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【バチェラーのアイヌ語コース】

文法解説のしかた


  1. バチェラーの文法
     バチェラーは宣教師として、教育者として、そして人間として立派な方でしたが、さまざまな事情で大学を中退せざるを得なかったなど、十分な教育を受けることができず、まして言語学に関しては全くの素人でした。
     そんな彼が、先行研究が実質的にゼロの状況にもかかわらず、アイヌ語の文法と辞典をまとめることができたというのは驚異ですが、後にアイヌ語の研究が進むにつれ、バチェラーの文法や辞典にはさまざまな不備や欠点があることが明らかになりました。特に文法に関しては、独特なアイヌ語の語法を西欧語の発想に引き寄せて解釈しているところがあり、現在のアイヌ語入門書・文法書とは大きく記述が異なります。早い話が「間違って」いるわけです。
     しかしながら、バチェラーの訳した聖書を解読するためには、その「間違った」アイヌ語文法に基づかなければならず、他の入門書や文法書は役に立ちません。一般の文法とバチェラー文法と、両方の理解が必要なのです。


  2. バチェラー文法が先か、一般文法が先か
     一般の文法記述と少なからぬ違いのあるバチェラー文法とを両方扱うとき、
    1. バチェラーの文法を中心に扱い、それが一般文法ではどう解釈されているかを付記する
    2. 一般の文法を中心に扱い、それをバチェラーがどう解釈していたかを付記する
    の2つのやり方があります。当初は「バチェラー訳を読むならバチェラーに即すべし」というので1の方法を試みたのですが、バチェラーの誤解とわかっているものをメインにするのにはかなり抵抗があり、また記述が複雑になってしまうことがわかりました。
     考えてみれば他のコースでも、「KJVの17世紀英語を理解するにはまず現代英語」「ルターの16世紀ドイツ語を理解するにはまず現代ドイツ語」「改訳ハングルの文語体韓国語を理解するにはまず現代韓国語」だったわけであり、バチェラーのアイヌ語を一種のバリエーションであるととらえるなら、バリエーションを理解するにはまずは基本を理解する必要があるわけです。そこでこのコースでは2の方法をとることにしました。
     ただしバチェラー訳聖書本文を読むページは別で、あくまでバチェラーの表記と訳文に即した読解を行い、説明の中で、「一般的にはこうだ」ということを書いていきます。


  3. 「一般文法」とは?
     しかしアイヌ語の一般文法って何でしょうか。標準語が形成されていないアイヌ語では方言によって少なからぬ違いがあり、たとえば親族名称や数詞まで異なるのです。rehotが旭川では30なのに他方言では60だという恐るべき状況すらあるそうです(太田満先生のSTVラジオアイヌ語講座2008年4-6月テキストp.21)。また文法用語も研究者によってまちまちで統一がとれていません。実は一般文法というものもないというのが現状です。
     いろいろな先生の用語をとりまぜると混乱のもとになるのでとりあえず準拠する先生を決めねばなりません。ここでは旭川アイヌ語教室の太田満先生の用語と説明のしかたに準拠することにしました。STVラジオ アイヌ語ラジオ講座の2004年と2008年を担当なさっており、テキストが無料で入手できる利点があります。この講座の各先生の中で一番文法をしっかり扱っており(それだけにかなりハードです)、また伝統的なアイヌ語を継承するだけでなく現代社会に対応した新語を作るということも積極的に行っており、異文化である聖書を新語や日本語からの外来語を積極的にとりいれながらアイヌ語に訳していったバチェラーの精神にもかなう(あれ、これってほめ言葉にならないかもしれないわね)と思うからです。