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2024年5月5日(日) 通読(本日=ガラ4-6,3イミ23,アル14 明日=レビ1-3,ソ詩10,アル15)

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節表示・修正口語訳(日本語R)+真理子のおまけ 解題
〔真理子訳(工事中)〕イミタチオ第1巻 霊の生活に益ある勧め 第22章
第二十二章。人生のつらいことについて。
どこにしても、どこに向かっても、神に頼るのでない限り、あなたは哀れだろう。
どうしてあなたは、自分の願望どおりに事が進まないからといって、心を悩ますのか。万事思いのままにかなう人などいるのだろうか。わたしもあなたも、また地上にいる人はだれもそうではないのだ。国王であれ教皇であれ、この世の人はみな、多少の苦労や困難がない者はないのだ。
ならばだれが最も幸福であろう。それは神のために何かを堪えることのできる人にほかならないではないか。
愚かで心の弱い人には、こういうふうにいう人が多い。「ほら、あの人はなんて幸せな生活でしょう。あんなに金持ちで、あんなに豪華で、あんなに権力があって、あんなに地位が高くて」。
しかし目をあけて天のよいことを考えてみなさい。この世のあらゆる物など取るに足らないことがわかるだろう。不確かであり、いや、重荷でさえある。それを持てば必ず心配や恐怖の種となる。
この世での持ち物が余りあっても、人は幸福ではない。ただ人並みであれば十分である。
本当にこの地上に生きるのはつらいことである。
人がもし霊的に高まろうとすればするほど、ますますこの世の生活はつらくなる。人が堕落の欠陥をますますはっきりと覚るからである。
敬虔ですべての罪から解放されることを願う人にとっては、食う、飲む、起きる、寝る、休む、働く、その他さまざまの自然の必要に従う事が、たいへんな不幸であり苦痛なのである。
内的に生きる人にとって、この世の肉体の必要とはすべて重荷なのである。
だから預言者たちはここから逃れることを熱心に祈って言う。「わたしを苦しみから引き出してください」(詩25:17)と。
しかし、自分の不幸に気づかない者は憐むべきである。さらに憐むべきは、この悲惨で堕落した生活に執着する人である。
こういう人はこの世にひどく執着して、生きられる限り生きようとするだけで、神の国など少しも考えない。働いたり物乞いまでしても、やっと必要なものを得られるだけなのに。
ああ、こんなに地上のことばかりに深く没頭して、肉の事以外に何も味わえない人々は、なんと愚かで不信仰だろう。
しかしこういうあわれな人々も、自分が愛したものがどれだけ悪くつまらないものであるかを覚って、悲しむことであろう。
しかし神の聖者たちやキリストの敬虔な友はみな、決して肉体的な快楽や、この世の栄えに心をとめず、永久のよい事のみを望み、志したのである。
天の不滅の目に見えないものばかりを願った。目に見えるものを愛することによって汚れた低いものに引きつけられないようにするためだった。
兄弟よ、霊の進歩をしようという「確信を放棄してはいけない」(ヘブ10:35)。まだ時と機会があるのである。
どうしてあなたは決心を先延ばしにするのか。立ってすぐさまに実行し、それから言いなさい。「なすべき時は今。がんばるのも今。今こそ改心する機会である」と。
あなたが災難や苦難に出逢った時こそ功績を挙げる時である。
火の中、水の中を通らなければ、安らぎの地には行かれない。
自分を強いるのでなければ、欠点を克服できない。
もろい肉体を持ってる限り、われわれは罪を免れることはできないし、倦怠と悲哀なしには生きられない。
われわれはすべての不幸を免れて安息を得たいと思う。しかしもうすでに罪のために純潔をなくしているのだから、真の幸福も失ってしまっているのだ。
だからわれわれは耐え忍んで神の恵みを待たねばならない。邪悪が過ぎ去り、「死ぬべきものがいのちにのまれてしまう」(二コリ5:4)まで。
ああ、常に悪にばかり傾く人間は、なんともろいことだろう。
今日あなたは罪を告白するのに、明日その告白した罪をまた犯すのである。
今あなたは自ら慎もうと決心するのに、しばらくたつと、何も決心しなかったかのようにふるまうのだ。
こんなにわれわれはもろく、心変わりしやすいのだから、自らへりくだり、決して高ぶってはならない。
そして、神の恵みによって、努力してやっと得られたものを、自分の怠け心によってすぐに失ってしまうのだ。
はじめからすぐに熱意を失ってしまうわれわれは、最後にはどうなるのだろう。
もし自分の生活に真の聖化のしるしが現われないのに、もう安らぎと安全を得たかのように気をゆるめてしまうなら、われわれは呪われよ。
もし将来の改善と、ますますの霊の進歩が期待できるとするならば、われわれは初心の修道者のように、よい生活について教えられる必要があるだろう。

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