[真理子日曜学校 - 聖書の言語入門(フレーム表示) ]
【韓国語文語コース】
文語の文末表現
- 文語下称
| 動詞 | 形容詞 | 指定詞 |
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平叙文 | 느니라 | (으)니라 | 라 |
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疑問文 | 느뇨 | (으)뇨 | 냐 |
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命令文 | 라 |
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勧誘文 | 자 |
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聖書(改訳ハングル、改訳改訂)では原則として地の文は全部これですし、せりふの中でも用いられます。
この表は小学館の朝鮮語辞典で一語一語ひいてまとめたんですけど、実のところ改訳ハングルでは必ずしも動詞と形容詞の別を守ってないです。動詞だから느니라のはずと思っても形容詞用の니라だったりとか、かといって全部니라かというと느니라になってるものもあったりとか、統一がとれてないです。
補助語幹は美化の옵以外みんなアリです。口語の下称では았/었/겠のあとでは平叙文は形容詞語尾になりますが、文語ではそういう規則はありません。上にも書いたように動詞語尾を使うか形容詞語尾を使うか混乱しているところがあります。저희는 말을 많이 하여야 들으실줄 생각 하느니라 あいつらは言葉を多くして祈らなければならないと思っている。(저희の意味に注意)(Mat:6:7)
예수 그리스도의 계보라 イエス・キリストの系図である。(Mat:1:1)
유대인의 왕으로 나신 이가 어디 계시뇨 ユダヤ人の王としてお生まれになった方がどこにおられますか。(Mat:2:2)
보라 처녀가 잉태하여 아들을 낳을 것이요 見よ、おとめが身ごもって男の子を産むだろう。(Mat:1:23)
- 文語上称
時代劇でよく聞かれる文末表現です。聖書(改訳ハングル、改訳改訂)では主にせりふの中によく出てきます。
ほとんどの場合は単独ではなく美化の옵とともに用いられます。つまり、(사)옵나이다、(사)옵나이까、옵소서になるということです。「補助語幹」に書いたように옵は次に連結器の으が来るとまとめて오になっちゃうんですが、この場合は옵소서であり、오소서になりません。
誤解のないように確認しますが、上称というのは尊敬ではなく丁寧です。だから自分のことにだって使います。現代語のㅂ니다/ㅂ니까だってそうでしょう? だからどう訳すかは主語や文脈を見て判断してください。당신의 모친과 동생들이 당신께 말하려고 밖에 섰나이다 あなたの母さんと兄弟たちが外に立っておられます。(過去形ですが過去に訳さない)(Mat:12:47)
주여 나를 구원하소서 主よ、私を助けてください。(Mat:14:30)
그러면 내 하인이 낫겠삽나이다 そうすれば私の召使は癒されるでしょう。삽나이다 は사옵나이다 の縮約です。(Mat:8:8)
나이다には니다、나이까には니까という縮約形があります。これが現代語のㅂ니다/ㅂ니까です。ㅂというのは美化の옵が変化した形です。聖書ではㅂ니다/ㅂ니까は出てきませんが、옵니다/옵니까は時々出てきます。랍비여 안녕하시옵니까 先生、お元気ですか。(Mat:26:49)