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2024年3月29日(金) 通読(本日=エレ27-31,知18,クル-35回 明日=マコ15-16,1イミ18,クル-36回)

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節表示・修正口語訳(日本語R)+真理子のおまけ 解題
〔57年モルモン経〕ニーファイ第二書 第27章
第二十七章
ニーファイの予言、つづき。悪人たちに下る神の裁き。封ぜられた書物。無学な人。三人の見証者。めずらしき業と驚嘆すべき事。

ごらん、末の日である異邦人の時代になると、異邦人から成るあらゆる国々とユダヤ人から成る国々、すなわちこの地へくる民と他国にある民、すなわち世界全国にある民はみな罪悪とあらゆる憎むべき行いをほしいままにして酔うであろう。
その時になると、万軍の主は雷、地震、おそろしい大きな響、嵐、大風、焼き亡ぼす焔などの災を世界の民に下したもう。
またシオンと戦ってこれを悩ます国民は、すべて夜夢を見る者のようになる。まことに飢えた人が夢の中で物を食べても、目を覚せばその人は身も霊も空である。のどが乾いている人が夢の中で水を飲んでも、目を覚せば彼は疲れておりその身も霊もまだ乾いている。シオンの山と戦う万国の民の群は、まことにこの通りになる。
およそ罪悪を行う人たちよ。お前たちはしきりに高い声を出して叫び、まことに酔うであろうが、それはぶどう酒のためではない。お前たちはよろめくであろうが、それは濃い酒のためではない。それであるから、お前たちはよく心に留めこれを見て驚け。
見よ、お前たちは目をつぶって、予言者たちを受け入れるのを拒んだ。それであるから、主はお前たちを深い眠に落しまたお前たちの罪悪のためにお前たちの支配者らも聖見者らもかくしておしまいになった。
また主なる神はある書物の言葉を示してお前たちに伝えたもうが、これは死んだ人たちがのこした言葉である。
その書物は封じてあって、その中には世の始めから世の終りまでについて神が啓示をなしたもうたことがのっている。
従って、このように封じてある記事は神聖であるから、罪悪と憎むべき行いのある時に世の中の人々に与えてはならない。それであるから、この書物は世の人々に隠して見せられない。
しかしながら、この書物はある男に授けられ、それからこの男はその書物の中の言葉、すなわち墓に眠っている者たちの言葉を別の男に授ける。
しかし、かれは書物の中に封じてある言葉も、その書物も決して人に授けてはならない。なぜならば、その書物は神の権能によって封ぜられ、またその中に封じてある啓示は、主のみこころにかなって世に出るまで、ずっとその書物の中に封じておかれるからである。ごらん、その啓示は世の始めから世の終りまで一切のことをあらわす。
しかしながら、この書物の中に封じてある言葉が公に読まれる時がくる。それはキリストの権能によって読まれこれまで人間の中にあったことと、また今から世の終りまでに起ることとが、みな人間に示される。
それであるから、その書物は今私の言った男に授けられる時に、世の中の人の目につかないように隠される。従って、その書物を授けられる一人のほか三人の見証者が神の能力によってこれを見ることができるが、そのほかにはだれ一人これを見ることができない。そして、この三人はその書物とその中に書いてあることが確実である証をする。
このほかにその書物を見ることのできる者は、ただ神のみこころに従って世の人々にその言葉の証拠を立てる数人の者にかぎられる。主なる神の言葉に「真実なる者たちの言葉は、あたかも墓より語る声の如くに語りて証を立つべし」とある。
それであるから、主なる神はその書物の言葉を現わしたまい、またその数が十分であると思いたもう証人たちの口を借りて、その言葉を確実なものとなしたもう。従って、神の言葉を認めない者は禍である。
ごらん、主なる神はその書物を授けるはずの男に次のように言いたもう「封ぜざるこの言葉を取りて別の男に与え、その男にこれを学者に見せて『何とぞこれを読みたまえ』と言わせよ。その時その学者は『その書物をここまで持ち来れ。しからばその言葉を読まん』と言う。
されど学者のかく答うるは、神に栄光を帰するためにあらずして世の誉と利益とを得るためなり。
よりて、その言葉を見せたる男は『その書物は封ぜられたれば持ち来るを得ず』と言い、
ここに於て学者は『さらばその書物を読むを得ず』と言う」と。
それであるから、主なる神はまたその書物と言葉とを学識のない人に授けたまい、この学識のない人は「私は無学である」と答える。
そのときに主なる神はこの人に言いたもう「学者たちはすでにこの書物の言葉を否定したるにより、これを読むを得ず。されど、われはわが事業を為し遂ぐる能力あるにより、汝はわれが今汝に授くる言葉を読むことを得。
されど、その封じたる所に手を触るべからず。そはわれが自らのこころにかなう時にこれを発表して、自らわれの事業を為し遂ぐる力あることを世の人々に認めしめんとすればなり。
されば、汝はわれが読めと言いし言葉を読み、またわれが汝に与えんと誓いし見証者たちを得たる後は、再びその書物を封じてわれに託せざるべからず。こはあらゆることを世の中の人に示すも可なりとわが知恵にて察する時まで、汝のいまだ読まざる言葉を保存するためなり。
見よ、われは神なり。また奇跡を行う神なり。われは昨日も今日もいつまでも同じくあると言うことと、人の信仰によらずば何事も人間になさざることとを世の人々に認めしめん」と。
また主は授けられる言葉を読むさきの男に語りたもう。
「この民は口をもてわれに近づきくちびるをもてわれを誉むれども、その心はわれより遠ざかる。かれらがわれをおそるるは、人の造りし戒めにて教えらるるなり。
故にわれはこの民の中に珍らしき仕事、まことに珍らしき業と驚嘆すべき事とを始めんとす。よりて、これに比ぶれば世の中の知恵者と博学の人の知恵も知恵でなくなり、世の中の聡明なる者の知識も隠れて見えずなるべし、
そのはかりごとを深く隠して主に知らせざらんとする者は禍なり。かかる者たちのその行いは暗黒にしてかれらは『だれがわれわれを見るか、だれがわれわれを知るか』と言い、また『汝らが物をくつがえすは必ず無益と思われん』と言う。しかし見よ、万軍の主はいう。われはかれらのする行いを一切知ることを証明せん。そもそも、物はこれを造りし人に対して、かれは自分を造らざりきと言わんや。または、造られたる物はこれを造りし人に対して、かれは知識なしと言わんや。
見よ、われはレバノン変りて豊かなる畑となり、豊かなる畑変りて森林のごとく思わるる時のくるまでの間は、ごくわずかなることを世の人に教えん。
その時、耳の聞こえぬ者たちもかの書物の言葉を聞き、目の見えぬ人たちも不明なる暗黒の有様でなくなり、よく見て知ることを得べし。
しかして柔和なる人たちふえて主に仕えて喜び、世の中の貧しき人たちはイスラエルの聖者を喜ぶ。
そはこれらの人々が、必ず暴ぶる人々の無くせられ、あなどる者の亡ぼされ、罪悪を求むる者のみな切り捨てられ.
僅かの言葉より人を悪く見る者、門の中にていさむる人を陥いるるために計略をする者、正しき人をしりぞけてないがしろにする者たちがみな亡ぼさるるを見る故なり。こは主が生きてましますごとく確かなることなり」と。
故にアブラハムを贖いたもうた主はヤコブの家について次のように言いたもう「今よりヤコブはもはや恥ずることなく、その顔も再び青ざむることなし。
しかして、かれがわが手にてつくれるその子孫が自分の中に在ることを見る時になりて、かれらはわが名とヤコブの聖者とを神聖なるものとしてあがめ、イスラエルの神をおそれん。
精神に過ちを犯したる者たちは悟ることを得、不平を言いし者たちは教義を学ぶことを得ん」と。

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