ばべるばいぶる(多言語聖書閲読) | HELP フォント・背景色変更 |
| |
2024年4月20日(土) 通読(本日=ルカ5-6,1イミ21,クル-42回 明日=二コリ11-13,3イミ21,アル4) |
●章表示 | ●検索 | |||
章モードしおり 現在の章をしおりに追加(最大20) クリア 並べ替え |
節表示・修正 | 口語訳(日本語R)+真理子のおまけ 解題 〔真理子訳(工事中)〕イミタチオ第3巻 内なる慰めについて 第16章 |
---|
第十六章。真の慰めはただ神にのみ求めなさい 自分の慰めのために望んだり考えることのできることはみな、わたしは現世でなく来世に求める。 もし、この世のすべての慰めを自分一人で所有し、すべての歓喜をみな受けることができたとしても、決して永続しないのである。 だからわたしの魂よ、神だけが貧しい者を慰められ、へりくだる者を守られるのである。神以外にはあなたが慰められたり、申し分なく力づけられたりすることは決してありません。 わが魂よ、しばらく待て。神の約束を待ちなさい。あなたはすべての幸福を豊かに天で与えられるだろう。 もし、この世のことばかりをむやみに求めるなら、天にある永遠のものをあなたは失うだろう。 この世の事は用いてもよいが、永遠の事を望みなさい。 この世の事はどんなよい事でも満足されない。あなたはそんなものを楽しむようには造られていないからである。 |
|
たとえ造られたよいものをあなたがみんな持っていたとしても、それであなたが幸福になったわけでもないし、祝福されたわけでもない。 万物を造られた神のうちにのみ、あなたの祝福と幸福があるのである。 その幸福とは、この世を愛する愚か者たちが見て賞賛するようなものでなく、善良なキリスト教信者たちが期待するものであり、純潔な心を持つ霊的な「国籍が天にある」(フィリ3:20)者たちが、時として味わえるようあらかじめ定められたものである。 人の慰めはすべてむなしく、束の間のわずかなものである。 しかし真理が内的にもたらしてくれる慰めは、至福であり真実である。 神を敬う人は、どこにいても慰めてくださる方であるイエスと一緒であり、彼にこう告げるのである。「主なるイエスよ、どこでも、いつでも、わたしと共にいらしてください。 わたしが人の慰めをすべて喜んで捨て去ることが、わたしの慰めでありますように。 そして、もしあなたが慰めを取り除かれるとしても、そのあなたのみ心と正しい試練が、かえってわたしのこの上ない慰めでありますように。 それはあなたが『常に責めることをせず、また、とこしえに怒りをいだかれない』(詩103:9)からです」と。 |