真理子の聖書日記 真理子の聖書日記

このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
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[566]ヨブ記29-30章
投稿者=真理子
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掲示日=2011/03/24(木) 10:52:08
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http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=libj&book=job&chapter=29&mode=0
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=libj&book=job&chapter=30&mode=0
 要約しちゃうと、「昔は幸せだった(29章)。今は不幸だ(30章)」だけで終わっちゃいます。ヨブ記はどこもこんな感じで、いまさらのことじゃありませんけど、今回のところはその幸せなさまと不幸なさまがこれでもかこれでもかと言葉を重ねて表現されているところが見どころです。
 神様は全知全能で、この世のあらゆることは神様の計画のもとにあり、神様にとって想定外の事態というのはなく、しかも神様は人類を愛してくださる善なる存在……なんてことを言えば言うほど、じゃなんでこの世に不幸があるのかってことになっちゃいます。
 今回の震災に関しても某mixiの某コミュニティーなんかじゃそういう議論をしてるようですね。
 そういう「なぜこの世に悪があるのか」というのは神義論といって、昔からずっと問い続けられ、いまだに答えが出てない問題です。
 その答えのひとつがまさにこのヨブ記なんですけど、ヨブ記を最後まで読んでも明快な形で答えられていませんので、あんまり期待しないでください。
 答えの出ない問題に私が答えられるはずもないんですけど、善であり全能である神様がいるのになぜ悪があるか、という方向で考えるんじゃなく、悪はあるけど必ず神様はいて助けてくれるはずだ、と希望をもって生きる方向でとらえるのがいいんじゃないかしら。
 そして、人間って残酷なもので、自分より不幸な人を見ると、自分はまだましだと安心してしまうところがありますよね。ヨブさんの不幸はそのようにとらえるといいんじゃないかしら。いいことをいているのに徹底して神様からいじめられちゃったヨブさんのエピソードが私たちへの慰めになるのは、そういうことなんでしょう。

[565]詩編42-44編、1マカ6章
投稿者=真理子
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掲示日=2011/03/23(水) 14:07:30
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●詩編42-44編
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=psa&chapter=42&mode=0
 鹿が出てくる42編はとても有名で、よく宗教音楽の題材になってます。交読文にも入ってます。
 でも私はついつい、花札の鹿の図を思い出しちゃうんですけどね。もみじがいっぱい落ちて、豊かに流れる水にいっぱい浮いているような。でも詩編のほうをよく読むと、水はぜんぜん流れてないんですよね。ほとんど干上がった川を思い浮かべなきゃ間違っちゃいます。神様のめぐみはそんなにそんじょそこらにあふれているわけではなさそうですね。

●1マカ6章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ma&chapter=6&mode=0
 セレウコス朝のほうは王の交代がありました。でも、死んだ父王もアンティオコス、新しい王もアンティオコスなんでまぎらわしいですね。
 ユダのぐんと王の軍は激しく戦います。王の軍には象部隊もいるんですね。古代の戦争では象っていうのはきわめて破壊力の大きい、いまでいえば核兵器みたいな力があったんですね。あのハンニバルも象を率いてアルプスを越えてます。
 象にむかって特攻をするエレアザルのような人も出てけんめいに戦うんですが、戦争は膠着状態。
 ところが王の側に政変が起こって戦いどころではなく、いったん和議が成立します。