[真理子日曜学校 - キリスト真理自由教会(フレーム表示) ]
 

修行


 
  1. 修行をしてみよう
     ヤコ1:22-25にあるように、主のみことばを聴いたら、それを実践する人になりましょう。みことばを信じ、祈るだけでなく、何か行動をしてください。

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  3. 当教会における修行の位置づけ
     修行をしなければ救われないわけではありません。
     誰が救われ、誰が救われないかは、神様が決めることであって、人間には何もいえません。どこかの宗教のように、「これこれの祈りを一万遍、十万遍、百万遍と唱えればとなえるほど救われる」などということは間違っても言いませんし、「もう救われているのだから一遍だけこの祈りを唱えなさい」というのすら間違いだと思います。さらには、キリスト教を信じていなくても神様は救ってくださる可能性がありますし、キリスト教を信じたからといって救いの保証があるわけでもありません。何かの修行をするから救われるというわけではないのです。
     しかし、「修行なんか不要、心さえあればよい」などと言い切ってしまうと、人間は弱いので、ついつい信仰の心すらないがしろになってしまいます。また、人間は何もすることがないと不安に陥ってしまうものです。何かに打ち込むことによって安らぎを得るということもあります。
     そこで、当教会ではさまざまな修行を提案します。そのうち、「これなら私にもできそうだ」ということを実践してみてください。

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  5. 修行の種類
     修行には利己行と利他行とがあります。
     利己行は、自己の救済あるいは修養のためにする行です。
     利他行は、他人の救済のためにする行です。
     どちらにしても、修行は「やりまくる」こと、「継続して行う」ことが大事です。どんなささいなことでも、徹底してやりぬくことによって成果が生まれてきます。
     あるいは、今日はこれ、明日はこれと、メニューを決めていろいろなものをやるというのもいいことです。聖書おみくじも活用しましょう。
     また、修行の結果を求めてはいけません。特に利他行では、「こういうことをしても相手は喜ばないかもしれない」としり込みしてはいけません。よかれと思ってしたことが相手に嫌がられることもあるでしょう。しかし、それはそれで仕方ありません。少しやり方を変えてみるか、あるいは、その人には通じなかっただけだと思ってくじけないことです。修行した結果どういうことになるかは、神様のみこころ次第です。

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  7. 利己行の例
     まずは「聖書通読行」です。これはできる限り全員行ってください。
     それ以外にはたとえば
    1. 聖書を手で書き写す。
    2. 聖書を入力する(この行をやるときはぜひご連絡ください。その結果を使わせてほしいですから)。
    3. 讃美歌などの楽譜のmidi入力をする(同上)。
    4. 修行としての祈り。当教会の公的な祈りは「お祈りのしかた」のように極めてシンプルなものにとどめますが、長い時間をかけて祈ることは修行としてはよいことです。カトリック教会の祈りの中の「ロザリオ」の項などは参考になるでしょう。
    5. 黙想。カトリックではロザリオの祈り(→前項)も黙想のうちに入るようですが、当教会では「キリスト教会版座禅」を黙想の標準形式にします。祈りの言葉を唱えないばかりか、心の中でも祈ろうとせず、目を閉じて心をからっぽにして座ってください。邪念が入ったり眠くなったりしても、それを神様からの答えと思ってあるがままに受け入れましょう。
    6. 各地の教会、他宗教寺院などを積極的に訪問する。→「巡礼
    などです。

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  9. 利他行の例
     他人のためになるような聖書のことば、あるいは聖人、宗教家の言葉を一つ決めて、それを徹底して実践します。さしあたりはオールマイティな「何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。」 マタ7:12で行きましょう。どんなくだらないこと、どんな小さなことでもかまいません。たとえば
    1. 街角で募金を見つけたら必ず入れる。
    2. 人から罵られても決して怒らない。
    3. 電車では必ず席を譲る。
    4. ご近所の掃除をする。
    5. ボランティア活動に参加する。
    などです。ともかくどんなことでも、やりまくり、継続することによって大きな成果になることでしょう。

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