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真理子日曜学校
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アヴェマリア
アヴェマリアとは
聖母マリアへの祈祷文です。
カトリックでは天使祝詞(てんし・しゅくし)と呼んでさかんに唱えられ、ロザリオの祈りのように150回唱える祈り方もあるので、どうかすると一番唱える回数の多い祈りかもしれません(→
カトリック教会の祈り
の中の「ロザリオ-はじめてのロザリオ」の項)。一方、プロテスタント諸教会ではマリア信仰をやりませんので、まるっきりなじみのない祈りだと思います。
当教会ではアヴェマリアを就寝時の祈りに取り入れます。
アヴェマリア
恵
《
めぐ
》
みあふれる
聖
《
せい
》
マリア、
主
《
しゅ
》
はあなたとともにおられます。
主
《
しゅ
》
はあなたを
選
《
えら
》
び、
祝福
《
しゅくふく
》
し、あなたの
子
《
こ
》
イエスも
祝福
《
しゅくふく
》
されました。
神
《
かみ
》
の
母
《
はは
》
聖
《
せい
》
マリア、
罪深
《
つみぶか
》
い
私
《
わたし
》
たちのために、
今
《
いま
》
も、
死
《
し
》
を
迎
《
むか
》
える
時
《
とき
》
も
祈
《
いの
》
ってください。
聖書のみじゃダメよ
当教会は「聖書のみ」の立場をとりません。聖書のみの信仰は聖書教にしかならず、それだけではキリスト教信仰は成立しないと考えます。
たとえば聖書にはクリスマスすら規定がありませんので、聖書のみの信仰ではクリスマスすらできません。実際、極端に厳格な教派ではクリスマスをやらないところもあります。それならそれで首尾一貫しているのですが、それがはたしてキリスト教なのか? 聖書ができた2世紀と、21世紀の間の2000年にもなろうとする人間の歩みを無視してしまうことのように思います。
その歩みはよいことだけでなく悪いこともありました。教会も、キリスト教国家も、さんざん悪いことをしまくってきました。世界史でそういうことを勉強するのでキリスト教嫌いが多いのではないかとすら思いますが、そういう過ちの歴史も、人間が迷い迷いしながら神の教えによって成長してきた歴史としてしっかり受け止めないと、またぞろ同じ過ちをしてくりかえしてしまうのでは(プロテスタント大国であるアメリカが中東地域でやってることを見るとつくづくそう思います)と思います。
聖人信仰としてのマリア信仰
そんなわけで聖書以後に成立したさまざまな信仰を継承することが大事だと思っているのですが、その大きな柱は聖人信仰です。キリスト教を継承し発展させた諸聖人を崇敬しましょう。
そして、聖人の中の第一の聖人は、イエス様の母・マリアです。マリア様は聖書にも
ルカ1:26-56
にあるように、イエス様を受胎したときに信仰を表明する祈りをしています。いわば世界最初のキリスト教徒であり、イエス様の一番身近におられた方です。
女性の力を賛美するためのマリア信仰
そして、男性の視点では気づきにくいことなのでしょうが、神様もイエス様も所詮は男です。イエス様は歴史的にも男ですし、神様は男・女を超越した存在ですが昔から父としてイメージされてきました。神様とイエス様を信仰するだけでは、人類の半分を占め子を生む重要な役割をする女性のはたらきへの信仰がすっぽり抜け落ちます。息子でも娘でも、子どもがまっさきに頼るのは母親であって父親ではありません。そういう母親に頼る気持ちを宗教的に聖化したものとして、マリア様へのお祈りを唱えていきたい。それが当教会でアヴェマリアを唱える理由です。
アヴェマリアと呼びます
カトリックでは天使祝詞と言いますが、それではマリア様へのお祈りだということが分かりにくいし、特に若い人はくさなぎ俊祈のマンガを連想するのではないでしょうか。アヴェマリアという言い方が一般的ですので当教会ではそう呼びます。
なお、ヴェが入力・発音しにくい場合は「アベマリア」でも結構ですし、マリアの前に・を入れるかどうかも任意です。マリアはマリヤと表記してもかまいません。