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2024年3月19日(火) 通読(本日=サム下1-4,シラ17,モサ10 明日=詩48-50,二マカ1,モサ11)

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節表示・修正口語訳(日本語R)+真理子のおまけ 解題
〔真理子訳(工事中)〕イミタチオ第1巻 霊の生活に益ある勧め 第9章
第九章。従順と服従について
従順に上の者に服従し、自分が指図しないで生きるのは、とてもよいことである。
上に立って指図するよりも、下にいて服従しなさい。そのほうがはるかに安全である。
多くの人は、愛のためにでなく、やむを得ず服従に屈しているので、苦痛を感じて不平を言ったりするのである。
心の底から神のために服従しなさい。そうでなければ心の自由は得られない。
いくらあちこち走り回っても、謙遜に上の者の指図に従う以外に、真の安らぎはないのである。
みだりに他の場所や地位を想像して移りたくなって誤った人が多いのである。
実際、人はみな自分の思い通りに行動したがるし、自分と同じ考えの者に親しみを感じる。
しかし神がもしわれわれのうちにいらっしゃるなら、われわれは安らぎを保つために時には自分の考えを捨てる必要がある。
いったいだれがすべてを知ることのできる賢者でありえようか。
だから、自分の考えばかり頼らず、努めて他人の考えにも耳を傾けるべきである。
もしあなたの考えのほうがよいとしても、神のために譲って他人の意見に従うならば、なおさらあなたに有利なのである。
助言は与えるより受けるほうが安全であると、わたしは聞くことが多い。
どちらの意見も正しいということはある。だが、他人に従ったほうがいい道理や理由があるにもかかわらず、強いて我を張ろうとするのは、傲慢と頑固の証拠である。

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