニーファイ人の歴史を保存したもうて、レーマン人に救いが授かるよう将来いつかその歴史をレーマン人に伝えたまえと言うことであった。
このとき現在、レーマン人を本当の信仰の教えに回復しようとした私たちの努力はむだであった。レーマン人は怒って、もしできることなら、私たちも私たちの歴史と私たちの先祖の伝説全部もみな亡ぼしてやると誓った。
しかし、私たちは主なる神が私たちの歴史を護る力を持ちたもうことを知り、また神が私に「人もし必ず受くると信じ、信仰堅固にキリストの御名によりて願わば、何にてもこれを受くべし」と約束なさったことがあるから、私はたえず神に祈り求めた。
私はまた信仰をこめて私たちの歴史を護りたもうように神に願ったから、神はそのみこころにかなった時になってその歴史をとり出してレーマン人に授けようと私に誓約したもうた。
そこで私イノスは、神の誓約が必ず本当になることを知って心が安らかになった。
それから主は「汝の先祖たちもまた汝と同じことをわれに祈り求めしが、その求むることはその信仰に応じて成就すべし。かれらの信仰は汝の信仰と同じ」と言いたもうた。
さて私イノスは、ニーファイの民の中を廻って、将来起ることを予言しまた私の見たり聞いたりしたことを証した。
私はニーファイの民が、レーマン人がもとのように神を正しく信仰するように尽力したことを証する。しかし、私たちの骨折りはむだであった。レーマン人の怨みは凝り固まり、自分たちの悪い性質に任せて野蛮猛悪となり、血を見ることの好きな民となり、いたる所邪神を祭って汚らわしさに満ち、野獣の肉を食料として天幕に住み、狭い皮帯を腰にまとって頭をそり、このような姿で荒野をさまよって歩き、その得意とするわざは弓を射、太刀を使い、まさかりを用いることであった。かれらの中にはまた生肉ばかりを食料とする者が多く居て、どれもみなたえず私たちを亡ぼそうとしていた。
ところがニーファイの民は土地を耕してもろもろの穀類や果物を作り、多くの羊の群やいろいろな牛の群を飼い、また山羊や野山羊や多くの馬を飼った。
私たちの中で働いた予言者は非常に数が多かったが、民はその心がかたくなで解りが悪かった。
それであるから非常にきびしく教えることと、戦争不和滅亡についての説教や予言をすることと、死、永遠の来世、神の裁判および神の能力などをたえずかれらに思い起させることと、包みかくさず語ることのほかにかれらが速かに亡びるのを止める方法はなかった。それであるから、このようないろいろな方法でかれらをはげまし常に主をおそれ敬わせたのである。私が、かれらについて書きのこせることは以上の通りである。
私は生涯の中にニーファイ人とレーマン人とが戦うのを見た。
私はもう年をとった。私の先祖のリーハイがエルサレムを去ってから、もう百七十九年たった。
私はやがて墓の中へ入らなくてはならないことを悟ったが、この民に説教と予言とをし、またキリストにある真理にかなって道を宣べ伝えなくてはならないと言うことを神の力を感じて知ったから、生涯その道を教えて伝え俗世の道よりもこの道を楽しみとした。
私はやがて安息につく場所へ行く、そこは私の贖い主の居たもう所である。私は贖い主によって安息を得ることを知っているから、この死んで無くなるはずの肉体も不死不滅となって贖い主の御前に立つ日のあることを思って喜ぶ。その時になると私は贖い主の御顔を仰いで喜び、贖い主は「さいわいなる者よ、われに来れ。わが父の邸には汝のために備えたる場所あり」と仰せになるのである。アーメン。

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