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2024年3月29日(金) 通読(本日=エレ27-31,知18,クル-35回 明日=マコ15-16,1イミ18,クル-36回)

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節表示・修正口語訳(日本語R)+真理子のおまけ 解題
〔57年モルモン経〕アルマ書 第56章
第56章
ヒラマンがモロナイへ送った手紙。アンモン人青年らの驚くべき信仰と勇気。再び大戦争。ニーファイ人の大勝利。

判事治世三十年目の一月二日、モロナイはヒラマンから手紙を受け取ったが、それにはヒラマンのいる地方の人民の情況が書いてあった。
ヒラマンの書いた言葉は次の通りである。主に於けるわが愛する兄弟よ。また今の戦に於て艱難を同じくするわが深く愛する兄弟モロナイよ。この地方の戦について汝に知らせることがある。
それは、アンモンがニーファイの地から連れてきた人々の息子である二千人の人々にかかわることである。汝は、すでにこれらの人々がわれらの先祖リーハイの長男レーマンの子孫であることを知っているから、
かれらの言伝えと不信仰とについて汝に語る必要はない。汝はこれらのことをみなよく知っているからである。
われはただかれらの子孫である二千人の青年が武装をして、われにその司令官になってくれと言い、われらが自国を守るために出陣したということを言えば十分である。
汝はまたこの二千人の青年の親たちが、同胞に向って再び武器を執り血を流すことをしないと誓ったことをよく知っている。
しかし判事治世の二十六年目、かれらは国民がかれらのために艱難に逢い非常に苦しむ有様を見たので、すぐに立てた誓いを破り国家を守るために武器を執ろうとした。
しかし、かれらが立てた誓約を守るためにわれらが益々苦しむことのないように、神はとくに力を添えて下さると思ってわれはその誓約を破ることをかれらに許さなかった。
しかし、われらが大いに喜ぶ一つの事があった。すなわち、二十六年目にわれヒラマンはこの二千人の青年を率いてユダヤ市へ行き、汝がその地の軍の司令官としたアンテプスを助けた。
その時われはわが二千人の子(この二千人の青年はわが子と呼ぶにふさわしい者である)をアンテプスの軍に加えたから、アンテプスは一方ならずこれを喜んだ。それはレーマン人がわが軍を大勢殺したから、アンテプスの軍はすでに減少していたからである。われらはわが兵の多く殺されたことを悲しまずにはおられない。
それでも、またわれらはかれらが国の為、神の為に死んですでに幸福を受けていると思って心に慰めを得るのである。
レーマン人はまた多くのとりこを持っていたがこのとりこは皆大士官であった。そのほかにとりことなった者は、レーマン人がみな殺してしまったからである。思うにとりこになっている大士官らはニーファイの地に居るであろう。レーマン人がこれを殺さなかったならば、必ずニーファイの地に居るのである。
レーマン人がわが軍の多くの勇士の血を流すことによって占領した都市は次の通りである。
マンタイの地、すなわちマンタイ市、ゼーズロム市、クメナイ市、アンテパラ市がこれである。
これらはわれがユダヤ市に着いた時レーマン人がすでに占領していた都市であって、われはアンテプスとその軍とがユダヤ市の防禦に力をつくしているのを見た。
かれらはその都市を守るために、昼は勇しく戦い夜は苦労してあらゆる苦難に逢ったため肉体精神共に疲れていた。
かれらはもしユダヤ市で敵に勝たなければ必ず死のうと覚悟をしていたから、われがつれてきたこの小さな軍、すなわちわが子である青年たちのために大きな望みと喜びとを得たことは言うまでもない。
レーマン人はアンテプスの軍が援兵を得たと知ると、アモロンの命令でユダヤ市またはわが軍を攻めることを禁ぜられた。
このようにしてわれらは主の助けを得た。もしレーマン人がわれらのまだ弱い内に攻めよせてきたならば、われらの小さな軍を亡ぼしたかわからない。しかしわれらはこのようにして守られたのである。
レーマン人はこれまでに占領している都市をみな固く守れと言う命令をアモロンから受けた。これで二十六年目は終った。二十七年目の始め、われらはすでに自身と自分らの都市とを守る備えを完成していたが、
われらはレーマン人をそのとりでにこもっているまま攻撃したいとは思わなかったから、レーマン人から攻めよせてくればよいと思っていた。
われらはいつも四方に間者をつかわし、レーマン人が夜にも昼にもわれらの所を過ぎて北の方にあるわれらの他の都市を攻めることのないいようにその動きをうかがっていた。
なぜならば、北の方にある都市の民はレーマン人を防ぐに足る力がないことが解っていたからである。それであるからレーマン人がもしもどうとかしてわれらの所を過ぎることができたなら、われらはわが軍を以て後からこれを襲い、かれらの正面から向うと共に後からも攻めたいと思っていた。われらはこの策を以てレーマン人に勝つことができると思っていたところが、その望みははずれた。
レーマン人は思い切って全軍でわれらの所を過ぎることができず、また軍の一部では十分強くないから亡びるかも知れぬと思って過ぎなかったからである。
かれらはまた思い切ってゼラヘムラ市を攻めるため軍を進めようとはせず、またサイドン川の源を越えてニーファイハ市へ行くことも危いと思ってしなかった。
それでかれらは、それまでに占領している都市を軍勢で固く守ろうと決意をした。
この年の二月、わが子である二千人の青年の親から多くの食糧をわが軍にとどけ、
またゼラヘムラの地から二千人の援兵を送ってきたから、われらには一万の兵とこれに必要な食糧と兵の妻子に要する食糧とがあって準備が整った。
レーマン人はわが兵が日々増加しこれを養う食糧がくるのを見て恐ろしくなり、われらの所へ送ってくる援兵と食糧の道をふさごうと思ってたびたび出撃してくるようになった。
われらはレーマン人がこのようにいよいよ不安になるのを知り、一つの計略を施そうと思った。よってアンテプスはわれとわが年若い子らに命令を下して、隣りの都市へ食糧を運ぶふりをして一しょに行けと言った。
こうすると、わが兵はアンテパラ市の向うにあって海に近い都市に行くふりをしてアンテパラ市の近くを通らねばならなかった。
そこでわれらはあたかも食糧を運んでその市へ行くようなふりをして進軍して行った。
われは小さな軍を率いてアンテパラ市へ近づくと、アンテプスはその軍の一部をくり出し、ユダヤ市の守りためにほかの兵をのこして進んできた。
アンテパラ市にはレーマン人の一番強い軍が一番多く駐屯していた。
それであるから間者によってわが軍の行動を知ると、すぐに軍をくり出しわが軍に向って進んできた。
そこでわれらは北の方へ逃げてレーマン人の一番強い軍隊を遠くへ誘い出した。
かれらをずいぶん遠くへ誘い出したところ、レーマン人は後からアンテプスの軍が急いで追ってくるのを覚り、左へも右へも曲らず真すぐにわが兵を追ってきた。かれらはわが兵にとり囲まれぬよう、アンテプスの軍の追いつかぬ内にわが兵を殺すつもりであったらしい。
アンテプスはわが兵が危いのを見て急いで進んできたが、もう夜になってレーマン人がまだわれらに追いつかず、アンテプスの軍もまだレーマン人に追いつかなかったから、われらは天幕を張って夜を過した。
翌日、まだ夜の明けない中にレーマン人が再びわれらを追ってきたが、われらはこれと戦う力がなく、またわれはその若い息子らをレーマン人の手に落したくないと思ったから荒野へ進んで行った。
レーマン人はとり囲まれることを恐れて左へも右へも曲らず、われもまたレーマン人に追いつかれたならこれに抵抗ができずに殺され敵を取り逃すといけないと思って左にも右にも曲らず、この日もまた暗くなるまで一日荒野へ逃げて行った。
夜が明けると、われらはレーマン人が今にも追いつこうとする様子を見てまた逃げた。
しかしこのたびレーマン人はわれらを遠く追わずに止まった。時は七月三日の午前であった。
われらはレーマン人がアンテプスに追いつかれたかどうかは知らなかったが、われはわが部下に問うて「敵はわれらに攻めさせるよう兵を止めて、われらをわなにかけて捕えようとするのかも知れない。
しかしわが子らよ汝らはどう思うか。敵と戦うつもりか」と言った。
わが愛する兄弟モロナイよ。われはニーファイ人の中にさえも次に言うような偉大な勇気を見たことがない。
われが常にかれらを指して(みな非常に若かったから)わが子らと呼ぶように、かれらもまたわれを指して父と呼び「父よ、われらの神はわれらと共にましまして必ずわれらを倒れさせたまわないから、われらは行って戦おう。われらの同胞がもしも日頃われらに迫らないならばわれらはこれを殺さないであろう。かれらは迫ってきている。同胞であるこの敵がアンテプスの軍に勝たないようわれらは行って戦おう」と答えた。
わが子らはまだ戦ったことがなかったが死ぬことを恐れず、自分の命よりも親の自由を重んじ、また疑いを抱かないならば神が必ず自分らを救いたもうとその母から教えを受けていた。
かれらはその母の言葉をわれに話して「われらの母はわれらに教えたことを自分で確に知っている。われらはこれを疑わない」と言った。
さてわれは、われらを追いかけたレーマン人を攻めるためにこの二千人の兵を率いて行ったが、見よ、アンテプスの軍はすでにレーマン人に追い着いて烈しい戦が始まっていた。
しかし、アンテプスの軍は僅の間に遠い道のりを進んだため、疲れてまさにレーマン人に負けようとしていた。もしもわれがその二千人の兵をつれて帰ってこなかったならば、レーマン人はその目的を遂げたことであろう。
アンテプスとその軍の重な士官たちの多くは急いで進軍したために疲れて早くも剣に倒れたから、その兵の重な士官らが死んだのを見てうろたえ騒ぎレーマン人から退却し始めた。
レーマン人はこれを見て勇気づき全力をあげてアンテプスの軍を追撃する。レーマン人がアンテプスの軍を追撃する内に、ヒラマンはその二千人の兵を以てレーマン人の背後から攻撃して大いに敵を殺し始めたから、レーマン人の全軍は止まって今度はヒラマンの軍へ向ってきた。
そこでアンテプスの軍は、レーマン人が転じて今その背面に向っているのを見て、残りの兵を集めて再び敵の後方を襲った。
よってニーファイの民であるわれら、すなわちアンテプスの兵とわれとわが二千人の兵とはレーマン人をとりかこんでこれを殺したから、敵はやむを得ず武器をひきわたして自らとりことなった。
敵が降服してから、われはわが部下の青年が多く死んで居わしないかと思って数をしらべたところ、
嬉しいことに一人も失わなかった。まことにかれらは神の限りない力を得たかのように戦った。人がこのように不思議な力で戦ったことはいまだかつて例のないことであった。かれらレーマン人も驚くばかりの大きな力で攻撃したから、レーマン人は降服してとりこになったのである。
その地にはとりこを見張ってレーマン人の軍に取り返されないようにしておく所がなかったので、われは殺されなかったアンテプスの兵の一部をつけてこれをゼラヘムラの地に送らせ、アンテプスの残りの兵をわが若い子であるアンモン人に加えてユダヤ市に帰った。

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