[真理子日曜学校 - 聖書の言語入門(フレーム表示) ]
【バチェラーのアイヌ語コース】
文字の読み方
- 文字と発音
アイヌ語には固有の文字がないのでローマ字で書き表すのが一般的です。このほか、いまでは日本国内のアイヌ語話者は例外なく日本語話者でもあるので、カナで書くこともよく行われますが、日本語と違って子音で終わる音節の多いアイヌ語では、カナを小さく書くことで対応したり、「ト゜」のような変な表記を導入したりなど、いらぬ苦労が多いので、ローマ字が適当であると思われます。
ローマ字に特殊な記号をつけたりすることはないのでキーボード入力やOCRは楽です。
なお、「学者や専門家はローマ字、素人はカナを使う」というわけでもありません。アイヌ語では隣接する語の音によって本来の音が変化する現象がいろいろあります。このとき、「ローマ字では変化する前の形、カナでは変化した後の形を表現する」という工夫をしている人が多いです。
- 音節
アイヌ語の音節は「(子音)+母音+(子音)」という形をとります。母音は必須ですが子音はなくてもかまいません。二重母音も二重子音もないので、もし母音や子音が連続しているとすれば、その間で音節が切れるということです。
- 母音
母音はアルファベット順にa、e、i、o、uの5種類のみ。非常にシンプルです。日本語のアエイオウと同じですが、ウだけは関西式に唇を丸めて突き出すようにしてください。
母音の長短の区別はありませんが、カラフトアイヌ語には長母音があり、aaだのuuだのと書かれます。これはa+aなどではなく1つの母音です。バチェラーはこのようなカラフトアイヌ語の形をとりいれていたりすることがあります。
母音で始まる音節は、まるきり子音がないのではなく、実は声門閉鎖音(アラビア語のハムザみたいな音)と呼ばれる子音が入っているのです。ドイツ語の母音で始まる音節と同じです。ですから人によっては、母音で始まる音節の母音の前に ' や ʔ などの記号をつける人もいますが、音声学的な書き方であり、一般的ではありません。。
- 子音
子音はc、h、k、m、n、p、r、s、t、w、yの11種類のみ。このうちk、m、n、p、r、s、t、w、yの9種類は音節の頭ばかりか音節末にも来ます。いろいろ書くことがあるのでそれぞれ項目を分けて書きます。
- c
チャ、チ、チュ、チェ、チョというときの子音です。以前はchと書かれたことも多く、バチェラーもchと書いています。しかし現在のアイヌ語の先生は「1子音1字」を貫きたがる傾向があるので、cだけで書くのが普通です。音節末には来ません。
- h
ハ行音の子音です。音節末には来ません。
- k
カ行音の子音ですが、状況によってはガ行音の子音に聞こえることがあります。そういうときにバチェラーはgを書いていることがあります。
音節末のkはkの口の形だけでとめます。たとえばsakはサッカーのサッだけを言うような感じです。韓国語のㄱ(k)パッチムと同じです。バチェラーはこのkを聞き落としていることがあります。
- m
マ行音の子音です。
本来はnでも次にmやpが来るときに、nのままにしておくかmにするかは人によってまちまちです。太田先生はmに変えますので、wan+peはwanpeでなくwampeになります。バチェラーもおおむねそうですが、たまにnのままになっていることがあります。
音節末では「ム(mu)」にならないよう注意します。mの口の形、つまり口をすぼめてンという感じです。
- n
ナ行音の子音です。
- p
バ行音の子音ですが、状況によってはバ行音の子音に聞こえることがあります。そういうときにバチェラーはbを書いていることがあります。
音節末のpはpの口の形だけでとめます。たとえばsapはサッポロのサッだけを言うような感じです。韓国語のㅂ(p)パッチムと同じです。バチェラーはこのpを聞き落としていることがあります。
- r
ラ行音の子音です。
音節末では要注意です。というのは、その前の母音の響きがかなりハッキリ聞こえるからです。たとえばar、er、ir、or、urはそれぞれアラ、エレ、イリ、オロ、ウルのように聞こえます。ただしara、ere、iri、oro、uruという音はちゃんと別にあるので、あくまで「響きのみ」というところです。
で、バチェラーはこれらをara、ere、iri、oro、uruと表記しています。ですからバチェラーの聖書や辞典で音節末(語末とは限りません)のara、ere、iri、oro、uruを見かけたら、一般の文法書や辞典などですar、er、ir、or、urと記述されている可能性がある(もちろんara、ere、iri、oro、uruの場合もある)ので注意する必要があります。
- s
サ行音というよりシャ行音に近い感じです。siはスィでなくシです。また音節末のsはシのように聞こえます。バチェラーはsiや音節末のsをshiと書いていたりします。
- t
タ行音の子音ですが、状況によってはダ行音の子音に聞こえることがあります。そういうときにバチェラーはdを書いていることがあります。
音節末のtはtの口の形だけでとめます。たとえばsatは「あさって」の「さっ」だけを言うような感じです。韓国語のㄷ(t)パッチムと同じです。バチェラーはこのtを聞き落としていることがあります。
- w
ワ行音の子音ですが、we、woとなったときにウエ、ウイにならないよう、エ、イと同じ長さでウェ、ウィと発音するように注意してください。
音節末のwは発音上はuと同じです。これをuと書くかwと書くかは現在でも人によってまちまちで、太田先生は「原則wと表記。ただしそれによって3子音連続(語末では2子音連続)になってしまうならuと書く」という流儀のようです(STVラジオ アイヌ語講座2008年4-6月テキストp.5)。
- y
ヤ行音の子音ですが、yeとなったときにイエにならないよう、エと同じ長さでイェと発音するように注意してください。
音節末のyは発音上はiと同じです。これをiと書くかyと書くかは現在でも人によってまちまちで、太田先生は「原則yと表記。ただしそれによって3子音連続(語末では2子音連続)になってしまうならiと書く」という流儀のようです(STVラジオ アイヌ語講座2008年4-6月テキストp.5)。
- アクセント
バチェラーは、アイヌ語にはアクセントがないと思っていたようです(文法p.34)。ですから聖書を読むときだけはアクセントなく平板に読むのがいいのかもしれません(笑)。
実際のところはアイヌ語は日本語と同じ高低アクセントです。英語のような強弱アクセントを母語とする人には高低アクセントはアクセントとは聞こえないのかもしれません。わき道にそれますが、高低アクセントと強弱アクセントの違いを痛感したいならロシア語をやることです。最初の数課だけで結構です。ロシア語のアクセントは強弱アクセントなのですが、高低のイントネーションが必ずしもそれと連動していません。たとえばСпасибо.(スパシーバ。ありがとう)は、強弱アクセントはсиのところにあるのですが、最初のСпаのところが高く発音される傾向があるので、日本人の耳には最初のСпаにアクセントがあるように聞こえてしまいます。
それはそれとして、アクセントはほとんどが規則的です。語頭の音節を見て、それが閉音節(子音で終わる音節)であればその音節にアクセントがあり、開音節(母音で終わる音節)であれば次の音節にアクセントがあります。これが原則です。
ただし、これの例外が30語程度ありますので、丸暗記しておく必要があります。
そういう例外の中には、もともとの語形が変化したためにそうなったというものがあります。たとえば沙流方言の一人称単数代名詞(私)はkáni、同じく一人称除外形複数代名詞(あなたを含まない私たち)はcókaと、アクセントが例外的ですが、旭川方言ではそれぞれkuáni、ciókayなので規則的です。
「代名詞」で説明するようにアイヌ語の名詞や動詞には人称接辞というものがつくことがあります。語頭につくことも多いので、これらの人称接辞がつくとアクセントが上記規則を満たすように移動します。ただし人称接辞のうちでa-、i-、eci-については、アクセントが移動しません。
日本語もアクセントが重要ですが(なにしろ箸と橋など、アクセントの違いで意味が変わることがあります)一切表記されません。同様に、アイヌ語にアクセントが存在しないと思っていたバチェラーはもちろんのこと、アクセントが大事だと説く研究者でも、たいていの人はアイヌ語のアクセントを表記しません。ただし、アイヌタイムズのように、例外アクセントだけ表示するという流儀もあり、一定してはいません。もっともこの記事を見ると、アクセントをつけるのは労多くして功少ないという感を強く持ちます。アイヌ語のアクセントは一切表記しないというのが一番いいと真理子は思いますけどね。
- アポストロフィ
' 記号です。通常のアイヌ語の本では、連続した母音をはっきり区切って読むのだということを強調したいときに書きます。たとえばteeta(昔)を人によってte'etaと書くようなものです(アイヌ語には二重母音や長母音は存在しないのですから、' なんか書かなくてもわかるというので、書かない人も多いです)。
しかしバチェラーの ' はその意味ではなく、何らかの形で語形が省略されていることを意味します。ちなみに、「区切って読む」という印は、バチェラーは-を用いる傾向があります(必ずしも徹底していません)。
しかしアイヌ語文法をうまく見破れなかったバチェラーのこと、語形の省略といったって信用しかねるところがあります。
たとえばバチェラー訳聖書には頻繁に Ingar'an. (見よ)という文が出てきます。でも現代の普通のアイヌ語の本ならInkar an.と表記されるものですから、どこにも省略なんてありません。
バチェラー辞典を見ると、ingaraという語形で載っているので、バチェラーはIngara an.の省略でIngar'an.となるのだと思っていたことがわかります。
上述のように音節末のrは直前の母音が響くので、inkarは「インガラ」と聞こえます。次に「~せよ」という終助詞のanが来ると、響きのラがアと一緒になって、「インガラン」となるわけですが、元の形がingaraだと思ってしまうと、確かに「ingaraの末尾のaが省略された」と感じることでしょう。
こんなふうに、' を書いたバチェラーの考えを推測してみるのも一興です。