[真理子日曜学校 - 真理子の生活と意見(フレーム表示) ]
 

神仏習合のすすめ(総論)


 
  1. ハリガネな信仰に反発
     真理子が育った家は創価学会。ここは謗法払い(ほうぼうばらい)といって他宗の信仰につながるようなものは残らず捨てて持ち込まないという厳しいところでした。
     最近は創価学会も成熟したみたいであんまり厳しくないみたいですけど、私が創価学会との付き合いをテキトーにすませてるせいでそう思うのでしょう。創価学会も大きいからいろんな人がいるみたいで、厳しい指導をするところもあればゆるいところもあります。一応本家のサイトには謗法について@創価学会みたいに厳しいこと書いてます。
     でもふつう仏教というと神仏習合で、仏像以外に神札はありーのと、宗教にはおおらかなものですが、日本の仏教の中でも日蓮さんって念仏無間地獄、禅天魔、律国賊…だのと他宗攻撃のスゴい人ですからね。それでも主流派である身延なんかはけっこうおおらかなんですが、創価学会って富士門流(日蓮の弟子の一人の日興の分派)の一つ、日蓮正宗の系統で、ことのほか原理主義的。昔から日本ではこういうのを「ハリガネ宗」って言いましたけど、支流になればなるほどハリガネになるっていう法則ってありそうですね。こういう仏教らしからぬ、むしろキリスト教的一神教的なハリガネの色彩が強いから、戦後あれだけ教勢が伸びたんでしょう。
     真理子は創価学会のこういうハリガネ的雰囲気にずっと反発したんで、いろんな宗教に寛容な立場を貫きたいと思っているのです。無宗教にならずに宗教ヲタになってしまったところが面白いですね。よくも悪くも創価学会で育ったせいなのでしょう。

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  3. 実はキリスト教って多神教
     結婚はキリスト教、葬式は仏教、お願いごとは神道……と、さまざまな宗教を信仰、いや宗教だけでなく、朝のテレビや雑誌でやってる占いは必ず見るし、車にはいろんな神社のお守り飾ってる。正月には鏡餅と門松を飾る……いろんな宗教いろんなおまじないにテキトーにお付き合いをするなんていうのが日本人のフツーのライフスタイルじゃないかしら。だから宗教法人の信者数を合計すると日本の人口の2倍ぐらいになっちゃう。
     こういうのをよく宗教学者さんたちはバカにするんですけど、でも実はヨーロッパの宗教状況だって似たようなとこありません? 聖書だけ見てちゃダメ。キリスト教全体を、民間信仰を含めて見てごらんなさいって。神様イエス様(いや、三位一体っていうのからして一神教じゃなく三神教よね)だけじゃすまない。守護聖人っていっぱいいるのよ。漁師出身のペテロは漁業の守護聖人、音楽を奏でながら神をたたえて殉教した聖セシリアは音楽の守護聖人、キリストをおんぶした伝説のある聖クリストフォロスのメダイ(メダル)は交通安全のお守り。そうそうマリア様を忘れちゃいけないわね。ヨーロッパだと道のあちこちにマリア様の像があってさながらお地蔵さまよ。神様と呼んでないだけで、私たち日本人がいうところの「神」には十分になってますから、多神教ですよ。これってカトリックだけじゃなく、プロテスタント国だって探せば実はいろいろあるのよ。
     こういう諸聖人への信仰は、もちろん実在した聖人の実際のエピソードに基づいて生まれることもあるのですが、キリスト教以外の信仰がキリスト教的な体面をつくろってうまく取り入れられたものもあります。たとえばマリア信仰は明らかに世界のどこにでもある母性、女体への信仰、ギリシアのアフロディテ、ローマのヴェヌス(ヴィーナス)、日本の観音様(そもそもの観世音菩薩は必ずしも女ではないのですが、日本の観音様はなぜか女性が多いですよね)のようなものが、キリスト教にうまく組み込まれたものといえます。まさにヨーロッパ版の神仏習合、仏じゃないから神神習合かしら。
     こういうふうに民間信仰を含めて総体としてとらえた宗教状況って、実はヨーロッパも日本とあんまり変わりないんです。神様一人だけじゃすまず、サブとしていろんな神様をお祭りするのは世の常なんだなって感じます。

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  5. 病院にたとえれば
     こんなふうに諸宗教の習合は必ずしも日本だけのことでなく、世界のどこにでもあることですが、特に日本では神仏習合という形で神道と仏教の融合がはかられました。神道は死をケガレとして忌避するので葬式はウィークポイントになるのですが、そこに死生観を得意とする仏教がうまく入り込んだわけです。いや、共存は神道と仏教だけじゃありません。主君への忠義や親孝行を重視しない仏教の弱点に儒教がうまく入り込む。さらに神道・仏教・儒教が全く重視しない結婚を、宗教的一大秘蹟として重視するキリスト教がうまく入り込んで取り扱う。こんな感じでそれぞれの宗教には得意分野と不得意分野があるのであり、それぞれの得意分野をうまく活用して、諸宗教の棲み分け・共存をはかってきたのが、日本の宗教事情です。
     これはちょうど、病院の「科」じゃないでしょうか。どんな病気も一人の先生におまかせするなんていう人はいません。目は眼科、鼻は耳鼻科、腹が痛けりゃ内科、生理が不順なら婦人科に行くようなもんです。
     もともと仏教の各宗派が実はそんなもんです。奈良時代の南都六宗というのは6宗派が対立していたわけじゃありません。各寺院が2つも3つも宗派をかけもっていたのです。ちょうど「内科・小児科・皮膚科」をかけもつ医者がいるようなもんです。
     最澄がもたらした天台宗はまさに「総合病院」で、その時代に存在した諸宗派をなんでもござれと取り込んだものです。ただし当時の先進技術であった密教だけは中国で学びそこねてきたので、最澄は空海に密教の教えを乞うて断られちゃいましたが、後の時代にはちゃんと台密として取り込みます。だから鎌倉新仏教はほとんど天台から派生するのです。日蓮だって比叡山で修行したんですよ。日蓮宗はいわば「天台プロテスタント」「天台宗福音派」みたいなもんです。その証拠に念仏無間地獄、禅天魔、律国賊…などと言ってる日蓮も、天台だけはどーのこーのと言ってないでしょ?

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  7. いま、神仏習合が最も新しい!
     こういうふうに仏教の各宗派、さらに諸宗教は病院の科のようなものであり、共存が可能だというのが、真理子の考えです。
     そして、病院の科であればこそ、一人がいくつの宗教の信徒を掛け持ちしてもおかしくないし、用事がなければどの宗教施設にも行かなくていい(もちろん健康診断で病院に行くように、悩みがなくても宗教施設に行ってかまわないわけですけど)と思っています。
     従来はこういう考え方はルーズな宗教観としてバカにされてきましたけど、でも今やこれが一番新しいのではないでしょうか。社会主義が崩壊して21世紀は宗教対決の世紀なのではというくらい、今キリスト教とイスラム教の関係が世界を騒がせています。9.11を引き合いに出すまでもなく、宗教の対立が人類の危機を招いているというのは、誰でも感じることなのではないでしょうか。
     こういう状況にあって、昔から日本人がやってきた神仏習合のあり方は、諸宗教をうまく棲み分け・共存させていくための、世界に提案できるモデルといえるのではないでしょうか。

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  9. 他宗教でも救われる
     昔のカトリックは「教会の外に救いなし」なんて言ってましたけど、今ではすっかり包括主義の立場になって、「キリスト教と他宗教は、登山でこの道を通るかあの道を通るかの違いだけ」なんて言ってるらしいですね。いい事ですわ。
     そもそも、誰が救われるかは神様が決めることであって、人間には何もいえません。神様はNHKみたいに「公開収録へのご参加は、受信料を払った方に限らせていただきます」なんてことは言いません。イエス様の犠牲は全人類を救済するに足るものじゃないんですか?
     もっとも、他宗教の人が天国に行ったとして、キリスト教の考え方を知らないと、そこを天国だと認識しないかもしれませんよね。だって天国って、信仰を持たない人にとっては退屈そうじゃありませんか。「クリスチャンじゃなければ天国に行けない」というのは、この意味で言うならば真実かもしれませんよ(笑)。
     こういう考え方からすると、宗教の違いなんてあんまり大したことじゃないし、だからこそ堂々と何でも習合しちゃえばいいと思うんですけどね。

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